とびラーが3年の任期を終えることを、「新しい扉を開く」意味を込めて、「開扉(カイピ)」と呼んでいます。
開扉したとびラーたちに、3年間のとびらプロジェクトでの活動によって得られた価値や本プロジェクトの魅力、今後の展望等を語ってもらいました。
誰かにそっと寄り添える人に
赤井 里佳子さん
誰かにそっと寄り添える人に
赤井 里佳子さん
—— 学業ととびラーの両立
大学3年生でとびラーになってから、大学などでの学びと組み合わせ、大切な仲間たちと他ではできない経験をして、学びを深めてきました。正直、大学との両立が上手く行かない時期もあり、参加できたものの数は他のみなさんより少ないかもしれません。それでも、学校では出逢えない素敵な方々と、温かい関係性の中で過ごすことができて、とびラーになる前の自分と比べると、なりたい自分に近づけている気がします。
—— 自立したアート・コミュニケータに
先日、私が身につけてきた、学んできたことたちが、頭の中で知識と経験の「箪笥の肥やし予備軍」になっているのではないか、と恐れを感じる出来事がありました。師事している教授が活動している、学校でのワークショップを見学させてもらったときです。子どもたちが、ゲスト講師の作家から素材の特性や作り方を教わりながら、実際に作品を作るという内容でした。見学していると、ある児童が、本当に作りたいものを、作りづらそうにしていました。私の頭の中では、「声をかけて作りたいものを作れるようにアシストしよう」という声と、「下手に声をかけたら、かえって混乱させるかも」という声とが拮抗し、結局眉間に皺を寄せながら眺めることしかできませんでした。
とびラーとして都美にいる間は、すぐに近くのとびラーさんと相談できますが、一歩外に出たら一人で縮こまってしまう自分に、沸々と悔しさと無力感を覚えました。何かを伝えるためにも、きくことを意識して対話することで、きっと多くの人に寄り添えると思います。これからは一人前の開扉とびラーとして、しなやかな頭脳と優しい心を持って自立したアート・コミュニケータになりたいです。
とびらプロジェクトへ感謝を込めて
足立 恵美子さん
とびらプロジェクトへ感謝を込めて
足立 恵美子さん
3年間の中で、2023年夏の「みるラボ:わからないのはじまり」が特に印象に残っています。聞こえにくい、聞こえる、音声言語を使う、手話を使う…皆違うからどうしよう?模索しつつ過ごした3日間。それぞれのあり方を理解し合い、時には誰かが間に入って橋渡ししてくれたり…。「ろうの人とそうでない人」のようなカテゴライズって意味がないな、人と人との自然な関わりってこういうことだよなぁと、とても居心地が良かったのを覚えています。
とびらプロジェクトに応募した理由は、アートが好き!というのはもちろん、“多様性”とか“包括的な社会”に興味があったからです。心理カウンセラーをしていて、一人一人の人ってこんなに面白いのに、「社会」の中では生きやすい/生きにくい、と道が分かれてしまうのって何だろう?と思っていました。とびらプロジェクトでは、そんな壮大すぎるような、どこから手を付けて良いやら?というテーマを、“向き合う”というより楽しい体験の中で咀嚼していける感動がありました。アートの力、美術館の力、そして人の力にワクワクした3年間でした。
残念ながら3年目は家庭と仕事の両立に苦労しあまり活動できませんでしたが、不完全燃焼という感じでもありません。内面には大きな変化があったからです。
自分がやりたいこと、望むこと、声をあげれば反応してくれる誰かがいる。自分で出来ない、知らないことも誰かは出来たり知っているから頼れば良い。それらを実感できて、気づけば自分の中で行動することのハードルがずいぶん下がりました。それがいちばんの収穫かもしれません。
まだまだ尽きない興味や関心、タイミングが来たら自分のペースでやっていけば良いやと、今軽やかな気持ちで、開扉します!
みなさん、ありがとうございました。
もっと遠くへ
荒井 由理さん
もっと遠くへ
荒井 由理さん
「早く行きたければ一人で行け、遠くへ行きたければみんなで行け」アフリカの諺として知られる言葉。私のとびラー生活は、まさにこのことを体感する3年間でした。
鑑賞実践講座を初めて受講した時のこと。“みんなでみる”と、こんなにも深い鑑賞ができるのか、と衝撃を受けました。
ラボでのこと。“そこにいる人がすべて式”で各々が向き合うと、想像だにしていなかったような遠い世界にたどり着けるのだ、と衝撃を受けました。特に、印象的だったのは「五感で楽しむ朝の都美さんぽ」というツアーをラボのみんなとつくった時のこと。もとは、別のツアーを一般の来館者さん向けに以前から行うラボでした。でも、前例を踏襲せず、 そこにいるとびラー全員でできることを考え、各々がアイディアを重ねていくことで、まったく異なるツアーをつくることができました。何をしたいのか、どんな時間をお客様と紡ぎたいのか、議論は迷ったり、止まったり、戻ったり。効率性や生産性とはおよそ無縁で、モヤモヤを感じることも数知れず。でもそれもひっくるめて、良い時間。みていること・ 感じていること・持っていること・知っていることが違う人たちが集まってアイディアを重ねていくことの意味の大きさと重要性を実感しました。
多様性やDE&I(ダイバーシティ、エクイティ&インクルージョン)といった言葉とその必要性が叫ばれて久しいですが、とびラーになって、本当の意味で、この意味と大切さ、同時に大変さの一端を実感できたように思います。
この3年で気づけたことや知ったこと、そして何より素敵な仲間とのご縁を大事に、扉を開きたいと思います。これまで出会えた“みんな”と、それから、これから出会う“みんな”と、もっともっ と、遠くに行けたら良いなぁ。
タイムトラベルはたのし
石川 泰宏さん
タイムトラベルはたのし
石川 泰宏さん
暗い室内。くすんだ赤い服を着て、白いスカーフをまとった老婆がいる。食器や野菜が雑然と置かれたテーブルに座って卵を料理しているが、視線は手元になく、無言で遠くを見つめている。老婆の左側には黒い服を着た少年。首元と襟元に白いシャツがのぞいている。大きな野菜を抱えて老婆の向かいに立っているが、やはり視線は別の方向に向いている。なにやら不機嫌そうでもある。キャプションには、《卵を料理する老婆》 1618年 油彩・カンヴァス。
2022年、とびラーになって最初の展覧会にその絵はあった。この絵の前で、何度も、たくさんの人と話をした。お婆さんと少年の関係について。家族なのか、仕事仲間なのか。なぜ2人は目線を合わせないのか。卵の料理法、スペインの野菜。部屋が暗すぎること。暗い画面に輝く白いスカーフ、白いシャツ、白い卵、白い皿。あらゆる円形のモチーフ。エトセトラ、エトセトラ。
結局、どれだけ見てもこの2人がどういう関係なのかも、一体なにをしているのかも分からなかったけれど、このあとの3年間はこのようにして、展示が変わるたびに新しい絵の前で新しい会話が始まった。連行される後白河院、傷ついた腕、明石の君の住吉詣、ウィーンの芸術家、南仏の赤い室内、メキシコの夜、たくさんのキノコ、馬、牛、ゴリラ、皇帝の巨大な足、知床のアイヌ犬、奄美の蘇轍……。
最後の展覧会で、記念にバルサ75周年ポスターのマグネットを買った。これはいま、冷蔵庫の扉の隅に貼っている。
ドラゴンボールを手に入れて
市川 善之さん
ドラゴンボールを
手に入れて
市川 善之さん
2021年の暮れ『市川さん、私が参加しているプロジェクト、きっとぴったりだと思うから応募してみたらどう?一緒にやろうよ♪』と、地元で子どもの居場所づくり活動をしているとびラー9期の方からお誘いを受けたのが「とびらプロジェクト」との出会いでした。
仕事を離れ、セカンドライフは、①地元、②子ども、③ワクワクをキーワードに、自分が楽しみ、みんなを楽しませたいと思い、大宮盆栽美術館や大宮観光ボランティアガイド会、別所沼プレイパークなどにちょうど加入しはじめた頃でした。
初年度は鑑賞実践講座を取り、その学びを活かしつつ、誘っていただいたとびラーの方と一緒に、一般来館者向けプログラムを企画するラボ「こどもとおとなのはじめのいっぽ 美術館へようこそ♪」に参加しました。あの短期間に密度の高いとびラボを重ね、プログラムを行えたのは、参加したメンバーひとりひとりのパワーが集まり、共有の目的に向かい竜巻のように登っていったからで、ゆびとまから解散までの体験は、新鮮でとても素晴らしいものでした。
