いっしょに鑑賞する新鮮さ。
誰かのことばを待つ気持ち
今井 薫さん
いっしょに鑑賞する新鮮さ。
誰かのことばを待つ気持ち
今井 薫さん
普段は小学校図画工作専科教員をしています。ある日、小学校五年生たちを連れて都美にやってきたのですが、そのとき開催されていたのは、木の素材を活かした植物や動物の彫刻作品が展示された「木々との対話―― 再生をめぐる5つの風景」展でした。学年全体にできるだけまんべんなく目配りしなければなりません。
しかし、今回は違う期待が膨らんでいました。都美に連れてくるまでは教師の顔。美術館に着いたらとびラーの顔。自分が担当したグループのこどもたちとじっくりと関わりました。この変身は私にとって大きな気づきでした。ふだん以上にこどもたちが感じていることをキャッチできました。いつのまにか、とびラーである私自身とこどもたちの間にはフラットな関係ができていて、作品から感じたことを受け止めてくれる誰かがいる安心感の中で、こどもたちが美術鑑賞の楽しさを感じてくれたことがとてもうれしかったです。
誰かの反応があることが
とにかく嬉しくて
戈 文来さん
誰かの反応があることが
とにかく嬉しくて
戈 文来さん
スマートフォンのアプリ開発会社に勤務しています。2012年から趣味でクラウン(道化師)のパフォーマンスを行う傍ら、舞台公演の演出にも力を注いできました。アートや美術館が好きだったことの他に、人が集まりお互いに知恵や得意なスキルをもち寄って化学反応を起こす「場」をみてみたいと思って、とびラーになりました。
「消しゴムはんこ」は、実は先輩とびラーから受け継いだもの。細かな作業も好きなので気に入ってました。それと「マルカルミュージアム」が印象に残っています。私自身が中国人なので、外国の方と接点をもつことや彼らと暮らす社会をどうつくっていくかという点には強い関心があります。
自分が本当にやりたいことを突き詰めると、仕事やふだんの生活の場では収まりきらない部分があると思うんです。その受け皿が、とびラーだったり、舞台だったり、クラウンだったりする。そういう場所があるというのはものすごくこころ強いです。
伴走するわれらがミッキー!
川口 幹雄さん
元・中学校の社会科教師で、登山が好きです。あだ名はミッキーと呼ばれています。
活動の中でどんな状況にも対応できる、その秘訣は「相乗り型です。関わる中でアイデアが浮かんでくるタイプ」「いっしょに組むとびラーや参加者のことをまず考える」。相手の意志を尊重し、そっと寄り添う。自分から積極的に話しかけるのは得意じゃないかわりに、まずは相手をしっかりとみる。相手が質問してきてから話し始めるようにしています。要は、コミュニケーションを取る準備は万端だけど、まずは聞き手でいようというスタンス。
「美術館での活動を通してたくさんの人に、いろいろな関心をもってもらいたい」「自宅や施設から出られないこどもや障害をもった方、お年寄りにどう社会に出てきてもらうか」が、活動テーマです。物理的な広がり、精神的な広がりのある人生を誰もが獲得することを願って活動しています。
フラットな自分を再認識
癸生川 心さん
高校の先生としてクラスを受け持ち、バスケ部を県大会の常連校へと導くこともしました。教師を辞めてからも人材育成一筋です。
その人らしさや能力、そういったものが育っていく過程に自分が貢献できることが好きなんです。とびらプロジェクトに参加して変わったことは、耳の聴こえない人に関心をもつようになったことかなぁ。あとはフラットな自分を再認識できたこと。
とびラーになって最初に参加したのが聴覚に障害のある方のためのとびラボ。耳の聞こえない人とどうやって美術館で鑑賞を楽しむかが、メインワークでした。最初は接し方もわからず、障害の程度に個人差があることも知りませんでした。とびラボを通じて障害をもった人たちと接したことで、意識の範囲が広がりました。この経験が、「フラットな自分」を再認識するひとつのきっかけにもなりました。フラットな自分とは、様々なバックグラウンドや感覚をもった人たちと何かをすることに対して抵抗感を持たない自分のことです。
