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「油画修復の道」 藝大生インタビュー2017|文化財保存学・保存修復油画 修士2年・石田千香子さん

*はじめに

今回お話を伺う石田さんは、大学院で文化財保存学専攻をされ、油絵の修復が専門とのこと。はたして「修復」とは、いったいどのような場所で、どのような作業を行うものなのか??普段目にすることのない、作品の裏側に迫る、秘密の場所に踏み入るような気持ちで、インタビューに向かいました。

 

石田さんと美術との関わりは、幼い頃に始まりました。時々の関心事に沿って、時間をかけ、学び、経験を積まれてきました。今は、修了制作展での発表に向け、昼夜・土日を問わず作業している真っ只中。石田さんが語った言葉の中から、修復の魅力と、修復にかける熱意が、あふれるように伝わってきました。

12月のある土曜の午後、待ち合わせ場所である総合工房棟のエントランスに現れた石田さん。第一印象は、しっとりと落ち着いた大人の女性といったものでした。そこからエレベーターで地下1階にある研究室に案内していただきました。

 

 

まずは、研究室で石田さんのこれまでの学びや活動について伺います。

 

―石田さんとアート、修復との出会いはどんな形だったのでしょうか。

 

絵に興味を持った中学生時代、そこから絵画教室に通い始め、芸術系の高校に進学しました。高校時代に、授業で多くの絵に触れる中、特に中世後期のイタリア絵画に惹かれました。授業外では、展覧会の公開講座や市の事業への参加を通じて、「修復」について興味を持つようになりました。進路を考えた時、作家として生計を立てるのは難しい、何をするにも幅広く学ぶことは重要ということで、金沢美術工芸大学に進学し、芸術学を専攻しました。

 

幼い頃よりアートが身近にあり、成長の折々に、芸術と多様に接してきたのだとか。美術作品に強く惹かれながらも、自ら作家になることを目指すのではなく、何らかのアートに関わる形を模索してきた多感な時期。私たちからの問いかけに、一問一答のような明確な回答をするというよりも、思い出を辿りながら話してくれました。

―金沢美術工芸大学では、どんな学生生活を過ごしていましたか。

 

学生時代の印象的な授業は、1年次にあった「朝のお勤め」です。これは、毎日1作品について、10分ほど模写し、5分ほど教授がその絵の背景などを説明するもの。芸術学専攻にはキュレーターや教員を志望する学生が多く、展覧会を見て即座にその特徴を捉えられる能力を伸ばすよう考えられた授業内容でした。その他彫刻、日本画など様々な技法についても学ぶことができました。これは現在も修復を学ぶ基礎力になっていると思います。

卒論のテーマとして選んだのは、京都に伝わる舞楽について。京友禅の染色職人である母がきっかけで、6歳の頃から舞楽を習っていたため、学内の研究室に加え、舞楽の恩師にも師事を受けて執筆することにしました。舞楽の歴史の中で、女性による舞楽が禁じられた時代があり、それを復活させた女性(鷺ノ森神社が生家である原笙子氏)の生涯と舞楽の伝承についてまとめました。その後は同大学院に進学し、舞楽の研究をさらに深めていきました。

修士課程を修了した後、同大学の助手を務める中で、将来に迷う期間もあって・・・。自分のやりたかったことを探して、1年の準備期間を経て、ロータリー財団の奨学金を得て、イタリアに留学しました。

 

学生時代の実習の様子を楽しそうに、具体的なエピソードとともに振り返ってくれます。それは聞いている私たちに、「朝のお勤め」の体験してみたい!と思わせるほど。卒論のテーマも所属研究室では例のなかった無形文化財に取り組み、他大の研究室に協力を得たり、また、憧れのイタリアにて学ぶ道筋をつけたり。これは!と思ったものに対しては、夢中になり、全力で取り組める方なのかな、と話を聞くにつれ、石田さんの魅力に引き込まれていきます。

―憧れだったイタリアでの生活はどのようなものでしたか。

 

イタリアでは、フィレンツエ大学の外国人向けコースで1年間学びました。様々な分野の授業を受けることができ、また、授業以外の時間は、美術館や教会に通い詰め、大好きだったイタリア絵画を見る日々でした。高校時代から気になっていた「修復」については、イタリアは修復技術を確立した国とも言われていて、修復工房を見学し、修復学校に通う学生と交流などもしました。ですが、言語の壁もあり本格的に学ぶ機会を得るのは難しかったです。

