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「一人立つ自分」 藝大生インタビュー2017|日本画 学部4年・佐藤佑さん

11月も終わろうとしているある日の午後。

私たちは、日本画科の4年生・佐藤佑さんのお話を伺いに上野キャンパスを訪れました。

今日は、残念なことに日本画科のアトリエは休室日。

待ち合わせ場所に立っていた佐藤さんの手には、大きなスケッチブック、絵皿や絵筆の入ったバケツ、そして背中には大きなリュック。

私たちのために、アトリエからわざわざ普段使っている画材を持ってきてくれたのです。

「あまり話すのは得意ではないので・・・」とはにかみながら口を開いた佐藤さん。

別室で、持ってきてくれた品々を机の上に並べていきます。

普段滅多に目にすることのない岩絵の具に、私たちは歓声を上げました。

それは「絵の具」と言われて想像するようなチューブ入りのものではなく、透明な袋の中にまるでお菓子の材料のように、色とりどりの粉や粒がサラサラと入っています。

天然素材のものもあれば、人工物もあるそう。

その一つひとつをついつい物珍しげに眺めてしまう私たちに、佐藤さんは丁寧に説明してくれました。

 

「僕の場合は、この岩絵の具を摺(す)って、粒子を整えてから着色に使っています。」

 

そう言って、普段岩絵の具を摺るのに使っている道具を見せてくれました。

「摺るときは、すごい音がしちゃうんですけど」と笑いながら。

 

―初めて聞きました。それって、他の人はあまりやらないことなのでしょうか?

 

「そうですね。みんながやるわけではないです。もちろん、摺らずにそのままでも使うことはできるのですが、岩絵の具は、単純に言うと『砂』のようなものなので、支持体である紙に対しての定着があまりよくありません。日本画の場合、絵の具を厚く塗り重ねていった後で、画面が割れてしまうこともあるんです。コンクリートのように、いろんな大きさの粒子を混ぜることによって定着がよくなり、画面が割れにくく強くなるんです。なので、それを気にかけながら制作を重ねていった結果、こういった絵の具の扱い方をするようになりました。」

 

―割れてしまうこともあるなんて驚きました。割れるのを予防する、保存性を高めるために佐藤さんならではの工夫をされているんですね。

 

「日本画は使う画材が限られているので、その中でいかに自分の画を作っていくか考えなくてはいけません。『何を描くか』『どんな色を使うか』といった絵作り的な部分だけでなく、『どうやったら割れないか』『どうやったら剥がれないか』ということも意識しながら描いています。何百年も経った後でも保存していけるようにするためにはどうしたらいいかを考えるうちに、使う画材やその扱い方にもこだわったり自分なりの工夫をしたりするようになりました。」

 

―今この時の完成のためだけではなく、ずっと先まで作品を残すことまで意識されているんですね。

 

「また、摺って粒子を調整しているのは、強い画面を作るという目的以外にも、混色のための工夫でもあります。日本画の岩絵の具は、粒子なので水彩絵の具と同じようには混色できません。それでもどうにか混ざらないものかと研究した末に行き着きました。実際に水彩絵の具のような混色が起きるわけではないのですが、粒子を細かくすることで視覚的に混色されたように見えるようになります。岩絵の具は、粒子を細かくするほど白味がかっていく性質を持っていて、単純に細かくすれば混色しやすくなるというわけではないので、やはり扱いの難しいところです。」

 

日本画ならではの画材に真摯に向き合い続けて得られた、佐藤さんの熱いこだわりを伺うことができました。

 

「本当はアトリエで実物をお見せできればよかったのですが・・・」と、普段制作しているアトリエの写真を見せてくれました。

写真中央に写っているのはとても大きな絵。

これが佐藤さんの卒業制作の作品です。

―大きな絵ですね。どれくらいの大きさなのですか?

 

「だいたい2畳くらいの大きさだと思います。アトリエでは6人の学生が同じサイズの絵を制作しています。」

 

―完成度はどれくらいなのでしょうか?

 

「これは、まだまだ途中です。今はまだ絵の具を塗り重ねてマチエールを作って、画面を盛り上げている段階になります。」

―全体的に色味はグレートーンに見えますが・・・、これは博物館の中でしょうか?