その後の建築実践講座、アクセス実践講座に加え、「白鳥さん、アートを見に行く」「鑑賞ピクニック」「上野公園探検隊」「野外彫刻を楽しむ」などなど、多くのラボを通して、たくさんの学びと経験をすることができました。
開扉後は、皆さんとの絆を大切にしつつ、大宮盆栽美術館では「対話型鑑賞」を、大宮観光ボランティア会では「誰でもが参加できるガイドツアー」を、別所沼プレイパークでは「子どもたちのチャレンジの応援」を続けていきたいと思います。
最後に一句
「春開扉ひとに届くる如意宝珠」
想いの種を育んだ
愛しき想定外の日々
井戸 敦子さん
想いの種を育んだ
愛しき想定外の日々
井戸 敦子さん
開扉とびラーから「あっという間の3年間」と言われていた通り、驚くほどの速さで駆け抜けたとびら生活でした。普段は、会社で能力や経験を基にしたプロジェクトワークに生きづらくもどっぷり浸かっていた私にとって、とびらの進め方は新鮮でもあり戸惑いもありました。しかし、活動を重ねるうちに、誰かの「やりたい」という想いの種から仲間が集まり、対話を通じてプロジェクトが想定外にも膨らむ様子がこれまでになく面白いと思えるようになりました。このプロセスに向き合うためにも、私には3年という時間が必要だったのだなと感じています。
印象深いラボは「ぷらっとおいでよ美術館」と「荒木珠奈研究会」です。「ぷらっとおいでよ美術館」は、応募動機で書いた「アートを通してともにいる」への可能性の入り口に立てたようなラボでした。ナナメのオトナとして出会い、お話していく中で、私自身の中にある言葉にならない感覚やモヤモヤも「あるものはただあっていい」と肯定されたような体験でした。ぷらっとのような取り組みを任期中に再度やれなかったことが心残りだったのですが、最近13期とびラーが「ぷらっと〜のラボを形を変えてやってみたい」と話しておられて、想いの種が時間を超えて引き継がれることもあるのかも、となんだか嬉しくなりました。もう1つの「荒木珠奈研究会」は、「好き」から集まり「好き」から生まれ、「好き」がもたらすもののとてつもないパワーを浴びられた楽しいラボでした。
とびらプロジェクトで得たたくさんの想いの種が、どこかでタイミングが来たときに形を変えて芽生えることを楽しみにしています。3年間ご一緒した皆さま、本当にありがとうございました。これからもどこかで何かの形で関わり続けられることを願っています。
おもしろい!と思いながら
進んでいきたい
伊藤 万里子さん
おもしろい!と思いながら
進んでいきたい
伊藤 万里子さん
—— 学ぶ、試す、感じる
とびラーになって初めてVTSに出会い、3年間講座で学びました。実践を積み重ねていくとモヤモヤも増えていったけれど、誰かと一緒にみることが好きという思いをエネルギーにファシリテータに挑戦しました。なかでもMuseum Start あいうえのにはかなり熱中しました。出会ったこどもたちに笑顔を見せれば、素直に言葉や行動で返してくれて夢のようなひとときでした。ただうれしい、ただ心地よい。そんな感覚をいつも味わえたらいいなと思います。みんなで鑑賞して「今感じた思い」をはなす、きく。これから鑑賞の世界をじっくり深めていきたいです。
—— 続ける、変わる
とびラボでは、「野外彫刻を楽しむ」は2年、「開扉冊子編集部」と「トビカン・ヤカン・カイカン・ツアー」は3年続けて参加しました。同じラボでも毎年メンバーが変わるので同じようには進みません。最初は前と異なるやり方を恐れていたけれど、新しい状況を楽しもうと考えました。話し合いを重ねていくと、お互いの相互作用によって新たな動きが生まれてきました。そうして野外彫刻や夜の建築の魅力をたくさんの人に届け、開扉冊子の付加価値を見いだせたように感じます。あともう一歩というときに、ぽんっと背中を押してくれた仲間がいてくれたから「続ける、変わる」両方の大切さに気がつきました。
—— 進む、願う
開扉後は、さあどうしましょう。自分がワクワクドキドキおもしろいと思えて、アートに関わりながらも社会に意味があることをやりたい。それはやはりアート・コミュニケータです。人生順風満帆なときばかりではないけれど、健やかな状態で進んでいきたいと思います。いつだって前を向いていきましょう。
これからも、続く。
都美出るとびラー
伊藤 陽さん
都美出るとびラー
伊藤 陽さん
この3年間で転職2回と次女誕生があり、家庭も職場も激変する状況が続いた。その間3rd Placeを標榜するとびラーは、変わらない態度でそこに在ってくれたと思う。だけど、あまり行けなかった。その言い訳を並べても仕方ないので、少ない機会の中で得られたこと、これからの自分のこと、これからのとびラーに期待することを少しずつ書きたい。
一番の収穫は、新しい人間関係を除けば、「色んな思考を色んな速度で聞く体験」を積めたことだと思う。その重要性を頭では理解しているつもりだったけど、実践の機会が格段に増え、実感が伴うようになった。そしてそれは、子育てという体験をより素晴らしいものにしてくれている。娘たちが見て考えているもの、そこに視線を合わせ驚かされることが、とても大変で、とても心地が良い。それだけで、とびラーで在れて良かったなと思う。
これからの自分については、正直、明確なものはない。だけど、色んな思考の色んな速度が無視されがちな世の中なので、職場とか、娘たちが通う学校とかで、それに少しでも抗えたらいいかなと思う。
これからのとびラーに期待すること、の前に改めて、素敵な機会をもらえたことに感謝したいし、あまりそれを活かせなかったことを謝罪したい。ありがとうございます&ごめんなさい。本題に入ると、コアの価値観は変えずに、方法はもっと模索できる気がしている。「美術館を拠点にコミュニティを育む」という言葉には、美術館を中心としつつ、そこ以外で活動する余白があるのではないか。日常的に都美に行くことが難しくても、一緒に活動できれば可能性が広がる人がたくさんいるのではないか。ということを、行けなかったくせに偉そうに思ったりします。
紙面が足りませんが、兎にも角にも、ありがとうございました、ということです。
わたしの「とびらプロジェクト」
3つの扉
岩田 英理子さん
わたしの「とびらプロジェクト」
3つの扉
岩田 英理子さん
—— 「とびらプロジェクト」1つ目の扉
地域で高齢者向け支援の体操ボランティアをしていた頃、高齢者だけの集まりに、なぜか違和感がありました。扉を開けたのは、2021年夏の異世代交流プログラム「みる旅 芸術と科学に出会い、過去と未来を旅する3日間」です。高校生と65歳以上のシニアが、「イサム・ノグチ 発見の道」展&「映画 太陽の子」を介して、作品の世界へと旅に出かけるプログラムです。出会った高校生たちは、初めは静かだったのですが、とびラーの存在によって、感じたことや想いをシェアすることができました。人と繋がり・関わりを面白がることは、今の社会に大切だと感じます。
—— 「とびラボ」2つ目の扉
実は人とのコミュニケーションが、子供のころから悩むほど苦手です。とびラーになり、「Museum Start あいうえの」や「とびラボ」に関わりながら、多様な価値観に出会っています。きく力、きくことで自身を理解していくラボなどがありました。特に「おいでよ・ぷらっと・びじゅつかん」ラボでは、学校がしんどいと感じているこどもの背景はいろいろで、答えがないと感じます。2つ目の扉は、「10期・11期・12期とびラー交流会」を、ゆびとましたことです。11期を「交流会」で迎えてくれたことが嬉しかったからです。後で9期のとびラーのとびラボだったことを知り、勇気をだしました。とまってくれたたくさんのとびラー、そこにいる人が全て式、次々とアイデアが上がり、実施に向けた過程も驚きと大切なGift経験です。
—— 「とびらプロジェクト」3つ目の扉
この3年間の経験は、かけがえのない人生のGiftです。この時だからこそ出会えたとびラーの方々やご縁。いつも寄り添い続け、助けていただいたスタッフのみなさま、「ありがとう」の言葉に添えて、次の冒険の旅にとびだします。
