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自分にとってのコミュニケーションを探求する研究者
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自分にとってのコミュニケーションを探求する研究者
「頭のなかに、活動イメージが芽生えた」
木下 2018年、東京都美術館の「BENTO おべんとう展―食べる・集う・つながるデザイン」展です。会場にはお揃いの肩掛けバッグをつけている人たちがいらっしゃって、展示について筆談で教えていただいたことがあるのです。後になって、それが「とびラー」の一人だったと知りました。 彼らは、展覧会ファシリテーターとして鑑賞者と会話したり、プログラムのサポートをしたりしていました。それが「とびラー」との最初の出会いでした。
「BENTO おべんとう展―食べる・集う・つながるデザイン」展(会期:2018/7/21~10/8)で活動する
展覧会ファシリテータ「フロシキー」(撮影:中島祐輔)
その後、2019年にエイブル・アート・ジャパンが主催していたプロジェクトで、当時のとびらプロジェクトマネジャーだった稲庭彩和子さんに出会いまして、とびらプロジェクトのスタッフルームに少し顔を出して、スタッフの方たちと話をするようになりました。とびラーの中にろう者・難聴者がいることもそのときに知ったと思います。
わたしは歴史学者で、ろう者です。特に近代の身体障害者の歴史が専門です。ここ10年ほどの間は身体障害者の身体がどのように作られていくのかを検討してきました。たとえば、盲人が使う点字がありますが、なぜ「点字」と呼ばれるようになったのか、手話でいう指文字(五十音それぞれを手指で表現すること)が日本においてどのように理解されていったのかという観点で論文を書いています。
さらに2019年11月から「手話マップ」という団体を立ち上げ、ミュージアムなどの文化施設で手話や文字情報などの情報アクセシビリティを高めるための支援をはじめました。また、鑑賞と対話をテーマにした活動を開催しています。これらに関連して『美術手帖』で論考を書いたこともあります。
木下 2019年の夏、イギリスのロンドンで、ミュージアムのイギリス手話ツアーに参加したことがきっかけです。
このツアーはろう者がガイドをつとめています。テート(Tate:イギリス政府のコレクションを管理する組織)が主催したプログラムでガイドのトレーニングをみっちり受けて、ミュージアムで活動しているのです。彼らはボランティアではなく、ミュージアムから報酬を受けています。手話で展覧会の作品を解説するスタイルで、多くの人が参加し、質問も活発に出ていました。ツアーの後にはお茶する時間もあり、ろう者たちが感想を話し合っていました。
ツアーはそのミュージアムの事業なので、ミュージアムのスタッフと手話通訳者もツアーの後ろの方にいたんですね。手話通訳者がガイドや参加者のイギリス手話を読みとってミュージアムのスタッフに音声言語に通訳しているのですが、たまたま会場に居合わせた聴者(耳の聞こえる人)たちも音声を聞いて飛び込みで参加している様子をみたこともあります。つまり、イギリス手話によるガイドに、手話を解さない人が参加できる環境もあるわけです。
このツアーは、ロンドン市内全体でおおよそ毎週1回の頻度で実施されていて、そこにろう者や難聴者のみなさんが参加していました。わたしはこうしたプログラムのあり方に衝撃を受けました。
日本では、ろう者や難聴者が美術館で活動できるよう、中・長期的なプログラムで専門的なガイドのトレーニングを受ける機会はほとんどありません。美術館ではろう者や手話のできる聴者がガイドをする例もありますが、ボランティアとしての活動としてが多く、報酬の発生する仕事として行なっている例は限られるのではないでしょうか。こうしたところにイギリスと日本の大きな違いを感じます。
それに、美術館というのは公共の場ですよね。そこにはいろんな人が作品について語り合っていて、その様子を聞くこともできるでしょう。でも、耳の聞こえない人が友達と一緒に作品を見て、感想を語りあうことはあっても、周囲の人たちが何を感じたのか、その雰囲気が実感される機会は少ない。
ワークショップやプログラムがあっても、情報アクセシビリティが拡充していないと他の参加者と交流する機会をもつことも難しいでしょう。自分や他者の考えを共有する場所が美術館の中にないということです。美術館は公共の場でありながら、当事者は参加できないのです。つまり、耳が聞こえない・聞こえにくいということは孤独の問題でもあることが表れているのです。こうした状況について、何か方法を考えられないだろうかと思ったのです。
