東京都美術館× 東京藝術大学 「とびらプロジェクト」

活動紹介

【開催報告】『トビカン・モーニング・ツアー』

2021.09.17

開催報告「トビカン・モーニング・ツアー」

2021年4月と8月の第2水曜日の朝に、東京都美術館の建築を巡るプログラム「トビカン・モーニング・ツアー」を行いました。これは新型コロナウィルス感染症の拡大によるいわゆるコロナ禍がきっかけで生まれた新しいプログラムです。

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■ 新しいプログラムをつくる

以前から東京都美術館で開催されていた土曜日の「とびラーによる建築ツアー」と、夜間延長開館時の「トビカン・ヤカン・カイカン・ツアー」といった建築ツアーは、これを目指して遠方から来館する方もいる人気のプログラムでした。

しかし、コロナ禍の2020年度、東京都美術館でいくつかの展覧会が中止あるいは延期され、館そのものが休館する時期もありました。建築ツアーも中止が相次ぎました。

そのような状況下で、新しい生活スタイルに合わせて何か形を変えた建築ツアーを行えないか?と考えてみると「平日の朝に開催するプログラム」にたどりつきました。リモートで仕事をするワークスタイルの広まりとともに、必ずしも週末や夜間でなくとも余暇時間を取れる人が増えたり、混雑を避けた時間帯を選んで行動する人が増えたり、といった行動パターンの変化が背景にあります。

ツアー自体も、完全予約制にする、少人数での開催にする、ガイドは無線機を使用して話す、というように安全に留意した運営に変更しました。緊急事態宣言の発出などで中止せざるを得ない回もありましたが2021年4月からようやく実施が叶いました。

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■ 朝の魅力発見!

こうして始まった「トビカン・モーニング・ツアー」は今まで紹介してこなかった東京都美術館(トビカン)の建築の魅力がつまっていました。

それは朝の光で見えてきた魅力です。公募棟(正門を入って左の建物)では東からの光がその輪郭を際立たせ建物の形を意識させてくれます。ここの外壁仕上げは1975年の竣工時からのオリジナルの打込みタイルですが、陽を受けて形や焼き色のグラデーションもくっきりと見ることができます。同じ壁面には大きなガラス窓を持つ休憩スペースもあり、その奥深くにまで光が差し込むことで室内の赤・緑・黄・青の壁の色が際立ち、空間の大きさも感じられます。また朝の時間には、ガラス張の中央棟では、後ろに広がる上野公園の木々をはっきりと見ることができ、設計者前川國男の意図した外部空間とのつながりを体感することができます。

これまでの建築ツアーは午後や夕方に開催されていたので、朝のトビカンの魅力は私たちとびラーにとっても新たな発見でした。

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■ ツアーと参加者の様子

平日朝のプログラムは初回から人気を博し、募集定員はすぐに埋まりました。建築ツアーはガイドによってツアー内容が異なるため、これまで体験された方のリピート参加という嬉しい例もいくつかありましたが、参加しやすい時間帯だからと初めて参加された方も多かった印象です。

実際のツアーは参加者3名ととびラー2名の5名チームで行います。30分間というコンパクトな時間のツアーですが皆さん朝のトビカンの魅力をとても楽しんでいただけたようです。

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■ 美術館も来館者もとびラーも「つなげていく」

今回ご紹介した「トビカン・モーニング・ツアー」のように、世の中の変化や私たちのニーズにあわせて「とびラーによるプログラム」はまだまだ変化していきます。この他にも開催日時にバラエティを持たせたプログラムは増え、またオンラインで配信するプログラムも生まれました。展覧会が再び開催されるようになってからは、プログラムの題材も建築だけでなく、展覧会の作品だったり、野外彫刻だったりと様々です。こういった動きは、より多くの年齢層、多様なライフスタイルの人の来館の機会を増やしているように感じています。

いずれのプログラムも美術館という場(あるいは存在)をつかってアートを介して人と人、人と作品、人と場所がつながる瞬間を作ることを目的としています。コロナ禍で「つながる」ことが薄れてしまった状況で、少しずつまた「つながる瞬間」に立ち会えるようになり、私たち自身も勇気やエネルギーを得ています。

 

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■ トビカン・モーニング・ツアーは次回10月開催

トビカン・モーニング・ツアーはただいま10月13日(水)開催に向けて準備中です。

今後も偶数月の平日午前中で継続開催を目指していきます。

お時間のある時にぜひ参加してみてください。

▶︎参加申し込みはこちらから!

 

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執筆:河野さやか

色々な目的や興味を持ってさまざまな人が集まってくる美術館という場に興味がある8期とびラーです。 美術館に来たあの人はどんな体験をして、どんな話をして、何を食べて過ごすのか?それはこれからの人生にどうつながっていくのか?また美術館の中を自由に行き来して、思い思いに過ごす人たちが見られる時を待っています。

2021建築実践講座①|都美の歴史と建築

2021.07.03

第1回建築実践講座|「都美の歴史と建築」

日時|2021年7月3日(土) 9:30~12:30
会場|東京藝術大学 中央棟 第三講義室
講師|河野佑美(東京都美術館学芸員 アート・コミュニケーション係)

 

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とびらプロジェクトの建築実践講座では、東京都美術館(以下、都美)の建築(1975年竣工、設計:前川國男)への関心を軸に、より広い視野で建築の魅力、建築と人々の関わりについて考えを深めていきます。

 

全8回の講座の初回となる今回は、とびらプロジェクトの拠点である、”都美建築” と出会い、自分自身で魅力を発見し共有しあいました。

 

 

 

初めに、建築実践講座の年間目標を確認します。

 


東京都美術館の建築の歴史や背景を理解し、

自分の感覚を手掛かりに建築を味わう力を身につけ、

美術館というパブリックな建築を介して人々をつなぐ場をデザインする。


 

今年度は、約50名のとびラーが講座の中で共に ”建築” を学び合います。講座目標の中で、気になったキーワードに関して2〜3人のグループで共有し合い、互いの関心を知り合います。

とびラーになるまで建築には全く興味がなかったという方から、建築を専門とする方まで、とびラーのみなさんの”建築”との関わり方はさまざまです。講座の中では、とびラー同士での対話と共有を挟み、お互いを知ることで、ひとりではできない学びや発見が生まれることを期待しています。

 

 

 

続いて、河野佑美さんのレクチャー「都美の歴史と建築」では、東京都美術館の歴史や成り立ちを学びます。

現在の東京都美術館の姿を設計した建築家・前川國男の生い立ちや、建築に込められた想いやがこだわりが、当時の写真と、実際の素材サンプルなどと共に共有されました。

普段の活動で、何気なく過ごしている場所・使っているものに込められた、建築家のこだわりや大切にされてきた時間を知ることで、都美の新しい魅力が見えてきます。

エントランスの天井の着色に実際に使用された「インド砂岩」のサンプル。色へのこだわりも都美建築の見所のひとつ。

レクチャーの後半は、「100年後にも遺したい!伝えよう、ここが見どころ!」をテーマに、都美を観察するワークを行いました。

実際に都美へ出掛けて行き、レクチャーの中で出てきた話題を切り口に、素材やデザイン、色などに注目をして、都美建築の中で印象に残った点を探し、じっくりと観察します。

最後は、発見したことをノートにまとめ、「とびラー専用掲示板」でお互いに見せ合いました。

自分の発見を自分だけのものにせず、言葉にして発信すること、その “誰か” の発見から新たな気づきを得たり、思いがけない出会いにつながることがあります。発見の輪が広がり共感を呼び、都美の建築を介したコミュニケーションが生まれ、建築の新しい価値となるのではないでしょうか。

 

建築に込められた意思を理解して、言葉にする。愛着を感じ、大切に使い続ける。私たちの活動そのものが都美建築を100年先の未来に遺すことと地続きなのだ、と気がつく機会となったのではないでしょうか。

 

東京都美術館の歴史や背景を知り、自分自身の感覚を頼りに発見と発信をする、都美 ”建築”の魅力に触れた1日となりました。

今日の講座での学びを軸に、それぞれの視点での都美建築の見どころや楽しみ方を追求し、「とびラーによる建築ツアー」や「とびラボ」などでの、来館者との建築を介したコミュニケーションの実践へとつなげて欲しいと思っています。

 

(とびらプロジェクト コーディネータ 山﨑日希)

【開催報告】『静寂の美術館を楽しむ』

2021.04.03

上野恩賜公園内の木々に新緑が芽吹き始めた4月3日(土)、とびラーによるプログラム『静寂の美術館を楽しむ』を開催しました。

 

 

―変化する状況の中で、新しい美術館の楽しみ方を見つける

このプログラムができたきっかけは、約1年前にさかのぼります。2020年2月頃より新型コロナウイルス感染症の拡大により一般の方を対象としたプログラムの中止が続き、3月末には東京都美術館(以下、都美)が臨時休館となりました。7月にようやく美術館が再開しましたが、館内には以前より静かな空気が流れているように感じられました。

 

展覧会の入場者数の制限やスケジュールの変更が生じる中、常にここにある“美術館”という場所・空間をもっと楽しむことはできないだろうか?そんな気持ちから、特別展のない時期の美術館=静寂の美術館として、美術館そのものに注目をしたプログラムの案を練り始めました。

 

 

―待望の、一般参加者とともに実施するプログラム

開催当日、参加者は8名。緊急事態宣言の関係で1月の予定が4月に延期されていたのですが、再度申し込んでくださった方もいらっしゃいました。

都美のアート・スタディールームにてとびラーが4グループに分かれて参加者をお出迎え。私たちにとって一般の方とプログラムが実施できる待ちに待った機会でしたが、それ以上に参加者のみなさんも美術館でのプログラムを楽しみにしていてくださいました。各テーブルでは開始前から話が弾み、すっかり打ち解けた雰囲気となっていました。

 

 

―“美術館でゆっくり写真を撮ることができるのは、今しかないかも”

冒頭で使用したスライドの一部です。

とびラー同士でミーティングを重ねるうち、静寂の美術館だからこその楽しみ方として、“じっくり建築を見たり、写真を撮ったりすること”というアイデアが生まれました。そのアイデアの中に、様々な参加者が集うからこそできる“他者との対話・共有”の時間を設け、上記の流れができあがりました。

 

 