 

「はい。博物館の中で展示されていたものをいくつか選択し、自分で再構成した風景になります。」

 

博物館という題材と、先ほど伺った、佐藤さんの絵画の保存の面まで思いを凝らした考え方には、親和性があるように思えました。

 

「単に博物館の中を切り取った風景ではなく、学部での最後の制作になるので、これまで積み重ねてきた技術はもちろん、自分の気持ちも表現するものにしたいと思いました。」

 

―その「気持ち」とは、どういったものなのでしょうか?

 

「僕は岩手県の出身で、東京は遠い憧れの土地でもありました。大学に入学して東京で暮らすようになり、大きな博物館を訪れると、人が本当にたくさんいて。その大勢の人の中で、ふいに一人きりで立っている自分自身を意識したことがありました。その時感じた、上京したばかりの自分の孤独や、不安定さ。靴音が響いてしまいそうな静かな博物館の空間に漂う緊張感。これからの生活への不安もありながら、同時に憧れた東京という土地で一人がんばっていくことへの意志や希望もないまぜになったあの時の想いを表せたらと思っています。」

 

そういって視線を落とした画面の中には、博物館の中で出会うことができるたくさんのモチーフが並んでいます。

「画面手前は古来からあるもの。対して、画面中盤や奥には、展示ケースや博物館に来た人たちの人影など、現代的なものを配置しています。その対比のある画面の中に、自分自身を投影した像も置きたいと考えています。」

 

下絵の描かれたスケッチブックには数点の図案があります。佐藤さんの言葉を聞いて、どの図案にも描かれている四本足の生き物に目が行きました。

 

―自身を投影した像とは、この生き物でしょうか?

 

「まだ悩んでいるんですけど」と少し言いよどみながら、佐藤さんはうなずきました。

しいて言えば羊に似た生き物。どこかの国の、どこかの時代の伝説の生き物でしょうか。

 

―なぜ、ご自身を投影する像として、こちらのモチーフを選ばれたのでしょうか?

 

「少し迷ったのですが・・・。博物館でいろんなモチーフをスケッチしてきましたが、その中で一番立ち方や目線がまっすぐだと感じたからです。あの時感じていた自分の思いを重ねられるような、ぽつんと立っているだけではなく、強い意志を持っているようなそういう姿を描きたいです。とはいえ、自身を投影する先が、このモチーフだとまだ確信は得られていないのが正直なところです。」

 

まだ決めかねている、というその想いも私達に率直にお話してくれました。

 

「それは、きっと博物館の空間も自分自身も常に変化していくものだからだと思います。だからこそ、こうやって自分で再構成するときに悩ましいのかもしれません。」

 

―先ほど、技術の面でも4年間で積み重ねたものを表現したいとおっしゃっていましたね。

 

「例えば、今回の画では博物館の中ということで展示ケースがたくさん並んでいます。日本画で透明度を表現することは難しいため、ガラスという素材を描くことは複雑な表現になると思います。あえてそういった表現に取り組むことで、そこで絵画的な表情を出していきたいと考えています。」

 

異質なものが存在している博物館という空間。描かれたその空間の中で、ガラスをはさんで、またモチーフが映っている様子。実像と反射して映った虚像の両方を絵画の中でも存在させる。それは、佐藤さんにとって今回の作品での挑戦的な部分となっているそうです。

 

「画面の盛り上げは面相筆で行っています。」

見せてくれたその筆の細さに一同は驚きました。

 

―この大きな画面に対して、全てその面相筆一本で下地を作っているのですか?

 

「これでひとつひとつ岩絵の具を膠で溶いて画面にのせて盛り上げています。盛り上げたうえでさらに絵の具を重ねていくことで、画面が強くなる。最終的には見えなくなってしまう下地ではあるけれど、この作業があるからこそ画面が生きてくるんです。」

 

取り組んでいる作品の大きさと、その一本の筆の細さとを見比べて、気が遠くなる想いがしました。

 

「今は完成には遠い段階です。絵の具を重ねる中で、まだまだ変わっていくと思います。」

 

―ところで、佐藤さんは、なぜ日本画科を選択されたのですか?