そのために立ち上げたのが手話マップです。ウェブサイトには各地の手話のあるイベントや字幕のあるイベントなどの情報を集約して掲載しています。また、手話と日本語で対話型鑑賞をする「シュワー・シュワー・アワーズ」というプログラムを北海道、千葉、神奈川、東京、京都などにある美術館で実施しています。そのほか、美術館からアクセシビリティに関する相談を受けていますし、手話のある動画の制作もしています。
手話マップを立ち上げてすぐ、稲庭さんにろう者の美術鑑賞をテーマにしたイベントを一緒にやりましょうと相談しました。でも、わたし自身はその時はとびラーではなかったですし、直後から新型コロナウイルス感染症が流行しはじめてしまい、企画を進めるには至りませんでした。
木下 はい。最初はとびラーになりたいという気持ちはなかったです。
木下 そうですね。わたしがとびらプロジェクトに応募したのは新型コロナウイルス感染症の流行が落ち着いた2022年ですが、それには2つの理由があります。
まず社会的な理由ですが、手話マップの活動を進める上で、教育普及の学芸員として多くのワークショップの経験のある大学教員から指導を受け、シュワー・シュワー・アワーズを作ってきましたが、もっと鑑賞と対話について勉強して、自分自身の知識・技術を高めていきたいと考えていました。そこで、とびらプロジェクトに関心を寄せるようになったのです。とびらプロジェクトで勉強しなおして、手話マップでの鑑賞プログラムをよりよくするなど、引き出しを増やしたい。また、ろう者やマイノリティをめぐるコミュニティづくりに関わってみたいと考えました。とびラーの活動のイメージがわたしの頭の中に芽生えてきて、応募してみようと思ったのです。
個人的な理由としては、わたしにとって大切な出来事についてお話しする必要があります。わたしが「戒(いましめ)」と呼んでいる冊子があります。
木下 強い言葉ですよね。とびラーに応募する10年前のことですが、2年付き合っていた女性と別れました。
なぜ、わたしたちはうまくいかなかったのか。一言でいえば、彼女を尊重することができず、寄り添えていなかったからです。それで、なぜ彼女に寄り添えなかったのか、気持ちを通わすことができなかったのか、その原因を考えました。それを、「発話しやすい環境を意識する」「対話とはお互いの尊重と会話が成立していること」「相手の思考と声を待つ」など、13の項目からなる「戒」としてまとめたのです。
木下 彼女は手話があまりできなかったので、わたしたちのコミュニケーションは口話か筆談のどちらかでした。口話は、相手の唇の動きで会話の内容を読み取り、わたしが言いたいことは声に出して伝えるという方法です。ただ、声を出して話すというのは、わたしにとっては難しいことです。それに、彼女が口で話したことをうまく読み取れなくて、紙に書いてとお願いすることもよくありました。結果的に、彼女とのコミュニケーションは円滑だったとはいえませんでした。
別れた時に「わたしに、あまり話したいことを話させてくれないよね」と筆談で言われたとき、わたしは彼女の話を丁寧に聞くことがまったくできていなかったことに気づいたのです。
それでまず、ろう者にとってコミュニケーションとは何か、なぜ社会のなかでろう者が声を出すことを求められるのだろうかというところから考えるようになりました。当事者にとって手話か口話かということではなく、もっと根本的な、他者と気持ちを交わすための方法や環境への問いです。この問いは、明治時代にろう者が発音できる方法について取り組んでいた伊沢修二という人物について調査して、『伊沢修二と台湾』という本をまとめるきっかけにもなりました。
木下 そういったことに取り組んでいるうちに、「わたしに、あまり話したいことを話させてくれないよね」という彼女の言葉を受けて、人と話ができるようになるには何が必要なのか考えられるようになりたい、と思うようになりました。
とびらプロジェクトは、18歳から70代までの広い年代の人々がいらっしゃって、相手を尊重して、対等な関係をつくり、思ったことを自由に話し合える場のように思いました。それは、シュワー・シュワー・アワーズが目指している環境でもあります。もし、わたしがとびらプロジェクトに参加することができたなら、「自分にとってのコミュニケーション」を目指せるのではないかと考えたんですね。
<つづく>
「聞こえない」ってどういうこと?