-都美の写真を会話のきっかけに、グループ内で自己紹介

自己紹介の時間に使用したのは、とびラー自身が実際に都美の風景を切り取った写真。参加者に気になるものを一つ選んでいただき、その理由を教えていただきました。全てのカードをじっくり見てくださった方もいらっしゃり、美術館を捉える多様なまなざしに早くも興味を持っていただけているようでした。

 

 

―“ホンモノ”を見に行く

次はグループ毎に館内外を見て回ります。

「正面の建物は企画棟です」「この窓からは、都美の正門が見えますね」視線の移動を促すようなファシリテーターの声掛けにより、「建物内を移動するうちに隠れていた木が見えるようになった!」「隣の建物の屋上がのぞける!」と参加者のみなさんの視界が広がっていきます。

また、館内を進むにつれて「この素材は他の建物でも見たことがある」「この場所はこういう意図で造られた空間なのではないだろうか」と、様々な気づきを参加者自らグループへ共有してくださるようになりました。

 

 

―一人で、美術館の風景とじっくり向き合う

その後は約20分間、一人で館内をじっくり見て、撮影する時間です。テーマは、“美術館で見つけたもの・こと”。共有の時間に向けてこれぞ、という一枚に絞っていただくようお願いしましたが、みなさん心に留まった箇所がたくさんあった様子。時間をフルに使い、様々な視点で撮影をされていました。

 

 

―それぞれのまなざしを、共有する


アート・スタディールームに戻り、ファシリテーターを務めるとびラーの進行で“今日の一枚”を共有します。最初は撮影者を伏せて、写真を見た感想を率直に話し合います。その後、撮影者より“なぜその風景を切り取ったのか、その時何を感じていたのか”についてお話していただきました。

誰もいない中庭の通路。静けさのある風景に、撮影された方は何を感じたのでしょうか…?

「コンクリートや石材と緑の木々とのミルフィーユのような重なりや奥に広がる空間が印象的で、柱のアーチを“額絵”に見立てて風景を切り取った」とのこと。お話を聞いているうちに、柱の灰色と植栽の緑のコントラストが画面の中でより鮮やかに浮き上がってくるような気がしました。

館内みたいだけれど…こんな風景はあったでしょうか?実はおむすび階段と呼ばれる三角形の階段の途中。

撮影された方によると、「曲線と直線が織りなす構図を見て、まるで音楽が聞こえてくるように感じた」とのこと。とびラーにとってこの階段は真下から三角形を見上げるのが定番の構図でしたが、これまで知らなかった新鮮な視点を教えていただきました。

 

他にも、写真をきっかけに「いつも建築のここを見る」というその方ならではの“見方”や“物語”についてお話していただいたり、グループで感想を共有し合うことで、撮影した時点では見えていなかった部分に気づいたという感想もいただきました。

 

 

―もう一度、見に行く

最後に、それぞれが撮影した場所をもう一度グループで見に行きます。iPadの写真を見ながら撮影シーンを再現していただいたり、撮影された方がその風景を切り取った思いをリアルに感じることのできる時間です。

 

参加者からは「他の方が撮影された場所に立ってみると、どうしてここから撮ったのかがなんとなくわかってくる」といったコメントや「実際の場所で撮影の経緯についてお話を伺うことができ、より深くその人の視点を感じられた」という言葉をいただきました。

また、それまで気づくことなく素通りしていた天井・ライトの並びの美しさに他の参加者の写真を通して初めて気付くなど、自分の視点だけでは気づかない美術館の見方を知ることができたという意見もいただきました。それはとびラーにとっても同じで、通い慣れた美術館のまだまだ知らない一面を知る日となりました。

撮影の時間が短くまだまだ見足りない!という方もいらっしゃったと思いますが、東京都美術館という作品には展覧会のような会期という概念がないのが良いところ。

 

“美術館”は来てくださるみなさんを歓迎しています。このブログを読んでくださっているあなたもぜひ、静寂の美術館を楽しんでみてください。

 

 


 

 

執筆:井上 夏実

建築ツアーのガイドをする中で、建築を知識からではなく、鑑賞から味わうようなプログラムができないかと、なんとなく考えていました。その“なんとなく”を言葉に、形に、行動にしてくれる仲間がいるのが、とびらプロジェクトの素敵なところです。

【あいうえの連携】春の上野公園でミュージアムを冒険! 上野へGO!ステップ2 リアル

2021.03.26

都内の桜もちょうど⾒頃を迎えた3⽉26⽇、⾦曜⽇。
上野公園のミュージアムをリアルに楽しむファミリーが集まりました。
実施されたのは「上野へGO! ステップ2」。
このプログラムはオンラインで出会う「ステップ1」と、実際にミュージアムを訪れる「ステップ2」の2段階で構成されています。
この⽇は上野公園のミュージアムを冒険する⽇です!

プログラムの様子はこちら→
(「Museum Start あいうえの」ブログに移動します。)

とびラボ|車いすで巡る建築ツアー・トライアル開催

2021.03.06

車いすで巡る建築ツアー・トライアル(2021.3.6)

 

建築ツアー
東京都美術館において私たちアート・コミュニケータ(通称:とびラー)は様々な活動を行っています。そのひとつに東京都美術館の魅力を味わう「とびラーによる建築ツアー」があります。

 

皆さんはどんな目的で美術館に来ますか?

展覧会に作品を観にくる。

それだけではもったいない。美術館そのものが大きなアートなのです。
私たちとびラーは建築ツアーを通して、美術館そのものの魅力をお伝えしたい!と考えて活動しています。

 

ふと気づいたこと
建築ツアーは毎回とても人気のプログラムです。コロナ禍の中で回数は減り、規模も縮小していますが、応募される方々はたくさんいらっしゃいます。そのことは私たちとびラーにとって大きな励みとなっています。ところがふと、車いすを利用する方々の姿をお見掛けすることがないことが気がかりに。

とびラーになる前に、10年ほど車いす生活を送っていた筆者の、ふとした気づきに共感するとびラーが集まって「車いすで巡る建築ツアー」とびラボが立ち上がりました。

 

 

多くの疑問
話し合ううちにたくさんの疑問が生まれてきました。

「障害のある方のための特別鑑賞会」には多くの車いす利用の方々が参加していらっしゃるのに、建築ツアーには過去には数人しか参加されていないことがわかりました。

「建築ツアーが行われていることが伝わっていないのかな?」
「展覧会の作品鑑賞と違って何か不都合なことがあるのかしら?」
「一般の方と一緒だと参加しづらいのでは?」

など、現状に対しての様々な疑問が湧いてきます。

 

なぜ「車椅子の方」だけなのか?
なぜ「車いすを利用する方」限定のツアーを考えようとしているのか?
「車いすを利用する方」だけ集まってもらうことにはどんな意味があるのだろうか?など、様々な視点から意見が交わされました。

車いすを利用する方限定のツアーは、そうでない方々が参加できない。
ほかにいろんな障害をお持ちの方々はどうしたらよいのか・・・

とびラボのメンバーでたくさんの議論をする中で、悩んだ末、先ずは「車いすを利用する方」向けのツアーを実施し、具体的な課題を知り、対応方法や配慮事項などを工夫しよう、ということになりました。そしていずれは、一般の方も車椅子の方も様々な障がいをお持ちの方も、参加しやすい建築ツアーを目指そう、と至りました。

 

この議論の時間は私たちとびラボのメンバーにとって、建築ツアーとは?とびラーの役割とは?を考える貴重な時間となりました。

 

トライアルに向けて
東京都美術館での建築ツアーは、いろんな発見があって楽しい。見方を変えることで見えてくる美しい景色や小さな謎が隠れていたりします。でもその謎や、発見は車いすを利用の方の目線からきちんと見えるのだろうか。たくさんの見どころをどのように、どんなルートで、どのくらいのスピードでガイドしたら良いのかを今行われている建築ツアーに近いコースで検証してみよう、ということになりました。

 

トライアル
トライアルは、A・Bの2グループに分かれて行いました。

 

Aグループは、館内中心のわりとゆったりコース
Bグループは、現在行われている建築ツアーに近いペースとルート

 

それぞれとびラー同士でガイド、サポーター、車いすに座る人、介助者、の役割を決め、美術館で実際に貸し出しされている車椅子を利用して館内を巡ります。

全ての役割をとびラーが担います

ここは人が少なくてゆっくり過ごせます

屋外はやっぱり気持ちいい

のぞきこみ確認中、背の高さ・状態によって見えにくい方もいます 


イスをどかして車椅子を窓際へ 景色がよく見える!

ガイドも目線を下げて確認します

建物の模型も見どころのひとつ、この高さからだと奥までよく見えるなぁ~

 

トライアルを終えて
A・B どちらのグループもたくさんの気づきがありました。

車いすに座った位置から見えやすい場所、介助者のかたも安心できる場所、ガイドの立ち位置、サポートの役割、工夫できること、配慮が必要な場所などが確認できました。何より車いすに座った位置での目線だからこそ楽しめる場所、車いすに座った位置からでは見えづらい場所が見つかったことは大きな収穫でした。

今回のトライアルでこのとびラボは一旦解散です!
この経験を踏まえて、関わったとびラーそれぞれで、どんな方も共に参加して楽しんでいただける建築ツアーを目指したいです。次の目標は、車いすを使っている方々に実際に来ていただき、ツアーを行いたいということです。そして様々なご意見、ご感想をいただきながらより良いツアーにしていきたいです。

今回のトライアルに際し、東京都美術館、スタッフの方々に多大なるご協力と励ましをいただき感謝致します。

このトライアルを終えて、私は少しだけ声を大きくして言いたいことがあります。
車いすで毎日を過ごしている方々、東京都美術館に来てください。
私たちとびラーによる建築ツアーに参加してください!
楽しいよ!ワクワクするよ!一緒に建築を観てみましょう!
そしてあなたがみつけた東京都美術館の魅力を教えてください。
とびラーがとびきりの笑顔でお待ちしています。

 


筆者|登坂京子 アート・コミュニケータ「とびラー」

肺の難病LAM(ラム)とドナーさんと共に生きる、
おばあちゃんとびラーです。
年下の先輩や孫や娘・息子のような同期。
さまざまな方々の笑顔に支えられて、私も笑顔の恩返し中!

