東京都美術館× 東京藝術大学 「とびらプロジェクト」

活動紹介

『建築を通して、「人間とは何か」「生きる意味とは何か」を思索する』藝大生インタビュー2021|美術研究科建築専攻 修士2年・伊藤健さん

2022.01.19

「実は、コロナが流行り出した年(2020年度)に、一年間の休学をしていました。

その間に、本を200冊くらい読んだんです。一番影響を受けたのは、フリードリヒ・ニーチェ。自分の「身体」というものは、どれだけ社会が変わろうといつも確かな出発点なんだ、と気付きました。

そこから、もう一度建築を考えてみようと思いました。」

 

柔らかく、言葉を、想いを、丁寧に紡ぐ伊藤健さん。その修了制作に迫ります。

 


「今欲しいものは、コーヒーミル!」と微笑む、伊藤さん。「日常行為の中の儀式的な時間が好きなんです。コーヒーミルを回して、ぼーっとする。そんな五感で楽しめる時間っていいですよね。」

 

 

「生まれは、サーキットで有名な鈴鹿です。昔は、世界一速いF1のエンジンを作りたかった。

でも、小説やSFが好きな自分もいた。好きなことを両方できる分野ってないかな……そう考えていたときに出会ったのが、建築でした。」

 

伊藤さん曰く、建築とは《工学的なものとポエティックなものが融合しているジャンル》なのだとか。

 

学部生時代は京都大学工学部・建築学科で学び、東京藝術大学・大学院美術研究科建築専攻に進学。

その集大成となる、修了制作では『強調譚(きょうちょうたん)』をテーマに、その実践として、「歪形集合住宅(デフォルマンション)」という建築物を構想・設計し、制作されています。

 

はじめに、伊藤さんが修了制作のテーマ『強調譚』に辿りつくまでのプロセスを伺いました。

 


取材日は、修了制作講評の翌日。中央には大きな作品模型と資料、そして壁一面に図面が張り巡らされていた。

 

 

◼重なり合った思索から紡がれる、『強調譚』

きっかけは、「視る」という“行為”に特化した深海生物

 

「東京に来て1年目は、何をやってもうまくいきませんでした。休学していた2年目は、やりたいこととか、これからの人生とか……生き方を含めて悩んでいたんです。」

 

休学期間中の伊藤さんは、「人間とは何か、生きるとは何か」と問いを重ねていたといいます。

 

「古典哲学、社会学、生物学など——さまざまなジャンルの本からインプットを重ねる中で、奇妙な深海生物と出会いました。」

 

「この生物は、ギガントキプリス – Gigantocypris agassizii。

こいつが泳いでいる映像を見て、すごく興味を抱きました。どうしてこんなにも「歪」で不格好なのに、過酷な自然界で生きていけるんだろう、と。それと同時に、この生物に対して、ある種の憧れや共感を覚えている自分がいたんです。」

 


—— ギガントキプリスは、体長3cmほどのウミホタル科の深海生物。身体のほとんどが目でできており、人間の8倍ほどの集光能力をもつ。泳ぐ姿は、とてもキュート。

 

「彼らは、ひたすらに「視る」ことに特化して、身体を強調しています。その代わりに、多くのものを失いました。「視る」ためには最適化されているけれど、ひどく不器用で歪な姿をしています。」

 

しかし、伊藤さんは「歪でも、何かに特化して生きられたら、すごく幸せなんじゃないだろうか」と考えました。そこで、建築を学ぶ中で身に付けた、図面化することで、彼らの“身体”の特徴を紐解くことに。

 

「図面にしていくと、《強調された生物は、“身体”と“行為”の距離がとても近い》ということがわかってきたんです。」

 

生物における、身体の強調と行為の意味とは?

 

求愛行動に用いる大きな手、己を誇示するための巨大な眼——

「試しに他の生物も図面化してみたところ、ギガントキプリスと同じような特徴が確認できました。」

 

 


—— “行為”と“身体”の関係を調べるために、生物の強調を図面化した。

 

 

“身体”を強調することで、何らかの“行為”を手に入れた生物たち……その姿をつまびらかにするなかで、伊藤さんの関心は、「人間の強調」へと移っていきます。

 

「人間の進化を調べたところ、およそ3.5万年前を境に、“身体”の大きな構造上の変化は止まった、ということがいえます。

しかし同時に、この頃から道具すなわち“建築”が大きく多様化しているということも、わかりました。」

 

「歪なかたちの生物は、“身体”のかたちを変えて強調したけれど、人間は第二の身体である“建築”を変化させることで、強調しているのではないか」と、伊藤さんは考えます。

 


—— 多様化する建物の変遷は、生物の強調した身体のようだ。人間の場合、身体のかたちは変わらないけれど、外縁化された身体(建物・道具など)が進化しているという。

 

さらに、人間の“行為”についても調べていったとのこと。

 

「“身体”は進化しましたが、“行為”の数はどんどん減っていますよね。

例えば、昔は『洗濯』をするために、川に行く・洗濯板で擦る・叩くなど、いろいろな動きをしていた。けれど、いまでは放り込んでピッ!で終わりです。そこで僕は、人間にとっての、“行為”とは一体どのような意味を持つんだろうと考えるようになりました。」

 

伊藤さんが特に注目したのは、古から連綿と続く『儀式』という“行為”。

 

「哲学者のウィトゲンシュタインは、あらゆる人間を “儀式的動物”であると定義します。

なぜなら、あらゆる時代に人間は『儀式』をおこない、同時に文化そのものを形成するのもまた、

『儀式』であるからです。

そこから、『儀式』の持つ2つの属性——共同体としての連帯感を生む『横のつながり』と、法悦を生む『縦のつながり』こそが、人間の失いかけている “行為”の意味につながっているのではないか、と考えました。」

 

伊藤さんは、その一例として『入浴』という“行為”について語ります。

 

「人は入浴という“行為”を通して、身体の感覚が鮮明になる感覚を味わいます。

それは、儀式における法悦の感覚に似ている……そこで、入浴という“行為”を強調してみよう、と考えました。その強調した“行為”のことを、僕は『擬儀式』と呼んでいます。」

 


—— コロナ禍で「お風呂に入りたくて入っているのか、それとも入らなければならないから入っているのかがわからなくなった」という伊藤さん。そのことを、「“行為”に消費されている感覚だった」と語っている。

 

 

こうした歪な生物から始まった膨大な思考のプロセスを経て、修了制作のテーマ『強調譚』が生み出されました。

 

◼️ 思索の結実として誕生した、『デフォルマンション』

強調された“行為”を、歪な集合住宅に

 

 

「人間は、“行為”に溢れた、いわば《行為の集合住宅》です。

 

その“行為”の一つを取り出して『強調』してみる——すると、人間とは何か、生きるとは何かということが、浮かび上がってくるのではないかと考えました。

 

人間にとって遠くなってしまった“行為”と“身体”の距離を近づけようとすること、それを一つの物語にすること——それが僕の修了制作のテーマ『強調譚』です。」

 

 

—— 『強調譚』構想資料より。

 

 

「生物の姿にのっとり、この家は『歪』であることを前提にしています。

その名も、マンションならぬ、『デフォルマンション(=歪形集合住宅)』。

住人は、それぞれが愛する“行為”を持っています。」

 

 

—— ネーミングは、フランス語のdéformationに由来。それぞれの部屋に住む住人は、書道家・茶道家のように、『〇〇家』と名付けられている。

 

「例えば、下の図面は『洗濯』が大好きな『洗濯家』の部屋。洗濯の中に含まれる“行為”を分解し、“現象”に左右される“行為”だけを強調しました。ここでは、「干す」ことが特化されています。

 

洗濯物がよく乾くように、左側の壁には風が通り抜けるための大きな空洞が、右側のベランダには洗濯物を干すベランダが。いわゆる生活空間は、真ん中の小部屋だけです。『洗濯家』は、「干す」ことを優先して、生活空間を手放してしまいました。その姿は、まるであの小さなギガントキプリスのようです。」

 


—— 風という“現象”を優先し、風洞実験装置のような形状をとった『洗濯家』の部屋。生活をするには、とても歪だ。

 

 

「今回、一般的な建築の設計とは異なる作り方をしました。“行為”のために必要な“現象”を軸に設計したんです。強調する生物たちと、同じ作り方ですね。

 

そこで、人間の一日を12個の“行為”に分解し、部屋としてまとめました。」

 

 

歪な『強調』が生む、豊かな『協調』

この家の面白いところは、『強調』を寄せ集めた結果、『協調』が生まれたということです。伊藤さんの言葉とともに、『デフォルマンション』の断面図を見ると、部屋の構造とともに、光や風などの“現象”のつながりを見ることができる。

 

壁を無くし、“行為”を支える“現象”でつなげた『デフォルマンション』。そこに住むと、人間は無意識に関わり合ってしまう——不思議な空間について、具体的に話を伺った。

 

 


