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1期とびラー、区民ホール勤務、デザイナー経験あり
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1期とびラー、区民ホール勤務、デザイナー経験あり
「どんな形であれ3年やってみよう」
田中 新宿の文化センターに勤めています。区立のコンサート・ホールを運営する財団法人で、企画・運営の仕事を。その前はデザイナーとして働いていました。専門学校を卒業して3年ほどデザイン事務所に勤めて、そのあと10年くらいフリーランスで。
忙しくて都美(東京都美術館)に来る時間をつくれないときは、他の人に頼まれた「とびラボ(とびラー同士の自発的なプロジェクト)」関連のチラシを家でデザインしていたり、そんなふうに、かかわれる形でかかわっています。
このアート・コミュニケーター(「とびラー」)の活動には、3年間の期限が設けられているので、どんな形であれ3年やってみようと最初から決めていて。
「とびラー」を募集するフォーラムが、毎年2月、東京藝大を会場に実施される。二年目から、その終了後につづけて都美館で、とびラーたちによる説明&交流イベントが開かれるようになった。そのチラシのデザインも担当。
田中 でも実際に始まると、新しい企画が次々立ち上がってゆくので、ついていきたくても関心のある全ての活動についてゆくのは難しい。住まいは杉並区(山手線を挟んで東京の西側)で、ここ(上野)まで来るのは結構大変なんです(笑)。
だから「これにはちゃんとかかわろう」というのを自分で決めないと、結局どれにも参加できなくなるなと思って。それで「放課後の美術館」には必ず参加している。このプログラムについては、オンラインの掲示板にも必ず目を通しています。
田中 「放課後の美術館」は「とびラボ」ではなくて、「Museum Start あいうえの」という、上野のミュージアムが互いに連携して進めているプログラムのうちの一つです。対象は小学生から中学生の子供たち。参加する子供を募集して、定員を超えると抽選。約40名の同じ子供たちが、約半年、毎週水曜日に学校のあとここに集まって、その彼らと時間をともにしてゆく。
学校を終えた子供が一人づつ集まってきて、その日の「放課後の美術館」が始まる。送迎は親御さん。
田中 この「放課後の美術館」では、その日になにをするかは、あらかじめ決められていない。スタッフと「とびラー」と子供たちが相談して決めてゆきます。
たとえば一旦ここに集まってから、同じ上野公園にある東京国立博物館や、国立科学博物館へ出かけて、展示物や作品を一緒に見る日もあったり。ここに戻って、報告を交わしたり、その日の体験からなにかをつくったりする。
けど、基本的な主導権は子供たちにあるんです。「なにをしたいか」は彼らに提案してもらって、「とびラー」はそれをサポートしてゆくんですね。
<つづく>
「まだ見えない場所へ向かって、どんどん進んでいる」
田中 都美のアート・コミュニケーション事業の一つで、「とびらプロジェクト」が始まった一年後(2013)にスタートした。上野公園にある他の博物館や美術館との連携プロジェクトで、子供たちとそれらを一緒につないで体験化してゆきます。
田中 「あいうえの」が始まる前に、1期の「とびラー」たちのあいだでも「上野にはせっかくいろんな美術館・博物館があるのだから、互いに連携してやれるといいよね」と交わしたことがあった。それを正式にやれるようになったのは、とてもいいなと思っています。
もちろん子供は、「あいうえの」に参加しなくても上野公園内の美術館や博物館の常設展に無料で入れるんです。しかし、そういう制度があることもあまり知られていないので、まずは「行けるんだ」ということを知ってもらえたら。
そして、学校のあと「遊びに行ってきます」と気軽に立ち寄ってもらえたらいい。美術館や博物館はそんなに敷居の高いところではなくて、普通に行っていい場所なんだと感じれる機会を「あいうえの」がつくり出せたらいいなと思っています。
連携している上野公園周辺の博物館や美術館には、受付付近に小さな看板がある。「あいうえの」ノートを見せて「ビビハドカタブ」と呪文を唱えると、子供たちはその館の特製バッジを手に入れる。
田中 その効果や結果は、彼らが大人になった頃にならないと出てこないだろうけど、そういう時間や空間があたり前のように生活の中にあることで、感性も変わってゆくと思うんです。
田中 基本的に子供たちの発想が頼りで、こちらから「これをしよう」と提示しない。「なにをしたい?」というところから始まって、なにかが出てくるのを待って。出て来たら「じゃあ、それをみんなで(とびラーも含めて)つくろうか」というふうに進めているんです。大人の側から「今日はこれをやるので、君はこれをして」とか、そういうことはほぼないんですね。
出てくるものを待つのは大変です。子供が到着する時間はバラバラなので、14時から部屋を開けていても、ようやく「集まったな」という感じになるのは15時くらい。終了は17時だから、実質的には2時間くらいの中で、彼らが考え、ある程度の形にまでしてゆくのはすごく大変で。