とびラーとして学んだ
「場」づくりをホンジュラスでも
生かしていきたい
五木田 まきはさん
とびラーとして学んだ
「場」づくりを
ホンジュラスでも
生かしていきたい
五木田 まきはさん
小さいころからの歴史好きで、大学では古代史を専攻、大学院では現地に還元できる研究とは何だろうかと考えるようになりました。現地の人たちに遺跡や文化遺産を「自分ごと」として捉えてもらえるには、考古学的な知識を一方的に伝えるのではなく、さまざまなものの捉え方を研究者としても許容して行かなくてはと思うようになりました。そんなとき、東京で開かれた博物館の国際学会で、稲庭さんと伊藤さんがとびらプロジェクトの紹介をしていて、「これだ!」と。とびラーになってたくさんの取り組みを学び、自分の研究に応用したかったんです。
とびラーになってからは、対話型鑑賞を通してこどもとじっくり作品を鑑賞できたことが印象に残っています。こどもの自由な意見を聞くたびに「そう思うんだ!」とおもしろかったです。
対話型鑑賞のように、いろいろな解釈を受け入れる場づくりをこころがけて、ゆくゆくは現地の中で完結する仕組みをつくれたらと思っています。
ずっと考え続けてきたけど、
きっととびラーの数だけ答えはある
小谷 路世さん
ずっと考え続けてきたけど、
きっととびラーの数だけ
答えはある
小谷 路世さん
イラストレーターをしています。前職は建築・インテリアデザイン関係でした。
とびラーになって「私には何ができるだろう?」と思い悩んだのが一年目でした。二年目になると、稲庭さんの「答えがほしいのは、楽になりたいから。答えがみつからなくても考え続けることが大切」ということばに励まされ、自分のもっている「形をつくる力」で役に立ちたいと思うようになりました。特別鑑賞会では、車椅子の方が「いつもは前に人が立ってみえないけど、今日はゆっくりみることができました」と話してくれたときはハッとしました。そんなことも、わかっていなかったんだと。全盲で臨月の女性へのアテンド。来月出産予定だというのに一人で美術館に来られました。その行動力と生きる姿勢に強く感銘を受けました。そうした方たちに出会って、私の小さな世界は少し変わったと感じています。とびラーって何だろうとずっと模索していましたけど、答えは…?。たくさん悩んだということだけはいえると思います。
挑戦し続けよう
謙虚にオープンに
雑賀 吉人さん
会社を退職したら好きなことをやろう、とずっと思っていました。とびラーのことを知ったのは、定年を迎え「いざ!」というタイミングでした。
とびラー1年目のときに、40日ほどかけてヨーロッパ各地の美術館をみて歩きました。学芸員になり、大好きなルノワールに関する展覧会をやりたいという夢もあるので、学芸員資格の取得を目指して勉強しています。とびラーになり、美術館の舞台裏を垣間みる機会を得られたのはよかったです。
「キュッパのびじゅつかん」展は印象に残っています。それまで絵画しかみてこなかったので、その発想に驚きました。展示方法の可能性に気づかせてくれた展覧会でした。好きな言葉は、スティーブ・ジョブズの「ステイハングリー、ステイフーリッシュ(Stay hungry, Stay foolish)」。自分流に解釈すると「挑戦し続けよう、謙虚にオープンに」。夢を実現させるべくこれからも挑戦し続けてたいと思います。
いろんな地域で
アート・コミュニケータのみんなが
蠢いたら、ワクワクする
財津 知子さん
いろんな地域で
アート・コミュニケータの
みんなが蠢いたら、
ワクワクする
財津 知子さん
「木々との対話―― 再生をめぐる5つの風景」展で行なったとびラボ「樹の街」は本番前が本当につらくて。本番までの一ヶ月都美にいた記憶しかありません。いっしょにやってくれたメンバーにも無理させちゃったし。でも、いろんな人にいろんな場所で支えてもらってたんだって、本番になってそれ本当に実感して。とびラーや元とびラーはもちろん。監視スタッフさんがチラシ配りますよーって声かけてくれたり、警備の方がプログラムについてわざわざ質問にきてくださったり。今までは「とびらプロジェクト」というチームの所属だった気がしてたけど、都美の全部がチームで仲間なんだって。
