2026.04.23
<美術館ラジオをやりたい!>
2023年7月からメンバー、形を変えながらとびラボとして活動している「とびdeラヂオぶ〜☆」(以下:ラヂオぶ)。このネーミングは、東京都美術館(以下:都美)のラジオ部!として音声コンテンツを届けたい!という気持ちと、Museum Startあいうえのでお馴染みの、上野公園の9つの文化施設の頭文字を合わせた呪文「ビビハドトカダブ」をちょっとだけもじったというもの!1年目はとびらプロジェクトのスタッフやとびラーのインタビュー番組を作り、自分たちのコミュニケーションを活発にするツールとして楽しみました。
*お決まりポーズ、ラヂオぶの「ラ!」
やりたいことの1つだったのがTV番組「病院ラジオ」の美術館版、来館者の声を届ける「美術館ラヂオ」でした。それに近いことができたのが2024年度に制作した番組「ずっとアートと生きていくラヂオ」。
そして今年度は、『アート・コミュニケーション事業を体験する 2025 みること、つくること、つながること 「Museum Start あいうえの」12年と現在地』(以下:AC展)の展示室の一角に、即席ラジオブースを構えて、来館者のインタビュー収録をして制作した「みること、つくること、つながることラヂオ」。我々が軸にしてきた「美術館にあまりこない人にも美術館の良さを知ってもらいたい!来館者のアートにまつわる素敵なエピソードをシェアしたい!」という想いから、より拡散可能なポッドキャストへの音声公開をイメージしながらスタートしました。
*収録テスト中。奥にいる3人はわざと会話したりノイズを出したり。
<待望のマイクがきた!>
前回はボイスレコーダーをテーブルに置いて収録しましたが、周囲の音が入ってしまい聞き取りづらい部分があったことが課題でした。そこで、今回は新しいマイクを使って、参加者の声がしっかりと収録できるようにしました。事前の動作チェックでは、マイクの指向性を変えながら周囲の音がどれだけ入って来るのか確認しました。ちょっとレトロなフォルムのマイクにワクワクしながらのテスト収録でした。
<AC展の会場でインタビュー>
AC展では、3組の作家(森友紀恵、三輪途道、がかのか族(幸田千依と加茂昂とその息子)の作品が展示されており、後半のスペースには、私たちが参加するアート・コミュニケーション事業「とびらプロジェクト」や「Museum Start あいうえの」の歩みを知ることができる資料や映像も公開されていました。
8月9日・10日の2日間で展覧会の出口付近の机に、マイクとPOPを設置したブースをつくりインタビューを実施しました。
帰り際に興味を持ってくれた方や、作品や資料を鑑賞中に声がけをして、承諾してくれた方々の生の声を、ラヂオぶのブースにて収録しました。
インタビューの収録は基本的に、メインインタビュアー1人とメモ係1人の2人体制で臨みました。話が白熱して、テーブルのそばで聞いていた人から過去の展示内容について質問が飛んでくることもあり、スタッフがその場に加わって話してくれることもありました。
インタビューでは友人や、親子、一人で訪れた方やITや教育関連のお仕事をされている方、リタイア世代の方など様々な背景の人と出会いました。
父親と来ていた5歳のこどもは、がかのか族の展示室の一角で描いた絵の話をしてくれました。描いた絵を美術館に展示することができたのに持って帰ることを選んだそうです。「どうして?」と聞くと「ママがまだ見てないから持って帰る〜」と、アートでつながる家族の様子をうかがうことができました。
<インタビューを行ってみた感想(藤井)>
よく上野公園に散歩に来るという中国人留学生のインタビューが印象的でした。物腰が柔らかい方でした。
聞くところによると前日にも都美に足を運んでいたそうです。
自分は繊細で友人があまり多くないが人と話すこと自体は好きで、美術館に来ると自分と同じ世界の人がいっぱいいる、と語ってくれました。
その後、別の日に偶然彼と都美であいさつを交わす機会がありました。日本という異国の地で自分が心地いい居場所、つながることを見つけたのかもしれないと感じました。
改めて、美術館という場所がもたらす効果・多種多様な人々を受け入れる裾野の広さについて考えることができました。
<インタビューを行ってみた感想(柴田)>
中途失明の方へのインタビューでは、これからもアート・コミュニケータとして活動していくうえで大切にしておきたいことに気づかされました。会場内でガイドさんととても熱心に会話を交わしながら作品をみている様子を見て、私たちは「話しかけないほうがいいのではないか」と、自分たちなりの判断をしてしまったのです。ところが感想を伺うと、男性は「何人かの話を聞くことで作品の解像度が上がるので、いろいろな人の話を聞いてから、みたかった」と話してくれました。アート・コミュニケータとして会場にいるからこそ、まずは声をかけ、コミュニケーションを始めてみること。その大切さを、あらためて教えてもらった出来事でした。
<インタビューをふりかえって(藤井)>
ラヂオぶの活動を通して、美術館に足を運ぶ人の多種多様さを肌で感じることができました。
こうして「多種多様」と言葉にするだけでは、こぼれ落ちてしまう個人個人の美術館への想いや過ごし方。そして、これまでの人生。そんな個別具体の生に対峙できたことが、何より貴重でやりがいに溢れる経験だったなと、ブログを書き振り返りながら、改めて思いました。
自分と同じ世界の仲間たちを見つけ足しげく美術館に通う人。記憶を辿りながら、ものを作ることが生きる力になると語る人。暮らしの中でスケッチすることが好きな人。娘を初めての美術館に連れて来たことを喜ぶ人。エンジニアにはアーティスト的な発想が必要だと力説する人。名前も知らない者同士が、ゆるやかにつながれる居場所づくりに取り組む人。など
あえて大袈裟にいうならば、
ラジオは、個々人の生き様や心の機微をこぼすことなくすくい上げ、映し出すことのできる、最も適したメディアの一つなのではないか、と感じました。
大きなメディアでは取り上げられにくく、またSNS上では声の大きな人の意見が先行しがちななかで、そうした声はなかなか見えてきません。
私たちが制作した音源も、そのような市民の「声」を届けるラジオ番組の一つとなれていることを、切に願っています。!
<まとめ>
メンバーや形態を変えながら積み重ねてきたからこそたどり着いた「とびdeラヂオぶ〜☆@AC展2025」。実は、昨年から変化したことで、インタビューコーナーによい影響を与えたものがあります。冒頭でも紹介したように、新しく置き型のマイクを導入したことです。
これは質の良い音声を収録するためでしたが、マイクがあることで、2024年のAC展に比べて私たちが何をしているのかが伝わりやすくなり、来場者の方々も思いをより丁寧に話してくれたように感じます。
展示室の最後の一角に現れる“かたり場”は、ときに、たまたま居合わせた者同士が感想やアートへの思いを共有する場となり、ときに、自分の考えをアウトプットしたり整理したりする場にもなりました。また、一緒に来た人がどのように感じ、何を考えているのかを知るきっかけにもなっていました。
あるメンバーからは「収録をしなくても、こんな場が展示室の一角にあるっていいね」という声もあがりました。
AC展はラヂオぶにとって、来館した人たちととびラーが会場で直接コミュニケーションを交わすことができる場です。その中で生まれた思いや対話を“ラジオ”という音声コンテンツにのせて、来館したくてもできない・できなかった人や、アートには興味があっても美術館はハードルが高いと感じている人に向けて、会場の様子や訪れた人たちの感じ方を発信するのにぴったりな舞台となりました。
ぜひ「とびdeラヂオぶ〜☆@AC展2025」後編(ラジオ制作編)のブログもお楽しみください
執筆:藤井孝弘(とびラー14期)
普段はIT企業に勤務。仕事の傍らで、ジェネラティブ・アートを楽しむ日曜芸術家。
人と人とがそれぞれの「違い」を尊重し補い合いながら、一人ひとりが生きる喜びを実感できる社会の実現に、微力ながら貢献できればいいなぁという想いを胸に活動中。
執筆:柴田麻記(12期とびラー)
以前は、テレビ番組を制作していました。現在は、愉快な高校生と小学生と過ごす主婦。私のいちばん身近なコミュニティは家族です。とびラーで得た視点を日々の暮らしの中でこっそり使いながら実験中。実験範囲をじわりと広げているところです。
執筆/構成:染谷 都(12期とびラー)
ラヂオ番組制作ディレクター。旅と音楽と建築好き。藝大の森お世話隊でボランティア活動中。これからゼミ「上野の森と建築を考える」「『アートコミュニケータの建築鑑賞まちあるき』を考える」を実践中。その場が実在しなくても誰もが参加できるラジオ番組のようなココチいい場づくりをリアルで模索中。
2026.04.21
「わたしたちも手で話したいラボ」は、2025年度の第2回アクセス実践講座「ろう文化を知ろう」を受講した当日に発足しました。
第2回アクセス講座の講師は、ろう者で明晴学園というバイリンガルろう教育を行う学校の校長を務める小野広祐さん。手話で「ろう文化」についての講義を行ってくださいました。
■ 講座を受講して、初めて知った「手話」という異文化
当時のわたしは恥ずかしながら、「手話」というものは、耳がきこえない・きこえにくい方々への配慮・支援のための手段である、という程度の認識でした。
その認識が、この講座の受講をきっかけにして、ひっくり返ったのを今も覚えています。
手話は、いわゆる「聴覚に障害のある方」への配慮・支援をするための手段ではなく、耳が聞こえない人たちが生活を営むなかで自然に育まれてきた「ひとつの言語」であるということ。
手話が持つ、音声言語とは全く異なる文法体系の基本的な話から始まり、具体的なエピソードを交えたろう者と聴者の考え方の違いの事例など、ろう者である小野先生の手で語られる血の通った言葉に、夢中で目を向け通訳の方の言葉に耳を傾けていました。例えば、手話では話し手や聞き手、あるいは第三者など位置関係を示すために指差しして話すことが多いけれど、聴者からすると人を指差すことは失礼になってしまうという文化的な違いがあることや、「食べる」という表現が、食べる対象物とセットになっている(「ハンバーガーを食べる」の手話は、手でハンバーガーを持っているようにして頬張る、「おにぎりを食べる」はおにぎりを持っているようにして頬張る、etc…)ことなどが印象に残っています。
また、その講座の時にスタッフや登壇者の方々が手話で軽快に「おしゃべり」している様子をみた際に、自分もこの言語で話すことができたなら、、、と淡い憧れの気持ちを抱いていたように思います。
その夜、講座の振り返りを書くだけでは想いを抑えることができず、このラボを発足するための呼びかけをとびラーにメールしたのでした。このように、湧き上がる思いのままに開始したラボだったのですが、具体的な活動内容は定まっておらず、どんな風に進めれば良いのか不安な気持ちもありました。
初回のとびラボに集まったとびラーは、手話が初めての人、手話学習歴が長い人・浅い人、中途失聴の人など、様々な人たちが集まりました。
それぞれがこのラボに参加した想いを聞いた後に、これからのラボでやりたいことを話し合い、後半は、区が主催する手話通訳養成講座に通っているとびラーが、即興講座を開いてくれました。
アクセス実践講座で知った内容と紐付けながら、みんなとペースを合わせて手話を学ぶことができました。
↓第1回「わたしたちも手で話したい」ラボの様子
