2023.01.20
自宅に戻ったらそろそろ厚手の上着を準備しなくてはと思うような、冷えて落ち着いた晩秋の空気の中、油画専攻・学部4年生の土屋玲(つちやあきら)さんへのインタビューのため、私たちは東京藝術大学内の土屋さんのアトリエに向かいました。
絵画棟のエレベーターを降りて、アトリエが並ぶ廊下に出ると、空気に絵の具の匂いが混ざります。
私たちを迎えてくれたのは、麻布を張った四角いキャンバスという一般的な油画のイメージを大きく覆した、巨大な立体作品でした。
柴田—すごく立体的な作品ですね。今回の卒業制作の作品のアイデアをお聞かせいただけますか。
はい。牡蠣の貝殻をモチーフに、油絵具と、油絵具以外の素材も色々取り入れて、それぞれの性質を生かしながら作っています。
牡蠣の貝殻の表面は、海にいる時にこの牡蠣が遭遇した出来事が堆積されて層になっています。この堆積の結果現れた貝殻の表情を、油絵具をはじめとする様々な素材が出す表情と重ね合わせながら、作品を制作しています。
柴田—土屋さんは、他にも層を持った立体的な作品を制作されていますが、そうした作品もこの牡蠣のように自然由来のものがモデルになっていたり、時間の積み重ねを表現されていたりするのでしょうか。
そうですね。元々は、広い風景を結構描いていたんです。
自然の営みの中の時間の積み重ねのようなものを描いていきたいという思いはずっと前から持っていて、それはたとえば森のように人の手の入っていない風景にせよ、都市のように人が作った風景にせよ、自然という大きな営みの中で生まれた風景であることは同じだと思っています。
その時間の積み重ねの結果生まれた何キロも先まで見渡せるような風景を、貝殻という手のひらに収まるようなサイズでも、同じような感覚や風景が見出せるんじゃないかなと思いながら描いています。
岡田—作品のテーマを牡蠣にしたきっかけは何でしょうか。
去年の11月ごろ、広い風景を描くために田舎に行こうと思いついて、山形にスケッチに行ったんです。
その時に、風景だけでなく、道端に落ちていた葉っぱ一枚がすごく綺麗だなと思って、葉っぱのスケッチもしました。小さいものを描くことを意識し始めたのはこの頃からです。
それから私は料理をするのがすごく好きなんですが、料理や食事の時間でも、食べ物が持つ多彩な質感や表情からは常にヒントを得たいと思っていて、そのなかで、ふと、牡蠣っていいんじゃないかと思ったのがきっかけの一つですね。
そこから、牡蠣といえば広島かなと思って広島に行きました。
海の近くに行ったら牡蠣の出荷の工場がバーンと並んでいて、そこにある牡蠣をお願いしていただいてきました。
海から揚げたばかりの牡蠣は、他の小さい牡蠣がついていたりや大きなフジツボがくっついていたりといろんな面白い発見があって、牡蠣をテーマにしようと決めました。
柴田—ちなみに食べ物としての牡蠣は好きですか。
好きです。昨日も食べました。
柴田—今ちょうど時期ですからね。
土屋さんの作品では、「時間」がキーワードになっているように感じました。時間の経過や物事の堆積といったことに興味が湧いたきっかけがあるのでしょうか。
いくつかターニングポイントがあったのかなと思っています。
高校生の1年生の時の宿題で、とうもろこしのデッサンが出たんです。
とうもろこしの粒を一粒一粒描きながら追っていくことで、いつの間にかとうもろこしの形態が現れていく面白さを実感しました。
当然、1日では描ききれないので、何日かかけて左端から右端に向かって描いていくんですけども、日が経つにつれて、とうもろこしがだんだん枯れて萎んでいくんです。描き上がってみると、数日間の時間の経過を、左から右にいくにつれて水分が抜けていくとうもろこしで発見することができて、それが自分がとうもろこしと過ごした時間を体現してくれている感じがして、すごく面白い体験として心の中に残っていました。
これがターニングポイントとなった原体験の一つです。
あとは、良い人であろうと悪い人であろうと、その人のヒューマンドラマがあるわけじゃないですか。それは幼少期の記憶とか、いろんな事情があってそこにたどり着いているわけで、当たり前だけど1人の人生って色々あるなって思います。
