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「作品は自分の人生の備忘録―日本で自分をより知るために」 藝大生インタビュー2017|グローバルアートプラクティス専攻 修士2年 ロザンナ・ヴィーベさん

グローバルアートプラクティス専攻(以下GAP)は2016年4月に新設された修士課程で、今年の3月に新設されて初めての修了生を迎えます。GAPの学生の約半分は留学生で構成されていますが、今回取材に応じていただいたのはその中の1人、ロザンナ・ヴィーベさんです。(ロザンナ・ヴィーベさんウェブサイト

ロザンナさんが来日したきっかけや、GAPに入学し、日本文化に接する中での想いを伺いました。


ロザンナさんは論文で修了するため、今回のインタビューでは、大学美術館に展示中の参考作品(映像作品)を拝見しながらお話を伺いました。

ロザンナさんの映像作品(参考作品)。『自己と他者の境界であるということ』

この作品は、ロザンナさんの卒業論文のテーマ「アブジェクション/おぞましいもの」(※)から派生して制作され、ロザンナさんの身体についての在り方や他者との関わりについて表現しているそう。映像の中では、なんと、10ℓのシロップの中にロザンナさんが入り、シロップを口や鼻から取り込んだり放出したりしています。シロップは、ロザンナさんが好きな粘着質の素材の一つだそうです。

 

【幼少期の空想から作品制作へ】

ロザンナさんの作品制作は、幼少期の空想と深い関わりがあると言います。

「子どものころに水に溺れそうな自分を想像したことがあり、溺れることへの恐怖心と海への関心が芽生えました。私の空想は、人が水中でも呼吸できないだろうか、という仮説に導かれ、液体呼吸の研究があることを知りました。液体が身体の中に入り込むことに違和感を感じますが、一方でそれを魅力的だとも思うのです。

他者とつながる感覚は、輸血においても同じように想像できると思います。

人間は、空気中にある酸素を体内に取り込み、二酸化炭素を放出します。そして体内では、血液が常に循環をしている。私はそういった身体性と外とのつながりに美しさを感じるのと同時に、おぞましさも感じるのです。だからこういった感覚を、私が関心を持っていた素材であるシロップを使って表現しました。」

自分と、その自分の中に入ってこようとする他者。その他者は、自分にとっては異物であるが、同時に必要なものでもあるから、それを認めて受け入れたとき、初めてその他者は、自分と同化して新しいものが出来上がっていく。私は、この映像を見ながら、ロザンナさんはそういうことを伝えたいのではないかと思いました。

「美しいものへの誘惑と、嫌悪感が同時にある」というロザンナさんは、同じ感覚を、この映像を見た人たちと共有したいと言います。

「シロップに顔を入れたとき、浮力を感じ、シロップが自分の目や鼻に入ってくるのが苦痛であると感じた一方で、同時にそれに支えられている感覚もありました。まるで、胎児がお母さんから酸素を吸収して成長していく、というプロセスのようにも感じます」

 

【自分と他者という感覚】

ロザンナさんには双子の妹さんがいますが、10歳になるまで、自分と妹さんが他者であるという認識が無かったと言います。ところがある日、妹さんと自分は他者である、と認識する瞬間がありました。

「成長過程で自己が形成され、双子にもそれぞれの個性が出てきたということも、妹が他者であると感じたきっかけの一つですが、暮らしていた土地の環境も大きく影響しています。私が生まれたノルウェーは、非常に乾燥した土地だったのに対し、当時住んでいたキューバは、ノルウェーと比べて湿度がとても高く、ノルウェーにいたころよりも一層その湿度感を感じました。湿度がある、と気づいたときの空気の厚みや、冷房をつけたときに変化する空気の質の感覚を肌で敏感に感じるようになり、より空気の存在について意識するようになりました。『いかに人間が空気によって生かされているか』ということへの気づきは、妹が他者であると認識することに繋がり、また現在の作品制作の出発点にもなっています。私はずっとこういうことを考えていて、今はこのテーマについて更に深めているところです。」


ロザンナ・ヴィーベさん。ノルウェー出身。ノルウェーの他にキューバを始め、色々な国に住んでいた経験があり、各国の気候の違いや文化を肌で感じながら、自らのテーマについて研究を続けています。

 

妹さんと違う個体として存在しているということや、空気や湿度といった物質に対する突然の意識の芽生えは、寂しい、とか孤独感や、自分は今どこにいるのか、という感情を抱くことにはならなかったのでしょうか。

妹さんと違う個体として存在しているということや、空気や湿度といった物質に対する突然の意識の芽生えは、寂しい、とか孤独感や、自分は今どこにいるのか、という感情を抱くことにはならなかったのでしょうか。

 

「妹が他者であると認識したときから、自分の体が溶け出していくという感覚がありました。そういう感覚から空気の実体をつかもうとしていましたし、自己を認識するために、水の中に入って浮力や水圧によって自分自身を実感する、ということを試みていました。水の中に入ったときに、周りの液体と自分の体が同化し、自分と液体の境界線が曖昧になっていく。寂しいという気持ちは、私にとって、水などの液体から出たときに自分の弱さや孤独感が露出されるという感覚に似ています」

 

幼少期から肌で感じ培ってきた、異国の空気感や双子の妹さんとの関係性への感覚を、今日においても、自分と新しいものとの関係を築いていく過程で、ごく自然に活用しようと試みているロザンナさん。しかし、日本に来て体感した「距離感」に衝撃を受けます。

「私はラテン系の人間なので、相手の温もりを求めてハグをしたり触れ合ったりするのですが、日本ではお辞儀をして距離を作ります。日本に来てその違いを感じました」

 

 