その後の活動も集まった人たちで柔軟に活用できるものを活用しながら、手話やろう文化を学ぶ活動を実施しました。
以下が、その後にラボの中で実施した主な活動です。
▼指文字しりとり
手話のほかに、聴者が話す50音の1音1音に合わせた手の形が決められている「指文字」というものがあります。
ちなみに、日本語の50音に合わせた指文字は、1931年にアメリカの指文字を学んだ大阪市立聾唖学校の大曾根源助らによって作られたと言われているそうです(参考:文法が基礎からわかる日本手話のしくみ、岡典栄・赤堀仁美著、p29)
この指文字を覚えられるようにと、ラボに参加したとびラー同士で、時折カンニングペーパーを見ながら(笑)、指文字しりとりを実施しました。
この指文字しりとり、予想以上の盛り上がりを見せ、時間を忘れて取り組んだせいで後半の内容を押す羽目になりました。
皆さんもぜひしりとり遊びを通じて指文字を覚えてみてください。
▼サインネーム(手話によるあだ名)決め
ろう者の方々は、各自の特徴を捉えたり名前をもじったりしたあだ名があるようで、ラボメンバーもそれぞれサインネームをみんなで考えて決めました。
中途失聴のメンバーの一人に、すでにサインネームが決まっている方がいたのですが、それがあまり気にいっていないから、という理由で付け直していたのが面白かったです。
ちなみに、その方の名前のイニシャルはMで、笑った際の目尻のシワが特徴的なことから、指文字の「M」の形(人差し指、中指、薬指を立てて逆さにするのが「M」)を両手で作って、目尻に三本の指を合わせる、というサインネームに決まっていました。
▼東京都美術館のHPにある手話による施設案内動画を視聴して学習
東京都美術館のHPには、手話による動画がいくつか掲載されています。
その中で、施設案内動画を活用して、ラボ内で手話の学習を行いました。実際に動画をみながら手話を解読していくと、わずか20秒程度の文章を理解して実際に手話で真似られるようになるまでに10分以上かかっていた気がします。
また、字幕と手話は一対一対応になっておらず、字幕ばかりみていると手話を見逃してしまうのは面白い体験でした。
外国語の翻訳が日本語と一対一で完璧に逐語訳できないように、日本手話ももちろん日本語と完全に連動しているわけではないということを実感できました(日本手話はやはり音声日本語とは違う言語なのですね)
↓東京都美術館のHPにある手話による施設案内動画を視聴する様子
▼中途失聴の当事者を交えて、きこえる・きこえない・きこえにくい人の体験の違いをシェア
また、ただ手話を学ぶだけではなく、中途失聴のきこえにくいとびラーから、補聴器から人工内耳に変えたことによる聴こえの変化を聞きました。きこえる・きこえない・きこえにくい人の言葉や表現の認識の違いについて話したことも印象的でした。
人工内耳に変えて、初めてウグイスの鳴き声が聞こえた時、これが本などで知っているだけだった「ホーホケキョ」の鳴き声か!と感動したそうです。
↓中途失聴の当事者と聴者の体験の違いについて雑談する様子
そのほかにも
・明晴学園の校長でアクセス実践講座の講師である小野広祐さんが執筆したテキスト(『日本手話へのパスポート』)の動画を視聴して学習
・NHKの手話データベースを活用して語彙を増やす
・目の見えないメンバーも交えて手話を学ぶ
などなど、様々な活動を行いました。
■ラボのこれから:「手で話す」が1つの選択肢になる未来を夢想する
「手話」という言語やろう文化を学ぶことが面白い・興味深い、手話を使って話してみる試行錯誤が楽しい、というのがモチベーションの根底ですが、個人的にはもう1つ、このラボを継続する上でのモチベーションがあります。
それは、「手で話す」というコミュニケーション手段が、当たり前に選べる選択肢になる未来への小さな礎石になれればいいなという想いです。
とびらプロジェクトでは、すでにそのような未来に向けた活動が着実に一歩づつ実施されているはずです。
このとびラボは、そのような活動の中の小さな種の一つに過ぎません。
執筆者:藤井孝弘
とびラー14期。普段はIT企業に勤務。仕事の傍らで、ジェネラティブ・アートを楽しむ日曜芸術家。
人と人とがそれぞれの「違い」を尊重し補い合いながら、一人ひとりが生きる喜びを実感できる社会の実現に、微力ながら貢献できればいいなぁという想いを胸に活動中。
2026.04.16

【第1回基礎講座 オリエンテーション】
日時|2026年4月11日(土)10時〜15時
場所|東京都美術館 講堂
東京都美術館100周年の今年、とびらプロジェクトの15年目がスタートしました!
15期とびラー47名が、東京都美術館の講堂に集まり、とびらプロジェクトのスタッフ紹介や活動する上で必要な情報のガイダンスをした後、活動2・3年目のとびラーの案内で、活動の拠点である東京都美術館を巡るツアーを行いました。
最初は、緊張していた15期のメンバーも、次第に笑顔になり、グループで会話を楽しんでいる様子が各所で見られました。
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午後は、13期・14期・15期のとびラー全員が集まり、今年度のキックオフが行われました。
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2年目・3年目を迎えたとびラー達もそれぞれの活動を振り返ってたり、今年はどんな一年にしようかなと楽しそうに話している姿が見られ、今年も始まったなと実感する時間になりました。
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これから、活動を共にする約140名のとびラー中には、見えない・見えにくい人、聞こえない・聞こえにくい人がいます。全員が集まったこの機会に、お互いのコミュニケーションについて考え、お互いに知り合う時間を作りました。
多様な背景や年齢のとびラーが協働するとびらプロジェクトにおいて、今年度は「マイクロアグレッション」について考えていきたい思っています。
マイクロアグレッションとは、人種、ジェンダー、性的指向、障害など、特定の属性に対して無意識の偏見(アンコンシャス・バイアス)に基づき、日常的に発せられる差別的な言動や態度のことを指します。悪意がない場合でも、受け手にとってはストレスや疎外感の蓄積につながることが課題とされています。
あらゆる人が主体的に参加できる場を、全員で作っていくことを改めて確認しました。
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その後、とびラー同士が知り合う時間として、「自己紹介+どうしてここに?」をテーマに3人組でのシェアタイムを行いました。
とびラーを志望したきっかけや今日のファッション、美術館との関わり方など、お互いの言葉に耳を傾けながら語り合いました。・
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今年度のとびラーたちから、どのようなアート・コミュニケーションが生まれるのでしょうか。
13期・14期・15期のみなさん、1年間どうぞよろしくお願いします。
(とびらプロジェクトコーディネータ 大東美穂)
2026.04.16
<美術館の来館者の声をとどけるラジオ>
2023年7月からメンバー、形を変えながらとびラボとして活動している「とびdeラヂオぶ〜☆」。今年度は、『アート・コミュニケーション事業を体験する 2025 みること、つくること、つながること 「Museum Startあいうえの」12年と現在地』(以下:AC展)の展示室の一角に即席ラジオブースを構えて、来館者にインタビューを実施しました。収録の様子はこちらからご覧いただけます。「みること、つくること、つながることラジオ」(収録編)。美術館にあまり来ない人にも美術館の良さを知ってもらいたい!来館者のアートにまつわる素敵なエピソードをシェアしたい!という想いからスタートしました。
<試聴&編集の日々>
2日間にわたっておこなった収録もあっという間に終わりいよいよ編集作業です。
まずは、録音した19組のインタビューを手分けして試聴しました。その中から7つのインタビューをセレクト。編集作業を分担する中で、メンバーの1人が音声編集の経験がありiMovieでの編集が簡単にできるとのことで、編集レクチャー会を開催。その後、各自編集したものをみんなで聴いて、さらに細かい編集を重ね、インタビューの間に入れるナレーションを考えていきました。
*編集のレクチャー中。
*いらない言葉をカットします。
<初めての音声編集>
ラボメンバーによる編集講座を受けた後、まずは練習を兼ねて使用したい素材を切り出すことからはじめました。AC展のテーマ「みること」「つくること」「つながること」に沿った素敵な言葉をピックアップするのはもちろんのこと、「えーっと」「あのー」などのフィラー(つなぎ言葉)もカットし、リスナーが心地よく聞くことができるように整えていきます。
次は、7本のインタビューの制作担当を決め、収録した音声を番組になるよう編集します。ナレーションが入ることを意識して内容ごとに区切っていきます。各自、仕事ととびラー活動をしながら編集作業をしていたので、なかなか個人での作業が進まない時期もありましたが(笑)、そんな時には、とびラボで集まり、みんなで作業を進めました。
*各自パソコンで編集中。
<編集素材を聞いてナレーション制作&録音の日々>
編集がひと通り終わった後は各番組のナレーション担当を決めて、内容に相応しいナレーションの文章を考える工程に入ります。
インタビューの概要を伝える前枠、前半と後半に分かれる場合はそれを繋ぐための中枠、内容を総括する後枠をそれぞれ考えました。
自分が素材の編集を担当したものに関しては、思い入れが強すぎて内容に比して世界観が強すぎる概要文が出来上がったこともありました(笑)
ラボメンバーからの「力みすぎだ!」というツッコミのおかげで、硬くなり過ぎずフラットなナレーションになったのではないかと思います。そのほかの素材についても、メンバー全員で、ああでもないこうでもないと言いながら相応しい文章になるように推敲を重ねました。
ナレーションの文章が完成した後は録音します。ただ読み上げるだけだと、たかを括って録音を始めたのですが、家で何回も噛んでは読み返し、噛んでは読み返しを繰り返す羽目に。最終的にはイントネーションが訛っていたこともあり、アートスタディルームで再録し、やっとナレーションの録音が完了しました。
(噛まずに当たり前に話すテレビの中のアナウンサーってすごいんだなぁと改めて感じました。やっぱりプロはさすがですね)
*編集をするたびに何度も同じインタビュー素材を聴いて確認します。
<完成した番組の紹介テキストを考える>
編集済みのインタビュー素材に、ジングル、BGMとナレーションが入ると、それまで、幾度となく聞いてきたインタビューの音源が、一気に「番組」の風格を漂わせるので、皆でニンマリ。こうして完成した7つの番組の「タイトル」をつけるべく、それぞれにふさわしい言葉出しをしていきます。
アイディアを出し合うことで、ピタッとハマる瞬間に出会うことができます。それぞれが担当した番組の紹介文を作成し、ハッシュタグをつけました。それをラボメンバーで確認し、違和感ないように調整します。
*2025年版のジングルを制作したメンバーと試聴会。