【実施報告】これからゼミ「藝大生インタビュー 〜平山匠さんと場づくりを考える〜」

2021.02.28

2021年2月28日(日)夜、とびラーがZoom上に集い、これからゼミ「藝大生である平山さんと交流して、アーティスト×アート・コミュニケータの社会活動について考えてみよう」が開催されました。

 

この企画は、筆者が開扉後(とびラー任期3年間を終えた後)の活動を考える中で、平山匠さんというアーティストと出会い、その活動や想いに共感をしたことから「これからゼミ:藝大生インタビュー 〜平山匠さんと場づくりを考える〜」を立ち上げ、とびラー同士で考えを深めることを目的として、企画・実施しました。

 

これからゼミとは、3年の任期満了を前にしたとびラーが、任期満了後のアート・コミュニケータとしてどのように活動を展開していくかを考え、その準備を進めるためのとびラー主体で行う取り組みです。

 


平山 匠(ひらやま・たくみ)

東京都生まれ。美術家・彫刻家。東京造形大学彫刻専攻卒業。東京藝術大学 美術教育研究室修士課程修了。主に彫像を用いた表現で作品を制作するアーティスト。小さな頃の自閉症を持つ兄との制作活動をきっかけに、美術の道を選択。社会と人との関係に強い問題意識を持ち、自分の中の疑問や葛藤を作品として表現する制作活動を経て、誰もがフラットでいられる場をつくりたいと思い至り、現在、自身のアトリエ兼交流の場を準備中。

 

平山匠Webサイト:http://takumi-hirayama.site/


 

平山さんの目指す活動の姿が、私たちとびラーの活動や想いに通じるところが多く、お互いが関わることで何かが生まれるかもしれないと考え、とびラーと平山さんの交流の場を開きました。

当日は、平山さんととびラーの総勢26名が参加し、2時間の中で、平山さんの活動のお話を聞き、その後、参加者同士が数名のグループになって特定のテーマについてディスカッションをする、という構成で進めました。

 

 

さて、平山さんとはどんな人物で、アーティスト×アート・コミュニケータの出会いはどんな展開になったのでしょうか?

このブログでは、当日を振り返り、平山さんの活動のお話はインタビュー形式で、とびラー同士のディスカッションはその様子をまとめた形で記載しています。

 

当日のグラフィックレコーディング(とびラー7期松本みよ子さん記録)。

 

■平山さんを知ろう

 

ーはじめに

 

平山 平山 匠と申します。自身の今までの活動と今後の活動について、話していきます。

平山 卒展(2020年度 『東京藝術大学 卒業・修了作品展』)でこの作品を見たことありますか?

平山さんの問いかけに対して、複数人の方から「見たことあるよ」と手が挙がりました

平山 嬉しい〜!ありがとうございます!

自分は、これを作った人間になります。

「この作品は一体なんや?」という話を軸に、この作品ができるまでの経緯を含めて、自分の生い立ちから話したいと思います。

 

ーこれまでの経歴

平山 1994年生まれで現在26歳です。東京造形大学の彫刻専攻を卒業し、経歴の資料には載せていませんが、卒業後1年間、テレビコマーシャルの制作会社で働いていました。働いている中で、「やっぱりアートやりて〜!」という熱が起こり、次に勉強する場所として、東京藝術大学大学院の美術教育研究室を選びました。そして、2020年度、大学院を修了します。

 

ー美術を始めたきかっけ

 

平山 この写真は僕と兄です。粘土をいじって遊んでいます。

平山 僕には兄が二人いるんですが、真ん中の兄が、社会的に自閉症という障害があると分けられている人です。幼少期、兄と一緒に絵を描いたり、粘土で何かをつくっていました。

 

高校生になって将来を考えたとき、自分は勉強が全くできなくて、その代わり、普通科高校の中では、わりと絵を描くことや何かをつくることが得意だったので、自分にはこれしかないと思って美大を目指しました。

 

立体をつくるのが得意だったので、東京造形大学の彫刻科に進学しました。

 

ー原点:つくるとは何か

(高さ:平均35cm程度 横幅:25cm程度)

 

平山 これは大学2年生のときに作った作品で、6体で1つの作品です。

20歳になって、「とりあえず大学で1年間勉強したけど、何でつくっているんだろう?」と思う時期に初めて突入しました。その頃の作品です。

実は、物をつくることは、得意なんだけど、いまだにそんなに好きじゃないんです。

 

当時から、漠然と土偶や岡本太郎が好きでした。上手い下手という表面的な凄さではなく、作品が持つ時間軸や作者の情熱など計り知れない感覚の部分が作品に出力されたものに興味があったので。

『原点』では、縄文時代の前期から晩期までの時代の区分ごとに特徴的なデザインの土偶を引用して、0〜3歳まで、4〜8歳くらいまで、というように20歳までの自分を6つに分割して、それぞれを彫像で表現しました。

 

ーインドの地:人が生きるとは何か

 

平山 インドのガンジャード村で実施されたプロジェクトの中で作った、ピザやクッキーなどを焼くための窯です。ガンジャード村で暮らすワルリ族の文化の根幹にある“人間と自然が共生できる環境を守ること”という精神に感銘を受けて、この場に末長くあってほしいという思いを込めてつくりました。

 

ワルリ族のアースオーブンを利用すると、オーブンで作ったものを人が食べて排泄物になり、それが畑の養分として使われ、畑でできた野菜がオーブンで料理になる、と循環する仕組みになっています。

 

いままで、日本の社会のシステムや、日頃食べているもの、環境について考えることが全くなかったのですが、このプロジェクトでインドの文化に触れ、生きることに関わる様々なことに対して意識的に疑問に思うようになりました。

 

全体を通して、色んな物事を自分の中で変換する思考を身に付け、思考が柔軟になれたと感じます。

 

ー情動:社会とは何か


 

平山 インドの経験で、日本の社会や政治について強く意識を向けるようになっていました。並行して、友人がSEALDsに参加して政治的な活動をしていたことや、母(が実施している障害がある人を対象に美術のワークショップを通して支援する社会活動)のプロジェクトを本格的に手伝うようになったこともあり、人に対する差別意識や社会のシステムへの意識はより強くなりました。

 

当時、SEALDsのデモが国会議事堂前で実施されていて、SNS上はカオスな状態になっていました。現場はどんな様子なのかと思い見に行ったら、スピーチしている人もいれば、参加している風の様子をSNSに投稿をするだけの人もいました。

 

作品の猿は、そのデモの場にいた日本人を象徴していて、鑑賞者がどこから見ても猿と目が合うようになっています。上から投影している映像は、国会議事堂の近くにある日比谷公園の噴水でできた波紋を撮ったものです。

作品では、本質ではない問題が発生していることや声を荒げたところで何も変わらないこと、そして、自分を含めたそこにいる人たちの感情の起伏を表現しています。

 

一番尖っていた時期の作品ですね。この時期は、バンド活動で演奏していた曲も尖っていたような気がします(笑)。

 

ー手のひらと足の裏:人が求めるものは何か

回帰/2018 ◎野焼きした粘土、iPad

 

享受する層形/2019 ◎野焼きした粘土、液晶モニター

 

平山 初めて開いた個展で、大学院二年目のときに実施しました。

 

壁のiPadと机の液晶モニターには、焼成前の土像の写真が映し出されています。

オリジナルの土像を作って、縄文時代の土器の焼成方法である「野焼き」で焼成し、火入れにより破裂したその状態のまま展示しています。

 

作品では、人間の様々な欲求を表現しています。

モニターに映し出されている焼成前の土像は、モニターという媒体の持つ特徴と焼成前という姿を通して、理想を追い求めるという欲求を。その欲求は、土偶が持つ特徴である、縄文時代の人々が生活への祈り(理想を求める思い)を込めて土偶を作ったというエピソードともリンクします。

しかし、焼成後の土像は破裂してしまっています。出来上がった現実は、理想は異なることを明示した上で、それでも人々が現実を受け入れようとする欲求を表します。

 

理想と現実の対比は、窓から見える、遠くのきらびやかな渋谷のヒカリエ、ヒカリエから展示場所までの街並みに広がるビルを取り壊す工事現場、そして展示後に取り壊し予定の展示会場のビルという、まさにスクラップアンドビルドの街並みからも人の欲求を表現していたそうです。

 

平山 色んな視点で色んなレイヤーの欲求を、良くも悪くも詰め込みまくったので、今でも一番説明しにくいです。いままでの作品から受けた影響はすべてこの作品に反映されていると思います。

 

ーハカイオウ:兄と自分の関係性とは何か

 

平山 大学院二年目のとき(2019年度)に、ゲンロン カオス*ラウンジ 新芸術校(以下、新芸術校)に入りました。カルチャースクールに似ていますが、1年間を通じたコンペティションに参加するというような形式でした。

そのコンペで、金賞をいただくことができ、最終展示「プレイルーム」で展示しました。その時の作品が、卒業展示の最初の形態の「モンスター大戦記ハカイオウ」です。

 

平山 兄は僕のほっぺたをさすることがあった。これは、兄の造語で「シュリュー」と呼ばれる行為らしく、僕にしかやらなかった。

作品では、「シュリュー」を自分に対しての親しみの合図と定義した上で、自分が学んできた彫塑という文脈に載せ、粘土を指で触って物をつくる動作で手を介すことで、自分なりの「シュリュー」を兄にし返すという内容になっています。

 

モチーフにしたものは、兄の作品で、僕の作品を制作しようとした当時に描き進めていた絵が「モンスター大戦記ハカイオウ」でした。

ハカイオウの登場人物たちは兄の物語に登場するもので、ただ立体化しているわけではなく、兄との対話を通して生まれた兄を理解したいという気持ちの痕跡で構築されています。そのため、展示会場では、兄との対話の録音も流していました。

 

平山 これまでの制作における色んな問題意識や思考の視点の違いについて考えたときに、そもそもなぜ考えているのかについて問い直しました。

そして、自分の中のセンシティブな、本質的な問題だと思っていることを、いままで違う問題に変換して考えていたと気付きました。

格好をつけずに「本質的な問題は何か」を苦しみながら考えたら、兄に対する社会のあり方への問題意識があり、それを感じている自分の逆説的な差別意識がありました。

 

自分の持っていた解決方法は、美術のツールを使って何か表現することでした。

兄の絵を通じて兄を理解すること、兄と自分のペインターと彫刻家という家族ではない関係性を用いて互いの関係を捉えて出力すること、それらに突破口があるのではないか。

加えて、幼い頃の関係性を持ち出すことで、自分の差別意識や兄の作品の見られ方の解体になるのではないか。

そのように、方向性が決まっていき、作品となっていきました。

 