——『デフォルマンション』の断面図。『洗濯家』の部屋で生まれた風は、タービンを回し、電力を生み出す。その電力を蓄電するための、おもりは『筋トレ家』の筋トレ道具に。『照明家』が電気をつけると、その重りが下り、水道のポンプが開く。すると『植物家』の部屋で、植物の水やりができる。そして、その水はろ過されて、『睡眠家』の部屋にあるプールの水へと落ちていく。

 

 

「世界は、人と人の関係性によってできています。この家も、それぞれの部屋の動きがつながって、関係性を生んでいるんです。光がさす、いい匂いがするなど……誰かのちょっとした動きが、家中に影響を起こすようになっています。」

 


—— 伊藤さんが一番住みたいのは、『照明家』の部屋。大きな電球が一つ、壁はスリット状に。その光は屋外に溢れ、『デフォルマンション』の常夜灯となっている。なお、これらの図面は、実際に建てられるように設計されている。

 

 

それぞれの強調された“行為”と、それを支える“現象”はつなががりあい、大きな円環を生み出す。

 

「住人はお互いのことを知りません。

性別も国籍もわからないけど、相手が生み出す“現象“からの影響で、何を愛しているかだけは知っている——風呂が好きな人がいるから、流れてくる蒸気によって、自分の部屋のカーテンが揺れる、というように。」

 


—— 右の図は設計の着想の発端となったもの。住人それぞれが愛している12個の“行為”の動きを分解し、そこで起きる“現象”のつながりを図式化したもの。これを建築物の設計に落とし込むと、左の断面図になる。

 

「ここで大事なことは、その人が何を愛しているのか、ということ。

お互いの愛する“行為”を前提としてつなががっていく——これって来るべき多様性の社会で、お互いの個性を激しく認め合っていく姿と似ていると思いませんか。」

 

歪な『強調』が、豊かな『協調』を育んでいく——とても素敵な未来が見えますね。

 

「実際に『デフォルマンション』を建てるとしたら、都会のビル街に。

ホテルのように、数日過ごしてもいいですね。日常に戻ったとき、一つ一つの日常の“行為”の意味を考えるようになるでしょう。一日住むだけで、人生が変わるかもしれません。」

 


—— 木漏れ日のような笑顔が印象的な伊藤さん。「藝大の仲間は、みんな秀でたところがあって、一緒にいて楽しくて、大好き。でも、歪なやつばかり。彼らと一緒に生きるためにも、デフォルマンションを作らなきゃと思いました。自分自身を肯定するための家でもあるんです。」

 

◼️これから

究極的には、意図せざる“現象”建築に向き合いたい

 

就職活動は、これから。

こういった作品や考え方に共感してくれるアトリエ事務所で修行したい!と考えているそう。

 

「こういう作品を評価してくれるという点が藝大の良さだと思います。面白いと言ってくれて、最後まで評価してくれる……幸せですね。そんな大学に、とても感謝しています。」

 


—— 「僕自身がcomplicatedなことを考えてしまうので、わかりやすく伝えることを意識しました」と語る伊藤さん。模型に図面、アニメーションを駆使して、説明をしてくれた。徹底的にろ過された思考から紡がれる言葉は、豊かで説得力がある。

 

そんな伊藤さんに、「これから作りたい建築は?」と聞いてみたところ興味深い答えが。

 

「今この瞬間に興味があるのは、『強調』の原理でできるもの。

 

ただ、一番作りたい空間は、沖縄の“御嶽(ウタキ)”のようなものです。そこには何もないんだけど、ただ“現象”がある……僕の中では究極の建築の姿です。」

 

 


—— 右下の画像が、沖縄にある“御嶽”。祈りのための儀式空間だ。人工的なものは何もない……自然があり、移ろいゆく“現象”があるだけ。『強調』について考え続けた伊藤さんは、「儀式という“行為”を『強調』する場合、何もない空間が一番という結論にたどり着いた」と語った。

 

「木陰にいると、風が吹いて気持ちがいいですよね。でも、木は人間を気持ち良くしてやろう!とは考えていません。そういう人を心地よくしてやろうとしたわけではないけれど、そよ風が吹くように心地よくなれる空間を作りたいです。」

 

 

これから伊藤さんが、どのような経験を積み、インプットを重ね、アウトプットに昇華していくのか ——『強調譚』の先にある物語、その未来がとても楽しみです。

 

◼️ 伊藤健さんWEBサイト https://it-itoken.tumblr.com/

 

 


 

取材:鹿子木孝子、林賢、大石麗奈(アート・コミュニケータ「とびラー」)

執筆:大石麗奈

 

 

『デフォルマンション』に住むなら『読書家』の部屋がいい、2年目とびラー。藝大生インタビューは、作家の思考の海を巡る旅——私の身体はひとつだけれど、相手の経験も、その思索の結実も、じっくりたっぷり味わえる。そんな追体験の価値を広めるべく、とびラボを立ち上げ、奮闘中!(大石)

「アノードあるいはカソード ~逆転する彫刻と版画」藝大生インタビュー2021|彫刻科4年・小島樹さん

2022.01.13

イチョウの葉がきれいに色づく11月29日、期待に胸を膨らませ東京藝術大学美術学部にある彫刻棟を訪ねたとびラー3人に、彫刻科 学部4年生 小島 樹さんがやさしく声をかけてきてくれた。

さっそく、屋外の制作現場に案内されたとびラーの目にコンクリートの上に横たわる大きな作品が飛び込んできた。細工が施された大きな鉄製の四角いフレームの中に、厚みのある鉄製プレートの人体が両腕を広げて横たわっている。フレームは一辺が軽く3mを超えている。

 

―これが卒業作品ですね。テーマや素材も含めて作品について教えてください。

「素材はすべて鉄です。テーマは、自分が彫刻科でありながら銅版画を作っていることと関係しています。銅版画は銅板の削った線の溝、凹版にインクを詰めて刷ると印刷物として出てきます。つまり、プラスとマイナスが逆転します。彫刻は複製するものであって、原型の立体物から型を取り、別の素材に置き換えます。作品のメインになるのは、銅版画は原版ではなく印刷物、彫刻は原型の方が作品と言われるものです。彫刻と版画は作品と型の扱いが逆転していて、そこが強くリンクしていると思います」

 

 

「この立体の作品に、水を含ませやわらくした楮(こうぞ)(※1)をかぶせます。その楮の水分によって鉄の作品が酸化した錆を版画に写しとる手法をとっています。写しとった版画をつなぎ合わせて立体と同じ大きさの版画を作ります。展示する際は、構造物を別に作ってフレームを立てて鉄製プレートの人体を上から吊り下げるイメージです。その前に紙の版画を広げて、二つ合わせて一つの作品にします」

※1…和紙の原料としても使われるクワ科の植物

 


(卒業制作のスケッチ 足の両脇にぶら下がるものは今回は制作しない)

 

小島さんのお話は、3人のとびラーの想像を超えるところから始まった。

人体のモデルは、レオナルド・ダ・ヴィンチが描いたウィトルウィウス的人体図にあるという。その人体図のアウトラインを立体にして、人体プロポーションを鉄で制作した。

 

―人体を上から鎖で吊り下げようという着想はどこから?

「大学に入って版画にすごく興味を持ちました。版画の海に飛び込むのか、それとも彫刻にまた引き戻されるのかという時期があって、その時最初に作ったのが、《バンジー オア ダイヴ》というタイトルの銅版画で、逆さまに飛び込む人物像でした。そのイメージがそのまま今回立体になったということです」

 

 

「着想は2次元的なイメージが先にあって、3cmの鉄板から、アセチレンガスと酸素で溶断する技法で鉄板を切って立体作品をつくります。フレームの立体模様も同じ技法です。今回は重いものを高い所から吊るすと見る人の恐怖心を煽る作品です。学生だからそれくらい挑戦的な作品を展示してもよいだろうと思いました。人体はどれくらいの大きさにするか、小さすぎても現実味がなくなってしまうし、大きすぎても把握できなくなってしまうので、結局人体をまず等身大に近いサイズにしました。それに合わせてフレームの大きさが決まってきます。」

 

小島さんは優しい語り口ながらも、制作への熱い情熱を感じさせ、私たちはさらに作品のサイズと重さに圧倒されてしまう。

 

 

フレームは溶断によって作られた細長い2枚のプレートを合わせ、断面的に見ると⊿の底辺のない形になる。そして、その立体からも版画を作るが、紙に透く前の楮(こうぞ)で彫刻から型を写し取ると(版画の)質量が増す感覚があるという。平面なのに質量があるという感覚は、版画と彫刻の両方に関心をもつ小島さんならではのものである。

 

 

 

―彫刻を表現手段としたきっかけは?

