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「誰かの為につくりたい、片思いの虎」 藝大生インタビュー2017|先端芸術表現 学部4年・岡田未知さん

12月初旬の芸大取手校地。日も暮れかかった構内で先端芸術表現科4年生の岡田未知さんと待ち合わせた。片手には旅行用のキャリーバッグ。事前にウェブサイトで見てきた彼女のこれまでの作品から得たイメージとは少し違い、明るく、可愛らしい方という印象を持った。最近オープンしたばかりの食堂に向かい、卒業制作についてのお話を伺った。


「白衣、着たほうがいいですか?」

到着するなり、旅行用のキャリーバッグから取り出されたのは白衣、試験管のようなもの、医療用のゴム手袋。何か理系、医学系の研究を思わせる。聞けば、どれも作品制作に結びつくものらしい。

◆卒業制作のテーマ
卒展に向けて現在制作中の作品のテーマは「細胞培養」だという。
「自分の皮膚を虎の皮とくっつけ、培養する、ということをしています。採取した皮膚を培養液に入れ、段階を踏むと、徐々に細胞から足のようなものが生えて培養地にくっつき、増殖します。とはいえ、肉眼で見えるほどは、すぐには増えないので、展示で見せる物としては培養されている皮膚と虎の皮、それに映像のみ。ハート型に切り出した皮膚をシャーレに入れ、更にそれをアクリル製のインキュベータという恒温機に入れて展示する予定です。」

 

展示イメージの説明と共に、ある写真も見せてくれた。

 

「これは切り取った私の皮膚をシャーレに入れたものです。せっかくなので可愛い形に、と思い、皮膚はハート型に切ってもらいました。」

 

皮膚の細胞培養と聞いて、組織を採取するのみかと考えたが、そうではなかった。自分の皮膚を1.2mm〜1.5mmの厚さで、しかもハート型に両足首から切り出したそうだ。施術の映像も見せてもらったが、皮膚が切り取られる場面をしっかり見たのが初めてだったからか、抱いた感想はシンプルに「痛い!」だった。皮膚は時間が経つと皺々に縮み、ハート型の原型はあまり止めない。私たちが作品として見る事ができるのは、この状態になったものだそう。

ちなみに、皮膚を切り出すにあたり、麻酔無しでの施術だったという。映像のインパクトも相まって、映像をみて感じた痛さがより強く伝わってくるようだった。

 

「オーストラリアのアーティストで、ステラークという腕に耳をつけてしまった人がいるのですが、彼が来日した際にお話するチャンスがあり、どうやって医学的なことがらを乗り越えていますか?と尋ねたところ、ノウハウを教えてくれて、『Keep trying!』と激励してもらいました。」

 

自分の皮膚を切る、その大変さは想像以上のものだった。採取したハート型の皮膚は現在培養中だそう。

 

「ただ、虎の毛皮の方はワシントン条約前に加工されたものであり、死後60年以上経っているので、細胞も当然死んでいます。悪あがきはしてみていますが、恐らく細胞は増えません。なので、まずは自分の細胞だけ培養し、虎の皮とは物理的にくっつけることになります。」

 

◆他者に決定される自分の姿「虎」
初っ端からインパクトの強い話ばかり続いたが、そもそも何故虎の皮を使うのだろう。

「虎、猫好き、というのがそもそもあるんですけど(笑)。」

作品のタイトルは現在のところ『シュレーディンガーの虎』になる予定だそう。

「『シュレーディンガーの猫』という、簡単に言うと量子論の思考実験があるんですけど、量子論には観測することがその物の状態を確定させてしまう、という原理があります。この原理は、観測するまで対象の状態はいくつかの状態が重ねあわされていて、観測という行為をおこなうことで数ある状態のうちの一つに対象の状態が定まってしまう、というものです。これに納得できなかったシュレーディンガーが反論としてあげたのが、この『シュレーディンガーの猫』という思考実験です。箱の中に猫と、1時間以内に50%の確率で崩壊する放射線原子と、原子の崩壊を感知すると青酸ガスを出す機械があって、前者の論理だと、観測するまではその毒ガスによって猫が死んでいるかどうかがわからないということになります。そうなると、箱を開けて観測して状態を決定させるまでは、猫の生きている状態と生きていない状態が重なって存在しているということになってしまう。それに対して、そんなことは異常だってことを言うための実験だったんです。」

『シュレーディンガーの猫』と、「虎」がどうやって繋がるのだろうか。
「自分の中に、攻撃的だったり、あるいは適切じゃない振る舞いをしたいというダメな部分というか、平たく言うと狂気みたいなものがあって。でも意外と、普段はまともに委員長とかやるタイプでもあったりして(笑)私が狂っているかどうかは、結局みる人の観測によって確定されているのではないか、と。」

