東京都美術館× 東京藝術大学 「とびらプロジェクト」

INTERVIEW

37

NEW

笹村 曜子 さん

自分ができることを考え続けた、現場主義の12期とびラー

”とびラー”インタビュー
笹村 曜子 さん

INTERVIEW

37

笹村 曜子 さん

自分ができることを考え続けた、現場主義の12期とびラー

このシリーズについて

バックナンバー

PAGES

1 2 3

「「半歩」だったから踏み出せた」

これまで、ミュージアムは特に
身近な存在ではなかったとか?

笹村 はい。身体を動かすことが好きで、見るのもやるのもスポーツ一本の体育会系です。中学高校時代は器械体操をやっていました。今は、市の高齢者向け健康教室で「介護予防運動指導員」を仕事にしています。
美術館といえば、ゴッホとかルノワールの絵が来日して連日長蛇の列、絵の前では「立ち止まらないでくださーい」、みたいなイメージ。アート作品ってそうやって何時間も並んで観るもので、私はそこまで興味もないし、あんまり美術館に行きたいとも思いませんでした。

笹村曜子さん画像1

それがなぜ、東京都美術館に?

笹村 新型コロナがきっかけかもしれません。
どこにも出かけられなくなって、イベントも中止。ちょっと落ち着いた頃に、美術館に予約制で入れるようになりました。「じゃあ、並ばなくていいのかな。なら、行こうかな」くらいの気持ちで、都美(東京都美術館の略称)のサイトからチケットを申し込みました。
その時の展覧会は「フィン・ユールとデンマークの椅子」展。正直なところ、絵画も彫刻もぴんとこない、でも家具は日常に近い存在だな、と思って。

家具がお好きなんですか?

笹村 結婚退職して以来、ずっと専業主婦をしてきたんです。家にいるから、日常の暮らしが最大の関心ごとでした。家の中を心地よくするのが好きで、カーテンを季節で取り換えたりしていました。だから家具には興味があったんです。
インターネットでチケットを申し込んだら、下のほうに「美術館からのお知らせを送っていいですか」みたいなチェック欄があって。それにチェック入れたら、次に都美から建築ツアーの案内が来ました。
家が好きですから、建築も好きです。街を歩いていて素敵なお家があると「どんな暮らしをしていらっしゃるのかな」なんて想像していたりして。で、興味をひかれて建築ツアーに参加してみました。
その時のガイドさん、最初は学芸員か藝大の学生さんなのかなと思っていたんですけど、実は「とびラー」という人たちだと知りました。「へえ、そうなんだ」と思っていたところに、今度はとびらプロジェクトのフォーラムのお知らせメールが来たんです。
私、何でもスケジュールが空いていたら行っちゃうんですよ。この時も「時間あるから」って軽い気持ちで参加して、そんなにたくさん人が来るとも思っていなくて。ひとりだったらどうしようなんて思っていたのに、行ってみたら会場がすごい熱気で驚きました。

笹村曜子さん画像2

その熱気にあてられて、
「よし、一緒にやろう!」という気持ちに?

笹村 うーん、「さあ、一歩踏み出しましょう!」とか言われたら、たぶんやらなかったんじゃないかな(笑)。
フォーラムのとき、とびらプロジェクトマネージャーの小牟田さんが「半歩でいいから、踏み出しましょう」とおっしゃったんですよ。それを聞いた私、「一歩はちょっと無理だけど、半歩なら」って思ったんです。
とびらプロジェクトを語る言葉の中で私が興味をひかれたのは、アートではなくて「居場所」でした。
もう15年くらい、介護予防運動の指導をしているんですが、そこで高齢者のコミュニケーションとかコミュニティの充実に対するニーズの高さみたいなものを、ひしひしと感じていたんですね。
身体活動の場合は、手をつないだり、肩を組んだりとか、わかりやすいコミュニケーションがあります。でも、「有名な絵を飾っているところ、いつも混んでいるところ」くらいのイメージしか持っていなかった美術館が、どうしてコミュニケーションとか第三の場所のあり方について考えているんだろうと。
そんなことを応募書類にダーッと書いて送り、「まあ、ご縁があったら」と思っていました。
後からとびラー応募の倍率が高かったんだと聞いて驚きました。娘たちにも「お母さんって、アート興味あった?」「そういう人だったっけ? できるの?」とか言われました。
「まあ、よくわかんないんだけど、応募したら来ていいって言われたから、行ってみるよ」と言いながら、活動が始まりました。

笹村曜子さん画像3

<つづく>

「むき出しの自分として」

とびらプロジェクトの活動がはじまり、
実際に他のとびラーと顔をあわせてみて、
どうでした?

