2025.01.24
2024年12月6日。空の青と、風に舞うイチョウの葉っぱの黄色が美しい上野公園を抜け、私たちは東京藝術大学の絵画棟へ向かいました。日本画科のフロアの廊下には、学生さんが脱いだ靴がたくさん並んでいました。私たちも靴を脱いで部屋に入ると、背筋をピンとまっすぐに伸ばして微笑む渡辺千菜さんが出迎えてくれました。
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ー これが卒業制作の作品ですね。
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そうなんです。1月末に卒業・修了作品展があるので、締切の1月初めに向けて進めているところです。制作自体は後期の10月初めからスタートしたんですけど、この大きな画面に色が入ったのは11月くらいです。
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ー 作品のテーマやコンセプトについて教えていただけますか?
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モチーフは、今住んでいる場所の近くのお花屋さんです。暗い店内で、店員さんが待ちぼうけしている感じが面白くて気になっていたんです。
そこでひまわりを買ったんですけど、「開花してないから安くしてあげる」みたいな感じで、「まだ咲いていないし、これから咲くのに安くなるんだ」って、お花の価値のことがとても印象に残り、その時に感じたことを描こうと思ったんです。
咲いてない花の価値って何だろう…。まだ未熟な…、うん、人みたいな。これから大成する、もしくはいつ大成するかわからないものを、最初は値段を安くして、だんだん大成したら価値が上がってくるのが、なんだか人みたいだと思って印象的だったんです。この作品の中の店員さんに、「焦らないでそれを気長に待ってる人」という意味をこめました。身近なお花屋さんをモチーフに選んだ理由のひとつは、その時の感情を忘れないように、何度でも実際のお店を見に行けるからです。
ふだん大学にいると、面白い絵を描く子やセンスのある子を見て焦っちゃうんです。自分があまり面白くないものを描いちゃっているんじゃないかって…。人に、自分が藝大生であることを言うと、それだけで「すごい」とか「好きなことやっていていいね」と言われますけど、すごく努力して入学してきている学生ばかりです。でも、絵の人生は長いです。先生方を見ていると、焦らずに気長にのんびりやっていこうって思います。
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ー 10月から描き始めたとのことでしたが、今の形になるまでどんな風に作業を進めてきたのでしょうか。
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普段からよく人を描いているので、人物をよく見せたくて描き始めました。人物だけじゃなくて、全体の空間の見え方が面白いなと思ったので、あえて人物をガラス越しに見せるようにして、存在感が出過ぎないようにしました。実はこの人物は、妹にモデルになってもらったんです。
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基本的に、毎日その日に作業した作品の写真を撮って家に帰り、iPadを使って色味を暗くしたほうがいいところや手を入れすぎたところを画面上で編集し、翌日の制作に活かしています。
例えば、このひまわりに目を向かせたいのに、それ以外のチラチラしたところが見えすぎてしまうので、iPadの画像編集機能で暗く抑えてひまわりに自然と目が行くよう、iPadの画面上で練習するイメージです。そうしてようやく今の形になりました。
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ー この部屋だけではなく、家でも作業が続いてるんですね。
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そうですね。特に卒業制作なので、後悔したくないと思い毎日頑張っています。
大体みんな大下図(原寸大の下絵のデッサン)の段階で完成のイメージを出しているんですけど、私はそれが苦手で、徐々に進めてきた感じです。
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ー 日本画を描き始めたのはいつ頃からですか?