*とびラボで賑やかな中、スマホで流すインタビュー素材をへばりつき聴く。
<番組制作をしてみて>
完成した番組には、ラボメンバーの想いがぎゅうぎゅうにつまっています!なので、これを読んだ方にもぜひ聞いていただきたいです。ただし、番組はラジオ部の活動のほんの「一部」にすぎないということをここではあえてお伝えしたいです。番組のテーマ/ジングルのギター演奏でのオリジナル音源制作、公開収録のポップの作成、インタビュー承諾書の英文作成etc…など、制作段階にたどりつくまでの縁の下の力もちもたくさんいました!
制作の過程において、各自の担当があるとはいえ、メンバー同士、たくさん語り合い、助け合って、考え抜いて番組を作り上げてきました。その過程こそがこのラボの宝であり、最大の魅力でもあるのです。
<とびdeラヂオぶ〜☆をやってみて…>ラジオ番組制作が仕事のメンバーが立ち上げたとびラボでしたが、集まった全員が制作初心者からのスタート。届けたい気持ちと、みんなのチャレンジ精神がとびラボとして3年間続けていく原動力でした。美術館でのあたたかいコミュニケーションの場から生まれた様々な背景の人の声をきいて、「美術館おもしろそう!」「行ってみようかな?」とアートコミュニケーションの裾野が広がるきっかけの1つになっていくことを願います。
▼番組はコチラから聞くことができます
執筆:矢吹美樹(12期とびラー)
日々の暮らしや学びのなかで、ふとした瞬間のきらめきや、「ことば」がもつ力に惹かれています。 一人ひとりの「ちいさな発見」や「その人らしさ」が自然にあらわれるような、温かな場づくりを大切にしていきたいです。
執筆:藤井孝弘
とびラー14期。普段はIT企業に勤務。仕事の傍らで、ジェネラティブ・アートを楽しむ日曜芸術家。人と人とがそれぞれの「違い」を尊重し補い合いながら、一人ひとりが生きる喜びを実感できる社会の実現に、微力ながら貢献できればいいなぁという想いを胸に活動中。
執筆/構成:染谷 都(12期とびラー)
ラジオ番組制作ディレクター。旅と音楽と建築好き。藝大の森お世話隊でボランティア活動中。これからゼミ「上野の森と建築を考える」「『アートコミュニケータの建築鑑賞まちあるき』を考える」を実践中。その場が実在しなくても誰もが参加できるラジオ番組のようなココチいい場づくりをリアルで模索中。
2026.01.29
2026年1月25日に開催した、フォーラムの第一部映像を公開しました!
映像はこちら▶︎https://youtu.be/qrjDPr2DpTM
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東京都美術館×東京藝術大学 「とびらプロジェクト」フォーラム
『「鑑賞」はコミュニティに効く?みんなで作品をみる場づくり』
フォーラム概要はこちら▶︎https://tobira-project.info/f2026
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第一部
【概要】
2026年1月25日(日)
会場:東京都美術館 講堂
時間:13時〜15時半
プログラム内容:
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● とびらプロジェクトとは?(0:06:00~)
小牟田 悠介(東京藝術大学 特任准教授 とびらプロジェクトマネジャー)
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● アート・コミュニケータトーク(0:25:05~)
「みんなで作品をみる場づくり」
熊谷 香寿美(東京都美術館 学芸員 アート・コミュニケーション係長 とびらプロジェクトマネジャー)
小牟田 悠介
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「とびラーの実践」
実践1:(0:25:40~)
【大学生の「放課後ミュージアム」みる・つくる・はなす】
とびラボ:大学生プログラムを考えるラボ
金子淳平/田口怜
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実践2:(0:47:44~)
【ずっとび鑑賞会】
認知症のある高齢者とその家族を対象とした鑑賞会
Creative Ageing ずっとび プログラム
寺岡久美子
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実践3:(1:03:20~)
【芸大生も参加! 「名品リミックス!」を対話で楽しもう】
藝大生と高校生が作品を鑑賞するプログラム
東京藝術大学大学美術館との協働/とびらプロジェクト鑑賞実践講座
岩瀬眞砂美/木原裕子
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「みんなで作品をみる/とびラーの役割と学び/鑑賞実践講座」(1:17:25~)
越川さくら (東京藝術大学 芸術未来研究場 ケア&コミュニケーション領域 特任助手 とびらプロジェクトコーディネータ)
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● ディスカッション (1:37:04~)
『「鑑賞」はコミュニティに効く?」』
日比野 克彦 (アーティスト 東京藝術大学学長)
熊谷 香寿美/小牟田 悠介
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主催:東京都美術館(公益財団法人東京都歴史文化財団)、東京藝術大学
企画・運営:東京都美術館×東京藝術大学「とびらプロジェクト」
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手話通訳:瀬戸口裕子、加藤裕子
日本語字幕:株式会社 ミライロ
映像制作:らくだスタジオ
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フォーラム概要はこちら▶︎https://tobira-project.info/f2026
映像はこちら▶︎https://youtu.be/qrjDPr2DpTM
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2026.01.26
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2025年12月。東京藝術大学 上野校地にある中央棟の一室で、先端芸術表現科4年の髙田清花さんにお話を聞きました。
髙田さんは、学部3年生だった2022年に、「藝大校歌再生活動」という活動を始めたそうです。その活動についての話を入口に、髙田さんのこれまでのこと、これからのことを伺いました。
実は、現在の東京藝術大学(以下、藝大)には「校歌」がないんです。
「藝大校歌再生活動」(以下、「再生活動」)とは、藝大の前身である、東京美術学校、東京音楽学校の時代にあった「校歌」や「学生歌」、口伝の歌を蘇らせる取り組みです。
卒業・修了作品展(以下、卒展)には、この「再生活動」から派生した映像作品などを展示します。
卒展での発表形態は、3種類を予定しています。
「再生活動」の年表の展示、映像の上映、小編成オーケストラによるパフォーマンスの上演、の3つです。
映像では、歌の再生の活動で出会った、藝大油画卒業生である現在84歳の先輩の語りを映します。
オーケストラによるパフォーマンスは、箏と尺八などの邦楽器をはじめ、美術学部の学生も歌う13人編成で演奏します。校歌、口伝の歌、再生活動のテーマソングである「めぐる」という曲をパフォーマンスする予定です。
学部2年生の終わりに、授業で「藝大の歴史を調べて作品を制作する」という課題があったのがきっかけです。藝大には現在、校歌がないことに気づき、今は歌われていない「校歌」を課題のテーマにしました。山田耕筰(作曲家・指揮者/東京音楽学校卒業)が東京美術学校の校歌を作曲したという情報を得て、図書館で山田耕筰作品全集を紐解いたところ、東京美術学校の校歌と学生歌を見つけました。その歌の中に、「上野の森」という歌詞があり、その歌が、当時確かにこの場所で歌われていたのだと知りました。
私の入学時はコロナ禍で入学式も学園祭もなく、クラスメイトが誰なのかも知りませんでした。2年目まではほとんどの授業がオンラインで行われていたので、他の学生と直接会う機会がなく、藝大の学生だという実感がありませんでした。この歌の歌詞によって、自分が藝大に所属していることがやっと実感できた気がしました。
この校歌を蘇らせたらどうだろうと思い、制作期間が3日しかないなかで、和太鼓などの邦楽器をいれたオーケストラをパソコンの音楽ソフトを使って自分で制作しました。歌は5名の声楽科の学生とオンライン上でやりとりをし、歌ってもらいました。その音源を課題として提出しました。

藝大校歌再生活動のパンフレットと映像のパッケージ。デザイン科の学生に協力を得て制作した。
課題を提出した数ヶ月後に音楽学部の学生と話す機会があり、藝大の前身には校歌があった話をしたところ、「演奏したい」と言われました。課題の時は、パソコンの音楽ソフトで制作しましたが、同じ藝大に音楽学部があるのだから、その学生たちに呼びかけて演奏してもらえばいいんだと、その時初めて気がつきました。コロナ禍で会えていないこともあり、大学にどんな学生がいるのかをまだ意識できていない頃だったと思います。
その場で、同学年のほとんどの学生が登録するSNSに演奏者を募るコメントを送ってみました。5人くらい集まれば良い方かなと思っていたら、なんとその日のうちに80人から参加を希望する連絡がありました。その後も、さまざまな学科や専攻からの希望者は増え続けて、最終的に130人ほどになりました。ほとんどが同学年の学生でした。
2024年3月には、藝大にある音楽ホールの奏楽堂が主催する、奏楽堂企画学内公募演奏会に「再生活動」を選んでいただき、校歌を演奏することができました。演奏会当日は、同級生の卒業式の2日後というタイミングでした。私たちの学校生活は常にコロナ禍の制約と共にあったため、この時初めて、オンラインではなく実際に会うことができた同級生もいました。
「再生活動」は、途中から活動自体が生き物のようになり、よい意味で活動に振り回され、自分自身が一番驚いています。休学中の2022年にプロジェクトを始めてから4年が経ちますが、最初からこんなに長いプロジェクトにしようと思っていたわけではありませんでした。歌を再生することに惹かれ、集ってくれた他の学生も同じように校歌を再生したいと感じていたようでした。
東京美術学校から藝大美術学部に口伝で継承された「チャカホイ」という歌があると知り、インターネットで検索したところ、とあるおじいさんが「チャカホイ」を歌っている動画にヒットしました。その投稿者に連絡を取り、おじいさんの連絡先を教えてもらいました。その方は藝大油画を卒業された先輩で、祭りが大好きな方でした。現在でも夏はエアコンを使わずに立ちっぱなしで制作をしたり、展示会を訪問すると3時間もお話を聞かせてもらえたりと、訪問する度に元気をもらえる方でした。この方のお話を映像として残したいと思い、密着してインタビューすることにしました。

髙田さんが制作したインタビュー映像。写っているのは、現役学生の時に「チャカホイ」を歌っていた油画科の先輩
