東京都美術館× 東京藝術大学 「とびらプロジェクト」

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藝大生インタビュー

東京藝術大学で学ぶ学生のアトリエをとびラーが訪ね、作品が創出されるその現場を取材しています。

「『みんな本当はこう思ってない?』社会を逆から眺める視線〜表現されるユーモアと毒」藝大生インタビュー2018 | 油画 学部4年・杖谷美彩さん

2019.01.14

12月も後半に入った19日、藝大美術学部絵画棟7階で卒業制作を行なっている杖谷美彩さんを訪ねて行きます。アトリエのドアを開けると、ピンクのトップスにシルバーのボトムスの装いの杖谷さんが、にこやかに我々を迎え入れ、床に敷かれたカーペットの上に座るように促してくれました。

 

【卒業制作は三畳の空間】

 

杖谷さんのアトリエで最初に目が行ったのは、そこに置かれている、洋式の便器です。

 
ー デュシャンへのオマージュ? これは何ですか?

 
「それは卒業制作の“部屋”の中に置く便器です」

 
“部屋”が卒業制作の作品! テーブルの上にあった模型を、カーペットの上に持ってきて見せていただきます。それは小さな部屋とそこに連なる廊下のような構造物です。

 

「卒業制作は、この三畳くらいの部屋なんです。貧乏で、狭い部屋しかなくても、そこで楽しく生きていける方法を提案していく作品です。床の波型の模様は、以前の作品から発想を持ってきたのですが、ゴキブリホイホイのゴキブリを捕まえるネバネバした薬の模様を、人間サイズにしたものです。子供の頃から、ディズニーランドがすごく好きで、ディズニーランドには興味を持っているんですが、人がディズニーランドに行ってホイホイお金を使っちゃう感じが、人間版ゴキブリホイホイに近いと感じて、そんな作品を作ったことがあったんです。
 実は、この部屋には、裏テーマもあるんです。それは死刑囚の独房というテーマです。それで便器も置こうと思っているんです。平成最後にオウム事件の死刑執行もあったので、そんな話も、あまり気づかれなくてよいのですが、要素として入れたら、面白くできるのではないかと考えているんです」

 
話の意外な展開にびっくりしている間にも、杖谷さんのお話はどんどん進んでいきます。

 
ー卒業制作はなぜインスタレーション作品にしたのでしょうか?

 

「今まで絵画作品を多く作ってきて、作品も溜まってきたのですが、どの絵も絵画として完結しているというより、インスタレーション的な面白さがあると感じていたんです。そこで、卒業制作は体験型のインスタレーションにすることにしました。体験の感覚を強くするために、大学や美術館の床とか天井が見えないようにインスタレーション全体が一つの部屋になっています。来場者が会場のドアを開けると、突然廊下があって、三畳の部屋に誘導される仕掛けです。
 ちょっとしたテーマパークのように、脳味噌を一瞬だけ騙して、また夢から覚ますというような空間を作りたかったんです。そこで、『わっ、めちゃめちゃペインターだな』と感じるタッチは控えて、部屋のパースの中にさらにパースを描いて部屋を広く見せたり、見る場所によってはパースが狂っているように感じさせたり、平面としてテレビを描くことによって平面と立体の間の行ったり来たりを感じさせるようにしたりしているんです。
 中にある赤く下地が描いてあるテレビには、お笑い番組でよくあるボタンを押すと人が落ちていくセットを描こうと思っています。それは死刑執行のボタンを押すという動作と同じなんです。死刑執行の方は3人で押すようですけど。だからどうっていうことはないんですけど、ちょっとドキッとして、日常で笑っていることに対して疑問を持つようなことがあっても良いかなと思っています」

 

 
― ディズニーランドから死刑囚の独房まで、扱うモチーフの幅がとても広いですね。

 

「今年の春頃には、卒業制作では宗教的な話を掘り下げた作品を作ろうかと思っていたんです。でも作品のテーマとして扱うにはまだ私自身がそのことに関して知識が浅すぎると感じたので、それはいつか作品にすることにして、今回はやめにしました。
 今の関心は、自分が制限した三畳の空間で何かできるかとか、ディズニーランドにもあるような立体から突然平面になる境目を三畳の中に組み込むとか、そんなことができると面白いなと思っています。裏テーマとしては死刑囚の独房というのがあるんですが、初めは、狭い空間でも絵を使って豊かに暮らすことができるということが見えれば良いかなと思っています」

 
― 騙し絵の空間のようなところがディズニーランドと共通しているんですね。

 

「水槽の中の魚を、パソコンの中に移動することでヴァーチャルなペットになるとか、そんな入れ替えが起こる空間があったら面白いと思ったのが、この作品の発想の元になっています。
 これは、本物のランプにハエを描いて、ちょっとしたインテリアにしたもの。インスタ映えのハエ。みんなが家にあるもので作れるような、軽いものです。卒展の展示は結構写真に撮られるので、出来るだけどこから撮られても良いようにしようなんていうことも考えています」

 

 

「今、入れようかどうしようか考えているのは、布団の花畑です。死ぬときは独りみたいなことを表現するために、家具屋さんで布団カバーを買ってきて、そこに花を描いて、花畑で寝ているように見せて、一人で死んでも花があるから怖くないみたいなものも作ったらどうかなと思っています。体験型で実際に寝てもらい、布団に触れてもらうんです。妹を連れてきて寝てもらいサクラになってもらうのも良いですね。
 一見風景画、一見アニメ、一見何々みたいな、はじめよくわからなくても、聞けばちゃんと考えているんだなとわかるようなものを作りたいと思っています。大学に入ってから、逆側を突くようなのが好きなんだなって分かってきました。
 天井には電気工事ができないためシーリングライトなどはつけられないのですが、そこをどうリアルに見せるかとか、コントラストをつけることで部屋を広く見せるとか、いろいろやってみたいと思っています。建築の授業も取って、綺麗な建築の話とかもいろいろ聞いたので、丁寧な作業をしていきたいと思っていて、裏側までちゃんとパネルを作るとか、枠組みにパッと留めるのではなくちゃんと組んだりとかしています」

 
ー 誘導する通路のところはどうなるんですか?

 

 

「住宅のモデルルームに誘導するような形式にするか、遊園地の入り口のようにするかは、まだ悩んでいるんですが、ここにちょっとした受付のような窓を作って、私が監視している人になって来場者に対応しようとしています。そこでは、死刑を免れるために首を鍛えた人がいるとかいう話を提供するとか、実際にマッチョな人が使うような首を鍛える道具をちょっと可愛くして置いてみるとか、来場者に、新たな引き出しを提供できれば良いかなと思っています。
 来場者は、フード付きのパーカーを着てはダメとか、35cm以上の紐がついた服はダメとか、そういう制限を入れると体験型として面白くなるかなとも思っています。受付の所には、ディズニーランドにもあるような、こう言われたらこう応答するというマニュアルも用意するつもりです」

 

 

 

― 卒展の内覧展と東京都美術館での展示は同じものになるんですか?

 

「東京都美術館は、規定が厳しくて、この天井もつけられないようなので、イケアのショールームのような天井のない形にしようと思っています。部屋に誘導する動線も省略するバージョンになります」

 

 

 

― この作品の制作はいつ頃から始めたんですか?

 

「部屋を丸々使いたいというのは決めていたんですが、この形になったのは後期になってからです。そのきっかけは、今年友人四人とドイツの美術館に行った時に、荷物と上着を脱がなければ入れない部屋があったんです。その理由は中の展示を取られたくないからということで、特に外国人には厳しかったんです。そこで、このやり方はドキッとして面白いなと考えて、それを取り入れて今の形になったんです。
 制作について相談するための先生との面談は、リクエスト制なんですけど、できるだけ色々な話を聞こうと思って、先生みんなに申し込んで色々な先生の意見を聞きました。そこでは、良いと思ったらすぐ採用し、それは違うと思ったら『それ合っていません』というストレートな形で話を伺いました。そんな中から、受付で紙の受け渡しをするというアイデアをもらったり、立体と平面の行き来をもっとやってみたら面白いんじゃないとかアドバイスをもらったりしました」

 

 

杖谷さんが、色々な方向にアンテナを張り、様々な意見を聴きながら、自ら面白いと思うものを探し、選びとって、この卒業制作に至った様子が分かってきました。

 

 

 

【自画像としての雑誌】

 

油画の卒業生は自画像を描くことも卒業制作の課題になっています。その話も伺いました。

 

「卒業の時に自画像を提出しなければいけないんですけど、自分の顔を描くことにすごく抵抗があって、『やらされている感』がすごくきつかったので、自分の絵の代わりに、雑誌を作って、それを自画像として提出することにしました。雑誌の表紙は私なんですけど、雑誌の中は今までに制作した作品に関する資料を、週刊誌の記事のように入れます。そこでは、第三者が紹介する形で、作家が、それは私なんですが、その絵を描いた理由とか、制作のエピソードとかを書きます。雑誌の中には、私のブランド『たにゃ』で作った指輪の広告も入れます」

 

 

「この雑誌は美術館に5冊納めます。卒業制作展では雑誌の売り買いまで成立させたいと思っています。そうすれば印刷代も賄えます。この雑誌は卒業制作の部屋にもポンと置いておこうと思っているので、『三畳で上手に暮らす』という特集も組んで中に入れようとしています。ゴキブリホイホイのマットの種明かしとか、読めば読むほど作品が面白くなるような資料を入れて、作品を見るときのヒント集にします」

 

 

ー 空間だけでなく雑誌も作品の一部として作るのですね。

 

「私の周りには美術には関係ない親戚とかが多くて、鹿児島に帰ると、桜島を描いてと言われるようなこともあります。そんなことも考えると、やはり作品は意味がわかって楽しいということもあるので、この雑誌にはそんな役割も期待しているんです」

 

ー どんな雑誌ができるか楽しみですね。

 

「実は、雑誌の文章で結構行き詰まってしまって、元々の入稿予定だった明日の入稿は無理なので、クリスマスの朝まで締め切りを延ばしているところなんです」

 
【これまでの作品】

 
そんな忙しい中、嫌な顔もせず付き合っていただいている杖谷さんに甘えて、杖谷さんのこれまでの作品をポートフォリオで見せていただきました。

 

「これは1年の時に制作した、国会の乱闘の様子を急激に冷えて固まった溶岩にみたてて絵画です。プレパラート型の名刺には作品が印刷されていてとなりに置いてある段ボール製の万華鏡で作品を覗き込むことができます」

 

「これは、ラーメンを人より先に食べ終わって、待っている間に、油をチョンチョンと繋げて世界時図を作った状態を、リトグラフにした作品。リトグラフとは、水と油の反発で描く手法と聞いて、リトグラフで水と油を描いてしまいました」

 

「このアニメの男の子のようなのは、3年生の進級展「蜃気楼」に出した作品。ツイッター上に、藝大生の作品を見てくれる人がいて、絵を見に来ては写真を撮ってツイッターに上げてくれるんですけど、いつも見たということしか書いてくれないので、その人に一番印象に残る作品を作ろうと思ってこの作品を作ったんです。その人は顔を出していない人だったので、その人を思わせるプロフィール画像を50号の大きさでアニメタッチで描いてみました。結局、その人と思われる人が展覧会に来てこの作品を買ってくれました。美大生や身内の人はクスッと笑える作品です」

 

「このキャラクターが並んでいる作品は、実際に池袋にある宝くじ売り場にあった看板から着想したもので、ミッキーのキャラを普通に使うのは著作権的にダメだけれど、ここまで変えればギリ、ミッキーじゃないんだというような、そういう図の使い方に興味を持って、そんなグレーゾーンを描いた作品です」

 

「地元の鹿児島に帰ると、駅前の小さな土地に数本の樹を植えてある場所があるんです。それは税金対策の果樹園だと聞いたので、それを作品にしました。この作品にはポートフォリオでは地図の果樹園記号がありますが、実際に絵にはそれは描いていないんです。ポートフォリオに入れるたびに、ポートフォリオに果樹園記号を描いています。「あっ果樹園だってさ」みたいな軽さが良いんです」

 

「こちらも、地元に帰ると見かける風景で、農地がソーラーパネルで覆われている作品です」

 

 
アトリエの隅に置いてあった、絵画作品も見せていただきました。

 

「これは、ジャポニズムといえば出てくる図像に、団扇や、以前問題になった団扇型ビラを散りばめた作品。ウチワ揉めみたいなダジャレも含めています」

 

「このピザは、SNOWアプリでピザを撮ったら、一枚だけ顔認証されて、顎が削られた状態を描いた作品」

 

「これは制作途中です。祖父が家の周りに除草剤を撒いてくれているところが宇宙飛行士みたいで格好いいなと思って描いていたんです。そうしたら、この地球の草を刈る姿を頭の髪を刈っているような感じに見せると面白いなと思って、草をふわっとした髪の毛のように見せるようにしようと思っています」

 

「こちらのは一年の時の作品で、その夏にボーッとテレビを見ていたら、私と同じくらいの歳の人が、赤い札を掲げて何かに反対してデモを行っている、それを見ながらこのタイミングで戦争に行くことになるんだろうかとか、芸術家になりたいのに何もできないのかとか、赤い紙がサッカーのレッドカードに似ているとか思いながら、これを作りました。絵の周りの額のようなところがテレビになっているのは、そのためです。実は遠目だと見えないんですけど、ここには政治家の名前の印鑑が押してあります。これがレッドカードではなく赤紙だと気付いた人は、腑に落ちてくれる、気付かない人は気付かずに過ぎて行く、それで良いと思っています」

 

 
アトリエに掛かっている絵も説明していただきました。

 

「真ん中に砂に埋まった人の足がありますけど、これは地元指宿の砂蒸し温泉と、生き埋めという殺人的要素を両方思わせるように描いてあります。後ろの窓には、Windowsのロゴが描いてあります。右側は部屋の床と繋がるような相撲の土俵になっています。昔はテレビをつけるといつもお相撲が流れていたんですが、それはずっと小さなテレビだったんで、ここでは部屋のパースと繋がるリアルな状態にしてみました。この作品は自画像の雑誌の中に入れようとして描いたものなんですけど、それにしては結構大きいし、ここにあるだけで日の目を浴びないのはかわいそうだと思って、公募展に応募したところ、一次選考が通ったので、これから仕上げないといけないんです」

 


 
夏の藝祭に展示した絵についても説明していただきました。
密集して建っている家に囲まれた空き地の中に、椅子やテレビが置いてあり、親子と思われる4人が椅子に寝っ転がったりして生活している様子が描かれています。ずっと画面の上を見ると、絵の端の黒いボーダーの中をミサイルが飛んでいます。

 

「この130号の作品は藝祭に展示した絵で、《みさ、居る?》というタイトルなんですが、それは『ミサイル』と掛けているんです。展示した時には、消失点を思い切り下に持ってきて、画面をガッと上にあげ、4mくらいの上のミサイルに気付く人は気付くというような展示をしました。
 家が密集しているために、お互い見えないように家に窓がないというようなところも、面白いと思っています。地方だと車で10分くらいの人とも繋がりがあるのに、東京だと逆に隣に座った人を一番警戒するというようなところがあります。東京だとホームレスがいても見て見ぬ振りをしますが、もしこの空き地に自分の家族がショーウィンドウの中にいるように暮らしていたら、みんなヤバッとか言って見ないふりをするんだろうな、みたいなことを絵にしたんです。
これは、FACE展に応募して通ったので、また違う場所で違う展示の仕方をされたら面白いだろうなと思っています」
 
杖谷さんの軽やかで、毒もある発想は、留まるところを知らないようです。
 
「鶏肉に水を注射してかさ増しするという話を最近聞きましたが、そういう話を聞いて怒るんではなく、水で増えるんだったらお得だよねと思って、共感して作品を作ったり、領収書を作ってお金をだまし取る事件でも、領収書でお金入ってくるんだったら欲しい、わかる、みたいなところからスタートして、誰も責めてないよというようなスタンスでいきたい、ということはありますね。
 自分と関係ないことに関しても、近いものと擦り合わせて、この関係は似ているなとか合わせてみます。逆に、自分を見てみようというようなところはあまりなくて、私がこういうものが好きとかは、あまり作品から出したくないと思っています。いつでも公平な位置にいたいというような拘りはあります。『みんなこう思っていない?』というような立ち位置で、やれると良いなと思っています」

 

杖谷さんの、重い社会的課題に対しても、ユーモアを持って接していく姿が、この作品の軽やかさにつながっているんだなと分かってきました。

 
【藝大への進学の動機】

 

― 東京藝大への進学の動機を聞かせていただけますか?

 

「鹿児島出身なんですけど、小学校2年生の時に、絵を描いて入選したらディズニーランドに行けるという企画があったんで、それからずっと中学校まで、絵を描いていました。そうしているうちに画力もついてきたので、どうせなら一番のところでというミーハー心で藝大を目指しました。
 藝大受験前に会田誠さんの展示があり、家族で見に行った所、本人がいらしたので「藝大を目指してます」と言ったら、『あんな所に行かなくて良いよ』と冗談半分だと思いますが、親の前で言われ、みんなに心配されてしまったなんていうこともありました。でも入学できて良かったと思っています」

 
【パネル組み立て中のアトリエへ移動】

 

パネルが組み立てられている別のアトリエへ連れて行ってもらいました。そこには三畳の空間がパネルで作られ、木の匂いがします。ゴキブリホイホイ型波模様の材料も傍にあります。

 

「このアトリエを『使わないから使っていいよ』と言ってくれた友人がいたので、この場所を貸してもらっています。作品のパネルは、1週間くらいでできると思っていたんですが、もう4週間かかっていて、天井のパネルはできたんですが、床がまだという感じで、肉体労働が続いていて大変です。でも今は新築の部屋をもらったような気分で、今までのなかでは一番アクティブに動きながら制作しています。
 天井のこの辺には、監視カメラの絵を描こうと思っています。偽物カメラでも犯罪が減るというようなそんなことを考えています」

 

 

「電子レンジが欲しいんですけど、それもないので、一年生の時に描きかけた電子レンジを持ってきました。複製絵画みたいな感じで、クッキーのモナリザや、アラザンの耳飾の少女も作って、雑誌の中に入れるんで、電子レンジはその背景になります。1月13日の内覧展までに作り終わらないといけないんですが、学校も休みに入るので、あと作れる日は実質8日くらいしかないんです。その間に雑誌も作らなければいけないし、作品を展示会場で組み立てるお手伝いをお願いしている方もいるので、そのための謝礼金をまかなうためにバイトも入れてしまっていて、大変で、頭もゴチャゴチャになってきているんです」

 

― 1月13日から14日の二日間、絵画等の6階、7階で内覧展を行うのですね。

 

「そうです。ここで組み立てたものは、一度バラしてまた組み立てます。卒展の都美術館バージョンとは、また違った形になっているので、ぜひこちらも観に来て下さい」

 

【今後の計画】

 

― 卒業した後はどうされる予定ですか?