いろんな人と関わっていく中で、そういうことをすごく強く日常的に感じていて、じっくり見ることで個人が抱えている色々なことを発見できるという面白さが、ものを観察する時にも同じようにあるんだなと思っています。
この2点は、時間経過とか、人生の積み重ねといったものに興味を持ったきっかけと言えるかもしれないですね。
岡田—作品を見ると、非常に厚みがあって様々な素材が何層にも重なっていることがわかります。どんな素材が取り込まれているのでしょうか。
ベースはレジンという樹脂を使って制作しています。下のツルツルした層や、上にかかっている艶っぽいものもレジンです。
あと発泡ウレタンや綿なども使っています。なかなか画材としては使われない素材ですが、牡蠣から見た新しい表情のようなものが作っていけたらいいなと思って使っています。
岡田—綿のような自然的なものも、レジンのような化学的なものも、両方使われているのですね。
そうですね。化学物質というと人工的なものという印象を持ちがちですが、例えばレジンも、垂れて偶然できた表情はすごく自然的な形を見せてくれることもあります。
化学物質も結局は自然界の現象であることには変わりないと思うので、幅広く「自然的なもの」として扱えたらいいなと思って化学的なものも扱っています。
岡田—作品から、牡蠣を非常によく観察されていることが伝わってきます。どのようなスタイルで制作されているのでしょうか。
実際に牡蠣を手元に置きながら描いています。
それと同時に、牡蠣を木炭でデッサンしてみたり、クレヨン、鉛筆、ペンなど、いろんな画材でスケッチしてみたり、牡蠣が出荷されている様子を写真に撮ってみたり、いろんな角度から牡蠣を見ることもしています。時間をかけて観察することで、描きながら牡蠣への理解も深めているという感じですね。
私たちの質問に対する土屋さんの回答は素早く明確で、土屋さんが普段どれだけ真剣に作品に向き合い、これまで時間をかけて観察してきたかということを裏付けていました。
インタビューの内容は作品から学校生活に移ります。
赤井—大学生活の中で変化したことはありますか。
まず一つには、それまで結構好きで使っていた、四角いキャンバスというフォーマットを大きく崩したということです。
これによって、自分の中で「四角」がどういう存在だったかということを考え直すきっかけになりました。
もう一つには、小さいものを拡大解釈していって広い世界にしていくという描き方を取り入れたことです。
小さいものをモチーフにして広い世界を見るということと、小さいものをずっと観察してくことで、そのものに対する理解を深めたり、描きたい幅みたいなものが大きくなったり小さくなったりする可変の状態で描き進めるということは、自分の中では挑戦でした。
この2点が大きく変わったところかなと思います。
赤井—その変化は、周りから影響を受けて変化したことなのでしょうか。それとも、自分自身の成長の中で変化していったことなのでしょうか。
どちらもあるかなと思っています。
教授からは、ある時期、私が、キャンバスの四角さが自分には少し窮屈かもしれないと悩んでいた時に、「服に描いてみたらどうか」という提案をいただいたことがありました。
服って、胴体の部分は四角として捉えられますが、袖の部分まで含めれば四角から外れた形にも捉えられるので、そういう、四角とも取れるしそうじゃないとも取れるような形から始めてみるのはどうかと提案していただいて、こうしたきっかけは友人や教授からいただくことが多くて、刺激を受けました。
大学ではみんないろんな素材を扱って、いろんな作品フォーマットで制作しているので、友人から今作っている作品の話を聞くと、もっと自分の感覚に合う素材が無いかなって追求してみようという気持ちになりました。
それから、家ではできない広い制作スペースで描けるので、描きたい幅が可変な状態から描き始めることができるということも、変化の過程として一つあるのかなと思っています。
柴田—元々は風景を描かれることが多かったとのことですが、それは、土屋さんのご出身である岐阜県の風景や環境とは関係があるのでしょうか。
それは非常に関係があるかなと思っています。
私が生まれ育ってきた地域は、商店街や高いビルがある一方で、自分の家の裏は山だったりして、自然の風景と人の作り上げた風景が混在していたので、これが人と自然というものを考えるきっかけになったかなと思います。
