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「生みの親」がプロジェクトとともに歩んだ10年
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「生みの親」がプロジェクトとともに歩んだ10年
「東京都美術館のDNAを感じさせるプロジェクトをつくりたい」
稲庭 フォーラムの前年2011年5月頃、東京都美術館(以下、都美)のリニューアル・オープンに合わせて、新規事業としてアート・コミュニケーション事業を計画する中で、隣の東京藝術大学と連携するという案がありました。その最初の会議で「100人でつくる私たちの美術館プロジェクト」という案を出してみました。用意したA3のプレゼンシートには、NPOとか大学とか市民とか、いろんな立場の人が美術館に関わるという構想を図にしてあって。それを見た東京藝術大学の日比野克彦さんが「お、これ面白いね」と。多分その会議がとびらプロジェクトの始動です。
上野駅のホームから夜の帰宅時に撮影。線路向こうに掲げられた巨大看板。
稲庭 半年の間に、プレゼンシートに書かれていたコンセプトが、現実の中で揉まれて、あれよあれよという間に形になっていきました。ジェットコースターに乗ってるような、止まらない電車に乗っちゃったような。いや、洗濯機の中入っちゃったような。
稲庭 私は都美に着任してすぐだったので右往左往しながらでした。リニューアルに向けてみんな全速力で、パス回しながら動いているような感じで。予算などの運営に必要なことも進めつつ、実際にプロジェクトに参加してくれる方に声をかける方法を考えて……。
美術館の外側にいる多様な市民とタッグを組んで一緒にプロジェクトをデザインしていくことが、美術館の事業としてどんな価値を持ちうるのか、類似のものが存在しないので、周りは「何が始まるのだろう?」という感じだったかもしれません。
稲庭 ただ、実は東京都美術館には、市民の主体的な動きを軸とする「とびらプロジェクト」のDNAのようなものがあったんです。1926年に日本で初めての公立美術館として開館した東京府美術館は、約50年後の1975年に前川國男が設計した新館になり再出発しました。その時打ち出されたのは「市民に開かれた場」で。学芸員による自主企画の展覧会と共に、市民に開かれた美術図書室や教育活動がはじまり、当時の公立美術館としては新しい取り組みでした。特に武蔵野美術大学助教授だった及部克人氏が講師となった造形講座は参加者間の共創や手を動かすことが重視されたワークショップ形式で、まさに市民の主体的な参画が意図されていました。つまり、美術館を拠点に市民がアートを介して主体的な活動をしていたというDNAがあるんです。
私が都美に来る前に勤務していた神奈川県立近代美術館は日本で最初の近代美術館で、美術愛好家が好む美術館でした。それに対して東京都美術館が目指すのは、使命に明示されているようにもっと幅広い「アートへの入口」。特別展や企画展へ来る方、公募展に来る作家さん、学校教育展で来館する大学生、先生方や子どもと家族、観光の一環での来館など。都美はその多様な人々の「市民性」みたいなものが脈々とあって。だからこそ、市民が主体的に参画していくDNAを感じさせる活動は合うのではないかと思ったんです。ここに、日本の美術館にはまだあまりない市民が関与する「民主的な場」をつくりたいと。
1970年代の造形講座に参加していた方々や及部克人さんから当時の活動について聞く研究会をリニューアル初年度に開催。都美2階プロジェクトルームにて事前打ち合わせ。
稲庭 人々が対等に、フラットに対話をしていく場。一人一人が尊重されて、自分の考えややり方を伝えあって社会をつくっていくソーシャルな場。つまり参加型社会ですね。
日本は戦後、いろんな面で参加型社会になってきたとは思いますが、美術館はまだまだで、権力的なイメージがありますよね。美術館には大切な価値のあるものがあって、それを来館者に「見せてあげる」みたいな。
稲庭 はい。文化財を扱っているのは美術館ですが、文化財は社会の共通財産です。共通財産としての価値があるから公的な機関が保存し、研究し、展示をしているわけです。私達の社会の中にある文化財を次の世代に伝えていくという機能が、美術館にはあります。過去から来たものを私達の時代の中で評価して、価値を作って、その価値をまた次の世代に渡していく。その循環のプロセスに、専門家だけでなく社会を構成している多様な人々がきちんと参加できる、そういう美術館の社会的インフラとしてのありようみたいなものが、とびらプロジェクトで実現できたらいいなあと思っていました。