 

「大学院に申し込んであります。絵に対して何か言ってくださるより、距離を持って色々言ってくださる先生のところに、行ければ良いなと思っています。
将来は、海外に住んで、海外からだと日本がどう見えるかをみたいし、紛争のある地域で展示すると、どのような制約があり、どのような表現ができるのかも、そんなことも考えられると面白いと思っています。」

 

杖谷さんの、軽やかに縦横無尽に飛び回るようなお話を伺い、卒業制作がどのように完成するのか、ぜひ見届けたいという思いが強くなってきました。杖谷さんの、クスッと笑えて、毒もちょっとあって、そして考えさせられる作品、またそれだけでなく、平面と立体の間を行ったり来たりする造形的にも興味深い作品。楽しみです。卒業制作のパネル作り、雑誌の入稿、それにバイトと、本当に忙しいなか、インタビューを受けていただいて、ありがとうございました。


取材:鈴木重保、東濃誠、陸嬋、上田紗智子(アート・コミュニケータ「とびラー」)
執筆:鈴木重保


2年目の「とびラー」です。昨年も藝大生インタビューを行い、作家が作品を生む場に感動したので、今年もインタビューにチャレンジしました。

 
 
 


第67回東京藝術大学 卒業・修了作品展 公式サイト
2019年1月28日(月)- 2月3日(日) ※会期中無休
9:30 – 17:30(入場は 17:00 まで)/ 最終日 9:30 – 12:30(入場は 12:00 まで)
会場|東京都美術館/東京藝術大学美術館/大学構内各所

「猫のアクビと犬の死が対等に存在する世界、ぼくも作品もその中にいる」 藝大生インタビュー2018|先端芸術表現 学部4年・平井亨季さん

2019.01.13

 

師走の取手校地。風が冷たい。実質あと4週間、卒展に向けての制作に取り組んでいる藝大生平井亨季(ひらいこうき)さんへのインタビューに向かいました。入口で迎えてくれた平井さんと「4年部屋」のアトリエのある階まで上がり、インタビューを開始しました。

 

 

―先端芸術表現科にはいるまでの道のりを教えてください。

 

「小さい頃から絵がすきで、マンガを描く人になりたいと思っていました。物語をつくること、アニメーションを描くことも好きでした。幼いころはおしゃべりな子でしたが、中学になると、社交性は薄れていきました。高2のころから美術系に行きたいと思うようになり、地元広島の呉の画塾に通いました。そこで、先端芸術表現科(以下:先端)に入学した先輩のポートフォリオを見つけ、それまでは『人に言えることではない』と思ってきた自分の考えを、作品にしている人がいる!ということを知りました。自分は絵だけ描きたいのではないことに気付かされ、先端には考えていることを表現する場がある、と思いました。」

 

ー高校生のころ考えていたことって何でしょうか?

 

「祖父母、母、兄が二人の6人家族だったのですが、小学校を卒業するくらいに祖父が亡くなり、そのころから祖母の認知症が始まったように思います。今まで人格者だったおばあちゃんが、人に理不尽なことを言ったりと、『私』という個人が醜く崩れていくのを中学、高校のときに体験しました。特に亡くなる前の3年間は兄が独立していたので、母と私だけで受け止めなければなりませんでした。確かだと思っていたことや勉強して知識を蓄えたり、約束事を重ねて一人の人間として出来上がっていくことが揺らぎ、醜い形で壊れていってしまうことを考えたのです。この時、もう一度世界を再構築する必要に迫られていたのだと思います。
画塾で先輩に出会ったことで先端を受験したいと思うようになり、高3の夏、東京にいた兄に間借りさせてもらって予備校に通いました。」

 

 

―大学に入って一番影響を受けたことは何ですか?

 

「大学に入ってみると、絵を描く人はすでにデッサンの技術を持っていたし、皆がそれぞれ表現方法をもっていました。私は中学は野球部、高校は山岳部と軽音楽部をやっていて、つくって見せることに慣れてはいませんでしたが、藝大は、制作しながら自分に馴染む表現方法を身につけていくことのできる場だと思います。
また違和感もありました。つくっては捨てていことで何か消費されていくような、短い時間の講評での評価によって既にある価値観に自分が留まってしまっているような、そんな感覚を覚えました。卒業制作もそうですが、私が感じるそうした違和感と折り合いをつけながら、制作をしてきました。」

 

―作品集をみました。最近は、知らない人や街から感じる謎の郷愁をテーマとしていますね。

 

「謎の郷愁とは、知らない人とか街に会ったときに、なぜかわからないけどなつかしいと思う感じです。みんながいろんなところに経験として持っているものがあって、それに繋がっていく感覚です。その感覚を探りながら作品をつくっています。」

 

―ある作品の文章では、「当たり前にある感覚を揺るがしたい」とも書かれていますね。

 

「世界は形がはっきりとせず、ゆらゆらとしていると考えています。作品を制作するときには、暗黙のうちに固まっているものを思い直したり、当たり前に疑いなくやってしまうと流れてしまうことや、普通の生活の中では捉えきれないものを、スローモーションカメラのようにゆっくり眺めたりしています。ぴったり合わさってつくられた調和した世界と、その後ろに重なって、サラサラと流れるつかみどころのない世界の存在にリアイティを感じます。そのリアリティを表現したいと考えています。」

「この感覚に気づいた経験を話しますね。大学3年生のゴールデンウィークに帰省したときのことです。実家は怪我や病気をしている犬や猫は連れて帰ってもいい家でした。子猫を拾ったとき、電車では連れて帰れないので母に自動車で迎えにきてもらったこともありました。昨年帰省した時、小1から飼っていた4匹のうち1の犬が私を待っていたかのように亡くなりました。でも涙が出ず、なぜ悲しい気持ちにならないのか、庭に埋める前に日だまりに置いて、これでいいのか、楽しかったのだろうか、幸せだったのか、と自問していました。と、そのとき、いつもうちにご飯を食べに来る野良猫がデッキの柵に乗っていつものようにアクビをし、ご飯を食べ、ノビをして、いつものように帰っていくのを見て、はっとしました。死んだものと自分だけでグルグルと回っていた世界が、猫のアクビによって途切れたのを感じました。
私に無関心な世界があることで、私がその世界に救われることに気付かされました。このとき、自分にとっての猫のアクビのような作品を制作したいと思ったのです。」

 

―作品をつくることは、平井さんにとってどういうことなのでしょう?

 

「先端のPRIZE展では屋外で制作したのですが、自然と応答し、偶然性を取り込みながら変化していく作品をつくりました。不確定な要素や予期しなかったことが起きたとき、物語を自分の中につくって受け入れていくのは、私が信じている人間の力であり、生活も制作も同じだと感じます。私の世界は、作品をつくる度に更新されていくので、作品をつくることはその時点での定点観測地点をつくっていることなのかもしれません。また展示は、自分が考えていることがどれだけ他者に響くのか、可能性を観測する場所としての定点観測地点なのだと思います。」

 

 

―卒業制作について教えてください。

 

「素材はパネルを貼るとき台にしたり作品を載せる台にしたりする垂木です。作品を補助する裏方の素材なので、他の学生が作品をつくればそれだけ、どんどんゴミ捨場に溜まっていくような素材です。そして、裏方だからこそ自在に形を変えていける素材でもあります。捨てるはずの垂木を生かすことで、輪廻のように記憶をつなげたり、先程の話につなげれば、崩れたものを再構築したり、今まで考えてきたことを表現できるのではないか、と気が付きました。」

 

 

「10月の事前審査のときは展示空間に合わせ5m×9mの大きさとしましたが、東京都美術館(以下:都美)で展示することになる卒展では、5m×5m×高さ3mのスペースの中に展示します。少し小さくなりますが、その空間の中に大きさを感じさせないように落とし込みたいと考えています。」

 

 

―大きな立体作品による表現ですね。都美での展示楽しみです。

 

「仏像の立体曼荼羅のようにその人に影響を与える空間をつくりたいと思いました。中を人が通っていけるようになっていて、3次元に体験を足した3.5次元を目指します(笑)。
場所と作品の関係に興味があります。美術館だけではなく、公民館とか図書館、屋外、外光がはいらないスペース、夜など、場所や状況に応じて作品を捉えるようにしています。都美でもそれは同じです。以前につくった『流木をつくること』という作品では、場所によって作品がどのように変化するのか、写真を撮影しました。」

―卒業作品のタイトルを教えてください。

 

「『島にうめられた本の骨』としました。記憶って断片的なものを極大化したり、穴があいていたりして島のように浮かんでいて、必要なときにそれらをつなげてストーリーをつくっているのでは、と考えています。私が育った瀬戸内の海。そこに浮かぶ島々はそれぞれ別々の記憶を持ち、それらを航路でつないで人間が移動する光景を重ねて作品を制作します。社会の大きなストーリーを語るのではなく、一人ひとりがもつ小さなストーリーや歴史を星座のようにつなげていけたらと考えています。」

 

―「本」そして「骨」は何を示しているのでしょうか?

 

「昔の羊皮紙は貴重なものだったので、一度書いた面を削って再利用したそうです。よく見ると削る前の文字が痕跡として残っています。島の多層する物語の痕跡が同時に存在できるモチーフとして本を構想しています。
骨はいまそこにいないものを想像する言葉として使っています。実家の庭には、たくさんの動物たちの骨が群島のように埋まり、見えない彼らを想起させます。垂木で星座のようにそれらをつないだりして世界を構築します。また作品の一部を持ち帰っていただくことで、作品の世界を広げられないかと考えています。」

 

 

「モチーフに限らず、すべての物事を等価に扱いたいという気持ちがあります。みんながいろんなところで経験した世界があり、普段は気づかないけどそこには様々な相似形があるに違いないと思います。何かを失った時の悲しさも同じです。それらは優劣がなく対等等価に存在しています。その一つを作品で描写したいと考えています。作品が要請してくるものを僕がつくる、という感覚があるので、作品と私も対等の世界、等価の世界にいるのだと思います。」

 

 

―お話を伺っていると、制作のプロセスも作品と感じます。

 

「アーティストの川俣正さんが耕した土壌、先端芸術宣言やワーク・イン・プログレス(*)は、今ここで学ぶ私たちに影響を与えています。一つの作品が制作過程でいろんな形になると面白いですね。ドローイングから想起するものも、そこに行かなければ体験できないようなサイト・スペシフィックな体験も、そしてそれを美術館に持ち込む時に起こることも作品だし、経年劣化したり、作品がなくなって痕跡や思想として残ることも作品であると考えています。文章や写真や映像という形も作品の付属物ではなく等価であると考えていて、2度も3度も美味しい作品がいいと思っています。」

 

 

―卒業後の進路は?

 

「大学院に進みたいと思い映像研究科を受験しました。研究室見学で私が考える『本』の話を桂英史教授としていたとき、作家の作品は閉じられたものではなく、社会につながり影響を及ぼしていると話されました。私は、制作について、作家の個性を表現するというより、みんながいろんなところで経験としてもっている世界を表現したいと考えているので、先生の言葉に引かれました。映像作家という職業を目指すと決めたわけではなく、外に開かれた状態で集中して考え制作する場所として映像研究科を選びました。」

 

 

―先端にいてなぜ映像を選んだのですか?

 

「見えないから面白いというのもあるし、日本で生活していて感じる違和感の表現の振り幅を増やすため、自分の方を変えていきたいと感じています。できるだけ海に近い方にいきたい、というのもありますね(笑)。」

 

 

インタビューを終えて

 

「おしゃべりで、世界が面白かった幼い頃の自分に、今は戻ってきています」と言う平井さん。2時間にわたってたくさんお話してくださいました。平井さんが表現したい世界は、作家の個の表現ではなく、共感の根源、平井さんの言葉を借りると、「みんながいろんなところに経験として持っているもの」を表現することに向かっているようです。感性は子供のように外に開かれ、自分に入ってくるものを、制作することで折り合いをつけながら深く受け入れていく姿。シャープな目は、ものごとをスローモーションカメラのようにゆっくりと眺めながらも、調和の後ろをサラサラと流れる世界に目を向けけているようでした。流れ行くものたちが、どこから来たのかを言葉にし、それらは宇宙空間の星のように等価に平井さんの世界に浮かんでいるのではないでしょうか。

 

 

平井さんの言葉を受け取りながら、自分もそこに手が届きそうな、そんな感覚を覚えました。このインタビューを通じ、一気に平井さんのファンとなってしまった取材メンバーたちも、自分と重ねてそれぞれの「島にうめられた本の骨」をイメージしたのではないでしょうか。

平井さんの世界を表現する大きな定点観測地点の一つになる卒業作品。卒展で体感できることを楽しみに、応援しています!

そして今後の進路である映像研究科では、どのようにその世界が更新され、作品になるのでしょうか。これからの変化にも期待です。

 

(*)川俣正が自らの作品を言葉にしたもの。「工事中」の意味。

 


取材|鈴木康裕、西原香、東濃誠、宮本ひとみ(アート・コミュニケータ「とびラー」)
執筆|東濃誠


第67回東京藝術大学 卒業・修了作品展 公式サイト
2019年1月28日(月)- 2月3日(日) ※会期中無休
9:30 – 17:30(入場は 17:00 まで)/ 最終日 9:30 – 12:30(入場は 12:00 まで)
会場|東京都美術館/東京藝術大学美術館/大学構内各所

「自分の中のものを彫りだす」 藝大生インタビュー2018|彫刻 学部4年・福島李子さん

2019.01.13

ある秋晴れの日の午後、藝大上野校地内の一番奥、チェンソーとノミの音が響き渡る工事現場のような場所で、彫刻科の福島李子さんと出会った。

 

 

石を削った屑に汚れた厚手の作業着と灰色のキャップにゴーグルをかけた出で立ちで、チェンソーの音が響く空き地から小さく会釈をしてくれる。小柄で線の細い可愛らしい風貌の福島さんだが、たくましい服装と可愛らしい笑顔のギャップに心がつかまれた。

 

挨拶もそこそこに、現在取り組んでいる作品を見せていただいた。胸のあたりまである大きな四角い灰色の大理石の塊から、足や車や手などの形が今まさに生まれ出ようとしていた。

 

 

ーこの作品はどういうものを表しているんですか?

 

「これは私の『夢』です。夢と言っても、実際に自分が寝ているときに見た夢です。私はなぜか怖い夢を見ることが多くて、追いかけられたり、車の陰に隠れたり、といった夢のワンシーン、夢のかけらを集めています。何故見たのかわからないような漠然としたものを形にしたらどんな感じなのかな、と思って。自分の好きなカタチが現れてくれればいいな、と思ってやっています。」

 

作品の、雲のようにもやもやとした部分からリアルな物体が出てきている姿は、福島さんの言うように、もやのような夢の中から夢のかけらが飛び出してきているような、幻想的な雰囲気を醸し出していた。

 

作品を眺めていると、福島さんから驚きの一言が。

 

「わたし、自分の作品があまり好きじゃないんです。愛着がわかないというか…」

 

思わず聞き返すと、
「今まで、自分の価値観じゃないものを作ってきた。…でも今回はいいものができそうな気がする」
…ということで、どういうことなのか、過去の作品を見せていただいた。

 

藝大の敷地の隅に、学生たちの様々な過去の作品が野ざらしで置かれていた。その中に、福島さんの作品が2点あった。

 

 

まずは、ひとつめ「灰皿」。

 

 

ーこのコンセプトは?

 

「何か実用性のありそうなものを作りたかった。外国の灰皿とか、周りに人がいて作品を囲んでコミュニケーションが生まれるというか。でも、こういう形を作るのは嘘がつけないので難しかったです。」

 

ふたつめは「クモ」の作品。
入学してはじめて作ったものだそう。

 

 

ーこれはどういう作品なんですか?

 

「はじめての作品では挑戦したいことをやりました。物体がくっついている構造で作ってみたのですが、石は割れてしまうと戻らないし、細い部分は割れやすくて。どう石に負担をかけずに削るかが難しかったです。」

 

確かに見せていただいた3つの作品は、コンセプトも雰囲気も違い、同じ人物が作ったものとは思えないくらい、振り幅がある。「灰皿」は機能的、「クモ」は精密でリアル、そして卒業制作は幻想的なイメージを膨らませた作品だ。

そこに、福島さんの自分の目指すもの、しっくりくるものを模索している姿勢を感じた。

 

話を聞いていくと、彫刻に本格的に取り組み始めたのは大学に入学してからとのこと。4年間の学生生活でたくさんの作品ができるのかと思っていたが、実際にはオリジナルの作品を作れるようになるには、長い月日が必要だということだった。

 

「1,2年生は素材に慣れるまでの実技。道具の使い方から、石、金属、木、テラコッタなど全素材を学んでから、さあどれを選ぼうか、となる。」

 

ー素材を選ばないといけないんですか?