笹村 やはり普段から美術館によく行っているという人が多くて、「私、なんでここにいるの?」みたいな、トンチンカンな感じでスタートしました(笑)。
でも、なんだか不思議なところでした。ここでは何を話しても大丈夫、みたいな雰囲気があって、落ち着く。ここが私の居場所になるのかもしれない、と思いました。

笹村曜子さん画像4

またそのキーワード、「居場所」ですね。

笹村 もちろん、今まで自分の居場所がなかったわけではないんです。家庭もあるし、別に社会からはじき出されていると感じていたわけでもありません。でもずっと、どこにいても、何となく「居場所のなさ」というか「ここはなんか違う」みたいなことを感じていたような気がするんです。
それは、私の生まれた時代の空気のせいなのかもしれません。ナントカさんちのようこちゃん、ナントカ高校、ナントカ大学に通っているようこちゃん、ナントカ会社にお勤めのようこさん、結婚したら今度はナントカさんの奥さん、子どもが生まれたらナントカちゃんのお母さん…。ずーっと何らかの役割があって、その中で生きてきた。
もちろん、そういう人生をやってきたことは、それで良かったと思っています。何かが破綻したとか、すごくしんどい思いをしたというわけではないんですから。でも、「『私』として生きていなかったんじゃないか」みたいなことを、ぼんやり考えるようになってきて。

それはいつ頃から?
何かきっかけがあったんですか?

笹村 50代からでしょうか。この年頃って、親の衰えがあったり、子どもが自立していったり、心身ともにいろんな変化がありますよね。今まで背負っていた「妻」とか「母親」とか「娘」とかの役割がひとつずつ外れていって、自分がむき出しになっていくような気がして。介護に直面したことで母娘関係についてもいろいろ考えることが多くなって、息苦しさを感じていたんです。でも、それは他者と共有するものではなく、自分ひとりで解決・納得するべきものだと思いこんでいました。
そのときに、あるピアサポートと出会いました。同じような経験をした人たちが、お互いに批判も評価もせず、背景も詮索したりせず、ただそのままの自分としていられる場所。
友人にモヤモヤを話すと「そんなの大丈夫よ」とか、「私なんかもっとひどいのよ」とか、励ましてくれるんだけど、その分気持ちに寄り添ってもらっていないと感じることもあって。そうなると「私はそこまで大変じゃないし」「しんどいと思う私がいけないんだ」って黙ってしまい、オリのようなものがたまっていってしまう。でも、そのピアサポートでは、そういう思いを吐き出すことができたんです。
それまでは「安全な場所」って、家族とかお互いをよく知っている親友とかに限られると思っていたのに、全然そうじゃなかった。まったくの第三者だからこそ、そういう場を持つことができて、目からウロコだったんです。夫の会社が立派だと妻が評価されるとか、子どもの成績がよかったら母が評価されるとか、そんなこととは無縁。役割のない自分、ひとりの「ようこさん」として接してもらえる。
ちょうどその頃に声をかけてもらって、指導員の資格をとって教室運営をはじめました。

今の笹村さんにつながる、
大切なポイントでしたね。

笹村 はい。今から思えば、とびらプロジェクトに、このピアサポートと同じような匂いを感じたのかもしれません。

笹村曜子さん画像5

たくさんの活動に参加して、
すごく活発に活動されたそうですね。

笹村 3年間病気もしなかったし、親の介護も終わり、子どもも独立したタイミングだったから自由に動けたんですね。何の役割も背負っていないむき出しになった自分で、「講座、受けますよ」「とびラボ、やりますよ」って、ともかく何でも繋がってみようと思って。掲示板を見て、どんどん活動の予定を入れて行きました。
もともと美術にも詳しくないから作家へのこだわりもなく、ゴッホも公募展も、私にとっては同じ「アート」。楽しいことだけではなかったけれど、モヤモヤできる充実感がありました。好きな野球にたとえると、とにかく打席に立つ。来たボールは何でも、ヒットになろうがファールになろうが、打席に立った以上は打ち返そう、と思って。そういうわけで、いつの間にか「年中活動している人」になっていました。