平山 この作品によって、兄の絵は”障害者”というステータスが含まれた絵ではなく、僕が兄を理解しようとした痕跡としていままでと異なる作品として見られることができ、また、自分もその痕跡を客観的に見ることができ、兄への理解の助けになると感じています。

 

これをアップデートしたものが、藝大の修了作品展で展示した作品です。

 

<ここで、とびラーから「兄の絵を再構築することで自分の解決になったのか」という質問が挙がりました。>

 

平山 作品をつくる前とは違う関係性になっていると感じます。

この作品をつくったことで、美術をやってきてよかったと思えたし、母の活動を通して問題意識を感じていた「アール・ブリュット」や「障害」の捉えられ方に対してもカウンターにもなれたと思っています。

 

<質問をしたとびラーからは、最初はどう作品を見たらいいのかわからなかったが、謎が解けてきて、平山さんご自身の今後の活動の目指す概念の解体にも繋がると感じた、とのコメントがありました。>

 

ー今後の展開

 

現在、自分を取り巻くアートの環境では、グループで活動をしている人が多い。あえて、僕は、一人で「アトリエ・サロン-交新局 こうしんきょく」を近日中に開場しようと考えています。(実施日時点では、名前は未定でしたが、決定したようで、徐々に活動を進めているそうです。)

自分のアトリエでもありつつ、だれでも気軽に人と会うことができる場所にしたいと考えています。

 

コンセプトは決まっていない、はっきり決めたいとも思っていない。

「美術」「教育」「福祉」などの境界を意識しすぎてしまうと、それらの概念が解体されず、新しいものが生まれない気がしています。もっと柔軟に捉えて、境界を意識せずに、ただ人と人が交流することが目的になったときに得られることは、本質的な学びがあるんじゃないか。概念の解体にもなり、自分の活動に通じるものがあると考えています。

 

 

■アーティスト×アート・コミュニケータの社会活動について考える

 

ここには載せきれないほど、たくさんのお話を聞けてお腹一杯な状態でしたが、とびラー同士で意見を交換しながら、アーティスト×アート・コミュニケータの可能性にちょっとでも踏み込んでいきます。

 

ここからは、とびラー同士が4〜5名程度のグループの部屋に分かれて、テーマについて話をするワークに進みます。

テーマは、「平山さんの作ろうとしている場所でアート・コミュニケータとしてできること・やりたいこと」です。場所の物理的な情報や目的などの情報が共有された上で、20分間、4つのグループに分かれてディスカッションをしました。

 

グループトークが終わったら、ディスカッションの結果をグループの代表者から発表をしてもらい、平山さんから感想や意見をもらいました。

 

全てのグループで、平山さんが目指す場所はこんな場所だろうか、と場所の定義が議論されたようで、考えたイメージを平山さんにぶつける形となりました。その考えを受けて、平山さんが概念的に説明していた部分をより具体的に開示していく対話が生まれ、徐々にお互いの解像度が上がっていきました。

 

最終的に、サードプレイスの中のさらに細分化された平山さん中心のサードプレイスにしたい、場と活動のバランスの取り方は自分が楽しくあることを大事にしたい、と目指す姿を共有することができました。

 

ディスカッションのテーマは、アート・コミュニケータとしてできることを考えることでしたが、お互いを知らないうちに考えられる話ではなかったという結果となってしまいました。しかし、この日の出来事が、お互いの理解を深め、次のアクションの礎になったことは参加者の多くに感じてもらえたと思います。

とびラーにとっては、作家の背景や視点の変遷を聞くことができる機会となり、作品への理解やこれからの活動への理解を深めることができたこと、さらには、対話を通し、アーティストから恩恵を享受するだけではなく、同じ世界線で生きる人としてフラットな関係性を実感できたこと。

アーティストにとっては、話を聞いてくれる人を通して自身の考えを整理する場を得られ、直接的な支援でなくても、理解を示し社会とつないでくれる存在がいることを認識できたこと。そのような存在は作品作りにも大きな心の支えとなると、平山さんからもコメントがありました。

 

とびラーが普段接するのは、いわゆる特別展に展示されるような歴史的な⽂化財であることが多く、⽣⾝のアーティストと接する機会は多くありません。しかしながら、歴史的な文化財もすべては誰かの⼿によって制作されたもの。そこには作り⼿の歴史があり志があったはずです。とびラーが美術館から外に出たときには、社会の中にいる現役のアーティストと接点を持つ活動も多くなると考えられます。

そんなときに、アート・コミュニケータは率先して、アーティストへの理解を深め、それを他の人に繋ぎ、アーティストの活動を支えることができる存在だと、私は思います。

 

 

最後に、平山さんからあっという間の2時間で、貴重な経験になったとコメントをいただき、大変楽しいでいただけた様子でした。

締めは、恐竜のポーズで記念写真!

ご参加いただいた皆様、ありがとうございました!

 

 

 

平山さんの活動と、開扉したとびラーの社会での活動はまだまだ続きます。

ここで出会い考えた時間が、また繋がりたくなるきっかけになったはず。

どこかで交差し、一緒に誰もが参加できる場を作っていける日を願います。

 

 


 

執筆:木村 仁美

7期とびラーです。
とびらプロジェクトに参加して得られた数々の出会いを大事にして、次の活動にまた進めたらと思います。

「7合目より上の木地師たちの自由な世界を追って…」藝大生インタビュー2020 | 美術研究科建築専攻 修士3年 ・原田栞さん

2021.01.28

年明けの寒い1月6日、人がまばらな藝大上野校地美術学部内。建築科のアトリエを目指し、エレベーターで上がっていくと、原田栞さんが、柔らかな笑顔で迎えてくださいました。

案内されて入った研究室で、「この研究室は建築意匠ではなく、建築理論専攻の研究室です」と一言。机の上には、学科内発表が終わったばかりの80数ページにわたる分厚い論文と、大きな図表や本の等の資料を用意してくださっており、早速、修士論文の内容について、熱く語ってくれました。

 

 

修士論文はどんなテーマを扱っているのですか?

 

論文のタイトルは、「氏子かり帳に記録される木地師の時空間 江戸時代における木地師の所在地とその変遷の空間的分析」です。江戸時代から明治維新までの間、定住せず、山の中で移動生活を送っていた “木地師”という人々の生活を、研究テーマにしました。

 

 

木地師とは?

 

“木地”とは、お椀やお盆等の漆を塗る前の素地の状態のこと。“木地師”はそれを作る人々です。木地師は山の中で、原木を切り倒し、分割し、ろくろや鉋を使って木をひき、あら型を作ります。できたあら型は、定期的に都市部に運んでいました。これを、さらにろくろできれいに仕上げる都市型木地師もおり、その後、あら型は塗師に渡され、漆を塗って仕上げられていました。

 

 

原田さんが木地師を知ったきっかけは?

 

宮本常一という民俗学者の「山に生きる人々」を読んだことです。
「平地から距離をとって、山の中に、自分たちだけの、7合目より上という世界観を形成して、その間を街道を使わずに、自由に行き来していたようである。」というのを読んで、ロマンチックだなと思って、惹かれました。

 

そんな“木地師”をどういった視点から研究されたのですか?

 

10年に1度、滋賀県の木地師を管理する立場にある人達が、全国の山の中に散らばっている木地師のもとを、一人ひとり訪ね歩いていき、金銭を徴収する代わりに、身分を保証する“氏子かり”という制度がありました。この“氏子かり帳”は、その際に、誰からいくら徴収したかということが、位置情報と共に記録されたものです。

 

「氏子かり帳」(永源寺町史、滋賀木地師上下巻)

 

通常、江戸時代の人々は、人別帳という定住している村のお寺や神社で管理する戸籍のようなものに、記録されていますが、木地師たちは、定住していないので、戸籍のような形は残っていません。しかし、お金のやり取りとともに、位置情報が氏子かり帳に記録されています。その250年分、34回分の位置情報を、地図上に可視化することで、その生活領域を再現しようと思いました。すでにあるものをこれだけの量の情報が残っているので、民俗学や農業経済学などの他の専攻の人と被らないような建築学的手法で、木地師の生活を再解釈できるのではと、考えました。

 

この“氏子かり帳”は、どこで手に入れられたのですか?

 

木地師が面白いなと思い始めた2019年の秋、どういったアプローチをするか悩みながら、とりあえず、氏子かりをしていた人々の拠点であった、滋賀県の永源寺に、行ってみました。レンタカーで、京都から1時間半ぐらい、田んぼの間を運転していたら、急に山が現れて、さらに、森の中の細い道を30分位進みます。木地師の二大拠点である蛭谷、君ケ畑は、永源寺よりも、さらに上る究極の山奥で、ほとんど人が住んでいませんでしたが、立派な境内の神社があり、きれいに手入れされていました。今でも1年に1回、木地師フォーラムが開かれており、木地師にとっては聖地です。当時の会津の木地師たちは、お伊勢参りをしながら、永源寺にも行っていた記録があります。そんな場所にある資料館を開けてもらい、そこで、この永源寺町史を購入しました。

 

そんな滋賀県の山中が、なぜ木地師の中心地として残り続けたのでしょうか?

 

この場所に、ろくろの発見がきっかけで、神聖視されたという人物がいて、ここに住む人たちは、その人の家臣の子孫であるという伝説があります。それをもとに、木地師たちの一体感が、全国で形成されていきました。永源寺から他の場所へ移っていった記録は多く、全国にも別流派がいくつもありましたが、次第に統合されていきました。そこには、人別帳に入れなくて困っている木地師から、お金を徴収し、身分を保障するという永源寺の氏子を、遠方で獲得する仕組みがありました。

 

木地師や氏子かりの制度について、だんだんわかってきました。
では、250年分の膨大な資料の調査は、具体的にどんなところから着手されたのでしょうか?

 

まず初めに、江戸時代の木地師たちの移動情報を、日本地図に点で落とし込んでいき、位置情報を可視化しようと思いました。250年分の中から、奇数回20年に1回分の情報を、赤い点にして書き入れています。お金のやりとりを、250年分追いかけるのは、きついなと思ったこともありましたが、圧倒的な資料だったので、この調査をメインにすると決めて、コツコツ取り組み、一年かけて完成させました。

 

この図が、位置情報を可視化したものということですか?

