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Museum Start あいうえのから「循環した学び」を得た直感の人。8期とびラー
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Museum Start あいうえのから「循環した学び」を得た直感の人。8期とびラー
「やりたいことは、とびらプロジェクトでできるよ」
中田 日本橋にあるうちのギャラリーで、2018年に日本画家の小林大悟さんの展覧会を開催しました。小林さんはとびラー3期で、日本画家として活躍されています。
彼の作風と人柄にほれ込んで、プライベートでも仲良くなりました。翌年の2月、ギャラリーで子どもたちを対象にしたワークショップをしようと考えて、小林さんに相談したんです。池袋のカフェで会い、「小林さん、一緒にやろうよ」と私の構想を話したところ、「それなら、ぜひとびらプロジェクトに入ったらいい。中田さんがやりたいことは、とびらプロジェクトでできるし、学ぶこともできるよ」と言われました。幅広い年齢層の人と一緒にプロジェクトを進めていく経験も積めると。
中田 はい、とびラー募集期間真っ最中の2月でした。とびラー8期の応募申込締切りの直前、一週間で決断して出願しました。
「とびラー」の名前は小林さんから何度も聞いて知っていたものの、内容についてきちんと調べたのは初めてでした。出願にあたっての志望動機を書くために、まずとびらプロジェクトの本を読み、Webサイトもチェックしました。特に、サイトに載っているとびラーのインタビューはじっくり読みました。こんな人たちが活動しているんだ、自分でもできるんじゃないか、うん、やってみたいと思いました。
小林さんには、「3年間しっかり学んで、一緒にいろいろやりましょう。待っています」と励ましてもらいました。
中田 実は、高校時代までは美術に関係する部活をしていたとか、絵画教室に通っていたということはありません。
高3の進路面談の時に、先生に「僕、特にやりたいことないんです」と言ったら、「それは、ちょっといろいろ考えた方がいいかもね」と言われて。
軽くショックを受けながら廊下を歩いて教室に戻り、前の席の子と話していたら、彼が「俺、美大に行くよ」と言うんです。じゃ、俺も美大かなと。
中田 はい。すごい軽い気持ちだったんですが、直感ですね。美大という言葉の響きが自分の中にスッと入ってきたんです。
ところが、色々調べていくと美大受験にはデッサンが必要です。で、高校卒業後に美大予備校に通って、デザイン系の学部を目指して勉強したんですが、結局希望のところには受からなくて。どうしようかなと思っているところに、中学時代からの親友がニューヨークに来ないか?と声をかけてくれたんです。
彼はニューヨークでコンテンポラリーダンサーをやっていて、「ニューヨークって、翔太に合っていると思う」と言うんです。それを聞いて、2か月後には渡米していました。
中田 はい。響きました。21歳の時です。ニューヨークに行ってみたら美術館がたくさんあって、それを見て回るうちに純粋に絵を描いてみたくなって、アートの専門学校に通うようになりました。
ニューヨーク近郊にDia:Beacon(ディアビーコン)という現代アートの広い美術館があります。広大な展示空間の中に、作品がすごく自由に、まるで踊っているかのように展示されています。その環境のなかで作品を鑑賞したことがとても思い出に残っていて。自分もいつかアートスペースを持ちたいという気持ちが沸き上がってきました。
帰国後、いったん就職したんですが、5年前からニューヨークで出会った友人と一緒に日本橋でギャラリーを運営しています。デザインオフィスも併設していて、グラフィックデザイナーとしても仕事をしています。
そのギャラリーの空間で何をやっていくかを模索しているのですが、その中で小林大悟さんとの出会いがあったりして、とびらプロジェクトに至ったというわけです。「とびらプロジェクト」という言葉もやっぱり、響いたんです。
<つづく>
「ここには循環した学びがある」
中田 活動を始める前から、とびラーさんは年齢の幅も広くて、いろんな職種の方がいらっしゃるというのは知っていたんですけど、実際に会ってみると、みなさんの目がキラキラしているんです。こんな大人がいるんだ、こんな大人になりたいと思いました。
私は今31歳なんですが、よくとびラーさんから、「どこの大学に行ってるの」と聞かれました。若く見えたのかなぁ。でもとびラーさんたちはみなさん年齢不詳で、年齢不相応なんです。もう、みなさんカッコいい。そういう人たちとたくさん出会えたことは宝物です。