「受験時代はデザイン科でやろうとしていたんですが、性に合わなかった。ある時粘土に触ったらこれならやっていけると思った。粘土は感覚的で実感とともに作品が作られていくので、関係性がわかりやすい。大学に入ってからは、粘土は可塑性のある素材だけど、いつでも終われるけどいつまでも終われないところがあって責任が持てないと思った。石や木は後戻りできないが、金属なら思い通りにいかないことがあってもまた戻れる。金属を溶接して盛り付けて、また削ることができる。トライアンドエラーの距離感がすごく性に合っていました」

 

…彫刻棟の一室からしだいに作業音が大きく響いてきたため、3階のアトリエに行って続きの話を聞くことにした。

 

―卒業作品のタイトルは?

「タイトルは《アノードあるいはカソード》元々確かギリシア語で化学の世界で使われる言葉です。簡単に言うとプラスとマイナス。日本語では一応正極と負極という言葉があります。アノードあるいはカソードは、状況や置かれている場によってプラスとマイナスが逆転することがある。「場において逆転」するということが、自分の彫刻と版画にかなりリンクした言葉だと思います。彫刻でもあるし、(彫刻は版画の)原版でもあるし、版画でもあるし、(版画は彫刻のイメージの基となった)型でもある。状況、場において、プラスとマイナスを行ったり来たりする。それで《アノードあるいはカソード》にしています」

 

 

―逆転の着想は元々どんなところから?

「銅版画は、掘った溝にインクを詰めて自分の込めた力の裏側に印刷が出てきます。インクを詰めた溝が山となって、その山がぼくの中ではすごく彫刻的だなと思っています。逆転する着想はそこからですね」

 

―《アノードあるいはカソード》で見る人にどんなことを伝えたいですか?

「そもそもプリントされたもので量産されるものが版画ですが、ぼくは版画を再定義しなきゃいけないなと思っています。版画の技法を利用する人は多いけど、版画としか捉えていないところがあります。ぼくは、溝が山になっているのをこれは彫刻だと思いました。版画であり彫刻であるし、逆も言える。そこで、版画の領域が広がってくるんじゃないかと。このコンセプトは攻撃的なところがあり、かみ砕けていないところもありますが、簡単に言うと版画の領域を広げたい。版画と彫刻が侵食する部分、される部分がぼくの作品から見えてくるんじゃないかと思います」

 

 

 

―制作に当たり膨大な作業がありますが、アーティストとして一番楽しいところは?

「銅板はエッチングをやり、腐食液につけると線の部分が溝になるが、液に任せます。一度自分の手から離れて何かが起きる、出来上がりは摺ってみないとかわからない。現象にその先を見せてもらっている。彫刻にも同じようなことが言えて、鉄の溶断の時、トーチを手に持っている感覚だけなんです。ぼくと彫刻の間には空気の層があり、炎と風に任せて、その現象を利用させてもらっている。そういうところがかなり惹かれているところです。知覚しえない作業があることによって、飽きずにやっていられます」

 

鉄を切ったり、彫刻するには、「トーチ」という道具が使われる。アセチレンガスと酸素で炎を出して鉄を熱して、高圧の酸素で吹き飛ばす。その作業を続けると、遠赤外線がでるので結構体が焼けるという。

今回の制作は、今年6月から構想をまとめるのに取り掛かり、鉄板の切り出しを6月の終わりから始めた。朝の9時から夜の7時まで根気のいる作業だったという。

 

―参考にした作品や影響を受けたアーティストは?

「アメリカのジョナサン・ボロフスキーという板を寄せ集めて人体を作る作家がいますが、その辺から影響を受けていると思います。東京オペラシティの中庭に大きな像があります」

 


(小島さん 以前の作品を前にしながら)

 

―学部卒業後はどうされますか?

「彫刻科の大学院を受験します。今版画の工房も使わせてもらいつつ、彫刻科の制作をしています。院でも彫刻と版画のどっちもやってみたいので」

「鉄のイメージは、重くて固い。作品の表情はトーチから出た風が作った表情。本来なら風が鉄を削ることはほぼないが、そこに鉄のイメージの軟質化と自身の持つイメージの重量化がある」

 

小島さんは、これからも鉄をトーチで溶断する手法を続けていくことの可能性を感じている。

制作に当たり1.5トンの鉄材を30万円で購入したという。作品は総重量580kg、3.7mの大きさである。大型になってしまい、大学に相談して了承をようやくもらったという。

 


(トーチを手に持つ小島さん 左はアセチレンガスボンベ)

 

インタビューを終えて

鉄による彫刻とそこから取った版画の二つからなる作品が、1月28日から始まる「卒展」の会場にどんな風に展示され、どんなライトが当たるのか。「鉄の人体を吊るすインパクト、恐さで、来場者には興味を持ってもらいたい」と制作者としての望みを話してくれた。作品の完成と「卒展」の開催が今から楽しみでならない。

自らが目指す彫刻と版画の創造的な世界を真っすぐに進む小島さんの姿にはすがすがしさがあり、私たちはこれからも注目して応援していきたいと心から思いながら、藝大彫刻棟を後にした。

 


(左から2人目の小島さん、とびラー3人が作品のフレームの中で)

 


 

取材:森奈生美、吉水由美子、中村宗宏(アート・コミュニケータ「とびラー」)
執筆:中村宗宏
撮影:浅野ひかり(とびらプロジェクト アシスタント)

 

 

1年目10期とびラーです。今回のインタビューは、着想のイメージが立体作品となる制作過程や、現場のリアルな空気感を知る貴重な機会であり、版画と彫刻の逆転、侵食という発想がとても新鮮でした。鉄が持つ微妙なグラデーションも、実際に見て気づくことができました。今後、若い制作者によって彫刻と版画の新たなる領域が拓かれることを信じています。(中村)

 

 

【開催報告】『トビカン・モーニング・ツアー』

2021.09.17

開催報告「トビカン・モーニング・ツアー」

2021年4月と8月の第2水曜日の朝に、東京都美術館の建築を巡るプログラム「トビカン・モーニング・ツアー」を行いました。これは新型コロナウィルス感染症の拡大によるいわゆるコロナ禍がきっかけで生まれた新しいプログラムです。

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■ 新しいプログラムをつくる

以前から東京都美術館で開催されていた土曜日の「とびラーによる建築ツアー」と、夜間延長開館時の「トビカン・ヤカン・カイカン・ツアー」といった建築ツアーは、これを目指して遠方から来館する方もいる人気のプログラムでした。

しかし、コロナ禍の2020年度、東京都美術館でいくつかの展覧会が中止あるいは延期され、館そのものが休館する時期もありました。建築ツアーも中止が相次ぎました。

そのような状況下で、新しい生活スタイルに合わせて何か形を変えた建築ツアーを行えないか?と考えてみると「平日の朝に開催するプログラム」にたどりつきました。リモートで仕事をするワークスタイルの広まりとともに、必ずしも週末や夜間でなくとも余暇時間を取れる人が増えたり、混雑を避けた時間帯を選んで行動する人が増えたり、といった行動パターンの変化が背景にあります。

ツアー自体も、完全予約制にする、少人数での開催にする、ガイドは無線機を使用して話す、というように安全に留意した運営に変更しました。緊急事態宣言の発出などで中止せざるを得ない回もありましたが2021年4月からようやく実施が叶いました。

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■ 朝の魅力発見!

こうして始まった「トビカン・モーニング・ツアー」は今まで紹介してこなかった東京都美術館(トビカン)の建築の魅力がつまっていました。

それは朝の光で見えてきた魅力です。公募棟(正門を入って左の建物)では東からの光がその輪郭を際立たせ建物の形を意識させてくれます。ここの外壁仕上げは1975年の竣工時からのオリジナルの打込みタイルですが、陽を受けて形や焼き色のグラデーションもくっきりと見ることができます。同じ壁面には大きなガラス窓を持つ休憩スペースもあり、その奥深くにまで光が差し込むことで室内の赤・緑・黄・青の壁の色が際立ち、空間の大きさも感じられます。また朝の時間には、ガラス張の中央棟では、後ろに広がる上野公園の木々をはっきりと見ることができ、設計者前川國男の意図した外部空間とのつながりを体感することができます。

これまでの建築ツアーは午後や夕方に開催されていたので、朝のトビカンの魅力は私たちとびラーにとっても新たな発見でした。

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■ ツアーと参加者の様子

平日朝のプログラムは初回から人気を博し、募集定員はすぐに埋まりました。建築ツアーはガイドによってツアー内容が異なるため、これまで体験された方のリピート参加という嬉しい例もいくつかありましたが、参加しやすい時間帯だからと初めて参加された方も多かった印象です。

実際のツアーは参加者3名ととびラー2名の5名チームで行います。30分間というコンパクトな時間のツアーですが皆さん朝のトビカンの魅力をとても楽しんでいただけたようです。

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■ 美術館も来館者もとびラーも「つなげていく」

今回ご紹介した「トビカン・モーニング・ツアー」のように、世の中の変化や私たちのニーズにあわせて「とびラーによるプログラム」はまだまだ変化していきます。この他にも開催日時にバラエティを持たせたプログラムは増え、またオンラインで配信するプログラムも生まれました。展覧会が再び開催されるようになってからは、プログラムの題材も建築だけでなく、展覧会の作品だったり、野外彫刻だったりと様々です。こういった動きは、より多くの年齢層、多様なライフスタイルの人の来館の機会を増やしているように感じています。

いずれのプログラムも美術館という場(あるいは存在)をつかってアートを介して人と人、人と作品、人と場所がつながる瞬間を作ることを目的としています。コロナ禍で「つながる」ことが薄れてしまった状況で、少しずつまた「つながる瞬間」に立ち会えるようになり、私たち自身も勇気やエネルギーを得ています。

 

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■ トビカン・モーニング・ツアーは次回10月開催

トビカン・モーニング・ツアーはただいま10月13日(水)開催に向けて準備中です。

今後も偶数月の平日午前中で継続開催を目指していきます。

お時間のある時にぜひ参加してみてください。

▶︎参加申し込みはこちらから!