…大きいこと言ってるけど、いいこと言ってる気もする(笑)。
いろんな地域でアート・コミュニケータのみんなが蠢いたら、ワクワクするなと思って。特別なことじゃなくって、日常の生活に当たり前のように染み込んでいくのがおもしろいなと思っています。
自分を受け入れてもらったことが
今につながっている
佐藤 絵里子さん
自分を受け入れて
もらったことが
今につながっている
佐藤 絵里子さん
私は変わった子で絵を描くことが好きでしたが、展覧会に選ばれるようないわゆる「うまい子」ではありませんでした。エッセイのようなファンタジーのような漫画を描いて、友だちに回したりしていて。でも、みんなおもしろいと評価してくれました。だから私は「自分は上手ではないけど、このままものをつくってていいんだ」という自己肯定感をもって育ったと思います。
藝大に入って西村佳哲さんの集中講義を取りました。将来、博物館の展示デザインをしたいと思っていて、ミュージアムとの接点をどうつくりだすかということを考えている時期でもありました。そのときに西村さんからとびラーの話を聞き、進みたい方向に近づけるかもと思って応募しました。
とびラーとしては、デザインを中心に活動しました。
私は、NPOに就職します。これからは、自分が肯定感をもち続けられたことに感謝して、その気持ちを誰かのために生かせていけたらと思っています。
こどもたちのことばが
活動のモチベーション
白石 敦子さん
こどもたちのことばが
活動のモチベーション
白石 敦子さん
専業主婦の期間が長かったのですが、子育てが一段落したので、また何か社会と関わりたいと思って応募しました。
今でも、こどもたちの作品をみつめる姿を思い出します。たとえば、水墨画を食い入るようにみつめていた日本に来て数か月しか経っていない中国籍の子、車椅子から立ち上がって丹念に作品をみつめる女の子。美術館の中で緊張しつつも、好奇心一杯のこどもたちの姿が本当に愛おしかったです。自分のファシリテーションは、上手くいかなかったと思うことの方が正直多かったですが、こどもたちの姿を思い出すことで自分を奮い立たせていました。
とびラーとしての活動を経て、自分がものすごく固定観念の塊だということに気づかされました。今では、ものごとを自分の物差しだけでみていないか、少しは振り返ってみられるようになったと思います。今後は、また何かしらこどもたちといっしょにいろんな作品をみる活動に加われたらよいな…とぼんやり考えています。
教師としての問題意識と
とびらプロジェクトが結びつきました
白田 雪絵さん
教師としての問題意識と
とびらプロジェクトが
結びつきました
白田 雪絵さん
忘れられないのは、アクセス実践講座です。家庭の問題などで十分なケアを受けられず、社会的に孤立しているこどもを支援している方々の活動について学ぶことができ、感銘を受けました。私も仕事柄、そのような高校生に出会うこともあるので、問題意識をもっていたのですが、とびらプロジェクトは社会とのつながりが希薄な人たちを、美術館という場を通じて新たなコミュニティに結びつける活動なのだと気づきました。もともと美術館には関心をもっていましたが、私にとっては価値の高いアートを鑑賞する場であり、非常に個人的な楽しみや学びを享受するところでした。しかし、とびラーの活動を通じて、仕事をしてからもち始めた問題意識と美術館が結びついて、私にも何かできることがあるのではないかと考えるようになりました。開扉後、この思いを活動に発展させられればと考えています。また、美術館に生徒を連れてくるということは続けていきたいです。アートはもちろん、教員以外の大人との出会いの場にもなりますから。
とびらボードにアツい男
代田 晃さん
市職員の研修会が年に一度あって、都美から学芸員さんが来るということだったので「美術館の裏話が聞けるかも」と思って参加しました。そこに来たのが稲庭さんだったんです。そうしたら、いきなり「三人一組で自己紹介してください」って言われて(笑)。「なにそれ!」って思いましたよ。