17C中頃 18C中頃 19C末   時代の変化による移り変わり

 

そうです。最初、氏子かりは、滋賀県琵琶湖東側で、西日本中心のネットワークとして出発するのですが、東日本にも徐々に参加者を獲得して、全国に広がっていきました。

江戸時代の木地師たちは、「私たちは、古来からこの活動をしているから、由緒ある活動として認められるべき」と主張していました。それが、社会にもある程度認められていて、日本人が世界のどこにいても、日本のパスポートを携帯しているように、住んでいる土地に関わらず、木地師のネットワークに所属しているということが、認められていました。明治維新以降、戸籍制度が厳しくなり、木地師たちも戸籍に編入されていきますが、昭和初期まで山の中で暮らしを続けていた人の記録が残っています。

 

実際にやってみて、どんなことがわかりましたか?

 

まず、地域による木地師の移動スタイルの違いです。中国山地では、山林が管理されていたため、持続的に伐採を行い、同じ場所に住み続けることができました。一方、紀伊半島では、広大な森林面積に対して、木地師の数が少なかったからか、その場を放棄する前提で、木を伐りつくしては次の場所に移っていました。こちらの方が全国的な特徴です。

 

 

次に、氏子かりの巡回ルートについてです。江戸時代、移動を制限された社会制度の中で、特異な例として、木地師たちは、自分たちの生活を、なんとか持続していました。氏子かりを行う廻国人は、特別に、藩領の境界に関係なく、移動することができました。平地の人間にとっては、田んぼが切り開けない、畑にも向かないという価値のない場所からは、正反対の土地を、木地師たちは、生活の場に選んでいました。彼らにとっては、見不便な山地こそ価値のある空間でした。

 

 

廻国人の移動の点を追っていく中で、奈良、三重から滋賀県の日野に、急に北上し、また戻っている部分がありました。不便で合理的でないのに、なぜと思いましたが、そこには、高すぎず低すぎない布引山脈の尾根が日野まで連なっていました。平地の人から見ると山地は難所でも、木地師にとっては歩きなれた道であります。また、木地師は、山地と平地の社会を、はっきりと区別し、技術者というプライドを、高く持って生活していました。木地師は、平地に行くと目立ち、地域によっては、差別されることもなかったわけではないのですが、山の中の道は、誰にも会うことなく、快適に歩くことができる道でもありました。これは、木地師の領域、移動の特徴的なことを表していて、面白いと思います。

 

 

氏子かり帳から、木地師の活動範囲だけでなく、移動ルートまでわかるのですね。他にも発見されたことはありますか?

 

木地師の所在地がわかるということは、標高についても、ある程度、特定できるということなので、17C位の木地師の所在地を、すべて標高の分布図に表してみました。

 

 

木地師たちは、「山7合目以上の土地は、自由に移動して自由に木を切っていいと、昔から約束されている」という根拠のない主張をしているのですが、山7合目というのは、あくまで表現上のことで、350~1200mまでの間で生活していたことがわかりました。

また、その350~1200mまでの間だけを図示したら、木地師の世界が見えてくるのではないかと思い、日本列島の図を作りました。青いあたりが350mから始まって、赤くなるほどに高く、1200m以上のところは表示していません。

 

 

平地の生活から距離を置いて、自分の生活を築いているといっても、あら型を出荷する必要があり、街道から離れすぎてしまうと生活に支障が出るので、標高にも限度があったのかなと思います。

山の民と言われる木地師やマタギなどの人たちの、「秋田から奈良まで平地に下りずに移動することが可能だった」という証言が残っていて、本当に行けたのかなと、ずっと思っていましたが、この図の上で確認してみると、確かに山地は秋田のあたりから奈良まで山の民が暮らした特徴的な標高の空間が連なっていることがわかり、嬉しかったです。

一個一個、地図に落とし込むという地道な作業ではありましたが、7合目というぼんやりと表現していた高さを確かめられたのが、自分の中ではこの研究でやりたいことだったと思っています。

 

―原田さんの建築理論的なアプローチで、仮説に裏付けができたのですね。こちらの図は何を表しているのですか?

 

これは、個人の木地師の移動を追ったものです。木地師は、土地を所有していないので土地の相続問題がなく、技術を子どもたちに平等に与え、継承していました。氏子かり帳の大きな特徴として、長男、次男という記載はなく、子何人ということだけが記録されています。

氏子かりごとに木地師の名前を追い、とある一家3世代の100年間にわたる移住を、青の折れ線で表しました。この家族を追っていくと、属する集団が、移り変わっていきます。最初の、移動3回分は、ある家族と行動を共にしていますが、その後離れて、自分の家族だけで住んでいる期間もあれば、また他の家族と一緒に暮らして、別れたり、さらに、違う集団を形成したり、自由に移動を繰り返しています。平地で継承されている家は、子どもが生まれなければ、相続者を得るために、養子をもらい、完全に血縁のない人が、跡を継ぐことがあると思いますが、木地師は一旦解散した後、しばらくしてまた一緒になったり、100年後位に、また孫の世代が一緒になったり、個人主義ながらも、血縁が意識されているのが、面白いところだと思いました。一人ひとりが技術を持った人なので、土地に縛られる必要がなかったのでしょう。

 

 

学科内発表での先生方の講評はいかがでしたか?

 

今まで見えてこなかった社会層をお見せできたので、先生方の反応は良かったです。建築家として面白がっていただけました。どうやってこのテーマに至ったのかの話が多かったです。

 

 

最後に、原田さんの今後の展望について聞かせていただけますか。

 

藝大生あるあるですが、就職活動はこれからです。これまでやってきたことは、頭の中にあるので、咀嚼し、一旦距離をとって、また考えを広げていければいいなと思います。論文を出版する予定はないですが、自分で短い冊子にまとめて残そうと思っています。

謎が多く残る木地師のネットワークですが、また、続きのような感じで、次の人がやってくれると、違う視点が入るので面白いなと思います。木地師研究の面白いところは、いろんな学問の分野からできるところだと思います。

 

 

インタビューを終えて

 

原田さんには、知らない世界を開いて頂き、お話を聞いていて、その世界にどんどん引き込まれていきました。興味を持ったものに自分の専門性を活かして、アプローチされた研究結果は、驚きと感心することの連続で、大変面白かったです。話の一言一言に、研究への熱い情熱を感じ、木地師の世界に浸ったあっという間の1時間半でした。

 

 


取材|石山敬子、井上夏実、山中みどり(アート・コミュニケータ「とびラー」)

 

執筆|石山敬子 編集|井上夏実、山中みどり

 

アートを通じて、多くの人たちと関わりたいと思い、とびラーになって2年目。あいうえのやラボで、都美等の建築に触れることが多かった今年度は、その奥深い魅力に、すっかりハマってしまいました。(石山)

 

インタビューに思いがけず登場した滋賀県出身。歴史や思想など、目に見えない情報も詰まった建築の魅力を伝えられるよう、日々活動中です。(井上)

 

 

とびラー1年目。発見と学びの1年でした。このインタビューで、またもや、今までとは違う視点や捉え方が新たな発見につながり、素晴らしい結果が生み出されることを学びました。(山中)

 

「文字が空を飛ぶ!浮遊するコミュニケーションを体感せよ☆」藝大生インタビュー2020|先端芸術表現 学部4年・奧野智萌さん

2021.01.28

12月15日の午後2時、茨城県にある東京藝術大学の取手キャンパス。先端美術学部4年生の奧野智萌さんを訪ねたのは、とびらー4名にスタッフ2名の計6名。

 

「思ったより来られた人数が多くてびっくりしちゃいました。緊張しちゃいますね」

そう言いながら、1対6の圧(奧野さんすみませんでした!)に照れ笑いを浮かべた奥野さんは、赤いタートルネックと、細い銀縁の丸メガネがお似合いのキュートな女性。そんな彼女に連れられて入ったのは、普段は学生たちが素材置き場や作業場として使っている、という大きな部屋だった。

何故か電気が消えていて薄暗くミステリアスな雰囲気…とドキドキしながら、私たちは奧野さんの卒業作品といざ対面!させて頂くことに。そこには…。

小さなピアノが! このピアノが、奥野さんの卒業制作作品だという。

 

作品タイトルは『 Finger Braille Piano』

Finger =指、Braille=点字 だから日本語では「指点字ピアノ」という意味になる。

 

「“指点字”っていうものがこの世にあって。盲ろう者の人のコミュニケーション方法の一つで。それが人差し指から薬指の6本の指を使って、盲ろう者の6本の指に重ねて打つんですけど。その動きのルールを用いて作った“ピアノ”です」

奥野さんはそう言ってからピアノの前に座ると、鍵盤をぽんと叩いた。すると可愛らしい音と共に、いくつかの丸い光とひらがなの「め」が、スクリーンとなっている白い布に映しだされた。 続けて奥野さんの指が他の音をならすたびに、違うひらがなが浮かび上がってくる。ピアノにはプロジェクターが取り付けられており、鍵盤の動きに合わせて、文字が映し出される仕組みになっているのだ。

暗闇の中に映し出される光と文字を見ながら、うお、面白い!とか、ああ、なるほど!このために部屋を暗くしてあったのか!ふむふむ…などと思いながらも、奥野さんのこの作品が何を表しているのか、この時点では全く理解できていなかった。

 

■指点字とは?

 

そもそも「指点字」とはなんぞや?ということで、まずは「指点字」についての説明を、奥野さん自身による制作の記録から抜粋させて頂く。

 

『指点字とは、盲ろう者の人差し指から薬指の6指を点字タイプライターのキーに見立てて直接点字を打つコミュニケーション。「盲ろう者」というのは「目(視覚)と耳(聴覚)の両方に障害を併せ持つ人」の総称であり、一口に盲ろう者と言ってもその障害の状態と程度は様々。だから「盲ろう者」の方が使うコミュニケーションの方法はいくつかあるのだが、その中でも、視力と聴力を完全に失った「全盲ろう」の方やそれに近い状態の人々が用いるのは、触覚を用いた接触によるコミュニケーションである』

 

なぜ指点字で6本の指を使うのかというと、視覚障害者が使う「点字」が6つの点の組み合わせで構成されているからなのだとか。(指点字は元々点字をベースに考えられている)点字を打つための、点字タイプライターのキー配置が、左右の「人差し指、中指、薬指」、合計6本の指にそのまま割り振られ、それが「指点字」に使われているという。

実は、 2020年の2月から「指点字通訳者」としても活動しているという奥野さん。

 

指点字の通訳者たちは、私たちがパソコンのキーボード を打つような感覚で盲ろう者の6本の指の爪の付け根あたりをタップしていき、会話をするのだが、奥野さんは、この『Finger Braille Piano』で、その盲ろう者の6本の指を、6個の鍵盤で表した。

 

そして鍵盤にマイクロコンピューターのシステムを組み込みんだことで、それぞれの鍵盤を指点字のルールに沿って押せば、その文字が映し出される仕組みが出来上がった。

「ちなみに、これ、英語も数字も出ます。こことこれを同時に押すと『ぎゃ』とかになります」

 

なんと、ひらがなだけではなく「指点字の法則」に従って英語や数字にも切り替えることができるという。作品の仕組みを理解し始めると、更に興奮が増し、わあ!すごい!おおーっ!と大の大人揃いである我々取材陣も、歓声をあげてはしゃいでしまう。

 

指点字の知識がほとんどなかった私たちに、ものの30分程で指点字のルールの基礎を理解させてくれた、奧野さんの「指点字ピアノ」という作品。しかもとても楽しい!ということで、なぜこれが作られることになったのか、奥野さんの動機ときっかけを、めちゃくちゃ知りたくてたまらなくなってしまった…!

