東京都美術館× 東京藝術大学 「とびらプロジェクト」

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「とびの人々」vol.5:アートとの出会いをより豊かに~三ツ木紀英さん

これまで東京都美術館で働く人々を取材してきたこの「とびの人々」企画。今回はとびらプロジェクトのプログラムに深く携わる方を取り上げます。このブログでも日頃の講座の様子などをお伝えしていますが、その中でとびラーがどんな方と関わりながら学んでいるのかを知って頂ければと思います。

 

5回目の今回は三ツ木紀英さん。「鑑賞実践講座」の講師として昨年度より関わってくださっています。記事を担当してくださったのは、とびラーの山本明日香さんです。  (プロジェクトアシスタント 大谷)

 

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記憶にある最初の美術館体験は、たしか小学生の時に行った上野の国立博物館だ。何の展示だったかは忘れたが、沢山の人が行き来し、高い天井に話し声や足音が反響する独特の雰囲気に、わくわくしたことを覚えている。
 
「走らない、触らない、しゃべらない」は、美術館や博物館で先生や両親から口酸っぱく言われる3大ルールだ。これを破って、おしゃべり(対話)で作品を鑑賞するプログラムがある。Visual Thinking Strategies(以下、VTS)と呼ばれるこのプログラムは、ニューヨーク近代美術館の元教育部長フィリップ・ヤノウィンが中心となって開発したもので、世界各国の教育現場で実践され、成果が報告されている。ここ東京都美術館(以下、都美)では、子供を対象にした「対話による鑑賞プログラム」があり、都美で活動するアートコミュニケータ(以下、とびラー)が、VTSをベースとした鑑賞の進行役・ファシリテータを務めている。その鑑賞実践研修を担当するのが三ツ木紀英(みつきのりえ)さんだ。

VTSとは、具体的にどう鑑賞するのか。鑑賞と言うと、ひとりで静かに作品を観るイメージが強いが、VTSは大きく異なる。まず、ひとりではなく複数の人と一緒に作品を観る。そして、感じたことを具体的に言葉で表現する。しかも、作品の解説は一切ない。
数分間、静かに作品を観た後、たとえば作品が絵画なら、何が描かれているか、どう感じたか等、気がついたことを自由に発言し合う。VTSが〝対話による鑑賞“と呼ばれる理由だ。同じ人物像について「悲しそう」、「前向きな表情に見える」と相反する意見が出ることもあるが、どちらも否定されることはない。進行役であるファシリテータは、それぞれの発言を受け止め、作品のどこをみてそう思ったのか、発言者の視点を整理しながら鑑賞を進める。
「これはゴッホが1888年に描いた作品で、特徴は…」という解説があると安心して作品を観られるという人は少し戸惑うかもしれない。VTSでは、こうした知識を与えることよりも、鑑賞者自身が観て、感じて、作品について考えることに重きを置く鑑賞方法だ。


三ツ木さんは、大学で美術史を専攻し、学芸員の資格も取ったが、卒業後は一般企業に就職した。会社員の傍ら、時間をみつけてはアートプロジェクトに参加したり、現代アートのギャラリーを巡る。アートプロジェクトに関われば、その世界の仲間が増え、アートへの想いも更に強まった。数年後、会社を退職、イギリスへ飛んだ。
 
[三ツ木]  学生の時から、作品の研究より、アート作品と観る人の出会いや、観る人の心の中に起こることに興味がありました。
 
イギリスでは、アートとの出会いの場が沢山あった。中心地にある大きな美術館だけではない。地域ごとにアートセンターと呼ばれる小さな施設があり、そこでは地元作家の展覧会やパフォーマンス、映画が上演され、子供たちが参加できるワークショップも当たり前のようにあった。気軽に観られる作品、観に行く場所がすぐそこにある。「日本にも身近な場所にアートやアーティストと
出会える環境があればいいのに」という想いを強くした。
 
数年後、帰国した日本では、まだワークショップという言葉すら一般的には知られていなかった。「アートとの出会いの場が無いなら、自分で始めるか…」そう考え始めていた頃、美術関係者にある人を紹介される。自宅から自転車で5分の距離にある児童センターの館長だった。「うちでは、色々な活動をしているけど、現代アートっていうのはまだやったことがないから、何かやってみたい」。2000年、都内の児童センターで日本人の現代アートの作家の展覧会とワークショップが実現した。以来、美術館や児童館など様々な施設や街で展覧会やワークショップを手掛けながら、VTSのファシリテータの育成に積極的に取り組んでいる。

ある小学生とのVTSで、担任の先生から「発言者に偏りがあり、対話が活発でなかった」と言われたことがあった。思ったことを言葉で的確に表現することは簡単なことではない。どう言えばいいかわからない、間違っているかもしれない…。特に小学校高学年になると、周りの目を意識して発言をためらうようになる。しかし、届いた感想文には「みんなでたくさん話をして楽しかった」、「絵の中に入ってしまったような気持ちになった」、「今迄で一番意味のある図工の時間だと思う」という声があった。
 