田中 たとえば低学年の子供は、考えるので精一杯で、時間切れになってしまうこともあります。どうかかわってゆくのが一番いいか、まだまだ手探りですね。
田中 大まかな骨格は藝大の「Museum Start あいうえの」チームのメンバーや、都美の学芸員さんがつくっているのだけど、プログラムの前後には必ず一緒にミーティングを持っています。そこでフラットに話し合っているから、指示を受けてやっている感じはなくて。
田中 スタッフの大きな方針を受け取って、「じゃあやってみましょうか」とかかわっている。最後までゆくとどうなるのか、知りたい気持ちもあります。
田中 「本当にこのかかわり方でいいのかな?」という気持ちはあるんですよ。「最後までこのまま子供たちのペースで行くと、完成形に至らずに終わってしまうんじゃないか」という不安もあって。けど「本人の発想に手を加えずに、協力しながら一緒に進んでゆくと、なにができるのかな?」という好奇心もある。
子供に自由にやらせるのが果たして正しいのかどうか、自分にもよくわからないんです。そこは悶々としている。
「〝自由な環境〟の意味について考えながら取り組んでいる部分は、自分にも多々あります。子供の好き勝手に完全に任せるのが、良いわけでもないと思うし。ずっと考えている」(スタッフ・伊藤)
田中 たとえば「ゆとり教育」にしたって、必ずしもいい結果は出していないじゃないですか。子供の意志をなんでも尊重して「好きなようにやっていいよ」というかかわり方が、どういう結果になるのか。
まったく作業に取りかからない子もいるんですよね。「でもこの子は天才肌なのかな?」「このなにもしなさ加減(笑)」と思ったり。いろんなタイプの子供たちがいるので、それぞれ成長するとどうなるんだろうと思う。
僕の任期のあいだには、はっきりした成果は出ずに終わると思います。でも長い目で見てみたい。現場には、スタッフも子供も一緒の相互協力体制のようなものが生まれていて、まだ見えない場所へ向かってどんどんどんどん進んでいる。<つづく>
「とびらプロジェクトの良さは、多世代がかかわっていること」
田中 1期の「とびラー」たちは、なにが始まるのか、まるでわからないまま参加してきたと思うんです。自分もそう。たとえば2期の人たちの中には、やってみたいことがあって参加してきた人もいると思うけど、僕らは参照できるものがなにもなかったから。
僕自身は、仕事場と家の往復だけでない時間があるといいなということを、なんとなく思っていたんです。そんな頃に「とびらプロジェクト」が始まると知って。
フリーランスのデザイナーとして働いていた頃は、一日中ずっと家に籠もって仕事をしていて。仕事だけしていると、仕事しかしなくなってしまう。それで「とにかく外に出たい」「誰かとかかわりたい」と思い、で、まず「大学へ行こう」と考えた。
田中 もともと演劇を観るが好きだったので、ある美大の夜間の映像演劇学科に入りました。それが30歳のとき。そこに4年間通って、いま勤めている財団に再就職したんです。そしてまた働きながら、仕事から離れたところで人とコミュニケーションを取ってゆきたいなあ、という気持ちがずっとあって。で、「とびラー」に応募して。
田中 仕事が忙しいとなかなか来れないし、そんなときは掲示板に目を通すことさえ大変だったりして。ついてゆけなさから、「もうやめてしまおうか」という気持ちになったこともあるけれど、仕事が落ち着いてくると「やっぱり楽しい」と思うのでつづけている(笑)。
このプロジェクトのいいところは「何でも提案できる」ところで、そこが他の文化施設のボランティアと大きく違うと思います。活動のアイデアを自由に提案できて、まわりの人が乗ってきたら、それがどんどん展開してゆく感じなんですね。
自然に消滅するプロジェクトはあるけれど、スタッフから「それはダメ」と言われることはほとんどない。
提案の自由度が高いと、思い付くだけどんどん忙しくなるわけだけど、めいめいの生活のペースは尊重されているので、タイミングの合う人が空いている時間に集まって進めてゆく。僕も家で、チラシのデザインをしていたりするわけです。
「とびラー」には「月に2回は都美に来る」というルールがあって、そのとき自分のIDカードをスキャンします。
自宅でどれだけ時間を使っていても、それをしないかぎり参加回数にはカウントされない。でもそんなこともあまり考えずに、自分なりのかかわり方をしてゆけばいいと思う。印象に残る人は、出席率の高い低いにはあまり関係していないし。
田中 こういうプロジェクトへの参画度を出席率だけで評価してしまうと、子育てを終えた主婦や、定年退職された中高年の方々のほうが、どうしたって参画しやすい。
皆勤賞でかかわっている「とびラー」もいれば、そうでない「とびラー」もいるけれど、来たいけど来れずにいる人がいっぱいると思うんですよね。
「とびらプロジェクト」の良さは、下から上まで、多世代の人々がかかわっているところにあると僕は思っています。<おわり>
聞き手・文:西村佳哲
撮影:後藤武浩、とびらプロジェクト
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