 

イタリアが舞台で修復士が主役といえば、映画化もされた有名小説(「冷静と情熱の間」)が思い浮かびますが、「それに影響されて修復家を志したと思われないよう、一度も見ていません!」と笑って話す石田さん。好きな絵を好きなだけ見ることができた、とても恵まれた環境にいたことをまぶしく思い出しながらも、出発前に周囲の人からかけられた「イタリアに行けば何とかなると思ったら大間違い」という言葉はずっと心に残っていたと言います。

 

 

―帰国後はどんな活動をしましたか。

 

帰国後に職を得ようと、縁のあった会社に彩色職人として就職しました。その会社は、修復事業を強化していく段階にあり、私が働きながら学ぶことを受け入れてくれました。社長や同僚には感謝しています。手がけた仕事は、神社仏閣から木彫りの作品まで、発注者の希望を踏まえて彩色するというものでした。全国から依頼があり、出張も多くありました。ここで正職員として仕事を続けようと思っていましたが、以前より抱えていた「油絵の修復をしたい」という思いが消えず、今ここで挑戦しなくては後悔するとの思いから、藝大の大学院を受験しました。

 

 

就職していた頃に手がけた作品の写真をいくつか見せていただきました。日本の伝統や歴史を感じさせる色合いから、渋さ、鮮やかさ、なつかしさ、様々な感じを受けます。ここでの修復の仕事は、例えば、神社仏閣の天井画には脚立に乗って彩色する、緊張感も体力も必要な仕事。学ぶことも多く、大学院に通い始めて1年間は仕事を継続していたそうです。

 

 

これまでの経緯をふまえて、現在の研究について伺います。

修復のことをよく知らない私たちに、丁寧に、わかりやすく話してくれます。この時から、凛々しく、正確に物事を伝えようとする研究者の顔へと、石田さんの表情が少し変化したような気がします。

―大学院では、どのようなことをしていますか。

 

大学院では、1年次に修復実習が週2日あり、加えて、テンペラ模写、ゼミでの活動の他、文化財保存、光学調査などの授業があります。光学調査の授業では、藝大学美術館が所蔵する作品のうち、年間20~25ほどの作品の記録撮影と分析(紫外線蛍光写真、赤外線写真、測高線写真、正常光写真などの撮影や、作品の裏面など全てを記録する調査など)をしていきます。2年次に、個人修復作品・共同修復作品を各1点と、個人研究としてテンペラ模写を仕上げて発表することになっています。

 

早速、聞きなれないたくさん単語に触れて、頭の中では、懸命に聞き取った音を漢字に変換しようとします。・・・コウガクチョウサ??

―お話に出てくる光学調査とは、どのようなことを行うのですか。

 

例えば、紫外線写真では、蛍光している個所は、ワニスが表層にあることを示しています。測高線写真では、たわみ、傷、歪み、はく落、亀裂などがあることがわかります。赤外線写真では、白黒化して、炭素に反応している個所が黒く表示されるので、墨や鉛筆などの下書きがよく見えます。他にも蛍光X線では絵の具の種類を分析します。それから、マイクロスコープを使って細部の写真を撮ります。

そして、これらの写真・調査を基に調査書を作成します。調査書には、サイズはもちろん、ワニスの有無、絵の具層の剥落、地塗りは何の絵の具で何色か、固着はよいか、シミの有無などの状態と、それを踏まえた修復方針を記載します。1年次の実習を通じて、自分自身で、自分が担当する作品についての調査書を作成する能力を身に付けます。こんなふうに、実際に作品の画面上で 修復を行うまでに、かなりの時間を要します。

 

修復作業に入るまでにいくつもの工程があります。思っていたより、理系の研究室に近い感じがします。普段使っている机を見せてもらうと、鮮やかな金色と赤の作品がありました。テンペラ画の模写です。

―テンペラ画の模写では、どのような作業手順があるのですか。

 

まず、板を本物の作品と同じサイズに切り、膠で接着して麻布を張ります。次にイタリアの石こう地を塗り、乾く前に12層重ねていく。そして、表面をきれいにやすります。茶色い砥の粉を塗ると接着し、つやが出るので、水で表面を濡らすだけで金箔がつくようになるんです。さらにメノウ棒で磨き、盛り上げには石膏を用います。ここは少し彫刻的な作業です。