 

「それから、自分の中で、その抑え込んできた狂気の擬人化として大きめの猫型の生き物がずっとありました。それが虎です。中島敦の『山月記』を読んで、ああ、虎になってしまったその気持ちわかるなって。その辺を混ぜ込んで、自分のフィルターを通して出す。それが今回の作品です。」

複雑に絡む虎へのこだわりが見えたが、このエピソードから彼女の自分を取り巻く環境に耐える自負心の強さというよりも、他を求める、何か、誰かとつながりたい欲求のようなものが感じられた。
そして、細胞培養はそもそもやってみたかったことだそうだ。培養のための作業は専門のチームと一緒に行っているという。

 

「これからはバイオアートが必要とされると思っているのですが、アートの分野で流行るか否かに関係なく、今後食糧とかが足りなくなってきたりするので、バイオの分野は実学的にも注目されるものだと思います。一緒に活動中のチームは『Shojinmeat Project』といって、DIYバイオなどを社会実装すべく活動する集団です。食肉や医療用の皮膚の自宅培養の実現を目指しており、また、培養という行為自体を社会に広めるための活動もしています。」

 

◆学生生活最後の作品だからこそ
今回のコンセプトのわかりづらさはあえて、と語る岡田さん。学生生活最後となる今回の作品への想いを教えてくれた。

「3年生までに、割と倫理的にギリギリなものを、いかに面白くわかりやすく提示するかを考えていました。それはそれで楽しいですが、このやり方は卒業して年をとってからでもできる。今だからこその作品を1つくらい作って卒業しようと思って。わかりやすくポップに、とか、しっかりとした主題に沿って面白くアレンジをかける、ではないところでやってみようと。要素が混ぜこぜなものを若いうちに一度作っておきたくて。だから、かなり青臭いというか、今までと違って統一がとれなくて、終わりが見えないところで悪戦苦闘しています。」

 

◆裏切らない事実への信頼
とはいっても、過去の作品を含めほぼ全ての作品において共通しているのが、皮膚や血液、髪の毛といった、身体の一部を扱っているという点だ。そこには何か強いこだわりがあるのだろうか。

「人がそもそもタンパク質でできているとか、そういう揺るがない事実は信じることができます。亡くなった兄が重度の心身障害児だったのですが、食事は栄養液を経鼻注入で、言語でのコミュニケーションも無いし、視覚も明暗がわかる程度で、我々が見ているようには世界を認識していなかったと思うんです。だからか、言語や視覚的なことなんかは、もしかしたら誰とも分かり合えていないかもしれないっていつも思っています。ただ、例えば私たち兄弟が果物を食べる時には、絞り出した果汁を経鼻注入の栄養液に混ぜて、おいしいねって言いながら一緒に食べたりしていました。お互いにタンパク質でできている事実は信頼できる。まだそれを裏切った人類はいませんから。一緒にものを食べるということに対する信頼も強いです。単に食べることと、身体がタンパク質などでできている事実、そんな2つの要素をあわせることが今すごく気になっています。」

「今、抜歯した後の歯とか切った髪の毛を集めています。いつか作品に使おうかなって考えているのと、単純に見ていると嬉しいんですよね。もしあげてもいいよ、っていう人がいたらぜひください(笑)」

「それが誰かの何かだったということが大事で、作り物の歯とかにはあまり興味がないんです。それが誰かの身体にくっついて機能していたことが興味深くて。私はそういう事実に信頼できる、できないを感じるんです。」

 

◆制作の根底で誠意を尽くす
人間の身体と食べ物が有する、揺るぎない事実や確実さ。岡田さんがそれらに抱く信頼感は強く、作品の欠かせない要素にもなっている。とはいえ、素材として皮膚や血液を自身から採取したり、自ら肉やレーズンを食べ続けたりと、自身の身を以って作品制作に臨むのは何故なのだろうか。

 

「私は人から弱く見られがちなところがあって、それが原因で経験した嫌なことが『怒り』や『絶望』として私の中に蓄積しているんです。それらを説明したり、何か違う形で出力したい。ただ、矛先を人に向けるわけにはいかないので、自罰的な方向で表現しています。美術の世界って変で、自分が痛い分にはあまり周囲から止められないんですよね。それも、『怒り』の説明手段を自分に求める一つの理由です。あと、貧弱にみられがちな私が体を張ること自体が目を引くというか、強烈なアピールになると思っていて、結果、体を張った作品が多くなりました。」

 

