2025.01.27
2025.01.27
12月4日、黄色く色づいた銀杏が青空に映える暖かな日に、東京藝術大学(以下、藝大)上野校地絵画棟へ向かいました。エレベーターで8階まで上がると油絵の具の香りと共に、廊下には様々なキャンバスが立てかけられています。少し緊張しながらドアを開けると、大きな窓から光が入る明るい部屋でにこやかに宮林さんが迎えてくれました。
ー 幼少期から今に至る絵との関わりを教えてください。
幼稚園の頃、人見知りだった私を見て、母が近所の絵画教室に通わせてくれたのが、絵を描く始まりでした。それから高校2年生まで約15年、その教室に通いながらずっと絵を描いていました。 絵を描くことはごく自然なことで日常の中に絵がありました。小学校2年生ぐらいの時に将来の夢を聞かれて、画家と答えたのが記憶に残っています。画家になるためにはどうしたらいいのか考えるようになった中学校の頃に、絵画教室の先生から「美術大学」というものがあると教えてもらい、大学進学先を美大にしようと決めました。
油画を選んだ理由は、中学生の頃から自分にあっていたのと、油絵の技法や質感に魅力を感じていたこと、さらに先生の個展で見た油絵の質感に強く惹かれたからです。大学は多摩美術大学(以下、多摩美)に入学し、学部3年生の後期に半年ドイツに留学しました。好きなドイツの作家が何人かいたことや、多摩美でお世話になった村瀬恭子先生から聞くドイツのお話に興味を抱いていたことがきっかけです。さらに、交換留学のプログラムにベルリン芸術大学があると知り、迷わず留学先に選びました。
その後、藝大の大学院を受験してみようと思ったのは、多摩美で次の進路を考えていた時に、尊敬する薄久保香先生が教授に就任されることを知ったからです。以前から先生のもとで学びたいと思っていましたし、ベルリンで先生の個展(二人展)を拝見していた経験など、さまざまな偶然が重なりました。学部の時の志望動機とはまた違った志望動機で藝大を目指すことになりました。
ー ベルリン留学で気づいたこと、得たことがありますか?
当初、英語もドイツ語も全然分からなかったのですが、ベルリン芸術大学の先生が非常にシンプルな言葉で話してくれたおかげで、考える幅を広げることができました。たとえば、ある単語について、単語自体は知っているけれど、先生が言っているこの単語の周囲にあるものは何だろうと掘り下げて考えることができるようになりました。また、先生が私の絵を見て「良い部分」と「良くない部分」を指摘してくれ、その違いは何なのか、自分で基礎的なことをじっくり考える時間が増えました。初めは考えをまとめるのに非常に時間がかかりましたが、制作方法を紙へのドローイングに絞るなど、シンプルにすることで短い留学期間を濃密に過ごせたと思います。また、言語が不十分な分、コミュニケーションがより身体的で人間味のあるものになったと感じました。その後、東京藝術大学に進学してから迎えた2021年から2023年の2度目のベルリン留学では、ドイツ語を改めて学びました。言葉が通じるようになると、相手との距離感が縮まり、本当に些細なコミュニケーションで勇気をもらえることがありました。ドイツの冬は毎日とても暗く、寒く、空は灰色でしたが、そんな中にも光が宿る瞬間がありました。例えば、朝の太陽の光や、ちょっと誰かに微笑んでもらえた時など。そういった些細な日常での出来事が、なにか「土の上で生きている感じ」がしました。それは制作をする時の「土の中を触っていく」ような素材との向き合い方にも繋がっているような気がします。
ー 留学前後で作品に変化があったということでしょうか?
留学前は、すでに地塗りされてツルッとしたキャンバスに目に見えるものを描くのが自然だと感じていました。しかし、そうした「描きたい」「見せたい」という自分の中のサイクルにどこか違和感や傲慢さのようなものを覚えるようになりました。描く前から、何を選び、何に描くかというところから絵が始まっていると留学を経て考えるようになりました。
今では、キャンバス地の布や紙といった素材に対して、無垢の状態から向き合い、素材との対話を大切にしています。自分の気持ちで一方的に「描く」だけでなく、具体的には、キャンバスの粗さ細かさ、紙の厚みや薄さによって、絵の具のオイルの染み込み方や膠(にかわ)のしわの入り方が変わってきますが、そうした素材それぞれが持っている力、「こちらに働きかけてくる力」のようなものを見ています。素材をコントロールすることとされること、または、描くことと描かされることが同じくらいのバランスでありたいと思っています。どちらか一方に偏ってしまうことなく、その微妙なところに意識を向けるようにしています。ちょっと足りない、不安定な状態でいることがいいなと思うんです。それは次の制作に繋げるためでもあったりします。
ー 卒業制作について教えてください。
展示する場所を意識しながら制作を進めています。今回展示をする絵画棟5階の南側の部屋は、大きなガラス窓からは外の景色がはっきりと見渡せて、1日の光の入り方や動き方がとても変わりやすいのが特徴です。場所と絵がどのように存在し合い、影響を与え合うのかを見ていこうと思っています。
3枚の絵は同じコットンのキャンバス地を使っていますが、同じ素材でも3枚それぞれに微妙な違いがあり、塗られていない部分の白さやその広さがどう異なって見えるかを探っています。
絵の具は日本画で使用される顔料を自分で練って作っています。顔料の粒子の動きが見えて、その粗さや細かさで色の出方が変化したり、キャンバスの地と顔料の粒が一体となって、新たな色や流れが生まれる過程を大切にしています。絵画は「レイヤー」の重なりとも言われますが、私にとってはレイヤーという面ではなく、いろいろな大きさの粒の重なりが振動している「場」のように思っています。絵を描くということは自分が絵の中を触っていく、または掘っていくような感覚を持っています。今回のテーマは「絵と場の共存を試す」というものです。