 

「素材を絞っていかないと上手くならないし、4 年間だと時間が足りない。3 年生は自由に彫り、4 年生は卒展に向けての作品作りになるので。絵画より時間がかかるので、地道にやらないと…サボると自分に返ってくる。毎日学校開始の9時から来て夜まで制作をする生活が続きます。削ったときにでる粉も体に良くないので粉塵予防のマスクとゴーグルをかけています。外は寒いし、結構忍耐力が要ります。」

 

 

 

ーた、大変ですね…

 

「基本的にみんな没頭しているので、時間を忘れてやっています。楽しいので。」
と、作品に向かい続ける日々がとても幸せだと微笑む。

 

ーそもそも、どうして彫刻をやりたいと思ったんですか?

 

「もともと中学生から藝大に行きたくて、美術予備校で学んでいる中で粘土が一番楽しかったので彫刻にしようと思った。その中で、本物のウサギを見て作る粘土作品は鮮明に覚えています。粘土は焼かないと残らないので一瞬のアートですね。大学に入るための試験はデッサン。でも平面のデッサンからどうやって立体にするのか、これが難しい。立体にすると形の狂いなどの嘘が付けなくなるので。」

 

 

ー将来はどのようになっていきたいですか?

 

「作り続けたい。今やっと見えてきたものを無にするのはちょっと…でもどうしていったらいいかはまだわからない。受験で得た価値観からは一旦離れて、何が自分に合うかチョイスしていかないといけない。合う、合わないは、私はやらないとわからない。まだ今は、ちょっと見えつつあるけど漠然としていて、だけど『これだ! 』はあるんじゃないかと思っています。」

 

様々な場面で、作り続けたいという熱意と、でもまだ自分の作品には納得がいかずもがいているストイックな姿が映し出される。そういった悩みながらも真摯な姿が常に福島さんを纏う。

 

ーアイデアの源はなんですか?

 

「色んな作品を見ました。昔の彫刻から現代アートまで。でも、私は現代アートじゃないな、と感覚的に思っている。社会性が全面に出ているメッセージ性の強いビジュアルではなくて、形そのものが格好良ければいいと思う。コンセプトよりカタチ。そういう考えに至るまでにたくさんの作品を見ました。行ったり来たりです。」

 

ー好きな彫刻家はいますか?

 

「ルイーズ・ブルジョワです。女性のアーティストが好きで、フェミニズムアートでも社会性が強いのはちょっと自分の好みと違うな、と思う。ルイーズ・ブルジョワは、六本木のクモの作品などが有名なんですけど、内面の感情が作品を通し出てくるところが好き。女性の立場が弱くて、それを超えるための作品に、強さを感じます。」

と、自分の方向性を模索するように話す姿が印象的である。

 

ー作品を通じてどういうことを感じてほしいですか?

 

「自分のために作っていることが多くて。作品を通じて自分をどう見てくれているか知りたいです。」

作品は自分の化身、もしくは自分から出てきた自分の一部なのだろう。確かに今回の作品も、自分の見た夢というまさに自分の無意識世界を具現化した作品だ。

 

 

ー作品を作る原動力は何ですか?

 

「想像力を膨らませても限界があって、素材と向き合ってわかる、自分と素材との対話だと思う。手を動かして、考えて、手を動かして、考えて、の繰り返し。こうやって続けていくことで、表現したいものの方向性がみえてくるんじゃないか。そしたらもう少し答えが出るんじゃないか、素材と向き合うことで、自分が表現したいもの、自分が見てみたいものが見えてくるんじゃないかと思う。」

 

自分の中の自分を見つけるために、「作り続けたい」と繰り返す。

 

インタビューを通じて、福島さんの作品作りの原動力は、福島さんの中の「漠然としたキラキラしたモノ」を彫刻作品を通じて彫りだして、カタチにしていく作業ではないかと感じた。

 

 

そして、これからも自分の中の原石を彫りだすために、石を彫り続けてほしい、そういう安心して作品に没頭できる場所で、自分と真摯に向き合いながら、幸せに石と向き合っている福島さんと、福島さんから生まれる作品を見ていきたいと思った。

 


取材:市川佳世子、山本俊一(アート・コミュニケータ「とびラー」)
執筆:市川佳世子

小さいころからアートと読書が大好き。しかしながら、仕事はお堅いので、藝大生やアーティストに無条件に憧れてます。とびラーの活動を通して、アートの世界が身近になりとっても嬉しいです。

 

 


第67回東京藝術大学 卒業・修了作品展 公式サイト
2019年1月28日(月)- 2月3日(日) ※会期中無休
9:30 – 17:30(入場は 17:00 まで)/ 最終日 9:30 – 12:30(入場は 12:00 まで)
会場|東京都美術館/東京藝術大学美術館/大学構内各所

「妖怪建築―ありえるかもしれない世界のために」 藝大生インタビュー2018|建築 修士2年・國清尚之さん

2018.12.17

 

穏やかな晩秋の日、藝大上野校地内の総合工房棟に建築科の國清尚之さんをお訪ねしました。
月曜日の午前中、研究室が並ぶ4階は静かです。

笑顔で出迎えてくださったのが、國清さんです。黒いシャツがお似合いの青年です。
トム・へネガン教授の研究室が國清さんのアトリエです。テーブルの上には、さまざまな模型、ファイル、資料、パソコンが整然と置かれています。事前に、修了制作が「妖怪建築」と伺っていましたが、それはいったいどんなものなのでしょう? 興味津々で、インタビューを始めました。

 

■ハロウィンの夜、渋谷で

 

まず、目の前に置かれた段ボールに貼られた写真は、実際に妖怪建築を作り、ハロウィンの夜、渋谷の街中に持ち込んだ時の記録だそうです。名付けて「塵塚怪王大作戦」。これも修了制作のプロジェクトの一つとのこと。

「ハロウィンて、イベントを主催している人がいるわけではないけれど、多くの人が集まって騒ぎ、結果的に皆が大量にゴミを捨てる…ある意味、現代の妖怪現象ととらえています。昔、『塵塚怪王』というゴミを集める妖怪がいました。ゴミでできたゴミを集める妖怪です。それで、藝大の廃材所で集めた廃材でゴミ箱を作ってみました。ゴミ箱として使えるけれど、ゴミ箱っぽくないものを。こういうものが街中に置いてあったら人々はどう反応するのか、それを動画に記録しました。」

 

―やってみてどうでしたか?

 

「観察していてわかったのは、意外と皆、無視してしまうこと。自分の目的と関係ないものに対して、これはゴミ箱なのか?と考えることすらあきらめているような…。こういうものには捨てないけれど、誰かが捨て始めると、何も迷わずに路上に捨ててしまいます。無意識なものを透明化しようとした時に、現代の妖怪がみつかるのでは、と。なぜ妖怪建築をやるのかという証拠動画が撮れたみたいな感じです。」

「現代で多く起きている『透明化してしまう現象』。例えばホームレス…人々は見て見ぬふりをしていて、お互いに近づいていくことは難しい。でも、もし近づいた時に、お互いに知らなかった世界があるのでは、と思います。いない、として扱われてしまうような存在、そういう声を聴きたいという思いが妖怪につながっています。」

 

■存在しないもののための建築に興味が

 

―なぜ妖怪建築をやろうと思ったのですか?

 

「もともと存在しないもののための建築に興味がありました。学部(九州大学工学部建築科)の卒業制作は、お墓でした。多くの人を一緒に埋葬する空間(=永代供養墓)として、もう少し違う形があるのでは、と考えて制作しました。」

パソコンで写真を示しながら話してくださった卒業制作「micro Re:construction」は、巨大な共同墓地で、21世紀のランドマークのイメージ。人工的な山並みの表面が祈る場所で、中が埋葬するところです。ここは祈りにくるだけでなく、人が住んだり、仕事をしたり…という空間。生きる人と死者が一緒にいる空間をデザインしたそうです。

 

■山口、福岡、東京、リヒテンシュタイン

 

―大学は九州だったのですね。そもそも、建築を専攻したきっかけは?

 

「生まれ育ったのは山口県です。中学生の時は『革命家』になりたいと思い、その後『数学者』『ハッカー』と変わっていって…(笑)今思うと恥ずかしいですが…。大学で建築科を専攻したのはたまたまだったんです。大学院から藝大に来ました。九州の大学と藝大、学部と修士とでは、全然違う学び方ができました。今は、僕が考えていることを表現できるのが建築だと思っています。」

 

―山口県で育ったとのこと。妖怪が身近に感じられた思い出はありますか?

 

「うーん、それがそうではなくて…。大学院で初めて東京に出てきましたが、守られた田舎から出てきて、東京の人々が妖怪に見えたのです。違和感がありました。『人間、怖い!(笑)』と思いました。それが、見知らぬ人だからに限定されず、一緒にいる友達もどういう人かわからない。そして、自分のなかにも妖怪的な面があると思ったのです。東京に出て感じたことが、妖怪に気づかされたきっかけです。」

 

―昨年度、留学されていたそうですね。

 

「リヒテンシュタイン公国に1年間留学しました。スイスとオーストリアに挟まれた小国で、人口は3万人。大学は一つ。ほとんど人と会わないような日本と真逆のような国です。その大学の教授が、藝大の担当教授(トム・へネガン先生)の友人で、考え方が近いと思い選びました。地理で選んだところもあって、もともとスイス圏に行ってみたかったのです。これは、行く前の仮説ですが、現代の日本ではまず歩く道があるけれど、もともとは人が歩いたところが道になったはず。スイスにはまだそれがあるかと思いました。アルプスの道とか。そういうことを知りたいと思っていましたが、スイスは思ったより現代的でした。」

 

「留学中、大きかった経験は、アルプスがいつも見える所にいて、『富嶽三十六景』のことを考えていました。1枚ずつ見ると富士山が主役だけど、36枚並べた時に、富士山が共通の記号となって消えてしまいます。そこで、富士山の手前にある日常的な風景が目立ってきて、こちらが主役になるのではないかと…。ふたつの世界が同じ大きさで重なり合うこと、見立てが異なる世界が同時にあることを感じました。妖怪も現実にある世界で、どっちから見るかによって人間と妖怪になると思います。留学の経験から、一周回って日本への関心に戻ってきました。」

 

■妖怪を学ぶ

 

リヒテンシュタイン留学から帰国後、修了制作として妖怪建築をやろうと決め、そこから妖怪学を学び始めたそうです。

 

「一番最初にやった作業は、江戸時代の鳥山石燕の妖怪画の画集を見て、妖怪にまつわる物語を分析したことです。200体くらいあります。現代のキャラクターは、キャラクターとして独立していて文脈がないけれど、昔の妖怪はその妖怪を通して、その時代に人々が考えていたことや教科書では語れない細部が見えてきます。妖怪って、100%悪くないし、100%善でもない。こうなったらダメだよ、これ以上行ってはダメだよ、というグレーゾーンを表現している。人間が間違いを犯さないよう作られたものだと思います。」

 

 

―昔の人々にとって、妖怪は身近な存在だったのでしょうか?

 

「昔は、今と違って簡単に見えていたと思います。例えば『天井嘗め』という妖怪は、天井についたシミを嘗めていました。ずっとそこに居られたのは、天井のシミが残っていたからです。今は、シミはすぐ除かれてクリーンになってしまいます。昔は、建築が妖怪の存在を保つ一側面になっていました。」

 

國清さんのデスクには、妖怪に関する本が山積みになっていました。その一部を見せてくださいましたが、どの本にも几帳面に付箋が貼られていました。中を拝見すると、各所に線が引いてあります。日本の妖怪に関する本だけでなく、西洋の幽霊学、民俗学、社会学、心理学などさまざまな分野から「妖怪建築」を考察していることがわかります。

  

デスクの壁には、読んだ本の一節をメモ書きしたものが壁いっぱいに貼られていました。今は、書き出すのが間に合わなくなって、パソコンでアーカイブを作っているそうです。

 

 

■現代の百鬼

 

―この夏に、Museum Start あいうえのの「ミュージアム・トリップ」というプログラムで、参加した中学生達とこちらをお訪ねした時に、オリジナル妖怪の絵を見せていただいたのですが、その後も描いていますか?

 

「はい、描いています。現代の百鬼を描きたいと思って、今、97体描きました。あと3体で百鬼です。昔の妖怪造形を知ったうえで、21世紀の文脈をどう入れるかを考えました。異界からの訪問者が、現代都市のどこに出現しているか、どんな物語が生まれているかを考ています。」

  

「例えば、ホームレスの人が押している荷台には、大量の空き缶が載っています。それを横に置いてホームレスの人が寝ている様子から、背中に缶を載せた亀のような妖怪が寄り添っているように見えました。その妖怪を『荷亀(にがめ)』と名付けました。名前を付けるのは、妖怪を作る上で大切なルールで、イメージを固定化でき、それを見ていない人にも想像してもらえます。他にも、タバコの吸い殻や、コンビニの袋も、それ自体が意志を持っているように思えて、妖怪にしてみました。ありえるかもしれないことを想像した時に、現代の都市空間を説明することができる。事実とは違う物語が、都市にはあるのではないかと思います。」

 

■妖怪建築

 

―この不思議な曲線の模型は何ですか?

「これは、煙の妖怪『座煙(ざけむり)』のための椅子です。ある雑居ビルの路地裏に二つの排気口があり、その下にビールケースが3つ並べて置いてありました。不快な臭いの立ちこめる空間です。ケースには、人が座った形跡があり、誰かが喫煙していたのでしょう。ここに妖怪がいるとしたらと考え、煙の妖怪『座煙』の椅子を作りました。図面もあります。排気口の向きから煙の形を想定し、立面と平面の大きさを決めました。『座煙』の形と椅子の形状は対応しています。幅はビールケース3つ分にして、煙が座るので椅子の足は細く軽やかなものにしました。『妖怪がいること』は事実ではないけれど、妖怪の身体性を信じて建築を考えることについては論理づけを意識的にしています。」

  

現実と想像をオーバーラップさせながら、國清さんの視点で論理的に組み立てられた妖怪建築…このような妖怪建築のモデルは12個あり、これから模型を作りこんでいくそうです。

 

■6つのプロジェクトを提案

 

―具体的な修了制作のプランを教えてください。

 

「妖怪と建築、人と妖怪の関係性は一つの落ちでは語り尽くせないので、6つのプロジェクトに分類してすすめています。6つに分けることで、それぞれの関係性を探りたいと思っています。ハロウィンでの検証や現代の百鬼、妖怪建築もプロジェクトの一部です。
妖怪がいるかもしれないと思わせるものを模型で表現するのは難しいですが、1分の1じゃない面白さを物語、図面、絵でも伝えていきたいです。展示は1月末からなので、時間も限られていて大変ではありますが、楽しみでもあります。今は、妖怪達と向き合い続けるしかないです。」

 

―大学院修了後はどうされるのですか?

 

「あまり良い人生設計ではないのですが(笑)。この修了制作が終わらないと、僕がどう生きていくかが見えてこないのです。今は自分の制作が終わることで、どう生きていくかがわかると期待しています。作品を見て下さる方には、僕の妖怪を面白いと思ってもらえれば嬉しいです。存在しないものについて想いを巡らせ、いないものを考えることが肯定され、一人一人の妖怪がいても良い、そんなことを感じてもらえたらと思っています。」

 

 

國清さんは、修了制作について、誠実に熱意を込めて語ってくださいました。
「建築」というと、公共建築物や商業施設、地域の再開発など、大きな新しいもの、というイメージがありましたが、國清さんの視点は、都市のなかで私達が見て見ぬふりをしてしまうものや存在しないものに向けられています。現実を疑いながら、社会を観察し、「透明化されてしまう存在の声」を聴き、思考を建築につなげています。
修了制作をまとめた後も、國清さんの観察、想像、思考、表現は続いていくことでしょう。今後、國清さんの表現は、「建築」という枠から広がり、さらに深まっていく予感がします。とても楽しみです。

 

國清さんの作品「妖怪建築―存在しないもののための建築」は、卒業・修了制作展の会期中に構内の陳列館に展示される予定です。6つのプロジェクトで紹介される妖怪建築をぜひご覧ください。そこに「ありえるかもしれない世界」を感じ、物語が聴こえてくるかもしれません。

そして、國清さんの素敵な笑顔にも出会っていただきたいと思います。


 

取材|関恵子、ふかやのりこ、黒佐かおり、濱野かほる (アート・コミュニケータ「とびラー」)
執筆|関恵子

小学校の教員を退職後、美術館で子ども達を迎える側になりたいと思い、とびラーになって3年目。子ども達のミュージアム・デビューに立ち会える幸せと、アートを通じてさまざまな人達と出会える喜びを感じています。

 

 

 


第67回東京藝術大学 卒業・修了作品展 公式サイト
2019年1月28日(月)- 2月3日(日) ※会期中無休
9:30 – 17:30(入場は 17:00 まで)/ 最終日 9:30 – 12:30(入場は 12:00 まで)
会場|東京都美術館/東京藝術大学美術館/大学構内各所

「カタチのポテンシャルを探求する」 藝大生インタビュー2017|建築 学部4年・栗脇剛さん

2018.01.29

お正月気分の抜けきらない1月中旬、集合場所に現れたのは、スラッとした長身と、はにかんだ笑顔が印象的な栗脇剛さん。栗脇さんに案内されて総合工房棟5階へ向かうと、目に飛び込んできたのは壁一面に貼られた図面と3つの精巧な模型だった。

 

 

人々の意識からブラックアウトしたかつての外濠

―卒業制作について教えてください。

「卒業制作は今までの課題と異なり、教授からテーマを与えられるのではなく、テーマも場所も全部自分で設定します。選んだ場所は四ツ谷駅。ここは江戸城の外濠だったところで、第二次世界大戦に残った灰を埋めるために使われた場所です。かつてはインフラストラクチャー(ここでは水路)として、人間の生活の中で大きな役割を担っていたものですが、今は形骸化しています。本来の水路という機能を失ってしまった場所で、断面などの形態に注目し、どういった建築が可能かを考えました。」

