東京都美術館× 東京藝術大学 「とびらプロジェクト」

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2014.11.30

「物を見るときの光が重要なので、窓はすべて北向き。直射日光が差さないようになっているんです」
アトリエに着くなりすこし高めの元気な声で説明してくれた。インタビューに訪れた天井が高いアトリエは、4人で使っているそうだ。

卒展に向け製作中の作品が台の上にある。いやでも目立つ。実物の人体よりかなり大きめの全裸の男性が、しゃがみ込むように体を丸めている像なのだ。
「作り始めたのは、心棒に粘土をつけ始めたのが6月末くらい」
というその像は、立ち上がったら、身長が3メートルくらいにはなりそうな大きさである。像の前方が高く斜めになった台座に乗っているため、背中が強調されている。

「後ろが正面なんです」というのもうなずける。だが、普通の後ろ姿ではない。特徴的なのが、その姿が歪んでいること。
背中側の正面あたりから見ると普通の像に見えるのだが、少し横に移動してみると何やら違和感を感じる。そのまま、像の周りを移動していくと、その像は体の前後方向に薄く作られているのだとわかる。簡単に言うと、前後から押しつぶしたような縮尺の人体像なのだ。

実は、背面の、ある一点から見たときだけ、ほぼ正しい縮尺の人物になるように作られているのだという。

「正面像だけが見えることがテーマなんです。現在は正面像は画像検索などですぐに見ることができる世の中じゃないですか。側面はあやふやというか。見る人に、ゆがんだ側面から正面を捜してもらう、空間を捜してもらう。あらかじめ正面がはっきりしている平面作品でなく、あえて彫刻作品で正面を捜してもらう。見る人にそんな行為をしてもらいたい。立体物としては弱い、よくわからない物、あやふやな立体物をテーマに作っています。正面しかないわけではない彫刻で、あえて正面を作り、捜してもらうんです。しかも、バッチリなものを作ると、そこで見る人の思考が止まってしまうから、あえて正確でない、人間としてのブレが出てくるように。完璧な正面を持っているわけでも、360度説得力があるわけでもないという……」

なかなか難しいけど、なんとなくわかる気もする。正面に背面を選んだのは
「ステレオタイプの正面ではなく、正面に対する原理主義へのアンチテーゼ」でもあるのだという。

どうも額賀さんは反骨精神が旺盛のようである。

タイトルは現在のところ《unclear》。「不明瞭な」という意味だが、文字通り、まだタイトルがこれに決定しているわけでもないらしい。
作品は大きいが、製作に当たって頼んだモデルさんは、「小柄な人」という注文で来てくれた人なのだそうだ。
「私が小柄なので、モデルさんも小柄でないと、体が見にくいんです」という。

額賀さんの作品は最終的にはテラコッタ(素焼き)の作品になる。今はその原型を作っていることになる。この原型から型を作り、型に粘土を詰めて像にして、最後にその像を焼いて完成する。

アトリエにはすでに完成している他の作品もあった。前述の作品とは逆に、実物よりかなり小さめだと思われる、西洋人らしき男女の肩から上の像。特に、頭の禿げた男性の像は、どことなくユーモラスでもあり、魅力的だ。リアルに思える像だが、これはモデルを使わずに、写真から立体像に起こしたのだそうだ。

こちらもタイトルは《unclear》。
「こちらから見ると、やっぱり歪んで見えるんです」
たしかに見る位置によって、こちらの作品も歪んでいる。サイズが小さくて、全体を見渡せるだけに、近くで見ても歪みが大きく感じられる。
「表情は、あまり語りかけてこないように考えています。オマケと言ったらなんですが、見て見苦しくない程度で、ニュートラルな表情にしています」

このような作風になってきたきっかけは、イタリアの彫刻家ドナテロの作品を見たことだそうだ。
「以前は普通の人体を作っていたんですが、イタリアに旅行に行ったとき、ドナテロのレリーフを見て、正面以外から見たらちゃんと像を結ばなくて、正面の説得力というか、魅力が面白いなと思って、私も私なりにレリーフと彫刻を結ぶ仕事ができたら面白いなと思いました」

歪んだ像を作る以前の作品もあった。こちらは、ふっくらとしている全裸の若い女性の座像で、おだやかな表情と、やさしいピンク色の肌が印象的だ。

「このころ、女の子として生きていくには世間からの要求が多いなと思って。やせていなきゃいけないとか、毛はしっかりそらなきゃいけないとか。そういうのが嫌だなと思って。太っていても美しい人というのをテーマに製作しました。ま、わかるかと思いますけど、作るときの原動力がムカついたことや、嫌だなと思ったこと、マイナスなことなんです(笑)。自分自身が、安直に物を見たり、表現したりすることはまずいな、もう一度よく考えよう、ということでもあるんですけど」
そう言っているが、あまり怒りとかを感じさせないほど、やさしい感じの作品だ。それを言うと
「怒っている人が怒っていてもあまり、聞いてもらえないので。動機は怒りですけど、それがテーマではないので。一応、神様をテーマに作ってみたのでこれでいいかなと」
この作品ももちろんテラコッタだ。

「テラコッタって、弱くて重い不便な素材なので、彫刻の学生もあまり使わないんですよ。でも、焼き上がった色がきれいなので、それを見せてもいいかなと思って選びました」
この作品も重さが70 キロくらいあるという。「古事記」に出てくる、口から食べ物を吐き出す神様、保食神(うけもちのかみ)にかけて《うけ》というタイトルだそうだ。とても魅力的な作品だが、今後この作品がどうなるのか尋ねたところ
「展覧会に出す機会があればいいんですけど、今のところないので、実家の“タンスのこやし”というか“駐車場のこやし”というか(笑)。そうですね、彫刻は引き取り手がつかないと……小さいものだと欲しいと言ってくれる人もいるんですが」
という答えが返って来た。