大阪で美術系の高校に通っていて、高校3年生からです。それまで油絵をやっていたのですが、日本画の先生と出会って、先生や学校から勧められて始めました。
元々、油絵の時も写実的な人物をよく描いていて、色味も落ち着いたトーンでした。その時の先生から「日本画の方が特性を活かせるんじゃない?」というアドバイスをいただきました。落ち着いた色彩で、日本画っていいなと思ったのがきっかけです。
実はバレエを習っていたことがあって、当時から人間の身体の動きや、身体が表現するものにとても関心があったんです。レッスンするより、周りの子たちを見る方が楽しかった。だから人物画が好きなんだと思います。
両親が美術好きで、夏休みの絵はちゃんと描かないと怒られていました(笑)逆にそれ以外の勉強はあまり怒られませんでしたね。それをすごいプレッシャーに感じていた時期もありました。
父は建築関係の仕事、
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ー 日本画は油絵のようにチューブから絵の具を出してすぐ取り掛かるという風にはいきませんよね。準備段階で絵の具を作るのにも時間がかかると思うんですが、もどかしさは感じたことはありますか。
はい、あります(笑)特に、私はせっかちなので。
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ーえぇ〜!せっかちに見えませんよ。おっとりさんに見えます。
今回の作品は、これでもだいぶ練った方なんですけど、普段の大学の課題だと、あんまり煮詰まりきらないまま早く彩色に入りたくなってしまって、失敗することが結構ありました。
色は多少変更することはできるんですが、モチーフの配置を変えたりなど構図を変更するのは、日本画では難しいんです。構図に関しては下絵の段階でものすごく綿密に考えていかないといけないのですが、この4年間で何度も失敗しました。でも、そんな風に制限がある方が楽しめます。
1〜2週間に1回ぐらい先生たちがいらしてアドバイスしてくださるんですけど、「あんまり描き込みすぎて写実的になりすぎると見る人にとって説明的すぎて面白くないから気をつけてね」と言われたりもします。
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ー 画材について教えていただけますか?
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この袋から粉末状の岩絵具を出して、絵皿に移して膠(にかわ)※と混ぜてから水分量を調節して使います。この絵の具の袋に色の名前が書いてありますが、名前の横に数字が書いてあって、数字が若ければ若いほど粒子が粗くなるんです。これはほとんどが天然素材です。全部の色に漢字の名前もついています。こっちのカタカナの名前の色は比較的最近作られたものです。
水と膠の分量も、膠の量を調整して、描いていくうちに段々と濃度を薄くしていかないと画面の中で絵の具が割れてきちゃうんですよ。絵具を塗り重ねて層になった時、上の層の膠の粘着力が強いと下の層を引っ張って割れてしまうので。また、粒子が細かい絵具を重ねすぎると割れやすくなるので、粗いのと細かいのを交互に重ねます。そうやって私は強度を高めていくように意識しています。
※膠(にかわ)・・・動物の皮や骨、腱などを煮出してコラーゲンを濃縮し、固めて乾燥させた接着剤
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ー 刷毛や筆など、道具の使い方にも工夫があるんですか。
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例えばこういう横線は、一度絵の具を塗ってから櫛で引っ掻いて木目を表現しました。
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この作品はキャンバス(布)ではなく、和紙を使っています。
まず、和紙全体に下地を塗っています。部分によって違いますが、最初に赤を引いて、次に緑・青を重ねて、そこを削り、洗い落とします。和紙は結構丈夫なんですよ。
とはいえ、岩絵具も天然由来の鉱石から作られているし、刷毛や筆に使われている動物の毛なんかもだんだん捕れなくなってきているので、今ある在庫がとても貴重なんです。材料が失くなってしまうかもという危機感がありますね。
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ー 今回花屋さんを題材に選びました。何か今感じていることがあったら教えてください。