「高三の夏に、初めて日本画にふれる機会がありました。それまでは高校で習っていた絵画は油画で、日本画にはあまり馴染みがありませんでした。東京に来た時に、藝大のミュージアムショップで画集を眺めていて、その時思わず手に取った本が、日本画科の教授である方の画集でした。衝撃を受けましたね。こういう絵画があるのかと。当時は受験期だったこともあり、写実的でリアルな絵画を追及していましたが、それを超えた先に絵画というものがあるのだと初めて感じた瞬間でした。先生の画に心を打たれて、大学で日本画を学ぼうと心に決めました。」

―入学されてから、実際の作品をご覧になりましたか?

「嬉しいことに何度も見る機会を得られました。画集を見て受けた衝撃より、本物を見たときの衝撃のほうが大きかったです。感動しました。例えば、日本画の「盛り上げ」の技法の部分だけをとっても、粒子を重ねて画面を盛り上げて、その後画面を洗って、また重ねて・・・。途方もない時間がかかっているのが見てわかります。自分でも同じ画材を手に取るようになって、作品自体の素晴らしさだけでなく細かな制作過程まで想像できるようになって、ますます先生のことを尊敬するようになりました。」

 

―志していた日本画科に入学されてからの生活はいかがでしたか?

 

「今まで受験時代までやってきたこととは全く異なる、ゼロからの学びになりました。

画材、色味、すべてが今までと違って。これまでの描き方を全てリセットしなくてはと思いました。」

 

―新しい学びの連続だったんですね。

 

「藝大の日本画科では、生徒それぞれのやり方を尊重してくださる風潮があり、いい意味であまり指導はされません。僕はこの点をとてもいいところだと思っています。先生方には、日本画の伝統的な技法を守りながら、新しいものを常に追求していく姿勢があります。世間的には、日本画は伝統的なもの、不変であろうとしているもののように思われているかもしれません。しかし、藝大の日本画科は伝統的な画材を用いつつも常に新しい絵画を作ろうと試みています。」

 

―佐藤さんにとって、日本画の魅力は?

 

「一言では言えませんが、例えば、日本画の質感に魅力を感じます。光沢のなさがそうさせるのか、すごく自然に目に入ってくる。日本画の岩絵の具だけがもたらす、特別な質感だと思っています。」

 

佐藤さんのこれまでの作品の写真も見せていただきました。

一同その美しさに歓声。

 

「これらも全て面相筆で盛り上げていってから作り上げたものです。描いてはいても強く主張しないようなモチーフの配置には今までも気を配っていました。」

 

モチーフをあえて埋没させたような、視覚的でない表現。鑑賞者にとってそれらは、見れば見るほど浮かび上がってくるようです。

 

「いつも描いていく中で、失敗が成功に繋がっていくような・・・モチーフの存在感を強めすぎず、弱めすぎず、自分なりに調整していく中で偶然的にできあがったものとも言えます。」

 

―作品を制作されていて、完成だと思うのはどんな時なのでしょうか?

 

「完成のイメージは事前に持ってはいるのですが、いつだってそう順調にはいかず・・・。しかし、ある日突然完成の瞬間が訪れる、という感じですね。

日本画というものの難しさがそうさせている部分もあるのかもしれません。

というのも、日本画は絵の具が乾いて定着したものと、濡れている段階では見え方が全然違います。気温や湿度によって、同じように描いたとしても、見え方が変わるんです。チューブから出てくる絵の具とは違って、常に同じ色を出すことはできなくて、どの色も偶然でできたもの。そんな偶然の中で思いがけずいい発色になることもあれば、その逆もある。

なので、描いている途中段階は、先の見えなさを感じてつらくなることもあります。

しかし、そんな中でも自然と手が進むときは楽しい。完成が見えてくると、気持ちも高まってきて。今まで積み重ねてきた作業が、後になって、いきてきたのがわかってくるんです。」

 

―そういったつらさや悩ましさの中で、最初にお話してくださったような佐藤さんならではの画材の扱い方や描き方を模索されてきたのですね。

 

「これまでの制作でも、今回の制作でも、自分にとって実験めいた表現をしていっています。そのせいもあって、様々な美術作品を見る中で技法に注目することが多いです。日本画以外の技法や表現も取り入れていきたいと思いながらみています。周りからは、時には『変なことやってるな』と思われているかもしれません。それでも自分の表現の中に生きてくると信じています。」

―美術以外のもので、息抜きであったり、もしくは制作への刺激となっているものはありますか?