笹村曜子さん画像7

Museum Start あいうえのスペシャル・マンデー筑波大学附属大塚特別支援学校 高等部、「ゴッホ展 家族がつないだ画家の夢」(2025年)、撮影:中島佑輔
展示作品:フィンセント・ファン・ゴッホ《農家》1891年、ファン・ゴッホ美術館、アムステルダム(フィンセント・ファン・ゴッホ財団)

その中には、きっとホームラン級の経験もあったのでしょうね。

笹村 はい。基礎講座を終えた1年目の秋、スペシャル・マンデーで、ある学校の子どもたちを迎えました。聞こえない(ろう)・聞こえにくい(難聴)子どもたちが、手話と日本語で学ぶ学校です。ペアを組んだとびラーは、ろう者の木下さんでした。
私は聞こえない人の感覚や生活のことは何もわかっていないので、木下さんに当日の動きで気になるところなど、細かいことまでなんでも質問しました。木下さんも誠実に返事をくださって、気が付くと、掲示板のやりとりのログが膨大になっていました。

たとえば、どんなことを?

笹村 子どもたちを迎えるときに、名札を首からかけてあげたいって思ったんですね。でも、そうやって身体に触っても大丈夫かな、子どもたちをビックリさせてしまわないかなと不安になってしまって。長い間母親をやっていたから、聞こえに関係なく「子どもがどう思うか」っていう考え方がしみついているんでしょうね。
それを掲示板で相談したら、木下さんが「だったら、名札をかける前に、私から手話でみんなに伝えましょう」という段取りを提案してくださったんです。そういうことを、ひとつひとつ確認していきました。

なるほど、
今までろう者と関わった経験がないから、
何もかもわからないことばかり。

笹村 基礎講座のときのグループワークで、聞こえない女性と組んで筆談やコミュニケーション支援アプリを使った会話をしたことがあって、それがはじめての経験でした。私はどうしたらいいのかと思っていたんですが、彼女は本当にフランクな普通の女性で、身体全体を使って気持ちや話したい内容を伝えようとしてくれて。
聴者同士で話していると、何となく伝わったような気がして、結局曖昧になってしまうことがありますよね。でも、このときの彼女との対話では、お互いがひとつひとつのことを正確に伝えようとしていたんです。伝えあうということの熱を感じましたし、確実に伝わっているとも感じました。
私、手話は全然わからないんです。でも、普段から身体を動かすことをしているので、身体でそれを感じるという経験ができたのかもしれません。

笹村曜子さん画像9

身体活動を通して人とかかわっている
笹村さんならではの感覚ですね。
さて、あいうえの当日はいかがでしたか?

笹村 子どもたちも、鑑賞ファシリテーターをする木下さんも手話で会話します。そこに、手話がわからない私だけのために、手話通訳が入っていました。だからその場では、私は圧倒的なマイノリティでした。言葉のわからない海外に一人で放り出されたらこういう感じなんだろうか、という感じ。
私は障害もないし、今までの人生でマジョリティ側にいた人間だと思っています。そもそも「マイノリティ」のことを意識したことがあったのだろうか。そんな私が今ここにいる意味は何なんだろうと。そこでは、誰も私をマイノリティ扱いしなかったんです。その空気のなかで、私はマイノリティである自分が「ここにいていいんだ」と感じていました。
今思い出しても胸がいっぱいになります。来館した子どもたちに、とびラーとして何かをしてあげたというよりも、私の方が贅沢な体験をさせてもらったんです。木下さんに知らなかった世界を緻密に教えてもらって臨んだ場で、マイノリティである自分が、一人の人間として丁寧に扱ってもらったという特別な時間。
あの時、基礎講座を終えたばかりの1年目の私を、あのチームに入れてくれたスタッフに、本当に感謝しています。それが意図的だったのかどうかはわかりませんけど。(笑)
これが大きな節目になったかもしれませんね。とびらプロジェクトは「誰もがいていい場所」なんだ。だったらもっと主体的にかかわろう、自分ができることを自分なりにやっていこうと思って、他のプログラムやとびラボにもどんどん参加することになりました。

<つづく>

「みんなに知ってほしい居場所」

そして「年中活動している人」と
言われるまでになった笹村さん。
特に印象に残っているとびラボは何ですか?

