とびラーが3年の任期を終えることを、「新しい扉を開く」意味を込めて、「開扉(カイピ)」と呼んでいます。
開扉したとびラーたちに、3年間のとびらプロジェクトでの活動によって得られた価値や本プロジェクトの魅力、今後の展望等を語ってもらいました。
大切なのは見る時間を
共に楽しむこと
秋本 圭美さん
大切なのは見る時間を
共に楽しむこと
秋本 圭美さん
建築を見る事で広がったモノの見方
私は「建築」をベースに3年間活動してきました。次第に建築を見る視点も変化し建築史まで気になりはじめ、絵の中に描かれている建物からその時代の文化を想像したりと、建築を超えて色々なものに繋がっていきました。
「建築ツアー」を続けていく中での変化
ガイドも最初は緊張しかありませんでした。参加者から専門的な質問をされたら、という不安が大きかったのでしょう。トビカンを見て、感じて、楽しむツアーのはずが、説明の方が多くなりがちに。他館のツアーにも沢山参加し、そのうちに自分のツアーに活かせるヒントが見えてきました。できるだけわかりやすく、言葉選びも工夫していきました。 今でこそ「きれいでしょう!」とご案内できる夜のツアーも、初めは考えすぎてしまって。とびラーの仲間から、夜の美術館をお客さんに楽しんでもらって、一緒にその時間を大切にすればいいんだよ!と言われて、なるほどと。ここでの活動は、今後の自分にとって大きな経験になりました。
「1期生」「初めて」は
貴重な体験
石山 有子さん
「1期生」「初めて」は
貴重な体験
石山 有子さん
思っていた以上の動き
マグマのように、思っていた以上の動きがあって、そこに飲み込まれていたような感じです。まず6回の基礎講座でカルチャーショックを受けました。こういう事をしていくのか、と。土日の活動が多いのでなかなか参加できず「缶バッジプロジェクト」でも都合が合った時に参加していました。「建築ツアー」を参加者として体験してみて、これは良い経験だなと思い、世田谷美術館のボランティアの方を連れてくるという橋渡し的な役割を担ったりもしました。
とびラー任期満了後、これからどうしますか?
古巣の世田谷美術館に戻りますが沢山お土産を持って戻ります(笑)。全く離れてしまうのは寂しいから4年目以降どうやって関わっていくかを考えているところです。1・2年目とびラーに伝えたい事は、とびラボを立ち上げて引っ張って行くだけが仕事ではなく、どこまで協力して自分も仲間に入って行くかを考えるだけでも十分ではないかと思います。
色々なプロジェクトが
どんどん出てきた
海上 尚美さん
基礎講座(講師:西村佳哲)
色々なプロジェクトが
どんどん出てきた
海上 尚美さん
生徒と芸術をつなぐ
高校の教員をやっておりまして、授業や講習で、とびラーになる前から生徒を美術館などに連れて来ていました。とびラーになってからは、展示を見て、生徒がどのような活動をするかということをとりわけ意識するようになりました。
広がった活動と「きく力」のちから
活動で印象に残ったことは、とびラーには色々な人がいて、私も活動の範囲が広がったことです。様々なプロジェクトがどんどん出てくるのは刺激的でした。知らないことが多く、勉強になることばかりでした。基礎講座で講師の西村佳哲さんの「きく力をつける」の話は良かったです。自分をかえり見ることは辛かったですが、時々自分の活動を振り返る際のポイントが分かりました。
とびラー任期満了後は大学院へ
来年(2015 年) は大学院に行くつもりです。博物館・資料館の活用がどうできるのか、そのための教員研修をどのように行うのかを研究テーマにしたいです。
見えない人と絵を観ると
思いがけない発見が
大内 秋子さん
見えない人と絵を観ると
思いがけない発見が
大内 秋子さん
2人で見て初めてわかること
「障害のある方のための特別鑑賞会」などで、視覚障害の人と一緒に鑑賞すると、ひとりで見ていたら気がつかない色んなイメージが作品から立ち上がってきます。「今、見ている作品は…」と話し始めると、私の眼は節穴だったのか?と思うくらい色々なものが見えて来て、面白いから次々言葉に置き換えていくと、見えない人が相づちを打ったり「それで?」と話の展開を促してくれるので、鑑賞が進んでいく。大きさや形は物の形容で説明できるが、色や質感、臭いや手触りや音などをあれこれ話し合い、見えない人が自分なりのイメージを膨らませ、脳裏に作品が完成して感想を言ってくれる。思いがけない深い内容に感動したことが何度もあります。そうした体験を通して、「美術館ってそういう所だったのか」って、初めて知ったことも多く、すごく良い経験でした。また何かの形でお手伝いしたいです。誰かを連れてきて対話するのも良いですね。
やっぱり皆さんとの対話ですよ、
それっきゃない
大坂 靖さん
やっぱり
皆さんとの対話ですよ、
それっきゃない
大坂 靖さん
マイペースでいい
全く知らない方ばかりの中で、自分の位置が確認できなかったので最初はとまどいましたが、マイペースでいこうと覚悟を決めたら気楽になりました。また都美のかくれた部分が見えて楽しかったです。自分の経験のない世界の人とお話できたのが一番の収穫でした。学生さんと接触することはなかったので良い刺激にもなりました。
とびラーになる前と後でご自身に変化した事はありますか?
美術や書などとは無縁な人間で興味もなかったのですが、少しずつ関連の本を読んだリする気になり、知識を得られました。あとはやっぱり皆さんとの、きたんのない楽しい会話ですよ。後にも先にもそれっきゃない。
3 年で任期満了となりますね。お気持ちは?