額賀さんによれば、テラコッタの魅力は、水や視線がしみ込んでいくマットな質感だという。また、中が空洞なところが人間に共通する感じがするという。

「作り手のエゴかもしれませんが……」
原型は、型を取ったあと壊してしまうので、その時点では、この世から像の姿は消えてしまうことになる。型から抜いた像ができるとまるで再会したようで、それも面白いという。それが焼かれ、窯から出てくるので出会いを繰り返すようなのだそうである。
これからもこの空間が歪んだような像のスタイルの製作を続けていくのかと尋ねると
「そのつもりなんですが、これ《うけ》を作っていた頃も、このスタイルでずっと続けて行こうと思っていたんですよね(笑)。だからわからないんですけど」

歪んだ形を作るのは、今の時代の反映だと考えたら深読みし過ぎだろうかという質問には
「多少あるかもしれないですね。ただ素直に物を作っていくのが難しい時代で、言い方は悪いですけど、キャッチーにしないと人は見てくれないということがある。もちろん、意識しなくても、今の時代に物を作っているということは、そういう部分もあるかもしれません」

そんな話をしていたところに、偶然、額賀さんの先生である北郷悟教授がアトリエにいらしたので、額賀さんに関して伺ってみた。

「期待の星です。近頃の作品もいいと思いますよ。彫刻って、物と空間の仕事なので、昔は物だけを徹底的に作っていた時代があったんですよ。だけど、今の彫刻のあり方っていうのは、空間を作るために物を表現したり、内面を表現するために空間を使ったりといったことがあるので、空間を刻むっていうか、時間と空間を刻むっていうのが彫刻って考えに、たぶん変わってきていると思います。その方が、インスタレーションなんかも考えやすいですし、特にフィールドワーク的な仕事も、どこかに物があって人がここにいてっていう、関係性がすごくわかりやすいと思うんですね。時間と空間という意味ではね。そういった意味では彼女の仕事は微妙な心理空間を使って、向こう側の世界も感じ取れるようなことに挑戦していますから。しかも、テラコッタという呼吸感のある素材を使ってくれているのも嬉しいですね。テラコッタというのは水をかけるとしみ込むんですよ。本焼きの物は、釉薬をかけるからちょっと息が詰まるような感じになる。物に変わっちゃうんです。テラコッタは、物にならない領域を大事にするというのがあります。テラコッタは壊れやすいのですが、壊れやすいという痛々しさとかが、人の心と重なってくるところがあるので、壊れやすいってこともいいことなんですね、表現として。生活の中でも、壊れやすいもの、燃えやすいものは意外と残ったり、大事にされたりしますから。なんでもかんでも丈夫な物だけが残るというわけではないですね。でも、まぁ、彼女なりの考え方があるだろうから(笑)、そこを聞いてあげてください」

なんとも師弟愛を感じさせる、優しく温かい言葉だ。しかも、額賀さんを理解する上でもとても参考になるコメントだ。

しかも、真面目なコメントだけでなく「これを『進撃の巨人』みたいな大きさで作ってみてはどうかな」とか、「『見返りなんとか』みたいなタイトルにしたくなる」とか、「卒展ではどこに作品が置かれるかは大きいよね。『捜したけどなかった』とか言われるのは嫌だしね」などと言い残してアトリエを去っていった。なかなか頼りになりそうで楽しい先生だ。

最後に、額賀さんに藝大を目指し、彫刻を選んだ理由を聞いてみた。

「もともと、お絵描きとかが好きな子供だったんですけど、高校生になって美大に行こうと思うようになって。もともとはデザインをやりたかったんですけど、高校1年のときに藝大の卒展を観に行ってびっくりしたんです。それまで彫刻って私にとってはどうでもいいカテゴリーで(笑)、興味がなかったんですけど、物を無理やりにでも実在させられるってところに衝撃を覚えて。ブロンズ像とか、仏像とかってすごい偉い人が作るものだと思っていたんですけど、自分とあまり歳も変わらないような学生が、自分の思い描いた形をこの世に厚みとして生み出しているというところに、感銘を受け、何を思ったか彫刻家を目指すようになりました。自分の思ったものを実在させることが魅力だと思います。絵画のように世界を作ることはできないけど、自分の作ったものを世界に放り投げることはできると思っていて、自分の手で全部決定することができるので、彫刻の中でも塑像を選んでやっています」

次々と新しいことを発見して、それに向かっていくところや、怒りをエネルギーにしつつも、そのままを表現にするのではないところに前向きな印象を持った。

広い背中を持った男性像は、世界に投げ出されるまで、もうしばらく時間が必要なようである。それまで、巨大な後ろ向きの男性を相手にした額賀さんの前向きな格闘も続く。

*      *      *

製作中の粘土を保管するためには水分が必要だが、水をしみ込ませた布を巻いて3 カ月ほど放っておいたところ、粘土にカビとキノコが生えて森のようになっていたことがあるそうだ(そんな所にも上野の森があったとは……)。こういったこともあるので、製作中は常に像のめんどうを見ながら過ごさなければならず、その分、像に対する愛着も湧くらしい。まだ、完成までには7割くらいの段階だというが、手塩をかけて育てた《unclear》が、額賀さんとの何度かの再会を経て、最終的にどんな姿を表すのか。卒展を見る楽しみが、またひとつ増えた。

執筆:小野寺伸二/アート・コミュニケータ(愛称・とびラー)

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