東京都美術館× 東京藝術大学 「とびらプロジェクト」

INTERVIEW

17

藤田 まり さん

私にできることってなんだろう?
「関わること」を大切にする6期とびラー

”とびラー”インタビュー
藤田 まり さん

INTERVIEW

17

藤田 まり さん

私にできることってなんだろう?
「関わること」を大切にする6期とびラー

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「自分発信のものが、みんなのものになっていく、
不思議な体験ができた」

普段は、どんなことをされていますか?

藤田 とびラーになって年目の春から、大学事務の仕事をしています。最初の2年間は主婦をしていました。その前は、機械メーカーで働いていました。

とびラーになろうと思ったきっかけは?

藤田 以前、機械メーカーで働いていて、愛媛県に住んでいたときに、愛媛県立美術館(以下、愛媛県美)で作品ガイドボランティアをしていたんです。
ただ、平日働いていたし、自宅から美術館までは距離があったので、土日しか行けなくて。愛媛県美は平日に小学校などへの出前ワークショップもしていたのですが、なかなか行けませんでした。どこかで平日休みをとって行きたいなと思っているうちに転勤が決まり、辞めざるを得なくなって。それでずっと、不完全燃焼感があったんです。せっかく関わるチャンスがあったのにって。
それで、結婚を機に東京に移ってきたとき、何かないかなと思って、「鑑賞」「美術館」「ボランティア」で検索をして、とびらプロジェクトを見つけました。

藤田まりさん画像1

もともと、美術鑑賞や美術館に興味があったんですか?

藤田 そうですね。美術館に行くのはすごく好きでした。母が美術館に行くのが好きだったんです。それで、中学生の頃に連れて行ってもらった展覧会で、ベルナール・ビュッフェの絵を見て、衝撃を受けたんです。花の絵で、白い下地に、赤い花が描かれていて、緑の葉っぱが花瓶からビョーンと出て、みたいな作品なんですけど、すごく立体的に見えたんですね。なんでだろう、不思議、と思って、横からのぞいたら、絵の具が結構盛り上がっていたんです。その盛り上がりによって陰ができて、花一つ一つが立体的に見えていたことに気づいた。正面から見た時は、平面の世界でこんなに立体感を表現できるなんてすごいなぁと思っていたのに、横から見た瞬間、この人ずるしてるじゃん!って思ったんですよね。そりゃあ立体的に見えるわって。で、なんかそれから絵を見るのって面白いなって思って(笑)。
その後、大学では美術史を専攻しました。卒業後、いったん働き出して、やっぱり自分は美術というか、美術館に興味があるんだということに改めて気づいて、何か関われないかなと思い、さっきお話した愛媛県美での作品ガイドボランティアを始めました。

とびらプロジェクトを見つけたときは、ボランティアというよりも、アート・コミュニケータとして活動すると知って、考えていた以上に主体的に関わることができるんだと思って嬉しかったです。

藤田まりさん画像2

とびラーとしての活動のなかで、一番印象に残っていることは?

藤田 一番というと難しいんですが…。「没後50年 藤田嗣治」展(2018731日~108日)(以下、藤田展)でおこなった“とびラボ”は、とても発見が多かったです。
注*「とびラボ」とは、とびラー同士が自発的に企画・運営・実施するプログラム。様々なバックグラウンドを持ったとびラーによる「この指とまれ式」と「そこにいる人が全て式」でミュージアムの力を活かすオリジナルな活動が生まれている。詳しくはこちら

どんな“とびラボ”だったんですか?