 

「美術館だけでなく、動物園や博物館にもよく足を運びます。鑑賞するのが好きというのもありますが、ミュージアムという空間に身を置くこと自体が好きなんだと思います。

ミュージアムの片隅に置かれている椅子に腰掛けて、全体の空間を俯瞰して見るのが好きです。ちょっと下がった目線で空間を眺めるような。」

 

なるほど、今回の卒業制作の作品もご自身が博物館の中に身を置き、目にしたものが再構成されているもの。空間の構成やものの見方を変えるような試みを作品の中でしているかのようです。

 

―お話を伺ってきた中で、日本画に取り組む上でたくさんの「悩ましさ」を感じていらっしゃるように思います。そんな中で佐藤さんが日本画を描き続けるモチベーションは?

 

「確かに、過程は楽しいと思えることばかりではありません。描き終わって、完成してからようやく楽しかったと思えるものかもしれません。完成した作品を、何年後かに見たらきっと改めてよかったと安心できるのだろうなと思っています。ふりかえる、というよりも当時しっかりやっていたかを確認する作業のようになってしまいそうです。

入学当初の作品を今振り返ると、失敗を恐れていなかった分だけ表現の幅は広かったように思えて、過去の自分の作品からも学ぶことがしばしばです。」

作品と一緒に展示する自画像も「博物館という空間の中にいる自分」を描いたそうです。

ガラスケースを覗いているようなまなざしでこちらを見ている像を。

 

「作品のタイトルもまだ決まっていないんです。これまでの制作でも、いつもとにかく描くことに集中して、描きながら考えるような感じです。最後にどこを見せたかったかを考えてタイトルを決めています。」

 

見せていただいたこれまでの佐藤さんの作品たちは、いつもシンプルな中に余韻を持たせるようなタイトルがつけられています。

 

また後日、卒展の場で完成した作品を見せていただくことを約束して、私たちはその日お別れしました。

 

日本画への情熱、誇り、敬意。

新たな技法や表現への飽くことのない探究心。

佐藤さんの常に謙虚さを失わない静かな語り口調の中に、そういったものが確かに感じられました。

 

「そんな中でも進んでこられたのは、どこかに自信があったから。」

途中、シンプルな言葉でしたが、常に謙虚な語り口調の佐藤さんからその言葉が聞けたのは少し意外でした。

できるはず、描けるはずという自信があったからこそ、心細さの中でも制作を続けてこれたのでしょう。

 

東京の大勢いる人々の中で、ひとり立っている自分。

私自身も、そんな自分をふいに意識する瞬間があります。

慣れない土地で見知らぬ人々の中でたった一人で生きている自分は、孤独で心もとない存在のようでもあり、同時に「一人でも生きていける自分」として、強い存在でもあるような気がして。

佐藤さんも、上京した若者の一人として、私と同じような気持ちを感じたのでしょうか。

後日、アトリエにて。

細い面相筆一本で大きな画面に絵の具を重ねていく佐藤さんの姿がありました。

 

まだまだ途中段階だと語られるこの作品は、これからどんな色を帯びて、どんなタイトルがつけられるのでしょうか。

「自身を絵の中に投影したい」そう語られていたこの像は、完成を迎えた時どんなまなざしでこちらをみているのでしょうか。

 


 

取材:ア—ト・コミュニケータ「とびラー」

執筆:服部美香

とびラーになりアートやコミュニティデザインといった、これまで触れたことのなかった世界やそれに関わる人々と出会うことができました。

今年任期を終えた後は、これまで得た刺激を忘れずに、故郷でものづくりを行う人とそれを鑑賞する人を繫げられるような場づくりをしていきたいです。

インタビュー:服部美香、柳田路子、有泉由佳子、白土寧士

撮影・校正:峰岸優香(とびらプロジェクト アシスタント)


第66回東京藝術大学 卒業・修了作品展
2018年1月28日(日)- 2月3日(土) ※会期中無休
9:30 – 17:30(入場は 17:00 まで)/ 最終日 9:30 – 12:30(入場は 12:00 まで)
会場:東京都美術館/東京藝術大学美術館/大学構内各所


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2018.01.20

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