プログラム単位で今後も関われる余地が残されているといいなと思う。また、これから任期満了したとびラーでNPOみたいな組織をつくって、都美に関われたら皆さんももっと楽しくなるでしょう。
やりがいを感じていたのは
人間ならではの交流
大谷 美耶子さん
やりがいを感じていたのは
人間ならではの交流
大谷 美耶子さん
来館者の方達との交流
基本的には来館者と関われるもの、来館者が喜んでくれるものを選んで参加していました。“障害のある方のための特別鑑賞会”でやりがいを感じていた事は、来館者の方達との交流ですね。顔馴染みの方もできて、声をかけてくださる方や、あのとびラーさんはいるかしら?と思って来てくださる方もいます。
「Museum Start あいうえの」のプログラムに参加してどうでしたか?
子供の頃から美術館になじむのは大事だと思ったし、子供と関わるのは楽しかったです。私も「ビビハドトカダブック」配布日に孫を連れて行き、バッジを集めるために上野公園の施設を全部まわりました。それ以降、孫が「上野に行こう、行こう」と言うようになりました。
1・2 年目とびラーに伝えたい事は?
やめるのは簡単だけど、続けて良かったと思います。自分の思っていたものと違っても、やっているうちに道を見いだせる部分もあるし、区切りまでいるのも大事だと思います。
ライぶらりは大変だったけど
皆の熱量が凄かったので楽しかった
大原 彩子さん
ライぶらり(エル・グレコ展編)
ライぶらりは
大変だったけど
皆の熱量が凄かったので
楽しかった
大原 彩子さん
3年間で印象的だった事はなんですか?
私は「ライぶらり」に携わった事です。都美の人々にインタビューをした際に、情報室にもっと人が来てほしいという話を聞いて、冊子作りの話が立ち上がりました。本を読んで記事を書いてレイアウトするまでを1日でやった時は大変だったけど、皆の熱量が凄かったので、楽しかったし達成感もありました。
とびラーになる前と後でご自身に変化した事はありますか?
初対面で「この人苦手かも?」と思う事が少なくなった気がします。学校や職場では出会えないような人ばかりだったので、本当にいろんな人がいるのだなと感じたし、ちょっとやそっとのことでは驚かなくなったと思います。私は、環境の変化で2年目3 年目はあまり来られなかったのですが、人生の先輩である方々がこういう場所で生き生きと活動しているのを見て、私もいつか自分の時間ができた時に、また美術館に関われたらいいなと思いました。
人生が変わりました!
大政 愛さん
人生が変わりました!
大政 愛さん
アートとの関わり方が変わった
3 年で人生が変わりました。自分とアートとの関わり方も大きく変わりました。これまでは作家としての関わりが強かったのですが、今は作家という立ち位置ではなく、つなぎ手という部分が大きくなっています。私は作品を作って展示して人と会うところまでに興味があるのだということに気づいたのです。
「とびらプロジェクト」では作品ができた後の物語を作っていく部分をいろいろな形で知ることができました。
美術館の外にもつなげていきたい
今は、美術館の中で学んだことや得たことを美術館の中だけで終わらせるのではなくて、各々のコミュニティや場所と場所の間に戻していけたらいいと思っています。本当に些細なことですがアートに興味のない高校のときの友人と一緒に美術館へ行ってミニ対話型鑑賞をするとか、そういう感じでもつないでいけたらと思っています。
「自分はコスプレ好き」
遊び心で、初めて気付く
小笠原 啓一さん
「自分はコスプレ好き」
遊び心で、初めて気付く
小笠原 啓一さん
とびラーになる前となった後で、ご自身に変化した事はありますか?
怒りやすくなった様に思います(笑)。「なんでこの企画が通らないんだろう」と、飲み会のたびに怒っている気がします(笑)。それと、都美がどうあるべきなのかを深く考えるようになりました。
3年間で印象的だったことはなんですか?
「自分がコスプレ好き」ということを初めて知りました。「とびらボードでGO !」でも他の企画でも、かぶりものを作るとびラーがいて、自分は強制的にかぶらされていたので、最初は戸惑ったのですが、そのうち楽しくなっていきました。初年度はクリスマスプレゼントで、他のとびラーからトナカイのかぶりものをもらいました。外見が違うことで、それまで未熟だったコミュニケーションがどんどん弾むようになっていきました。難しく考えず、ちょっとした遊び心を持てば、自分もその場も、とても楽しくなるのだと感じました。
やるなら気を入れて
関わった方が楽しい
小野寺 伸二さん
やるなら気を入れて
関わった方が楽しい
小野寺 伸二さん
自分達の企画を実現する
僕は元々都美のボランティアだったから、とびラーが何かもわからずに入りました。以前と違いがあるとすれば、自分達の企画ができるという所が新しいから、そこが機能しなければ意味がないと思って自分で企画しました。“あなたも真珠の耳飾りの少女プロジェクト”は何でもいいからお客さんに喜んでもらえる事をと思い考えた企画です。最初は絵を描いた小さい額に顔を出すだけで、とびラーも2~3人でやるつもりでした。そこから行列対策になり、楽団が出来たので加えたり、とびラーの時田さんがターバンを作ってきて、顔出しにするかターバンにするか迷ったあげく、多数決でターバンに決まって。1年目は「とびらプロジェクト」そのものも手作り感があり、とても面白かったですね。やるなら気を入れて関わった方が楽しいかなと思いました。とびラーが個性豊かな集団で、ふだん美術展を見ないなんて人までいて衝撃でした(笑)。
「他の地域や施設の
活性化にも繋げたい」
加瀬 武守さん
「他の地域や施設の
活性化にも繋げたい」
加瀬 武守さん
加瀬さんが特に力を入れた活動は?
「トビカンみどころマップ」の制作です。言いだしっぺ当初はどうなるかと思いましたが、集ったメンバーの協力で3バージョンも作ることができました。都美のラウンジに置いていただいたり、建築ツアーの参加者に配布したりしました。多くの方に建築物にも興味を持ってもらえれば嬉しいですね。
とびラーの活動について広く伝えたいことは?