藤田 タイトルは「あなたのフジタをフレーミングーお気に入りの藤田嗣治作品にオリジナルフレームをつくろう」。
*実施報告はこちら

内容は、藤田が自作した額縁に焦点をあてて、展覧会を鑑賞した後、参加者自身が会場で選んだ藤田の作品のポストカードに合わせてオリジナルフレーム(額縁)を作るというものでした。

藤田まりさん画像3

藤田の作品のポストカードを用意。参加者が選んだポストカードに合うオリジナルフレームを制作する造形ワークショップをおこなった。

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実施に向け、たくさんのフレームを試作して、検討を重ねた。

これは、私がもう一人のとびラーと一緒に初めてゼロから立ち上げて実施した”とびラボ”でした。実は、とびラー応募時から、もし、とびラーになったら一般の方向けのワークショップを作ってみたいと思っていたんです。特に、造形のワークショップをやりたいとずっと思っていました。

でも社会人になってから、自分がやりたいことをみんなに伝えて、やっていくようなことをしていなかったので、すごく臆病になっていて…。
みんなに「やろうよ」と声をかけるまでのハードルがすごく高かったんです。面白くないと言われたらどうしよう…人が集まらなかったらどうしよう…人が集まってとびラボを進めても結局実現できなかったらどうしよう…とか考えてしまって。動き出せずにいたら、一人のとびラーが、「一緒にやろうよ」と言ってくださって。それで動き出すことができました。
スタートして、はじめの回のミーティングでは、一方的に他のメンバーに、何でやりたいと思ったのか、どんなことができると思うのか伝える感じでした。でもその後は、私が持っていた熱、「これがやりたいです。絶対面白いと思うんだよ」っていうのをメンバーも持ってくれた感じがして。どうしたらいいプログラムになるか、どんどん議論をして、考えてくれて。当日は、私が考えていた以上の内容になって、参加者のみなさんも楽しんでくださいました。自分発信のものが、みんなのものになっていく、不思議な体験ができた。それが2年目の秋のことです。

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これも、試作したフレームのひとつ。材料は、ダンボールとアルミホイルだ。

<つづく>

「何もない私にできることってなんだろう?」

とびラーとして活動するうえで、大事にしていたことは?

藤田 「関わっていくこと」そして「なんでも自分ごととして考える」ことです。

とびラーに応募した際の面接のときに、自分のことを、なんの特徴もない人だなぁと思ったんですよね。愛媛に住んでいるときは、愛媛県美で活動しているというだけで、何かちょっとやっている人だねみたいな感じがあったんです。それがここでは、みんながそういうことをしている、もしくは興味がある。そういう人たちがわーっと来て面接をしていて、それにびっくりして。私は美術館でボランティアもやっていたし、アドバンテージがあると思っていたけど、ここでは普通だ!って。

最初に参加した“とびラボ”でも、やっぱりみんな「ちょっと試作品作ってみた」とか、「こういうアイスブレイクが必要だと思うから考えてきてみた」とか、何かできることがあって、さらにフットワークが軽いのでアイディアとかをポンポン持ち寄っていて…。でも私はそういう動きができなくて、いよいよ、何もないぞ!じゃあ私にできることってなんだろう?と考えて、「関わること」だなと思ったんです。
頭の中で私なりにプログラムを想像して、ここがちょっと足りないと思うとか、ここがわからないとか伝えて、みんなが考えるきっかけにしてもらうようなことしかできないって。
この3年間で、どこにでもぽんと入ってその場の一員となって、主体的に動けるようになりたい。それなら、もう関わっていくっきゃないなと。

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とびらプロジェクトの魅力を一言で言うと?

藤田 「きりがない」というのが魅力ですね。
気になってちょっと首を突っ込んだら、「お!」って反応ができるものがたくさんある。なので、気が付いたら毎週土日いつも来ているとか、今週は日連続来ていた、とかってなる(笑)。

私は最初の2年間は、愛媛時代の不完全燃焼感を払拭したい、やりきりたいという想いがあったので、ほぼ毎週末来ていたと思います。すごく濃かったです。生活の中心がとびらプロジェクトでした。

だから、やりきった、完全燃焼できたという気がします。
特に一度は絶対にやりたいと思っていた、一般の方向けのワークショップ(「あなたのフジタをフレーミング」)を実施できたことでお腹いっぱいになれた。そういうこともあって、3年目は最後の年ですが、また仕事に就こうかなと思えました。いまは、新しく入ってきたとびラーをサポートしたい、背中を押す人でいたいと思っています。

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<つづく>

「「やってみる」ことに躊躇しなくなった」

とびらプロジェクトに参加して、得たことは?

