東京都美術館× 東京藝術大学 「とびらプロジェクト」

INTERVIEW

30

井上 さと子 さん

つねに穏やかに、耳をすませて受け止める10期とびラー

”とびラー”インタビュー
井上 さと子 さん

INTERVIEW

30

井上 さと子 さん

つねに穏やかに、耳をすませて受け止める10期とびラー

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「なんとか、 活動のスタートを」

とびラーになろうと思ったきっかけは何だったのですか。

井上 最初にとびラーを知ったのはSNSでした。
美術館に行くのが好きで、以前からSNSに見た展覧会の記録を投稿していたんです。自分の備忘録として。たしか東京都美術館(以下、都美)の「クリムト展 ウィーンと日本1900」 の時の投稿だったと思うのですが、そこに、「いいね!」してくださった方がいらして。知らないお名前だったので、どんな方なのかなと思ってプロフィールを見に行ったんです。そこでとびラーという存在を知りました。
「何だろう?」と興味を惹かれて調べてみたら、 都美で活動するアート・コミュニケータだと。美術館で活動するという点が特にいいなと思いました。

それで、自分もやってみようと。

井上 そうですね。今いる環境と違うところに自分を置いてみたいな、と思いました。
私は海外でつくった製品を輸入する仕事をしていますが、その前の職場は、モノを作るところでした。職場の環境が変わると、そこにいる人たちの雰囲気も違うということを実感していたんです。で、今度はこのとびらプロジェクトという自分にとってまったく未知の環境に入ってみたら、そこにはどんな人がいてどんな出会いがあるのかなと考えました。
その時は、とびらプロジェクトを知ってから申込締切まで時間がなくて、バタバタと書類をつくってとりあえず応募しました。準備不足でしたね。面接でも思うように話せずに、自分のことをうまく伝えられなくて。「これは落ちたな」と自分でも思いました。
不採用通知を受けて、「やっぱりダメだったか」と、けっこうダメージを受けました。その後も美術館に行くたびにとびラーとかアート・コミュニケーションのことを思い出してしまって、なんかモヤモヤしていたんです。で、もうやめようと思ったんですけど、やっぱりもう一度やってみようと再チャレンジしました。

井上さと子さん画像1

2021年春、待ちに待った活動開始でした。

井上 新型コロナウイルスの影響で、たしか基礎講座)は、初回はリアルに「はじめまして」の顔合わせをしたのですが、その後はZoomで参加したように記憶しています。仕事でオンラインミーティングの経験はあるけど、会社の会議って普通は数人でしょう。それが、パソコンの画面全体に人の顔がワーッと並んでいる(笑)。すごかったです。圧倒されてしまって。「こんなにたくさんの人の中に踏み出すなんて…」と、なんだかこれからの人間関係に不安を抱いたというか、苦手意識を持ってしまいました。
新しいコミュニティづくりの基本を学ぶ6回の講座で、1年目のとびラーは全回必ず参加する。とびラーの活動を支える基礎的な物事の考え方をワークショップ形式で学んでいく。
とびラボ)にも、本当はすぐにでも入って活動したかったんですけど、やはり気後れして、参加する勇気がでなかった。ためらっているうちにもオンラインでのとびラボはどんどん活発になっていく。その様子はメールや掲示板からもわかるんですけど、私はそれを見ているだけ で、ますます「どうしよう」という気持ちになってしまいました。
とびラー同士が自発的に開催するミーティングのこと。新しいプロジェクトの検討と発信が行われる場。
そのうちに基礎講座が終わってしまって。
とびラーの約束として、月2回は何かしらの活動をしましょうということになっています。今までは基礎講座があったからいいけど、これからは自分で月2回の活動を見つけて参加しないといけない。
さてこれからどうしようと悩んでいた時に、オンラインでの「Zoom画面共有練習会」というのが開催されたんです。MuseumStart あいうえの以下、あいうえの)のスタッフが呼びかけていた、オンラインプログラムの準備をする会でした。
上野公園に集まる9つの文化施設が子どもたちのミュージアム・デビューを応援する、東京都美術館と東京藝術大学が推進する連携事業。とびラーは、子どもたちに寄り添い、ミュージアムでの活動を安心して行えるようにサポートします。
コロナ禍の当時は、あいうえのの活動の中で、とびラーとこどもたちがZoomミーティングを使って、画面上で作品をグループ鑑賞していくプログラムがあったんです。プログラムのファシリテータをつとめるとびラーには、Zoomの基本的な操作スキルや、作品画像を参加者に提示する「画面共有」の操作が必須でした。プログラムでファシリテータを担当されるとびラーさんが、Zoomの画面共有の操作に慣れるための練習の会ですが、担当スタッフから「誰でも参加していいですよ」と呼びかけがありました。
私、「これなら、黙って座っているだけでいいんじゃないか」って考えて、あいうえののプログラムにはまだかかわる予定はなかったのに、参加してみたんです。