考え方や価値観って、ひとりひとり異なりますよね。とびらプロジェクトはそれを尊重しながらプロジェクトを進めていく。まずそのことに衝撃を受けました。アートが好きで参加している人々のなかで、コミュニケーション、対話をベースにプロジェクトが進んでいく。ほかの人の発言を聞くことに対して、すごく寛容なんです。
普段の仕事相手は自分よりも一回り二回り年上の方が多いですし、狭い業界の中で考え方が固まっていて「若造は黙っていろ」みたいなことだってあるんです。デザインの仕事の時は、先方はクライアントでお客様です。中学高校時代も上下関係が厳しかったので、先輩の言うことは聞かなきゃいけないというのが普通でした。
でもとびらプロジェクトでは、70代の方の横に大学生がいるのもあたりまえ。そこで対等に対話しています。もちろん、私の話も聞いてもらえる。年齢も何も関係なく、一人の人として扱ってもらえるのが、とても嬉しかったです。
中田 そうだと思います。そういう関係性で物事を進めていくことに、やはりとても驚きました。
かつて住んでいたニューヨークにはそういう空気があったので、経験がなかったわけではありません。でもそれは英語環境でのことです。使う言語が違うと対人関係のありかたや思考回路も変わってしまうので、日本に帰ってきてからはそんな経験はなかったし、そういう思考回路になることもありませんでした。
だから、自分が日本語でしゃべっているのに、この心地よさは何だろうと思いました。それが本当に心強かったですね。
中田 とびらプロジェクトに興味を持ったきっかけが子どもたちを対象としたワークショップだったので、やはり「Museum Start あいうえの」(以下「あいうえの」)は、最初からとても気になっていました。
でも、実は1年目2年目は全く参加できなかったんです。1年目は仕事の関係で、平日に終日活動するというのがちょっと厳しかった。そして2年目は新型コロナで活動自体がありませんでした。
中田 はい。これはもう、残りのとびラー人生を「あいうえの」に捧げようと思いました。
8期とびラーのなかであいうえのに参加していなかったのは自分くらいだったかもしれません。だから不安はあったんですが、やらないで後悔はしたくなかったので、思い切って飛び込んで。その結果、見事にハマりました。
「あいうえの」のスペシャル・マンデーは、休室日の月曜日に特別開室して実施され、本物の作品と出会い、アート・コミュニケータと一緒に対話をする鑑賞プログラムです。
先日、「フェルメールと17世紀オランダ絵画展」を小学生の女の子3人と鑑賞したときのことです。こういうアートの見方があるよとか、どういう風に見えるとか、子どもたちと対話しながら鑑賞していたのです。そうしたら、こちらの問いに「倍以上」の答えが返ってきたんです。
中田 ある作品の前で、「ちょっと後ろに下がって見てみようよ」と、子どもたちに声をかけたんです。作品に当たっている光の変化に気づいたりするかなと思っていたのですが、子どものひとりが「これ、隣に並んでいる作品と関連してるんじゃない?」と言ったんです。みんなで鑑賞していた作品は女性の肖像画で、隣にあったのは男性の肖像画。「このふたり、夫婦なのかな?」「なんか、向かい合って会話しているみたいだね」と、展示の余白のようなものまで感じ取ってくれた。これには本当に驚きました。
中田 もう、私じゃなくて、子どもたちのほうがファシリテーションしてくれているような気がしました。ここには「循環した学び」があると思いました。子どもたちの作品の捉え方や意見が、自分に還元されてくるんです。子どもたちと自分では見えているものが違うんだなあと思いました。大人になることで自分の視野が狭くなっていたなと。ピカソの言葉に「子どもは偉大なアーティストである」とありますが、まさにその通りだと思いました。
この「循環した学び」は、私のギャラリー運営だけではなく、グラフィックデザインの仕事にも活きています。子どもたちから受けた刺激によって、作品に対するアプローチや考え方を押し広げられることがあるんです。
中田 実は私には勝手な先入観があって、「あいうえの」のような企画って、子どもたちに「何かを教える」、つまり一方的なものだと思っていたんです。でも実際はそうではなくて、私たちから発信することもあれば、子どもたちから発信することもある。そういう循環性があるんです。