美術を愛する人々が
集まる場所
卯辰 沙妃さん
美術を愛する人々が
集まる場所
卯辰 沙妃さん
突然ですが皆さんは自己紹介などで「美術館が好き」というと「高尚な趣味ね~」や「お金持ちですね」と言われた経験はありませんか?私は、大学時代このような経験が両の指では数えきれないほどありました。この経験から私は、「美術鑑賞」は少数派だという印象を持っていました。しかし、同時に大学時代の私は、心のどこかで「美術好きな人と楽しく話したい・話せる場所がほしい」という願望があったように思います。だからこそ、とびラーとなった後「美術が好きな人・美術のために何かをすることにとても真剣かつ積極的になれる人々との交流」を得られたことは、私にとって大きな収穫且つ“一番”嬉しかったことでした。
—— 美術に興味を持ったきっかけ
自身の美術の原点は、おそらく実家の食卓にあるゴッホの『ひまわり』の複製画が最初だったと思います。この文章を書く中で、予想外に美術が生活の中に溶け込んでいたことに気づかされました。
—— とびラーになろうと思ったきっかけ
中学生時代に参加した都美のイベントでとびラーがいきいきと美術の面白さを伝える姿を見たことです。その後、受験勉強やコロナによる閉塞的な大学生活に追われながらエントリーしたところご縁をいただけました。コロナの影響で忘れていた、人との関わりの楽しさを思い出させてくれたのもとびラーだったと思います。
—— 印象的な出来事
とびラーの皆さんと共に巡った建築です。今まで「美術は一人で見るタイプ」であった私が「みんなで観ることの楽しさ」を感じていることを改めて自覚できました。
—— 最後に
とびラーに関わる全ての皆さん本当に大変お世話になりました。改めて御礼申し上げます。とびラーは私に新しい人々の輪に「とびだす」きっかけをくれたものだと思います。
「とびラーのゆっこ」に
なるということ
大高 有紀子さん
「とびラーのゆっこ」に
なるということ
大高 有紀子さん
「アート・コミュニケータ」という言葉を知ったのはとびラーの募集広告を見たときでした。ろう者としての私ができることがあるかもしれない、そんな思いを抱いて応募し、晴れてとびラーになったのですが、あるラボに参加していた時に「とびラー」になるということの本当の意味を気づかされたのです。
そのラボの情報保障のあり方について、「私個人の意見よりほかのデフメンバーの意見も聞いたらどうかな…」と遠慮気味に意見を出したことがありました。すると、10期のラボメンバーに「このラボにはデフとしてではなく、ゆっことして参加してくれたんだよね?来てくれてとても嬉しかった。デフとしてではなくゆっこの意見をぜひ聞かせてほしい。」と言われ、はっとさせられました。これまでの私は私であることを見せる前に、デフとしての私を見せてしまっていたのかと気づきました。今思えばとびラーになる前の自分はこうしてしまっていたかもしれない。聴覚障害といっても、生まれつきであったり、途中に失聴したり、コミュニケーションも多種多様で、「一般的には…」と説明しないと誤解を与えてしまうかもしれないという不安があったから自ら壁を作ってしまっていたのでした。でもここは個人の私としての「ゆっこ」を受け入れてくれるのだ、と。人と作品、人と人、人と場所をつなぐとびラーだからこそ、「個」をしっかりと見ているのだと、改めて痛感させられました。そこからは、デフのとびラーとしてよりは「とびラーのゆっこ」としてオープンできたような気が…します。
とびラーとしての3年間は長かったような、あっという間のような、そんな感じの絶妙な任期でしたが、3年間じっくりと自分探しの旅ができたんじゃないかなと、今は思っています。
はなすこと、きくこと
大沼 隆明さん
はなすこと、きくこと
大沼 隆明さん
「私は大沼さんに関心があるから」と言われたことがあります。最も印象に残っているのは自分で立ち上げた「東京の生活史 ~とびラー版~」というとびラボです。講座やラボで顔を合わせても、目の前にいるとびラーが何者なのかいつまで経っても分からないので、いっそ人生をきいてしまおうと思い、立ち上げました。2022年はコロナ禍終盤でしたが、対面ではマスク姿が大半で、顔をみるのはZoom越しというチグハグな状況でした。対面でも100%出会った実感は薄く、相手を知ることを渇望していたような気がします。名字で呼び合っていたのが、気付けばニックネームで呼び合うようになるまでの数ヶ月間、人生をききながら、関係性が深まっていく時間でした。きき手によって、話し手から出てくることは変わる。論理的にきく人がいれば、情緒的にきく人がいる。ほとんどの回をZoom開催としたので、いい距離感を保つことができました。とびらプロジェクトで過ごした2年半あまりで「きく力」を大事にして分かったのは、名もなき関係性がいくつもあるということです。家族、友人、恋人...と分かりやすい関係以外にも、いろんな関係性があると気付くことができました。2023年の「うえののそこから『はじまり、はじまり』荒木珠奈展」の頃、きく力が仕上がっていて、なんでもきけるような状態にありました。とびラーやスペシャル・マンデーで出会った子どもたちの表情が鮮明に残っています。その後、疲れてしまったので、きくのを一切やめました。2024年は特に何をするでもなく「おしゃべり」を楽しんでいます。この文章を書くにあたって、とびラーさんに話をきいてもらいました。その姿に1年前、2年前の自分をみました。なぜ、とびラー生活の大半をきく力に捧げたのか?今ならこう答えます。
「私はあなたに関心があるから」
思考のベクトルは
思わぬ方向に
岡田 正宇さん
思考のベクトルは
思わぬ方向に
岡田 正宇さん
—— 作品を味わうたのしみ
海外などでよく見かけたことのあるVTSは、とびラーになるまで子ども達向けのものと思い込んでいました。これはひとりで静かに鑑賞することが多かったためかもしれません。しかし、「どこからそう思いますか」という問いの中で、他者の考えに思いを巡らせて、それまでと全く違う景色を作品の中から見出せた時、これは何か見えない宝物を探すゲームのようで、新たな発見、創造力を生み出す玉手箱のように感じられ、誰かと一緒に作品を深く味わう醍醐味は大人も享受できる、すべきものと思いました。
そんな中、「野外彫刻を楽しむ」ラボでは、作品を介して参加者みんながフラットな関係でつながり、互いの見方を受け入れて対話するという心地良い空間作りも体験できましたので、これからは、誰かと一緒に鑑賞して作品を深く味わう喜びを共有していきたいと思います。
—— ずっとび鑑賞会へ、思うこと
2年目に初めて異文化や障害を抱える人について学ぶ機会を得ましたが、それまでは軽度の認知症だった母親の対応の在り方でモヤモヤしたものがありました。しかし、学びに加えて「ずっとび鑑賞会」などで参加者に寄り添い個別のニーズに応える経験もできたことから、実践的な手がかりを得られたように思います。これからは、ボランティアで活動している他館での手話通訳付き美術トークや各種の社会包摂プログラムなどでも、参加者としっかり向き合っていこうと思います。
ASRに行けばとびラー仲間とスタッフがいつも温かい笑顔で迎えてくれました。「おかちゃん!」「まさうさん」と。そんな寄り添ってくれる誰かに出会え、対話する楽しみを体感できる場、空間を作ってくれたみなさんに感謝の気持ちを忘れずに、これからも優しく心地よい共生社会への架け橋になれればと思っています。
他者とちがうからこそ
おもしろい
小木曽 陽子さん
他者とちがうからこそ
小木曽 陽子さん
—— とびラーになったきっかけは?
今思えば「これからどう生きるか?」という問いへの突破口を探していたのかもしれません。20代後半、人生の分岐点に立ったタイミングで「どんな生き方をするのが幸せなのか」と考えを巡らせていました。アートも好きだし人と関わることも好き。そこで偶然目にしたのがとびラーの記事でした。「作品と人」「人と人」のコミュニケーションを通して、自分の人生の方向性が少しずつ見えてきたらいいなと思い扉を叩いてみました。
—— とびラーになって変わったことは?