この先輩の生の語りに後輩として触れられたことが、活動の中のひとつの財産だと感じています。話を聞く中で、藝大の思い出や、今も昔も変わらない精神があることが印象的でした。先輩と出会うきっかけが「チャカホイ」でなければ、堅苦しいインタビューになってしまっていたのではないかと思っています。共通の歌があるからこそ、愛着をもって受け入れてもらえ、自然な映像が撮れたと感じています。
「藝大校歌再生活動」の詳細は、WEBサイトでご覧いただけます:
https://geidaikouka-saisei.studio.site/
もともと生物学を学びたいと思っていました。美術の授業もない高校に通っていて、藝大も知りませんでした。ただ、好きな歌手のファン仲間のSNSで、普段考えていることや、趣味で作ったちょっとした曲、適当に描いた絵をアップしていたら、ファン仲間のひとりからいきなり「藝大の先端(先端芸術表現科)か音環(音楽環境創造科)が、あなたに合うかも」というダイレクトメールがきたんです。それがすべての始まりでした。最初は「いや、私は細胞の勉強がやりたいんだ」って思いました。でも、踊ったり演奏したり、アイデアを考えて表現することは確かに好きでした。
藝大について調べてみたら、先端と音環だけは技術面の受験対策をしていなくてもチャンスがあると知りました。高2の冬に急に進路変更したので、高校の先生たちも心配していました。高校3年生の夏に藝大のオープンキャンパスに行ったら、音環は裏方のプロフェッショナルというイメージを受けました。それは素晴らしい世界だけれど、自分自身としては、どうせ表現するなら自分で発案もしたいし、自分で作りたい。そのことを音環の先生に話したら、「じゃあ先端もいいんじゃない。先端でも音楽の授業があるしね」と言われたんです。
私が藝大を目指すことは、太宰治も知らずに文学部に入るくらいの無謀さでした。進路をどうするか、そこからずっと考えていました。センター試験の直前に藝大に落ちたら浪人でいいと覚悟を決め、先端を受験することに決めました。
受験にはポートフォリオの提出が必要でした。住んでいたところは、画材屋もない地域で、100円ショップやホームセンターで見繕ったものを使って作品を作ったり、藝大に入学したらやりたいことを書いた企画書を作ったりして、奇跡的に受かったという感じです。
親の職業の関係で海外の知り合いが頻繁に家に訪れる環境で育ちました。親はキノコに関する国際事業のコーディネートをしているんですけど、その一環でインドネシアでキノコ栽培の技術支援もしています。その関係で、私も最近はインドネシアと日本をかなりの頻度で行き来しています。その「浮遊感」がすごく性に合っているし、しっくりくる感覚があります。なんで浮遊する感じに惹かれるんだろう、と進路を決めた時ちょうど考えていたところだったんです。地面に足をべったりつけてどっしりやっているより、ある意味で力を抜いた生き方をしていく方が、私には自然なんだと思います。生物学を学びたいと思っていたところに、いきなりファン仲間から藝大を勧められて、「そうかな~」とふわっとしながら漂っているうちに、「それもいいな」と思ってくる自分がいました。
「再生活動」も、最初は全部自分で抱えがちでした。でも、自分の作品や活動だからとがっしり抱え込むのではなく、少し手放して、幽体離脱するみたいに「ちょっと離れたところから見てみる」と、意外と人が集まってきて助けてくれたり、大変なことが起きてもなんとか乗り切ったりして、それが全部自分の成長につながっていました。
1人でやっても、自分が本当に理解できることってそんなに多くないと思っています。感覚的なことや作品のようなものは、そもそも1人で所有するものではない気がしていて。だから、どんなものからも距離感を持つというか、透明感を持つというか、風通しよく存在していることが大事だなと感じています。
自分の芯は大事にしながらも、水みたいに変幻自在に関わる、という感覚が近いかもしれません。
奇跡的に藝大に入れましたが、入ってからが本当に大変で。先生が出す基礎的な課題に出てくる単語も分からない。必死に授業課題をやっても、「実験止まりだね」と言われ続けて、作品と呼べるものが1個も作れていないまま大学2年が終わってしまって。せっかく藝大に入ったのに、この流されていくような状況から一度離れないと本当にもったいないことになると思い、この先どうするか何も決まっていないまま親に休学したいと伝えました。
休学を決めた直後、親から「仕事の役職に空きが出たからインドネシアに来ないか」と誘われました。休みの日には現地で芸術分野の経験もできるため、休学中の2年ほど、親の仕事を手伝いながら、インドネシアに滞在しました。
インドネシアはずっとあたたかくて、四季の感覚がぐちゃぐちゃになるのですが、それすら心地よい場所でした。日本の友達から「サヤカって今どこにいるの?」と聞かれるのも、むしろ気が楽でした。ある日、インドネシアの日本食レストランでたまたま隣に座っていた人が藝大の工芸科出身の方でした。その方にインドネシアの「ろうけつ染め」の職人のところに連れて行ってもらい、習うことができたりもしました。
校歌のことも含め、世代を超えた先輩にすごく助けられる体験をしてきました。インドネシアでも、人とつながる楽しさは「再生活動」の時に感じた面白さと同じかもしれません。
卒業後、またインドネシアに3年ほど行く予定です。現地滞在員として働きながら、うち2年で現地の大学院に留学しようと思っています。
やりたいことは、仕事の面と制作の面の2つあります。
仕事の面でいうと、先端の授業では、「社会問題をどう解決していくか」について議論する機会が多いのですが、結局、その社会問題の根っこにある社会的な構造を変えないと、どうしようもないと思っています。
親が自営業をしているということもあり、起業することも自分にとっては身近なものです。起業家なり、政治家なりになって、直接その社会の中の構造に触れて社会問題の解決につながることをしなければいけないという使命感をどこかで感じています。
制作の面では、インドネシアの人達を撮る映像制作に取り組みたいと考えています。「再生活動」はすごく面白かったのですが、未だに自分の中では「作品」と呼べるものを作れていないと感じている部分があります。表現できることはあると思うので、自分自身でもっと作品制作をしていきたいという野望があります。そのために、インドネシアの大学院で、自身の精神性をもっともっと深めながら、いつか自分の「作品」と呼べるものを作ってみたいと思っています。
なんなんでしょうね…。いわゆる「もの」としての作品は、自分には作れないと感じているのかもしれない。
「再生活動」は、確かにみんなに作品といってもらえますが、私は責任者として「場」を作っただけだと思っています。映像は作品というより「場」だと思っています。
歌は映像と形態が似ています。例えば童謡は、誰が作った歌かは知らなくても、歌う人たちは自分たちの歌だと思っています。
これは大事にしたい価値観だと感じています。
インドネシアに行き来する中で、現地で出会った人たちは尊敬できる方ばかりでした。私は、どんな環境で過ごしたら、このような人が育つのかに関心を持ちました。そこで、彼らの哲学や芸能を深く知りたいと思ったんです。
色々調べていく内に現地の大学院で学べることを知りました。入学するために必要ないくつかのハードルも越えられることが分かり、そこから、インドネシアの大学院進学が現実味を帯びてきました。現地の大学が、私のために外国人枠を新設してくれることにもなりました。有名な国立大学ですが、先生方のフットワークが軽く、ここを学び舎にしたらどれだけいいだろうと思ったんです。
先端の先生方から、「卒業制作の映像の中の先輩がすごく生き生きしている」と言われ、それがとても嬉しく、もしかしたら映像が、自分にとってのキーになるかもしれないと、藝大での学生生活の最後で気づいたんです。
インタビューでは、普通のインタビューにはない表現が、自分にはできる直感があります。映像を作るなら、自分の意思でがっちり作り上げるより「手放す」という感覚で作りたいと思っています。
自分ですべてをコントロールして何かを生み出すことってできないと感じています。制御できないものをそのまま受け入れながら、その上でどうやってもがけるか、というようなことを表現としてやってみたいです。
直近でチャレンジしたいのは、インドネシアで誰かの映像を取ることです。
先ほどお話ししたように、度々インドネシアを訪れる中で、インドネシア人の道徳心や精神性の高さにいつも感激していました。毎日お祈りをし、お花を飾り、お香をたくなど、その行為自体がほんとに美しいですし、みんなで共生している。その風景に他の国にはない魅力を感じています。
私は、現地の方にキノコ栽培の技術支援をしていますが、逆に満たしてもらっているのは、こちらの方だといつも感じています。
この人たちの姿を映像に撮って、日本を含めた他の国の人たちに共有したいと思いました。
本当にそうですね。私が作り出せるのはたぶんプロセスの部分です。「再生活動」でも絵を描くのは、美術学部の学生ですし、編曲や演奏は音楽学部の学生です。ちなみに歌は今回、美術学部の学生も歌いました。
彼らが作るものは確かに作品と呼べます。私はその流れというか土壌のようなものをつくって、その土壌の上で、メンバーが各々作品を作っている気がします。
いい芸術体験は、自分自身からも逃れられるような気がします。それが忙しない現代人にとって必要なのだと思います。自分はどう思うか、社会の何を変えたいかは、先端にいると何度も自分の考えを求められる部分です。そこからさえも離れ、自分は何者かという問いからも離れる、透明人間になれるような装置が、いいアートではないかと思います。その無の状態から、何かが芽生えてきて、その人が浮遊するきっかけになる、そんな作品を作りたいと思っています。
「藝大校歌再生活動」やインドネシアで体験から、自分ひとりでは制御できない場で創造性が生まれる可能性を探究したい、という思いが伝わるインタビューでした。髙田さんの今後の活動に引き続き注目していきたいと思います。

音楽学部キャンパスにある、東京藝術大学同窓会「杜の会」が入っている建物前にて撮影
インタビュアー:
山中大輔:とびラー12期。社会福祉士、介護支援専門員、ボランティアコーディネーション力検定2級合格。都内の社会福祉協議会で、住民の皆さんと地域の福祉課題の解決に取り組む。また、地域活動では、地域の皆さんとアートを介してコミュニティをつくる活動を都内各地で実施中。
塙隆善:とびラー13期。長らく勤めたIT企業を卒業後、セカンドキャリアで、研修講師、個別指導塾講師、小学校の特別支援学級の介助員として活動中。地域の活動としては、コミュニティ学習支援コーディネーターとして、人がつながるためにどのようにアートを活用できるかを模索中。
平田彩:とびラー14期。フリーランス。浦安藝大への参加をきっかけに、アートの力に魅せられDOORを受講、現在そんぽの家で滞在活動中。聴くこと・ことばにすることを手がかりに、場づくりやつながりづくりができる存在を目指している。
2026.01.25
日時 |2026年1月24日(土)
場所 |東京都美術館
参加者(事前申込)38名、とびラー31名
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寒さが一段と増し、冬らしさを感じる1月。
2025年度 第5回目の「とびラーによる建築ツアー」が実施されました。