 

■東京大学 福島智先生との出会い

 

「2019年の12月に横浜国立大学で、東京大学教授の福島先生の授業があって。私は出ていなかったんですけど、学部の同期が福島先生から名刺をもらってきて。福島先生が『指点字の通訳者に興味があって、指を動かせる子がいたら連絡して』っておっしゃっていたと教えてもらったのがそもそもの始まりですね 」

 

「福島先生が、指の動く子がいたら、っておっしゃったときいて。私は3歳から10 までピアノを習っていた、ということもあって。仕事するっていうよりかは、研究室に遊びに行ってみるみたいな感じで。福島先生にお会いしたのをきっかけに、じゃあちょっと覚えてみよっか、と始まりました」

 

奥野さん曰く、指点字の配列を覚えること自体はそんなに難しいことではないらしい。しかし。

 

「それを普通の人が喋ってるスピードで打つ、指を早く動かす、ということが結構大変で。ピアノを習っていた人はそれが得意、というか」

 

つまり指点字通訳者には、指を滑らかに早く動かせる人が向いていて、奥野さんはそれに当てはまった。

 

指点字通訳者は、我々のごく普通の会話のテンポにあわせて通訳するだけでも、驚くほど早く指を動かさなければならない。展示当日にはピアノと共に、奥野さんが福島先生にインタビューしている動画も流すというのだが、その目的は。

 

「福島先生へのインタビュー映像は、私が、ばーっと質問を指点字で先生の指に打って、それに先生が答えてくださっているんですけど。インタビューをピアノと一緒に展示するのは、指点字がどういうものか、どういうスピードでコミュニケーションが進んでいくものなのかも見て欲しくて。

 

通訳者になって今1年くらいなのですが、会議の通訳とかはまだできなくて。まだまだ勉強することが多いです」

 

まだまだ…と言いながら、指点字について語る奥野さんはとても熱っぽくなんだか楽しそうだ。

 

「今までやってきた仕事とかアルバイトの中だと一番楽しい、って思ってる気がしますね。行きの電車が辛くないというか」

 

『行きの電車が辛くない』というパワーワードに私たち取材陣は爆笑。その爆笑に、ふふふっと照れ笑いを返してくれた奥野さんがとてもキュートで、その場が一気に和んじゃいました。

 

なぜ『ピアノ』で表現した?

 

指点字をピアノで表現しようと思いついたのは、ピアノ経験者が指点字に向いているということや、18歳までは聴覚があった福島先生がピアノをやっていたこと、など、指点字とピアノの関係から発想したそうだ。

 

奥野さんは当初、文字だけを映し出すつもりだった。でも作品のプランを福島先生に話した時に 、色をつけたらどう?と提案されたという。

 

視覚を失ったとしても、何歳で失ったかにより色の記憶がある人も多く、そのような人の中には点字に色を感じる人もいるそうだ。

 

奥野さんは、その後福島先生から『6色といえば、アメリカ などでは虹は6色と言われている』という話を聞き、6個の鍵盤に対応する6色は虹の色を割り振ることにしたそうだ。

「今年はコロナの影響で、お客さんに触ってもらう作品を作れなくて。だから展示当日、本番の日は、私がピアノで状況説明っていうのをひたすらやろうと思っていて。例えば今だったら…」

 

そう言ってあたりを見渡したあと、奥野さんが連続して鍵盤を叩くと白い布に一文字ずつ映し出され、『ひだりがわにさかなのかたちのえがあります』という文章が完成した。この時実際にピアノの左横に魚の形の絵があったのだが、それを『Finger Braille Piano 』で『状況説明』してくれた、というわけだ。

 

指点字が飛んでいく

 

ピアノからカラフルな文字が飛んでいくようなその様子を、「指点字が飛んでいくんですね」と、とびらーの1人がそう表現すると、奥野さんはそうなんです、といった。

 

「普段、盲ろう者が一方的に受けている言葉で説明されるみたいなことを、それがどういうものかをこの『Finger Braille Piano』 で可視化したくて。普段、盲ろう者の方がどのような体験をしているのかを、通訳者の私が、指点字でこのピアノを打つことで、健常者の人にも体験してもらうことができます。

 

私を含めてここにいる皆さんは全員、見えて聞こえているので、勝手にこの空間を共有できているんですけど。こっちにホワイトボードがあるので、これ以上こっちには行けませんよ、とか。

 

でも、そういうことを一から説明を受けている人がいるんですよね。目の見えない人たちは、こっち、あっち、っていう概念がないから細かく言葉で説明していかないと伝わらない。そういう人たちのコミュニケーションを構成しているもの。私たちが当たり前になっているものについて考えるきっかけになったりしないかな、って」

 

「私は指点字を空中に飛ばす、ことをやりたくてこのピアノを作ったんですけど、文字を飛ばしても、盲ろうの人には見えない。つまりこのピアノは、盲ろう者が日常的に使えるものではないので、彼らにとっては、全く実用的な道具ではないんですよね。

でもそれがやりたかったというか。私が藝術大学にいるから作れるもの、というか。実用的に役立つものじゃないけど、そういうのを作れたらいいなあ、って」

指点字や盲ろう者との関わりをテーマにした作品、と聞くと、その制作背景を想像したときに、どうしても『福祉的、社会的に実用化できるもの』的な要素や意義があると思われがちだ。

 

もちろん奥野さんも、この作品により指点字が多くの人に知られるきっかけになればいいと思ってはいる。実際に私たち取材陣は指点字について知識を増やすことができたのだから、この作品にその力は十分にある 。

 

だが今回の作品を作る上で、奥野さんの核となったのは、あくまでも『自分が指点字と出会い通訳者となって感じたこと』を『芸術を学ぶ学生だからこその方法』で表現する、ということだった。

 

芸術で伝える『コミュニケーション』

 

「指点字って接触者との1対1のコミュニケーションだから、たとえそこにたくさんの人がいる会話の中でも、2人だけの閉じた世界になりやすいんですよね。

 

外界との間に壁ができるというか。だからもっと指点字の世界を開けないかな、とか可視化できないかな、と。そういうことをなんかぼやぼや考えて。私だったら、それをどういう風に表現できるだろう、って」

 

そうして奥野さんは、指点字を『飛ばす』ということを思いつき、福島先生にも相談しながら出来上がったのが、今回の『Finger Braille Piano』だ。展示当日は、そのピアノを、通訳者(奥野さん)が弾く。それにより私たち鑑賞者は、盲ろう者が使っているコミュニケーション方法を擬似体験することができる。

「指点字を勉強し始めたばかりの頃は、指点字さえ覚えれば、盲ろう者の方と会話できると思っていました。でも実際はそんな単純なことではなかったんです。

 

福島先生がよくおっしゃっているのですが、盲ろう者にとって、指点字というコミュニケーションツールがあるからもう大丈夫、というわけじゃなくて、そのツールをどう使うかが大切なことだと。今回はそこまでこの指点字ピアノだけで表現しきれていないですけど…そう言った意味もあって、福島先生のインタビューの映像も一緒に展示することにしたんですよね。

 

コミュニケーションツールをどう使うの?っていう問題は、見えたり聞こえたりしている私たちも一緒だと思いませんか?今コロナで、なかなか対面で会えなくなって、色んなコミュニケーションツールはあるんだけど、それをきちんと使えているのかなとか」

 

1時間半に及ぶインタビュー中、奥野さんの口から繰り返し繰り返し、最も多く発せられたのは、『コミュニケーション』というワードだったように思う。

 

そんな奥野さんのメッセージがぎゅぎゅぎゅ、っと詰まったであろう『Finger Braille Piano』。

 

おまけ

取手キャンパスで飼われていた山羊とコミュニケーションをとる とびラー

 


取材:荒井 茂洋、河野 さやか、合六 幸恵、豊吉 真吾

執筆:合六 幸恵、豊吉 真吾

 

とびらー9期です。普段はテレビ番組のディレクターをしています。奥野さんの作品&取材から指点字に一気に興味が湧き、本業でも何か…と目論み中です。ワクワク!(合六 幸恵)

 

 

とびらー8期です。正解がないアートの世界に魅せられて、とびラーとなり、はやくも2年が経とうとしています。多彩で面白い仲間と一緒に、プロジェクトを育てていく喜びを感じています。普段は音に関わる仕事をしており、今回の藝大生インタビューはとびラーとしてこの上ない幸せでした。(豊吉 真吾)

「金継ぎを通して作品が伝えるストーリーの一部になる」藝大生インタビュー2020|グローバルアートプラクティス専攻 修士2年・Nuttall Clementine Sarahさん

2021.01.28

花瓶をたたき割るシーンから始まるショートフィルム『UNBROKEN』。【金継ぎ】をテーマにした、このショートフィルムのプロデューサーでもあり出演者でもある、クレメンタイン・ナットールさん。彼女にお話をうかがうため12月4日、東京藝術大学取手キャンパスに、黄星・内田淳子・石毛正修・安藤淳4名のとびラーで向かいました。ショートフィルムの中では終始、厳しい表情だったクレメンタインさんでしたが、寒い中、私たちを笑顔で出迎えてくれました。

 

―はじめまして

「今日は、よろしくお願いします。クレメンタイン・ナットールです。私は英国の出身で、国費外国人留学生として日本にはもう4年近く住んでいます。日本に来る前は、英国で彫刻、建築の保存修復の勉強をしていました」

 

 

―保存修復に興味を持ったきっかけは?