ー 作品を展示する環境を考えて制作することが多いのでしょうか。
最近は、絵を描いて終わりではないんだろうなと感じています。描き上げた絵が世に出た後、どこへいくかはコントロールできないですが、何年か先にその絵がどのように存在しているかを考えています。・・・絵が「飛んでいったらいいな」と思うんです。文字通り、物理的に飛ばしたい気持ちもありますが(笑)、絵によって何かを変えることができたらと思っています。自分は日常の中でよく目にする光景がある瞬間に全く違ったものに見える、「あっ」と思う瞬間を描けたらいいなと思っています。自分にとっては、いま目の前にある素材と向き合うことや、素材の動き方を追いかけていくことが絵を描くというリアリティなのですが、そうすることで日常の光景に何か変化をもたらすことができたらいいなと考えています。
ー 作品タイトルで大事にしていることがありますか。
タイトルに言葉としての機能を持たせないことに、意味があるのではないかと思っています。私は、言葉も一つのドローイングだと思っています。絵のタイトルではあるものの、絵そのものを表現することから離れて、言葉そのものを魅力的に一人歩きさせるような気持ちでつけています。
詩を読むことが多いのですが、言葉の強さがその言葉の意味を超えて魅力的に存在していると感じます。その魅力に興味があるんです。
作品によっては最初から言葉があったり、完成後に絵と向き合って言葉が出たりすることもあります。今回の制作に関しては絵一つ一つにはまだタイトルをつけていません。修了制作全体のタイトルはひらがなで「このはのまど」です。
ー 修了後の展望を教えてください。
一つ目標としているのが、88歳になるまで絵を描き続けることです。88という数字に特に理由はありませんが、これまで私の精神的な支えになってきた憧れの詩人や作家、画家の女性たちが皆長命で、おばあちゃんになるまで制作を続けているからです。そしていろいろな人とコミュニケーションをとり、いろいろな国を訪れたいと思います。藝大を修了したら、ドイツに戻り、学生ではなくアーティストとして活動していきたいです。母国語ではない言葉で活動してみたいです。私にとって、生活と制作が地続きになっているので、場所が変わり、言葉やコミュニケーションや出会う人が変わることで気付かされることが多いです。海外生活は不自由なことも多いですが、それも面白さだと思っています。
また、陶芸などキャンバスや紙ではない他ジャンルとの共同制作にも関心があります。絵を軸にする私にとっては、「絵」の可能性をどうやって広げられるかなとずっと考えています。
ー ベルリンは宮林さんにとってどんな場所ですか?
ベルリンは、思ったよりも「ヨーロッパらしさ」を感じない街ですが、その分、とても国際的で、さまざまな国から人が集まっています。また、ギャラリーや美術館もたくさんあって、美術という枠の中でもとても雰囲気が感じられます。そして住んでいる人たちの過ごし方には、どこかゆとりがあるように思います。2024年春に再び3週間ほどベルリンに訪れた際、多くの人が東京とは違って朝8時、9時でもカフェの時間をゆったり楽しんでいるのが印象的でした。日曜日はスーパーやデパートが全部閉まっているので、天気が良ければ当たり前にピクニックをしたり、公園で太陽の光を楽しんだりしています。みんな携帯電話も使っていますが、一旦そこから離れる時間がを大事にしているように感じます。
ー 絵を描いている以外はどんな過ごし方をされていますか?
歩くことが好きです。歩いて見えてくるもの、例えば葉っぱが揺れるとか、そういうものを見逃さないようにしたいと思っています。ただ、そのような自分の記憶とか体験は作品とは直接は結びつけないようにしています。体験はただの体験として貯めておいて、制作はそのときの絵と自分との関係性だけで行うようにしています。
今後も制作の場所を変えたり、たくさんの人に出会って、どのように宮林さんの作品が変容していくのかがとても楽しみです。今日は本当にありがとうございました。
インタビューを終えて
初対面の緊張の中で、まず、宮林さんの紡ぎ出す言葉の独特な魅力に惹きつけられました。そして、宮林さんの眼差しや考え続けてきたことを伺ううちに、作品に普遍性を感じるようになり、気づくと紡ぎ出された言葉の数々が私たちの頭や心にはっきりとした”動くドローイング”のようにイメージを映していました。
まっすぐな姿勢でご自身の気持ちや感覚を探るように話す様子や丁寧な制作プロセスに接して、私たちも生活する、表現するということに純粋に意識を戻してみたいなと思うきっかけになりました。
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「その素材それぞれが持っている力、こちらに働きかけてくる力のようなものを見るようになった。」というお話は、人と人、人と物とも分け隔てなく、対等でありたいという願いや気持ちの現れなのかなと感じました。丁寧に時間をかけて作り上げていく作品を、これからも注目し続けていきたいです。
(山田理恵子)
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「何かがきっかけで見えてくるものを見逃さないようにしたい。」という言葉が印象的で、絵を描くことに真摯に向き合う姿が凛とした透明感のある佇まいに現れていて、88歳になってもそれは変わらないのだろうなと感じました。これから作品がどんなふうに変わっていくのかも楽しみです。(井戸智子)
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インタビューから数日経つ今になって、作品がお話の中の言葉やアトリエの光とあいまって、いろいろな印象・映像で私の日常にじわじわと広がったり、ふとした瞬間に現れたりしています。「将来どんな風に作品が存在しているのかを考えている」というお話の意味はこんなことでもあるのかなと今はとらえています。(斎藤朱織)