東京都美術館× 東京藝術大学 「とびらプロジェクト」

INTERVIEW

10

癸生川 心 さん

4期とびラー、美術館めぐりが趣味の仕事人。

”とびラー”インタビュー
癸生川 心 さん

INTERVIEW

10

癸生川 心 さん

4期とびラー、美術館めぐりが趣味の仕事人。

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「絵をたくさん見ることで気がついた」

何期ですか?

癸生川 4期です。今は1年目がちょうど終わるところです。

普段はどんなお仕事を?

癸生川 社会人に対して、文書の書き方とかプレゼンテーションの仕方とか、ビジネススキルを教育する会社で働いています。民間企業や官公庁が教育プログラムを組むときに、外部の力を借りるケースがある。そういうときにお手伝いをしています。

実践講座は何を選んでいますか。

癸生川 「アクセス実践講座」をとっています。「鑑賞実践講座」は講座が月曜日なので、まずとれない。残りは「建築実践講座」と「アクセス実践講座」で、「アクセス」の方がいろんな人と関われそうかなと。

人と関わりたかった・・・ということですが。

癸生川 そもそも「とびラー」になったのもそのためです。

私は、一人で美術館に行くということを、20年来の趣味にしています。美術館に行くたびにカタログを買っていて、その数がざっと500冊は超えている。私の部屋は2階にあるんですが、壁一面カタログで、家族に底が抜けると言われているくらい(笑)。

でも、見に行っては買って、見に行っては買って……で終わってしまっていたんです。あるとき、作品をただ見る以上に、何かこう、自分なりにできることや考えられることはないかと思った。発展性はないのかって。
それで、とにかく数をいっぱい行こうと決めて、年間50カ所くらい美術館に行ったことがありました。「とびラー」になる前のことです。

そのとき、「美術館で絵を見るとはどういうことか」を考えながら見ていて、なんとなく、これまではと違う絵の見方が、自分なりに見えてきた気がした。

「これからゼミ」のワークショップ「ボッティチェリ・鑑賞・香り ~聞こえない方と聞こえる方のサイレントコミュニケーション~」。最初に聴覚障害の方に磁気ボードで筆談を行い、プログラムの説明をする。

私は放っておくと、知識で見ちゃうんですね。印象派が好きなんですが、「モネの絵がきれいだね」と言ったときに、「じゃあルノワールとどう違うんだろう」となる。「ルノワールはこういうタッチで、モネはこういうタッチ」とわかると、今度は「印象派ってどうやって出てきたんだろう」となって、「1874年に第一回印象派展があって……」と、どんどん知識だけが広がっていく。そうすると、絵を見ているけど、見ていない、ということが起きるんです。そういう自分に、絵をたくさん見ることで気がついていった。

そういう見方じゃなくて、極端に言うと、自分はその絵が好きか嫌いか、感覚的に見るのでもいい。その方が絵と対話することになる。絵と対話していると、結局自分との対話になるんですが、そんなことを感じるようになった。けど、それって自分の中だけのことなんですよね。

若冲展に合わせて開催した「若冲ラウンジ」。コンシェルジュとして来場者のお出迎えをする癸生川心さん。

自分の仕事は「教育のプログラムで人に何かをお伝えすること」。それと、「自分が美術館でいっぱい絵を見ること」がつながらないかと、もんもんと考えていました。

<つづく>

「意識的にサポート役をしている」

仕事と絵を見ることをつなげたかった?

癸生川 なんかこう、「これはこれ」と別々にするのではなくて、つながることがあるといいなと思ったんです。そんなとき「とびラー」の募集を見つけて、「あ、これだ」と。「とびらプロジェクト」に参加したからって答えが見つかるかはわからないけど、アート・コミュニケータという立場になれば何か見えてくるのではないかと思いました。

「アクセス実践講座」でファシリテーターをする様子。

「とびらプロジェクト」では、どんな風に過ごしていますか。

癸生川 自分が主体となって企画をして何かを進めるというよりは、アイディアがあって、何人かでその活動をしたい人をサポートする役を、意識的にしています。

例えば、今かかわっている活動で、聴覚障害の方と一緒に美術鑑賞をするという「とびラボ」があります。まだ実施できていなくて、でも実現したいと思っている方がいる。私は、聴覚障害の方と一緒に鑑賞すること自体にはそこまで興味があるわけではないけれど、耳の聞こえない方が一体何を見ているのか、どういうことを感じるのかに、すごく興味がある。「じゃあ一緒にやりましょう」と。

実現へのプロセスのなかで、自分がサポートできることをいつも考えます。発言を整理整頓してホワイトボードに書いたり、計画書に赤を入れたり。みんなで議論をしているときも、自分の意見を主張するというよりは、ちょっと違う方向に進みそうになったら「こうも考えられるんじゃないの?」と軌道修正をする。グループでの話し合いをファシリテートする人がいたらその人に任せるし、いないなら私がするし。