活動を始めて半年経ったある日、職場の同期から「まるくなったね」と言われました(笑)。元々は正解を追い求めて四角くきっちりしたい性格。簡単な意見交換の場でも、上手く話さなくてはという気持ちが先行していました。しかし普段から「きく力」を鍛えているとびラーはどんな些細な話であっても最後まで関心を向けて聞いてくれる。多様な考えを受容するとびラーに身を置く中で「正解はない!どんな考えも価値観もみんな違うからこそおもしろい!」と柔軟に考えられるようになりました。考え方が変わって視野も明るく広くなったと思います。
—— いちばん印象に残っていることは?
やさしい日本語プログラム「からだで楽しむ!ローマ展」は印象深いですね。一緒に過ごしたのは中国にルーツを持つ小学1年生の女の子ふたり。プログラム内容は「彫刻を観察して身体で表現する」というものですが、追いかけっこをしたり言い合いをしたりとにかく元気いっぱいで(笑)、「どうしたら彼女たちにとって良い美術館体験になるだろうか」と悩みながら、絵やシールでコミュニケーションをとりました。帰り際、保護者の元に戻る時に「楽しかった」とハイタッチしてくれて、こちらの方が貴重な時間をもらったなと胸がじーんとなりました。
再生。
好きな自分になれた場所。
小野関 亮𠮷さん
児島虎次郎 《漁夫》 1905年 東京藝術大学蔵 写真:中島 佑輔
再生。
好きな自分になれた場所。
小野関 亮𠮷さん
三年前はどんな顔をしていただろう。
「僕は何がしたかったのか?」人生も折り返す歳になり、そう考えることが多くなっていた。学部では西洋美術史を専攻した。でもその後は成り行き任せ。楽な方へと流されてばかりで意思のない半生。何者にもなれていない自分への失望もあった。
ただ、美術館に行くことは続けていた。三十代で会社を辞めた時には美術館めぐりの旅をして、たくさんの本物を見た。そのことは僕の小さな自信になっている。僕にとっての美術館は、過去の自分とのつながりを求める場所だったように思う。
しかしいつからか、一人で展示を見て、家に帰るだけの繰り返しに違和感を覚えていた。経験にはなっている。でも何かにつながっていかない虚しさ。とびらプロジェクトを見つけたのはそんな時だった。美術館が人をつなぐ場所になる?パンフレットに書かれていた言葉のいくつかが僕に向けられているような気がした。
二度の選外。でも諦めなかった。応募書類に向かう時間は、本当に求めているものは何かを自問する時間だった。なぜあの言葉が響くのか?突き詰めて出てきたのは、「友達がほしい」という気持ちだった。人との関わりがどんどん少なくなっていた僕の奥底にあった正直な気持ちだった。そして、こんなにもたくさんの人とつながることができた。たくさんのとびラーが僕を僕にしてくれた。美術館でつながることは、脈絡も意志も無かった僕の人生に筋を通し、再生することだった。
美術館には、作品があり、人がいるからつながれる。もしあの時の僕と同じ違和感を抱えている人がいるなら、つながれる人に僕はなりたい。相変わらず僕は何者でもないけれど、三年前よりもずっと自分のことを好きになれた。
ゴッホ展もみんなと
味わいたかった!
菊地 一成さん
ゴッホ展もみんなと
味わいたかった!
菊地 一成さん
「そろそろ開扉か…」と感慨に耽っていた今日この頃、残りの日々を心清らかに過ごそうと思いながら、いつものように東京都美術館のASRに行こうとした矢先、目に入ってきたのは、2025年9月から実施されるゴッホ展のチラシ。思わず「マジか!?」と声が出てしまいました。羨ましさを抑えきれず、それを12期、13期のとびラーに話すと、「でも私たちは《展覧会 岡本太郎》での活動には参加できていません…」。そうですね、どの期の人もこんな想いを抱いて開扉していったのでしょう。
この3年間、岡本太郎、エゴン・シーレ、マティス、デ・キリコ、田中一村など古今東西の名立たる作家たちの作品を、時には一人で静かに、時にはとびラーのみんなと話しながら、時にはアート・コミュニケータとして、老若男女問わず様々な人たちとたらふく味あわせていただき、本当にありがとうございました。色々な人と鑑賞するということは、多種多様な考えを受け入れる器を大きくしてくれた気がします。事実、これまで美術作品に対して食わず嫌いのところもありましたが、最近はなんでも観てみたい、知りたいという好奇心が湧き出ています。
この病に他のとびラーも罹患しているのか、色々な興味を持っている人達に囲まれる心地良さを感じられたことも、とても貴重な体験でした。この世の中、人の好みは千差万別。自分の好みが理解されることは家族でさえも稀なことです。でもこのコミュニティは、あらゆる嗜好を面白がってくれる人の多いこと。私の場合は「歴史」ですが、この環境に3年間いたおかげか、より深いところまで嵌っています。脱け出す気は全くないので、歴史を語るコミュニティを創りたいな、と画策中です。
でも最後に一言。この3年間で一番嬉しかったのは、イベント前の下見で、まだ誰もいない早朝の展示室を堪能できたことでした…。
あーでもこーでも
そーでもない会話
木下 知威さん
あーでもこーでも
そーでもない会話
木下 知威さん
3年間、1095日の活動でわかったことは、あーでもこーでもそーでもない会話をしたかったということだ。
普段は仕事の話が飛び交っていて、そのあいまに雑談をする。でも、電車の中にいるときや大学で授業をしているときにふっとした気づきを言葉として発して聞いてもらう場というのは持ちえていなかった。思い出せない数多の夢のように、自分という宇宙の彼方に消える前の言葉たちをとりあえず紡ぐことさえ知らなかった。それに気づいたのは、1年目の講座をみっちり受けた日々。スタッフの熊谷香寿美さんと小牟田悠介さんを囲むラボ。同期の平野七美さんと大高有紀子さんと組んだデフ・トリオとしてのラボ。夏にスタッフたちとビアガーデンを楽しんだこと。なによりも「とびらの、」から始まるラボの活動を通じてだった。どうってことはなかった。とびラーたちが音声認識アプリで発言したものを修正しつつ運用する。一人ひとりが色違いのペンを持って筆談する。その人が話している様子をじーっと見つめる。生まれる文字の痕跡をなぞる。その先にあーでもこーでもそーでもない会話があった。
ところで、わたしが「このゆびとまれ」したラボは「とびらの、」が必ずついている。何かを修飾しているようにみえながらも、その対象が何かは明示されない。思えば、わたしという個人を修飾する「ろう者」への抵抗だったのかもしれない。わたしはどこに行っても「耳の不自由な人」「ろう者」としてみられるし、とびらプロジェクトに応募したときにも、それを戦略的に使った。でも、今は「ろう者のとびラー」と紹介されたくないのだ。もちろん、それぞれのとびラーが等しく異なるように同じでもない。あーでもこーでもそーでもない会話のやり方が違うとびラーが11期の中にいた。
もうどこにもいないよ。じゃあね。
とびラーって不思議
串崎 敦子さん
とびラーって不思議
串崎 敦子さん
—— とびラーになったきっかけ
コロナ禍で、アート界隈は元気なく、世間の風当たりが強かった時、アートに全く興味のない人達に、身近に感じてもらうために出来る事を考えていました。アートを介して、誰でも心温まる自分の居場所があることに気づいて、身近に感じるために、何かできることはないか?そんなことを考えていた時、偶然、とびラー募集の文字が、目に飛び込んできたのです。アート・コミュニケーション私にできる?勇気を出して応募して、11期とびラーになった!
—— とびラーになって気づいたこと
偶然の出会いで始まったとびラー生活は、目から鱗が落ちることの連続です。基礎講座で初トライ、アクセス・鑑賞・建築の実践講座を選択し、あいうえの・ずっとび等プログラム、とびラボで、「みる」「きく」を実践すると、自分が今まで何もみていなかったことに、愕然。いつもエネルギッシュで自然体、フラットにアート・コミュニケーションするとびラーと出会い一緒に活動する中で、人とアートの広がりを感じ、自分が開放されていく、今まで感じたことのない感覚を味わい、アプローチを試行錯誤中。
—— 作家に注目、藝大生インタビュー
やはり期待通りの印象深い出来事です。WEB記事に纏めるのは大変でしたが、卒業制作途中のアトリエに出向き、卒業制作秘話を藝大生から直接きいた途端に作品が、生き生きと身近に感じられて、作家に注目して作品をみることができると、その人をずっと応援したくなります。
—— 飛び出せ!開扉、これから
一緒に居なくても不思議と力が湧いてくる、とびらプロジェクト3年間に出会った全ての方々と過ごした一時と感謝を忘れることなく、アートを介して、身近に、そっと寄り添い続けることができるように、よし!これから本番!