[三ツ木] 傍目には、盛り上がらないVTSだったかもしれませんが、手を挙げない子供の目もキラキラしていました。発言が無い=何も感じていない、ではありません。心はちゃんと反応し、頭もフル回転していました。
 
ひとりで観ると、自分の感想だけしかない。複数の眼で観るVTSでは、自分が全く気付かないところに注目する人がいて、新たな気づきや発見がある。対話を重ね、作品について考え続けるうちに、もともと他人の意見だった見方が、次第に自分の見方の一部になってくる。まるで自分も最初からそう感じていたかのように。一緒に鑑賞した仲間との一体感も手伝って、作品をいつもよりも深く、じっくり味わうことが出来たと満足する子供が多い、と三ツ木さんは言う。
 
[三ツ木] 作品の見どころはここ、というある種の“答え”にたどり着くように大人が誘導しなくても、子供たちは自分で作品と向き合えます。

「複数の眼で観る楽しさを味わうなら、VTSでなくても、何人かで作品を観て意見交換すれば十分なのでは?」と思った人もいるかもしれない。VTSは何が違うのか。それは、ファシリテータの存在だ。
VTSでは、鑑賞者から発言が出るたびに、ファシリテータが「あなたは作品のこの部分に注目して、こう感じたのですね」と言い換えてから次の発言を促す。発言者本人の言葉だけでは、発言の意図がわかりづらい場合もあるからだ。この“視点の整理”を鑑賞者ではなく、ファシリテータが担うのがポイントだ。ファシリテータの言葉を共通言語として、視点を共有することにより、「今の発言はどういう意味なんだろう…」とモヤモヤすることなく、作品を観ること、考えることに集中できる。『そんな見方をするのか!』と驚いたり、『自分もそう思っていた!』とうなずきながら、自分の気持ちを表す言葉を探し続けられる。一方、ファシリテータがいない場合は、鑑賞者それぞれが発言の解釈をすることになる。そもそもの目的である「観る」ことに集中しづらいだけでなく、発言の趣旨を正しく理解しないまま、意見交換することにもつながりやすい。
三ツ木さんがVTSをする時は、「全身をアンテナにして、言葉だけでなく、表情、しぐさからも、その人の伝えたいことを感じ取ろうとする」そうだ。VTSという手法によって、鑑賞者から言葉を引出し、同時に、観て考えることに集中できる環境づくりも行うファシリテータ。果たす役割は大きい。

自分自身の鑑賞の仕方を振り返ると、この作品好きだな…と思っても、作品のどこを見て好きだと思ったのか、いちいち突き詰めずに、次の作品に目を移すことが多かった。特に好き嫌いも意識しないまま、作品名を確認するだけの場合もある。これに対してVTSは、その“何となく”の感覚をそのままにしない。敢えて言葉にする。これはとてもエネルギーが要る作業だ。実際にやってみて感じたのは、言葉にしようとすると、おのずと自分の心に目が向くということ。「あんな見方も、こんな見方もある。自分はどう感じる?」。対話による鑑賞は、他の人との意見交換だけではなく、自分の心と対話することでもあると感じた。「見どころは何?特徴はどこ?」に対する答えではなく、「この作品を観て何を感じた?何を考えた?」への答え。カタログに書かれた見どころを確認し、解説を読んで納得するのとは一味違う、より主体的な鑑賞だと思った。
 
[三ツ木] 何よりも感動するのは、自分の気持ちを言葉に出来た時の、子供の自信に満ちた表情です。VTSをやるたびに、人間は本当に考えること、感じることが好きな生き物なのだと思います。
 
間違いを恐れずに発言できること。その発言を受け止めてくれる人がいること。想いを言葉で伝えることの難しさ、その言葉を見つけた時の喜び。異なる意見を受け止めること、そして考え続けること。VTSには、アートの鑑賞だけではなく、私たちが社会で生きていくために大切な要素が含まれている。常に正解を問われる学校生活、短期間に成果を求められる大人社会。じっくり考える機会が減った今、大人にも子供 にも、意味のある体験だと思う。都美で活動する私達とびラーも、三ツ木さんや学芸員の元でVTSのファシリテータの練習中だ。より多くの人がVTSを体験することで、作品と出会う楽しさを知るだけではなく、日常生活での人との関わり方にも変化をもたらすきっかけになればと思う。そしていつか、VTSをやらなくても、ファシリテータがいなくても、ひとりで豊かに作品を味わうことが出来るようになれたら、嬉しい。
 
VTSの日の三ツ木さんはモノトーンの服が多い。その理由を尋ねると、「特に意識していなかった」と前置きしつつも、こんな言葉が返ってきた。
「空気みたいに存在感が無いファシリテータっていいな、と。その存在を意識せずに、参加者が作品と向き合えることが一番だと思っています」
 
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筆者:山本明日香(やまもとあすか)
美術館を観に行くところから関わる場所にしたくてとびラーに。VTSのファシリテータ練習中。

2013.07.03

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