文化活動に市民がもっと参加すべきだと思います。文化は暮らしや生活との結びつきも強く、私たちの視点や感覚が活かされる場面が多いと思います。美術館、郷土館、あるいは図書館など、地域には多くの文化施設があります。こうした地域の文化施設に、もっと地元の人が参加すれば、地域の活性化につながるのではないでしょうか。
とびラーの任期満了後は?
都美という、とても贅沢な環境の中で学ばせて頂きました。その経験を、他の地域や施設の活性化に役立てたいですね。
今日1日楽しめました、
という言葉が嬉しい
菅野 友己さん
今日1日楽しめました、
という言葉が嬉しい
菅野 友己さん
一緒に何かつくりあげていく、目標があることが楽しかったです
美術館は静かなイメージがありましたけど、いろんな捉え方ができるとわかったし、美術を観るだけじゃなくていろんな想いを表現できる場を与えられたと思いました。
観察する力
美術館で働いているのですが、仕事でも客観視できるようになりました。来館者はここに何を求めて来ているのかとか、この作品の何に興味を持っているのかとか、分析するようになりました。また、以前は人前でしゃべることも苦手だったのですが、美術館でたくさんの人と言葉を交わすようになって変わりました。
時間がかかっても、その過程にこそ意義がある
4月から大学で日本文化を教える機会を頂いたので、人と人が接するからこそ相手の心の痛みも喜びも身体を通して伝わるという事、そうした中で表現はつくられていくと伝えたいです。体感すること、それが私のテーマですね。
人の気持ちをもっと知りたいと
思うようになった
木島 由美子さん
人の気持ちを
もっと知りたいと
思うようになった
木島 由美子さん
とびラーになろうと思ったきっかけは?
小学生の頃、点字を打つ体験をしました。出来た点字を目の見えない方が読んでくださり「綺麗に書けているね」とおっしゃいました。盲目でも美しさを感じられることに私は驚き、そこから美術に興味を持ち、芸術関連の仕事に就きました。さらに活動の場を広げたいと思い、とびラーになりました。
3年間で印象的だった事は何ですか?
私事ですが、母の目が見えなくなりました。完全に見えない訳ではないのですが、好きだった美術館にも来たがらなくなりました。母の不安を取り除けるような工夫を自分なりに考えながら美術館へ連れて行きました。誰もが快適な美術館とは何か考えさせられました。
とびラーになる前と後でご自身に変化した事は?
私にはない感覚を持つ人と出会い、最初は戸惑いました。でも自分とは違う考え方に耳を傾けて、その人を理解できるようになることで世界が広がり、面白いと思うようになりました。
iPadの活用で
お客さまが広がるかも
空閑 圭子さん
iPadの活用で
お客さまが広がるかも
空閑 圭子さん
3年間で印象的だったことはなんですか?
1年目に初めて関わったプロジェクト「アクセシビリティ調査報告書」作成は、美術館を色々な視点から眺める良い経験ができて忘れ難いです。また、“障害のある方のための特別鑑賞会”でiPad を活用したのが印象的でした。iPad を使って、図録の文字や絵を大きくして、お客さまが画面の中で細かいところまで発見してくれて驚きました。小さな画面をお客さまと二人で共有したことで生まれる貴重な時間でした。
とびラーになる前となった後で、ご自身に変化した事はありますか?
アートに関心のある、いろいろな世代・職業・バックグラウンドのとびラーと話せるのが良かったです。家族の都合などがあり、月2 回ですら来られない時はとびラーを辞めようかと思ったこともありました。でも、都美に来ることでつながりができて、皆さんに励まされていると気付き、2年目終わりには、あと1年間、やっぱりとびラーを続けようと思いました。
こんなエネルギーのある
場がありえたんだ
久保田 有寿さん
東京都美術館 フォーラム「美術館 コミュニケーション・デザイン」
こんなエネルギーのある
場がありえたんだ
久保田 有寿さん
私たち、こんなコミュニティ作ってきてたんだ
2012 年11 月に開催された「美術館コミュニケーション・デザインフォーラム」 で、マネージャの伊藤さんや学芸員の稲庭さんが「とびらプロジェクト」をオープンに語っているのを聞いて、「私たち、こんなコミュニティを作ってきていたんだ」と、客観的に再認識したことを覚えています。その後の懇親会では「とびら楽団」の演奏でみんな笑顔で和気あいあいとしたその雰囲気がとても好きでした。
エネルギーのある場
とびラーのびっくりするようなエネルギーに可能性を感じました。美術史の研究という特定の場所にいた分、ひとりではできない、みんなでアートをクリエイティブに活用させていくという場が新鮮でした。
とびラー任期満了後は?
アート・コミュニケータは、職業というより、マインドとして持っていればいいと思います。美術館と地域をつなぐとか、学業にも活かせればいいと思います。
こんな強烈な美術館体験はない
黒田 幸代さん
こんな強烈な
美術館体験はない
黒田 幸代さん
とびらプロジェクトを作るのはとびラー
初年度は試行錯誤で、スムーズに行かない事もあったけれど「とびらプロジェクトを作るのはとびラーの皆さんです」ということだったので、その都度とびラーとスタッフが話し合って進めていきました。活動は経年ごとに深化しているように思います。
3年過ごしてどうでしたか?
