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世代交代で受け継いだ「絵」と向き合うプロジェクトマネジャー
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世代交代で受け継いだ「絵」と向き合うプロジェクトマネジャー
「この場所で、自分のモヤモヤに向き合ってみよう」
小牟田 小学生の頃から油絵を描いていて、高校でも美術部、自然に美大に進みました。大学在学中から創作活動を続けて初めての個展を開催した頃、2013年に瀬戸内国際芸術祭の犬島「家プロジェクト」に作品を設置することになりました。今から思うと、それがとびらプロジェクトにつながっていたのかもしれません。
犬島 家プロジェクトI邸 2013年〜2017年 手前:REVERSE 奥:Plane_mirror 撮影:表 恒匡
小牟田 次回の芸術祭開催(2016年)まで3年間展示されるセミパーマネント作品だったんですが、メンテナンスが必要で、何度も現地に通ったんです。
それまでは、自分の作品は誰かに購入されて世界のどこかに旅立っていくものだと思っていました。ところがこの作品は同じ場所にいつでも待っていて、設営期間中から継続的に関わることになりました。すると、そこに通う間に顔なじみになった猫が作品の一部であるミラーに写り込もうと寄って来たり、近所のお年寄りと挨拶を交わすようになったりするわけです。「お兄ちゃん、また来たんか」「がんばりや」とか。仲良くなってくると、「これいったい何?」「何が面白いの?」とか言われる。
小牟田 この人に作品を理解してもらうには、何をどう話したらいいのかと。「これはまるでストリートファイトだな」と思いました。
犬島 家プロジェクトI邸 2013年〜2017年 Plane_mirror(作品部分) 撮影:表 恒匡
小牟田 この場合はファイトじゃなくて、ストリートコミュニケーション、ですけどね。
学生時代からギャラリーで働いていたこともあって、自分ではそれなりに社会と接点があるほうだと思っていたんです。でも、ギャラリーのお客さんはアートに興味を持っている人たち。ところが島では、僕が持っているアートの知識や常識がまったく通じない相手と話すことになります。説明したり、語り合ったり。そのうちに「アートのことはようわからんけど、なんかこれ好きやな」と言われたり。
そういうナマのアートを介したコミュニケーションを体験したことで、自分の作品とそれが置かれた社会との関係性を強く意識するようになりました。
その後2019年から2021年まで、上野公園とその周辺地域を舞台にソ-シャルインクルージョン(社会的包摂)をテーマにした社会的包摂文化芸術創造発信拠点形成プロジェクトUENOYES(ウエノイエス)にかかわりました。
小牟田 アーティストは「みんなに作品を見てもらいたい」と言うし、見に来てもらえると思っている。けれども、実際の社会では、「いつも見に来てくれるみんな」の外側にもたくさんの人がいますよね。それこそ、上野に来ようなんて全然思ってもいない人も。社会は広く、そこにはさまざまな生き方があるということを実感しました。
UENOYESでプロジェクトの一連の流れを経験し、シンポジウムやイベントの開催、場づくりを経験して、モノではなくコトをつくる視点を学びました。豊かな時間がたくさん生まれましたが、一方で、事業には終わりがきます。繋がった関係性や、その時共有した時間は、「その後」が続きにくい。続けていくためのスキームまで設計できていませんでした。
物質を使って作りだされたモノと違って、コトとして生まれた1回ずつの経験や関係性を、“目にみえるもの”として他の人と実感を持って共有したり、その経験の良さを広めたりすることって難しいんです。価値を作り出した後に、それを伝えていくこと自体を考えないといけない、ということに直面しました。そんな想いを漠然と抱えていたところに、とびらプロジェクトに携わるようになりました。
小牟田 はい。最初は「ちょっと荷が重いな」と思ったんです。というのも、プロジェクト発足から10年が経ち、関わる人もたくさん輩出している「しっかりと実績のある取り組み」というイメージで、ここに、これから自分がどう関われるのか。マネジャーとして引っ張っていける自信はありませんでした。
ところが前任の藝大のマネジャー伊藤達矢さんに、「作品制作と一緒で、自分が関わりたいと思うカタチ、面白いと思うコトにしていったらいいんだよ」と言ってもらって。ならばこの場所で、自分がコトとしてのプロジェクトに抱いていたモヤモヤに向き合って取り組んでみよう、という気になりました。同時に、アーティストである自分の表現活動にとっても重要な起点になりそうだと思いました。