2回の活動のうち、1回目クリアですね。

井上 はい、何とか。で、あとひとつです(笑)。
とびラボは、立ち上がりから何度もミーティングを重ねて進んでいきますが、すでに始まっていて話が進んでいるラボに途中から入るには、まだちょっと勇気が足りなかったんです。そこで、ちょうど立ち上げの呼びかけがあったラボに参加しました。「対話カフェ」という、ひとつのテーマを設定してそれについてみんなで話しましょうという、一回限りのラボ。それなら参加者みんながはじめてだし、もし合わないと感じても無理に続ける必要ないな、と。
次は、そのラボで一緒だった方が立ち上げたとびラボに参加してみました。「みんなでつくる都美さんぽ」という名前で、言葉の響きが軽やかだったので、「これならいいかな」と。
それが、入ってみたらがっつり建築系のラボで。散歩なんていう軽いものじゃなかった。
参加しているメンバーは、「とびラーによる建築ツアー」でガイドをしている方ばかり。みなさん都美の建築の魅力を隅々まで紹介していきたいという「建築愛」にあふれていて。知識もすごくて建築の専門用語も飛び交うし、私はもう、みなさんが何を言っているかもわからなくて。「これは無理だ」って、早々に遠ざかることを考えはじめました。
ところが、なんとなく参加した2回目のミーティングの時だったかな、ラボに参加しているみんなの連絡先をまとめておこうということになったんです。「ひとまずここにいるみんなで一緒にやろうよ」みたいな雰囲気になって、私もそこに入れていただいちゃったんです。それでもう、「やってみよう」と腹をくくりました。

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<つづく>

「子どもたちとの鑑賞では、いつも『ワーッ』ってなります」

「都美さんぽ」では、どんな活動をしたんですか?

井上 東京都美術館の「とびラーによる建築ツアー」では、ツアーガイドとなるとびラーがお客さんを連れて館内の見どころを歩いて案内していきます。新しく企画した「都美さんぽ」では、案内役となるとびラーが美術館の各所に散らばり、見どころを説明できるポイントで待っていて 、そこに来た人に「この場所は・・・」とお話しするんです。
最初、私はひとりの参加者として「へー」と聞く側でした。それが「運営のサポートをやってくれない?」と誘われ、1年目の終わりには「次も一緒にやろうよ!」と(笑)。いつのまにか都美の建築について伝える魅力にはまってしまった自分がいました。2年目の後半からは「とびラーによる建築ツアー」のガイドもやるようになりました。

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おススメのガイドスポットはどこですか?

井上 東門付近のエリアです。コロナ禍でずっと閉門していたんですが、感染対策が落ち着いた3年目の5月から開門するようになって、ようやく通れるようになったんですよ。
上野公園の木々の間を歩いていると、東門からそのままスッと都美に入っていけるんです。美術館が林の中にあるみたいで、大好きなんです。都美に来るとき、いつもは正門から入るのですが、時間があるときは遠回りして東門から入ることもあるくらい。

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井上 私は、ガイドする時はいつも問いかけからはじめます。「みなさん、この場所に立ってみてどう思いますか?」とか、「設計者の前川國男さんは、どんな気持ちでこの建物を建てたんだと思いますか?」とか。
これ、ガイドの導入トークじゃないんですよ。参加者のみなさんが感じていること、考えていることを、私自身がとっても聞きたいと思っているんです。考えを引き出すという意味では、私のガイドのやり方はファシリテータに近いかもしれません。

なるほど、ファシリテータですか。
美術鑑賞プログラムでも、鑑賞者の言葉を
引きだすファシリテータは重要な役割を果たしますよね。

井上 はい。美術鑑賞のファシリテータを務めることも、最初はとても敷居が高かったんです。絵を見るのは大好きだけど、自由に見ていただけなので、人の鑑賞をファシリテートするなんてとてもとても、対話型鑑賞なんか無理、と思っていました。

今は?

井上 大好きです!特にあいうえのの子どもたちと一緒に作品を見てまわる鑑賞の時間は、もう驚きと感動です。
あいうえのにかかわるようになったのは1年目の後半からです。これまで自分の生活の中で、子どもに接する機会はなかったんですが、本当に楽しかった。
子どもってすごいんですよ。こちらが想像もしていない言葉を返してくれます。私たちは鑑賞のサポートに入る前に、当日の鑑賞作品を見て研究をします。どんな意見がでるかな、どんなところを見てくれるかな、など、事前に想像します。でも実際に一緒に鑑賞してみると、子どもたちは私が事前に想像していたのとはまったく違うことを言ってくるんです。こちらは「ああ、それは気づかなかった!」の連続。毎回毎回、嬉しくて「ワーッ!」ってなっていました。
とびラー3年目だったかな、幼稚園の子どもたちと彫刻作品を見たんです。オオカミがいて、横にいる人間ではなくて、遠くを見ているという構図でした。それを見た子のひとりが「このオオカミ、寂しいんだね。誰のことも見ていないよ」と言ったんです。ね、「寂しい」ですよ。視線の方向からオオカミの感情を読み解くなんて、すごくないですか?