出会いは人生の宝
小林 有希子さん
出会いは人生の宝
小林 有希子さん
高校、短大で美術を学んだものの、気がつけば少しずつ美術から離れてきていた自分の軌道をもう一度美術につなげてみよう!と思い立ち、とびラーに応募しました。一番興味があったのは「あいうえの」の活動です。子どもたちがアートの楽しさに出会う瞬間に立ち会いたいという思いがありました。
「あいうえの」の活動に参加するためにも、一年目から鑑賞実践講座を選択し、VTSを学びました。それは想像していたよりもずっと奥深い、知らない森に迷い込んだような体験でした。頭の中の方位磁石はアチコチを差し、まるで樹海で彷徨っているかのような気持ちになりました。そうして森の出口を探して3年間この講座を受講しました。今私が思うことは、出口はきっと見つからない。この森が私のすみかなのだ…ということです。
とびラボの活動では、3年間で約30のラボに参加しました。とびラー同士であだ名を考えたり、スタッフと交流するイベントを催したり、源氏物語を読んだり、俳句を詠んだり、ラップで都美を紹介したり、とびラーオリジナルの体操を考えたり、マンガ愛を語り合ったり、アートコスプレをしたり…こうしたラボの活動を通じて様々なとびラーと出会い、話し合う時間はとても楽しく充実したものでした。そして、一緒に活動するとびラーの、人としての魅力を感じる場面がたくさんありました。どんな活動をしたのかということ以上に、誰と一緒に活動したのかが記憶に鮮明にのこっています。
私にとってとびラーたちとの出会いは人生の宝だと思っています。開扉後、都美をとびだしてもなお、このフラットな関係が続いていくことを願っています。
素敵な3年間との
出会いに感謝!
酒井 俊一さん
素敵な3年間との
出会いに感謝!
酒井 俊一さん
2022年の2月に33年間勤めた会社を定年退職し、ワクワクと同時に「社会との繋がりが無くなるのでは」という不安との狭間の中、たまたまネットで出会ったのが【とびラー募集】のチラシでした。今でも覚えています。「家でもない。職場や学校でもない。3つめの場所で何しよう。」という素敵なキャッチコピー。「これだ」とヒットし、これが素敵な3年間との出会いとなりました。
とびラーになってから、3ヶ月の基礎講座、7月からの建築・アクセス実践講座でアタフタした毎日を思い出します。2023年1月から、たまたま縁あって現在の会社に勤めることになりましたが、とびラーの1年間があっての出会いでした。
僕にとってのとびラー3年間をこの機会にふりかえってみます。休んでばかりのとびラーでしたが、ただとびラーでいることにワクワクしていたのは間違いありません。ASRでの時間、藝大キャンパスでの講座、建築ツアー、藝大生インタビュー等々、実に素敵な時間を過ごすことができました。
結局、大してとびラボ活動も行わず、熱心なとびラーではありませんでしたが、僕にとっては何とも居心地の良い場所と時間でした。「何でだろう」と考えてみると、同期はじめとびラーのメンバー・スタッフがいつでも温かく迎えてくれたからでしょうか。
もうすぐ3年間が終わろうとしています。色々な思い出が目に浮かびます。結構大変だった基礎講座、スペシャルマンデーで「展覧会 岡本太郎」を小学生たちと過ごした楽しい時間、暑かった建築ツアー、藝大キャンパスの散策、藝大生インタビューは最高潮に楽しい時間でした。
この楽しい時間ももうすぐ終了です。さあこれからどうしよう、と考えるのもまたワクワクします。
来年の自分に出会うのが楽しみです。
「あたりまえ」の向こう側
これからも
坂本 弘子さん
「あたりまえ」の向こう側
これからも
坂本 弘子さん
3年前と現在。大きな変化が2つあります。ひとつは長年の会社員生活を卒業して、一人で仕事するようになったこと。もうひとつは家族に小さなメンバーが増えたこと。とびラーに応募したのは「退職後は時間がたっぷりある」と想定したからでした。しかし実際には、頼まれ仕事を気安く引き受けたら現役時代並みに忙しくなったり、娘一家がすぐ近くに引っ越してきて子守り要員になったり。という次第で、ささやかな活動しかできなかった私ですが、気づきや発見はたくさんありました。
—— 記憶する腕
たとえば2024年のAC展。認知症にもかかわらず、若き日の作品を記憶だけで正確に再現できる洋画家・上田 薫さん。会場で彼のドキュメンタリー映像を見終えた中学生に感想を尋ねたところ、こんな答えが返ってきました。
「アタマが忘れても腕が全部覚えてるんですよ」
予想外の返答にハッとしました。記憶するのは脳であって腕ではないはず。「腕に覚えがある」という慣用表現はあるけれども、「経験がある」という意味で、記憶とは関係ない~いや、しかし、小学校時代に漢字の書き取りを何十回もさせられていたのは、腕に覚えさせるためだったのかも~アタマがぐるぐる巡りを始めます。
—— 無限の想像は楽しい
上田 薫さんが過去の絵を描けるのはなぜか。科学的な観点はいろいろありそうだけれど、もしも腕が覚えているとしたら~という仮説だってありえないとは言い切れず、楽しい想像は無限です。思い込みや固定観点を超越する考えに出会えるのはとびラーの特権でした。これからも美術館にとどまらず街や職場で、目を凝らし、耳を傾け、「あたりまえ」の向こう側を大切にしていきます!