 

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執筆:河野さやか

色々な目的や興味を持ってさまざまな人が集まってくる美術館という場に興味がある8期とびラーです。 美術館に来たあの人はどんな体験をして、どんな話をして、何を食べて過ごすのか?それはこれからの人生にどうつながっていくのか?また美術館の中を自由に行き来して、思い思いに過ごす人たちが見られる時を待っています。

【開催報告】7月の建築ツアー

2021.07.17

【開催報告】7月の建築ツアー

日時  |2021年7月17日(土) 14時00分~14時45分(ツアー実施)
場所  |東京都美術館

参加者(事前申込)18名、とびラー15名

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よく晴れた7月の第3土曜日、強い日差しと青空の下、本年度初めてとなる「とびラーによる建築ツアー」が開催されました。新型コロナウイルスの感染症拡大の影響で、約8ヶ月ぶりとなりました。

感染症拡大防止の対策として、1チーム5名(ガイド&サポート役のとびラー2名と参加者2〜3名)の少人数グループに分かれ、グループでは「ワイヤレス無線機」を利用してソーシャルディスタンシングを確保しながら活動を行います。
コロナ禍で定番となった、東京都美術館(以下、都美)のウェブサイトからの事前予約制で、2019年度までの定員の50%の参加人数での実施となりました。
参加者はとびラーの活動の拠点でもある、アートスタディルーム(通称:ASR)に集合し、ワイヤレス無線機の使用方法や、活動の上での注意点(撮影について、素材に触れる時には他の方と同じ場所を触らないなどの感染症予防対策、など)を確認してから、グループごとに45分間の建築散策に出かけます。
今回のツアーでは、ガイドデビュー3名を含め、6名のとびラーによる6つのコースで都美を巡ります。
決められた台本やセリフのない、この「建築ツアー」は、各コースを担当するとびラーによる全てオリジナル。まさに「〝とびラーによる〟建築ツアー」です。それぞれの「都美建築」への想いや、関心が組み込まれた、個性あふれるツアーで、何度でも参加してほしいツアーとなりました。

久しぶりの開催となったこの日の「建築ツアー」ですが、8ヶ月、ずっと楽しみに待ってくださった参加者の方もいらっしゃいました。

コロナ禍の中ですが、十分な対策のもと無事に参加者のみなさんを迎えることができ、前日に梅雨明けをした青空の下で、みなさんがいきいきと活動されている様子が印象的な1日となりました。
とびラーのみなさんもお疲れ様でした!
……
次回の開催は9月18日(土)を予定しています。
みなさんのご参加を心より楽しみにしています。
*「とびラーによる建築ツアー」は、原則として、奇数月(5月、7月、9月、11月、1月、3月)の第3土曜日に開催しています。

<おまけクイズ>
企画等と公募等の外壁、どっちが古い?
 〜その答えは、建築ツアーで!

2021建築実践講座①|都美の歴史と建築

2021.07.03

第1回建築実践講座|「都美の歴史と建築」

日時|2021年7月3日(土) 9:30~12:30
会場|東京藝術大学 中央棟 第三講義室
講師|河野佑美(東京都美術館学芸員 アート・コミュニケーション係)

 

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とびらプロジェクトの建築実践講座では、東京都美術館(以下、都美)の建築(1975年竣工、設計:前川國男)への関心を軸に、より広い視野で建築の魅力、建築と人々の関わりについて考えを深めていきます。

 

全8回の講座の初回となる今回は、とびらプロジェクトの拠点である、”都美建築” と出会い、自分自身で魅力を発見し共有しあいました。

 

 

 

初めに、建築実践講座の年間目標を確認します。

 


東京都美術館の建築の歴史や背景を理解し、

自分の感覚を手掛かりに建築を味わう力を身につけ、

美術館というパブリックな建築を介して人々をつなぐ場をデザインする。


 

今年度は、約50名のとびラーが講座の中で共に ”建築” を学び合います。講座目標の中で、気になったキーワードに関して2〜3人のグループで共有し合い、互いの関心を知り合います。

とびラーになるまで建築には全く興味がなかったという方から、建築を専門とする方まで、とびラーのみなさんの”建築”との関わり方はさまざまです。講座の中では、とびラー同士での対話と共有を挟み、お互いを知ることで、ひとりではできない学びや発見が生まれることを期待しています。

 

 

 

続いて、河野佑美さんのレクチャー「都美の歴史と建築」では、東京都美術館の歴史や成り立ちを学びます。

現在の東京都美術館の姿を設計した建築家・前川國男の生い立ちや、建築に込められた想いやがこだわりが、当時の写真と、実際の素材サンプルなどと共に共有されました。

普段の活動で、何気なく過ごしている場所・使っているものに込められた、建築家のこだわりや大切にされてきた時間を知ることで、都美の新しい魅力が見えてきます。

エントランスの天井の着色に実際に使用された「インド砂岩」のサンプル。色へのこだわりも都美建築の見所のひとつ。

レクチャーの後半は、「100年後にも遺したい!伝えよう、ここが見どころ!」をテーマに、都美を観察するワークを行いました。

実際に都美へ出掛けて行き、レクチャーの中で出てきた話題を切り口に、素材やデザイン、色などに注目をして、都美建築の中で印象に残った点を探し、じっくりと観察します。

最後は、発見したことをノートにまとめ、「とびラー専用掲示板」でお互いに見せ合いました。

自分の発見を自分だけのものにせず、言葉にして発信すること、その “誰か” の発見から新たな気づきを得たり、思いがけない出会いにつながることがあります。発見の輪が広がり共感を呼び、都美の建築を介したコミュニケーションが生まれ、建築の新しい価値となるのではないでしょうか。

 

建築に込められた意思を理解して、言葉にする。愛着を感じ、大切に使い続ける。私たちの活動そのものが都美建築を100年先の未来に遺すことと地続きなのだ、と気がつく機会となったのではないでしょうか。

 

東京都美術館の歴史や背景を知り、自分自身の感覚を頼りに発見と発信をする、都美 ”建築”の魅力に触れた1日となりました。

今日の講座での学びを軸に、それぞれの視点での都美建築の見どころや楽しみ方を追求し、「とびラーによる建築ツアー」や「とびラボ」などでの、来館者との建築を介したコミュニケーションの実践へとつなげて欲しいと思っています。

 

(とびらプロジェクト コーディネータ 山﨑日希)

【開催報告】『静寂の美術館を楽しむ』

2021.04.03

上野恩賜公園内の木々に新緑が芽吹き始めた4月3日(土)、とびラーによるプログラム『静寂の美術館を楽しむ』を開催しました。

 

 

―変化する状況の中で、新しい美術館の楽しみ方を見つける

このプログラムができたきっかけは、約1年前にさかのぼります。2020年2月頃より新型コロナウイルス感染症の拡大により一般の方を対象としたプログラムの中止が続き、3月末には東京都美術館(以下、都美)が臨時休館となりました。7月にようやく美術館が再開しましたが、館内には以前より静かな空気が流れているように感じられました。

 

展覧会の入場者数の制限やスケジュールの変更が生じる中、常にここにある“美術館”という場所・空間をもっと楽しむことはできないだろうか?そんな気持ちから、特別展のない時期の美術館=静寂の美術館として、美術館そのものに注目をしたプログラムの案を練り始めました。

 

 

―待望の、一般参加者とともに実施するプログラム

開催当日、参加者は8名。緊急事態宣言の関係で1月の予定が4月に延期されていたのですが、再度申し込んでくださった方もいらっしゃいました。

都美のアート・スタディールームにてとびラーが4グループに分かれて参加者をお出迎え。私たちにとって一般の方とプログラムが実施できる待ちに待った機会でしたが、それ以上に参加者のみなさんも美術館でのプログラムを楽しみにしていてくださいました。各テーブルでは開始前から話が弾み、すっかり打ち解けた雰囲気となっていました。

 

 

―“美術館でゆっくり写真を撮ることができるのは、今しかないかも”