木下 同期のとびラーには、わたしを含めて聞こえない・聞こえにくい人が3人いました。初対面で、少しずつ交流を深めてきました。
基礎講座や実践講座では、手話通訳や文字通訳がありました。手話通訳や文字通訳は基本的に講師の話していることがワンテンポ遅れる形で表出されます。なので、講師がスライドの特定の部分を指さして話すと、通訳の内容が伝わるころには講師が別のところを指さしているような、身振りと発話のずれがあります。また、スライドが映像で講師がそれを見ながら話すと、映像と手話を同時に見ることが求められます。場合によっては言いたいことが理解しづらい。こうしたことが十分に共有されていないという気づきもありました。これらひとつひとつを、スタッフやとびラーに伝えて、一緒に考えていきました。
2022年 鑑賞実践講座にてグループで作品を鑑賞している様子(撮影:とびらプロジェクトスタッフ)
木下 そうですね、あるとびラボに参加した時のことですが、皆さんでUDトーク(音声認識による文字化アプリ)を使っていたのですが、その運用に疑問を感じたのです。
UDトークを使えば発言者の声が文字になりますが、誤認識も少なくなく、間違ったことが表示されることもよくあります。それを発言した本人や周りの皆さんが画面で確認と修正をしなかったので誤認識された文章がそのままになってしまっていました。それに、音声認識は基本的にワンテンポ遅れて表示されるので、わたしが会話に参加するには音声認識の結果が画面に表示されるまで待つなどの工夫が必要です。それが十分でなく、わたしから言いたいことを伝えることができなかったのです。その場にいるのに、放置されているように感じました。ラボのあと、掲示板にそのことを書き込んで、疑問を伝えました。
木下 そういうこともあって、プロジェクトマネジャーの小牟田悠介さんと「みんな、ろう者や難聴者が、実際にどんな聞こえの状態なのか、どんな時にどのように困っているのかを知らない。知るきっかけがあったほうがいいね」と話しあいました。小牟田さんの提案もあって、聞こえない・聞こえにくい3人で「きこえってなんだろう」というとびラボを立ち上げました。UDトークの必要性とその使い方といった具体的なことを教えるのではなく、まずそもそも「聞こえない・聞こえにくい」とはどういうことかを相談して伝えました。同じ「聞こえない」でも、聞こえ方は違いますし、コミュニケーションの方法も違います。このことを共有しつつ、それぞれ必要な情報アクセシビリティについて話しました。これは、次の年にもその次にもやりました。
自分の聞こえの状態やコミュニケーションの仕方について他のとびラーに伝える木下さん
とびラボ「きこえってなんだろう」にて(撮影:とびらプロジェクトスタッフ)
木下 大きく変わったというわけではありませんが、UDトークを使う人、紙で筆談する人、スマホのメモアプリを使う人、ゆっくり話す人、身振りを加えて短めのセンテンスで話す人、表情を大きく使う人など、それぞれの方法で話されるようになりました。文字情報を表すやり方や身体表現を柔軟に使われる方がいらっしゃいました。
いろいろとやっているうちに、世代や人によって、コミュニケーション方法は違うのだということがわかってきました。考えてみれば当然のようですが、それを実感する機会はなかなかありません。わたしがコミュニケーションの方法を決めるのではなく、相手が選びたい方法に合わせてみる。試しにやってみて相手がやりづらいようなら変えてみる、ということが必要だと感じました。この経験は、とびらプロジェクトで得た大きな財産だと思います。
「芸術未来研究場展」(2024年 東京藝術大学 大学美術館)で行われた「とびらフェス」でとびラボを紹介する木下さん
(撮影:とびらプロジェクトスタッフ)
木下 そうですね。とびらプロジェクトに来て、「雑談」がもっとできるようになったような気がします。
雑談って、どんな方法でもいいんです。わたしは筋トレをしているんですが、あるとびラーと一緒になったときに「昨日筋トレして、肩が痛い」と伝えたかったんです。彼は、手話はまったくできません。でも、トレーニングの身振りをした後に肩を抑えて顔をしかめると、筋トレで肩が痛いんだなということが彼に伝わったんですね。