「高校を卒業したとき、自分が何をやりたいか? まだはっきりと分かりませんでした。なので、18歳で高校を卒業した後、そのまま大学に進学するのではなく、1年間旅に出たんです。世界中を旅して、興味を惹かれるものをたくさん見ました。その中で、私に多くのことを語りかけてきたのは建物やその装飾でした。そして、旅の途中で保存修復作業をしている人たちに出会い、モンゴルでは壁造りのプロジェクトを手伝いました。ドライストンウォーリング、壁造りですね。歴史的に重要な壁の保存修復を手伝いました。その時、『ロンドンに戻ったら修復の勉強をしよう』と思ったのです。初めは石彫、それから木彫を勉強。その後しばらく建築物の保存修復を勉強して、建築の保存修復の修士号を取得しました」

 

 

―日本に興味を持たれたのは?

「マーガレット・ベロディ先生がきっかけです。彼女は、英国の大学で修士課程にいたときの日本美術の先生でした。先生が退職される最後の年に先生の授業をとりました。当時先生は80代でしたが、人生を通じて日本の漆をとても愛している方でした。このベロディ先生のご家族の奨学金で2007年、初めて日本に来ました。日本を紹介してくれたのは先生ですし、日本に対する先生の愛や情熱を私が引き継いだのだと思っています。残念ながら、数年前に亡くなってしまいましたが、西洋で漆に携わっている人なら誰でも先生の名前を知っています」

 

 

―【金継ぎ】もその時に?

「そうですね。【金継ぎ】の発祥の地は日本です。ただ【金継ぎ】という保存修復の考え方は、西洋の保存修復の考え方とかなり違います。【金継ぎ】では、作品の歴史がよく見えるように保存修復し、保存修復作業をしている人は、隠れているというより作品が伝えるストーリーの一部になる。日本には長い歴史を持つ素晴らしい漆という伝統があり、それは【金継ぎ】という芸術の発展にとって非常に重要です。でもそれだけではなく、【金継ぎ】は景観との文化的つながりという点でさらに深い意味があると思います。動き変わり続ける景観の中で生活することから、くるものだと。私は日本に来て初めて地震を経験しました。自分が立っている地面が動く、という経験は本当にショッキングなものでした。でもそれは、日本の文化の一部でしょうから、日本人と大地や景観との関係は、英国人との関係とは異なる、はるかに多くの要素が絡み合ったものになるはずで、日本人は大地に対して大きな敬意を抱いているのだと思います」

 

 

―【金継ぎ】のように目に見える形で修復・修理するという考え方は、英国では馴染みがないものですか?

「英国では、修正箇所を隠そうとしてきました。でも、最近は変わってきているようです。東西のコミュニケーションが増えたためかもしれません。目に見える形、判読しやすい修理に対する関心が高まっています。英国の保存修復の方法では、何が起きたかを理解できることが重要です。でも【金継ぎ】では、修復家は何が起きたかを理解できるだけでなく、修復家も作品に貢献する。そこが、英国と少し違う点です。英国では保存修復する人はオリジナルの作品に対してものすごく敬意を払おうとします。時間をさかのぼって作品が作られた日付について熟考し、その瞬間に敬意を払います。【金継ぎ】では、修復家が自分の意図や表現を加えることができるのです」

 

―そのお話をうかがった上で、クレメンタインさんの破壊から始まるショートフィルム『UNBROKEN』は、やはり衝撃的でした。

「私は穏やかな人間なので、あの暴力的な瞬間は、とても不安に感じました。でも同時にあのショートフィルムは、あの瞬間があるからこそ存在できるということもわかっていました。何かものが作られて修復される、というサイクルの中では常に変化の瞬間があります。そしてショートフィルムの中で、それは壊れた瞬間なのです。修復作業で非常に大事なことは過去に戻って、その瞬間をさまざまな角度から調べることです。過去に戻ってその瞬間を調べなおし、前に進む手段として理解するために、さまざまな視点から作品を見て考えるのです」

 

―「過去に戻って」というお話で、2009年に手がけられたウィンザー城の聖ジョージ礼拝堂の彫刻プロジェクトは、いかがでしたか?

「ウィンザー城のプロジェクトは非常に珍しいものでした。なぜなら、交換されたグロテスク(中世ヨーロッパの教会建築の装飾に見られる奇怪な生物の彫刻をグロテスクと呼ぶ)の状態が悪くなっていたので。おそらく、オリジナルを交換したビクトリア時代の人たちが、選ぶ石を間違えてしまったのです。なので、もともと、どんな石が使われていたか全くわかりませんでした。でも、芸術家として参加するのにワクワクするプロジェクトでした。新たなグロテスクを自由にデザインできたのです。でも、そこにものすごく大きな違いがあるとは思いません。『保存修復』と『芸術』との間の橋渡しをするときにやるべきことは、いつだって、深く考えることですから。『そこに何があったのか』『次に何がくる可能性があるのか』をよく考えること。ウィンザー城の場合は、デザインを考えついたのは私ですが、15人のメンバーで構成される委員会が、そのデザインが適切かどうか決定しました。作品を大事に思っている関係者と、その場所や作品の歴史との間にコミュニケーションがあるという点で共通しているんじゃないかなと思います」

 

Phoenix Grotesque (Windsor Castle)

 

―クレメンタインさんのこれまでを、うかがってきましたが、クレメンタインさんの今、そして次は?

「今いる東京藝術大学のグローバルアートプラクティスという専攻では、自由に私自身の興味と願望に従って、作品に取り組むことができています。興味をひかれ、魂に話しかけてくることだけを作品にするという、大きな自由。でもその自由は、私がこれまでやってきた、いろんなことの中から生まれるものです。修了制作は【金継ぎ】のことを考えて、始めました。【金継ぎ】について考える必要もなかったのですが『私はまだ【金継ぎ】について考えたいだろうか?』と自問したら、『【金継ぎ】でなければできないことがあるなら、そうしなさい』という答えが返ってきたのです」

 

 

―修了制作のタイトルは、もう考えてらっしゃいますか?

「『熊野』になると思います。日本の自然は、どこに行っても、ほんとに素晴らしいですよね。私は山がほとんどない国から来たので、子供のころ山を見たことがありませんでした。山に囲まれて暮らすことは、日本での暮らしの素晴らしいことのひとつです。こういう作品の割れ目を見ていると、山と人々との信仰によって作られた古代の道を思い出すんです。どちらかが欠けても存在しません。

日本に滞在できる時間は限られているので、これから何をしたいか考えました。そして、歩きたいと。具体的には、熊野古道を歩きたいと考えています。熊野古道は伊勢神宮へ、つながっていますよね。伊勢神宮は、保存修復の考え方や【金継ぎ】に対しても多くの貢献をしてきました。それと海。アワビとウニも作品の一部になります。それと私たちが漆の作品に多く使う貝を求めて海に潜る海女さん。そういう様々なこと・ものが、全部作品に集まると思っています」

 

 

―どんな修了制作となるのか、今から楽しみです。長時間、ありがとうございました。

「こちらこそ、ありがとうございました。アーティストとして、こういう風に誰かが訪ねてきてくれるのは、とても嬉しいです。だってアーティストとしての9割は一人で机に向かっているのですから。なので、こういった会話ができる時間がとても特別です。なぜ自分が作品を作っているのかを思い出すことができます。本当に貴重な時間でした」

 

 

―インタビューを終えて

まだ実家にいた頃、父親が使っていた抹茶碗に【金継ぎ】が施されていました。「なんで、目立つ金色?」と幼いながら思いつつ「大切なものを、次の世代に引き継ぎ、長く使い続けるためのもの」という理解をしていました。今回、クレメンタインさんのお話をうかがって、【金継ぎ】は「修理」「修復」の側面はありつつ、(オリジナルの作り手に想いをはせた)修復家の「表現」や「感情」が加わることを知ることができました(【金継ぎ】だからといって、金ではなく、黒でも赤でも!)。

「日本のアートは、もっと学ぶことがある」と話されていたクレメンタインさん。「旅は始まったばかり」という彼女のこれからを追い続けたいと思います。

 

(インタビュー・文/とびラー)


取材:黄星、内田淳子、石毛正修、安藤淳(アート・コミュニケータ「とびラー」)

執筆:安藤淳

 

時代劇と落語と焼き物が大好きな、7期とびラーです。来館される皆さんと、とびラーの仲間と、一緒に感じて一緒に楽しむ「とびらプロジェクト」の活動に、無限の広がりを日々感じています。

 

「美術教育は、答えのないものと向き合う力を養うもの。教員になっても制作は続けていく。」藝大生インタビュー2020|芸術学専攻 美術教育研究科 修士2年・加納紫帆さん

2021.01.28

12月15日、凛とした冬の空気が漂う取手校地。待ち合わせ場所の美術学部専門教育棟の大階段で、「おはようございます」と小柄で穏やかな雰囲気の加納紫帆さんが、今回のインタビュアーである4名のとびラーを迎えてくれました。

「上野はこわい(笑)」と、絵画科の油絵専攻の学部と美術研究科美術教育研究室の修士と合わせて6年間を取手で過ごす加納さん。卒業制作作品のこと、普段の制作スタイル、美術教育にかける想いなどを伺いました。

 

 

| 作品は自分の考えが出てきちゃうもの

 

インタビューは作品制作の現場であるアトリエにて。まず目に飛び込んできたのは、1月29日から開催される東京藝術大学 卒業・修了作品展に向けて制作中のカラフルな色調の大きな作品です。明るい色使いと大胆な筆致で構成された中に描かれた一人の女性。作品を前にした私たちの想像を掻き立てます。

 

<作品を前にインタビューは進みます>

 

作品タイトルを教えてください。

 

「作品タイトルは“俟つ”です。“俟つ”というのは誰かを待っているということだけでなく、その行為の中にも希望や良いことなど、様々なものがあります。そういった広い意味での“俟つ”をひとつのテーマにして描けないかと考えました」

「日ごろもまつことが好きで、誰かと待ち合わせをするときには待ち合わせ時間よりも早く到着します。まっている時間、その時々によってドキドキしたりイライラしたり、長く感じたり短く感じたり、まつことによって呼び起こされるとらえどころのない感覚が気になっています」

 

<一つひとつの質問に丁寧に答えてくれる加納さん>

 

エスキス(下絵)は作られますか?

