東京都美術館× 東京藝術大学 「とびらプロジェクト」

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「とびの人々」vol.4:メットの故郷、兄弟のまなざし。 中原淳行さん

とびらプロジェクト(以下「とびら」)スタッフの近藤美智子さんより一通のメールが届いた。<今度、都美の学芸員の中原さんのインタビューをプロジェクトルームでしてみませんか?>私はパソコンの前でふと一枚の絵画を連想した。ゴッホの《糸杉》である。中原さんは、メトロポリタン美術館展(以下「メット展」)を担当された学芸員さんである。先日BS日テレの『ぶらぶら美術・博物館』で、ネクタイスーツ姿で、おぎやはぎや山田五郎氏を案内している場面をご覧になった人もいるだろう。あるいは、11月の都美の講堂での講演会をお聞きになった人もいるかもしれない。

(ニューヨークでの研修生活を語る中原さん。毎週日本に向けてレポートを送り続けていたそうだ。)

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 さて、私と中原さんとの出会いは、とびらの研修プログラムにおける中原さんのメット展解説を、とびラーの仲間と一緒に拝聴したのがはじまりだった。中原さんの作品語りは、的確かつ冷静で、当意即妙なものだった。また、とびラーの仲間たちとメット展で“まなざし”を共有したことも、鑑賞に深みをあたえてくれた。
だから、私にとって、インタビューはメット展の鑑賞体験の“続編”に過ぎなかった。おそらく近藤さんのねらいもそこにあるのだろう。つまりインタビューには、お互いで“まなざし”を更に交し合おうという意図が含まれていた。言い換えると、中原さんを交えて、アート・コミュニケーションを図ろうという趣向があった。アート・コミュニケーションといっても、建前はインタビューで、表面は雑談のかたちをとる。

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 当日は、とびラーから玉井あやさん、松澤かおりさん、佐藤史さん、そして私(阪本)が出席し、とびらスタッフの近藤さんと大谷郁さんが同席した。テーブルの中央にはサンタのクッキーが置かれ、窓の外は午後4時を過ぎてはや暮れかかっていた。
玉井さん松澤さんは中原さんのインタビュー記事をつくると張り切り、佐藤さんは気ままにお話をきくだけと嘯いていた。私はここでもやはり、メット展の天井をぼんやり空想していた。病み上がりだったせいもあった。

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 去年の3月11日。中原さん、研修先のニューヨークから帰国へ向う飛行機のなかにいた。その刻限に大震災が起こった。インタビューは、中原さんの機内でのエピソードからしずかに語られた。

 どうやら日本で大地震が発生したとの連絡が入った。阪神大震災より規模が大きいらしい。緊急事態により機内での携帯電話の使用を許可する。もしかすると飛行機の着陸ができないかもしれない。

 まるで昨日のことのように話は鮮明だ。飛行機はなんとか成田ではなく中部国際空港に着陸した。私は現在メット展が開催されている事実に奇妙な安堵感をおぼえはじめていた。(その代わり、メット展作品の保険代は震災の影響下で高騰したそうだが・・・)

 

インタビューでは、学芸員志望の玉井さんが熱心に質問を繰り返し、松澤さんは美術教育の話題から現在の学校教育の惨状を述べた。
佐藤さんは小冊子『ライぶらり』を手土産に渡して、中原さんはそれをニコリとしながら眺めていた。雑談は続く。( 玉井さん[左]と松澤さん[右]はとびらの情報誌を作成中。
都美のトリビアを採集中。 )

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中原さんいわく。比較的、小さな美術館が好きである。自分にとってゴッホの評価はぶれず、アイドルはジャコメッティ。ニューヨークの美術館でみた、認知症の人のワークショップの作品は感動的だった。都美のアート・コミュニケーション事業の在り方は、これからの美術館を支えていく大きな主題(テーマ)のひとつである……。

 中原さんは頷きながらこんこんと語ってくれた。私も共感しながらうんうんと頷いていた。とりわけ私がもっとも印象ぶかくおもったのは、中原さんが学芸員となることを決意するまでのエピソードである。

 高校時代に新聞記者か歴史研究家になろうか漠然とおもっていたが、親の「それがあなたの本当にやりたいことなの?」の問いかけから、学芸員を本格的に嘱望するようになった。もっとも身近な人物からの声が未来の動機となったのだ。

 そこから中原さんの最初の“アート体験”に話がうつる。それは10歳離れた兄と過ごした時間だった。中原さんは少年時代、画学生の兄が絵を描くうしろ姿がとても好きだったそうだ。また、中原さんのお兄さんも、弟のまなざしを感じながら、絵を描くことを愉快に思っていたそうだ。なんと仕合わせな関係だろうか。ところがどっこい、この兄こそが中原さんにとっての初めての“アーティスト”だったのである。

 われわれは、展覧会で作品という対象物をみている。だが、そのじつはアーティストの肩ごしからその世界観を垣間みているのである。まるで弟が兄の肩ごしから絵をそっとながめているように。メット展で、中原さんは《糸杉》をみながら「晩年のゴッホの絵はすばらしい。私はゴッホの人生は幸せだったとおもう」と決然と語った。私はメット展に飾られたその一枚の絵から、中原さんの“まなざし”の秘密を知ったようにおもった。

(今年の10月に長女が誕生したという中原さん。
帰宅したら毎晩抱っこをしてあげているそうだ。)


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とびラー候補生:筆者:阪本裕一(さかもと ゆういち)

現在、台東区で育児に没頭しながらアート・コミュニケーター活動へ奔走する。とびらプロジェクトを街づくりの一環として認識。0歳と100歳のヒトが同等に遊べるようなミュージアム計画を野望している。趣味は相撲観戦。白鵬、日馬富士と同年齢。

2012.12.27

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