スタッフの力がすごいなと思いました。おそらく、とびラーだけ集まって何かしようと思っても、ここまで出来たかどうか。とびラーとスタッフとの繋がりが、他にはない強みだと思います。何もない所から、成果物とプロセスを活かして、それをとびラー自身もちゃんと感じられる、そんな活動は、なかなかないと思います。
1・2年目とびラーへメッセージへ
社会的立場は色々ありますが、ここでは自分に素直に自由に活動して欲しいです。スタッフ、お客さまとの関係など、どういう役割を与えられているのか、関わり方を意識して活動していけば良いと思います。
「何かする」は、「参加する」
越川 さくらさん
「何かする」は、
「参加する」
越川 さくらさん
「やらない」よりは「やってみる」
とびラボを立ち上げるときには、「話し合う」とか「勉強し合う」とか、いっぱいあるけど、「何かする」ということは「参加する」ということで、なるべく「何かする」に近い形に持っていく努力が大事だろうと思っています。「話し合う」ということも勿論何かしているので「参加する」でいいんだけど、1個、何か形にしてみる。「何かする」に少しずつでもつなげていく。そういう努力はすべきだったな。
もう始めています
私の問題意識は「赤ちゃんを連れて美術館へ来られない!」でした。わざわざ電車に乗って上野まで来て、2時間どこかで遊ばせて、やっと寝かせてから美術館に入るのは、なんか違うと。もっと必要な人の為に、美術が近くにあって欲しいと思っています。本当に苦しい気持ちで子育てしている人が必要としているのは地域の中の居場所なので、卒業後は、そういう居場所をつくりたいなぁと思っています。
自分が外にだせるものがあると
人生は豊かになる
古保 説子さん
自分が外にだせるものが
あると人生は豊かになる
古保 説子さん
こどもたちの目を通して…
やっぱり、小さい子と一緒に展示室をまわれるっていうのは、奇跡的なことですよね。彼らの目を通して、もう一度展覧会が輝く経験を何回もしました。絵を見るのに、そんなにたくさんの経験がないから、雑念もなく、直感で好きだって選んだ絵にいくんでしょうね。ほんと新鮮でした。
「倣(なら)う」「学ぶ」ってことを続けたい
人生の残りの時間を考えたら、経験するだけじゃなくって、社会と繋がることって絶対必要なんでしょうね。もらうだけじゃなくて、もらったりあげたりすることができる環境ってすごいこと。大切なのは人の話をちゃんと聞ける人でいること。私の人生のステージだと、やっぱり、してもらって最後になっちゃうんだと思うんだけれど。そこでも、自分が外にだしていけるものが少しでもあった方が人生は豊かになるなって、今は思っています。
コミュニケーションは
対面でとりましょう!
佐藤 史さん
コミュニケーションは
対面でとりましょう!
佐藤 史さん
クリスマスイブの思い出
書の展覧会で「ライぶらり」の書のバージョンを作って欲しいってオファーがきた時はぎりぎりのスケジュールで、12 月24 日によくわかんない本に囲まれてどうしよっかーって。都美のホワイエでは、他のとびラボが楽しそうなワークショップをやっていたのに、私たちはプロジェクトルームに籠って書評を書いてました。
大変だったこと…楽しかったこと…
「情報部」っていうのを作って美術情報室にインタビューに行って、何かしたいねという話から「ライぶらり」の形に落ち着いたんです。編集長は持ち回りで。楽しかったことは形になること。6人で本を選んで1つずつ書評を書く楽しさもありました。書評にはそれぞれ個性が出るので。大変だったのは複数の学芸員さんのチェックが入ること。スタッフの近藤さん任せで直接学芸員さんと話さないまま進めて、やり直しになったこともあった。あれはコミュニケーション不足でした。
美術館が「心の拠り所」
に近くなった
塩見 真里奈さん
美術館が「心の拠り所」
に近くなった
塩見 真里奈さん
印象に残る出来事は
印象的だったのは、1 年目の夏に藝大の授業に参加したことです。「日比野克彦さんがワークショップをするのでとびラーも参加していいよ」というものでした。「ダンボールで理想の家を作ろう」という活動で、5〜6人の小学生とグループになって4 日間で「すべり台のある家」を作りました。最後の発表は保護者の方が来て大人も子供もその家の中に入って遊びました。滑り台は好評で、大人も滑りました。
活動を通して感じたこと
とびラーは人数が多いため色々な距離で関わることが出来ました。同じ企画でも中心で、又はサポートとして参加した時とで見えてくる問題点も変わり、勉強になりました。
とびラー3 年で変わったこと
美術館へ行くのが「趣味」ではなくなりました。今も気になる展示には行きたいけれど「趣味」というのでもない。心の拠り所に近くなったのかな、と思います。
「コミュニケータ」に重きがある
島津 晃子さん
「コミュニケータ」に
重きがある
島津 晃子さん
考えられないようなものを得てきた
プロのアナウンサーでとびラーの仲間に紙芝居の読み方を習ったのが、ものすごい財産。「プロってこういう風に準備して、こういう風に話す」ということがよくわかりました。『僕の名前はウィル』と言うだけでも、「どんな性格なのかをまず作る」とか台詞ひとつずつを解釈して紙芝居を準備しました。その仲間に「島津さん、うまくなりましたね」と褒めてもらえたのが嬉しかったです。
「アート・コミュニケータ」という言葉
自分は「アート」は何でもよくって「コミュニケータ」に重きがあるのかなとちょっと思うようになってきています。元々はスポーツ関係のボランティアをやっていて、半分は「アート」で半分が「スポーツ」です。ここの部分が「スポーツ」であろうと「地域のおじいちゃん」であろうとなんでもいい。ここはなににでも代われる。「コミュニケータ」の方が大きい文字なのだなと思っています。
1から作り上げる、
それがすばらしい
清水 みち子さん
ポンポンに挑戦!シロクマ大行進!
1から作り上げる、
それがすばらしい
清水 みち子さん
自分たちで作り上げていくボランタリーな活動
ボランタリーな活動というのは、お手伝い、頼まれてやるものというイメージでした。ところが、とびラーになってからは、「何をやってもいいですよ」と言われて、自分たちで何か作り上げなくてはならないんです。1年目の時のその意識の切り替えたことをよく覚えています。とびラーには、実行力のある人たちがいっぱいいて、自分に出来ることはここに来ることだけだなと思いました。いろんなプロジェクトについて、ミーティングに参加するというよりは開催当日に参加しました。1 年目の「ポンポンに挑戦!シロクマ大行進!」では、「粘土なんて久しぶりよ」なんて言って大人がみんな夢中になっているんですよ、こどもなんかそっちのけで。その様子が面白かったです。
とびラー任期満了後はどうしますか?