引き出しが増えました
志垣 里佳さん
引き出しが増えました
志垣 里佳さん
—— とびラーになるまで
小さい頃からアートが好きで、美術館の空間に身を置くことが好きでした。大学の時に、図書館司書資格を優先して、取りそびれた後悔から、社会人になってしばらくしてから、学芸員の資格を取り、某美術館に応募したこともあります。一般企業、出版社、キャラクターのライセンスプランナー、販売業を経て、一段落したところで、これからは、美術に関する仕事とボランティアしかしない、と決めて探し始めてすぐに、とびラーの募集に出会いました。東京都美術館は、特別展によく行っていましたが、とびラプロジェクトの活動は、応募するまで知らない世界でした。
—— 活動をふりかえる
とびラー1年目は、戸惑うことばかりでした。頭で考えているよりも、とにかく実践だと考えて、2年目からは、時間が許す限り参加を心掛けたら、ちょうど始めた仕事も重なりスケジューリングに追われましたが、充実した日々でした。建築ツアーでは、ヤカンと朝のツアーラボも含めて、都美と上野の森が、季節、天候、時間によって違う顔を魅せてくれる様子が、まるでモネの連作絵画で、展示会場以外の美術館の楽しみ方を再認識しました。各ツアーでは、来館者にも自分が感動した経験を知っていただきたい!知らないともったいないという思いで、毎回プランを考えご案内していました。消しゴムはんこ、羊毛チクチク、アートコスプレのラボに参加することで、封印していたものづくり愛が再燃しました。制作中や、完成品を挟んでのおしゃべりは、より楽しく思い出に残ります。
—— これから
とびラーでの経験は、他では味わうことの出来ない唯一無二の財産です。考え方の引き出しがたくさん増えた感覚です。また新しい活動場所へ向けて、とびラーでの貴重な体験を活かしていきたいと考えると、これからも楽しみでたまりません。
とびらからあたらしいとびらへ
添田 安沙子さん
とびらから
あたらしいとびらへ
添田 安沙子さん
写真の専門学校卒業後、仕事をしながらも細々と写真活動をしていましたが、あるときスランプに。そんなとき偶然出会ったのが、とびらプロジェクトでした。当時、興味を持っていた「きく」ことを大切にしているということ、大好きな「アート」がかけ合わさったプロジェクトであることを知り、これしかない!と藁にもすがる思いで応募しました。
無事に合格し、そこで出会った熱意溢れるとびラー、スタッフの方たちに囲まれて「なんだかアウェイな場所に来ちゃったかも」と正直不安になっていました。しかし、この「アウェイ」だと思っていた場所が素晴らしい場所であると気づいた瞬間がありました。それは、9期とびラーの開扉式です。清々しく、誇らしく、とびらプロジェクトでの体験や感謝の気持ちを述べている姿を見たとき、自然と涙が出てきました。とびラー1年目のときの私は、はじめてのことに付いていくことで精一杯で、自分がどんな場所にいるのか、なにをやっているのか分からなくなっていました。そんな気持ちもあり、9期とびラーの姿を見て、「やっぱりここはすごい場所だったんだ。この選択は間違いじゃなかった」と確信するとともに、そこにいる自分に自信を持てるようになりました。
そんな私もとびラー3年目になり、鑑賞実践講座で学んだ対話型鑑賞のファシリテータのスキルや経験を活かし、だれとでも自由にフラットな対話のできる場を作りたいと思うようになりました。開扉後は、対話型鑑賞で使われているスキルやマインドに多くの共通点を持つ哲学対話のファシリテータになるべく猛勉強中です。3年前スランプだった自分がいまの自分をどう思うだろう?あたらしいとびらを開くのが楽しみで仕方がありません。
鳥と公園とアートをみんなと
曽我 千文さん
鳥と公園とアートを
みんなと
曽我 千文さん
野鳥が大好きで、自然の魅力を伝えたくて観察ガイドをやっています。観察には知りたいという明確なニーズがあるため、一方的な解説になりがちなことが課題でした。対話型鑑賞を知り、野鳥を観て気づき、感じたことは、分かち合うことで豊かに醸成され、「観た。よかった。」で終わらず、さらによく観て「大切にしたい」というような次のステップに進む力になるのではと思ったことが、とびラーになるきっかけになりました。
公園が大好きで、上野公園の再整備など、都立公園を造ったり管理する仕事をしています。公園を訪れる人々の笑顔が、私の原動力であり、東京都美術館をはじめとするすばらしいミュージアムが上野公園の中にあることが誇りでした。「あいうえの」に上野公園も加わりたい。東京都美術館と共に子どもたちを迎え、公園管理所に10箇所目のビビットポイントを置くことが私の夢になりました。
アートが大好きで、ひとりで展覧会を観てまわり、ミュージアムの建築空間に身をおくことがたまらなく幸せでした。とびラーになって初めての障害のある方のための特別鑑賞会では、車いすの方、杖をついた方、たくさんの人々がわくわくして集まってくる様子に「都美すごい!」と鳥肌がたつほど感動しました。誰かと一緒にアートを観る喜びを知り、だれもが気軽にアートに出会い、語り合える場づくりが私の目標になりました。
鳥と公園とアート。大切な3つを結び付けたいと、欲張りなほどたくさん活動した3年間でした。できなかったことはたくさんあります。それでも大切な仲間に囲まれて、自分は人が好きなのだと気づきました。とびらプロジェクトで出会ったすべての方々とこの3年間への感謝を、社会にお返しすることに残り3分の1の人生をかけたいと思います。みんなありがとう!一緒に飛び出そう!
「知るという扉」
田尻 真也子さん
「知るという扉」
田尻 真也子さん
新しいことに挑戦できる「とびラー」は、その名の通り自分の扉を開く活動です。応募するきっかけは、娘が参加した「あいうえの」でした。子どもの話を真剣に聞いてくれたとびラーに、娘の表情が変わった瞬間を今も覚えています。あんな人になってみたいと、とびラーに応募しました。
とびラーとして参加した「あいうえの」では、内気そうな子どもが、遠慮がちに発表し、その意見を聞いた周りの子どもたちが「ホントだー。観えるね。」と同調してくれました。その子の照れたような安心したような顔は強く印象に残っています。評価されがちな学校での発言とは違う、美術を介しての空間の心地よさがありました。これは、大人を対象にした一般者向けプログラムのラボでも起こりました。大人たちも自分の意見が周りに認められ、一緒に思考を巡らしながら、みんなで美術を鑑賞する楽しさを味わうと、帰りには別人のように生き生きとした顔になりました。まるで、新しい大切なモノを発見をしたかのような顔を見ると、私まで嬉しくなります。
デフトリオと一緒にラボができたことも大切な時間でした。この3人はろう者・難聴者という障害の枠ではなく、ヒトとして魅力的な人たちです。もっと話してみたいと、「聞こえない人・聞こえにくい人の文化を知りたい!ラボ」を「このゆびとまれ」しました。ろう文化ってなに?手話にも種類があるの?手話が言語?次々に出てくる不躾な質問にも、真摯に3人は向き合ってくれました。同じ国に住みながら、文化の違いがあることを知り、異文化交流のような発見は目からウロコでした。
開扉を迎えるにあたり、とびラーでの体験をまずは身近な人に伝えていきたいです。VTS の楽しさ・障害のある方との関わり方など知らないから味わえない・もったいないことがたくさんあります。
これからも「知るという扉」を開いていきたいです。
あっというまの3年間!
田村 雅美さん
あっというまの3年間!
田村 雅美さん
—— はじまりは
娘と一緒に参加した「あいうえの」がとびらプロジェクトとの最初の出逢いでした。参加して、頂いた冒険ノートを持って上野の美術館を親子で巡り、呪文を唱えて集めたバッチは今でも宝物♪子どもと一緒に美術館を訪れた日々は楽しく大切な思い出です。いつしか、私達のような親子を迎える側になりたい!と思い始め、子育ても一段落したのを機にとびラーに応募しました。
—— 学生時代に戻ったような
幸運にもとびラーとなり、わくわくしながら都美に向かった最初の日!50名近い同期とびラーとの出逢い、年齢も職業も違う、個性的で素敵な面々にまるで学生時代に戻ったかのような感覚になりました。毎日届く大量のメールに戸惑いつつも、基礎講座からはじまり、とても丁寧な学びを与えていただき、初めて知る内容も多くとても刺激的な日々でした。実践の場である「あいうえの」や「スペシャルマンデー」では子ども達の発想力に驚いたり、やりとりがとても楽しかったです。「また美術館に来たいな!」と言われた時には、舞い上がるほど嬉しかったです。誰かと一緒に鑑賞することの楽しさを知ったのも、実践の賜物だと思います。ラボでは、「野外彫刻を楽しむ」に参加し、野外彫刻のすばらしさを知りました。今まで、通り過ぎていた地元の彫刻たちにも目が行くようになり、楽しんでいます。
—— これから
あっという間の3年間で、なんだか夢中で駆け抜けて来たようで、まだ開扉する気がしない!というのが正直なところです(笑)。なので、今後のことはあまり決まっていませんが、何かしらアートに美術館に、関わっていきたいと思います。
3年間、
あっという間の幸せ