 

修復に用いる、使い込まれた道具を一つ一つ手に取って見せてくれます。先ほどの理系のような研究室の雰囲気から一変し、造形的なアトリエの雰囲気に変わっていきます。1つの空間の中で異なる雰囲気を感じることができる、不思議な場所のようにも感じます。

 

 

 

研究室での話を終え、ここからは大きな油画作品の修復作業を行う正木記念館に移動して、実際に修復中の作品を見せていただきます。

 

この建物の内部は、普段は開放されていません。前半のインタビューで雰囲気が温まったところから、一度外に出て冷たい外気に触れたこともあり、緊張した気持ちを再び取り戻して中に入ります。石田さんもここでは眼鏡をかけています。修復作業のモードに入る合図でしょうか。中には高い天井、手前の部屋には、作業台、修復道具をかけられる壁面、各種写真撮影を行うスペース、分析を行うパソコンが置いてあります。扉で仕切られた奥の部屋には、収蔵庫から修復のために持ち出された作品を置くための棚があり、温度・湿度などは機械で管理・記録されています。特別な場所に潜入したな、と聞き手の私たちの気持ちは高揚します。

 

―ここで、修了制作展に向けて作品を修復しているのですよね。

 

修了制作として、個人で修復を手がけている作品と、大学院の同期4名のチームで行う共同修復に取り組んでいます。修復する作品は、1年次の終わりに、藝大美術館の収蔵庫に入り、所蔵作品のうち修復が必要なものから、自分で作品を選ぶことができます。学生が担当するのは、主に明治後期から大正にかけて、日本人が制作したものです。修復技術は、国がもつ気候風土によって大きな違いがあります。日本の修復技術は、日本の風土において、作品をどう残していくかという観点で考えられています。

 

―個人修復の作品には選んだのは、どのような作品ですか。

 

個人修復は、橋本邦輔氏により明治43年に制作された油画作品です。ルーブル美術館に所蔵されている、フラ=アンジェリコの《聖母戴冠》の部分模写にあたります。この作品に決めた理由は、最初はひどく汚れていて、穴もあって、なんだかかわいそうに感じたからです。まず開いていた穴を埋めました。それ以外の症状、たとえば大きな絵の具の剥落などはないのですが、汚れやカビは、アンモニア水やクエン酸など、様々な方法を試しながら洗浄しても取れませんでした。今回の修復では補彩を施して、汚れの除去は後世の人や新たな技術に託そうと思います。

 

 

 

作品の前に座り、道具の説明などしながら、補彩を実践してくれる石田さん。髪を結いあげて拡大鏡を装着し、わずか1mmほどの細い筆を持って、真剣な面持ちで画面に向かいます。

 

見ている私たちも思わず息を飲みます。気が遠くなるような、地道で繊細な作業です。こんな僅かな作業の積み重ねによって、作品は生まれ変わっていくのですね。

 

 

複数人で修復に臨んでいる共同修復の作品についても、お話しを聞きます。

 

―共同修復では、大作に取り掛かられているとか。

チームで修復している作品は、大正2年に描かれた五味清吉氏の作品で、神話の大国主命と八神姫に出てくるワンシーンを描いたものです。大正時代から続くロマン主義の系統にある、文学的な物語性の強い作品で、藝大美術学部始まって以来の大作と呼ばれています。五味氏は岩手県出身で、2016年に生誕130周年を迎えました。ですが、この作品はこれまでに1度も修復されず、貸出依頼が合っても貸し出せない状態でした。作品の修復に加えて、五味氏の藝大での立ち位置や制作に影響を与えたもの、所蔵の経緯などを調べて、修士論文のテーマとして扱っています。

 

修復している途中の作品を見せていただけることになりました。石田さんと一緒に、作品を慎重に持ち上げ、反転させて・・・、手に汗握るような緊張の瞬間です。机に立てかけた作品を、皆で見ます。個人修復に比べて、一番の違いは作品の大きさ、私が両手を伸ばしたよりも大きく、高さも1mほどはあったでしょうか。よく見ると、絵の具が剥落している面積が広いことにも気が付きます。

 

 

―共同作業はどうやって進めていますか。

 