まだよく考えてはいないのですが、“障害のある方のための特別鑑賞会”を、引き続きお手伝いしたいと思っています。
何かを思いついた時に
言葉にすることが怖くなくなった
鈴木 直歩さん
とびらボードでGO!
何かを思いついた時に
言葉にすることが
怖くなくなった
鈴木 直歩さん
「とびらボードでGO !」で思い出深いことは?
親御さんが「この子、こんなに絵描くなんて知らなかったです!」っておっしゃったことです。子供達が楽しんで絵を描いて鑑賞する姿を見て、予想以上にずっとずっと大きな手応えを得られたことがとても嬉しかったです。苦労はあまりなかったですね。
とびラーになって変化は?
何かを思いついたときに、それを口にすることが怖くなくなったかもしれないです。いろんな世代の方々と全然垣根なく話す中で、そうなった気がします。
新とびラーへひと言お願いします
最初は新幹線に乗るみたいかもしれませんが大丈夫です(笑)。そのパーツのように、どっか1カ所に根付いていたら何か生まれてくるんじゃないかなと思います。でも、流れに任せてるだけだと何もできなかったなぁみたいになるかもしれないので、あんまり心配せず、でも、あんまり離れずについていってほしいなと思います。
「色々な人と話すことで
自信に繋がる!」
鈴木 愛乃さん
「色々な人と話すことで
自信に繋がる!」
鈴木 愛乃さん
「とびらプロジェクト」で思い浮かぶことは?
自分で立ち上げた「とびらボードでGO!」です。展示によってお客さんの層が幅広く変化するのが興味深いことでした。お客さんと話すことで、「マウリッツハイス美術館展」は普段はあまり美術館に来ない人、「バルテュス展」は玄人っぽい人、「ウフィツィ美術館展」は初めて美術館に来る子どもが多かったりすることが分かりました。
「とびらボードでGO!」を引き継いでくれる人がいましたが...
自分たちが辞めても、立ち上げたとびラボを次のとびラーたちが引き継いでくださるということは成果を出せた気がしますし、賛同してくれる人がいるというのは本当に有難いことで、こうした企画が必要とされているんだな、と思いました。形式は変わってもコンセプトが変わらないという事が嬉しいです。
とびラーをやって変化したことは?
様々な人との関わりが思い出に残っていますが、色んな人と話すことで会話の幅が広がり、自信にも繋がりました。
そもそも、私たちが
コミュニケーションをとらないとね
田中 進さん
そもそも、私たちが
コミュニケーションを
とらないとね
田中 進さん
ミーティングをしてから飲みに行く
みんなのエネルギーがすごかったです。掲示板の勢いも凄くて、追いつけなくなりました(笑)。みんな、やりたいことをバンバンあげていって。結果とか成果をあまり気にせずやっていたような感じですかね。僕は、成島さんと飲み会担当のような感じで「ひとびと」という活動をしていました。最初は、ワークショップをやっていたんです。ワークショップとか、ミーティングをしてから飲みに行く、という活動だったんですけど、いつの間にか飲み会だけになって(笑)
どうして「ひとびと」を始めたのですか?
そもそも、私たちがコミュニケーションをとらないとねって。外向けにコミュニケーションをとる前に、まずはお互いを知らないとうまくいかないんじゃないかって思って。
とびラー任期満了後は?
あえて予定を入れずに自分のやりたいことをやろうって思っています。個展をやってみたいです。なんの個展かわからないけど(笑)
良くも悪くも発展途上中
辻 真実子さん
視覚障害のある方のためのトビカン建物ツアー
良くも悪くも発展途上中
辻 真実子さん
3年間を振り返って思ったこと
1年目はわからない事を聞いたりできなくて1歩踏み出せない事があったので、何でもフランクにわからない事を聞いたほうがいいと思いました。2年目は建築実践講座だけをとり、自分のできることをやりました。3 年目は、こんなに面白い人たちと一緒に何かできるのも最後の年だと思うともったいなくなり、あれこれ顔を出しました。「視覚障害のある方のためのトビカン建物ツアー」は大変なのはわかっていましたが、「建築」の仕上げとして、やらないと後悔すると思って始めました。「とびらプロジェクト」は、何のためのものか?誰のためのものか?何のために行なうか?良くも悪くも発展中。どっちに転ぶかはこれからですね。
1・2年目とびラーへ贈る言葉
色々な世代の人と話せる場所だから、若い人は年配者の意見を聞くと意外とおもしろい答えが帰ってきたり、年配者も若い人と話して刺激をもらったりできる機会を持ってください。
皆さんと「想いを形にする」
時田 薫さん
皆さんと
「想いを形にする」
時田 薫さん
皆さんの想いを形にしたくて
1 年目は、とにかく企画展の素晴らしさを共有したい、来館者目線でとびラーの皆さんと「想いを形にする」。これが自分のテーマでした。「マウリッツハイス美術館展」の時に小道具づくりに目覚めてから、色んなプロジェクトで必要な小道具や衣装を作っていたんです。2年目と3年目は活動を紙芝居に絞りました。
紙芝居で裏方中心だった筈が、読み手として表に出る機会も偶然ありました。
謙虚になったんです
主婦業なので、子供の為に幼稚園や小学校で、自発的に何でも関わっています。それが「東京都美術館」という規模の場所で、何のプロでもない私が、初対面の方々と“気持ちから一緒にやる”ことを通して、自分で何でもできると思う傲慢さもわかり、謙虚になりました。前は、相手に関心を持たないまま話を聞いていたり。でも、今では自分の子供に対しても、一歩置いて関われるようになりました。
気持ちが繋がるのは
大人でも子供でも嬉しい
徳田 桂子さん
気持ちが繋がるのは
大人でも子供でも嬉しい
徳田 桂子さん
ボランティアからとびラーへ
私はずっと学生時代普通に過ごして、すぐ結婚して、家庭をもって、すごく狭い範囲でしか行動をとってなかったように思うので。最初の年度に来たときに、いろんな方がいるんだぁってワクワクしました。若い人たちとも話ができることで、違う風にいけそうな喜びを感じました。
とびラーになって…
とびラーになった時は、自分を褒めてあげたいと思いました。結構うれしかったんですよ。居場所っていうか、その中に入っていられる、関わっていられるということが。それってすごく自分で自慢でした。とびラーのみなさん笑顔がすてきじゃないですか。若い方も。笑顔って自然にでるものじゃないですか。「どうでしたか?」っていう気持ちとか、思いやりとかが笑顔につながると思うんだけど、そういう精神の方が多いのかも。ほんとステキですよ。いろんなとびラーの方たちが、いろんな来館者の方たちを理解して。すごいなって思います。
アートって意識じゃないけど
こんなのやってみた
成島 雅人さん
とびかんバトン
アートって
意識じゃないけど
こんなのやってみた
成島 雅人さん
来館者の方達との接点づくり
とびラボで「ひとびと」っていう、ゆるーい飲み会と、「とびかんバトン」をやりました。「とびかんバトン」は、来館者の方達が自分で栞を作って、それを家に持ち帰って使うことも出来るというものでした。来館者は誰かが作ったものをもらえるので、交流が出来ました。その頃、とびラーの中での企画が多かったんですけど、来館者の人たちと接点を持ちたかったので、企画しました。
とびラーになる前となった後で、ご自身に変化はありましたか?