応募のきっかけは、同世代で美術が好きな人って周りになかなかないので、同じような興味をもつ友だちをつくりたかったことと、逆に同世代に美術のおもしろさを広めたかったからです。
とびラーとしては「とびらボードでGO!」に参加しました。中心になってやるようになったのは、「ボストン美術館の至宝展-東西の名品、珠玉のコレクション」展からです。とびラボは実施するためにいろいろな人に協力してもらっているわけで、それを自分が適当にやったことで潰すのはまずいと思っています。やる以上は責任をもってやらないと。だから最近は「とびらボードでGO!の若大将」と言われちゃったりしてます(苦笑)
元気をくれたとびらプロジェクト
さまざまな「きっかけ」を
与えてくれた
須貝 寛美さん
元気をくれた
とびらプロジェクト
さまざまな「きっかけ」を与えてくれた
須貝 寛美さん
学びと実践とがいっしょにできそうなところに魅力を感じて応募しました。特定の活動というより、とびらプロジェクトの多様性がおもしろかったです。これまでの生活では出会うことのなかった、年代も背景も異なる方たちといっしょに活動できたことはとても大きかったと感じています。でも、多様なみなさんと一つの目標に向かってものごとを動かしていくことは、とても大きな可能性を秘めていると思う反面、なかなかスムーズにいかないことも多かったです。そんなときでも、ミーティングなどを通して、自分にはない個性やアイデア、知識や経験をもった方々の進め方を知ることは、とても参考になりました。
とびラーとしてこれを達成したとか、私これやったの!みたいなものはまったくないんですけど、落ち込んでいたのも元気になったし、地域のコミュニティ活動を始めたりしたのも、とびラーになったからこそ。とびらプロジェクトがきっかけをつくってくれたということがいちばん大きいことだと思います。
編み物部は、
「コミュニケーションの準備体操」
鈴木 華子さん
編み物部は、
「コミュニケーションの
準備体操」
鈴木 華子さん
私はとびらプロジェクトの中で「編み物部」という活動をしました。とびラーがゆるく集える場にしたいと思って。というのも、私自身が一年目の途中からあまり講座やプログラムに参加できなくなり、それから都美に行きづらいと感じるようになってしまったからです。でも、その年の開扉式に勇気を出して行ってみたら、みんなが暖かく声をかけて、こんなに面白い人がたくさんいたんだということに気づき、「とびラーの人たちのことをもっと知りたい」と思うようになりました。活動にあまり参加できなくなってしまった自分自身を変えたいという気持ちもあって、編み物部は「コミュニケーションの準備体操」だと言っていました。
編み物部は、自分自身がとびらプロジェクトでどうありたいかということを考える場所だったかなとも思います。私はとびらプロジェクトについて振り返るとき、プログラムごとに思い出すのではなくて、まず人の顔が思い浮かぶんですが、それは編み物部のおかげかもしれません。
手話が開いた「扉」
瀬戸口 裕子さん
市民センターで「手話サークル」のお知らせをみて、興味本位で参加したのが手話との出合いです。真面目で重苦しい雰囲気だろうと思っていたんですけど、とても明るくてびっくり。手話で話しているので会話は聞こえないのに、笑い声だけは聞こえてくる。手話はことばとして成立している場面を初めてみて衝撃を受けました。2010年に、耳の聞こえない人たちと美術館や博物館を巡るサークルを立ち上げました。当初そのサークル名に「扉」って名前を考えていたんですけど、ちょうど同じ時期に「とびらプロジェクト」も立ち上がったとは、なんだか運命的なものを感じます。とびらプロジェクトでは、耳の聞こえない人を含めた「アート筆談」という企画をつくりました。そうした活動の中で、目にはみえないものや感じたことを「ことば」にするおもしろさを学んだと思います。
今後は「ことばと絵」の融合についてもっと追求したいと考えていて、今はとくに絵本に興味があります。