撮影:久保田 夢加
<つづく>
「みんなとフラットにつくっていこう」
小牟田 とびらプロジェクトは、東京都美術館の学芸員と東京藝術大学の教員と市民が一緒に取り組んでいます。それが2022年4月、都美と藝大のプロジェクトチームが大幅に入れ替わったんです。とびらプロジェクト自体も、2020年からの新型コロナ禍を経て講座内容や活動の進め方など様々なことが変わりつつあり、さらに2021年には「Creative Ageing ずっとび(※)」という新しい事業を立ち上げたばかりでした。
※歳を重ねても「ずっと」通いたくなる美術館を目指し、シニア世代を対象に参加型のプログラムを企画するプロジェクト。(https://www.zuttobi.com/)
小牟田 はい。都美のマネジャーになったばかりの熊谷香寿美さんとも何度も話し合い、「我々がとびらプロジェクトを強く引っ張るのではなく、みんなとフラットにつくっていこう」と確認しました。
3年の任期を満了したアートコミュニケータを送り出す開扉式の様子 撮影:とびらプロジェクト
小牟田 そうです。フラットな立場で、そこに居合わせる人がすべて、人と人が社会を築く上で基本的な「きく・みる・はなす」を大切に、対話を重ねて進めていく。とびらプロジェクトでとびラーに伝えているやり方と同じです。とびらプロジェクトが今までそれを積み重ねてきたのだから、これから新体制で運営を進める上でも、きっと同じやり方で答えが出せるはずだと。
スタッフみんなでミーティングをたくさんやりました。春から夏にかけて、毎日のように膝を突き合わせて。出張先からオンラインで入ることもありました。本当にたくさん意見を交わしました。
とびらプロジェクトやMuseum Startあいうえのに携わるスタッフは、プロジェクト初期から関わってきた人やとびラーとして活動してきた人も多い。一緒に活動するとびラーも2年目、3年目の人のほうが多かった。僕は明らかに「とびらプロジェクトについて一番知らない人」でした。
小牟田 10年以上続いたプロジェクトだから、スタッフは継承の責任を感じているはず。そこに新しいマネジャーがやってきた。「これまで関わったことのない新しい人が入っても大丈夫なの?」「私たちの大切なとびらプロジェクトはどうなるんだ」と思ったのではないでしょうか。逆の立場ならきっとそう感じます。
その状況を、僕は「面白いな」と受け入れようと思ったんです。そこで、「ヨソモノ・バカモノ・ワカモノ」になることにしました。ま、ワカモノの年齢だったかはともかくとして(笑)。
とびらプロジェクトフォーラム2024 「ミュージアムと偶察力」 撮影:とびらプロジェクト
小牟田 はい。スタッフがいるプロジェクトルームでは「とびラボ」「この指とまれ式」などの用語があたりまえに飛び交いますし、「社会」とか「ワークショップ」という言葉も、一般的に使われている文脈と、とびらプロジェクトで使われている意図が違っていることがあります。その言葉ひとつひとつの意味を確認しないと、後で大きな認識のずれが生まれたりします。
僕が「それって何?」「どういう意味?」と話の流れを止めて聞くたびに、スタッフは嫌な顔もせず丁寧に言葉にしてくれました。そこで本質的に大事にしていること、これから初めてプロジェクトに参加するアート・コミュニケータたちに伝える方法をみんなで考えることが出来ました。
そうやって話しているうちに、他のスタッフの考え方やアイデアが、自分の脳内にも入ってくる。脳みそがブレンドされていく感じがしました。相手が何を考えているかがだんだんわかってくる。このプロジェクトで大事にしたい「共通のものさし」ができてくる。ミーティングを通じて、プロジェクトを語る言葉そのものを一つ一つ確認できたような気がします。
たとえて言えば、ずっと使ってきたお道具箱を一回開けてみて、中の道具をひとつずつ取り出して、「これ大事だよね」「これよく使うやつだから磨いておこう」と確認して手入れして、箱の中に戻していくような、そんな作業でした。
時間はかかりましたが、スタッフの間の信頼も深まったと思っています。さまざまな価値観を持った人がフラットに集うために「とびらプロジェクト」が大切にしているやり方は、やっぱり有効なんだと感じました。
小牟田 僕は、自分がとびらプロジェクトという大きな船に、社会的ステータスによらない、普段の自分自身で乗っているひとりの人だと思うようにしています。物事にあたるときは、アーティストでも藝大職員でもない、一人の人として、その事にいま自分はどう感じるか、心地よいかどうか、違和感はないかという自分の感覚を大事にしたい。もちろん立場上の責任はあるし、ジャッジをしなきゃいけないことはありますけれど。
実は、このプロジェクトに関わって初めて、大人として社会に関わる人であることを意識したんです。