 

栗脇さんは四ツ谷駅周辺のかつては濠だった広大な場所に2つのエリアを設計した。まず、駅の南側のエリアについて説明してもらう。ここは、今は上智大学のグラウンドとなっており、近隣の人々が普段訪れる場所ではない。私自身、この場所の側を何度か通ったことはあるが、うっそうと茂った植生の下にグラウンドが広がっているなど想像もしたことがなかった。ここに栗脇さんは図書館と文化交流施設という2つの建物を配置し、それらと既存の道をつなげるような橋を設計した。

 

 

「図書館はあえて丘に切り込み、地形に倣うように段々にすることによって、通った人の視界が開けるようにしています。文化交流施設も高低差のある丘にあえて介入するような形で建物を作っています。高低差を活かして上と下に入口を作り、建物内で上下を出入りすることで、地形の上下を行き来する感覚を意識しました。」

 

 

「橋を通すことによって橋の上からの視界が開けます。また、迎賓館からの道や既存のランニングコースの延長線上に配置しています。そうすることで、地域の人々や迎賓館周辺を走るランナーにとってこの場所は特異なものではなく、地域と調和しつつ、じわじわと人々の意識を変えていくものになると思います。角を一つまがった先にこうした空間が広がっていて、そこはただのランニングコースではなく、かつて人々の生活を支えたインフラだった、ということがわかる場所になればと思っています。」

「橋はアーチ橋にしています。新たな導線であると同時に、通常の橋と異なり等間隔に柱が落とされていることで、アーチの橋脚が建物の柱としても同時に機能するんです。住居とまでは行かなくても橋であり生活空間にもなる、そうした変化の仕様があります。」

 

 

確かに、栗脇さんの考えた建築構造により、川の向こう側とこっち側を分断する存在だった空間が、両者をつなげ人々が集う空間へと様変わりしていた。地域を作る建築の力というのはこういうものかと早くも感じた。

 

次に、四ツ谷駅北側にあり、現在は外濠公園となっているエリアだ。こちらはまだ水が残っている場所があり、そこにギャラリーとカフェテリアを設計していた。

 

 

「ここは外濠公園と銘打っていても、けもの道のような通路がある程度で日常的に人が通る空間になっていません。こうした空間にどういうものが作れるかを考え、今度は新しいものを作るのではなく、地形をなぞる補助線のような建築を設計しました。例えば、なだらかな坂があった場所では建築の中の廊下も既存の地形に合わせることで、ギャラリーに飾られる展示物を見ながら身体で地形を感じることができます。」

「カフェテリアを配置した場所にはまだ水が残っているのですが、植生に囲われていて容易に入ることができない上に、視界が悪くせっかくの水辺を見ることができません。財政的な理由で手入れが行き届いていないというわけではなく、日常的に視界に入っていないという環境で過ごしていくうちに人々の意識からも消えてしまうようです。そうした問題を抱えた場所に対して、地面を少し削って川を露出させてあげることで視界が開け、そこにカフェテリアなど人が集う空間を作ることで、不特定多数の人間に魅力が伝わるようになると考えました。」

 

―この空間に名前を付けるとしたら?

「完全に満足するタイトルはまだないのですが、ここはかつての大きなスケールのインフラストラクチャーに対し、人間のスケールからできる建築という意味で「フィジカルストラクチャー」といった造語を考えました。大きなスケールに対し、人間という小さなスケールから見直すことで新しい形が出来上がるというイメージです。」

 

 

―四ツ谷を選んだ理由を教えてください。

「場所の選定の際に、都内にあるあまり認知されていない遺跡―神格化されたような場所ではなく、人々の意識からブラックアウトしてしまった場所にある「忘れられた構造体」―を探しました。選んだ四ツ谷駅周辺の外濠は水が流れていないことによって、本来の外濠(水路)でもない、かといって生活空間になったわけでもないという、機能を失ってしまった空間ということに惹かれました。機能を失っているということは、自分が介入できる余地が多いということでもあると考えています。そうした形骸化したものに新しい操作を加えることで全く別のものに様変わりさせることを目指しました。」

 

遺跡、ブラックアウトした場所、忘れられた構造体、機能を失った空間…選んだ四ツ谷の街について様々な表現をする。一見するとどれもネガティブな印象を受けるが、栗脇さんの語り口はそうではない。むしろ、この逆境を楽しんでいるようにも聞こえる。

 

―栗脇さんの感じている四ツ谷はどんな街ですか?

「四ツ谷駅は中高時代に乗換駅として通っていましたが、降りたことはなかったので電車からではどういった街かわかりませんでした。四ツ谷は降りて歩いてみて初めてわかることが多いです。例えば、上智大学の手前の丘のようになっている部分に登って初めて、実は丸ノ内線が露出していることがわかります。電車や水路、学習施設が多いなど様々なコンテクストを持つ街だと思います。秋葉原や渋谷のように「こういう街」と一言で表せるようなイメージはまだつかめていません。それもまた魅力だと思っています。制作にあたって歴史も調べましたが、元々は水戸藩藩士の住居が集中する場所だったようです。迎賓館も元々は赤坂離宮です。でも、こうした歴史が現実に根付いているという空気でもなく、いい意味でつかみどころがないという街だと思います。」

 

地形と遊び、人々の居場所を作る

―構造体を作る上のこだわりはありますか?

「設計する際はどういう形が面白いかを考えます。言葉よりもイメージとして思いついたものを描いてみることが好きです。まず、既存の敷地模型を作り、そこから自由に思いつくまま切ったりはめ込んだり、その地形に対してどういう建物や道の作り方が考えうるかを考えます。設計した上の最終目標としては、そこに居場所をつくること。建築があって初めて、地域の人々がそこに介入する機会を与えられる。人々の意識からブラックアウトしていた場所に、ふっと立ち寄る機会を与えることができるのが建築だと考えています。」

 

―現場の観察から設計にいたるまで、作業としてはどのような順番で進むのですか?

「同時並行ですね。最初に現地調査に行ったときに写真をたくさん撮り、地形模型を作り、考えていく過程で確認したいことがあったら、また現地に行って写真を撮ったりします。」

 

 

「いきなりパソコンで図面を描くことから始めたら、こうした思い切った形はできないと思います。やはり、形態的なstudyを行うことで新しいアイデアを見つけやすくなると思いますし、設計していて楽しいと感じられる瞬間でもあります。切ったり削ったり自由に考え、そこから現実的なスケールに当てはめていき図面化していきます。最初に自由に形を考えながら、少し現実的にもとらえられる、形態的なstudyを重視しています。」

 

精巧な地形の模型を作り、手を動かしながら地形にあったカタチを探すことをstudyと語る。その言葉とまなざしからは、少年のように純粋にその過程を楽しんでいることが伝わってきた。

 

 

―こうしたものを思いつくまでにはどのくらいの時間がかかるのですか?

「モノによります。例えば、この丘に介入した四角いハコはすぐ思いつきました。まず地形としての丘を作ってみて、そこから削ってみようか、道を通してみようか、介入させてみようか…など色々試し、さらに整理していって、こちらの文化交流施設の設計につなげました。そして、少し高い位置にも橋があったらいいなと考え、異なる高さの橋が交わるように配置しました。道の角度などは四ツ谷の迎賓館の道から着想を得ましたが、両岸で地面の高さがかなり異なるので、その高低差を体感するためにも迎賓館からつづく道を同じ高さで一直線に延ばして、対岸の丘に介入させるようになっています。こうした体験が高低差の意識につながるかなと思います。」

 

 

―今回の設計で悩んだことは?

「Studyが楽しくて、止まらなくなってしまって、長期間やりすぎてしまいました。そこから人間スケールに設計するとなった時に、デッドスペースが生まれてしまい形を変えなければならなくなったりしました。いくら1/1000スケールでカタチ遊びをしても、人間が暮らすのは実物大なので。」

 

「卒業制作は敷地の広さなども設定されていなくてすべてが本当に自由です。建築学科には15名ほど学生がいますが、扱う敷地の広さで言えば私が一番広いんです。だからこそ大きなスケールと小さなスケールを同時に見なければならないという、広い敷地ならではの難しさはありました。」

 

少し自嘲するように笑う語り口からは、あぁこの人は本当に設計を楽しんでいるのだなということが伝わってくる。そんな思い入れを持って設計に取り組んでくれる建築家が作った街に住みたいものだ。

 

 

―模型を作る時に意識していることはありますか?見せ方で気を付けていることなどはあれば教えてください。

「模型には荒めの発砲スチロールを使用しています。色合いで気を付けていることは、人々が歩いて普段日常的に使用する導線を白くして、それ以外は黒くするように色分けしています。なので、車道など人間が立ち入れない空間は黒くしています。Studyをする際に現実に照らし合わせて、この導線に延長する形で橋を作ろうとなります。黒の中に白い線が入っているとそこに自然と目がいくので、それを意識しました。」

 

 

ルーツとなったレゴ遊び

「元々幼少期からレゴブロックで遊ぶことが好きでしたが、その時は建築を意識していたわけではありませんでした。カタチ遊びをしたうえでモノを生み出すことに喜びを得るようになったのは、2年次の加工課題。これが4年間で一番楽しかった課題でした。例えばレンガは組み合わせを変えることで、人が入れるくらい大きな構造物を作れます。私は12面体からヒントを得て、多様に組み合わせることで人間が入れるようなスケールのものまで展開できるユニットを作りました。ただ、まだその時は、建築物やその周辺の地域など、より大きなスケールに結び付けるためのエンジンが見つかっていませんでした。」

 

 

「土地や地域について考えるきっかけとなったのは4年の前期に行った暗渠課題でした。これは、都内の暗渠の断面の形態から建築を作るうえでのポテンシャルを見出して、その場所にあった建築を作るという課題でした。こういう断面に対してどのようなアプローチができるかと考える際に模型を作成し、その場所のコンテクストに合わせて形態を変化させる。実際にある形に建てることを想定して考えるということが、自分の元々好きだったカタチ遊びとここでかみ合いました。」

 

小さいころから好きだったカタチ遊び。ブロックを組み合わせてオリジナルロボットを作ったり、建物を作ったりお手本通りではなく自由な創造を楽しんでいたそう。レゴの他にも折り紙も好きだったと語る。手を動かしながら考える今のスタイルは、既にこの時に確立されていたようだ。

 

 

―藝大で建築を学ぼうと思った動機を教えてください。

「小さいころからレゴなどカタチ遊びが好きなのと同時に、絵を描くことも好きでした。まず藝大で学びたいという気持ちが先行して、その中で自分やっていることが仕事として世界に少しでも還元できるものがいいなと考えた時に、自分の作ったものの中に不特定多数の人たちが介入できる建築がいいなと思いました。」

 

―もともと住宅設計などよりも、都市などの広い空間に興味があったのでしょうか?

「そういうわけではないです。どちらかというと住宅設計の方に興味がありました。今まで一軒家に住んだことがなかったので、子どものころは一軒家の友達の家に行くと羨ましくて…。トイレが2つあったり3階建てだったり、妄想でこんな家に住みたいという図面を描いたりしていました。多かれ少なかれ建築との接点はあったんだと思います。」

 

 

―図面!その図面を描いていたのはいくつくらいの時ですか?

「小学校3-4年生くらいの頃ですかね。父親の転勤で生まれてすぐアメリカに行き、一番長いところでは幼稚園の頃から小学校2年生まで3-4年間フランスにいました。その時もマンションだったのですが、友達の家に遊びに行ったときの衝撃がすごかったです。庭にトランポリンがあったり。」

 

―今でも海外に行くことはあるのですか?

「フランスにいた時の友人がデンマークにいるので、去年の夏に1週間ほど滞在して建築めぐりをしました。その時も街並みや建築に触発されました。日本と異なりレンガ造りの建物などが残っていて、外観はレンガ造りでも中は現代住宅風にリノベーションされていて、昔の景観と交差しているという、昔ながらの風貌は残っていながらも再開発も行われている。昔ながらの建物の隣に、ダイアモンドみたいな現代的な建物が建っていても特に不快感を覚えることなく、1つの街並みとして構成されている景観は日本ではまずないことだと思いました。日本はやはり地震大国なので、昔の物に住むということがなかなかできない環境だと思います。昔のモノに少し操作を加えて使えばまったく違うものになるということは、デンマークでの体験から影響されたことだと思います。」

 

大学での課題や滞在した国々から素直に感じたものを吸収していく栗脇さん。同級生に影響を受けることもあるそう。それにしても、小学生で既に図面を書いていたとは驚くばかり。

 

カタチのポテンシャルを探求する

 

―好きな空間や場所はありますか?土地と建物がうまくなじんでいて、栗脇さんの思い描いているようなものが体現されている場所などがあれば教えてください。

「設計のヒントを探すためにPinterestなどをよく見るのですが、そこで建築全体というよりは柱の立ち方や光の入り方といった景観の断片の中に、既存の物に少しの操作を加えることで新しい空間が生まれるという現象に成功していると思える写真を見かけたことはあります。ただ、実際の建築物はすぐには思いつきません。」

 

そういって自分の引き出しを探るかのように少し押し黙って考えこむ。特定の何か・誰かを手本にすることは容易くはないが、目指す目標がはっきりしている分迷いは少ない。しかし、栗脇さんはそれをしない。迷い影響を受けながら、様々なものの中から自分に合った要素を見出し吸収していく。

 

「1つあげるなら、ポルトガルのソウト・デ・モウラという建築家が設計したもので、平地に建っているのではなく岩地の中に岩を削って建てたスタジアムがあります。観戦者やプレイヤーの視界のなかに常に既存の岩の断片が見え隠れする、大掛かりだけど実際になし得ているものとして、単純かつダイナミックな操作が印象的でした。」

 

―目標や理想とすべき建築が既存にないからこそやりがいがあるのかもしれませんね。

「そうですね。こうした地形をばっくり削って段差上に納めた建築などはまだ見たことがありません。次の課題として、人々や町の将来のためにどういうプログラムが必要か、より上手くミックスしたものを設計してきたいと思います。」

 

自分のやっていることが中身のあることなのか、と考えるという栗脇さん。建築は居場所を作ることと語り、俯瞰よりも人の目線から見える景色を重んじる。彼にとっての建築とは、すなわち人を考えることなのかもしれない。そんな栗脇さんに今後について聞いてみた。

 

―修士課程ではどういった研究をされるのですか?

「地形に限らず形に秘められたポテンシャルを探っていけたらと思っています。大学院に進むと教授のプロジェクトの手伝いができるので、学部生の時よりさらに現実に近い環境で自分の好きなことをやれることは楽しみでもあります。ただ、自分でもアナログなタイプだと思っていますが、手を動かす方が好きなので、図面にするのが遅れてしまったりします。大学院に進んだら、手書きやStudyもしつつ両立していきたいですね。」

 

―修士修了後のプランは?

「正直まだわかりませんが、都市計画などよりは、インテリアや家具のデザインといった、自分のスケールに近いもので形態的に振れ幅の広い方向に進みたいなと思っています。」

 

 

少し困ったように眉を下げて、ひとつひとつ言葉を選びながら丁寧に語る栗脇さんの話に夢中になっていると、気付けばあっという間に1時間半が経っていた。模型や図面を前にお話ししてくださる栗脇さんの手には白い塗料のようなものが付いていた。これから卒展までの間に、今回見られなかったギャラリーが配置された駅北エリアの模型に加え、設計した空間にいる人々の目から見た景観を描く予定だそう。開催が差し迫った卒展では、カタチの探究者の栗脇さんの完全版の卒業制作が見られるのだろう。今からとても楽しみだ。

 


インタビュー:今井和江、五木田まきは、鈴木重保、藤田まり(アート・コミュニケータ「とびラー」)

撮影:峰岸優香 (とびらプロジェクト アシスタント)

執筆:五木田まきは

 

上野、金沢、中米ホンジュラスを行き来しながら、文化遺産と地域をつなぐミュージアムのあり方を模索する3年目とびラー。ひとりひとりの異なる解釈や向き合い方を許容するアートの懐の広さを日々実感している。

 

 


第66回東京藝術大学 卒業・修了作品展
2018年1月28日(日)- 2月3日(土) ※会期中無休
9:30 – 17:30(入場は 17:00 まで)/ 最終日 9:30 – 12:30(入場は 12:00 まで)
会場:東京都美術館/東京藝術大学美術館/大学構内各所


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「第7期とびラー募集」

「油画修復の道」 藝大生インタビュー2017|文化財保存学・保存修復油画 修士2年・石田千香子さん

2018.01.28

*はじめに

今回お話を伺う石田さんは、大学院で文化財保存学専攻をされ、油絵の修復が専門とのこと。はたして「修復」とは、いったいどのような場所で、どのような作業を行うものなのか??普段目にすることのない、作品の裏側に迫る、秘密の場所に踏み入るような気持ちで、インタビューに向かいました。

 

石田さんと美術との関わりは、幼い頃に始まりました。時々の関心事に沿って、時間をかけ、学び、経験を積まれてきました。今は、修了制作展での発表に向け、昼夜・土日を問わず作業している真っ只中。石田さんが語った言葉の中から、修復の魅力と、修復にかける熱意が、あふれるように伝わってきました。

12月のある土曜の午後、待ち合わせ場所である総合工房棟のエントランスに現れた石田さん。第一印象は、しっとりと落ち着いた大人の女性といったものでした。そこからエレベーターで地下1階にある研究室に案内していただきました。

 

 

まずは、研究室で石田さんのこれまでの学びや活動について伺います。

 

―石田さんとアート、修復との出会いはどんな形だったのでしょうか。

 