「五感のヒエラルキーを
逆転させたい」
園田 俊二さん
「五感のヒエラルキーを
逆転させたい」
園田 俊二さん
空間のデザインや設計の仕事に携っています。「箱」を依頼主に引き渡した後で、人がどう動いているかを知りたいという思いがあって。
とびラーの活動では「キュッパのびじゅつかん」展がとても印象に残っています。設営のときに日比野さんのお手伝いをする機会があり、まさかそこまで関われると思っていなかったので、ここでできることの幅の広さに感心しました。
世の中って視覚優位だと思うんです。ビジュアルにすると一発でわかる。便利で効率的。その一方で失われるものもあるはずで、私はそちらに目を向けたい。触覚や、嗅覚、味覚といった原始的なものに。五感のヒエラルキーを逆転させる必要があるのではと思っています。
とびらプロジェクトではきっと、今まで自分の中で積み上げてきたと思っていたものを、そっと、静かに壊していたんですね。とても貴重な三年間でした。
開扉後は、地元・世田谷の組織で場づくりの運営を考えていきたいと思います。
とびらプロジェクトは、
昔の自分に戻れる場所
卓 美利さん
とびらプロジェクトは、
昔の自分に戻れる場所
卓 美利さん
工芸高校に通う息子の卒展会場が都美だったんです。そのときにとびラー募集のチラシをみつけました。子供も卒業するし、自分の時間がもっとできるだろうなと思い、パッとチラシを手に取りました。ところが、卒展も終わり一段落してから子供たちにチラシをみせたら猛反対。「日本語ばかりだからママには無理だよ」とか、私はなんでも楽しみたい性格なのですが、「楽しみたいばかりだと迷惑になっちゃうよ」とか(笑)。でもワクワクする内容だったので、子供と一緒にトビカン・ヤカン・カイカン・ツアーに参加してから決めることにしました。実はツアー後も反対されました。でも、楽しそうだからやっぱりやりたい!と思い、ダメもとで応募しました。今では「ママ、楽しそうだね」と見守ってくれています。
私はデザインを学ぶために台湾から日本にきました。もっともっと昔の自分を取り戻したい。学生のころに学んでいた美術教育も勉強し直したいです。ネット社会になり直接的なコミュニケーションが希薄になっている今だからこそ、どうやったらアートを楽しみながらこころを開いていけるのかを模索したいと思います。
美術で社会の役に立つ
そんな一歩を踏み出します
永井 俊一さん
美術で社会の役に立つ
そんな一歩を踏み出します
永井 俊一さん
基礎講座や実践講座で学んだことはとても印象に残っています。特にVTS。みんなで絵をみて対話するということで、より深くみることができたり、自分にない気付きを得ることができる。そして実はそれだけではなくて、ことばそのものの発達にもいい影響を与えられると知ったときには、今まで美術やデザインを学んできたことをすごく誇りに思いました。
実はこのたび転職することにしたんです。とびらプロジェクトを通して上野でいろいろな人に出会ったことで、自分が勉強してきた美術やデザインが世の中の役に立つんだということに、あらためて気づいてしまったんですね。
そんなところに美術系の専門学校をやっている知人からお誘いがあって、四月からそこで先生をやることになるとは思いませんでしたが(笑)。
私はとびラーとして何かを達成したということはないかもしれません。それでも、この三年間がきっかけとなって今後の人生が変わっていくように感じています。
アンバサダーで、
とびラーとしてやりたいことに
気づきました
中島 恵美子さん
アンバサダーで、
とびラーとして
やりたいことに
気づきました
中島 恵美子さん
ずっと昔、新聞にこんな広告が載りました。「世の中にはやらなきゃいけないことがたくさんあるけど、それだけじゃ疲れちゃう。無駄なようでも無駄じゃないこともあるから、やってみたら」。そのころは子育て中で、とても心に引っかかりました。「私、ずっと頑張ってるだけじゃなくていいんだ」って。そのことがとびラーの募集をみて蘇ってきて。でも、とびラーになって一年半くらいは何をしたらいいのかわからなくて。そんなとき、「とびらアンバサダー」のことを知り「これだ!わたしがやりたかったのは」と。