議論を俯瞰していないと、できないことですよね。

癸生川 そうですね。難しいんですけど、自分の中には熱い感情がある一方で、そういう自分を客観的に見ている自分もいるんです。たぶん、普段は落ち着いて物事を俯瞰している自分の方が強い。

「とびラボ」では、3名以上の「とびラー」が集まりプロジェクトを立ち上げ、議論を重ねていく。プロジェクト実現にあたっては、計画書を作成して都美や藝大のスタッフと内容をよく共有する必要がある。広報、予算、スケジュール管理など、実現に必要なマネジメントを「とびラー」自ら考える。

やっぱり、プロジェクトって熱い思いがないと進まない。その点「とびラー」のみなさんはものすごくポジティブで、思いを持っている。でもポジティブな部分だけでプロジェクトが進むかというと、絶対に進まない。
だから、全員がポジティブなミーティングに出ると、逆に不安になります。それだけじゃ進まないよねって。ときには「それはいい考えだけど誰が来るの?」「これはちょっとおかしい」といったことも、自分の思いとして伝えます。

そうすると、納得してもらえることもあるし、反論を受けることも、感情的に嫌だと思われることもある。嫌だと思いつつも、「そういう考え方もあるよね」という反応をされることもある。私も100人いたら100人全員に好かれるとは思ってないので、それはそれでしょうがない。

サポート役をすること自体に、ご自身の思い入れはある?

癸生川 そうですね。サポート役だからって楽しんでいないかというと、そういうわけではない。人が何かを実現する環境をつくるのって、自分で実現するよりも難しいと思うんですよ。そこが自分の挑戦の部分だと思っています。

<つづく>

「会社も『とびらプロジェクト』も、そんなに変わらない」

ほかの「とびラー」からは、どんな存在だと言われますか。

癸生川 どうだろう(笑)。よく質問はされます。ほかの「とびラボ」の人から「こういう状況なんだけど、どう思う?」と意見を求められたりもします。私なりの回答をして、その人が新たな気づきを得て、変化が生じていることがわかったりしたときは、うれしいですね。

反対に、相手によって癸生川さんに変化が生じることは?

癸生川 私にですか。自分自身に画期的な変化が起こるようなことは、残念ながらないです。
ただ、コミュニケーションの気づきはあります。ポジティブな思いで話をしたつもりが、ネガティブなとられ方をされてしまったりして、「こういう言葉の使い方で、こういう解釈をされることがあるんだ」という気づき。

「とびラボ」から生まれたワークショップ「とびらボードでGO!」。中学生までの子供が対象。磁気式のお絵かきボード「とびらボード」に描いた絵の盤面を写真に撮り、ぬり絵のできるポストカード仕立てに印刷する。子供たちは自分の作品を持ち帰ることができる。「とびらボード」は、東京都美術館の特別展で無料で貸し出している。

会社にいるときと、「とびらプロジェクト」にいるときとでは、
心境に違いはありますか?

癸生川 変わらないですね。今勤めている会社は初期からいるので、ある程度立場があるんです。社長から指示は受けますが、私の心持ちとして、言われたことを言われた通りにやるのではおさまらない。どれだけ満足度を高めるか、そのためにどう解釈して、形づくって、結果を出して、報告をするか考えるのは、たぶん会社も「とびらプロジェクト」もそんなに変わらない。

違いがあるとすれば、「とびらプロジェクト」には肩書きがないこと。だから、表現の仕方が変わってくる。会社はピラミッド構造になっていて序列があるので、立場上、自分の発言が相手にどう影響を与えるのか考える。「とびらプロジェクト」でも考えるけど、そんなに深くは考えなくてもいい。

「アクセス実践講座」でグループワークの発表を行う様子。

会社に勤めながら「とびらプロジェクト」に参加する
難しさを感じることは?

癸生川 「とびらプロジェクト」は、参加することに対しての制限がないので、関われば関わるほど活動が進めやすくなるんですね。心理的になのか、物理的になのかはわかりませんが、できる人がやることになっているので。仕事をしているとそこが難しいなと感じます。

私が都美(東京都美術館)に来るのは、月に23回。普段、職場から家に帰るのは午後910時で、翌朝6時半にはもう家を出ているから、平日に何かをするのはなかなか難しい。「とびラー」が活動した内容がメールで流れてきて、一応眺めるけど「がんばっているな」と思うだけで。せめて毎週土日に来ることができれば、全然違うと思います。

それができたら、プロジェクトの主体になって、
サポート役には回らない?

癸生川 かもしれないし、あるいは、もっといろんなことをサポートできる。だけど現実はそうじゃない。最初のうちは「もっと参加できたら」と思ったりもしたけれど、どっかで「現実で」と切り替えられたときがあった。自分ができるスタンスで関わります、という風に変わったんですよね。

頻繁に参加するのは、リタイアしてからでもいい。僕はあえてフルタイムで働いている立場で「とびらプロジェクト」にいようと思った。今は、自分ができる範囲でプロジェクトに関わっています。<おわり>

聞き手・文:吉田真緒
撮影:中川正子、とびらプロジェクト

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