今回の建築ツアーは、ガイドとして初めて本番を迎えるメンバーが多く、サポートとして初参加となるとびラーも加わり、これまで以上にフレッシュな顔ぶれでの開催となりました。
ガイドデビューに向けて、それぞれが東京都美術館の歴史や建築の魅力、紹介したいポイントを考え、何度も試行錯誤を重ねながら準備を進め当日を迎えました。
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参加者からは、
「楽しくて、あっという間に45分が過ぎていました」
「今まで注目したことのない場所や、新しい見方を知ることができた」
といった声も寄せられ、ガイド一人ひとりの工夫や想いが伝わるツアーとなりました。
この建築ツアーには決まったコースはなく、それぞれのとびラーが考えたオリジナルのツアーとなっています。
2026.01.25
取手駅からバスに乗って10分ほど。そこは雑木林に囲まれた、なだらかな丘陵が続く東京藝術大学(以下、藝大)取手校地の広大なキャンパスでした。絵画専攻(油画)修士2年の大松美加子さんが、構内にあるバスの停留所で私たちを迎えて、制作室に案内していただきました。今回のインタビューは3名のとびラー(アート・コミュニケータ)で行いました。その中には全盲のとびラーもいます。事前にお伝えしていたので、大松さんは用意してくれていて、作品の一つを特別に触らせてくださいました。私たちはそれを手に取り、触感を確かめながらインタビューが始まりました。
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– 大松さんの作品はどういう風にできているのですか?
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キャンバスに描いた絵の上から豚革で覆っています。半透明で透けて見えるので、奥に描いた絵がうっすらと浮かび上がります。
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– どうして豚革を使っているのですか。
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最初は見た目から入って、視覚的に魅力があると感じたからです。半透明で、中のものが直接的に見えなくなるというか、まるでヴェールがかかったような状態になることに興味を持ちました。豚革で絵を覆うことを続けるうちに、革の内側に絵具が付着して、新しい層ができるような視覚的な面白さも感じるようになりました。
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豚革に包まれた大松さんの絵画作品
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あと、生活していると埃が溜まりますよね。埃は皮脂や服の繊維だったものが少しずつ剥がれて堆積して重なったものですが、その状態が豚革の質感と近いものを感じて面白いと思いました。
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大松さんのお子さんのサイズアウトした靴を豚革で包んだ作品
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学部生の時の卒業・修了作品展(以下、卒展)に出した作品も制作室に持ってきています。これらは一部が割れたガラスやコップ、サイズアウトした私の子供の靴で、豚革でくるんでいます。どれも形は保っていますが、私からすると既に失われたものです。もう役割を失って、ただの形になった時点での状態を残しておくのにちょうどよいという点で、豚革という素材でくるむことは私にとって、しっくりきました。
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– 豚革という素材を見つけて、作品に使い始めたのはいつごろからですか。
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思いついたのは学部2年の頃です。学校から紹介された訳ではなく、多分何かを調べていた時、偶然見つけました。初めて作品に使ったのは学部4年の卒業制作の時です。私は学部生の間に出産して一時休学していました。復学後は精力的に何か新しいことを試したり、作るというよりは、「今の自分ができることは何か」を考えていました。その後、卒業制作を考える時期になり、以前に少し試して、手元に残っていた豚革を手にして、これは活用できるかもしれないと思いました。豚革は面白くて、今触ってもらった時は硬く感じたと思いますが、水に濡らすとふやけて、ブヨブヨになるので、いろいろな形にできるという性質があります。そして、乾くとまた硬くなります。加工しやすい訳ではありませんが、私ならうまく表現に使える素材だと思いました。
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– 今回の修了出品も豚革を使った作品が中心になるのですか。
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半々でしょうか。これまで制作した絵画と豚革を使った作品に加えて、ジュエリーの技法を使った作品や写真作品の展示、そして私のiPhoneのストレージにある動画を編集した映像作品の上映を考えています。
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まず、ジュエリーの工法を使った作品の途中経過をお見せします。これは1枚の写真から小さな円をたくさんくり抜いて、ロケットペンダントにはめ込んだものです。ティグ溶接というジュエリーを台座に取り付ける技法を使って、繋げてみました。これらをさらに長く繋げていって形を作ろうと思っています。元の写真は記憶が薄れてきていますが、iPhoneのストレージに残っていた旅行中のものです。
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他にも、自分が食べ終わった皿の写真作品も準備しています。食べ終わった後の皿が視覚的にすごくきれいに見えることが多くて、数年前から撮ってきました。私は記憶みたいなものをテーマにしていますが、生々しい記憶というよりは、もう薄れてしまった後の記憶みたいなものに惹かれます。私には食べた後のお皿はきれいに美しく見えていますが、既に失われた後の姿に何か見出せるものがあるのがいいなと思ったりします。
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– 目が見えない人にも楽しめるポイントがもしあれば教えてください。
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今回、匂いを使った作品も取り入れたいと思っています。
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匂いを使った作品の素材の香りを立たせている大松さん
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渡された乳鉢の中の香りをかぐ山本さん「この香りは?」
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これはミルラという天然の樹脂香で、昔からお香として使われてきました。サクランボ大の塊で、ブロック状の炭を砕いて一緒に焚くのが本来の使い方らしいのですが、今回は砕いてみました。匂いや音のような立ち上るものがある作品を出品するのもいいなと思っています。匂いに関しては、実験してみたいと思っている作品があって、今まで豚革でやっていたように、膠(にかわ)とミルラを混ぜて、花をコーティングしてみたいです。多分透明な膜のようになると思います。ミルラは東方の三賢者がキリスト誕生祝いの一つにしました。また、エジプトではミイラの防腐剤としても使われていたそうで、ミイラの語源ともいわれています。象徴的な面と実用的な面を併せ持つところが面白く、作品に展開していけたらと思っています。卒展でそれを出品する可能性があるかもしれません。間に合えばですが…(笑)。匂いというのは一番早く忘れる感覚といわれていますが、再び嗅いだ時に一番早く記憶を呼び覚ますきっかけになると思います。記憶が匂いと結びついていると以前聞いたことがあり、匂いという感覚は儚いけれど力強いものでもあると思っています。
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– 修了制作で苦労した点やエピソードはありますか。
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子供がいることもあって、制作に使える時間が減り、頭の切り替えがうまくいかないところが、苦労した点でした。修士課程での制作中のエピソードといえば、たびたび研究室で研修旅行に行ったことでしょうか。その土地その土地には記憶があるし、そこに溜まっている埃というか、生活の痕跡みたいな、ちょっと訪れたぐらいでは見えないものもたくさんあるのだろうなと旅行しながら想像していました。頭の切り替えが難しかったと先ほどお話しましたが、そんな小さい旅行をすることで、自分のペースを取り戻すことができたと思います。
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もう一つ、卒展の作品構成のヒントをもらったエピソードがあります。修士2年になって、教授のプロジェクトで制作室内にホワイトキューブという四角い展示スペースができました。年度後期になってその教授から、この場所で学生が交代で個展を開こうという提案があり、私が最初に一週間後から作品を展示するように依頼され、急いで準備して、何人かを招きました。それまで自分の作品で個展をしたことがなく、自分の作品を一つの場所でまとまって見るという経験がありませんでした。展示してみて、制作の大きな気づきになりました。卒展へ向けても、あえて大作に挑まず、小さい作品をたくさん制作することで表現できると思えたのは、この経験がステップになったと思います。
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– 美術系の大学に進もうと思ったきっかけは何でしょう。
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高校が美術系だったこともあって、美大受験予備校にも通っていたのですが、現役の受験では落ちてしまいました。高校を卒業してすぐは、そこまで美大に行きたいという強いモチベーションがあったわけではなく、しばらく迷いの中にいて、派遣の仕事をしながら生活する時期もありました。その後、改めて美大に通っている友人に会って話をしたら、美大では長い付き合いの友達ができる場所だと思いましたし、興味の点で言えば、写真を撮ったり文章を書いたりするのがすごく好きだったこともあり、美大を再受験することを決めました。
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– 藝大の絵画科油画専攻を選んだ理由は?