地元・長生村の生涯学習事業の担当部署に話をしに行き、とびラー二年目の四月に「長生村鑑賞会」とびラボを実施。翌年は鑑賞プログラムに絞って反応も上々。そして開扉直前に親子プログラムを計画しました。開扉後は、長生村から活動の継続を依頼されています。保育園のこどもたちを美術館へ連れて行きたいという方と出会い、さらに広がればと思っています。
かけた時間や手間が重なって、
特別なものができあがる
中村 鈴子さん
かけた時間や
手間が重なって、
特別なものができあがる
中村 鈴子さん
とびラボには、相手の考えを否定しないという、了解みたいなのがありますよね。「こんなの恥ずかしいかしら」というアイデアでも真剣に考える。「こういう意見もいいんだな」と思えると、だんだんみんな自信がつき、いいものが生まれていく。否定から入りがちな世の中において、そこがいいと思います。そういう経験が、意外と自分にとっての生きる力になっていると思います。
「迷っているときは手当たり次第やって、それをふるいにかけていくと輪郭が出てくる」という基礎講座のときの日比野さんのことばが忘れられません。どれもこれも壁ではなくて、当たっていけばいいだけの話なのかなと。それを聞いて、迷いからすぽんと抜けた気がします。
何でも手軽に手に入る時代だからこそ、面倒くさいことを敢えてやりたい。かけた時間や手間が重なって、上手い下手では判断できない特別なものができる気がします。
自分のことをよく知れる場
並木 百合さん
もっとみんなに、美術館のおもしろさに気づいてもらいたいと思っていたんです。ほとんどの人が、行くなら大きな美術館だったりするのは、宣伝に踊らされているだけじゃないのかと疑問を感じていて。当時は、私がコンシェルジュとして自主的に千代田区の美術館を紹介したり、学芸員を呼んで講座も開いていました。その後、アーティストとお仕事をする機会があって、その活動やお話がおもしろいものばかりで感化されて、今度こそと四期とびラー募集のときに応募しました。
とびラボは最初、意味がよくわからなかったんですけど、いろいろなとびラボに参加しているうちに仕組みがわかってきました。三年目で初めて企画した「トレジャーコレクティング」では、ミーティングのたびに準備を重ねていたんですけど、とにかく責任感で動いていました。他のとびラーが私のために来てくれている、という気持ちがモチベーションでした。とびらプロジェクトは、自分のことをよく知れる場だったと思います。
故郷でやりたいこと
そのヒントを探し続けています
服部 美香さん
故郷でやりたいこと
そのヒントを
探し続けています
服部 美香さん
とびラーになる前は、実はそろそろ地元・鹿児島に帰ろうかなと。でもそうは思うものの、刺激や娯楽がたくさんある東京に後ろ髪を引かれて悩んでいました。でも、あるときピンときたんです。自分で楽しめる場所を鹿児島につくってしまえばいいんだ!って(笑)。
それで最初に考えたのは、地元で作品をつくっている人たち向けの貸しギャラリーをつくろうと。でも具体的にはどうすればいいのかわからなかった。そんなことを考えあぐねていたときにみつけたのがとびラーの募集でした。
そこには「作品とみる人をつなぐ」ということが書かれてあって、自分はそういうことがしたいんだ!って、それをみて気づいたんですね。
高校生のころは、有名な人だけがアーティストだと思い込んでいたところがあったんですけど、地域の美術展のお手伝いをしたときに、世の中にはこんなにものづくりをする人が大勢いるんだと気づかされて。とびラーになれば、自分のやりたいことのヒントが掴めるんじゃないかって思って応募しました。
ありのままの気持ちで
誰かをサポートできたら
原 順子さん
ありのままの気持ちで
誰かをサポートできたら
原 順子さん