藤田 「やってみる」ということが、素直にできるようになりました。
とりあえず動いてみるとか、こういうのどうかなってみんなに提案してみるとか。よく考えると小学生の時は、例えば、学級新聞を作る機会があったら、「私、絵が好きだから描こうか」って手を挙げてやってたんですよね。「これ面白いから一緒にやろうよ」とかも言っていた。なのに、大人になるに従って、「もっと専門でやってる人がいるし」とか「もっと上手な人がいるから、もっと詳しい人がいるから、私は出ないでおこう」みたいに思うようになって…出さなくなっていた。
でもここは、それぞれが持っているものを出せば出すだけ、プログラムの質が上がっていく。活動が豊かになっていく。だから、「ちょっとでもよくなるなら、私の持っているもの出します」って思えるようになりました。そうしているうちに、出すこと、やってみることに躊躇しなくなってきた。
さらに、そうやって動いているなかで、自分の長所・短所もわかったし、自分がかつて持っていたけれどいつのまにか表に出さなくなっていたりとか自分自身も忘れたりしていたものも再発見できたように思います。

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開扉後の予定は?

藤田 すでに開扉したとびラーたちと一緒に活動したいと思っています。
それと、障害のある方に対する自分の捉え方がこの3年間でとても変わったので、もうちょっと知りたいなという気持ちがあります。

どう変わったんですか?

藤田 私と一緒なんだと思いました。
「障害のある方のための特別鑑賞会」での、目の見えない方との鑑賞体験がすごく新鮮で、考えるきっかけになりました。最初は、絵画作品であればどういったものが描かれているか、作品のサイズはどの位なのかとかを正確にお伝えすべきなのかなと思って、その方の手をとって、肘から指先くらいまでのこのくらいが縦で、その下三分の一くらいまでが地面で、みたいな感じで話をしていたんです。なんか客観的なことではなく、私が感じていることを伝えるのはちょっと怖かったんですよ。例えば「こういう色味だからちょっと寂しそうな雰囲気です」とか、「楽しそうです」とかは私の感想であって、その見えていない方がそう感じるとは限らない。だから、自分の感想を伝えていいのかなって。でも一方で、正確なサイズとか描かれているものの位置関係だとかの話をしているだけでいいのかな、という疑問もあって。それで、ちょっと自分の感想も伝えてみたんです。そうしたら、「ああ、なるほど、すごくわかります」って言ってくださって。なんだ、伝えていいんだと思ったんですね。そこから、これまでは気を遣って配慮しているようなつもりでいて、近づこうとしていなかったということに気づかされました。
障害のある方たちに関わるのは、福祉関係の人だけだと思っているようなところもありました。でも、そうした特別鑑賞会などでの経験を経て、私が私のままで接してもよいというか、そうした方が絶対に楽しいし、そうすべきだなっていうのがわかった。

だからもっと接してみたい。なので、これから手話を習ってみたいと思っています。
これまでは、手話は、耳の聞こえない人の道具だと思っていたけど、実際にそれで話されている方たちを見て、ひとつの文化を持つ言語だなと思うようになりました。
あと、手話の表現方法がすごくクリエイティブで面白いなと思って。例えば、藤田は「“藤の花”の藤です」って、手話を話す人に伝えたら、「じゃあこうだね」って、「藤の花が垂れてるこの感じだよー」って(手話で表現)、教えてくれて。田は「田んぼの田だよ」って。そういうのも面白そうだな、私もそれを操ってみたいって思いました。

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とびらプロジェクトの活動で出会った聴覚に障害のある方には、補聴器を使っていたり、口の動きを読んだりして話してくださる方もいます。けれど、こっちにすごく寄せてもらっている、あっちに無理をしてもらっているような気がして。なんか違うなあ、なんか申し訳ないなあというのがあった。だから自分で習って手話という言語で話してみたい。フランス人と話をしたいからフランス語を勉強したい、そうしたらフランスの文化とか世界に飛び込むきっかけになる、みたいな。今は手話のことを、そういう感覚で捉えています。
<おわり>

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インタビュー日時:2020124
聞き手・文:井尻貴子
撮影:中川正子、とびらプロジェクト

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