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絵を描くこと以外、できる気がしなかったからでしょうか。入学する前は、未来の自分が作る作品をできるだけ楽しみにしたい、今は予想もしてないようなものを作ってみたいという気持ちがありました。そして、自由度が高いのは油画専攻だと思ったので、選びました。私はブランクがあったこともあって、まっすぐ絵を描くということより、他の要素を取り入れたり、他の媒体に挑戦したりすることに興味がありました。
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– もともと美術はお好きだったのですか。
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小さい頃から絵を描くことが好きで、小学校の休み時間は絵を描くとか図書室で過ごすような子どもでした。あと、祖父の家に紙がたくさんありまして、私が落書きをしているのを見るたびに、祖父がそれをいつも壁に飾ってくれていました。今考えるとそういう経験も大きかったのかもしれません。中学までは普通の公立です。中学の時は不登校だったので、普通科に進むよりは何か別なことをした方がいいだろうと、美術系の高校への進路を考えました。
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– 藝大受験や学生生活の思い出は何でしょう。
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最初に受験した時は緊張しましたし、こうでなければという気持ちも強く、力を抜くのが難しかったです。合格したのは3回目に受験した時だったと思います。記憶が薄れていて、しかも曖昧な年が1年あって、3回目か4回目かよく分からないのです(笑)。学部時代は上野キャンパスで過ごしました。学部1年の時は藝祭で模擬店係をやったことが思い出に残っています。確かタピオカ屋さんをやりました。油画科は、学部の間は全員が上野で過ごすのですが、大学院進学で上野の研究室と取手の研究室に分かれます。私は取手の研究室に配属になりました。今から考えるとそれが結果的にすごく良かったです。アトリエの居心地がとてもいい。制作しない時でも、学生同士で話したり、本を読んだり。取手はすごくゆっくりした場所です。散歩するなど、これだけ穏やかにいられる場所は、私のこれまでの中では割と珍しかったので、貴重な時間でした。
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– 今は制作の時間が長いと思いますが、気分転換にはどんなことをされていますか。
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散歩でしょうか。制作中にちょっと疲れたなと思うと、構内の下の方に行ったり、制作室内のソファーに座っておしゃべりしたりなど、うろうろしています。その際に何かひらめいたり、作品のヒントを得たりすることはないですね。作品制作に繋がらないところがかえって息抜きになっているかなと思います。
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– 修了後の展望を教えてください。
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本当に迷っていて、これがしたいなど、しっかり決まっているわけではありません。働きつつ、アート活動は続けていきたい。作品のサイズや規模が小さくなっても制作を継続するのが大事かなと思っています。どこかに作品を出品することも、これから考えていきたいです。
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– 最後に、卒展へ来館される方々に伝えたいことや、こう感じてほしいと思うことがありましたら、教えてください。
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誰の中にも、もう忘れて思い出すこともできない記憶みたいなものがあると思います。自己の中ですら辺境化されている記憶…。記憶に限らず、そんな部分があって、その存在を感じてもらえたらいいなと思っています。
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取材:長谷山恵子、山本祐介(ガイドペルパー同行)、岡浩一郎
執筆:岡浩一郎
写真:大東美穂(とびらプロジェクト コーディネータ)
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仕事は、小学1年生の児童支援と新任の先生のクラスで時々担任もしています。趣味は地元のスケッチ会で水彩画を外で描いています。猫二匹を飼っていて、餌の好みを研究中。(長谷山恵子)
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2022年に全盲となった理学療法士。現在は、自転車旅や表現活動を通じ、善意による制約や無関心が生む社会の壁を打ち破るべく活動しています。とびラーとして、視覚に頼らない独自の感性を大切にしています。(山本祐介)
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宮城で27年間、日本酒蔵元で働いて、親のいる東京に戻りました。現在は小学校で、3~4年生に英語を教えています。東京に来てから習い始めた津軽三味線は「乱れ弾き」を夢見て、練習に励んでいます。(岡浩一郎)
2026.01.24
年末も近づく12月下旬、私たちは東京藝術大学(以下、藝大)取手キャンパスの教育棟を訪れました。大学構内で飼育されている散歩中のヤギと出会うなど、上野キャンパスとは異なる取手キャンパスの雰囲気を楽しみながらアトリエのドアを開けると、篠崎遥香さんがあたたかく迎えてくれました。アトリエに入ってまず目に飛び込んできたのは、壁に掛けられた大きな絵と、床に置かれた同じサイズの下絵。その迫力に圧倒され、ご挨拶もそこそこに、思わず絵に引き寄せられてしまいました。
「触っても大丈夫ですよ」とのことで、特別に手で触れながら、さっそく作品についてのお話に。和紙を使ったコラージュの技法や、「一度描いたら直せないから、緊張しながら進めています」と、制作時の心持ちも教えてくださいました。
少し落ち着いたところで、改めてお互いに自己紹介を交わし、椅子に腰かけて本格的にお話を伺うことにしました。
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– 大学院に入学するまでの経緯をお聞かせください。
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私は、一度別の大学で日本画を専攻した後、社会人入学で藝大に入りました。普段は高校の講師をしています。元々、アートスクールを開きたいという夢があり、いずれは自分のスクールをメインに活動したいと考えています。その一環で数年前はカルチャースクールや絵画教室で修行していました。コロナ禍で教室の継続が難しくなり、生活スタイルや描きたいものに大きな変化がありました。その中で美術教育を本格的に学び、制作も教育も両方を極めたいという思いが強くなって、美術教育研究室(以下、美教)への入学を決めました。
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1 修了制作について
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今後、このような青系の色がついていくそうです
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– これが修了制作ですね。
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2年くらいで心境の変化がありました。元々コロナ禍の誰もいない情景に人が空を舞っている作品を描いていて、2023年にコロナが落ち着いてきてから構成を変えたりしています。今最も追及しているのは、浮遊することとは何かを人物像を用いて表現することです。突き詰めて描いていきたいと思っています。
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– 「浮遊」している状態は、どういうメッセージが込められているんですか?
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これまで「絵でしか表現できないこと」をやりたいと思ってきました。浮いている状態を違和感なく表現できるのは、絵画の醍醐味だと思います。「飛ぶ」のは昔から多くの人が興味を持つことなので、見た感じ方は人それぞれ、いろんな感情が想起されるような浮いている状態を作りたいと、最近は思っています。
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二人の人物を重ねるような配置で「浮遊」を表現したいと思ったのは、自分自身の実体験がきっかけです。実際に人間が空を飛ぶことはできませんが、ジャンプやトランポリン、飛び込み、泳ぐといった浮遊に近い身体の動きを通して、私はいつも開放感や心地よさといった浮遊が持つイメージとは裏腹に、怖さや体に力が入るような感覚も抱いてきました。そんな相反する気持ちを、異なるニュアンスを持つ二人の表情に込めることで、鑑賞する人にも「浮遊」という感覚に少しでも近づいてもらえたらと思っています。わざとダブらせて物理法則を無視したり、服の形もあちらこちらになびかせたりするのは、「浮いている」と人の目をうまく錯覚させることができないかと考えて、二人の人物を重ねる配置にしてみました。
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制作で参考にしている服も見せていただきました
制作に使うケーキナイフとヤスリ
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– 制作の過程で、楽しかったことや大変だったことは?