その意味では、だいたい伝わればいいようなことを気軽に雑談できる雰囲気が、とびらプロジェクトの中にはあります。みんな1年目の基礎講座で、西村佳哲さんの「きく力」や青木将幸さんの「グッドミーティング」などのコミュニケーション方法を学んだというベースがあるので、柔軟性が生まれているのだと思います。
模造紙を使って筆談で会話をしている様子(撮影:とびラー)
木下 とびラボには、いろんな人が集まり、意見を言い合っていました。
たとえば、マネージャーの小牟田さん・熊谷香寿美さんととびラーでお互いのことを知り合おうというとびラボをしたことがあるのですが、どんな内容にするか、タイムスケジュールはどうするか、お互いを知るためにはどうしたらいいかなど、時間をかけて話をしました。とびラーひとりひとりの人生経験や価値観、立場も違います。でもお互いの話を聞く、その人が言いたいことを話せるような場をつくることが前提です。相手が言いたいことを話すことのできる環境はどういうものなのかということから考えることが対話の基本なんだと思います。立っているか座っているか、その場所はうるさくないか、明るすぎないか暗くないか、ひいてはその人が活動している場所に自分がいないことも含めて考えることです。
わたしは、自身の考えを提案し、引っ張っていくタイプだと思います。でも、何でも話しあって進めていくとびらプロジェクトではそのやり方は通用しません。自分が立ち上げたとびラボやイベントでも、例えば司会にほかの人が立候補すればお願いして、わたしは聞こえない人にもやり取りが伝わる仕組みづくりなど裏方をやりました。その人が活動している、その場所にいられると感じられる環境とは何かと考えながら。
自分で引っ張ることの面白さはあるんですが、逆に誰かにお任せするのもいいんじゃないか。今は、そのほうが面白いかなと思っています。
木下さんと全盲のとびラーのニックネームを合わせて名付けた「ともブラコラボ」のとびラボミーティングの様子
見えない人と聞こえない人がコラボすることで生まれるコミュニケーションについて考えた(撮影:とびラー)
木下 コミュニケーションがうまくいったかはともかく、充実していました。
わたしがとびらプロジェクトで活動するとき、コミュニケーションの方法を考えることはセットになっていたので、別れた彼女のことを思い出すことがありました。自分本位で彼女の話をきかない、口話や筆談だけですすめてしまったことです。結果的に、彼女もわたしも苦しくなって、心を通わせつづけることができなかったんです。わたしたちだけのコミュニケーションを追求することができていれば、こんなことにはならなかったかもしれません。
とびラーの皆さんと一緒に活動しながら、13年前、彼女に対してできなかったことを、今ここで実現しようとしている、と思いました。今更ですが、とびラーになって活動したことは彼女への罪滅ぼし、でもあるんです。
<つづく>
「人や言葉を浴びた」
とびらプロジェクトフォーラム(2024年)の「とびラーオープンセッション」で
来場者と会話をする木下さん(撮影:とびらプロジェクトスタッフ)
木下 研究者としての仕事を続けることは変わらないのですが、それをベースに、ろう者が芸術作品と出会ったときの考え方を広げていくことを言葉にしていきたいです。これは『美術手帖』や『ユリイカ』で論考を書いたことでもありますが、もっと書いてみたいと思っています。
それに、実践としての手話マップの活動ですね。今年で6年目になります。各地で開催される手話通訳など情報アクセシビリティのあるイベントは東京を中心に充実してきていますが、イベントを企画しても当事者の参加が少ないということをときどき聞きます。それにうまくアプローチできる方法はないか、考えたいです。
シュワー・シュワー・アワーズのプログラムには美術やデザインに興味のある人たちがいらっしゃいます。一方で「美術館は行きにくいな」「興味はあるけど、ちょっとハードルが高い」と思っている人もいらっしゃいます。その人たちと美術館の関係のあり方にどうアプローチできるかを考えたいですね。
最初から「美術館に行ってみよう」と美術館ありきではなく、その人の風景を想像することが大切だと思います。公園が好きな人ならまず上野公園に行き、その先に美術館があることを示す。スポーツが好きな人なら、東京ドームに行ってみることだっていいかもしれない。もし、その人の関心の行き先に、美術館がある、ということを本人と想像できるような道がありうるなら、それを一緒に拓くこと。それを通じて、その人の風景ひいては人生がより豊かに幸せな時間になるにはどうしたらいいかを考えることが大切だと思っています。