笹村 「エスプラナードで会いましょう」ですね。都美のエスプラナード(都美建築の中央にある、正門から地下入口へと続く屋外広場)を散歩したりベンチに座ったりして、来館者と交流したイベントです。
「エスプラナード」という言葉の響きと、「会いましょう」のふんわりした感じに惹かれて、他のとびラーが「この指とまれ」をしたとびラボに参加しました。「エスプラナードでやりたいこと」をそれぞれが出しあうミーティングは楽しかったのですが、実は私自身は「やりたいこと」がはっきりしていなくて。最初のうちは、皆さんのお手伝いができればいいかなと思っていたんです。
でもある日、アイデアだしのために現場のエスプラナードに立ってみたとき、「自分がなんとかするにはどうしたらいいか。今の自分ができることは何か。」というふうに、気持ちが変わったんです。

その変化の直接のきっかけになったのは?

笹村 ラボのみんなとエスプラナードで話しているうちに、「帽子をかぶろう」というアイデアが出たんです。私、モノをつくるのが得意なので、持っていた紙で即席の帽子をつくって、言い出した人にかぶせちゃったんです。「自分でできることで、何とかしよう」と考えたんでしょうね。そして、それをおもしろがってくれるラボのみんな、とびラーがいました。その瞬間から、お手伝いではなく、「主体的でフラットな関係」になれたのだと思います。
今まで妻として、母として、誰か強力に物事を進める人がいたら、その人がやりやすいように場をつくるのが私の役割、そう考えて生きてきた。だからつい、いつものように受け身になっていたんですが、それはフラットな関係ではないですよね。だから、ここに来ているのに今までと同じことをしていちゃダメでしょう、って思ったんです。
帽子のアイデアはその後もふくらんでいって、みんなが試作品を次々に持ってくるようになりました。イベント当日は、来館者にまでかぶってもらって、好評でした。やりたいことを自由にやれる場は、こうやって自分たちでつくっていくんだと感じました。

さて、役割を肩から下ろして、
扉を開けて出ていく笹村さんの今後は?

笹村 とびラーの3年目に、友人に誘われて家の近くの市民ギャラリーに行きました。帰ってから「地元にもこんなところがあるんだ、知らなかったな」と思いながらホームページを見ていたら、「小学校鑑賞ファシリテーター募集」と書いてあって。市内の全小学校で、5年生全員を対象に対話型鑑賞をする事業なんだと。で、すぐに応募しました。
採用後に3ヶ月間研修があって、公立小学校に派遣されました。授業に入って、アートカードを使って鑑賞をするんですが、その1時間とかの短い時間でも、子どもたちにちょっと変化があるような感じがあって、とても楽しかったんです。
同時に、「これ、子どもだけではもったいない」と思ったんですね。あいうえのでも、保護者に対して、ミュージアムの楽しみ方を伝えていますよね。だからここでも、なんとか親にアクセスしたいなと。
だって、せっかく学校で対話型鑑賞をやって興味を持った子が「ミュージアム行きたい」って言っても、親のほうは「そんなことより早く塾行きなさい」とか言っちゃいますよね。だから、親のほうにも鑑賞の豊かな時間を体験してもらいたいと思って。
私、大規模なマンションに住んでいるんですが、そこの自治会に「実はこういう活動をやっているので、保護者向けのイベントをやってみたい」と申し入れて、呼びかけてみました。すると、あるお母さんから、メールが来たんです。
「小5の娘から、授業でやった鑑賞の話を聞いています。私もやってみたい」と。