稲庭 もともと美術館の社会教育施設としての機能として「民主主義のゆりかご」という考え方があります。図書館と同じように、民主的なシチズンシップをはぐくむ場としての機能です。欧米等ではそうした意識がベースにあり、留学して学ぶ中でミュージアムの重要な機能だと感じました。
日本でも戦後そうした機能は美術館で目指されていた面もあったのですが、なかなか議論も実践も広まっていませんでした。そんな中で、21世紀になった今、社会の中での美術館のあり方を考えたとき、市民がかかわる美術館としてのDNAを持つ都美なら、それが少しでも実現できるんじゃないかと思ったんです。
<つづく>
「解像度を上げてプロジェクトを語れるようになった」
稲庭 ソーシャルデザインという言葉は、最初は都美の内部で、なかなか合意が得られませんでした。「なんで美術館でソーシャル?」と。
ソーシャルっていう言葉はたくさんの意味を含んでいますが、福祉的なイメージで受け止められたようです。とすると、都美の管轄は都の生活文化局で福祉じゃない、だから「ソーシャル」は合わないと。
実は私はそこで引っかかるとは微塵も思っていなくて。「そこかー!?」と思いました。
2015年、オリンピック・パラリンピックが意識された東京都の文化政策「東京文化ビジョン」が出ました。2012年のロンドンオリンピックの文化政策も参照されたものです。その中に「都立文化施設の新たな運営方針」が示され、芸術文化発信、多言語対応やバリアフリー、次世代教育、にぎわいの創出などと並んで、「近年、芸術文化が教育、福祉や医療、 地域振興などの面で大きな成果を挙げるなど、 芸術文化ならではの解決方法を社会にもたらすようになっている。」と書かれていました。つまり、これからは文化施設が社会的課題に目を向けるのだということが言語化され明示されたのです。
当然のことですが、文化は社会の中で育まれます。現代美術の分野では、逆にソーシャルの要素が含まれないって、ありえないでしょう。
文化施設は社会の中にあるのに、なかなか積極的に向き合う感じはなかったんです。でも過去から伝わるものから現代までを扱う美術館は、きちんと今の社会と結び付きを持たないといけないはずなのですが・・・。
「美術館と大学と市民がつくるソーシャルデザインプロジェクト」青幻舎(2018年)
稲庭 「東京文化ビジョン」で、文化施設の運営において社会課題を視野に入れていくことが言語化されたことは大きかったですね。「ソーシャルデザイン」が明記されたわけではないけれども、その頃からこの言葉が世の中に広まり、使いやすくなりました。で、そろそろ大丈夫かなと思い、2016年のとびラー募集チラシには「ソーシャルデザインプロジェクトです」と入れました。その時にはもう誰も違和感を持たなかったのか、すんなり受け入れられました。時代の感覚が変化していったんですね。とびらプロジェクト自体が安定して活動していたので、安心感というか、「そんなに変なことにはならないだろう」という信頼感みたいなものも少しは生まれていたのかもしれません。
とびラー募集パンフレット(2016年)
稲庭 とびらプロジェクトと並行して取り組んできた、上野公園の9つの文化施設の連携プロジェクト「Museum Start あいうえの」の中で、児童養護施設や移民のファミリー、そして経済的困難な状況にあるこどもたちを対象としたプログラムを2016年から始めました。プロジェクトではそれ以前から、のびのびゆったりワークショップなどで障害のあるこどもとファミリーも対象にしたプログラムも行っていましたが、この頃から社会的な立場により美術館に来ることが難しい層に視野を広げました。それにともなって、アクセス実践講座などでは「多様性:ダイバーシティ」や「社会的包摂:ソーシャルインクルージョン」に関連する社会課題について学ぶことが増えていきました。SDGsが国連で採択されたのが2015年で、2016年頃はまだ日本でほとんど取り上げられていませんでしたが、その考え方はやはり早い時期からアート・コミュニケーション事業の中にあったと思います。
稲庭 とびらプロジェクトの価値観への理解を得るのに、SDGsの広がりは追い風だと思います。プロジェクトが大切にしてきたこと、特に参加型の社会の実現や、すべての人が安心して潜在能力を発揮できる社会の実現などが簡潔に示されたことは、人権について学ぶ機会が少ない日本において結構大きいのではないかと感じています。この10年の間に広まって当たり前になってきたソーシャルデザイン、ダイバーシティ、SDGs、そしてウェルビーイング等。これらの言葉が共有されて使うことによって、とびらプロジェクトが理解されやすくなり、私たちもより「解像度」を上げてプロジェクトを語れるようになったと感じました。
稲庭 本当にそうでした。2019年度だったかな、SDGsという言葉をフォーラムではじめて取り上げたときに、「流行に乗ってSDGsなんて使っちゃって。とびらプロジェクトは、そんな言葉は使わなくていいじゃない」みたいなことを言われました。