例えば、去年、ある人と一緒に新宿御苑でピクニックをしていたときに、次にどこに行こうかという話をしていたんです。その方は書道を長くされていて、臨書(古典を模倣して書くこと)をたくさんしています。それで、上野の東京国立博物館で中世・近世の書画の展示をしていることを思い出したのです。iPhoneでその情報を見せたら、興味あると仰ったんです。それで、電車で上野まで行って。展示をみながら、この字は筆の動きからこんなふうに感じられる、などと話してくれたのですね。それはわたしには思いつかないものでした。この人には、過去の人たちの書がこのように感じられるんだなという感性が伝わってきたわけです。
だからといって、その人とすぐに理解しあえるとは全く思っていませんが、その人の感性から立ち上がっている風景を想像してみること。その人の人生がより豊かになるにはどうしたらいいかを考えたときに、行き先のひとつに、美術館や文化施設が入るならそれはどんな風景なのかを一緒に考えることができればいいなと思っている、ということです。
「みるラボ:わからないのはじまり」(Museum Start あいうえの、2023年)のプログラムにて
ろうや聴の高校生の活動に伴走する木下さん
木下 そうですね。その人を知る、その人に興味を持つというのが出発点ですね。
とびラーになって、人との出会い、時間を大切にしたいと思うようになりました。それは誰かと一緒にいるうえで大切なことでもあるでしょう。
知り合いの誰かと街で会っても、以前なら挨拶を交わすだけかもしれません。でも今は、その人からいろんなことを得たいと思っています。わたしたちはそれぞれ人生経験が違いますよね、他者はわたしの持っていない知識があって、自分にはできない経験もある。他者が4、5人集まったら、わたしひとりの知識や経験を軽やかに超えていきます。
そう考えると、わたしは彼らに圧倒されますよね。それを大切にしたいと思っているんです。そういう人たちのことを尊重しながら、話を聞いていたいと思います。
木下 そうですね、大切な機会をいただいたと思っています。そのあと、とびらプロジェクト以外の場での、わたしの変化についてお話ししますね。
今年度、大学で、いつも講義が終わった後に話しかけてくる学生がいました。講義が全日程終わったあとにその学生に感謝のメッセージを送ったんですね。すると「いつでも近くの人の話を傾聴してくださるおかげで、わたしも安心できています」と、返事をくれたのです。
それは思いもしないことでしたので、「なぜそう感じたのですか?」と尋ねたら、「相手の話し方を見て、最後までその人が話せる工夫をされていると思いました」と。深掘りしてみると、「相手の目を見ている」「相手の話を遮らない」「相手の話し方を見ている」「相手が話しているときに自分の話をはじめない」「話題を変えない」「話題が変わったとしても前に話していた人に続きを促す」などの、きく態度のことをいわれているということがわかりました。
指摘されたのは、とびらプロジェクトや手話マップでの活動で大切にしていることですが、その学生にそのことを話したことはありませんでした。それだけに、その学生からはわたしのことを見抜いているような気持ちになりました。大学にいる時は、とびラーであることは全く意識していませんでしたから。仮にわたしが意識せずに人の話をこのような態度で聞くことができたのだとしたら、それはとびらプロジェクトと手話マップの活動を通じて学んだ方法・経験に由来するものだと思います。
木下 「ショーシャンクの空に」という映画のポスターがありますよね。主人公が腕を広げて、全身で雨を浴びている印象的なポスターです。ああいう感じで、東京都美術館でたくさんのとびラーと会話することは、コミュニケーションのずれや考え方の違いもある中で、多くの人たちの存在をひたすら浴びることでした。とびらプロジェクトで起きたことすべて。基礎講座と実践講座。とびラボ。数多く参加したとはいえませんが「あいうえの」や「障害のある方のための特別鑑賞会」。いろんな人の存在や言葉を「浴びた」3年間でした。
こんなにもたくさんの人と出会い、もまれた機会は、きっともうないでしょう。
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