家で絵を描いたり、色んなものを作ったりしてるんです。アートって意識ではやってないです。こういう発想になったのは、とびラーになってからですね。
とびラー任期満了後、どうしますか?
小学生対象に、川で虫探しとかピタゴラスイッチを作ったりとか、今活動中のワークショップに力を注いでいきたいです。NPO法人化する予定です。
教えてくれたのは子供たち
新倉 千枝さん
教えてくれたのは子供たち
新倉 千枝さん
すごく自由な環境だった
美術館に関わる機会が増えたり、新しい視点を見つけたり…いかに楽しく新しい接点を作るかに主眼を置いて活動しました。とびラーと様々なアイディアを話し合える事がとても面白かったです。
子どもの発想に驚きと力強さ
芸術をもっと開かれたものにしたいと感じていましたが、その意味を教えてくれたのは子どもたちだった気がします。
キャプションでもなく、時代背景でもなく、作家の名誉でもなく、ここにある1 枚の絵を子どもと観る事で、作者がこの絵を描いた気持ちや新しい視点に気がつくことが多々ありました。ただ側で見守る人がいるだけで、自然と真実や新しい視点に辿り着くと知れた瞬間です。また、「この絵の本当の事が知りたい」という言葉を聞いた時、「なりたい・知りたい」という原動力がその子の中に芽生えたと感じてとても嬉しかったです。
短い期間でしたが学ぶ事が多く、出会いにも感謝しています。
こういう場所があると
気持ちのバランスが取れます
西 勉 ファビオさん
こういう場所があると
気持ちのバランスが
取れます
西 勉 ファビオさん
「とびらプロジェクト」の印象は?
とびラーになるまでは、海外生活が長く、日本に戻ってきて初めての社外経験でした。図書館でたまたまチラシを見て応募したのですが、とびラーのエネルギーがすごくて、活動自体が新鮮でした。方向性が見えなくて手探りでしたけど、自由さや熱気がありましたね。普段、自分が会社でやっているミーティングに慣れていたので、正直、最初は「とびらプロジェクト」の長いミーティングや話し合いにイライラしたこともありますけど(笑)、こういうやり方もあるのだなと思いました。このシステムの中に入ってみようと。出来上がった成果物をメインにするのではなく、プロセスを大事にしようと思いました。
サラリーマン生活への影響は?
会社と家の往復ではなく、こういう場所があると気持ちのバランスが取れますね。発想が豊かになって、新しい刺激をもらえる場所です。とびラーをやってよかったなと思います。
普通に生きてたら
出会えないものがいっぱいある!
根岸 麻衣子さん
普通に生きてたら
出会えないものが
いっぱいある!
根岸 麻衣子さん
好きなことと仕事に関すること、両方の要素がマッチしていた
絵を観るのが好きで言葉を使ったコミュニケーションが仕事だったこともあり、「アート・コミュニケータ」という言葉に惹かれて応募しました。
第3の場の中では都美に来るのが優先順位1番になった
特に意欲的に参加したのは“スペシャルマンデー”などの学校向け鑑賞プログラム。普段、言葉や情報が溢れる中に身を置いているので、「感じる」「味わう」を共有する、「心の動き」を大切にするといった言葉に頼らないコミュニケーションもアリなんだと。アートの包容力みたいなものは学びとして大きく新鮮でした。活動経験値も上がって、美術がただの趣味ではなくなったのは良かったです。
3年限定のモチベーション
無理なく自分が楽しいと思うことをやって、結果それが全体に還元されればいいと思います。3年限定だからがんばれるモチベーションってたぶん大きいし、それを尊重してくれる懐の深い場だと思うので。
魅力的な人たちとの出会いが財産
野村 和子さん
魅力的な人たちとの
出会いが財産
野村 和子さん
“VTS”に出会えたことと…
一番印象的だったのは鑑賞実践講座での対話型鑑賞(VTS)との出会いでしょうか。自分では思いもよらない意見を聞いたり、鑑賞がぐんと深まったと感じる瞬間などがとても魅力的です。でも何より刺激的だったのは、自分にはない発想や行動力を持つ人たちとの出会いや、様々な子どもたちとの関わりだったかもしれません。この年になって、こんな機会を持てたことはとてもありがたいです。また、特に「Museum Startあいうえの」の活動に積極的に参加したことによって、上野がホームになった、というのも私の中では大きな変化です。
とびラー任期満了にあたって
もうすでに、西東京市の小学生の鑑賞授業のボランティアと、東京の外国人観光案内のボランティアを始めました。これはどちらも、都美で知ったボランティア。どちらの活動でも、とびラーとしての経験が活かされていると感じます。こうして繋がっていく縁を大切にしたいですね。
作品を見るきっかけが
作れたらいいな
橋本 典子さん
作品を見るきっかけが
作れたらいいな
橋本 典子さん
あぁ~なるほどって考えてもらうのがすごく楽しい
3本柱の活動の中で「鑑賞」に1番力を入れてきました。実際の場面を体験することでわかることがあるので、とにかくいっぱいやってみましょうと参加しました。たくさん経験することでだんだん楽になってきて、相手の様子を見ながら話が進められるようになりました。美術館に来る人には作品の背景を知りたい人もいるけれど、詳しいことを知りたい人は自分で調べるので、私は作品を「よく見る」「見て考える」きっかけが作れたらいいなって思っています。
やりたいことがあったら、いろんな方法がある
ここで新しい鑑賞の手法を学んで、日常生活に変化があったかというと、そういうわけではないんです。ひとつの方法にこだわらずに、やりたいことがあるなら、いろんな方法があると思います。何かをやる時にはイチイチ考えないで、方向を決めたらこだわらなくてもいいんじゃないのって思っています。
「こういうことが好きだ」
というのを思い出した
平野 文千さん
「こういうことが好きだ」というのを思い出した
平野 文千さん
ハンコは昔からやっていたんですか?