絵に興味を持った中学生時代、そこから絵画教室に通い始め、芸術系の高校に進学しました。高校時代に、授業で多くの絵に触れる中、特に中世後期のイタリア絵画に惹かれました。授業外では、展覧会の公開講座や市の事業への参加を通じて、「修復」について興味を持つようになりました。進路を考えた時、作家として生計を立てるのは難しい、何をするにも幅広く学ぶことは重要ということで、金沢美術工芸大学に進学し、芸術学を専攻しました。

 

幼い頃よりアートが身近にあり、成長の折々に、芸術と多様に接してきたのだとか。美術作品に強く惹かれながらも、自ら作家になることを目指すのではなく、何らかのアートに関わる形を模索してきた多感な時期。私たちからの問いかけに、一問一答のような明確な回答をするというよりも、思い出を辿りながら話してくれました。

―金沢美術工芸大学では、どんな学生生活を過ごしていましたか。

 

学生時代の印象的な授業は、1年次にあった「朝のお勤め」です。これは、毎日1作品について、10分ほど模写し、5分ほど教授がその絵の背景などを説明するもの。芸術学専攻にはキュレーターや教員を志望する学生が多く、展覧会を見て即座にその特徴を捉えられる能力を伸ばすよう考えられた授業内容でした。その他彫刻、日本画など様々な技法についても学ぶことができました。これは現在も修復を学ぶ基礎力になっていると思います。

卒論のテーマとして選んだのは、京都に伝わる舞楽について。京友禅の染色職人である母がきっかけで、6歳の頃から舞楽を習っていたため、学内の研究室に加え、舞楽の恩師にも師事を受けて執筆することにしました。舞楽の歴史の中で、女性による舞楽が禁じられた時代があり、それを復活させた女性(鷺ノ森神社が生家である原笙子氏)の生涯と舞楽の伝承についてまとめました。その後は同大学院に進学し、舞楽の研究をさらに深めていきました。

修士課程を修了した後、同大学の助手を務める中で、将来に迷う期間もあって・・・。自分のやりたかったことを探して、1年の準備期間を経て、ロータリー財団の奨学金を得て、イタリアに留学しました。

 

学生時代の実習の様子を楽しそうに、具体的なエピソードとともに振り返ってくれます。それは聞いている私たちに、「朝のお勤め」の体験してみたい!と思わせるほど。卒論のテーマも所属研究室では例のなかった無形文化財に取り組み、他大の研究室に協力を得たり、また、憧れのイタリアにて学ぶ道筋をつけたり。これは!と思ったものに対しては、夢中になり、全力で取り組める方なのかな、と話を聞くにつれ、石田さんの魅力に引き込まれていきます。

―憧れだったイタリアでの生活はどのようなものでしたか。

 

イタリアでは、フィレンツエ大学の外国人向けコースで1年間学びました。様々な分野の授業を受けることができ、また、授業以外の時間は、美術館や教会に通い詰め、大好きだったイタリア絵画を見る日々でした。高校時代から気になっていた「修復」については、イタリアは修復技術を確立した国とも言われていて、修復工房を見学し、修復学校に通う学生と交流などもしました。ですが、言語の壁もあり本格的に学ぶ機会を得るのは難しかったです。

 

イタリアが舞台で修復士が主役といえば、映画化もされた有名小説(「冷静と情熱の間」)が思い浮かびますが、「それに影響されて修復家を志したと思われないよう、一度も見ていません!」と笑って話す石田さん。好きな絵を好きなだけ見ることができた、とても恵まれた環境にいたことをまぶしく思い出しながらも、出発前に周囲の人からかけられた「イタリアに行けば何とかなると思ったら大間違い」という言葉はずっと心に残っていたと言います。

 

 

―帰国後はどんな活動をしましたか。

 

帰国後に職を得ようと、縁のあった会社に彩色職人として就職しました。その会社は、修復事業を強化していく段階にあり、私が働きながら学ぶことを受け入れてくれました。社長や同僚には感謝しています。手がけた仕事は、神社仏閣から木彫りの作品まで、発注者の希望を踏まえて彩色するというものでした。全国から依頼があり、出張も多くありました。ここで正職員として仕事を続けようと思っていましたが、以前より抱えていた「油絵の修復をしたい」という思いが消えず、今ここで挑戦しなくては後悔するとの思いから、藝大の大学院を受験しました。

 

 

就職していた頃に手がけた作品の写真をいくつか見せていただきました。日本の伝統や歴史を感じさせる色合いから、渋さ、鮮やかさ、なつかしさ、様々な感じを受けます。ここでの修復の仕事は、例えば、神社仏閣の天井画には脚立に乗って彩色する、緊張感も体力も必要な仕事。学ぶことも多く、大学院に通い始めて1年間は仕事を継続していたそうです。

 

 

これまでの経緯をふまえて、現在の研究について伺います。

修復のことをよく知らない私たちに、丁寧に、わかりやすく話してくれます。この時から、凛々しく、正確に物事を伝えようとする研究者の顔へと、石田さんの表情が少し変化したような気がします。

―大学院では、どのようなことをしていますか。

 

大学院では、1年次に修復実習が週2日あり、加えて、テンペラ模写、ゼミでの活動の他、文化財保存、光学調査などの授業があります。光学調査の授業では、藝大学美術館が所蔵する作品のうち、年間20~25ほどの作品の記録撮影と分析(紫外線蛍光写真、赤外線写真、測高線写真、正常光写真などの撮影や、作品の裏面など全てを記録する調査など)をしていきます。2年次に、個人修復作品・共同修復作品を各1点と、個人研究としてテンペラ模写を仕上げて発表することになっています。

 

早速、聞きなれないたくさん単語に触れて、頭の中では、懸命に聞き取った音を漢字に変換しようとします。・・・コウガクチョウサ??

―お話に出てくる光学調査とは、どのようなことを行うのですか。

 

例えば、紫外線写真では、蛍光している個所は、ワニスが表層にあることを示しています。測高線写真では、たわみ、傷、歪み、はく落、亀裂などがあることがわかります。赤外線写真では、白黒化して、炭素に反応している個所が黒く表示されるので、墨や鉛筆などの下書きがよく見えます。他にも蛍光X線では絵の具の種類を分析します。それから、マイクロスコープを使って細部の写真を撮ります。

そして、これらの写真・調査を基に調査書を作成します。調査書には、サイズはもちろん、ワニスの有無、絵の具層の剥落、地塗りは何の絵の具で何色か、固着はよいか、シミの有無などの状態と、それを踏まえた修復方針を記載します。1年次の実習を通じて、自分自身で、自分が担当する作品についての調査書を作成する能力を身に付けます。こんなふうに、実際に作品の画面上で 修復を行うまでに、かなりの時間を要します。

 

修復作業に入るまでにいくつもの工程があります。思っていたより、理系の研究室に近い感じがします。普段使っている机を見せてもらうと、鮮やかな金色と赤の作品がありました。テンペラ画の模写です。

―テンペラ画の模写では、どのような作業手順があるのですか。

 

まず、板を本物の作品と同じサイズに切り、膠で接着して麻布を張ります。次にイタリアの石こう地を塗り、乾く前に12層重ねていく。そして、表面をきれいにやすります。茶色い砥の粉を塗ると接着し、つやが出るので、水で表面を濡らすだけで金箔がつくようになるんです。さらにメノウ棒で磨き、盛り上げには石膏を用います。ここは少し彫刻的な作業です。

 

修復に用いる、使い込まれた道具を一つ一つ手に取って見せてくれます。先ほどの理系のような研究室の雰囲気から一変し、造形的なアトリエの雰囲気に変わっていきます。1つの空間の中で異なる雰囲気を感じることができる、不思議な場所のようにも感じます。

 

 

 

研究室での話を終え、ここからは大きな油画作品の修復作業を行う正木記念館に移動して、実際に修復中の作品を見せていただきます。

 

この建物の内部は、普段は開放されていません。前半のインタビューで雰囲気が温まったところから、一度外に出て冷たい外気に触れたこともあり、緊張した気持ちを再び取り戻して中に入ります。石田さんもここでは眼鏡をかけています。修復作業のモードに入る合図でしょうか。中には高い天井、手前の部屋には、作業台、修復道具をかけられる壁面、各種写真撮影を行うスペース、分析を行うパソコンが置いてあります。扉で仕切られた奥の部屋には、収蔵庫から修復のために持ち出された作品を置くための棚があり、温度・湿度などは機械で管理・記録されています。特別な場所に潜入したな、と聞き手の私たちの気持ちは高揚します。

 

―ここで、修了制作展に向けて作品を修復しているのですよね。

 

修了制作として、個人で修復を手がけている作品と、大学院の同期4名のチームで行う共同修復に取り組んでいます。修復する作品は、1年次の終わりに、藝大美術館の収蔵庫に入り、所蔵作品のうち修復が必要なものから、自分で作品を選ぶことができます。学生が担当するのは、主に明治後期から大正にかけて、日本人が制作したものです。修復技術は、国がもつ気候風土によって大きな違いがあります。日本の修復技術は、日本の風土において、作品をどう残していくかという観点で考えられています。

 

―個人修復の作品には選んだのは、どのような作品ですか。

 

個人修復は、橋本邦輔氏により明治43年に制作された油画作品です。ルーブル美術館に所蔵されている、フラ=アンジェリコの《聖母戴冠》の部分模写にあたります。この作品に決めた理由は、最初はひどく汚れていて、穴もあって、なんだかかわいそうに感じたからです。まず開いていた穴を埋めました。それ以外の症状、たとえば大きな絵の具の剥落などはないのですが、汚れやカビは、アンモニア水やクエン酸など、様々な方法を試しながら洗浄しても取れませんでした。今回の修復では補彩を施して、汚れの除去は後世の人や新たな技術に託そうと思います。

 

 

 

作品の前に座り、道具の説明などしながら、補彩を実践してくれる石田さん。髪を結いあげて拡大鏡を装着し、わずか1mmほどの細い筆を持って、真剣な面持ちで画面に向かいます。

 

見ている私たちも思わず息を飲みます。気が遠くなるような、地道で繊細な作業です。こんな僅かな作業の積み重ねによって、作品は生まれ変わっていくのですね。

 

 

複数人で修復に臨んでいる共同修復の作品についても、お話しを聞きます。

 

―共同修復では、大作に取り掛かられているとか。

チームで修復している作品は、大正2年に描かれた五味清吉氏の作品で、神話の大国主命と八神姫に出てくるワンシーンを描いたものです。大正時代から続くロマン主義の系統にある、文学的な物語性の強い作品で、藝大美術学部始まって以来の大作と呼ばれています。五味氏は岩手県出身で、2016年に生誕130周年を迎えました。ですが、この作品はこれまでに1度も修復されず、貸出依頼が合っても貸し出せない状態でした。作品の修復に加えて、五味氏の藝大での立ち位置や制作に影響を与えたもの、所蔵の経緯などを調べて、修士論文のテーマとして扱っています。

 

修復している途中の作品を見せていただけることになりました。石田さんと一緒に、作品を慎重に持ち上げ、反転させて・・・、手に汗握るような緊張の瞬間です。机に立てかけた作品を、皆で見ます。個人修復に比べて、一番の違いは作品の大きさ、私が両手を伸ばしたよりも大きく、高さも1mほどはあったでしょうか。よく見ると、絵の具が剥落している面積が広いことにも気が付きます。

 

 

―共同作業はどうやって進めていますか。

 

個人修復の作品と同様に、まず写真を撮って調査をし、それからチームで話し合って修復方針を決めました。作業としては、まずは表打ちといって、表面からこれ以上絵の具が剥落しないように和紙で全面を覆い、剥離しそうなところを定着させました。次に、絵を張り込んでいる木枠が変形していたため、画面を取り外してストレッチャーで伸ばしました。そして、釘を全部抜き、台紙には張り代を加えました。これらの作業に1か月半もかかりました。

夏休みの間はずっと洗浄をしていました。絵の裏面に煤がたまって真っ黒だったんです。この汚れは、昔上野を走っていたSLから出た煙が、美術館の収蔵庫まで届いたからだと伝え聞いています。洗浄は何度かの確認と再作業を経て、11月にやっと教授からOKが出ました。

個人で修復する作品もある中、バイトのシフトのように都合を併せて複数名で取り組んでいます。個人プレイで先走らないように、連帯責任をもって、お互いに注意し合い、相談ながら修復をすすめていきます。これから修了制作展に向けて、まだまだたくさんの工程が残っています。

 

担当の木島教授が退官前に修復したいと思い続けていたという、様々な人にとって思い入れのある作品。共同修復には、個人修復にはない難しさ、思いどおり・予定どおりにいかないこともあり、また一方で学ぶことも多いようです。

 

さて、まだまだ話を聞きたいところですが、気が付くとインタビュー開始から2時間半が経過。これから制作の追い込みをかける時期、これ以上拘束するわけにはいかず、そろそろお暇しなくてはなりません。

 

今まで聞いてきた石田さんの半生、現在の研究のお話しから、今の石田さんの思いについて、改めて伺います。

 

―修復についていろいろ教えていただきましたが、石田さんにとって、修復することの一番の魅力は何ですか。

 

目の前に本物があること、本物を見ながら作業ができることです。それにより緊張を感じますが、どの作業も楽しいものです。

 

―学部の卒論のテーマが伝統芸能の伝承、そしてまた、現在は修復に取り組んでおられますが、「大事なものを後世にしっかりと伝えていかなければ」という使命感のようなものはありますか。

 

今、この作品が目の前にあるのは、誰かが残してくれたから、という思いはあります。私が好きな作品を見続けられるのはそれを保存したり、修復してくれる人たちがいたからで、私もそういう人になりたいと。

 

―これまでのお話で、その時その時に面白いと思うことに対して、過去にとらわれずに飛び込んで行くという印象があります。今後もさらに、活動は展開していくのでしょうか。

 

修復の仕事は一生続けて行くと思います。今まで何をしようかと迷った時期もありましたが、心の中ではずっと油画の修復することを目指し、やっとたどり着いたという気持ちでいます。

*最後に

長時間にわたったインタビューの中で、子ども時代や学生時代を振り返る無邪気な顔、研究者としての顔、私たち聞き手が分かりやすいように、聞きやすいように、どんな質問にも優しくわかりやすく丁寧に応えてくれるやさしい顔、たくさんの表情を見せてくれました。そして、最後に語られたのは、とてもシンプルな言葉。様々な経験をしてきて、やっと今ここにいる自分、修復の長い道のりを歩き始めていることを、少し照れたように、しかし、迷いのない目で私たちに語ってくれました。

別れ際、「2年生になると日曜も作業ができるんです!」と嬉しそうにキラキラとした目で話してくれました。これから修了制作展でのお披露目まで、寝る間も惜しんで修復作業に取り組まれるのでしょう。

修了制作展では、石田さんが修復を手がけた作品に加えて、修復報告書に記載された修復前の写真や、紫外線・X線など調査結果も見られるとのことです。ぜひ会場となる藝大美術館の陳列館にて、文化財保存・修復の深い世界に触れてみてください!

 


取材:ア—ト・コミュニケータ「とびラー」

執筆:むとうあや

インタビュー:むとうあや、高山伸夫、齋藤二三江

撮影・編集校正:峰岸優香(とびらプロジェクト アシスタント)


第66回東京藝術大学 卒業・修了作品展
2018年1月28日(日)- 2月3日(土) ※会期中無休
9:30 – 17:30(入場は 17:00 まで)/ 最終日 9:30 – 12:30(入場は 12:00 まで)
会場:東京都美術館/東京藝術大学美術館/大学構内各所


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「第7期とびラー募集」

「作品は自分の人生の備忘録―日本で自分をより知るために」 藝大生インタビュー2017|グローバルアートプラクティス専攻 修士2年 ロザンナ・ヴィーベさん

2018.01.27

グローバルアートプラクティス専攻(以下GAP)は2016年4月に新設された修士課程で、今年の3月に新設されて初めての修了生を迎えます。GAPの学生の約半分は留学生で構成されていますが、今回取材に応じていただいたのはその中の1人、ロザンナ・ヴィーベさんです。(ロザンナ・ヴィーベさんウェブサイト

ロザンナさんが来日したきっかけや、GAPに入学し、日本文化に接する中での想いを伺いました。


ロザンナさんは論文で修了するため、今回のインタビューでは、大学美術館に展示中の参考作品(映像作品)を拝見しながらお話を伺いました。

ロザンナさんの映像作品(参考作品)。『自己と他者の境界であるということ』

この作品は、ロザンナさんの卒業論文のテーマ「アブジェクション/おぞましいもの」(※)から派生して制作され、ロザンナさんの身体についての在り方や他者との関わりについて表現しているそう。映像の中では、なんと、10ℓのシロップの中にロザンナさんが入り、シロップを口や鼻から取り込んだり放出したりしています。シロップは、ロザンナさんが好きな粘着質の素材の一つだそうです。

 

【幼少期の空想から作品制作へ】

ロザンナさんの作品制作は、幼少期の空想と深い関わりがあると言います。

「子どものころに水に溺れそうな自分を想像したことがあり、溺れることへの恐怖心と海への関心が芽生えました。私の空想は、人が水中でも呼吸できないだろうか、という仮説に導かれ、液体呼吸の研究があることを知りました。液体が身体の中に入り込むことに違和感を感じますが、一方でそれを魅力的だとも思うのです。

他者とつながる感覚は、輸血においても同じように想像できると思います。

人間は、空気中にある酸素を体内に取り込み、二酸化炭素を放出します。そして体内では、血液が常に循環をしている。私はそういった身体性と外とのつながりに美しさを感じるのと同時に、おぞましさも感じるのです。だからこういった感覚を、私が関心を持っていた素材であるシロップを使って表現しました。」

自分と、その自分の中に入ってこようとする他者。その他者は、自分にとっては異物であるが、同時に必要なものでもあるから、それを認めて受け入れたとき、初めてその他者は、自分と同化して新しいものが出来上がっていく。私は、この映像を見ながら、ロザンナさんはそういうことを伝えたいのではないかと思いました。