ある講演会で登壇した伊藤さんが「一人の強力なリーダーが引っ張るより、みんなでつくるのがとびラーらしさ」だと仰ったので、それはいったいどんな組織なのか気になって応募しました。三年間関わってみると、この場が新しい何かを始めるときに必要な基礎を身につける絶好の機会だったことがわかります。「聞く力」「ファシリテーション力」はもちろんですが、東京大学先端科学技術研究センター准教授・熊谷晋一郎さんがアクセス実践講座で言われた「その人が助けを必要としている『ベーシックレベル』を知る」という考え方もそうです。学校プログラムで知的障害をもったお子さんと一対一で鑑賞をしたときのことです。私が担当した彼女は友だちに対して、仲間になっていっしょにやろうねという感じで、ありのままなんです。その様子をみていると、彼女のように、ありのままの気持ちで誰かをサポートできたら、もっと相手に近づけるんだなと思って。こころが洗われるように思いました。
「やりきった感」がないからこそ
続けられたのかも
武藤 文さん
「やりきった感」が
ないからこそ
続けられたのかも
武藤 文さん
たぶん、4期の中で最初にとびラボを立ち上げたと思います。私が旅行先の海外で美術館を楽しんだように、外国の方にも日本の美術館を楽しんでもらいたいと思って、「この指とまれ」と呼びかけたのが、最初のラボ「とび(美術館)× 外国語について(仮)」です。掲示板でのコメントにも勇気づけられ、みんなで話し合い、一つひとつ積み上げていきました。
そして、かんたんな日本語を話せる外国の方むけに、とびラー1年目には「感じる漢字」展で鑑賞と書道体験を、2年目には「木々との対話」展で鑑賞と木やすり体験を組み合わせた企画を実施しました。その間、ラボの名称も「ことばりあふりー」から「マルカルミュージアム」と、その時々に大事にしていることにあわせて変わっていきました。
そのあと、公募した企画に参加者が集まらなかったときには、「本当に求められていることは何か」と悩みましたが、これからも外国の方と一緒に楽しめる何かをしていきたいなと思っています。
多くの人に、
本物のアートに出会ってほしい
柳田 路子さん
多くの人に、
本物のアートに
出会ってほしい
柳田 路子さん
本物のアートがもつちからってすごいと思っています。それをより多くの人に伝えたくて、とびラーになりました。多くの人に本物のよさを感じてもらう能力を身につけるため、鑑賞実践講座はめいっぱい取り組みましたし、VTSもかなり勉強したつもりです。とびラーとして活動するなかで、美術館に足を運んでくる人は限られているとあらためて感じました。もっと多くの人に美術館で本物の作品をみて欲しい。そのためには美術館の敷居を低くしなければと思っています。美術館を飛び出し、外で活動することも必要です。人がアートに出会うための入り口は、何でもいいと思っています。建築でもいいですし、音楽でもいい。そこから絵画などにも関心が広がってくれたらいいなと考えています。開扉後は、とびラーの仲間たちといっしょに、まずは身近な横浜にある名建築を切り口にして、多くの人が本物に出会う場をつくる活動をしていきたいと思っています。
とびラーになってはじめて
こどもと触れあう喜びを知りました
山田 廣道さん
とびラーになってはじめて
こどもと触れあう喜びを知りました
山田 廣道さん
こどもたちは感動が違うんですよね。「こわい」とか「ドキドキする」とか偽りがないんですよ。ゴッホの渓谷の絵をみて「ここにドクロがある」とか「この人たちは姉妹だよね」なんて、直感的に見て、それをそのまま口に出しますから、新しい発見があって楽しかったです。
それと、とびラーになって僕は世の中をみる目が変わりました。ものをみるときの原点って、人と人との関係ですよね。西村さんの講座で話し方や聞き方を学んだことは、ビジネスやプライベートでとても役に立っていて、ここへきて自分の中に染み込んでいるなと感じます。知らないうちに身に着いた鎧みたいなものを脱いで、とびラーとして「フラットな世界」を体験していると、外の世界とは違うと感じます。逆に外の世界でどうするかがこれからの課題かもしれません。そこにはやはりヒエラルキーみたいなものがあって、それは無視できない。とびラーとそれ以外の異なった世界に同時にふれている感覚が、最近感じた新鮮な驚きです。