全然やっていなかったですね。年賀状ぐらいで。そう!そういうことに目覚めたというか。「そういえば好きだった!そういえば文化祭でつくっていた!」とか。すごい遊ばせて頂きましたね。この環境で。自分の方が、そういう意味では楽しんだかも。とびラボでの1番はじめのハンコは「エル・グレコのハンコおみくじ」。Sグレコ、Mグレコ、Lグレコって(笑)。おみくじみたいにして「ラッキー」とか書いて。昔から手を動かすことが好きだったから、こういうことが好きだったっていうのを思い出しました。
今後はどうされますか?
外に出ていって、それこそハンコでも。誰かに押してあげるようなハンコを作ってもいいかなって。例えばわたし、美術史を勉強しているので、美術史にでてくる画家をハンコにしてもいいかなと。自分の趣味で、そういうのをやったりするのもいいかなって思っています。
会社の鎧を脱ぎ捨てる
脱衣所みたいなところ
淵上 幸吉さん
会社の鎧を脱ぎ捨てる
脱衣所みたいなところ
淵上 幸吉さん
初めからガイド志望
とびラーになった時から「建築ツアーのガイドをやるぞ」と思っていました。みんなでひとつの目標に向かって、刺激しあいながら建築やガイドの勉強をしたことが印象的です。ガイドは考えることがたくさんありました。しゃべり方、間の置き方、回るルート。いくら準備をしても実際は8割くらいしか出来ませんでした。妻には「今日はとびラー行かないの?」と言われます。建築ツアーガイドをやっていることは教えていますが、「ツアーには来なくていい」とツアー日程は秘密にしています。
鎧を脱ぎ捨てて
サラリーマンは、業界や職種のつながりが限られていています。ここでは次元が違う話ができることが刺激的で、自分も感化されて知的好奇心が広がりました。会社では効率性が一番求められる一方、ここはプロセスが大切。「とびらプロジェクト」にいるときは、38 年間のサラリーマン生活の鎧を脱ぎ捨てるべきなんだろうなと思いました。
やりたい事ぜーんぶやってみたら
宮山 喜代子さん
やりたい事ぜーんぶ
やってみたら
宮山 喜代子さん
お助けできることは何でもやろうと思いましたね
“障害のある方のための特別鑑賞会”でアンケート係を担当して、400人位の方から嬉しいと回答いただいたことは感動的でした。
年代のギャップが大きい、なので楽しくてしょうがない
若い人たちは割り切っているのかなと思っていたけど、ここの人たちは本当に一生懸命なさるので接していて楽しいし、若い人のことを見直しました。
これからやることが見えてきました
“ ポンポン”の活動で紙粘土で作られた「シロクマ」を差し上げたことから、自宅隣の福祉施設の子供たちと美術鑑賞をするようになりました。そこの先生と鑑賞の仕方を開発しながら進めています。「のびのびゆったりワークショップ」でお勉強したことも使わせていただいてます。4年目にやることが見えて有難いです。今のとびラーもやりたいことを全部やったらどお!? そのうち、さらにあっ!ということにぶつかるから。
きっかけを掴んで
一緒に美術を楽しみに行く
森 春江さん
きっかけを掴んで
一緒に美術を楽しみに行く
森 春江さん
3年間で印象的だった事は?
色んなバックグラウンドの人がいる空間が新鮮でした。仕事なら感情抜きで合理的に進められて行くところを、活動の進め方よりも哲学的で手探りな話し合いをしたのが楽しかったです。色々な人がいる中でこういう体験をする事が大事だなと思いました。
森さんにとってアート・コミュニケータとは?
実践講座の中で「とびラーは知識を伝えるガイドになることを目指しているわけではない」と言われた時に、美術と人との接点という立場や一般的なボランティアとの線引きがクリアになりました。人とのコミュニケーションの中で、きっかけを掴んで一緒に美術を楽しみに行くのがアート・コミュニケータなんじゃないかなと思います。「スクールマンデー」で対話型鑑賞を担当し、子供たちが絵を前に、臆せず自分の意見を言えていたのを目の当たりにした時に、「アート・コミュニケータ」としての活動ができたなと実感しました。
「育つ」とか「生きる」って
どういうことなのか考える
山木 薫さん
「育つ」とか
「生きる」って
どういうことなのか考える
山木 薫さん
美術館とアクセシビリティ
「のびのびゆったりワークショップ」はすごく特別でした。2年間続けて子供の伴走役をさせてもらい、障害があるとか、学校に行けなかったという子供と、美術館でどういう風に過ごせるかというところから考えはじめました。いろんなことを想定して当日に臨むけれど、毎回悩みつつ考え抜いた時間でしたね。人が「育つ」とか、「生きる」ってどういうことなのか、根源のところまで考えぬいた時間だなぁと思いました。だからこれからの美術館は、そのアクセシビリティがとても大事なことなんだと思いました。美術館に限らず、社会に、ですね。
「すきま」をつなぐ
特に子供がアートを介して変わっていく様を見られることに3年間関われたことは、いい経験だったと思います。これからは美術館に来られない子供とか、「すきま」にいる子供をつなげていく、そういうプレーヤーになりたいなって思っています。
出来る楽しさや喜びを
特に感じました
山近 優さん
クリエイティブリユース(谷中でリサーチ)
出来る楽しさや喜びを
特に感じました
山近 優さん
1年目の思い出は?