でもそれは逆で、「いやいや、もともと私たち、そういう趣旨でやってきたから。世の中で関心が高まっているSDGsという言葉をあえて使ったら、とびらプロジェクトをみんなにわかりやすく説明できるのかもしれない。だからその切り口からとびらプロジェクトを語ってみましょうよ」というフォーラムだったんです。
2019年度のとびらプロジェクトフォーラム。2020年2月11日開催
稲庭 最初は「そんな足代やお弁当もでない活動に参加してくれる人がいるの?」と、内側からも言われました。本当にどれぐらいの人が「面白い、意義がある」と思って参入してくれるかっていうのは、やってみないと見えなかった。だから、これだけたくさんの方が毎年応募してくれるというのは予想外でした。応募倍率も今年の募集は過去最高の10.5倍。プロジェクトの運営上、どうしても人数を絞らざるをえなくて、多様な年齢や経験値で約40名を組み合わせるので、その年にご縁のある方で組む感じになっています。2回、3回と辛抱強くチャレンジしてくださる方もいて、順次多くの方と共創していかれたらいいのではないかなと思っています。
稲庭 2018年に本(『美術館と大学と市民がつくるソーシャルデザインプロジェクト』)が出てからは、活動開始時にすでにある程度プロジェクトの趣旨をわかっている人が増えてきたように思います。本の中には3年の任期満了後のとびラーたちの活動についてのページがあるのですが、そこをきちんと読みこんできてくれて、面接のときに「私の本当のスタートは開扉した3年後です」と言う人もいます。任期満了することを、プロジェクトの中では「扉を開ける」と書いて「かいぴ」というのですが、その開扉したところからの自立した活動を見据えて、そのために私はとびラーになりたい、と。
その言葉って、とびらプロジェクトのことをちゃんとわかっていないと出てこないでしょう。だから凄いなと。ありがたいですね。もちろん一方で、「なんとなく面白そう」みたいな感じで来る方もいて、そういう直感も大切で。やはり多彩です。
3年目で「開扉」するとびラーが作成した「開扉冊子」。この年の表紙は東京藝大の日比野克彦氏のデザイン
稲庭 コロナの1年目(2020年)はプログラムの数自体がすごく減りました。2年目はそれを最初から想定していたのでオンラインを含め新しいプログラムの形でかなり回復してきていますが、やはり影響は大きいです。オンラインになったことで、やっぱりリアルな空間での作品との関わりとか、人と人との関わりは激減していると実感しています。
稲庭 今までの私達のコミュニケーションが、作品鑑賞においても、人と人とのコミュニケーションにおいても、とても身体的、空間的なものだったということを痛感しました。
それがオンラインになってしまって、感覚的な言い方ですけど、コミュニケーションの量が半分ぐらいになってしまったような気がしました。その不足分を補うために、ミーティングの数が倍増して、コロナ前には、とびらプロジェクトの中で行われるミーティングは年間250~300件くらいでしたが、今は500を超えています。驚異的な数です。
オンラインでちょっと喋っただけでは、落としどころというか、みんなが納得できる解を見つけるまでに時間かかってしまうんですよね。同じ空間にいてその場の空気でみんなが合意するとか、「あ・うんの呼吸」でできない。
日本語の話し方って、相手の言う言葉に重ねていくというか、相槌を打ちながら進めていきますが、同時に話せないオンラインではそれは難しい。相手の言葉をさえぎってしまったり、遠慮してしまったり。発言する人が固定したり、あるいは単なるおしゃべりになってしまったり。なかなか対話というか、深い話し合いをすることができないですよね。相手の考えを全面的にキャッチするっていうか、身体的に聞くということがしにくい。
稲庭 もちろんオンラインには時間や距離を気にせずにできるという便利さはあって、それはプラスですが、やっぱりコミュニケーションの質は違うので、それを補うべく、みんなすごい数のミーティングをやっている。つまり、コロナになって全体の活動量は減るどころか増加した、というのがとびらプロジェクトの現状です。今も、毎月のように自治体や美術館からの視察がありますが、関心が高いのは、やはりとびらプロジェクトの活動が活発だからだと思います。
<つづく>
コミュニケーションによって得られたエネルギーが、
とびらプロジェクトを常に作り続けている
稲庭 私達の身体の細胞って90日で入れ替わるらしいですが、とびらプロジェクトもそういう生命のような活動体であってほしいと思っています。専門知を持つ美術館や大学と、多様な市民知を持つ「とびラー」が、一緒に関わり合ってアートや文化資源を介した活動を共創していく。常に循環があって、その循環の中で手渡されていくものがある。活動の中で生まれる新しい「言葉」や「コミュニケーション」によって得られたエネルギーが、とびらプロジェクトを常に作り続けているというような。健やかに変化しつづけることは、それはそれでエネルギーがいることです。変化はストレスでもありますから。