「だけど、テンションや感情に任せて作品をつくるだけでは面白くない。ものすごい怒りだったり、身を張っていたり、痛々しかったり、感情的であると同時に、根底の方できちんと考えられていている、そういう感情的な部分と冷静さが共存する作品に私は魅力を感じます。なので、痛々しく見える題材であっても、例えば言葉遊びで外すとか、モチーフの面白さや賑やかな音選びを意識していますし、同時に、作品をもっと理解したいと思ってくれた人にも楽しんでもらえるよう、古典や神話・美術史からの引用や、正確な数字等の読み込める要素を入れたりと、作品を信頼してもらえるよう努力しています。」

 

◆関わりへの切望
「作品を見てもらう時に、鑑賞者から信頼されたいんです。私は自分のことを疑り深いと思っていて、他の人の作品を見る時も、ついそういう目で見てしまう。だから、自分みたいな人にも納得し、信頼してもらえる作品をつくりたいと思っています。でもそこに限らず色々な人に面白がってもらいたいので、作品のテンションや音、映像など色々なことに気をつけるようにはしています。」

「常に疎外感のようなものを感じていて、社会や世界、物事に片思いしがちなところがあるんです。それは小さい時からずっと蓄積してきた感覚です。人間界の仲間に入りたいという気持ちがあるから、作品の細部まで整えることで、どんな人にも面白がれるように配慮してしまうのかもしれません。『怪獣のバラード』っていう合唱曲があるのですが、底抜けに明るいメロディーなのに歌詞が悲しくて、表現としてすごく秀逸だと思っていて。私も、こんな明るいテンションで、しんどいものごとを説明できたらいいのにと思います。」

 

学食に響く楽しげな音楽。小学生の頃に聴いたなぁと、懐かしく思いながら耳を傾ける。聞こえてくるのは、人間と仲良くしたい、仲間に出会いたいと願う孤独な怪獣の切ない願いだった。

 

「私のようなタイプの生きづらさを感じている人たちって世の中には結構いるはずで、そういう人たちが私の作品をみて、まだ頑張れる、寂しくないと思ってくれたら。アーティストのフェリックス・ゴンザレス=トレスが好きなのですが、彼が『あなたにとってのpublicって誰ですか?』という質問に、『僕にとっての観客はロス(恋人)しかいない』みたいなことを答えていました。その答えが、孤独感や寂しさを感じさせる一方でかっこいいと思っていて。」

 

誰にでもわかる内容なのに、実はごく限られた誰かや何かに向けたメッセージを有する作品。生きづらさや寂しさといった、人間の弱さとも言える部分が作品として提示されることで、その作品が誰かの支えになるだろう、と岡田さんは言う。
「自分もそんな作品を見て、まだ大丈夫、生きていける、と思って育ってきたので、微力でも何か作っていきたいんですよね。」

「自分の皮膚の細胞培養がうまくいったら、自分の皮膚と違う色の皮膚をつくって、自分の肌に移植したり、将来的にやってみたいことはたくさんあります。いろいろな色の肌を移植して、世界中から仲間外れになってみたりもしたい。拡張の方向で既存の問題を相対化したいんです。だから、今のうちに培養などから学んでいって、今後のための知識と経験を得ていけたらいいなと思っています。」

 

ここまでの話を全て茶目っ気たっぷりに話してくれた岡田さん。その軽妙かつユーモアある話し方や明るい雰囲気につられて、私達も楽しく聞くことができた。しかし、その内容の根底には彼女がこれまで感じてきた疎外感や怒り、社会や人と繋がることへの渇望、そしてそれらを作品として表現することに対する強い想いが厚く、静かに横たわっている。
感情にまかせているようで、冷静。
ふざけているようで、真剣。
岡田さんのキャラクターと、彼女から生まれる作品とが重なる。

 

卒展で見ることができるでだろう、ハート型の皮膚。培養の結果は目には見えないかもしれないが、切り取られたそれは、彼女の一部だったものであり、世界と接続したい、そう願う細胞たちが、静かに、こっそりと、根を生やして虎とつながるのだろう。
虎によって語られる彼女のメッセージに、卒展会場で再会したいと思う。

 


執筆:大谷郁(東京藝術大学美術学部特任助手)
編集:藤田まり(アート・コミュニケータ「とびラー」)

 


第66回東京藝術大学 卒業・修了作品展
2018年1月28日(日)- 2月3日(土) ※会期中無休
9:30 – 17:30(入場は 17:00 まで)/ 最終日 9:30 – 12:30(入場は 12:00 まで)
会場:東京都美術館/東京藝術大学美術館/大学構内各所


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2018.01.23

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