例えば古い家がちょっとずつ壊れていく姿とか、初めは活気があった商店街もちょっとずつ元気がなくなっていって姿形を変えていくことも、「時間」という自然の成り行きの中で起こっていることなので、そういう自然と人工の関係性は面白いなと思っています。こうした感覚は基本的には変わってないなと思いますね。
柴田—気分転換にされていることは何かありますか。
料理は気分転換としてよくしてますね。
プロではないので気軽に作れるし、私にとっては美味しいということがゴールなので、それってすごくわかりやすいし、制作とは程よく距離を置きながらも、制作にもつながっていくような部分があるなと思っています。
気分転換としての料理はちょっと時間をかけて、出来るだけ化学的なものを使わずに作ってみるっていうことをしています。
あとはファッションも、好きというか私の中の趣味みたいなものとしてあります。
いろんな素材やカラフルな色がぶつかってるものが好きなので、ファッション雑誌を読んでいます。今時あんまり雑誌を買う人っていないのかもしれないですけど、いくつか雑誌を買ってきて、暇なときに読んでいます。
柴田—卒業後、どんな活躍をしていきたいという展望はありますか。
進学を考えてはいるんですが、さらにその先を考えると、そうですね・・・・・・。
今までは作品を作るということに精一杯で、それがどういう展示空間に置かれるべきなのかというところまではなかなか考えるきっかけがなかったんです。
ただ、今回の卒業制作を通して、どういうふうに展示しようかという考えが結構浮き上がってきました。展示空間のことも考えたら、作品自体の形もこれから変わっていくかもしれないし、自分自身の作品を探る機会として、自分の作品を積極的に発信しながら作品を作っていきたいです。
それから、自分が社会の一員として生きていて、何か、今の社会について思うことや疑問に対する答えを、作品という形で社会に提示して、社会に関わっていけたらそれが私にとっては一番いいのかなと思っています。
赤井—土屋さんにとって、作品を展示されるということは、どのような経験で、どのような感覚になるのでしょうか。
まず、作品にとっては、形が変わるきっかけだと思います。
描き上げてそれで完成というわけじゃなくて、展示するとなった時に、このままじゃ立たないとか、このままじゃ重すぎるというような物理的な問題が出てくるので、じゃあ作品こうしないと、というように、作品自体が変わるきっかけになります。
作品の形を変えるというのはマイナスなことのように感じますけど、それが結果的にマイナスかどうかはわからないし、それもまた一つ経験になると思うので、まあそういうものだなって思うんですよ。
制作していると、どうしても作品自体のことだけを考えようとしてしまうけど、壁にかけるとなったら壁のこととか、そういう、作品の輪郭のことも考えなくてはいけないなと思います。
例えば山があったとして、その山の輪郭を、山際として見るのか、スカイラインとして見るのかということは、同じことを言っているようだけど、それはやっぱりどちら側からも考える必要があって、そうした作品の内と外とのことを考えるきっかけになるかなと思っています。
あとは、作家にとっては「挫折」するタイミングだと思うんですよ、その作品を掲げるということは。
常に自分への評価が気になるわけで、見た人にどう言われたかとか、足を止めてくれたかどうかとか、些細なこと一つ一つが成績表として通知されてる感覚になるので。それがまあ辛いといえば辛いんですけど、でもそういう挫折が自分を変えるきっかけのプレスにはなると思います。発表の場っていうのはそういうものなのかなって、私は捉えています。
人との対話、料理、ファッションなど、日常生活の中でも常に作品のヒントを探し求める一方で、一つの物を観察し続ける根気強さも持ち合わせている土屋さん。
土屋さんの作品が持つ層の一つ一つには、土屋さんの日々が重なっています。
取材:柴田翔平、赤井里佳子、岡田正宇
執筆:柴田翔平
「美術って、興味はあるけど、どう見たらいいかわからない」
このインタビューから帰宅後、厚手のコートを出しました。
(柴田翔平)