長瀬 文里さん
3年間、
あっという間の幸せ
長瀬 文里さん
やってきた仕事は好きなことばかりではなかったけれど、一生懸命には取り組んだのでそれなりの達成感や報いもあり、そろそろ手じまい方をと考え出したときに出くわしてしまったのがとびラーの募集サイト。それは締め切りの一週間前だったものだから「これは運命的だ!」などと自分勝手に盛り上がり、応募作文を疾風のように一気に仕上げ投函するところから、私のとびラー人生は始まりました。
初年度6回の基礎講座が何より新鮮で心を射抜かれ、若葉の藝大を歩くのが大好きになりました。「同期」という何十年振りかの得難い仲間たちに出会え、語らい、今までやったことのない新しいことばかり学べ、取り組め、おまけに講師やスタッフの皆様、9・10期とびラーはみな親切で優しかった!思えば「新入生」として迎え入れられたあの1年間はフワフワっと格別で、何物にも代えがたい貴重な体験でした。
しかし人生は思うようにはいきません。少しずつ楽になるはずの仕事がむしろ忙しくなり、想定していた頻度での参加が叶わなくなり、一番悔しいのはラボにあまり参加できなかったことです。
それでも思い出はたくさんできました。実践講座や「アート・コミュニケーション事業を体験する」展、「あいうえの」活動はもちろんのこと、3年目で青森の前川建築を訪ねる旅に参加できたこと、江之浦測候所と箱根彫刻の森美術館の鑑賞ピクニックに行けたことが珠玉です。
今ここで大事なのは、経験を思い出に終わらせないことだというのはわかっています。そしてそれが一番難しいのだということも…。でも3年前に感じたヴィヴィット感を心に刻み、小さな取り組みを続けられれば何かが変わるのかもしれません。関わっていただいたすべての人々、アートへの感謝を込めて少しずつでも向き合っていきたいと思います。
みんなで作る心地よさ
長沼 千春さん
みんなで作る心地よさ
長沼 千春さん
私は「チームで作る」ということを仕事でずっとやってきたけど、みんなが幸せなモノづくりが出来ているのだろうか?と漠然と思っていたところに、とびらプロジェクトのことを知り、ここで「みんなで作る」経験をしたらおもしろいかも、と思ったのが応募のきっかけでした。
1年目は、とにかく基礎講座も実践講座も初めて知ることばかりで毎回新鮮で楽しかったです。特にアクセス実践講座は印象的で、なんとなく知った気になっていた社会課題も第一線で課題と向き合われている講師の皆さんの話は知らないことばかり…!自分自身の視野の狭さを痛感しました。その一方で、うまくスケジュールを調整出来ず、講座以外のプログラムなどはほぼ参加できていませんでした。このままで3年終わっちゃうのはもったいない…と思っていたら、当時の開扉冊子ラボのメンバーの方に声をかけてもらい、開扉冊子ラボに参加しました。制作の過程でとびラーの皆さんやスタッフさんとお話しする機会が増え、自分の中で活動参加の形が見えた気がしました。
2年目以降はできるだけいろんなプログラムやラボに参加しつつ、今も開扉冊子を作っています。
開扉冊子を作っていると、「大変だね」と声かけてもらうことも多かったのですが、私は全然大変じゃなかったです。むしろとても楽しいです(笑)。
それは、とびラー同士が足りないところを察して声をかけてくれたり「そこにいる人が全て式」でモノづくりを進めていくことがとても心地よかったからだと思います。
この3年間をふりかえると、とびらの「内」で活動だったなと思うので、今後はとびらプロジェクトで学んだことや、ここでの取り組み方を自分なりにとびらの「外」へ広げていきたいです。
やっと見つけたもの
西内 るみ子さん
やっと見つけたもの
西内 るみ子さん
やっと見つけたもの。
----未知の世界にチャレンジ
介護をきっかけに航空会社を退職して社会と切り離されたような気持ちになっていた時に助けてくれたのが美術や音楽。介護は「社会から取り残されている」気持ちになる人は少なくないと思います。そんな時に出会ったのが、とびらプロジェクトです。「介護以外に何かできることがあるのかも」と前向きな気持ちになる時間でした。1年目に参加したシニア対象のラボでは、参加者の方々の作品へのお手触れを止めれなかった経験をしました。とびラーは参加者の安全を考えるパートナーであり、作品保全の為の美術館のパートナーであることを改めて実感しました。自分に足りないこと、自分は向いていないと悩んだこともあります。
-----自分が楽しんでいるか
自分と同じような介護者に何かを届けたい気持ちで走るばかりでしたが「楽しんでいる自分の姿で周りが元気になるのでは」と思い始めました。導いてくれたのは同期や悩みを受け止めてくれたスタッフの方々の励ましです。「ここには聞いてくれる人がいる」フラットな場を感じた瞬間でした。
-----もっと、とびだせ!
美術や建築で文化的処方を考えるリンクワーカーになりたいです。小牟田さんの「身近なところをみていますか」の言葉がきっかけでした。自宅近くの前川國男さんの建物を研究したことで建築家の方々とのご縁ができて地域の活動を始めたところです。
2023年には以前アルバイトしていた美術館の企画展の制作に関わることがあり、展覧会を作る人たちの思いを間近にして、創る人、鑑賞する人の笑顔に感動しました。
踏みだすことで見える風景が変わった3年間。失敗もしたけれどそこには仲間がいました。これからも「一人ではない」一歩を進んでいきたいと思います。
とびらプロジェクトでの
出会いから
平野 七美さん
とびらプロジェクトでの
出会いから
平野 七美さん
私がこの3年間で印象に残っているのは、あいうえの「ミュージアム・トリップ」で親子ともに聞こえにくい方と一緒に活動したことです。
私はお母さんと一緒に鑑賞したのですが、最初は「美術館は知識が必要で、来づらい」とおっしゃっていて、美術館へのハードルの高さを感じているようでしたが、活動の中で私から「美術館に来るのに知識なんか必要ないし、ふらっと寄ってくれるだけでもいいんですよ」とお伝えしたら「知識がなくても行っていいんだね!」とうれしそうに帰って行ったのがとても印象に残っています。美術館に来づらいと感じている人をひとり減らすことができたと思った瞬間でした。
そもそもとびラーになったときには「聞こえない人」のことを知ってもらい、そういう人が美術館へ来ることのハードルを下げられたらいいなという想いがあったので、この「ミュージアム・トリップ」での出来事や、ラボなどを通してみんなから「聞こえない人のことをより知ることができた」など声をかけてもらったことが、とびラーとして自分の存在意義を見出せた気がしています。
開扉後は、まだノープランですが…仕事で担当している、中高生向けの会社見学・体験プログラムでとびラーでの経験が活かせるかも、と思っています。
このプログラムでは学校からお申込みいただく形をとっているのですが、特別支援学校やろう学校のような、障害のある人の通う学校からの申込みは今までありません。
かつての親子ように、もしかしたら見学することにハードルを感じているのかもしれません。それを払拭すべく、こちらから学校へアクションを起こし、とびラーで培ったことを実践できたらと考えています。
友人がたくさんできました
平林 壮太さん
友人がたくさんできました
平林 壮太さん
とびラーになる前は「親族」や「教員」、「バイト先の社員さん」といった、名前のついた関係の大人の方としか接してこなかったので、年上の多様なとびラーの友人たちに出会えたことは自分にとってとても新鮮でした。振り返ってみると、基礎講座のときは色んな世代の方がいる空間にビビっていた気がします。お昼ご飯はいつも谷中のコンビニでパンを買って、藝大の教室でひとりでもさもさ済ませていました。そんなぼくにスタッフの K さん(いっぱいいますね)が話しかけてくれて、何かと思ったらほうきを渡されて、午後の講座で使う教室の掃除をしたことをよく覚えています。当時は「あ、同期に馴染めるように励ますとかじゃないんだ」と思いましたが、とびらプロジェクトは学校ではないし、ぼくが自分のペースでひとりひとりと関係を築いていけるよう見守ってくださっていたんでしょう(考えすぎ?)。とびラーとの普段の会話や対話型鑑賞、「ずっとび」での経験を経て、世代や背景は違えど、お互いを尊重し合いながら対話をするのは難しいことじゃない、ということを学びました。これは大学から社会に出た現在にも活きていると感じます。
建築が好きになったおかげで普段歩く街並みに新しい楽しみを見つけられるようになったし、彫刻洗浄の経験も貴重なもので、総じて、たくさんの発見をさせていただきました。先人から受け継いだ本物の遺物を次世代に伝えていくという権威的な性格の上に立ちつつも、ミュージアムはもっともっと多くの人に開かれなければならない。大学の卒論を書きながら考えていたそんなことを、とびらプロジェクトは実感を以て強化してくれました。ミュージアムが多様な人々を包摂しながら、社会において文化財をどう役に立てていけるのか、これからもずっと考え続けたいと思います。
変わり続けることを
楽しめた時間
星 久美子さん
変わり続けることを
楽しめた時間
星 久美子さん