美術館に集まる作品や文化資源は、もっと人々の暮らしにプラスの価値を作れると思っています。「美術館はパワースポット」と言い続けているのですが、市民が自ら動き関わることで、その多様な価値が人々に手渡されていくはずです。3月末に出版される書籍『こどもと大人のためのミュージアム思考』に、その辺りのことを書いたので参照していただければ嬉しいです。
今、全国いろんなところで、アート・コミュニケーションの活動が育まれています。そういう広がりが、もっとこれから別の形に、さらになっていく。そう期待しています。
とびらプロジェクトを参照した活動は全国7カ所でそれぞれに展開されている
稲庭 2022年4月からは国立美術館の新しい組織「アート・コミュニケーションセンター(仮称)」の設立準備室に着任します。国内に7館ある国立美術館が持つコレクションをより社会や人々と繋いで価値を顕在化させていく活動であったり、国立だけでなく全国の美術館に資する活動をしていく新しい組織です。これまで予算や人員の不足からできなかったことにもチャレンジしていくことが求められています。
日本中の国公立の美術館にはたくさんのコレクションがあります。そうした文化資源を一部の専門家や美術愛好家の中だけで価値を作るのではなく、もっと社会や人々とつないで多様な回路で価値化することは、国際的にも求められています。
「人と作品が良い形でつながれば新しい価値の創造が起こる」という、とびらプロジェクトでもやってきたテーマを、違うフェーズでやっていくことになるのかもしれません。アートを介した人の繋がりを作りたいと思っている人々が活動していくための、学ぶ場づくりもできるんじゃないかと思っています。
もう一つ、超高齢社会において美術館がどのような機能を果たせるかについて非常に関心があります。都美でもここ数年特に「クリエイティブ・エイジング」と呼ばれるような、高齢であっても創造的な活動に気軽に関わっていくような美術館活動の推進に注力してきたので、引き続きその分野は取り組んでいきたいです。
1980年代に日本で「生涯学習」が始まり、その一つの例が都美の造形講座でした。それが、2012年から始まったとびらプロジェクトでは、人が関わり合って学び続けながら社会をつくっていく活動になりました。専門知だけでなく、市民知を含むより裾野の広い知識や情報や意見の「共有」が目指され、一人一人の参加の度合いが深く、協働することが複雑になってきて美術館における「生涯学習」のフェーズが変わったのだと思うんです。ですから、美術館は時代に合わせてきちんと社会装置としての概念をアップデートをする必要があり、文化財や作品を介した人々のつながりの場をつくったり、思いのある人が主体的に動きやすくするようなことができたらいいなと思っています。
〝ゼロ期〟とびラー、主婦、2度目の大学生
2014-10
1期とびラー、区民ホール勤務、デザイナー経験あり
2014-10
とびらプロジェクト コーディネータ、立ち上げスタッフの一人
2015-01
2期とびラー、家庭と会社と3本柱
2015-01
1期とびラー、家族で会社運営、もとテレビ局勤務
2015-02
大学で刑法を学び、広告業界を経た学芸員
2015-06
子育て中の1期とびラー、言葉にしない“共感”の名人
2016-02
2期とびラー、経験を持ち帰りながらテーマパークの運営会社に勤務
2016-05
3期とびラー、就活を経て出版社に入社1年目
2016-07
4期とびラー、美術館めぐりが趣味の仕事人。
2016-11
3期とびラー、タイでボランティアを8年間したクラフト好き
2017-01
現役藝大生の4期とびラー
2018-04
「幹事大好き」の4期とびラー
2018-04
最年長の70代。5期とびラー
2019-05
「とにかくやってみる」ことを楽しむ5期とびラー
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人と人をつなぐ回路をつくる、プログラムオフィサー
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私にできることってなんだろう?「関わること」を大切にする6期とびラー
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7期とびラー。「笑顔」を絶やさないお茶目な伴走者
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