冒頭で使用したスライドの一部です。

とびラー同士でミーティングを重ねるうち、静寂の美術館だからこその楽しみ方として、“じっくり建築を見たり、写真を撮ったりすること”というアイデアが生まれました。そのアイデアの中に、様々な参加者が集うからこそできる“他者との対話・共有”の時間を設け、上記の流れができあがりました。

 

 

-都美の写真を会話のきっかけに、グループ内で自己紹介

自己紹介の時間に使用したのは、とびラー自身が実際に都美の風景を切り取った写真。参加者に気になるものを一つ選んでいただき、その理由を教えていただきました。全てのカードをじっくり見てくださった方もいらっしゃり、美術館を捉える多様なまなざしに早くも興味を持っていただけているようでした。

 

 

―“ホンモノ”を見に行く

次はグループ毎に館内外を見て回ります。

「正面の建物は企画棟です」「この窓からは、都美の正門が見えますね」視線の移動を促すようなファシリテーターの声掛けにより、「建物内を移動するうちに隠れていた木が見えるようになった!」「隣の建物の屋上がのぞける!」と参加者のみなさんの視界が広がっていきます。

また、館内を進むにつれて「この素材は他の建物でも見たことがある」「この場所はこういう意図で造られた空間なのではないだろうか」と、様々な気づきを参加者自らグループへ共有してくださるようになりました。

 

 

―一人で、美術館の風景とじっくり向き合う

その後は約20分間、一人で館内をじっくり見て、撮影する時間です。テーマは、“美術館で見つけたもの・こと”。共有の時間に向けてこれぞ、という一枚に絞っていただくようお願いしましたが、みなさん心に留まった箇所がたくさんあった様子。時間をフルに使い、様々な視点で撮影をされていました。

 

 

―それぞれのまなざしを、共有する


アート・スタディールームに戻り、ファシリテーターを務めるとびラーの進行で“今日の一枚”を共有します。最初は撮影者を伏せて、写真を見た感想を率直に話し合います。その後、撮影者より“なぜその風景を切り取ったのか、その時何を感じていたのか”についてお話していただきました。

誰もいない中庭の通路。静けさのある風景に、撮影された方は何を感じたのでしょうか…?

「コンクリートや石材と緑の木々とのミルフィーユのような重なりや奥に広がる空間が印象的で、柱のアーチを“額絵”に見立てて風景を切り取った」とのこと。お話を聞いているうちに、柱の灰色と植栽の緑のコントラストが画面の中でより鮮やかに浮き上がってくるような気がしました。

館内みたいだけれど…こんな風景はあったでしょうか?実はおむすび階段と呼ばれる三角形の階段の途中。

撮影された方によると、「曲線と直線が織りなす構図を見て、まるで音楽が聞こえてくるように感じた」とのこと。とびラーにとってこの階段は真下から三角形を見上げるのが定番の構図でしたが、これまで知らなかった新鮮な視点を教えていただきました。

 

他にも、写真をきっかけに「いつも建築のここを見る」というその方ならではの“見方”や“物語”についてお話していただいたり、グループで感想を共有し合うことで、撮影した時点では見えていなかった部分に気づいたという感想もいただきました。

 

 

―もう一度、見に行く

最後に、それぞれが撮影した場所をもう一度グループで見に行きます。iPadの写真を見ながら撮影シーンを再現していただいたり、撮影された方がその風景を切り取った思いをリアルに感じることのできる時間です。

 

参加者からは「他の方が撮影された場所に立ってみると、どうしてここから撮ったのかがなんとなくわかってくる」といったコメントや「実際の場所で撮影の経緯についてお話を伺うことができ、より深くその人の視点を感じられた」という言葉をいただきました。

また、それまで気づくことなく素通りしていた天井・ライトの並びの美しさに他の参加者の写真を通して初めて気付くなど、自分の視点だけでは気づかない美術館の見方を知ることができたという意見もいただきました。それはとびラーにとっても同じで、通い慣れた美術館のまだまだ知らない一面を知る日となりました。

撮影の時間が短くまだまだ見足りない!という方もいらっしゃったと思いますが、東京都美術館という作品には展覧会のような会期という概念がないのが良いところ。

 

“美術館”は来てくださるみなさんを歓迎しています。このブログを読んでくださっているあなたもぜひ、静寂の美術館を楽しんでみてください。

 

 


 

 

執筆:井上 夏実

建築ツアーのガイドをする中で、建築を知識からではなく、鑑賞から味わうようなプログラムができないかと、なんとなく考えていました。その“なんとなく”を言葉に、形に、行動にしてくれる仲間がいるのが、とびらプロジェクトの素敵なところです。

【あいうえの連携】春の上野公園でミュージアムを冒険! 上野へGO!ステップ2 リアル

2021.03.26

都内の桜もちょうど⾒頃を迎えた3⽉26⽇、⾦曜⽇。
上野公園のミュージアムをリアルに楽しむファミリーが集まりました。
実施されたのは「上野へGO! ステップ2」。
このプログラムはオンラインで出会う「ステップ1」と、実際にミュージアムを訪れる「ステップ2」の2段階で構成されています。
この⽇は上野公園のミュージアムを冒険する⽇です!

プログラムの様子はこちら→
(「Museum Start あいうえの」ブログに移動します。)

とびラボ|車いすで巡る建築ツアー・トライアル開催

2021.03.06

車いすで巡る建築ツアー・トライアル(2021.3.6)

 

建築ツアー
東京都美術館において私たちアート・コミュニケータ(通称:とびラー)は様々な活動を行っています。そのひとつに東京都美術館の魅力を味わう「とびラーによる建築ツアー」があります。

 

皆さんはどんな目的で美術館に来ますか?

展覧会に作品を観にくる。

それだけではもったいない。美術館そのものが大きなアートなのです。
私たちとびラーは建築ツアーを通して、美術館そのものの魅力をお伝えしたい!と考えて活動しています。

 

ふと気づいたこと
建築ツアーは毎回とても人気のプログラムです。コロナ禍の中で回数は減り、規模も縮小していますが、応募される方々はたくさんいらっしゃいます。そのことは私たちとびラーにとって大きな励みとなっています。ところがふと、車いすを利用する方々の姿をお見掛けすることがないことが気がかりに。

とびラーになる前に、10年ほど車いす生活を送っていた筆者の、ふとした気づきに共感するとびラーが集まって「車いすで巡る建築ツアー」とびラボが立ち上がりました。

 

 

多くの疑問
話し合ううちにたくさんの疑問が生まれてきました。

「障害のある方のための特別鑑賞会」には多くの車いす利用の方々が参加していらっしゃるのに、建築ツアーには過去には数人しか参加されていないことがわかりました。

「建築ツアーが行われていることが伝わっていないのかな?」
「展覧会の作品鑑賞と違って何か不都合なことがあるのかしら?」
「一般の方と一緒だと参加しづらいのでは?」

など、現状に対しての様々な疑問が湧いてきます。

 

なぜ「車椅子の方」だけなのか?
なぜ「車いすを利用する方」限定のツアーを考えようとしているのか?
「車いすを利用する方」だけ集まってもらうことにはどんな意味があるのだろうか?など、様々な視点から意見が交わされました。

車いすを利用する方限定のツアーは、そうでない方々が参加できない。
ほかにいろんな障害をお持ちの方々はどうしたらよいのか・・・

とびラボのメンバーでたくさんの議論をする中で、悩んだ末、先ずは「車いすを利用する方」向けのツアーを実施し、具体的な課題を知り、対応方法や配慮事項などを工夫しよう、ということになりました。そしていずれは、一般の方も車椅子の方も様々な障がいをお持ちの方も、参加しやすい建築ツアーを目指そう、と至りました。

 

この議論の時間は私たちとびラボのメンバーにとって、建築ツアーとは?とびラーの役割とは?を考える貴重な時間となりました。

 

トライアルに向けて
東京都美術館での建築ツアーは、いろんな発見があって楽しい。見方を変えることで見えてくる美しい景色や小さな謎が隠れていたりします。でもその謎や、発見は車いすを利用の方の目線からきちんと見えるのだろうか。たくさんの見どころをどのように、どんなルートで、どのくらいのスピードでガイドしたら良いのかを今行われている建築ツアーに近いコースで検証してみよう、ということになりました。

 

トライアル
トライアルは、A・Bの2グループに分かれて行いました。

 

Aグループは、館内中心のわりとゆったりコース
Bグループは、現在行われている建築ツアーに近いペースとルート

 

それぞれとびラー同士でガイド、サポーター、車いすに座る人、介助者、の役割を決め、美術館で実際に貸し出しされている車椅子を利用して館内を巡ります。

全ての役割をとびラーが担います

ここは人が少なくてゆっくり過ごせます

屋外はやっぱり気持ちいい

のぞきこみ確認中、背の高さ・状態によって見えにくい方もいます 


イスをどかして車椅子を窓際へ 景色がよく見える!