基礎講座 第1回「全員集合」 (2024年) 撮影:とびらプロジェクト
小牟田 恥ずかしい話ですが、それまでアーティストとして生きてきて、一般的な就職活動をしてこなかったし、社会的な通過儀礼のようなものを知らず知らずのうちに、いくつか飛ばして年をとってきたようなところがあります。世間知らずなところがあることを感じてはいました。「人は社会を構成している一人の人間である。」ということをこれまで意識したことがなかったことに気づいたんです。今やっと向き合うことが出来て、ようやく“社会人”になりはじめています(笑)
ソーシャルデザインプロジェクトは世の中にたくさんありますが、とびらプロジェクトだからよかった。カリスマ的なリーダー像を求められていたとしたら、やっぱり僕には荷が重かったと思います。
いつか次のマネジャーに交代する時が来ると思いますが、その人がどっぷりとここに関わる気持ちさえ持っていてくれるなら、その人らしいやり方で気負いなくやってもらえるような場であり続けたい。ポジティブな意味で汎用性のある様々な場所で実践できるプロジェクト運営の環境を考えていきたい。それが、とびらプロジェクトの価値がたくさんの人に届くことにもつながると思っています。
<つづく>
「行き来する人」
小牟田 3年、とびラーさんなら開扉する年ですね。
とびラーから、「Museum Start あいうえのの活動で子どもと一緒に作品を鑑賞して、子どもと対話しているうちに自分の見方が変わった」などの話を聞くと、本当に嬉しくなります。人と人がつながることによって、他のものが見えてくる、変われる。そういうことが、これからも起こっていってほしいと思います。
Museum Startあいうえの 2022年 美術館でやさしい日本語プログラム「わたしの線をみつけよう」 撮影:中島佑輔
小牟田 それと、任期満了したとびラーから「今こんなことやってるんですよ」「とびラーの仲間とこんな団体を立ち上げました」などのお話をよく聞きます。とびラーの活動が外に飛び出して、別の場所でも根付いている。これはやっぱりすごいことだなと思います。
フラットな対話、「この指とまれ」して3人以上でラボをつくる、そこに居合わせる人がすべて式、解散設定、グッドミーティングなどの、コミュニケーションの基本的となるしくみによってプロジェクトは回っています。人類が車輪というシンプルな構造のものを様々な形で活用しているように、とびらプロジェクトは基本的な仕組みを繰り返し、活動の価値を遠くへ届けています。そして常に「きく・みる・はなす」というコミュニケーションの基本である3つのことを常に吟味しながらやっています。このプロセスを大切にしていることがとびらプロジェクトの文化だと言ってもいいかもしれません。
そのとびらプロジェクトという大きな絵を、今まで関わってきたたくさんの人たちが描いてきた。僕は今それを受け継いでその前に立って、ちょっと下がって絵の全体を眺めて、「あ、あそこ、もっと見たい。くわしく描きたいな」と思ったところに、筆を加えていくような感じでしょうか。
小牟田 今、日本の各地でアートを介してコミュニティを育む活動が立ち上がっています(※)。だからとびらプロジェクトについて説明を求められる機会も多いのですが、話しながらたまに「危ないな」と自省することもあります。
(※)https://tobira-project.info/news/acl2024.html
愛媛県×東京藝術大学「art venture ehime」ひめラー向け基礎講座6回目の様子。 写真提供:アートベンチャーエヒメ
小牟田 ついつい良いころを伝えようとして、とびらプロジェクトのやり方が「正解」であるかのように話してしまうんです。
アート・コミュニティを展開する事業は、同じやり方でどこにでも適応する「汎用性」と相入れないところがあります。
「とびらプロジェクトと同じことをやりたい」と言われても、マニュアルを渡して「はい、この通りにやったらいいですよ」というわけにはいかない。なぜなら、アート・コミュニティは、人と人、人ともの、人と場所を繋ぎ、そこに生まれる「経験」を作り出しています。自分以外の相手があって成り立つことです。そのため、一つ一つ相手やその場所の文化資源に合わせて、ゼロからつくることになります。その土地の歴史・文化、社会課題、自治体やその土地の環境などの関係などによって、アート・コミュニケーションのあり方も違ってくる。そこにオリジナリティや固有の面白さが生まれるはずです。
そういうことを忘れないようにして、各地のアート・コミュニティをつくろうとする活動に求められれば、とびらプロジェクトでやっていることを伝え、一緒にその場所でできることを考えたい。人々の中にアート・コミュニティによって生まれる価値を見えるようにしたい。それが、未来に続く普遍的な価値を考えることにつながると思っています。