仕事はフリーランスなので、活動を通して、仕事関係以外の人と活動したり、話が出来る楽しさや喜びを特に感じました。1年目は突っ走りながらひとつのプロジェクトにしてしまうという勢いがありました。例えば“ポンポン”の時は、色々プランがある中で、あるとびラーがプランにない紙粘土を持ち込んで試すと、一気にこの方向で企画内容がまとまる、という事もありました。特に印象深いのは紙芝居をがんばってやった事と、街へ飛び出して廃材を集めに回った事です。廃材集めはアポなしだったのに協力的なお店もあり、その時のやりとりがとても楽しかったです。
1・2年目とびラーに伝えたい事は?
自分が楽しいと思う事を積極的に見つけ出し、作り出して、楽しんでほしいです。そうすれば、まわりも喜びの輪に包まれると思います。自分の気持ちに正直に向き合って、仲間との会話、そして、何よりも仲間を大切にです。3 年間はあっという間でした。
実践を通じて
美術がさらに好きになった!
山中 麻未さん
実践を通じて
美術がさらに
好きになった!
山中 麻未さん
とびラーになったきっかけは?
募集を見たのが大学1年生の終わりで、活動内容が専攻している学科とも関わりがありそうで、自主的に活動できるという点も魅力的でした。
3年間で印象的だったことは?
とびラボ「紙芝居プロジェクト」では、1から物語を作って、絵を描いて、皆で全ての過程ができたことが楽しかったし、勉強にもなりました。この経験が卒業制作にも繋がり、原点になったと思います。初回は、しどろもどろで不安でしたが、回を重ねるごとに成長していき、子ども達に読むのが楽しくなりました。お客さんも呪文を唱えたりするなど工夫を入れながら観客参加型にしていき、展覧会ごとに6作品くらい作りました。
とびラーになって自身の中で変化したことは?
大学で学んだ知識をとびラーとして実際に実践してみる場があったり、紙芝居を作る場合にも物語を話したり、作品からみんなの見方を共有する過程を通じて、美術がさらに好きになりました。
自分の中の引き出しが増えました
山本 明日香さん
自分の中の引き出しが
増えました
山本 明日香さん
3年間で印象的だった事はなんですか?
初めてとびラボミーティングに参加した時です。何を目的に、という話が始まるのかなと思っていたら、全然違いました。会社での仕事の進め方しか知らなかったので、その違いにびっくり。これで本当にできるの?って。ゴール設定の前に、まず思い思いに考えを述べ合う。その日の進行役みたいな人がその声をまとめていくのです。終了後、その人に「これで大丈夫なんですかね?」とこっそり聞きました。「ここは会社ではないし、ひとりひとりの考えを聞きながらじっくり進めてもよいのでは」との答えに、そういうものか、と。実際、やってみたらできた。バックグラウンドが違う者同士が初めて何かに取組む時には大切なプロセスだと思いました。こういう進め方もあるのかと、自分の中の引き出しが増えました。
美術館の社会的意義や
可能性を感じさせてもらえた
吉川 貴子さん
美術館の
社会的意義や可能性を
感じさせてもらえた
吉川 貴子さん
発見の瞬間に立ち会う
もともと美術史を学んでいるのですが、絵画の見方というのが、けっこうアカデミックで決まった見方をしていて、自分でも窮屈だなって思う瞬間があったんです。とびラーになってから、直接子供達やいろいろな鑑賞者の方と話しながら作品を見て、発見の瞬間に立ち会ったんです。あとは自分がその発言によってまた全然違う発見をさせてもらったり。実際に知識を得る事だけが全てじゃないんだっていうのが、建前じゃなくて、本気でそう思えるようになって、とびラーになってよかったなって思います。
とびラーをやってからの大きな収穫
大きな収穫があったプログラムのひとつに「トーク∞トーク」という鑑賞プログラムがありました。これまで視覚障害のある方とお話しする機会がなかったので、視覚障害のある方が晴眼者とともにモノを見る過程で、こういう風に情報を獲得していくんだっていう大きな発見がありました。
“VTS”を学んだことで
自分が変わるステップになった!
吉野 園子さん
“VTS”を学んだことで
自分が変わる
ステップになった!
吉野 園子さん
3年間で印象的だったことは?
「スペシャル・マンデー・コース」で子供たちと一緒に鑑賞したことが勉強になりました。子供たちが鑑賞している過程で変わっていく様子が見えたりと、本当におもしろかったです。
任期満了後も自主的な勉強会は続けていて、とびラーになったおかげで、“VTS”を学んだり、子供たちと鑑賞したり、自主活動で認知症のお年寄りの方と鑑賞をしたり、貴重な経験をするきっかけになりました。
とびラーになった後でご自身に変化したことは?
“VTS”を学び、鑑賞活動について積極的になったり、コミュニケーションの取り方やものの考え方に変化がありました。何かについて思った時に、なぜ、そう思ったのか深く考えるようになりました。 “VTS”は、これほど言いたい放題言うのに褒められる体験はいいですし、他人の意見を聞いて自分の考えが積み上がっていく体験をすると、普段の生活も変わってくると感じています。
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