日本画を描くようになって花が好きになりました。それまでは花なんか別に生きていくことには必要ないものだと思っていたんです。でも、冠婚葬祭で見る花や、お祝いなんかでいただくとやっぱり嬉しい気持ちになるし、部屋の中に自然のものがあるだけで明るくなりますよね。人間が自然を破壊して建物などを建てているにも関わらず、そこにまた新しく公園を造ったりして、やっぱり人って自然とか植物がないと生きていけないものなんだって。そんなことを普段から感じています。
植物は枯れるとドライフラワーとして飾られたりしますし、人も歳を重ねて老いていきます。そういうのがとても好きなんです。最近はアンチエイジングが主流なので、自然に逆行していますよね。人も花のように老いを楽しめる人が増えればいいのに。
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ー 絵を描くこと以外の時間はどんなことに使っていますか?好きなことを教えてください
ご飯ですね。外食です。食べることが大好きなんです。お店の味はもちろん、盛り付けとか食器とか、そんなことを楽しんで感じられる時間に使っています。シェフの趣味や、お客さんのことを考えた味付けとか、身近に感じられるお店が好きです。
「食べログ」(インターネットのグルメ情報サイト)の日記機能があって、そこにほぼ毎日記録してるんです。絵も好きですけど、食べるのも好きなので、いつか記録を元に自分で挿絵を描いて本が出せたら・・なんて考えたこともあります。
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ー この先、何か見据えているものや夢などありますか。
今は大学院に進学することを目標にします。その次のことはあんまり考えていないんですけど、本の挿絵やそういう分野に関わっていけるような作品が描きたいなと思っています。
あとは、早く両親に恩返しできるように。大阪から上京して、画材もすごく高いですし、予備校に3年通わせてもらえたのは当たり前なことではないと思っています。
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ーこれからどんな作品を描いていきたいですか。
今年退官される齋藤典彦先生という教授も、抽象的な山などを描いているんですけど、若い時は写実的なものも描いていたんです。そういうのを経て徐々に抽象になってきているので、自分ももしかしたら今後、目の前の描きたいものを一生懸命描いて、これから出会う人や生活で考え方が変わって、表現も変わっていくのだろうなと思います。
今は、キレイめなものを描いていますが、さっきも言ったように、本当は枯れている植物や老いた人物を、絵として描いていきたいなと思っています。
卒業制作展には、両親が見に来るとか、やっぱり見にくる人のことを考えてしまいますが、全員に受け入れられなくても、本当に描きたいものを堂々と描けるようになりたいです。
私は、自分が思っていることを作品を通して汲み取ってもらえて、まぁ、そこまで深く考えたり答えは合っていなくていいと思うんですけど、この人はここを見せたかったのかなって思ってもらえると嬉しいですね。あとは、長時間見ていられる絵作りや自分が考えていたことが鑑賞者に伝わったらいいなと思いながら制作していきたいです。
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「枯れた花や老いた人を描きたい」とお話しされていた渡辺さん。偶然にも今回取材に伺った私たちの年代はシニア!渡辺さんが、「時間の経過とともに変化することは美しい」と捉えていらっしゃることがわかり、なんだか嬉しくなってしまいました。
制作中の貴重なお時間をいただきありがとうございました。
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インタビュー:西山美香・杉山佳世・岡田正宇
執筆:西山美香 執筆サポート:杉山佳世 写真選定:岡田正宇
撮影・編集:竹石 楓 (美術学部絵画科日本画専攻3年)
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お話を聴きながら、人や自然を表現者として見つめる、鋭さと優しさが同居するまなざしを感じました。渡辺さんの根っこから育った樹が、どんな豊かな花や実をつけるのかとても楽しみです。(12期とびラー:西山美香)
ジャンルの垣根がなくなっている今、日本画の伝統が今なお引き継がれていることに日本人として改めて感動。渡辺さんの「長時間観ていられる作品」という言葉から、繰り返し聴ける音楽など共感、思いを馳せることが多々ありました。お人柄から醸し出される透明感がそのまま漂う作品が楽しみです(12期とびラー:杉山佳世)
渡辺さんの作品の中に、自然を大切にする気持ちや日常の中での美意識を感じました。日本画の奥深さ、表現の難しさと向き合う姿は素晴らしく、柔らかな人柄も笑顔の中に感じられました。完成作品は時間をかけて観ていただきたいですね。(11期とびラー:岡田正宇)