ガイドも目線を下げて確認します

建物の模型も見どころのひとつ、この高さからだと奥までよく見えるなぁ~

 

トライアルを終えて
A・B どちらのグループもたくさんの気づきがありました。

車いすに座った位置から見えやすい場所、介助者のかたも安心できる場所、ガイドの立ち位置、サポートの役割、工夫できること、配慮が必要な場所などが確認できました。何より車いすに座った位置での目線だからこそ楽しめる場所、車いすに座った位置からでは見えづらい場所が見つかったことは大きな収穫でした。

今回のトライアルでこのとびラボは一旦解散です!
この経験を踏まえて、関わったとびラーそれぞれで、どんな方も共に参加して楽しんでいただける建築ツアーを目指したいです。次の目標は、車いすを使っている方々に実際に来ていただき、ツアーを行いたいということです。そして様々なご意見、ご感想をいただきながらより良いツアーにしていきたいです。

今回のトライアルに際し、東京都美術館、スタッフの方々に多大なるご協力と励ましをいただき感謝致します。

このトライアルを終えて、私は少しだけ声を大きくして言いたいことがあります。
車いすで毎日を過ごしている方々、東京都美術館に来てください。
私たちとびラーによる建築ツアーに参加してください!
楽しいよ!ワクワクするよ!一緒に建築を観てみましょう!
そしてあなたがみつけた東京都美術館の魅力を教えてください。
とびラーがとびきりの笑顔でお待ちしています。

 


筆者|登坂京子 アート・コミュニケータ「とびラー」

肺の難病LAM(ラム)とドナーさんと共に生きる、
おばあちゃんとびラーです。
年下の先輩や孫や娘・息子のような同期。
さまざまな方々の笑顔に支えられて、私も笑顔の恩返し中!

「7合目より上の木地師たちの自由な世界を追って…」藝大生インタビュー2020 | 美術研究科建築専攻 修士3年 ・原田栞さん

2021.01.28

年明けの寒い1月6日、人がまばらな藝大上野校地美術学部内。建築科のアトリエを目指し、エレベーターで上がっていくと、原田栞さんが、柔らかな笑顔で迎えてくださいました。

案内されて入った研究室で、「この研究室は建築意匠ではなく、建築理論専攻の研究室です」と一言。机の上には、学科内発表が終わったばかりの80数ページにわたる分厚い論文と、大きな図表や本の等の資料を用意してくださっており、早速、修士論文の内容について、熱く語ってくれました。

 

 

修士論文はどんなテーマを扱っているのですか?

 

論文のタイトルは、「氏子かり帳に記録される木地師の時空間 江戸時代における木地師の所在地とその変遷の空間的分析」です。江戸時代から明治維新までの間、定住せず、山の中で移動生活を送っていた “木地師”という人々の生活を、研究テーマにしました。

 

 

木地師とは?

 

“木地”とは、お椀やお盆等の漆を塗る前の素地の状態のこと。“木地師”はそれを作る人々です。木地師は山の中で、原木を切り倒し、分割し、ろくろや鉋を使って木をひき、あら型を作ります。できたあら型は、定期的に都市部に運んでいました。これを、さらにろくろできれいに仕上げる都市型木地師もおり、その後、あら型は塗師に渡され、漆を塗って仕上げられていました。

 

 

原田さんが木地師を知ったきっかけは?

 

宮本常一という民俗学者の「山に生きる人々」を読んだことです。
「平地から距離をとって、山の中に、自分たちだけの、7合目より上という世界観を形成して、その間を街道を使わずに、自由に行き来していたようである。」というのを読んで、ロマンチックだなと思って、惹かれました。

 

そんな“木地師”をどういった視点から研究されたのですか?

 

10年に1度、滋賀県の木地師を管理する立場にある人達が、全国の山の中に散らばっている木地師のもとを、一人ひとり訪ね歩いていき、金銭を徴収する代わりに、身分を保証する“氏子かり”という制度がありました。この“氏子かり帳”は、その際に、誰からいくら徴収したかということが、位置情報と共に記録されたものです。

 

「氏子かり帳」(永源寺町史、滋賀木地師上下巻)

 

通常、江戸時代の人々は、人別帳という定住している村のお寺や神社で管理する戸籍のようなものに、記録されていますが、木地師たちは、定住していないので、戸籍のような形は残っていません。しかし、お金のやり取りとともに、位置情報が氏子かり帳に記録されています。その250年分、34回分の位置情報を、地図上に可視化することで、その生活領域を再現しようと思いました。すでにあるものをこれだけの量の情報が残っているので、民俗学や農業経済学などの他の専攻の人と被らないような建築学的手法で、木地師の生活を再解釈できるのではと、考えました。

 

この“氏子かり帳”は、どこで手に入れられたのですか?

 

木地師が面白いなと思い始めた2019年の秋、どういったアプローチをするか悩みながら、とりあえず、氏子かりをしていた人々の拠点であった、滋賀県の永源寺に、行ってみました。レンタカーで、京都から1時間半ぐらい、田んぼの間を運転していたら、急に山が現れて、さらに、森の中の細い道を30分位進みます。木地師の二大拠点である蛭谷、君ケ畑は、永源寺よりも、さらに上る究極の山奥で、ほとんど人が住んでいませんでしたが、立派な境内の神社があり、きれいに手入れされていました。今でも1年に1回、木地師フォーラムが開かれており、木地師にとっては聖地です。当時の会津の木地師たちは、お伊勢参りをしながら、永源寺にも行っていた記録があります。そんな場所にある資料館を開けてもらい、そこで、この永源寺町史を購入しました。

 

そんな滋賀県の山中が、なぜ木地師の中心地として残り続けたのでしょうか?

 

この場所に、ろくろの発見がきっかけで、神聖視されたという人物がいて、ここに住む人たちは、その人の家臣の子孫であるという伝説があります。それをもとに、木地師たちの一体感が、全国で形成されていきました。永源寺から他の場所へ移っていった記録は多く、全国にも別流派がいくつもありましたが、次第に統合されていきました。そこには、人別帳に入れなくて困っている木地師から、お金を徴収し、身分を保障するという永源寺の氏子を、遠方で獲得する仕組みがありました。

 

木地師や氏子かりの制度について、だんだんわかってきました。
では、250年分の膨大な資料の調査は、具体的にどんなところから着手されたのでしょうか?

 

まず初めに、江戸時代の木地師たちの移動情報を、日本地図に点で落とし込んでいき、位置情報を可視化しようと思いました。250年分の中から、奇数回20年に1回分の情報を、赤い点にして書き入れています。お金のやりとりを、250年分追いかけるのは、きついなと思ったこともありましたが、圧倒的な資料だったので、この調査をメインにすると決めて、コツコツ取り組み、一年かけて完成させました。

 

この図が、位置情報を可視化したものということですか?

17C中頃 18C中頃 19C末   時代の変化による移り変わり

 

そうです。最初、氏子かりは、滋賀県琵琶湖東側で、西日本中心のネットワークとして出発するのですが、東日本にも徐々に参加者を獲得して、全国に広がっていきました。

江戸時代の木地師たちは、「私たちは、古来からこの活動をしているから、由緒ある活動として認められるべき」と主張していました。それが、社会にもある程度認められていて、日本人が世界のどこにいても、日本のパスポートを携帯しているように、住んでいる土地に関わらず、木地師のネットワークに所属しているということが、認められていました。明治維新以降、戸籍制度が厳しくなり、木地師たちも戸籍に編入されていきますが、昭和初期まで山の中で暮らしを続けていた人の記録が残っています。

 

実際にやってみて、どんなことがわかりましたか?

 

まず、地域による木地師の移動スタイルの違いです。中国山地では、山林が管理されていたため、持続的に伐採を行い、同じ場所に住み続けることができました。一方、紀伊半島では、広大な森林面積に対して、木地師の数が少なかったからか、その場を放棄する前提で、木を伐りつくしては次の場所に移っていました。こちらの方が全国的な特徴です。

 

 

次に、氏子かりの巡回ルートについてです。江戸時代、移動を制限された社会制度の中で、特異な例として、木地師たちは、自分たちの生活を、なんとか持続していました。氏子かりを行う廻国人は、特別に、藩領の境界に関係なく、移動することができました。平地の人間にとっては、田んぼが切り開けない、畑にも向かないという価値のない場所からは、正反対の土地を、木地師たちは、生活の場に選んでいました。彼らにとっては、見不便な山地こそ価値のある空間でした。

 

 

廻国人の移動の点を追っていく中で、奈良、三重から滋賀県の日野に、急に北上し、また戻っている部分がありました。不便で合理的でないのに、なぜと思いましたが、そこには、高すぎず低すぎない布引山脈の尾根が日野まで連なっていました。平地の人から見ると山地は難所でも、木地師にとっては歩きなれた道であります。また、木地師は、山地と平地の社会を、はっきりと区別し、技術者というプライドを、高く持って生活していました。木地師は、平地に行くと目立ち、地域によっては、差別されることもなかったわけではないのですが、山の中の道は、誰にも会うことなく、快適に歩くことができる道でもありました。これは、木地師の領域、移動の特徴的なことを表していて、面白いと思います。

 

 

氏子かり帳から、木地師の活動範囲だけでなく、移動ルートまでわかるのですね。他にも発見されたことはありますか?