届いた! その子の心にちゃんと残っていたんですね。
その思いを受け止めたお母さんも素敵。

笹村 近々、トライアルをやることになっています。小学生の保護者だけじゃなくて、いずれは高齢者なども含め、地域の大人全体を対象にできればいいなと思っています。

笹村曜子さん画像12

体操指導を通じて高齢者のコミュニティや
コミュニケーションについて考えていた笹村さん、
アートとつながりましたね。

笹村 はい、とびラーの経験を介して、思いがけずつながりました。不思議なもので、呼び寄せられたような気がします。
これからも、体操のほうも続けていきます。長くやっているので、もう体操だけでない人間関係ができていて、「こうなりたい」と思わせてくれる素敵な人生の先輩もいます。ちょっとした心身の不調を訴えてくる人に「どういうふうに?」と耳を傾けながら、「これ、基礎講座でやった『きく力』だな」なんて思うこともありますね。
ミュージアムという場所に全くかかわってこなかった私は、とびラーの活動を通じて、ここが誰も置いていかない場所であることを知りました。役割を背負って重い人、苦しいことを苦しいと言えない人も、ただ何となく『行ってみたい』と思った人、もちろん美術展を見るという目的のために来た人も、それぞれの人がその人のままで居られる場所。
美術館だけじゃなくて、博物館、図書館などの文化施設って、みんなそうだと思うんです。そこには、いろんな仕掛けがあります。都美のエスプラナードなんか、座っているだけで心地いいでしょう。
だからみんな、まず、知ってほしい、来てほしいと思います。ミュージアムという誰にでも開かれた居場所があることを知らなくて、まだここに来ていない人たちに、その思いをどうやって届けたらいいんだろうかと、ずっとそれを考えています。

笹村曜子さん画像13

インタビュー日時:2026321
聞き手・文:只木良枝
撮影:中島古英(クレジットを表記していないものすべて)