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2025年6月頃にサイズ感と方向性が決まり、人生最大の作品になりました。大きいということで一人ではできないことも多く、研究室の仲間の協力には本当に助けられました。美教は論文の提出もあり制作との両立はとても難しく、仕事もしているので日々葛藤しながら駆け抜けて行く感じでした。最近はアクリル絵具を主軸に制作することも多かったのですが、そんな中でも日本画の伝統的な技法を取り入れて制作できて、今までの学びに立ち返ることができました。
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2 これまでについて
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– 教えるということが、元から好きだったのですか?
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結果として適性があった、という方が近いです。たまたま人生初のアルバイトが塾講師で、続けていく中で教えるスキルが積み上がっていきました。私は喋ることが好きで、言葉にするのが得意だったので、できるかもしれない、と思うようになりました。
指導をしている中で、子どもたちが何かを理解したときにニコッと笑みを浮かべた姿を見て、教えたことでその人の人生にプラスになったと実感でき、私の喜びになりました。
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– 小さいころから、アートは身近にありましたか?
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全く身近ではありませんでした。お絵描きは好きでしたが、小・中学校で、特別な教育は受けていませんでした。
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– いつ頃から美術の道に進もうと思ったんですか?
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小学5年生のときの担任の先生がきっかけです。40代の体育の先生で、ご自身の今後のことを考えて、夏休みの間に大学で美術の教員免許を取得したという話を朝の会でして、実技の授業のデッサンを見せてくれました。私はそこで初めて大学というものがあること、そして美術が学問になるということを知りました。それまで図工の時間はレクリエーションのように考えていたので、ただ楽しいだけではない美術の世界に興味を持ち、進路として意識しました。そのあと少し時間が空いて、高校で美大受験予備校に通い始めました。美大を目指す他の人に比べたら本格的な実技対策は遅い方だったと思います。
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– 将来描くことが生活につながっていくとは想像していましたか?
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始めは大学で美術を学ぶことってなんだろうと考えるところまでで、その先はあまり意識していませんでした。
絵画教室の先生になるという夢は、大学3年生のころには思っていたのですが、人生の目標としてもう少し先のことと捉えていました。中高を過ごした地元に絵画教室がなく、地域にそういう場所があった方が良いと思っていました。
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– どうしてそう思ったのでしょうか?
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父が社会科の教師で、教える環境には自然と馴染んでいたからだと思います。気が付いたら人に何かものを教える自分という像が表れていました。振り返ると、人生の決断には出会った人や環境の影響が大きく、教育の力は侮れないと実感しています。
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丁寧にご説明くださる篠崎さん
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3 美術教育研究室での学びについて
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– 美術教育とはどんな研究室ですか?
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「教育」の名の付く研究室なので学校の先生を養成する場所と思われがちですが、必ずしもそういうわけではないです。美教では、作品制作の他に理論研究として論文を書くのですが、そこで自分の研究を丁寧に言葉にしていきます。言語化はとても大切なプロセスで、美術を学ぶ意義を深く掘り下げることができます。
修了後の進路は結構バラバラです。学校の先生になる人も、学校ではない教育活動をする人も、作家で頑張る人も、学芸員になる人もいます。なんらかの形で言葉にすることを強みに活かした進路にいく人が多いですが、必ずしも学校の先生ではありません。そこが教育学部系の美術教育とは異なる、藝大ならではのところです。
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– 美教の2年間を振り返って心に残っていることは?
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古美術研究旅行がとても楽しかったです。古美術研究旅行は他の科では単位として設置されていますが、実は美教にはこの制度が無く、私の代の学生の強い要望で美教内でも希望者による催行という形で実現しました。美教には学生の「学びたい」気持ちを尊重してくれる空気があると思います。美教では学生の制作分野はバラバラなので、日本画、彫刻など専門の異なる学生と一緒に古美研行くのですが、日本画専攻の学生は仏像の塗装や絵付けについて、彫刻専攻の学生は木彫の作り方など、互いに知識を共有できるので学びも多く、貴重な体験となりました。
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この経験は私の制作にも活かされていて、「浮遊」を表現する際は、平等院鳳凰堂の雲中供養菩薩像を参考にしています。物理法則として正しい形と、人が見て心地よい浮遊表現になるかどうかというのは全く別だと気がつきました。これまでは物理法則に囚われていたところがありましたが、最近は解放されてきたと思います。
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図録に掲載されていた平等院鳳凰堂の雲中供養菩薩像
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また、一度社会人を経験してから藝大に入学したのですが、最初に他の大学で学んだ時は、なぜ勉強するのかが本当はよくわかっていませんでした。どこかで「みんなが大学に行っているから私も進学する」という気持ちがあったのだと思います。今回はただ自分が勉強したくて藝大に入学したというところが大きいので、主体的に学ぶことができています。普段教員をやっているので、先生がどういう意図で話しているか、学生に何を求めているのかが以前よりはわかるようになり、指導内容がより理解できていることを実感しています。
この2年で、学びたいと思ったときにいつでも学べる生涯学習の喜びを、身をもって実感しています。
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4 おわりに
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– アートスクールを開きたいという夢があるとのことでしたが。
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私は生涯学習に関心があり、学校教育や美術教育の機関と連携・協働しながら、地域に開かれた教室をつくりたいと考えています。
様々な学びが展開できるすごいスクールでありながら、出で立ちは素朴で、「街の絵画教室」のような、老若男女さまざまな人が集まる場をイメージしています。私は絵画を専門に教えたいと思っていますが、他の分野の人たちとつながりながら、幅広い学びを提供できたら嬉しいですね。美教で、横のつながりが広がったことも大きな収穫でした。関わる人たちと協調しながら、私自身も活動を通して成長していけるような、「一緒に楽しく勉強しよう」というスクールにできたらいいなと考えています。
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(※ちなみに…制作と同時に提出されたという修士論文もみせていただきました。論文名は「高等教育の美術教育における学外連携の現状ーー学外教員と学外教育者の両者調査から見える課題の考察」。理論と制作のいずれからも、夢に向かって進まれている姿が印象的でした!)
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– これからの展望を教えてください。
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自分のスクールに向けての準備を、本格的に行っていきたいです。まずは自宅での子ども教室からスクールの一歩を踏み出していこうと思っています。もっと「楽しい」にフォーカスした活動ができれば良いなと思います。
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– 藝大を目指す方へのメッセージをお願いします。
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藝大にはいろんな側面があり、美教のようなアート×教育の研究室もあります。藝大の学びは想像より広い、ということを伝えたいです。
藝大を目指す人には、何が自分の学びとしてフィットするかは実際にやってみないとわからないので、「色々やってみよう」と伝えたいです。何か自分が最も輝くものが見つかるかもしれない。それが今現在の自分が好きでやっていることと一致しているかはわからないから、広い視点を持ってやってみることも大切です。何かハマるものがあって、藝大へ足を踏み入れることになるかもしれない。それがもしかしたら10年後、20年後、30年後かもしれない。学びはいつまでもあるということを伝えたいです。
ここまでさまざまな経験をして、私は本当に美術や教育の勉強がしたかった、勉強が好きだったんだ、という感覚がやっと出てきました。これからも楽しく長い目で学んでいって、理想の「先んずる人」になっていけたらいいなと思います。
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– 私たちも篠崎さんのスクールに通いたいと思いました。ありがとうございました!
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ありがとうございました
最後にみんなで「浮遊」体験!
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14期の高阪妙子です。とびらプロジェクトでは、主に鑑賞にかかわるプログラムに参加しています。
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13期の西田明子です。今回で2回目となる藝大生インタビュー。様々なプログラムに参加することでたくさんの出会いや気づきがありました。
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14期の坂本悠美子です。普段は出版社で編集をしており、今後は美術分野の書籍編集にも携わっていく予定です。とびらプロジェクトでは鑑賞講座をとっています。
2026.01.23
東京藝術大学(以下、藝大)の建築科は1学年たったの15人だそうです。インタビューさせていただいたのはその建築科に所属する学部4年生の岡崎万実子さん。案内された総合工芸棟4階の製図室には、ゆるく仕切られたスペースで各自が研究や制作をする建築科独特の空間が広がります。お話を伺ったのは、まさに追い込み中の12月。卒業制作はなんと、施主さんがいる本物の建築物でした。
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建築科4年岡崎万実子さん
ドローイングの貼られた壁の前の建物模型に目が留まります
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岡崎さんのスペースには、建築素材や模型、図面がおかれ、右手の壁一面には何枚ものドローイングが貼られています。
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– こちらが卒業制作ですか?
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はい、卒業制作の背景からお話しします。藝大音楽科の友人のご両親が、住宅とゲストハウス(宿泊施設)を建てるという計画がありまして、その友人に声をかけてもらって、学部3年生の頃から設計に関わらせていただいています。その場所が、瀬戸内しまなみ海道が通る「大島」です。目の前には海が広がり、裏手には山がある敷地です。島の中でも住宅が集まった場所からは少し離れていて、波の音だけが聞こえるような静かな場所です。
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卒業制作が建つのは瀬戸内海の大島
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実際に現地では施工が始まっていてこの写真は棟上式の様子です。今の設計段階としては、建具の取っ手やフックなど、小さいものの選定と、ディテールの設計をしています。
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施工場所の写真と棟上げ式の様子
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– 3年生からメインの設計者として関わっていらっしゃるなんて素晴らしいですね!