小牟田 まずは、2021年に始動した事業「Creative Ageing ずっとび」を育てることです。
超高齢社会に入った日本で、クリエイティブな歳の重ね方を考えるプロジェクトです。医療分野の方たちと協働して、新しいアート・コミュニケーションの価値や体験をつくっていきます。美術館は健康にも良い働きがあるという事例になると思います。高齢者だけでなく、今は若く、健康な人も一緒にこれからの将来を考えていくことがプロジェクトの魅力です。
ずっとび鑑賞会(2023) 作品 児島虎次郎 《漁夫》, キャンバス/油彩, 1905年, 東京藝術大学蔵 撮影:中島佑輔
小牟田 もうひとつ、藝大生にとびらプロジェクトの関わり方を開きたいと思っています。今も藝大生インタビューがありますが、もっととびラーの活動に深く関わってほしい。とびラー対象の実践講座も藝大生に開いているので、受講する学生が増えていってほしいです。
藝大生との関わりでいうと、すべてのこどもたちとその保護者のミュージアムデビューを応援している「Museum Startあいうえの」 では、様々な家庭状況にあるこどもたちや多様な文化背景を持つこどもたちがミュージアムを楽しむためのプログラム「ダイバーシティプログラム」で、認定NPO法人キッズドアさんと連携し、キッズドアが支援する学習会に通うこどもたちと、とびラーが一緒に藝大の卒業・修了作品展に行きました。藝大生には作品の前で制作の話や学生生活について話をしてもらったのですが、大学という進路に進んだ少し年上の先輩から直接話を聞けたキッズドアのこどもにとっての良い時間になっただけでなく、藝大生も「大学を志望した理由や、なぜ作ってるのかなど率直な質問を受けて、自分の制作活動を振り返ることができた」といったような感想をたくさん聞かせてくれました。お互いに刺激を受け合う時間が生まれたんです。
子ども達の前で作品を説明する藝大生 Museum Start あいうえの ミュージアム・トリップ 2023
撮影:とびらプロジェクト
小牟田 さまざまな社会課題について高い関心と問題意識を持っている藝大生も多いです。ただ、自分自身がそうだったのですが、学生の時はやはり目の前の自分の世界を深めることに精一杯です。そこで集中し前に向かっているうちはいいのですが、息苦しくなってしまうこともある。そんな時に「とびらプロジェクト」や「Museum Startあいうえの」や「Creative Ageing ずっとび」を通して、社会と繋がりのあるとびラーや、美術館に来館するさまざまな状況や環境、また自分とは違った価値観を持った人たちと出会ってほしい。
出会ってしまったら、きっと目の前の世界は広がるはず。新しい関心が生まれるかもしれません。また、自分の作品が他者に受け入れられる「受容の瞬間」に立ち会うことは、作品制作にも影響するのではないでしょうか。
撮影:久保田 夢加
小牟田 うーん、正直足りません。最初の頃は、とびらプロジェクトの時間、作品制作の時間、家族との時間を切り分けて共存させようと考えました。それぞれの時間を集中して充実させようと。ところが、作品制作はやりはじめたら終われないし、もともと几帳面じゃないので、うまく切り分けることができなかったんです。
で、今は、全部同時に進行しているような感じです。
そうすることで、とびらプロジェクトでの経験が自分の活動に影響を与えています。鑑賞して感じたことを言語化してみたら、子どもとおしゃべりする時間が豊かになったり、複数人で協働する作品制作でこれまでと違うプロセスで進めることができたり。ろう文化を知ることで言語と文化の関係に関心が湧いたり、目が見えない人と作品をみることで、触覚で知覚すること「みること」自体を捉え直しています。
これまでより制作のリサーチの分野が広がって、すべてが自分の中で影響しあっています。いろんなものが同時に動いている。だから今は、24時間とびらプロジェクト、24時間作品制作、24時間父、ですね。
以前、小牟田という苗字をComutaと表記していたことがあります。その頃、ある教授に作品のポートフォリオを見せたら「君はコミュータ(commuter)だね」と言われました。2つ以上の所を「行き来する人」なんだとその後もなんとなく頭の隅に残っていて、これまでの自分のやってきたことを考える時に思い出します。
人の間を行き来して、時間を行き来して、作家とプロジェクトマネジャーとの間を行き来している……。そんな感じで自分の感覚に正直にいけたらいいですね。
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