「美しいものへの誘惑と、嫌悪感が同時にある」というロザンナさんは、同じ感覚を、この映像を見た人たちと共有したいと言います。

「シロップに顔を入れたとき、浮力を感じ、シロップが自分の目や鼻に入ってくるのが苦痛であると感じた一方で、同時にそれに支えられている感覚もありました。まるで、胎児がお母さんから酸素を吸収して成長していく、というプロセスのようにも感じます」

 

【自分と他者という感覚】

ロザンナさんには双子の妹さんがいますが、10歳になるまで、自分と妹さんが他者であるという認識が無かったと言います。ところがある日、妹さんと自分は他者である、と認識する瞬間がありました。

「成長過程で自己が形成され、双子にもそれぞれの個性が出てきたということも、妹が他者であると感じたきっかけの一つですが、暮らしていた土地の環境も大きく影響しています。私が生まれたノルウェーは、非常に乾燥した土地だったのに対し、当時住んでいたキューバは、ノルウェーと比べて湿度がとても高く、ノルウェーにいたころよりも一層その湿度感を感じました。湿度がある、と気づいたときの空気の厚みや、冷房をつけたときに変化する空気の質の感覚を肌で敏感に感じるようになり、より空気の存在について意識するようになりました。『いかに人間が空気によって生かされているか』ということへの気づきは、妹が他者であると認識することに繋がり、また現在の作品制作の出発点にもなっています。私はずっとこういうことを考えていて、今はこのテーマについて更に深めているところです。」


ロザンナ・ヴィーベさん。ノルウェー出身。ノルウェーの他にキューバを始め、色々な国に住んでいた経験があり、各国の気候の違いや文化を肌で感じながら、自らのテーマについて研究を続けています。

 

妹さんと違う個体として存在しているということや、空気や湿度といった物質に対する突然の意識の芽生えは、寂しい、とか孤独感や、自分は今どこにいるのか、という感情を抱くことにはならなかったのでしょうか。

妹さんと違う個体として存在しているということや、空気や湿度といった物質に対する突然の意識の芽生えは、寂しい、とか孤独感や、自分は今どこにいるのか、という感情を抱くことにはならなかったのでしょうか。

 

「妹が他者であると認識したときから、自分の体が溶け出していくという感覚がありました。そういう感覚から空気の実体をつかもうとしていましたし、自己を認識するために、水の中に入って浮力や水圧によって自分自身を実感する、ということを試みていました。水の中に入ったときに、周りの液体と自分の体が同化し、自分と液体の境界線が曖昧になっていく。寂しいという気持ちは、私にとって、水などの液体から出たときに自分の弱さや孤独感が露出されるという感覚に似ています」

 

幼少期から肌で感じ培ってきた、異国の空気感や双子の妹さんとの関係性への感覚を、今日においても、自分と新しいものとの関係を築いていく過程で、ごく自然に活用しようと試みているロザンナさん。しかし、日本に来て体感した「距離感」に衝撃を受けます。

「私はラテン系の人間なので、相手の温もりを求めてハグをしたり触れ合ったりするのですが、日本ではお辞儀をして距離を作ります。日本に来てその違いを感じました」

 

 

【日本の文化に触れて―異国で自分を知る】

ロザンナさんはノルウェーでの大学時代、日本の美について勉強しており、空間や仏教の和の考え方、そして谷崎潤一郎『陰影礼賛」の本に感動し、建築における陰の使い方に興味を持ったそうです。

大学卒業後は2年間日本で勉強をしたいと希望し、まずは旅行で来日したことが、GAPを受験するきっかけとなりました。

「東京で知り合った人たちの中に画商さんや芸術系大学の先生がいて、その人たちを通じてGAPのことを知りました。元々、東京藝術大学は知っていましたが、私は油画や彫刻といった専門分野を学んでいないので、GAPだったら自分に合うかも知れないと思い受験しました。今思えば色々な偶然が重なったのだと思います」

GAPに入学後は、言葉や文化の違いを感じることが多かったとロザンナさんは言います。

「キューバに住んでいたころに受けた湿度感や、エアコンによって変わる空気の質感を認識した時の衝撃と同じくらい、日本の文化の違いに衝撃を受けました。日本は本音と建て前がありますが、私はいつも正直に感情表現をするので、自分はそういうつもりはないのに相手には失礼に見えてしまう状況があり、自分の言動がどう捉えられるかを常に意識せざるを得ませんでした。また、言葉に関しては、学生の中でも各々の言語レベルが異なっているので、日本語だけでコミュニケーションが取られた場合、私だけ理解ができなかったこともあります。その中で生じる誤解や誤読をクリエイティビティで補っていくということを、前向きに行う必要がありました」

そのようにロザンナさんが感じたギャップは、作品にどう展開されていったのでしょうか。

昨年、ロザンナさんは、日本に来て体験した誤解や誤読をテーマにした作品を、瀬戸内芸術祭で発表しています。

「瀬戸内芸術祭の栗林公園で展示した作品は、日本人とのペアワークでした。彼女が私宛てに日本語で手紙を書き、私が彼女にノルウェー語で手紙を書く。お互いその言語は読めないので、文字の形から作品にしていくというものです。私は手紙の中の漢字を彫刻的に変化させていきました。彼女もノルウェー語を彫刻的に変化させています。この作品では、文章の意味よりも文字の形を皆さんに観ていただいているので、栗林公園でこの展示を鑑賞した人は、誰も文字の意味は理解できなかったと思います」

作品の中で、文字の形に着目したのは、ロザンナさんのある体験によるものだったそうです。

「地下鉄の中吊り広告にある漢字が長い間読めなかったのに、毎日同じ広告を見ながら通学していたら、ある日突然、この広告は会社のことを表している、と理解できたのです」文字の形を読み取り、それを言葉の意味に変換できた瞬間だったと言います。

 

ロザンナさんが日本に来てから、言葉の違いや人やものに対する距離感を改めて強く意識するようになりました。

「言葉の壁に直面している私は、いつも自分が宙に浮いている感じがします。お風呂に例えるなら、湯船に浸かっているときは、お湯の温度と自分の体温が近い感じがして、ノルウェーにいるような気持ちになります。でも、湯船から出たとたんに、それが急に切り離されるような感覚がします。それは私の日本での経験に似ています。自分も社会に属しているのに、日本の文化から物理的な距離を感じることもあります。それは言葉の壁からも感じることであり、そういうアナロジーが作られるのではないかと考えています。」

 

また同時に、日本は二面性があるとロザンナさんは感じています。

「無というものや茶室での余白の使い方、挨拶をするときのお辞儀といった人との『間を取る』部分と、満員電車で人との距離が『近い』部分の相反するものが共存している日本の文化に興味をひかれました。また、相手によってTPOをわきまえるということからも、日本の文化や伝統が見えてきて面白いです」

 

文化の違いを感じながらも、ロザンナさんは決してそれを否定的には取らず、むしろその不思議さを前向きに捉え、楽しんでいるようにも感じられました。

「もちろん、日本の形式的な部分や文化に対しては、変だなとか難しいなと感じることはあります。それで苦労することがあったとしても、興味深いこととして、捉えていこうと心がけています。例えば何かに対して嫌悪感を覚えたとき、それがなぜなのかを敢えて自分に問い、考えるようにしています。私は子どものころ、ピンク色が嫌いでした。それはなぜかと考えていくプロセスの中で、敢えて嫌いなピンク色で文字を書いてみました。実際にこの色が文字になることで、言葉も変わるし、考え方も変わってくるからです。自分の感情的な反応にはいつも理由があるから、それはなぜだろうと追及するために、敢えてそこに飛び込んでいくことを自分に課しています。だから、日本は私にとって、文化や性格が自分と真逆な国だからこそ、私自身を知ることができるのです」

ここまでお話を伺ってみて、ロザンナさんは私たち日本人よりも距離感を大切にしている印象を受けました。

「対極にあるもの同士は、常に繋がっていると思っています。私自身が触れたもの、近い距離感を知るためには遠い距離感も考慮しないといけない。愛だけではなく、その裏返しにある嫌悪感というものも両方考えなければいけないと思います」

他に見せていただいた過去の作品(ロザンナさんのウェブサイトを参照)の多くは、ロザンナさん自身が作品に寄り添い、同化(作品を自分の中に受け入れるように、作品にも自分を受けいれてもらうために、身体的な対話をするということ)し、いかに作品と共存することができるかという点に着目して制作されたものです。それらの作品には、自分の立ち位置や居場所、視点というものが明確に表れていると言います。ロザンナさんの作品は、双子の妹との関係性やこれまでの経験、生活といったものが映し出された、今を生きるロザンナさんの人生の備忘録とも言えるかも知れません。

 

これからロザンナさんは色々な経験をしていく中で、どのような作品を生み出していくのでしょうか。

ロザンナさんの「今、生きている人生」の提示であると同時に、私たちへの新たな問いかけでもあるはず作品を、今後も楽しみにしています。

 

(※)思想家ジュリア・クリステヴァが著書『恐怖の権力』(1980)の中で唱えた概念。

 

 

 


執筆:阿部 忍(アート・コミュニケーター「とびラー」)

とびらプロジェクトに参加して2年目のとびラー。とびらプロジェクトを通して、なかなか美術館に行けないような人たちでも、もっと気軽に行けて、楽しめるような場としての美術館の出来事をみんなと一緒に作りたいと思ってい ます。

 

 


第66回東京藝術大学 卒業・修了作品展
2018年1月28日(日)- 2月3日(土) ※会期中無休
9:30 – 17:30(入場は 17:00 まで)/ 最終日 9:30 – 12:30(入場は 12:00 まで)
会場:東京都美術館/東京藝術大学美術館/大学構内各所


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「誰かの為につくりたい、片思いの虎」 藝大生インタビュー2017|先端芸術表現 学部4年・岡田未知さん

2018.01.23

12月初旬の芸大取手校地。日も暮れかかった構内で先端芸術表現科4年生の岡田未知さんと待ち合わせた。片手には旅行用のキャリーバッグ。事前にウェブサイトで見てきた彼女のこれまでの作品から得たイメージとは少し違い、明るく、可愛らしい方という印象を持った。最近オープンしたばかりの食堂に向かい、卒業制作についてのお話を伺った。


「白衣、着たほうがいいですか?」

到着するなり、旅行用のキャリーバッグから取り出されたのは白衣、試験管のようなもの、医療用のゴム手袋。何か理系、医学系の研究を思わせる。聞けば、どれも作品制作に結びつくものらしい。

◆卒業制作のテーマ
卒展に向けて現在制作中の作品のテーマは「細胞培養」だという。
「自分の皮膚を虎の皮とくっつけ、培養する、ということをしています。採取した皮膚を培養液に入れ、段階を踏むと、徐々に細胞から足のようなものが生えて培養地にくっつき、増殖します。とはいえ、肉眼で見えるほどは、すぐには増えないので、展示で見せる物としては培養されている皮膚と虎の皮、それに映像のみ。ハート型に切り出した皮膚をシャーレに入れ、更にそれをアクリル製のインキュベータという恒温機に入れて展示する予定です。」

 

展示イメージの説明と共に、ある写真も見せてくれた。

 

「これは切り取った私の皮膚をシャーレに入れたものです。せっかくなので可愛い形に、と思い、皮膚はハート型に切ってもらいました。」

 

皮膚の細胞培養と聞いて、組織を採取するのみかと考えたが、そうではなかった。自分の皮膚を1.2mm〜1.5mmの厚さで、しかもハート型に両足首から切り出したそうだ。施術の映像も見せてもらったが、皮膚が切り取られる場面をしっかり見たのが初めてだったからか、抱いた感想はシンプルに「痛い!」だった。皮膚は時間が経つと皺々に縮み、ハート型の原型はあまり止めない。私たちが作品として見る事ができるのは、この状態になったものだそう。

ちなみに、皮膚を切り出すにあたり、麻酔無しでの施術だったという。映像のインパクトも相まって、映像をみて感じた痛さがより強く伝わってくるようだった。

 

「オーストラリアのアーティストで、ステラークという腕に耳をつけてしまった人がいるのですが、彼が来日した際にお話するチャンスがあり、どうやって医学的なことがらを乗り越えていますか?と尋ねたところ、ノウハウを教えてくれて、『Keep trying!』と激励してもらいました。」

 

自分の皮膚を切る、その大変さは想像以上のものだった。採取したハート型の皮膚は現在培養中だそう。

 

「ただ、虎の毛皮の方はワシントン条約前に加工されたものであり、死後60年以上経っているので、細胞も当然死んでいます。悪あがきはしてみていますが、恐らく細胞は増えません。なので、まずは自分の細胞だけ培養し、虎の皮とは物理的にくっつけることになります。」

 

◆他者に決定される自分の姿「虎」
初っ端からインパクトの強い話ばかり続いたが、そもそも何故虎の皮を使うのだろう。

「虎、猫好き、というのがそもそもあるんですけど(笑)。」

作品のタイトルは現在のところ『シュレーディンガーの虎』になる予定だそう。

「『シュレーディンガーの猫』という、簡単に言うと量子論の思考実験があるんですけど、量子論には観測することがその物の状態を確定させてしまう、という原理があります。この原理は、観測するまで対象の状態はいくつかの状態が重ねあわされていて、観測という行為をおこなうことで数ある状態のうちの一つに対象の状態が定まってしまう、というものです。これに納得できなかったシュレーディンガーが反論としてあげたのが、この『シュレーディンガーの猫』という思考実験です。箱の中に猫と、1時間以内に50%の確率で崩壊する放射線原子と、原子の崩壊を感知すると青酸ガスを出す機械があって、前者の論理だと、観測するまではその毒ガスによって猫が死んでいるかどうかがわからないということになります。そうなると、箱を開けて観測して状態を決定させるまでは、猫の生きている状態と生きていない状態が重なって存在しているということになってしまう。それに対して、そんなことは異常だってことを言うための実験だったんです。」

『シュレーディンガーの猫』と、「虎」がどうやって繋がるのだろうか。
「自分の中に、攻撃的だったり、あるいは適切じゃない振る舞いをしたいというダメな部分というか、平たく言うと狂気みたいなものがあって。でも意外と、普段はまともに委員長とかやるタイプでもあったりして(笑)私が狂っているかどうかは、結局みる人の観測によって確定されているのではないか、と。」

 

「それから、自分の中で、その抑え込んできた狂気の擬人化として大きめの猫型の生き物がずっとありました。それが虎です。中島敦の『山月記』を読んで、ああ、虎になってしまったその気持ちわかるなって。その辺を混ぜ込んで、自分のフィルターを通して出す。それが今回の作品です。」

複雑に絡む虎へのこだわりが見えたが、このエピソードから彼女の自分を取り巻く環境に耐える自負心の強さというよりも、他を求める、何か、誰かとつながりたい欲求のようなものが感じられた。
そして、細胞培養はそもそもやってみたかったことだそうだ。培養のための作業は専門のチームと一緒に行っているという。

 

「これからはバイオアートが必要とされると思っているのですが、アートの分野で流行るか否かに関係なく、今後食糧とかが足りなくなってきたりするので、バイオの分野は実学的にも注目されるものだと思います。一緒に活動中のチームは『Shojinmeat Project』といって、DIYバイオなどを社会実装すべく活動する集団です。食肉や医療用の皮膚の自宅培養の実現を目指しており、また、培養という行為自体を社会に広めるための活動もしています。」

 

◆学生生活最後の作品だからこそ
今回のコンセプトのわかりづらさはあえて、と語る岡田さん。学生生活最後となる今回の作品への想いを教えてくれた。

「3年生までに、割と倫理的にギリギリなものを、いかに面白くわかりやすく提示するかを考えていました。それはそれで楽しいですが、このやり方は卒業して年をとってからでもできる。今だからこその作品を1つくらい作って卒業しようと思って。わかりやすくポップに、とか、しっかりとした主題に沿って面白くアレンジをかける、ではないところでやってみようと。要素が混ぜこぜなものを若いうちに一度作っておきたくて。だから、かなり青臭いというか、今までと違って統一がとれなくて、終わりが見えないところで悪戦苦闘しています。」

 

◆裏切らない事実への信頼
とはいっても、過去の作品を含めほぼ全ての作品において共通しているのが、皮膚や血液、髪の毛といった、身体の一部を扱っているという点だ。そこには何か強いこだわりがあるのだろうか。

「人がそもそもタンパク質でできているとか、そういう揺るがない事実は信じることができます。亡くなった兄が重度の心身障害児だったのですが、食事は栄養液を経鼻注入で、言語でのコミュニケーションも無いし、視覚も明暗がわかる程度で、我々が見ているようには世界を認識していなかったと思うんです。だからか、言語や視覚的なことなんかは、もしかしたら誰とも分かり合えていないかもしれないっていつも思っています。ただ、例えば私たち兄弟が果物を食べる時には、絞り出した果汁を経鼻注入の栄養液に混ぜて、おいしいねって言いながら一緒に食べたりしていました。お互いにタンパク質でできている事実は信頼できる。まだそれを裏切った人類はいませんから。一緒にものを食べるということに対する信頼も強いです。単に食べることと、身体がタンパク質などでできている事実、そんな2つの要素をあわせることが今すごく気になっています。」

「今、抜歯した後の歯とか切った髪の毛を集めています。いつか作品に使おうかなって考えているのと、単純に見ていると嬉しいんですよね。もしあげてもいいよ、っていう人がいたらぜひください(笑)」

「それが誰かの何かだったということが大事で、作り物の歯とかにはあまり興味がないんです。それが誰かの身体にくっついて機能していたことが興味深くて。私はそういう事実に信頼できる、できないを感じるんです。」

 