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工務店さんと相談しながら進めています。全体は、住宅とゲストハウスが連なる構成で、まず住宅があり、その「はなれ」としてお父さんの書斎と倉庫が配置されています。その奥にゲストハウスが続き、ゲストハウスは中庭に面しています。住宅とゲストハウスの空間は分けられていますが、一部で動線が重なり合っています。設計する上では、ドローイングを描くようにしています。
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壁一面にドローイング。一旦抽象化して考えるのに欠かせないとか
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– 壁一面が全部そのドローイングなんですね。模型を作るより先に絵を描くのですか?
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そうです。正確には、模型を作りながらドローイングを描き、また模型を更新する、という往復をしています。
例えば、室外機の配置を考えたときも、ドローイングがきっかけになりました。これは、ドアの並びと室外機の関係を考えたドローイングです。ドアと同じような形で開口を設け、そこを室外機の置き場にしてみました。室外機を壁面から突き出さずに納めようとすると、壁に窪みが必要になります。その窪みは、室内側から見ると出っ張りとして現れますが、そこをスーツケースを置くための棚として利用できると考えました。すると、それまでキッチンが想定されていた位置と、クローゼットの配置が入れ替わることになります。
見え方やものの関係を起点に、そこから新しい形や機能に波及していく。そうした連鎖を意識しながら設計しています。
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左はドアと室外機の配置を考えたドローイング、右は内側にできた窪みの断面図
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– 見た目からの発想が機能に転換されていますね。では、こちらは何ですか?
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天井のドローイング
白抜きの楕円がダウンライト、黒い楕円が火災報知器
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寝室のベッドから天井を見上げた図です。ダウンライトが天井に3つ必要で、さらに火災報知器をどこかに置かなければなりません。ダウンライトと火災報知器の実物を並べてみると、似たような形と大きさをしているなと。
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ダウンライトと火災報知器
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普通は火災報知器は付属物として扱われますが、それを一旦ドローイングに置き換えて抽象化してみることによって、同じ形としてフラットに設計に取り込めるのではないかと考えました。同じようなものとして配列しているけれど1つだけ火災報知器になっているという訳です。
部分的にドローイングを描いて、その度に決定を下していきますが、全体を見ると部分同士はリンクしているというか、韻を踏んでいるというか。
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– リンクして韻を踏む・・・形や間隔のリズムがということですね。
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そうですね。例えば壁の高さとネジのピッチなど一見バラバラのものが関係づけられて、寸法が決められています。
そして、こちらのドローイングも・・・住宅側のトイレ前の壁のポケットに置かれた一輪挿しの花と、奥の窓越しに広がるお庭の風景とが、ちょうど同じ高さで並び、同じ額縁の中に切り取られたように重なって見えています。
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壁のポケットの一輪挿しと奥の窓
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ドローイングにすると、大きさとか距離感が抽象化されるので、大きい・小さい、遠い・近いみたいなことを同一平面で考えるきっかけになります。このようにすごく具体的な部分と、抽象的なイメージとを擦り合わせるように進めています。
建築の設計というのは、一般的に大きい外形から決まって、それから構造が決まって、壁、天井、巾木、家具、というふうに、ヒエラルキーがあると思うんです。一旦はディテールまで設計していきますが、引き戻ってスケールを横断的に考えていくように意識しています。
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– 施主さんとお話しして最初に作り上げたコンセプトやイメージなどはどんなものだったのですか?
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授業での設計と大きく違うと感じているところが、自分だけの設計ではなくて、施主さんの要望であったり、工務店さんの施工性の有無だったり、社会的な制度などが複雑に絡み合った中で設計されるというところです。最初にコンセプトは立ててはいたのですが、どんどん形が自分の手から離れていくというか。ですから、個々の要素を統合的に制御するのではなく、ものの関係を部分的に結びつけながら、全体が何となく見えてくるような設計を目指しています。
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例えば、全体プランとしては、もともとゲストハウスと住宅は別々の棟で考えていたのですが、建築申請をする段階で1棟に変更する必要が出てきました。それを受けて、この住宅とゲストハウスをつなぐ外壁が、住宅側から連続してそのままゲストハウスの内壁として現れてくるようにしました。制度によって定住する夫婦とゲストとの関係が作られていった訳です。このように、検討中の様々なフェーズで出てくる新たな条件に従って形が変形していくような設計をしています。
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手前が住宅、奥がゲストハウス、間の直線部分が書斎兼倉庫
ゲストハウスの中心には廊下が斜めに走っている
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– いろいろな変更は施主さんも予測できないのですね。そもそも施主さんがいちばん大切にされた設計上のポイントはありますか?
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ゲストハウスについては、海が見えること、そして、お庭でバーベキューができるスペースがほしいということでした。そこで、ゲストハウスには大きな土間を設けています。キャリーケースを持ったまま土足で入り、クローゼットで荷物を置いて、そのまま中庭に出られる動線を想定しています。釣ってきた魚を土足のままキッチンで調理できるなど、靴を脱ぐ・脱がないといった行為の切り替えも、意識しています。
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– こだわった素材、特徴的な素材はありますか。
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外装は「焼杉」にしています。焼杉は塩害に強いので海の近いこの地域でよく使われてきました。その焼杉を、外壁だけでなく内側の廊下にも連続して用いています。特徴的な焼杉の外壁に沿って外部を歩いていくと、そのまま内側の廊下へとつながり、さらに進むと再び外壁として現れます。表裏が次々と反転していくような感じです。
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焼杉の外壁が模型にも表現されている
焼杉の外壁材。仕上げで異なる表情が出る
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こちらはその焼杉のマテリアルのスタディ(素材の検討)です。焼いたままではマットな黒ですが、その上にオイル塗装をして、さらに強く表面を布でこすってみると、凸になった木目だけが浮き上がり、奥行きや立体感が出るようになりました。このように異なる仕上げ面をどこかで採用していこうと思っています。
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– 岡崎さんご自身についても伺いたいのですが、なぜ建築に興味を持たれたのですか?
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建築をやりたいと思ったのは物心ついた時からです。3歳くらいのことなのでよく覚えていないのですが、ものを作ったり絵を描いたりすることが好きで「建築家」という職業があると教えてもらったときに、これだ!って思ったのを覚えています。
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– 3歳から!家を作りたいと思うきっかけがあったのですか?
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家で部屋を移動するとなると、人は壁に沿って歩くことになりますよね。さらに、その壁の素材によって、過ごし方や人との関係性までも規定されることがある、そんな建築の力みたいなものに惹かれたんです。
建築は、作るものの中でも人に与える影響がすごく大きいものだと思っています。そういうものに携わりたいというのがいちばん大きいです。
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– その時思っていた建築家のイメージは今も同じですか?
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いいえ、大学に入ってすごく解像度が上がりました。それこそ今、実際の建築物の設計に初めて携わることでイメージは大きく更新されています。設備や制度的なことは、大学の課題だけでは考えることがない領域だったので、そういうものをむしろ肯定的に受け取りながら設計しています。
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– 藝大の建築科を選んだ理由は?
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意匠設計に興味があり、藝大にはそうした設計について議論し合える仲間がたくさんいると思ったので選びました。藝大に入ったことで、建築の表現にも興味を持つようになりました。今回は実際に建つ建築を設計していますが、実施されないものであっても、建築を通して考えを示すこと自体に意味があるのではないかと思っています。建築は建物そのものだけでなく、そこに至るプロセスや考え方にもあるという面白さに、大学で気づきました。
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– 建築は幅広いようですが、特に興味があって今後取り組んでみたいことはありますか?
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大学の課題では、一人で考えながら設計を進める時間が多かったのですが、実際の設計では、施主さんや工務店の方など、さまざまな人と対話しながら形が決まっていくことに面白さを感じています。そうした人との関係の中で建築が立ち上がっていくプロセスにも、関心があります。
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– 卒業・修了作品展はどんな展示になりますか?
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ここにある全部です。ドローイングと図面を並べておいて、ドローイングでは、切り取ったものの関係をどう見せたいのかを示し、図面ではそう見せるために実際にどのように設計しているのかを表現していきます。あとはその図面に至るまでの過程を文章で補ったり、採用されなかった図面を置いてみたり、そういうプロセス全体を作品として展示します。
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– 今回の設計に携わることで、見直したこと、感心したことはありますか?
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たくさんあります。例えば、コンセントカバーひとつでも、素材や質感の違いによって空間の印象が大きく変わることに改めて気づきました。造作家具を考える際も、ビスをどこに、どの間隔で留めるかによって見え方が変わってきます。そうした細部の選択が積み重なることで空間がつくられていくのだと実感し、これまで意識していなかったものが、少しずつ見えるようになってきました。
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– 建築に関する考え方に変化はありますか?
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建築は、ひとつの論理で説明できるものとして、わかりやすさを求められる部分がありますが、もう少し建築は複雑なものなのではないかと思い始めています。模型をそのまま肥大化させたような作り方ではなくて、もう少し包括的に全体を説明する・・・何というか「つぶさな目線」を持って建築を見るようなことではないかと。この制作に関わったことで、実際にものがどう成り立っているのかについて解像度がものすごく上がりました。今までは、建築の形態や機能性といった全体性に関心を持っていたのですが、最近は、材料やもの同士の接続といった細かな部分から建築を考えていくことの可能性を感じています。
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– 学部4年を卒業された後はどちらに?
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東京藝術大学の大学院に進学を予定しています。
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– どんな建築家に将来なりたいですか?
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常にまだ自分が扱ったことのない建築に関わっていたいですね。公共建築とか、住宅とか、家具スケールのものまで、いろんなスケールのものを手がける建築家になりたいです。
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– 岡崎さんのこれからがとても楽しみです。今日はありがとうございました。
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取材・執筆:12期斎藤朱織、14期清水愉美、14期岡本洸彰
撮影:神道朝子