個人修復の作品と同様に、まず写真を撮って調査をし、それからチームで話し合って修復方針を決めました。作業としては、まずは表打ちといって、表面からこれ以上絵の具が剥落しないように和紙で全面を覆い、剥離しそうなところを定着させました。次に、絵を張り込んでいる木枠が変形していたため、画面を取り外してストレッチャーで伸ばしました。そして、釘を全部抜き、台紙には張り代を加えました。これらの作業に1か月半もかかりました。

夏休みの間はずっと洗浄をしていました。絵の裏面に煤がたまって真っ黒だったんです。この汚れは、昔上野を走っていたSLから出た煙が、美術館の収蔵庫まで届いたからだと伝え聞いています。洗浄は何度かの確認と再作業を経て、11月にやっと教授からOKが出ました。

個人で修復する作品もある中、バイトのシフトのように都合を併せて複数名で取り組んでいます。個人プレイで先走らないように、連帯責任をもって、お互いに注意し合い、相談ながら修復をすすめていきます。これから修了制作展に向けて、まだまだたくさんの工程が残っています。

 

担当の木島教授が退官前に修復したいと思い続けていたという、様々な人にとって思い入れのある作品。共同修復には、個人修復にはない難しさ、思いどおり・予定どおりにいかないこともあり、また一方で学ぶことも多いようです。

 

さて、まだまだ話を聞きたいところですが、気が付くとインタビュー開始から2時間半が経過。これから制作の追い込みをかける時期、これ以上拘束するわけにはいかず、そろそろお暇しなくてはなりません。

 

今まで聞いてきた石田さんの半生、現在の研究のお話しから、今の石田さんの思いについて、改めて伺います。

 

―修復についていろいろ教えていただきましたが、石田さんにとって、修復することの一番の魅力は何ですか。

 

目の前に本物があること、本物を見ながら作業ができることです。それにより緊張を感じますが、どの作業も楽しいものです。

 

―学部の卒論のテーマが伝統芸能の伝承、そしてまた、現在は修復に取り組んでおられますが、「大事なものを後世にしっかりと伝えていかなければ」という使命感のようなものはありますか。

 

今、この作品が目の前にあるのは、誰かが残してくれたから、という思いはあります。私が好きな作品を見続けられるのはそれを保存したり、修復してくれる人たちがいたからで、私もそういう人になりたいと。

 

―これまでのお話で、その時その時に面白いと思うことに対して、過去にとらわれずに飛び込んで行くという印象があります。今後もさらに、活動は展開していくのでしょうか。

 

修復の仕事は一生続けて行くと思います。今まで何をしようかと迷った時期もありましたが、心の中ではずっと油画の修復することを目指し、やっとたどり着いたという気持ちでいます。

*最後に

長時間にわたったインタビューの中で、子ども時代や学生時代を振り返る無邪気な顔、研究者としての顔、私たち聞き手が分かりやすいように、聞きやすいように、どんな質問にも優しくわかりやすく丁寧に応えてくれるやさしい顔、たくさんの表情を見せてくれました。そして、最後に語られたのは、とてもシンプルな言葉。様々な経験をしてきて、やっと今ここにいる自分、修復の長い道のりを歩き始めていることを、少し照れたように、しかし、迷いのない目で私たちに語ってくれました。

別れ際、「2年生になると日曜も作業ができるんです!」と嬉しそうにキラキラとした目で話してくれました。これから修了制作展でのお披露目まで、寝る間も惜しんで修復作業に取り組まれるのでしょう。

修了制作展では、石田さんが修復を手がけた作品に加えて、修復報告書に記載された修復前の写真や、紫外線・X線など調査結果も見られるとのことです。ぜひ会場となる藝大美術館の陳列館にて、文化財保存・修復の深い世界に触れてみてください!

 


取材:ア—ト・コミュニケータ「とびラー」

執筆:むとうあや

インタビュー:むとうあや、高山伸夫、齋藤二三江

撮影・編集校正:峰岸優香(とびらプロジェクト アシスタント)


第66回東京藝術大学 卒業・修了作品展
2018年1月28日(日)- 2月3日(土) ※会期中無休
9:30 – 17:30(入場は 17:00 まで)/ 最終日 9:30 – 12:30(入場は 12:00 まで)
会場:東京都美術館/東京藝術大学美術館/大学構内各所


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2018.01.28

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