—— ドアノブに手をかける
混沌のTOKYO2020オリンピックのボランティアを終え、表向きは次のリスキリングを、しかし裏テーマでは美術館に入り浸れるぞ…という下心で応募したとびらプロジェクト。選考結果の封筒を手に、喜びでひとしきり部屋中を踊り狂い、ふと我に返ってなぜ自分が?という疑問でやっていけるか不安になる。そんな3年前の日を覚えています。ちなみに面接で「アートもデザインも音楽も演劇も、本物が持つ力を信じる」と言い放ちました…。
—— 扉に入ったら異世界だった件
6ヶ月間の基礎講座が私には異世界レベルの新鮮さでした。『きく力』『よい会議とは』。自分の中では、アートに無関係なフワリとした輪郭のものが、話し合いを重ねるうち、生き生きと存在感を増していくのです。それらが自然にアートに集約される感覚が面白かったし、藝大での聴講というシチュエーションで、気分爆上がりしたのもいい思い出です。
—— 続いていく扉の先
3年が過ぎた今、とびらプロジェクトというサードプレイスは境界線が曖昧になり、仕事や私生活にモザイク状に溶け込んでいます。実践講座も数々のとびラボも、実にいい感じの溶けっぷりです。結果オーライの柔軟さや、人が発言しやすい場づくり。苦手だったことがここでは安心してトライできたし、その小さな成功体験で、少しずつ変わっていく自分を客観視できました。
ラボでの「モノづくりの人」は以前からの自分。「ラップや体操してる人」は発掘された自分。こんなふうに変わり続けることを楽しめた時間と、それを共有した仲間はかけがえのない宝物です。これからも何かで立ち止まった時、この宝物を愛でて、また一歩を踏み出そうと思います。
最後にフライングでお祝いを。東京都美術館とそこにかかわる皆さま、100周年おめでとう。そしてありがとう。
自分を変えてくれた
かけがえのない場所
安 愛奈美さん
自分を変えてくれた
かけがえのない場所
安 愛奈美さん
就職活動とか卒業論文とか、やらなきゃいけないことはたくさんあったけど、やりたいという自分の気持ちを大事にしようと思いとびラーに申し込みました。企業のエントリーシートは全然書けなかったのに、とびラーの応募書類を書くのはすごく楽しかったのを覚えています。
とにかく何でもやってみた1年目。特別鑑賞会やずっとびのプログラムに参加したのは、改めて自分のやりたいことを考えるきっかけになりました。障がいのある方や認知症の方と一緒に展示を見るのは楽しかったのですが、自分は役に立てているのかという思いもありました。いろいろなとびラボに参加したり、主催したりもしました。すごく楽しくて大学の授業よりも張り切って準備しました。いちばん印象に残っているのは彫刻清掃!落ち葉に埋もれていた《円柱の領域》を綺麗にしたのは達成感がありました。
働き始めた2年目。やる気はあったものの、予定が合わなかったり疲れていたりで全然活動に参加できませんでした。仕事や家庭と活動を両立させている皆様を本当に尊敬しています。参加できていない負い目から行きづらさを感じ、より行かなくなるという負の連鎖でした。
仕事に慣れてきて、やれることだけでも頑張っていこうと決めた3年目。とびラーというコミュニティのありがたさを改めて実感しました。アクセス実践講座は受けるたびに、なんとかしたいけれど私には何ができるんだろう…というもやもやが出てきますが、それを言葉にできて、受け入れてもらえました。どうしたらいいか答えは出ないままですが、これからも考え続けるのが私にできること、というのが3年目の私の結論です。結果もだけど、過程を大事にするのもとびラーの良いところだと思っています!
とびラーとして活動できて本当によかったです。ありがとうございました!!
色々なアートの
楽しみ方を知った事は
私の財産
山田 理恵子さん
色々なアートの
楽しみ方を知った事は
私の財産
山田 理恵子さん
私はこの3年間で、多くのとびラボやプログラムに参加し、今まで知らなかったアートの楽しみ方に出会えたと思います。以前は美術館に対する敷居の高さを感じていたし、アートを介してコミュニケーションを取る事を難しく捉えていました。展示作品を見ながらの創作や、体で表現をするラボを通じて、何かを作る事や体を動かす事も、作品をよく見る事に繋がると知り、アートを介して人と繋がる手段には、色々な可能性が広がっていると感じられました。
また、とびラボで体感した事や講座で得た事を、一般来館者とのプログラムで実践できた事も学びが多かったです。机上で考え尽くしたと思い本番に臨んでも、それが簡単に覆る。活発に対話が進むイメージで臨んでも、どこかしらけた場になる事もある。そんな日は、何が原因だったのだろうかと、落ち込む事もありました。こんな思いも誰かと共有したいと思い立って、3年目のMuseum Startあいうえのが始まる直前に、スタッフさんを交えて話すラボを「このゆびとまれ」しました。とびラーのみならず、スタッフさんの率直な来館者に対する思いや悩みを聞けた事で、悩んでいるのは自分だけではないと感じられ、少し吹っ切れた気持ちになり、最後の年は「自分自身も楽しめる場を作る事」を心に留めて実践に臨みました。
私にとってとびラボとプログラムは互いに重なり作用しながら、行ったり来たりして進んでいて、全ては繋がっていると感じられた場でした。ここで体験した事はどれも貴重で、私にとっての財産です。開扉後は、美術館へ行く事にためらいを感じている人たちの背中をそっと押せるような存在として、色々なアートの楽しみ方を伝えていきたい。そして生涯アート・コミュニケータをやり続けていきたいです。
「とびだそう!」を
思い出させてくれた
劉 鳴子さん
「とびだそう!」を
思い出させてくれた
劉 鳴子さん
「とびだせ みんな!」というテーマ。素敵だ!!と思いました。三年間を通しての出会いの楽しさが、「とびだそう!」の気持ちを思い出させてくれました。
小さい頃から異文化や多様性は身近で、いろんな場所へ飛び出すように生きてきたつもりだったけど…気がつけばだんだん、このままでも良いかな~、という気持ちが強くなっていました。
でも、やっぱり飛び出さないと見えない世界があって、新しい自分がいる。どんなに小さなことでも良くて、気になっている新しいことに向かっていくこと…とびラーになって、新しい経験をして、楽しく活動できたから、知らなかった世界にもっと飛び出していきたいなと、また思えるようになりました。
「コミュニティ」というのも、フラフラと生きている自分にとってはちょっと遠い存在だったけど、そうじゃないかも、と思えています。もっと気軽に参加したりつくったり、いろんな場所でいろんな形があって良いんじゃないかな、と。自分が大事にしてきたアートとコミュニケーションで、これからもっと多くの人をつなげていきたいです。
様々な視点や違いがあるのが良いんだと肯定してくれるアート…それがたくさん詰まった美術館はいつも居心地が良くて、どの国や町であっても、ミュージアムに行くと、故郷に帰ってきたような気持ちになります。そんな場所で、尊重し合えるたくさんの仲間と一緒に過ごせた三年間は、ぜいたくで、忘れられない思い出です。
「とびだせ!」の気持ちを思い出させてくれて、Many 謝謝♪
3年間のとびラー活動と今後
渡邊 佳子さん
3年間の
とびラー活動と今後
渡邊 佳子さん
—— 学ぶこと・知ること
基礎講座で「きく力」「グッドミーティング」「包摂」「キュッパのびじゅつかん展」を題材としたワーク、様々なことばと出会い、感じ、共有し、ふりかえりを何度も経験しました。アクセス実践講座を受けて「ろう文化」「合理的配慮」「社会的処方」「多文化共生」「子どもたちの貧困」「認知症」について知る機会になりました。先入観で正しく理解できていないことに気づかされました。建築実践講座では前川國男邸見学、藝大ヘッジでの植栽活動を経験することができました。
「作品と向き合う」「感想をシェアする」「知らないを知る」というテーマのとびラボに参加できたことにより、楽しみながら理解を深めることができたように感じます。多様なバックグラウンドをもったとびラーと安心して話せる時間を共有し、同じものを見ていても、自分とは違う捉え方、感じ方があることを知ることができました。
—— 実践すること
「うえののそこから『はじまり、はじまり』荒木珠奈展」で「ケエジン」として、来館者の鑑賞サポートをしながら、作品を味わうことを分かち合いました。「アート・コミュニケーション事業を体験する」展では、美術館を利用するときの問題点について当事者の声を実際に聞き、必要な支援を考える機会になりました。
「Museum Start あいうえの」の様々なプログラムでは、子どもと大人が一緒に、建物や本物のアートをよく観察し、シェアすることを通して、人とアート、人と人とのつながりを感じる体験をしました。
—— 開扉後は
先に開扉した方の活動に参加したり、地域のパブリックアートの保全・維持活動に参加したりし、とびラーとして学んだこと、実践したことを生かしていきたいと思っています。
とびらプロジェクトってなに?
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