 

木地師の所在地がわかるということは、標高についても、ある程度、特定できるということなので、17C位の木地師の所在地を、すべて標高の分布図に表してみました。

 

 

木地師たちは、「山7合目以上の土地は、自由に移動して自由に木を切っていいと、昔から約束されている」という根拠のない主張をしているのですが、山7合目というのは、あくまで表現上のことで、350~1200mまでの間で生活していたことがわかりました。

また、その350~1200mまでの間だけを図示したら、木地師の世界が見えてくるのではないかと思い、日本列島の図を作りました。青いあたりが350mから始まって、赤くなるほどに高く、1200m以上のところは表示していません。

 

 

平地の生活から距離を置いて、自分の生活を築いているといっても、あら型を出荷する必要があり、街道から離れすぎてしまうと生活に支障が出るので、標高にも限度があったのかなと思います。

山の民と言われる木地師やマタギなどの人たちの、「秋田から奈良まで平地に下りずに移動することが可能だった」という証言が残っていて、本当に行けたのかなと、ずっと思っていましたが、この図の上で確認してみると、確かに山地は秋田のあたりから奈良まで山の民が暮らした特徴的な標高の空間が連なっていることがわかり、嬉しかったです。

一個一個、地図に落とし込むという地道な作業ではありましたが、7合目というぼんやりと表現していた高さを確かめられたのが、自分の中ではこの研究でやりたいことだったと思っています。

 

―原田さんの建築理論的なアプローチで、仮説に裏付けができたのですね。こちらの図は何を表しているのですか?

 

これは、個人の木地師の移動を追ったものです。木地師は、土地を所有していないので土地の相続問題がなく、技術を子どもたちに平等に与え、継承していました。氏子かり帳の大きな特徴として、長男、次男という記載はなく、子何人ということだけが記録されています。

氏子かりごとに木地師の名前を追い、とある一家3世代の100年間にわたる移住を、青の折れ線で表しました。この家族を追っていくと、属する集団が、移り変わっていきます。最初の、移動3回分は、ある家族と行動を共にしていますが、その後離れて、自分の家族だけで住んでいる期間もあれば、また他の家族と一緒に暮らして、別れたり、さらに、違う集団を形成したり、自由に移動を繰り返しています。平地で継承されている家は、子どもが生まれなければ、相続者を得るために、養子をもらい、完全に血縁のない人が、跡を継ぐことがあると思いますが、木地師は一旦解散した後、しばらくしてまた一緒になったり、100年後位に、また孫の世代が一緒になったり、個人主義ながらも、血縁が意識されているのが、面白いところだと思いました。一人ひとりが技術を持った人なので、土地に縛られる必要がなかったのでしょう。

 

 

学科内発表での先生方の講評はいかがでしたか?

 

今まで見えてこなかった社会層をお見せできたので、先生方の反応は良かったです。建築家として面白がっていただけました。どうやってこのテーマに至ったのかの話が多かったです。

 

 

最後に、原田さんの今後の展望について聞かせていただけますか。

 

藝大生あるあるですが、就職活動はこれからです。これまでやってきたことは、頭の中にあるので、咀嚼し、一旦距離をとって、また考えを広げていければいいなと思います。論文を出版する予定はないですが、自分で短い冊子にまとめて残そうと思っています。

謎が多く残る木地師のネットワークですが、また、続きのような感じで、次の人がやってくれると、違う視点が入るので面白いなと思います。木地師研究の面白いところは、いろんな学問の分野からできるところだと思います。

 

 

インタビューを終えて

 

原田さんには、知らない世界を開いて頂き、お話を聞いていて、その世界にどんどん引き込まれていきました。興味を持ったものに自分の専門性を活かして、アプローチされた研究結果は、驚きと感心することの連続で、大変面白かったです。話の一言一言に、研究への熱い情熱を感じ、木地師の世界に浸ったあっという間の1時間半でした。

 

 


取材|石山敬子、井上夏実、山中みどり(アート・コミュニケータ「とびラー」)

 

執筆|石山敬子 編集|井上夏実、山中みどり

 

アートを通じて、多くの人たちと関わりたいと思い、とびラーになって2年目。あいうえのやラボで、都美等の建築に触れることが多かった今年度は、その奥深い魅力に、すっかりハマってしまいました。(石山)

 

インタビューに思いがけず登場した滋賀県出身。歴史や思想など、目に見えない情報も詰まった建築の魅力を伝えられるよう、日々活動中です。(井上)

 

 

とびラー1年目。発見と学びの1年でした。このインタビューで、またもや、今までとは違う視点や捉え方が新たな発見につながり、素晴らしい結果が生み出されることを学びました。(山中)

 

「文字が空を飛ぶ!浮遊するコミュニケーションを体感せよ☆」藝大生インタビュー2020|先端芸術表現 学部4年・奧野智萌さん

2021.01.28

12月15日の午後2時、茨城県にある東京藝術大学の取手キャンパス。先端美術学部4年生の奧野智萌さんを訪ねたのは、とびらー4名にスタッフ2名の計6名。

 

「思ったより来られた人数が多くてびっくりしちゃいました。緊張しちゃいますね」

そう言いながら、1対6の圧(奧野さんすみませんでした!)に照れ笑いを浮かべた奥野さんは、赤いタートルネックと、細い銀縁の丸メガネがお似合いのキュートな女性。そんな彼女に連れられて入ったのは、普段は学生たちが素材置き場や作業場として使っている、という大きな部屋だった。

何故か電気が消えていて薄暗くミステリアスな雰囲気…とドキドキしながら、私たちは奧野さんの卒業作品といざ対面!させて頂くことに。そこには…。

小さなピアノが! このピアノが、奥野さんの卒業制作作品だという。

 

作品タイトルは『 Finger Braille Piano』

Finger =指、Braille=点字 だから日本語では「指点字ピアノ」という意味になる。

 

「“指点字”っていうものがこの世にあって。盲ろう者の人のコミュニケーション方法の一つで。それが人差し指から薬指の6本の指を使って、盲ろう者の6本の指に重ねて打つんですけど。その動きのルールを用いて作った“ピアノ”です」

奥野さんはそう言ってからピアノの前に座ると、鍵盤をぽんと叩いた。すると可愛らしい音と共に、いくつかの丸い光とひらがなの「め」が、スクリーンとなっている白い布に映しだされた。 続けて奥野さんの指が他の音をならすたびに、違うひらがなが浮かび上がってくる。ピアノにはプロジェクターが取り付けられており、鍵盤の動きに合わせて、文字が映し出される仕組みになっているのだ。

暗闇の中に映し出される光と文字を見ながら、うお、面白い!とか、ああ、なるほど!このために部屋を暗くしてあったのか!ふむふむ…などと思いながらも、奥野さんのこの作品が何を表しているのか、この時点では全く理解できていなかった。

 

■指点字とは?

 

そもそも「指点字」とはなんぞや?ということで、まずは「指点字」についての説明を、奥野さん自身による制作の記録から抜粋させて頂く。

 

『指点字とは、盲ろう者の人差し指から薬指の6指を点字タイプライターのキーに見立てて直接点字を打つコミュニケーション。「盲ろう者」というのは「目(視覚)と耳(聴覚)の両方に障害を併せ持つ人」の総称であり、一口に盲ろう者と言ってもその障害の状態と程度は様々。だから「盲ろう者」の方が使うコミュニケーションの方法はいくつかあるのだが、その中でも、視力と聴力を完全に失った「全盲ろう」の方やそれに近い状態の人々が用いるのは、触覚を用いた接触によるコミュニケーションである』

 

なぜ指点字で6本の指を使うのかというと、視覚障害者が使う「点字」が6つの点の組み合わせで構成されているからなのだとか。(指点字は元々点字をベースに考えられている)点字を打つための、点字タイプライターのキー配置が、左右の「人差し指、中指、薬指」、合計6本の指にそのまま割り振られ、それが「指点字」に使われているという。

実は、 2020年の2月から「指点字通訳者」としても活動しているという奥野さん。

 

指点字の通訳者たちは、私たちがパソコンのキーボード を打つような感覚で盲ろう者の6本の指の爪の付け根あたりをタップしていき、会話をするのだが、奥野さんは、この『Finger Braille Piano』で、その盲ろう者の6本の指を、6個の鍵盤で表した。

 

そして鍵盤にマイクロコンピューターのシステムを組み込みんだことで、それぞれの鍵盤を指点字のルールに沿って押せば、その文字が映し出される仕組みが出来上がった。

「ちなみに、これ、英語も数字も出ます。こことこれを同時に押すと『ぎゃ』とかになります」

 

なんと、ひらがなだけではなく「指点字の法則」に従って英語や数字にも切り替えることができるという。作品の仕組みを理解し始めると、更に興奮が増し、わあ!すごい!おおーっ!と大の大人揃いである我々取材陣も、歓声をあげてはしゃいでしまう。

 

指点字の知識がほとんどなかった私たちに、ものの30分程で指点字のルールの基礎を理解させてくれた、奧野さんの「指点字ピアノ」という作品。しかもとても楽しい!ということで、なぜこれが作られることになったのか、奥野さんの動機ときっかけを、めちゃくちゃ知りたくてたまらなくなってしまった…!