1 2 3

前のインタビュー

バックナンバー

平野 文千さん 平野 文千さん

平野 文千さん

〝ゼロ期〟とびラー、主婦、2度目の大学生

「絵は毎日ちがってみえる。」

2014-10

田中 進さん 田中 進さん

田中 進さん

1期とびラー、区民ホール勤務、デザイナー経験あり

「どんな形であれ3年やってみよう」

2014-10

近藤 美智子さん 近藤 美智子さん

近藤 美智子さん

とびらプロジェクト コーディネータ、立ち上げスタッフの一人

「一緒につくっている感覚の面白さ」

2015-01

亀山 麻里さん 亀山 麻里さん

亀山 麻里さん

2期とびラー、家庭と会社と3本柱

「新しいことを始めているんだよ」

2015-01

山本 明日香さん 山本 明日香さん

山本 明日香さん

1期とびラー、家族で会社運営、もとテレビ局勤務

「なにかができる、というフレーズはなくてもいい」

2015-02

熊谷 香寿美さん 熊谷 香寿美さん

熊谷 香寿美さん

大学で刑法を学び、広告業界を経た学芸員

「法律とアートは根本的には一緒」

2015-06

越川 さくらさん 越川 さくらさん

越川 さくらさん

子育て中の1期とびラー、言葉にしない“共感”の名人

「180度くらい変わっちゃった気持ちでいる」

2016-02

小林 雅人さん 小林 雅人さん

小林 雅人さん

2期とびラー、経験を持ち帰りながらテーマパークの運営会社に勤務

「美術館は宝物が隠されている場所」

2016-05

藤田 琳さん 藤田 琳さん

藤田 琳さん

3期とびラー、就活を経て出版社に入社1年目

「とびラーの前では、安心して好きなことを好きと言える」

2016-07

癸生川 心さん 癸生川 心さん

癸生川 心さん

4期とびラー、美術館めぐりが趣味の仕事人。

「絵をたくさん見ることで気がついた」

2016-11

牧 幸子さん 牧 幸子さん

牧 幸子さん

3期とびラー、タイでボランティアを8年間したクラフト好き

「自分から動きたいと思った」

2017-01

佐藤 絵里子さん 佐藤 絵里子さん

佐藤 絵里子さん

現役藝大生の4期とびラー

「今からはじめたらちょうどいいな」

2018-04

中島 惠美子さん 中島 惠美子さん

中島 惠美子さん

「幹事大好き」の4期とびラー

「私の人生そんなに間違っていなかったな」

2018-04

西澤 正彦さん 西澤 正彦さん

西澤 正彦さん

最年長の70代。5期とびラー

「ひとつひとつが驚きというか、感動的でした」

2019-05

上田 紗智子さん 上田 紗智子さん

上田 紗智子さん

「とにかくやってみる」ことを楽しむ5期とびラー

「すごく楽しいです、ずっと」

2019-06

鈴木 智香子さん 鈴木 智香子さん

鈴木 智香子さん

人と人をつなぐ回路をつくる、プログラムオフィサー

「ここに来て、仲間が増えた」

2020-01

藤田 まりさん 藤田 まりさん

藤田 まりさん

私にできることってなんだろう?「関わること」を大切にする6期とびラー

「自分発信のものが、みんなのものになっていく、不思議な体験ができた」

2020-10

小寺 祐貴さん 小寺 祐貴さん

小寺 祐貴さん

「障害のある方のための特別鑑賞会」の先に、美術館の未来をみる6期とびラー

「自分一人では考えつかなかったようなところにいける」

2020-11

大谷 郁さん 大谷 郁さん

大谷 郁さん

「より創造的な体験」をとびラーと一緒に作り上げる、とびらプロジェクト コーディネータ

「立ち上がりのとき。何が始まっていくのかわからないまま、でもワクワクしながら準備を進めていた。」

2021-04

鈴木 康裕さん 鈴木 康裕さん

鈴木 康裕さん

7期とびラー。「笑顔」を絶やさないお茶目な伴走者

「セカンドステージは“美術”でいってみよう」

2021-06

井上 夏実さん 井上 夏実さん

井上 夏実さん

「できないことじゃなくてできることをやる」転んでもただでは起きない7期とびラー

「一度落ちてもなお。受け続けるのが大事。」

2021-07

岡森 祐太さん 岡森 祐太さん

岡森 祐太さん

誰の意見も素直にきける「コミュ力」抜群のバランス系7期とびラー

「「アート・コミュニケータ」の肩書きに惹かれて」

2021-08

稲庭 彩和子さん 稲庭 彩和子さん

稲庭 彩和子さん

「生みの親」がプロジェクトとともに歩んだ10年

「東京都美術館のDNAを感じさせるプロジェクトをつくりたい」

2022-07

中田 翔太さん 中田 翔太さん

中田 翔太さん

Museum Start あいうえのから「循環した学び」を得た直感の人。8期とびラー

「やりたいことは、とびらプロジェクトでできるよ」

2022-08

野嵜 辰巳さん 野嵜 辰巳さん

野嵜 辰巳さん

「通訳」であることを志し、プロジェクトを耕した8期とびラー。

「この美術館の中で一体何が起きているんだろう」

2022-09

黒岩 由華さん 黒岩 由華さん

黒岩 由華さん

ふわっとそこにいてくれる、力強い名サポーター

「DOORととびらがセットだった」

2023-07

千葉 裕輔さん 千葉 裕輔さん

千葉 裕輔さん

特別支援学校と美術館をつなぎ、自分自身も見つめた教員

「フェルメールは子どもたちのアイドル」

2023-07

滝沢 智恵子さん 滝沢 智恵子さん

滝沢 智恵子さん

「興味ない」からの出発で多彩な活動を紡いだ9期とびラー

「こういう絵の見方を誰かに伝えたい」

2023-07

森 淳一さん 森 淳一さん

森 淳一さん

「アートは僕のもうひとつの軸」。No Music, No Lifeの10期とびラー

「アートと音楽への恩返し、なのかな」

2024-03

井上 さと子さん 井上 さと子さん

井上 さと子さん

つねに穏やかに、耳をすませて受け止める10期とびラー

「もっともっと聞きたい」

2024-03

橋本 啓子さん 橋本 啓子さん

橋本 啓子さん

仕事ではありえない贅沢な時間を過ごしたと語るビジネスウーマン

「ここからいくらでも広がっていける」

2024-03

小牟田 悠介さん 小牟田 悠介さん

小牟田 悠介さん

世代交代で受け継いだ「絵」と向き合うプロジェクトマネジャー

「もっと見たい、くわしく描きたい」

2024-03

劉 鳴子さん 劉 鳴子さん

劉 鳴子さん

言語について考える、ポジティブ思考の11期とびラー

「多文化を生きる子どもたち、そして自分」

2025-03

木下 知威さん 木下 知威さん

木下 知威さん

自分にとってのコミュニケーションを探求する研究者

「13年前にできなかったことを、ここでやっている」

2025-03

平林 壮太さん 平林 壮太さん

平林 壮太さん

美術館の存在価値を考え続けた学生とびラー

「実際に身体を動かしてみること」

2025-03

工藤 阿貴さん 工藤 阿貴さん

工藤 阿貴さん

とびラーから10年後、美術館の社会共生担当へ

「みんなの夢をひとつひとつ叶えていく」

2025-12

笹村 曜子さん 笹村 曜子さん

笹村 曜子さん

自分ができることを考え続けた、現場主義の12期とびラー

「役割を下ろした今、ここにいる意味」

2026-03