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まるでオオカミの気持ちになっているみたいですね。

井上 こんなこともありました。プログラムでグループ鑑賞する作品は事前に決まっているのですが、ある時、そのなかに裸体の彫刻作品が含まれていました。実は「子どもたちきっと、『オッパイ』『お尻』とか言って盛り上がっちゃうんだろうな」と考えていたんです。当日は、「うーん、この作品は、ちょっとどうしようかな」などと迷いながら、幼稚園の子たちを連れて作品の前まで行きました。
大理石の裸体像のなめらかな表面に光が当たって、ピカピカ光っていました。その様子を見たある子が、「肩が濡れているね。きっとお風呂から出たばかりなんだね」と。表面の光沢をしっかり観察して水を連想し、そこからさらに、お風呂上りというシチュエーションにまで想像を広げているんです。
もう、こんな言葉を聞いたら、ファシリテータやめられませんよね。もっともっと子どもたちの声を聞きたいと思いました。だから、3年目には鑑賞のファシリテータをたくさんやりました。

3年前、踏み出すのをためらっていた井上さんとは、
まるで別の人みたいですね。

井上 ほんとにそうですね。
最初はじっと座って聞いているだけだったけど、徐々に中に入っていって、とびラボにも参加していって、とびラーのみなさんと話す機会が増えました。すると、人って面白いな、もっとお話ししたいなと思うようになっていき、次の活動にも参加したくなります。
アートスタディルームで、子どもと大人が楽しそうに話しながら一緒に活動している様子を見ていて、「すごい幸せだなあ」としみじみ感じていました。

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井上 それと、みんなと一緒に何かをやることの楽しさもわかってきました。複数の人間でプロジェクトを進めているともちろん意見の対立やしんどい時もありますから、その場合は話し合って、考えて解決していくことになります。一人でやっても、何らかの結果は出て、頂上には登れるかもしれない。でも、誰かと一緒にやった場合では、同じ頂上でも見えるものが違うと思いました。一人で感じる幸せには限度があるけど、みんなで登った頂上から見る景色は格別でした。

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<つづく>

「『伝えたい』と『聞きたい』がイコールになれば」

いよいよ開扉ですが、
やり残したと思っていることはありますか。

井上 いっぱいありますよ。子どもたちとは対話の時間をたくさん持つことができましたが、たとえばシニアの方とか、もっともっといろんな年代の方々のお話を聞きたかったです。
これからは、開扉とびラーの方が主宰する団体で活動しようと思っています。子どもたちはもちろん、教師を目指す学生さんたちと一緒に、作品を鑑賞していくつもりです。

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こんなことをしてみたい、ということはありますか。

井上 そうですね。やっぱりもっと聞きたい、かな。
人はそれぞれいろんな体験をしていて、何かしらのことを、自分の周りの人に伝えたいと思っていますよね。そこに「聞きたい」人がいて、「伝えたい」ベクトルと「聞きたい」ベクトルがイコールになったら、素敵じゃないですか?
とびらプロジェクトにかかわったこの3年間、アートスタディルームにいる誰かと話して、誰かの話を聞くという、「伝える」と「聞く」がイコールな時間を持つことができました。で、毎回、「ああ今日も来てよかったな」と思いながら帰っていたんです。「幸せ」っていうのとはちょっと違うかな、「来る前よりも、今の私はすこしテンションあがってるな」くらいの感じでしょうか。
こういう、自分が体験できたことを誰かと共有できればいいなと思っています。

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井上 それともうひとつ、子どもたちが何を言ってきても大丈夫な大人でいたい、という目標ができました。

何を言っても大丈夫な大人?

井上 あいうえので子どもたちと接する中で気づいたことなんですが、子どもって「正解」を探すというか、周りの大人たちがどう思うかを探りながら会話していますよね。
でも私は、そんなことを気にせずに思ったとおりのことを何でも話してもらいたい。だから、子どもたちに、「この人には思ったことをそのまま言っていいんだ」「この人は、自分が何を言っても受け止めてくれそうだ」と安心してほしい。何でも話してもらえるような存在になりたいんです。
これはとびらプロジェクトで、私自身が感じたことです。同期のとびラーはもちろん、2年目、3年目、あるいは開扉とびラーも、そしてプロジェクトスタッフのみなさんも、「何を言っても大丈夫な大人」として私に接してくれました。だから私も、安心して、思ったことを言ってきました。
自分から心の扉を開けば、きっとたくさんの人が受け入れてくれます。3年前の私は、なんだか人って苦手だな、ここで大丈夫かなと思っていました。自分が心の扉を閉じていたんですね。
今から思うとそれは本当にもったいなかった。今は、人に恵まれていた自分に気づきました。これは、かけがえのない時間をとびらプロジェクトで過ごした私の、大きな変化ですね。

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インタビュー日時:2024321
聞き手・文:只木良枝
撮影:中川正子、とびらプロジェクト

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