◆制作の根底で誠意を尽くす
人間の身体と食べ物が有する、揺るぎない事実や確実さ。岡田さんがそれらに抱く信頼感は強く、作品の欠かせない要素にもなっている。とはいえ、素材として皮膚や血液を自身から採取したり、自ら肉やレーズンを食べ続けたりと、自身の身を以って作品制作に臨むのは何故なのだろうか。

 

「私は人から弱く見られがちなところがあって、それが原因で経験した嫌なことが『怒り』や『絶望』として私の中に蓄積しているんです。それらを説明したり、何か違う形で出力したい。ただ、矛先を人に向けるわけにはいかないので、自罰的な方向で表現しています。美術の世界って変で、自分が痛い分にはあまり周囲から止められないんですよね。それも、『怒り』の説明手段を自分に求める一つの理由です。あと、貧弱にみられがちな私が体を張ること自体が目を引くというか、強烈なアピールになると思っていて、結果、体を張った作品が多くなりました。」

 

「だけど、テンションや感情に任せて作品をつくるだけでは面白くない。ものすごい怒りだったり、身を張っていたり、痛々しかったり、感情的であると同時に、根底の方できちんと考えられていている、そういう感情的な部分と冷静さが共存する作品に私は魅力を感じます。なので、痛々しく見える題材であっても、例えば言葉遊びで外すとか、モチーフの面白さや賑やかな音選びを意識していますし、同時に、作品をもっと理解したいと思ってくれた人にも楽しんでもらえるよう、古典や神話・美術史からの引用や、正確な数字等の読み込める要素を入れたりと、作品を信頼してもらえるよう努力しています。」

 

◆関わりへの切望
「作品を見てもらう時に、鑑賞者から信頼されたいんです。私は自分のことを疑り深いと思っていて、他の人の作品を見る時も、ついそういう目で見てしまう。だから、自分みたいな人にも納得し、信頼してもらえる作品をつくりたいと思っています。でもそこに限らず色々な人に面白がってもらいたいので、作品のテンションや音、映像など色々なことに気をつけるようにはしています。」

「常に疎外感のようなものを感じていて、社会や世界、物事に片思いしがちなところがあるんです。それは小さい時からずっと蓄積してきた感覚です。人間界の仲間に入りたいという気持ちがあるから、作品の細部まで整えることで、どんな人にも面白がれるように配慮してしまうのかもしれません。『怪獣のバラード』っていう合唱曲があるのですが、底抜けに明るいメロディーなのに歌詞が悲しくて、表現としてすごく秀逸だと思っていて。私も、こんな明るいテンションで、しんどいものごとを説明できたらいいのにと思います。」

 

学食に響く楽しげな音楽。小学生の頃に聴いたなぁと、懐かしく思いながら耳を傾ける。聞こえてくるのは、人間と仲良くしたい、仲間に出会いたいと願う孤独な怪獣の切ない願いだった。

 

「私のようなタイプの生きづらさを感じている人たちって世の中には結構いるはずで、そういう人たちが私の作品をみて、まだ頑張れる、寂しくないと思ってくれたら。アーティストのフェリックス・ゴンザレス=トレスが好きなのですが、彼が『あなたにとってのpublicって誰ですか?』という質問に、『僕にとっての観客はロス(恋人)しかいない』みたいなことを答えていました。その答えが、孤独感や寂しさを感じさせる一方でかっこいいと思っていて。」

 

誰にでもわかる内容なのに、実はごく限られた誰かや何かに向けたメッセージを有する作品。生きづらさや寂しさといった、人間の弱さとも言える部分が作品として提示されることで、その作品が誰かの支えになるだろう、と岡田さんは言う。
「自分もそんな作品を見て、まだ大丈夫、生きていける、と思って育ってきたので、微力でも何か作っていきたいんですよね。」

「自分の皮膚の細胞培養がうまくいったら、自分の皮膚と違う色の皮膚をつくって、自分の肌に移植したり、将来的にやってみたいことはたくさんあります。いろいろな色の肌を移植して、世界中から仲間外れになってみたりもしたい。拡張の方向で既存の問題を相対化したいんです。だから、今のうちに培養などから学んでいって、今後のための知識と経験を得ていけたらいいなと思っています。」

 

ここまでの話を全て茶目っ気たっぷりに話してくれた岡田さん。その軽妙かつユーモアある話し方や明るい雰囲気につられて、私達も楽しく聞くことができた。しかし、その内容の根底には彼女がこれまで感じてきた疎外感や怒り、社会や人と繋がることへの渇望、そしてそれらを作品として表現することに対する強い想いが厚く、静かに横たわっている。
感情にまかせているようで、冷静。
ふざけているようで、真剣。
岡田さんのキャラクターと、彼女から生まれる作品とが重なる。

 

卒展で見ることができるでだろう、ハート型の皮膚。培養の結果は目には見えないかもしれないが、切り取られたそれは、彼女の一部だったものであり、世界と接続したい、そう願う細胞たちが、静かに、こっそりと、根を生やして虎とつながるのだろう。
虎によって語られる彼女のメッセージに、卒展会場で再会したいと思う。

 


執筆:大谷郁(東京藝術大学美術学部特任助手)
編集:藤田まり(アート・コミュニケータ「とびラー」)

 


第66回東京藝術大学 卒業・修了作品展
2018年1月28日(日)- 2月3日(土) ※会期中無休
9:30 – 17:30(入場は 17:00 まで)/ 最終日 9:30 – 12:30(入場は 12:00 まで)
会場:東京都美術館/東京藝術大学美術館/大学構内各所


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「文字から広がる自分の表現世界」 藝大生インタビュー2017|グローバルアートプラクティス専攻 修士2年・露木春那さん

2018.01.20

グローバルアートプラクティス専攻(以下GAP)は2016年4月に新設された修士課程です。海外の美術系大学との連携のもと、現地の学生と共同で行うプログラムや、木工芸や漆、染色、木版画、ガラス、パフォーマ ンスなどの様々な分野・技術を横断的に学ぶことができるカリキュラムが組まれています。また、学生の約半数が留学生で構成されており、このグローバルな藝大の新たな環境で学ぶ学生さんの、作品に対する表現 のアプローチを伺いたく、12月中旬の小春日和の中、GAPの拠点がある茨城県取手市のキャンパスに向かいました。

インタビューは、修了作品が展示されているキャンパス内の大学美術館ではじまりました。


こちらは大学美術館。校舎からは少し離れた場所にあり、取手キャンパスの広さを感じます。

今回お話を伺った露木春那さん。穏やかな雰囲気の中にも美術への熱い思いが詰まっています。

 

まず目についたのは、白い壁一面に貼られたテキスト。そして、その壁の両脇には、テキ ストから小さくく り抜かれたアルファベットのAからZの文字が、碁盤の目状の台紙に貼られ、展示されています。 とても静かだけれど、どこか賑やかな感じのする不思議な空間という印象を受けました。

【作品のきっかけは1冊のノートブック】
「ある日、文具店でA~Zのインデックスがついたノートを手にした時、直感的にAのページにAという文字を、BのページにBの文字をCのページにCをというふうにぎっしり並べてみたら、絶対楽しい!と思ったのです」 露木さんのこの突発的な好奇心が今回の作品に繋がります。この発想こそ、あとで伺うことになる露木さんの文字への強くて大きな思いが生み出た賜物なのです。

 

【敢えて文字をバラバラにする、という試み】
この作品は、3つのパートで構成されています。
1.色々な書籍からアルファベットの文字をくり抜いたもの
2.くり抜いたアルファベットをノートブックのマス目一つ一つに糊付けしたもの
3.アルファベットが元々あった場所であるチラシや書籍のページ

左から1・2・3の順。2はまだ制作途中とのこと。卒業・修了作品展でも展示されるそうなので、その時にはまた違った表情が見られるかも知れません。

 

今回の修了作品では『A-Z』というタイトルのもと、「文字を集める」ことに取り組んだそうです。露木さんは自分の身の回りにあった書籍やチラシの中から、アルファベットをくり抜き、それをAからZまで分類した後、このノートブックに貼っていくことを試みています。計96枚の紙でできたノートブックは、AからZまで、アルファベットごとに異なった形状の紙になっていて、それぞれの紙は長方形から角の取れた台形(インデックス部分)が飛び出した、そんな形状をしています。そしてその一枚一枚には薄い青色の5mmの方眼が刷られいるので、方眼一マスにアルファベット一つを貼り付けていくというルールを決めたそうです。では露木さんが実際にどんな作業をしたかを説明すると、例えばaを集めたい場合には、まずテキストからaを見つけるたびに丸錐でくり抜いていきます。ここで得られるaが印刷された細かな紙片をa専用のケースへ収納します。そして最後に、ニードル、筆、でんぷん糊を使い、aフレークをAのページに貼り付けていく作業をします。

 

【文字への興味のきっかけ ―河原温の衝撃】
同じ文字の羅列を眺めていると、文字たちには様々なフォントや大きさがあり、まるで何かの模様のように感じられ、今にも動き出しそうな感覚すら覚えてきます。
「アルファベットをくり抜く作業をするとき、例えばアルファベットの『a』がほしいときって、テキストを読みながらも、目では『a』ばかりを追っています。普段のテキストとの向き合い方とは全然違うおかしなことをしていました(笑)。」 作品制作は、アルファベットをくり抜き、それを1つずつ貼り付けるという緻密な作業になるにも関わらず、(1枚の台紙に貼り上げて完成させるまでに3時間もかかるとのこと)その時のお話をされる露木さんの表情はとても生き生きとしていて、文字への関心の高さを窺い知ることができます。これほどまでに文字への思いが強い露木さん。文字に興味を持ったきっかけを伺いました。
「書を学ぶこと自体は6歳からずっと今まで続けてきましたが、書の世界から現在いる美術の世界に転換した、ということではなく、子どものころからずっと美術をやりたいなという気持ちがありました。美術の世界で、自分が考え、表現できることって一体何だろうと探していた中学3年生のときに、河原温の『ONE THING, 1965, VIET-NAM』という作品を美術館で見る機会がありました。その作品はONE THING、1965、 VIET-NAMという3つのメッセージが書かれた3つのキャンバスで構成されていました。すぐにそれはベトナム戦争のことを指しているとわかったのですが、作品の「VIET-NAM」の文字を見つめながら、そこには「私の考えるベトナム」だけではなく、「他の人が考えるベトナム」「世界中の一人一人が考えるベトナム」が詰まっているのだということを想像しました。文字がこんなにも不思議な想像の広がりと空間を作れてしまうということに、とても大きな衝撃を受けたのです。」

河原温の作品に感銘を受けた露木さんは、「文字のもつ力について知るために、書を熱心に学んでみよう」 と、この先も文字の勉強を続けていこうと決心します。高校時代まで習字は続けていたものの、河原温の作品を観た時に感じたキャンバスの前での感動と、書が結びつかないと思うこともあったそうです。しかしそこで露木さんは書を学ぶことを辞めてしまわずに、「書が生まれた国、中国で学ぶべきかもしれない」という、前向きな強い思いによって、高校卒業後は中国に渡り書を4年間学ぶことになります。

 

【古典文字を丁寧に学ぶ―歴史の延長線の自分を意識して】
中国での大学時代において、露木さんはどのように書道と向き合っていたのか。 当時制作していた作品を見せていただくため、校舎にある露木さんのアトリエへと場所を移します。
アトリエは一歩入ると、クリーム色のカーテンに西日が当たり、柔らかな明るさに包まれていました。 ここは、露木さんの他、何人かの学 生さんも共同で使用していますが、特に大きな仕切りはなく、ゆるやかな境界線を感じながら、露木さんの制作場所にお邪魔しました。

校舎内のアトリエ。天井と壁の白さ、そして柔らかい光が開放感を感じさせます。

 

中国の大学では、甲骨文字から始まり明・清の時代を経て近現代と言われるような時代まで文字の歴史を順に追いながら、先人たちの文字を、何度も何度も模写する日々が続きま した。
「昔のものから学んでいくという要素が大きいので、作品を発表する際も、この人はあの石碑 を勉強しているな、とか、あの時代の書を勉強しているな、というのがわかるくらいでな いと評価されないのです。全くのオリジナルや、いかにも個性の爆発といったものは評価の対象になりません。古典をいかに勉強してきているかが、きちんと見えてこないと評価にならないことを中国の書を通して学びました。」
露木さんは、現代美術においても、中国で学んだことと同じようなことが言えるのではないか、と考えています。
「今生きている自分がなんとなく思いついたことをパッと表現することもできるけれど、美術の歴史を追って、その延長線上にいる今の自分の存在が見えてきたら、それも面白いというか、きっとそうあるべきなのかなって思います」


中国の大学で書を学んでいたころの作品を見せていただきました。
篆書(てんしょ)。漢の時代に反逆が起きた後、分裂をした際にできた新という時代の皇帝が定めた文字が好きで、その雰囲気で書いたものだそうです。これはその時代の青銅器から文字を取り、自分が書きたい詩の文字と照らしあわせてデザインしたもの。

 

【大学卒業後―いろいろな文字を模写して見えてきたもの】
大学卒業後、日本に戻ってきてから藝大のGAPに入学するまでの期間、露木さんは様々な文字を様々な方法で模写することを続けます。
「私は自分が書く 文字だけに興味があるわけではなく、世の中に溢れている文字にもすごく興味があります。中国にいる4年間は、自分の文字というよりは、ただひたすら古代の石碑を模写する行為ばかりしていたので、書道の名品と言われるものでなくても、模写したら面白いのではないかと考えるようになりました。」
そこで露木さんが注目したのが、「注意書き」です。「注意書き」は、見る人に注意や安全を促すため、という純粋な目的を持っています、言葉や書き方も装飾的だったり、文学的にしようとしていない部分に、テキストとしての 純度の高さがあると露木さんは言います。 また、場所や状況が変わると、意味も変わってしまう点にも不思議さを感じているそうです。この感覚は、「書くことや模写することは、ここにある言葉や、文字をまた別の場所に 持っていくチャンスを与えることになる」と考える、長年文字を書くことを続けてきた露木さんだからこそ、見えてくるものだと思いました。実際、こういった考えは、修了作品にも反映さ れていることが感じとれます。


大学卒業後、GAPに入るまでの間に制作していた「注意書きを模写するシリーズ」の一部。段ボールにあっ た【たまご注意】の文字をプラバンにトレースして焼いたもの。段ボールにあった文字が、他の場所へ移動すると、【たまご注意】の意味が違うものになってしまう不思議さがあります。

 

【表現したいという気持ち】
子どもの頃に体験した作家や作品との出会いによって、現在も、自分自身が温めてきた夢の具現化に取り組む露木さん。河原温の他に、小学校の修学旅行で訪れた現代美術の展覧会との出会いも、後に露木さんがGAPに入りたいと考えるきっかけをもたらしてくれたそうです。
「小学校4年生くらいから美術が好きだったのですが、当時は鑑賞することを素直に楽しんでいました。しかし、小学 校6年生のとき修学旅行で訪れた東京で現代美術の作品に出会った時、あらゆる手法で「アイデア」を表現する作品群に驚いたのです。そのことに気づいてから、私も「表現する人」になっていいのかも知れないと 思い始めたのです。」
美術をやりたい!という思いは、中国に行くときも、露木さんの根っこの部分では変わりませんでした。今後、美術をやるための糧とするために私は中国で書道の勉強をする!と。だから中国から戻ってきた時、次に進学するところは藝大だと真っ先に考えたそうです。

 

【GAPの魅力】
「GAPには、私のように藝大や美大でデッサンなどの基礎的な美術教育を受けていない人もいます。いろいろな国から学生が集まっているからグローバルなのではなく、そういった個人の経験値の違いやユニークさを受け入れてくれているところがグローバルなのかなと、GAPに入る前から感じています」
GAPの魅力について、さらに露木さんはこう続けてくれました。
「私のような美術の専門教育を受けてきていない人に対しても、先生方や助手の方、そし て同級生もリスペ クトしてくれる。決して美術の知識が不足しているからダメ、とかではなく、私のセオリーでやってきたということを周りのみんなは尊重してくれます。お互いのバックグラウンドやそれぞれの選択をリスペクトしているのがGAPの良さであって、私はとても居心地の良い環境だと思っています」

 

【言い換えの場面】
様々なバックグラウンドを持った仲間との触れ合いや、今まで自分が関わってこなかった分野を知ることができるGAPのカリキュラムを通して、露木さんの作品の向き合い方にはどのような変化があったのでしょうか。
「最近、自分の中で大切にしたいと思っているキーワードがあって。それは〈言い換える〉ということです。日本語から英語に翻訳することも〈言い換える〉と言えるのですが、藝大で学ぶ中で特に感じるのは、同級生が作品をこういう思いで作っているということを聞いたとき、私も同じことを思っていたと共感する時です。方向性や表現したいことは自分と同じだけれど、それをその人の言い方でアウトプットしている。多様性のあるGAPの環境では、そういった〈言い換え〉の場面を多く目撃することができるのです」


自分の考えていることは、誰かの〈言い換え〉によって、より強く実感するものだと露木さんは言います。
「GAPの授業には、木工芸や染色など伝統的な日本文化を学ぶ授業があるのですが、そこで出会う言葉や表現、つまり自分が普段考えることが〈言い換えられている〉場面を目撃すると、自分の世界も広がるし、自分の考えていることもどんどん強くなっていく感じがします。なので、これから更に色々な人たちの〈言い換え〉の場面に出会いたいという気持ちがあります」

 