 

「あまりしません。描き初めの段階では、ある程度の構図や元になる写真からどのように切り取るかは考えますが、最終的な完成予想図は作らずに描きながら次にどのように描いていくかを見つけていくことが多いです。1日中アトリエにいる場合でも実際に描いている時間は1時間もないくらいで、それ以外はスケッチブックにドローイングをしたりしながら考えています」

「作品制作をしていると、普段の生活の営みとして写真を撮ったり、記録や日記をつけたりしている中で自分が考えていたことが作品を通して出てきてしまっていると感じます。自分にとって作品は、思考をするための土俵なのだと思います」

 

<ドローイングを拝見!手早く描けるところがドローイングの良さだとか>

 

大胆な筆跡から身体を使って描かれる感じがします。とのとびラーのコメントに、「ぴょんぴょん」「はー、どはー」「うりゃ~」と言いながら描く時の真似をしてくれた加納さん。ゴムまりが跳ねるように体を動かす姿はエネルギーにあふれています。

 

作品の中にある絵の具のしたたりのような偶発的な表現は、どこまで意図されているのですか?

 

「半々くらいです。ある程度狙っているところもあるし、そうなってしまったなというところもあります。完成予想図が見えていると描き出せなくなるので、意図しないアクシデントは大切にしています。アクシデントの結果が良くないものだとしても、そこからどのように乗り越えていけるかを考えるのが自分にとっての作品との関わり方なのかもしれません」

 

大きな色面で描かれている感じがします。

 

「色で捉えて描きます。写真もあるので細かい描写は私がやらなくて良いと思っていて。受験生のころからモノを細かく描くよりは印象で描くというか、色でとらえる癖・見方があります。地元が愛知なのですが、そういう愛知の血」

 

<卒業制作作品の一部。大きな色面で描かれた中にしたたりが>

 

| 実家のはなれにあったアトリエは特別な場所

 

「愛知の血」という聞きなれない言葉が飛び出しました。詳しくお聞きすると、美術の道を志したきっかけや大学院への進学に関係がありました。

 

愛知の血とは?

 

「カラーばんばん!色、平面!名古屋界隈のそういう作風です。教えてくださった先生の影響かな? 」

 

では育ちは愛知?

 

「はい。大学進学で上京するまで愛知でした。高1から美大受験校へ通いだし、高3で「油画」を選択。趣味でミニチュアのドールハウスを作ったりしていたので、高2までは工芸もいいかな。と思っていました。(もともと)手を動かして作るのが好きです。多分話下手だったからだと思いますが」

 

周囲の環境は?

 

「父は美大卒です。物心ついたころには描いてなかったのですが。でも、実家のはなれに父のアトリエがあり、画材に色々触れることができる環境でした。子どもの頃、アトリエは特別な場所と思っていて。たまに入ると油のにおいにドキドキしたりしていましたね。それが油画を選んだ理由かもしれません」

 

制作に関してお父様のアドバイスはありますか?

「同じ分野をやっていると気まずいので、(自宅にいるときは)意識的に話さないようにしていました。今もあまり話さないし、向こうも言ってこない。でも、この分野に進んだことを喜んでいると思います。普段の仲は良いですよ」

 

 

 

大学院へ進学されたのは、制作を続けたかったからですか?

 

「教育に元々興味があり、美術教育について学ぶために大学院では美術研究科美術教育研究室を専攻しました。もともと学校が大好きで、中学生のころから、将来は小学校か中学校の先生になりたいと思っていました。先生になりたかった理由は、最初は“普段は怖くて入れない職員室に先生になれば堂々と入れる”というささいなものでした」

 

この先生が素敵だったという思い出はありますか?

 

「嫌な先生がいませんでした。かっこいいと思ったのは、美大受験予備校で教えてくださった先生です。作家として活動されている方で、生き方や言っていることが納得できるというか、やっているからこその言葉に説得力があって。もともと教育系大学への進学も考えていたのですが、予備校でこの先生に出会って、(教員になるために)ちゃんとしたいと思い藝大や美大で学びたいと思うようになりました。この先生に出会って今の私がいます」

「私にとっては、『尊敬する人 織田信長』のように遠くの人です。あの怖さは学校教育向きではないかもしれませんが、説得力や尊敬に値する何かはすごく大事だと思います。信じられる先生でなければ、指導しても伝わらないしやってもくれない。私の場合は、制作を続けることが(私自身の)強さになるのかなと思います」

 

ご自身では話下手とおっしゃる加納さんですが、初めてのインタビューとは思えないほど言葉があふれてきます。

 

 

 

| 美術を通して多様な価値観を尊重する姿勢を身に付けてほしい

 

現在都内の小学校で教育活動アシスタントをされ、来年度は都内で美術の教員(希望は小学校)になることが決定している加納さん。将来の夢や美術を通して伝えたいことを熱く語ります。

 

教育活動アシスタントをされていて感じることはありますか?

 

「子どもたちは他の子どもの作品を見ながら、『◯◯ちゃんのかわいいね』など思ったことを素直に発言しています。まだ強い個が出来ていない中で、自分の個を見つけながら周りの個も柔軟に受け入れる。答えのない美術の世界だからこそ、美術を通じて他者との違いを知り、それを受け入れる姿勢を身に付けてもらうことが出来るのではと思います」

 

今の教育について思うことはありますか?

 

「教育全体としては、答えのないものに対応力をつけることに力を入れるようになっていると思います。それでもまだ、答えがないことに子どもが戸惑う場面があります」

「教育活動アシスタントをしている学校で小学校一年生の男の子が、絵を描きましょうと言っても、描きたくないと言って描かない。その子がなぜ描きたくないと思っているかというと、絵をリアルに描くことが正しいと思っていて描けないんですね。自分が隣に座ってまねっこしてねと言うと、少しずつ描き始めることができるようになりました。図工の教科は、答えのないものへの対応力を身に付けることに適していると思っています」

 

教員になられても制作は続けられますか?

 

「はい。続けていきたいと思います。機会があれば展示もしたいです。学校の展示などで、子ども達と一緒に自分の作品も出してみたいですね。子どもにとっての身近なアーティストになりたいです。刺激的だし、教員でありアーティストというのは面白いと思うので」

 

<加納さんの過去の作品の一部。子ども達が観たらどんな感想を話すのでしょう?>

 

大学院の修了には、作品制作と修士論文が必要ですが論文の方は?

 

「既に提出済みです。絵と比べると言葉にすると誰にでも伝わってしまうので怖いなと思って辛かったです。(テーマは?)美術科教育において育まれる力とは何か。です。あんまりしゃべりたくない(笑)」

 

作品制作と論文作成で似ているところや違うところはありましたか?

 

「一つひとつ組み立てて最後にひとつのまとまりを作るというところは、作品制作と論文で似ていると思いました。進み方は全然違いますね。絵はその場その場で積み上げていって出来上がるのですが、文章はちゃんとゴールを見据えて色々組み替えたりする必要があって。普段使わない場所の脳を使う感じです」

 

| 卒業制作以外のこと、今思うこと

 

作品制作中、途中経過の写真を撮ったりメモを残している加納さんは、記録していくことが好きとのこと。「手帳を自分で作っていて…」と言いながら鞄から1冊のノートを出してきてくれました。差しさわりのない範囲で中をのぞかせていただくと、小さな文字でぎっちり書かれています。

 

<構想3年のオリジナル手帳!日々の記録がぎっしりと詰まっています>

 

手帳もひとつの作品ですね。どんなことを書いていらっしゃるのですか?

 

「1日1日の日記というか。その日にあった出来事や制作した作品のことなどを書くようにしていて、チケットやスタンプ、シールも貼ったりしています。貼るとテンションあがります!」

 

 

日記を書こうと思ったきっかけは?

 

「自分の好きな音楽アーティストが日記から歌詞を作っていると知ったことです。考えたことを言葉にするトレーニングにもなるのと、作品制作にも生かせると中2から日記を書き始めました」

 

見せていただいたノート以外にパソコンでも日記を書いていらっしゃると伺い、とびラー全員びっくりです!

 

 

| 新型コロナ感染拡大についても伺いました。

 

コロナ禍で制作への影響や考え方の変化はありましたか?

 

「制作自体に大きな影響はありませんでした。日常生活では、特にSNSなどを通じて一人ひとりの考え方の違いが浮き彫りぼりになった一年でした。本来はみんな違っていいはずなのに、他人の意見につっかかる、他者への不寛容さがあらわになりました。ここ数十年は個々の強さが大事にされる時代だったと思います」

「今の時代のようによく分からないものに対峙するために、自分の基盤をしっかり築いていることはもちろん大事ですが、その上で、自分以外の他者とどうかかわっていくのか、他者を排除するのではなく、どのように交わっていけばよいのかをみんなが考えられるようになっていくと良いなと思っています」

 

| 作品を通して伝えたいこと

 

 

加納さんにとって作品制作とは、「描く」だけではなく日々の生活で感じたことや残したいと思ったシーンなどのインプットも含めてとのこと。卒業制作の作品から伝えたいことを伺いました。

 

「作品にメッセージ性はありません。見る人によって勝手にくみ取られてもいいと思っています。積極的に何かが思い出されたり、発動されるような、見た人のスイッチに触れたら嬉しいですね」

 

インタビュー時間の1時間半があっという間でした。インタビュー終了後、校内にある<藝大食堂>でランチをご一緒するなど、延長戦にもお付き合いいただきありがとうございました。

加納さんの卒業制作は、鑑賞者それぞれの経験や思いが想起される素敵な作品です。卒業・修了作品展の会場でぜひご覧ください。

 

 

<卒制のモチーフの場所で作中の女性を真似ての記念撮影。

左からとびラー竹中・細谷・加納さん・中田・岡庭>

 


インタビュー&執筆:8期とびラー竹中大史・細谷リノ・中田翔太・岡庭正行

 

普段は建築の環境設備設計をしています。アートや建築を介して多様なモノの見方を知り、広める活動に興味があり、とびらプロジェクトの様々な場で刺激をもらっています。(竹中)

 

 

藝大生インタビューをはじめとする色々な出会いを大切に、ワクワクドキドキのアート体験を拡散していく活動を続けていければと思います。(細谷)

 

 

普段は日本橋茅場町にて「JCAGallery」を運営し、多くのアーティストと接しています。アートを介して創出される「人と人」との繋がりを大切にしています。(中田)

 

 

初の藝大生インタビュー。様々な視点から物事を見るきっかけを与えてくれるアートの役割は、これからの時代に益々大事になってくるように思います。 (岡庭)

 

 

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