その展開は、子どもたちによってどんどん変わっていきます。プログラムですから、もちろんあらかじめ進行表はつくってあるんですが、来る人が変わればそこで起こることもまったく異なってきます。そこが定型化されたイベントとは違うところですね。毎回変わるという、そのワクワク感。これこそがアート・コミュニケーションだと思いました。
家庭でも職場でもない「第三の場所」と言いますよね。第一、第二の場所では、基本的に毎日同じことがおこります。ところが、第三の場所での出来事は、第一の場所にも第二の場所にもつながっていくんです。
ギャラリーを運営していると、作品を大切にすることはあたりまえですが、展覧会が終わって作品を返したら終わり。そこにつながりとか対話が充分に生まれていないような気がして、その関係性にちょっと疑問を持っていました。
そこで、モノよりもコトが大切なのではないかと思うようになったんです。作品にアプローチするためにも、もっと作家のことを知りたい。作家がどういう経緯でどういう思いでこの作品を生み出したのかということはもちろん知っているんですけど、もっと深くその作家自身を知ることによって、作品が生み出された背景がさらに深く見えてくるのではないかと思うようになりました。
中田 はい。それが循環ということなんです。
<つづく>
「それ、私がやりますよ」と言える空気
中田 もちろん、「あいうえの」以外のこともたくさんやりました。私はグラフィックデザインもやっているので、とびラボでイベント用のビジュアルをデザインしたこともあります。自分が直接関わっていないプロジェクトに、そういう形で一部だけ参加できることもあるんです。そういう関わり方ができたときに、「とびらプロジェクトには、いろんな扉があるんだな」と感じました。気軽に「それ、私がやりますよ」と言える空気があるんですね。
とびラー3年間のうち、1年目は従来どおりのプロジェクトが実施できましたが、2年目は新型コロナ。3年目は、コロナもちょっとだけおさまってきて、その隙を見ながらイベントが何とか出来たという感じですね。
1年目は、まさに東京都美術館という場をキーワードに、様々なプロジェクトを見てきたわけです。2年目以降、従来と同じやり方ができなくなったときに、そうじゃない別の方法が出てきました。このことで、何かをやるのに、場所に固執する必要はないと思うようになりました。できないこともたくさんありましたが、フェイス・トゥ・フェイスと、オンラインと、その両方をとびラーとして体験できたことはすごいことだったと思っています。コミュニケーションの取り方についての幅が広がったと思います。
中田 今自分が持っているギャラリーという場は、もちろん今後も拠点にしていきます。でも、そこにアクセスできない方もいらっしゃると思うんですよね。身体的にハードルがあったり、高齢だったりとかの理由で。そういう方たちに自分のほうから届けることができるんじゃないかと、今考えています。
中田 そうですね。やはり、ギャラリーの中に作品があって、そこから何かを展開するというのが基本的な形だと思っていました。その場に集まらないとコミュニケーションって難しいんじゃないかと考えていたんです。
でも今は、アートだけではなく、何かをある場所に届けてそこで展開することもできるんじゃないかと思っています。オンラインでもこれだけ豊かなコミュニケーションがとれるわけですから、それを活用することで可能性が広がるんじゃないかと。オンラインイベントや、ワークショップだってオンラインでできるんじゃないかと考えています。もちろん、すでに実践しているアーティストもいらっしゃいます。でも、私はもっともっと対話を中心にしたワークショップの形を模索していきたいと思っています。対話こそが、私がとびらプロジェクトでやってきたことですから。
中田 うーん、後悔はないですね。自分自身のやりたいことを、やり切ったという感じですね。
中田 あ、でも、ひとつだけ。もうちょっといろんなとびラーさんと直接お話したかったな、とは思っています。やはり直接会うことがとても少なかったですから。
私たちは8期で、新型コロナ前に活動を始めています。コロナの影響で活動の形が変わった影響や、お仕事の都合などで、任期満了まで続けられなかった人が結構いらっしゃったみたいです。せっかくとびラーという場でいただいたご縁を生かせなかった。これはすごく寂しいです。でもそんな中で、一緒に活動して一緒に開扉した仲間とは、これからもつながっていきたいと思っています。
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