* * *

今回のインタビューを通して、露木さんから、文字を通して人に「伝えたい」という強い思いが人一倍溢れて出てくるのを感じました。「書くという動作では、やはり自分の手を字際に動かして体験してみたい。文字のためにちょっと苦労したいし、肉体の感覚が欲しいと思う部分はあります」と自己分析する露木さん。書なら墨を磨るところから書くところまで丁寧に行うのは、その字を見る他者がどんなふうに受け取る かを想像するからだと思います、とも話されていたのが印象的でした。
今日では、キーボードを叩いて電 子メールで簡単にメールを送ることや、インターネットでも世界の紛争のニュースと芸能人のスキャンダルが同じ画面で、同じフォントで書かれているのを読むことが当たり前のことになっていますが、露木さんは、そういうことも決して批判や悲観をせず、むしろそれも文字の軽やかさと受け止め、前向きに捉えています。 文字の歴史に丁寧に向き合いながらも、現代を取り巻く文字文化にも軽やかに捉える。それは、露木さんの今まで学んできた文字の世界が、様々な人たちやGAPでの出会いによって広がり、柔軟性を生み出したものなのだと思います。露木さんの作品は卒業・修了作品展で展示されます。その時に、また改めて進化した作品に会いに行こうと思いました。

 


執筆:阿部 忍(アート・コミュニケーター「とびラー」)
とびらプロジェクトに参加して2年目のとびラー。とびらプロジェクトを通して、なかなか美術館に行けないような人たちでも、もっと気軽に行けて、楽しめるような場としての美術館の出来事をみんなと一緒に作りたいと思ってい ます。

 

 


第66回東京藝術大学 卒業・修了作品展
2018年1月28日(日)- 2月3日(土) ※会期中無休
9:30 – 17:30(入場は 17:00 まで)/ 最終日 9:30 – 12:30(入場は 12:00 まで)
会場:東京都美術館/東京藝術大学美術館/大学構内各所


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「一人立つ自分」 藝大生インタビュー2017|日本画 学部4年・佐藤佑さん

2018.01.20

11月も終わろうとしているある日の午後。

私たちは、日本画科の4年生・佐藤佑さんのお話を伺いに上野キャンパスを訪れました。

今日は、残念なことに日本画科のアトリエは休室日。

待ち合わせ場所に立っていた佐藤さんの手には、大きなスケッチブック、絵皿や絵筆の入ったバケツ、そして背中には大きなリュック。

私たちのために、アトリエからわざわざ普段使っている画材を持ってきてくれたのです。

「あまり話すのは得意ではないので・・・」とはにかみながら口を開いた佐藤さん。

別室で、持ってきてくれた品々を机の上に並べていきます。

普段滅多に目にすることのない岩絵の具に、私たちは歓声を上げました。

それは「絵の具」と言われて想像するようなチューブ入りのものではなく、透明な袋の中にまるでお菓子の材料のように、色とりどりの粉や粒がサラサラと入っています。

天然素材のものもあれば、人工物もあるそう。

その一つひとつをついつい物珍しげに眺めてしまう私たちに、佐藤さんは丁寧に説明してくれました。

 

「僕の場合は、この岩絵の具を摺(す)って、粒子を整えてから着色に使っています。」

 

そう言って、普段岩絵の具を摺るのに使っている道具を見せてくれました。

「摺るときは、すごい音がしちゃうんですけど」と笑いながら。

 

―初めて聞きました。それって、他の人はあまりやらないことなのでしょうか?

 

「そうですね。みんながやるわけではないです。もちろん、摺らずにそのままでも使うことはできるのですが、岩絵の具は、単純に言うと『砂』のようなものなので、支持体である紙に対しての定着があまりよくありません。日本画の場合、絵の具を厚く塗り重ねていった後で、画面が割れてしまうこともあるんです。コンクリートのように、いろんな大きさの粒子を混ぜることによって定着がよくなり、画面が割れにくく強くなるんです。なので、それを気にかけながら制作を重ねていった結果、こういった絵の具の扱い方をするようになりました。」

 

―割れてしまうこともあるなんて驚きました。割れるのを予防する、保存性を高めるために佐藤さんならではの工夫をされているんですね。

 

「日本画は使う画材が限られているので、その中でいかに自分の画を作っていくか考えなくてはいけません。『何を描くか』『どんな色を使うか』といった絵作り的な部分だけでなく、『どうやったら割れないか』『どうやったら剥がれないか』ということも意識しながら描いています。何百年も経った後でも保存していけるようにするためにはどうしたらいいかを考えるうちに、使う画材やその扱い方にもこだわったり自分なりの工夫をしたりするようになりました。」

 

―今この時の完成のためだけではなく、ずっと先まで作品を残すことまで意識されているんですね。

 

「また、摺って粒子を調整しているのは、強い画面を作るという目的以外にも、混色のための工夫でもあります。日本画の岩絵の具は、粒子なので水彩絵の具と同じようには混色できません。それでもどうにか混ざらないものかと研究した末に行き着きました。実際に水彩絵の具のような混色が起きるわけではないのですが、粒子を細かくすることで視覚的に混色されたように見えるようになります。岩絵の具は、粒子を細かくするほど白味がかっていく性質を持っていて、単純に細かくすれば混色しやすくなるというわけではないので、やはり扱いの難しいところです。」

 

日本画ならではの画材に真摯に向き合い続けて得られた、佐藤さんの熱いこだわりを伺うことができました。

 

「本当はアトリエで実物をお見せできればよかったのですが・・・」と、普段制作しているアトリエの写真を見せてくれました。

写真中央に写っているのはとても大きな絵。

これが佐藤さんの卒業制作の作品です。

―大きな絵ですね。どれくらいの大きさなのですか?

 

「だいたい2畳くらいの大きさだと思います。アトリエでは6人の学生が同じサイズの絵を制作しています。」

 

―完成度はどれくらいなのでしょうか?

 

「これは、まだまだ途中です。今はまだ絵の具を塗り重ねてマチエールを作って、画面を盛り上げている段階になります。」

―全体的に色味はグレートーンに見えますが・・・、これは博物館の中でしょうか?

 

「はい。博物館の中で展示されていたものをいくつか選択し、自分で再構成した風景になります。」

 

博物館という題材と、先ほど伺った、佐藤さんの絵画の保存の面まで思いを凝らした考え方には、親和性があるように思えました。

 

「単に博物館の中を切り取った風景ではなく、学部での最後の制作になるので、これまで積み重ねてきた技術はもちろん、自分の気持ちも表現するものにしたいと思いました。」

 

―その「気持ち」とは、どういったものなのでしょうか?

 

「僕は岩手県の出身で、東京は遠い憧れの土地でもありました。大学に入学して東京で暮らすようになり、大きな博物館を訪れると、人が本当にたくさんいて。その大勢の人の中で、ふいに一人きりで立っている自分自身を意識したことがありました。その時感じた、上京したばかりの自分の孤独や、不安定さ。靴音が響いてしまいそうな静かな博物館の空間に漂う緊張感。これからの生活への不安もありながら、同時に憧れた東京という土地で一人がんばっていくことへの意志や希望もないまぜになったあの時の想いを表せたらと思っています。」

 

そういって視線を落とした画面の中には、博物館の中で出会うことができるたくさんのモチーフが並んでいます。

「画面手前は古来からあるもの。対して、画面中盤や奥には、展示ケースや博物館に来た人たちの人影など、現代的なものを配置しています。その対比のある画面の中に、自分自身を投影した像も置きたいと考えています。」

 

下絵の描かれたスケッチブックには数点の図案があります。佐藤さんの言葉を聞いて、どの図案にも描かれている四本足の生き物に目が行きました。

 

―自身を投影した像とは、この生き物でしょうか?

 

「まだ悩んでいるんですけど」と少し言いよどみながら、佐藤さんはうなずきました。

しいて言えば羊に似た生き物。どこかの国の、どこかの時代の伝説の生き物でしょうか。

 

―なぜ、ご自身を投影する像として、こちらのモチーフを選ばれたのでしょうか?

 

「少し迷ったのですが・・・。博物館でいろんなモチーフをスケッチしてきましたが、その中で一番立ち方や目線がまっすぐだと感じたからです。あの時感じていた自分の思いを重ねられるような、ぽつんと立っているだけではなく、強い意志を持っているようなそういう姿を描きたいです。とはいえ、自身を投影する先が、このモチーフだとまだ確信は得られていないのが正直なところです。」

 

まだ決めかねている、というその想いも私達に率直にお話してくれました。

 

「それは、きっと博物館の空間も自分自身も常に変化していくものだからだと思います。だからこそ、こうやって自分で再構成するときに悩ましいのかもしれません。」

 

―先ほど、技術の面でも4年間で積み重ねたものを表現したいとおっしゃっていましたね。

 

「例えば、今回の画では博物館の中ということで展示ケースがたくさん並んでいます。日本画で透明度を表現することは難しいため、ガラスという素材を描くことは複雑な表現になると思います。あえてそういった表現に取り組むことで、そこで絵画的な表情を出していきたいと考えています。」

 

異質なものが存在している博物館という空間。描かれたその空間の中で、ガラスをはさんで、またモチーフが映っている様子。実像と反射して映った虚像の両方を絵画の中でも存在させる。それは、佐藤さんにとって今回の作品での挑戦的な部分となっているそうです。

 

「画面の盛り上げは面相筆で行っています。」

見せてくれたその筆の細さに一同は驚きました。

 

―この大きな画面に対して、全てその面相筆一本で下地を作っているのですか?

 

「これでひとつひとつ岩絵の具を膠で溶いて画面にのせて盛り上げています。盛り上げたうえでさらに絵の具を重ねていくことで、画面が強くなる。最終的には見えなくなってしまう下地ではあるけれど、この作業があるからこそ画面が生きてくるんです。」

 

取り組んでいる作品の大きさと、その一本の筆の細さとを見比べて、気が遠くなる想いがしました。

 

「今は完成には遠い段階です。絵の具を重ねる中で、まだまだ変わっていくと思います。」

 

―ところで、佐藤さんは、なぜ日本画科を選択されたのですか?

「高三の夏に、初めて日本画にふれる機会がありました。それまでは高校で習っていた絵画は油画で、日本画にはあまり馴染みがありませんでした。東京に来た時に、藝大のミュージアムショップで画集を眺めていて、その時思わず手に取った本が、日本画科の教授である方の画集でした。衝撃を受けましたね。こういう絵画があるのかと。当時は受験期だったこともあり、写実的でリアルな絵画を追及していましたが、それを超えた先に絵画というものがあるのだと初めて感じた瞬間でした。先生の画に心を打たれて、大学で日本画を学ぼうと心に決めました。」

―入学されてから、実際の作品をご覧になりましたか?

「嬉しいことに何度も見る機会を得られました。画集を見て受けた衝撃より、本物を見たときの衝撃のほうが大きかったです。感動しました。例えば、日本画の「盛り上げ」の技法の部分だけをとっても、粒子を重ねて画面を盛り上げて、その後画面を洗って、また重ねて・・・。途方もない時間がかかっているのが見てわかります。自分でも同じ画材を手に取るようになって、作品自体の素晴らしさだけでなく細かな制作過程まで想像できるようになって、ますます先生のことを尊敬するようになりました。」

 

―志していた日本画科に入学されてからの生活はいかがでしたか?

 

「今まで受験時代までやってきたこととは全く異なる、ゼロからの学びになりました。

画材、色味、すべてが今までと違って。これまでの描き方を全てリセットしなくてはと思いました。」

 

―新しい学びの連続だったんですね。

 

「藝大の日本画科では、生徒それぞれのやり方を尊重してくださる風潮があり、いい意味であまり指導はされません。僕はこの点をとてもいいところだと思っています。先生方には、日本画の伝統的な技法を守りながら、新しいものを常に追求していく姿勢があります。世間的には、日本画は伝統的なもの、不変であろうとしているもののように思われているかもしれません。しかし、藝大の日本画科は伝統的な画材を用いつつも常に新しい絵画を作ろうと試みています。」

 

―佐藤さんにとって、日本画の魅力は?

 

「一言では言えませんが、例えば、日本画の質感に魅力を感じます。光沢のなさがそうさせるのか、すごく自然に目に入ってくる。日本画の岩絵の具だけがもたらす、特別な質感だと思っています。」

 

佐藤さんのこれまでの作品の写真も見せていただきました。

一同その美しさに歓声。

 

「これらも全て面相筆で盛り上げていってから作り上げたものです。描いてはいても強く主張しないようなモチーフの配置には今までも気を配っていました。」

 

モチーフをあえて埋没させたような、視覚的でない表現。鑑賞者にとってそれらは、見れば見るほど浮かび上がってくるようです。

 

「いつも描いていく中で、失敗が成功に繋がっていくような・・・モチーフの存在感を強めすぎず、弱めすぎず、自分なりに調整していく中で偶然的にできあがったものとも言えます。」

 

―作品を制作されていて、完成だと思うのはどんな時なのでしょうか?

 

「完成のイメージは事前に持ってはいるのですが、いつだってそう順調にはいかず・・・。しかし、ある日突然完成の瞬間が訪れる、という感じですね。

日本画というものの難しさがそうさせている部分もあるのかもしれません。

というのも、日本画は絵の具が乾いて定着したものと、濡れている段階では見え方が全然違います。気温や湿度によって、同じように描いたとしても、見え方が変わるんです。チューブから出てくる絵の具とは違って、常に同じ色を出すことはできなくて、どの色も偶然でできたもの。そんな偶然の中で思いがけずいい発色になることもあれば、その逆もある。

なので、描いている途中段階は、先の見えなさを感じてつらくなることもあります。

しかし、そんな中でも自然と手が進むときは楽しい。完成が見えてくると、気持ちも高まってきて。今まで積み重ねてきた作業が、後になって、いきてきたのがわかってくるんです。」

 

―そういったつらさや悩ましさの中で、最初にお話してくださったような佐藤さんならではの画材の扱い方や描き方を模索されてきたのですね。

 

「これまでの制作でも、今回の制作でも、自分にとって実験めいた表現をしていっています。そのせいもあって、様々な美術作品を見る中で技法に注目することが多いです。日本画以外の技法や表現も取り入れていきたいと思いながらみています。周りからは、時には『変なことやってるな』と思われているかもしれません。それでも自分の表現の中に生きてくると信じています。」

―美術以外のもので、息抜きであったり、もしくは制作への刺激となっているものはありますか?

 

「美術館だけでなく、動物園や博物館にもよく足を運びます。鑑賞するのが好きというのもありますが、ミュージアムという空間に身を置くこと自体が好きなんだと思います。

ミュージアムの片隅に置かれている椅子に腰掛けて、全体の空間を俯瞰して見るのが好きです。ちょっと下がった目線で空間を眺めるような。」

 

なるほど、今回の卒業制作の作品もご自身が博物館の中に身を置き、目にしたものが再構成されているもの。空間の構成やものの見方を変えるような試みを作品の中でしているかのようです。

 

―お話を伺ってきた中で、日本画に取り組む上でたくさんの「悩ましさ」を感じていらっしゃるように思います。そんな中で佐藤さんが日本画を描き続けるモチベーションは?

 

「確かに、過程は楽しいと思えることばかりではありません。描き終わって、完成してからようやく楽しかったと思えるものかもしれません。完成した作品を、何年後かに見たらきっと改めてよかったと安心できるのだろうなと思っています。ふりかえる、というよりも当時しっかりやっていたかを確認する作業のようになってしまいそうです。

入学当初の作品を今振り返ると、失敗を恐れていなかった分だけ表現の幅は広かったように思えて、過去の自分の作品からも学ぶことがしばしばです。」

作品と一緒に展示する自画像も「博物館という空間の中にいる自分」を描いたそうです。

ガラスケースを覗いているようなまなざしでこちらを見ている像を。

 

「作品のタイトルもまだ決まっていないんです。これまでの制作でも、いつもとにかく描くことに集中して、描きながら考えるような感じです。最後にどこを見せたかったかを考えてタイトルを決めています。」

 

見せていただいたこれまでの佐藤さんの作品たちは、いつもシンプルな中に余韻を持たせるようなタイトルがつけられています。

 

また後日、卒展の場で完成した作品を見せていただくことを約束して、私たちはその日お別れしました。

 

日本画への情熱、誇り、敬意。

新たな技法や表現への飽くことのない探究心。

佐藤さんの常に謙虚さを失わない静かな語り口調の中に、そういったものが確かに感じられました。

 

「そんな中でも進んでこられたのは、どこかに自信があったから。」

途中、シンプルな言葉でしたが、常に謙虚な語り口調の佐藤さんからその言葉が聞けたのは少し意外でした。

できるはず、描けるはずという自信があったからこそ、心細さの中でも制作を続けてこれたのでしょう。

 

東京の大勢いる人々の中で、ひとり立っている自分。

私自身も、そんな自分をふいに意識する瞬間があります。

慣れない土地で見知らぬ人々の中でたった一人で生きている自分は、孤独で心もとない存在のようでもあり、同時に「一人でも生きていける自分」として、強い存在でもあるような気がして。

佐藤さんも、上京した若者の一人として、私と同じような気持ちを感じたのでしょうか。

後日、アトリエにて。

細い面相筆一本で大きな画面に絵の具を重ねていく佐藤さんの姿がありました。

 

まだまだ途中段階だと語られるこの作品は、これからどんな色を帯びて、どんなタイトルがつけられるのでしょうか。

「自身を絵の中に投影したい」そう語られていたこの像は、完成を迎えた時どんなまなざしでこちらをみているのでしょうか。

 


 

取材:ア—ト・コミュニケータ「とびラー」

執筆:服部美香

とびラーになりアートやコミュニティデザインといった、これまで触れたことのなかった世界やそれに関わる人々と出会うことができました。

今年任期を終えた後は、これまで得た刺激を忘れずに、故郷でものづくりを行う人とそれを鑑賞する人を繫げられるような場づくりをしていきたいです。

インタビュー:服部美香、柳田路子、有泉由佳子、白土寧士

撮影・校正:峰岸優香(とびらプロジェクト アシスタント)


第66回東京藝術大学 卒業・修了作品展
2018年1月28日(日)- 2月3日(土) ※会期中無休
9:30 – 17:30(入場は 17:00 まで)/ 最終日 9:30 – 12:30(入場は 12:00 まで)
会場:東京都美術館/東京藝術大学美術館/大学構内各所


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