 

■東京大学 福島智先生との出会い

 

「2019年の12月に横浜国立大学で、東京大学教授の福島先生の授業があって。私は出ていなかったんですけど、学部の同期が福島先生から名刺をもらってきて。福島先生が『指点字の通訳者に興味があって、指を動かせる子がいたら連絡して』っておっしゃっていたと教えてもらったのがそもそもの始まりですね 」

 

「福島先生が、指の動く子がいたら、っておっしゃったときいて。私は3歳から10 までピアノを習っていた、ということもあって。仕事するっていうよりかは、研究室に遊びに行ってみるみたいな感じで。福島先生にお会いしたのをきっかけに、じゃあちょっと覚えてみよっか、と始まりました」

 

奥野さん曰く、指点字の配列を覚えること自体はそんなに難しいことではないらしい。しかし。

 

「それを普通の人が喋ってるスピードで打つ、指を早く動かす、ということが結構大変で。ピアノを習っていた人はそれが得意、というか」

 

つまり指点字通訳者には、指を滑らかに早く動かせる人が向いていて、奥野さんはそれに当てはまった。

 

指点字通訳者は、我々のごく普通の会話のテンポにあわせて通訳するだけでも、驚くほど早く指を動かさなければならない。展示当日にはピアノと共に、奥野さんが福島先生にインタビューしている動画も流すというのだが、その目的は。

 

「福島先生へのインタビュー映像は、私が、ばーっと質問を指点字で先生の指に打って、それに先生が答えてくださっているんですけど。インタビューをピアノと一緒に展示するのは、指点字がどういうものか、どういうスピードでコミュニケーションが進んでいくものなのかも見て欲しくて。

 

通訳者になって今1年くらいなのですが、会議の通訳とかはまだできなくて。まだまだ勉強することが多いです」

 

まだまだ…と言いながら、指点字について語る奥野さんはとても熱っぽくなんだか楽しそうだ。

 

「今までやってきた仕事とかアルバイトの中だと一番楽しい、って思ってる気がしますね。行きの電車が辛くないというか」

 

『行きの電車が辛くない』というパワーワードに私たち取材陣は爆笑。その爆笑に、ふふふっと照れ笑いを返してくれた奥野さんがとてもキュートで、その場が一気に和んじゃいました。

 

なぜ『ピアノ』で表現した?

 

指点字をピアノで表現しようと思いついたのは、ピアノ経験者が指点字に向いているということや、18歳までは聴覚があった福島先生がピアノをやっていたこと、など、指点字とピアノの関係から発想したそうだ。

 

奥野さんは当初、文字だけを映し出すつもりだった。でも作品のプランを福島先生に話した時に 、色をつけたらどう?と提案されたという。

 

視覚を失ったとしても、何歳で失ったかにより色の記憶がある人も多く、そのような人の中には点字に色を感じる人もいるそうだ。

 

奥野さんは、その後福島先生から『6色といえば、アメリカ などでは虹は6色と言われている』という話を聞き、6個の鍵盤に対応する6色は虹の色を割り振ることにしたそうだ。

「今年はコロナの影響で、お客さんに触ってもらう作品を作れなくて。だから展示当日、本番の日は、私がピアノで状況説明っていうのをひたすらやろうと思っていて。例えば今だったら…」

 

そう言ってあたりを見渡したあと、奥野さんが連続して鍵盤を叩くと白い布に一文字ずつ映し出され、『ひだりがわにさかなのかたちのえがあります』という文章が完成した。この時実際にピアノの左横に魚の形の絵があったのだが、それを『Finger Braille Piano 』で『状況説明』してくれた、というわけだ。

 

指点字が飛んでいく

 

ピアノからカラフルな文字が飛んでいくようなその様子を、「指点字が飛んでいくんですね」と、とびらーの1人がそう表現すると、奥野さんはそうなんです、といった。

 

「普段、盲ろう者が一方的に受けている言葉で説明されるみたいなことを、それがどういうものかをこの『Finger Braille Piano』 で可視化したくて。普段、盲ろう者の方がどのような体験をしているのかを、通訳者の私が、指点字でこのピアノを打つことで、健常者の人にも体験してもらうことができます。

 

私を含めてここにいる皆さんは全員、見えて聞こえているので、勝手にこの空間を共有できているんですけど。こっちにホワイトボードがあるので、これ以上こっちには行けませんよ、とか。

 

でも、そういうことを一から説明を受けている人がいるんですよね。目の見えない人たちは、こっち、あっち、っていう概念がないから細かく言葉で説明していかないと伝わらない。そういう人たちのコミュニケーションを構成しているもの。私たちが当たり前になっているものについて考えるきっかけになったりしないかな、って」

 

「私は指点字を空中に飛ばす、ことをやりたくてこのピアノを作ったんですけど、文字を飛ばしても、盲ろうの人には見えない。つまりこのピアノは、盲ろう者が日常的に使えるものではないので、彼らにとっては、全く実用的な道具ではないんですよね。

でもそれがやりたかったというか。私が藝術大学にいるから作れるもの、というか。実用的に役立つものじゃないけど、そういうのを作れたらいいなあ、って」

指点字や盲ろう者との関わりをテーマにした作品、と聞くと、その制作背景を想像したときに、どうしても『福祉的、社会的に実用化できるもの』的な要素や意義があると思われがちだ。

 

もちろん奥野さんも、この作品により指点字が多くの人に知られるきっかけになればいいと思ってはいる。実際に私たち取材陣は指点字について知識を増やすことができたのだから、この作品にその力は十分にある 。

 

だが今回の作品を作る上で、奥野さんの核となったのは、あくまでも『自分が指点字と出会い通訳者となって感じたこと』を『芸術を学ぶ学生だからこその方法』で表現する、ということだった。

 

芸術で伝える『コミュニケーション』

 

「指点字って接触者との1対1のコミュニケーションだから、たとえそこにたくさんの人がいる会話の中でも、2人だけの閉じた世界になりやすいんですよね。

 

外界との間に壁ができるというか。だからもっと指点字の世界を開けないかな、とか可視化できないかな、と。そういうことをなんかぼやぼや考えて。私だったら、それをどういう風に表現できるだろう、って」

 

そうして奥野さんは、指点字を『飛ばす』ということを思いつき、福島先生にも相談しながら出来上がったのが、今回の『Finger Braille Piano』だ。展示当日は、そのピアノを、通訳者(奥野さん)が弾く。それにより私たち鑑賞者は、盲ろう者が使っているコミュニケーション方法を擬似体験することができる。

「指点字を勉強し始めたばかりの頃は、指点字さえ覚えれば、盲ろう者の方と会話できると思っていました。でも実際はそんな単純なことではなかったんです。

 

福島先生がよくおっしゃっているのですが、盲ろう者にとって、指点字というコミュニケーションツールがあるからもう大丈夫、というわけじゃなくて、そのツールをどう使うかが大切なことだと。今回はそこまでこの指点字ピアノだけで表現しきれていないですけど…そう言った意味もあって、福島先生のインタビューの映像も一緒に展示することにしたんですよね。

 

コミュニケーションツールをどう使うの?っていう問題は、見えたり聞こえたりしている私たちも一緒だと思いませんか?今コロナで、なかなか対面で会えなくなって、色んなコミュニケーションツールはあるんだけど、それをきちんと使えているのかなとか」

 

1時間半に及ぶインタビュー中、奥野さんの口から繰り返し繰り返し、最も多く発せられたのは、『コミュニケーション』というワードだったように思う。

 

そんな奥野さんのメッセージがぎゅぎゅぎゅ、っと詰まったであろう『Finger Braille Piano』。

 

おまけ

取手キャンパスで飼われていた山羊とコミュニケーションをとる とびラー

 


取材:荒井 茂洋、河野 さやか、合六 幸恵、豊吉 真吾

執筆:合六 幸恵、豊吉 真吾

 

とびらー9期です。普段はテレビ番組のディレクターをしています。奥野さんの作品&取材から指点字に一気に興味が湧き、本業でも何か…と目論み中です。ワクワク!(合六 幸恵)

 

 

とびらー8期です。正解がないアートの世界に魅せられて、とびラーとなり、はやくも2年が経とうとしています。多彩で面白い仲間と一緒に、プロジェクトを育てていく喜びを感じています。普段は音に関わる仕事をしており、今回の藝大生インタビューはとびラーとしてこの上ない幸せでした。(豊吉 真吾)

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