【日本の文化に触れて―異国で自分を知る】

ロザンナさんはノルウェーでの大学時代、日本の美について勉強しており、空間や仏教の和の考え方、そして谷崎潤一郎『陰影礼賛」の本に感動し、建築における陰の使い方に興味を持ったそうです。

大学卒業後は2年間日本で勉強をしたいと希望し、まずは旅行で来日したことが、GAPを受験するきっかけとなりました。

「東京で知り合った人たちの中に画商さんや芸術系大学の先生がいて、その人たちを通じてGAPのことを知りました。元々、東京藝術大学は知っていましたが、私は油画や彫刻といった専門分野を学んでいないので、GAPだったら自分に合うかも知れないと思い受験しました。今思えば色々な偶然が重なったのだと思います」

GAPに入学後は、言葉や文化の違いを感じることが多かったとロザンナさんは言います。

「キューバに住んでいたころに受けた湿度感や、エアコンによって変わる空気の質感を認識した時の衝撃と同じくらい、日本の文化の違いに衝撃を受けました。日本は本音と建て前がありますが、私はいつも正直に感情表現をするので、自分はそういうつもりはないのに相手には失礼に見えてしまう状況があり、自分の言動がどう捉えられるかを常に意識せざるを得ませんでした。また、言葉に関しては、学生の中でも各々の言語レベルが異なっているので、日本語だけでコミュニケーションが取られた場合、私だけ理解ができなかったこともあります。その中で生じる誤解や誤読をクリエイティビティで補っていくということを、前向きに行う必要がありました」

そのようにロザンナさんが感じたギャップは、作品にどう展開されていったのでしょうか。

昨年、ロザンナさんは、日本に来て体験した誤解や誤読をテーマにした作品を、瀬戸内芸術祭で発表しています。

「瀬戸内芸術祭の栗林公園で展示した作品は、日本人とのペアワークでした。彼女が私宛てに日本語で手紙を書き、私が彼女にノルウェー語で手紙を書く。お互いその言語は読めないので、文字の形から作品にしていくというものです。私は手紙の中の漢字を彫刻的に変化させていきました。彼女もノルウェー語を彫刻的に変化させています。この作品では、文章の意味よりも文字の形を皆さんに観ていただいているので、栗林公園でこの展示を鑑賞した人は、誰も文字の意味は理解できなかったと思います」

作品の中で、文字の形に着目したのは、ロザンナさんのある体験によるものだったそうです。

「地下鉄の中吊り広告にある漢字が長い間読めなかったのに、毎日同じ広告を見ながら通学していたら、ある日突然、この広告は会社のことを表している、と理解できたのです」文字の形を読み取り、それを言葉の意味に変換できた瞬間だったと言います。

 

ロザンナさんが日本に来てから、言葉の違いや人やものに対する距離感を改めて強く意識するようになりました。

「言葉の壁に直面している私は、いつも自分が宙に浮いている感じがします。お風呂に例えるなら、湯船に浸かっているときは、お湯の温度と自分の体温が近い感じがして、ノルウェーにいるような気持ちになります。でも、湯船から出たとたんに、それが急に切り離されるような感覚がします。それは私の日本での経験に似ています。自分も社会に属しているのに、日本の文化から物理的な距離を感じることもあります。それは言葉の壁からも感じることであり、そういうアナロジーが作られるのではないかと考えています。」

 

また同時に、日本は二面性があるとロザンナさんは感じています。

「無というものや茶室での余白の使い方、挨拶をするときのお辞儀といった人との『間を取る』部分と、満員電車で人との距離が『近い』部分の相反するものが共存している日本の文化に興味をひかれました。また、相手によってTPOをわきまえるということからも、日本の文化や伝統が見えてきて面白いです」

 

文化の違いを感じながらも、ロザンナさんは決してそれを否定的には取らず、むしろその不思議さを前向きに捉え、楽しんでいるようにも感じられました。

「もちろん、日本の形式的な部分や文化に対しては、変だなとか難しいなと感じることはあります。それで苦労することがあったとしても、興味深いこととして、捉えていこうと心がけています。例えば何かに対して嫌悪感を覚えたとき、それがなぜなのかを敢えて自分に問い、考えるようにしています。私は子どものころ、ピンク色が嫌いでした。それはなぜかと考えていくプロセスの中で、敢えて嫌いなピンク色で文字を書いてみました。実際にこの色が文字になることで、言葉も変わるし、考え方も変わってくるからです。自分の感情的な反応にはいつも理由があるから、それはなぜだろうと追及するために、敢えてそこに飛び込んでいくことを自分に課しています。だから、日本は私にとって、文化や性格が自分と真逆な国だからこそ、私自身を知ることができるのです」

ここまでお話を伺ってみて、ロザンナさんは私たち日本人よりも距離感を大切にしている印象を受けました。

「対極にあるもの同士は、常に繋がっていると思っています。私自身が触れたもの、近い距離感を知るためには遠い距離感も考慮しないといけない。愛だけではなく、その裏返しにある嫌悪感というものも両方考えなければいけないと思います」

他に見せていただいた過去の作品(ロザンナさんのウェブサイトを参照)の多くは、ロザンナさん自身が作品に寄り添い、同化(作品を自分の中に受け入れるように、作品にも自分を受けいれてもらうために、身体的な対話をするということ)し、いかに作品と共存することができるかという点に着目して制作されたものです。それらの作品には、自分の立ち位置や居場所、視点というものが明確に表れていると言います。ロザンナさんの作品は、双子の妹との関係性やこれまでの経験、生活といったものが映し出された、今を生きるロザンナさんの人生の備忘録とも言えるかも知れません。

 

これからロザンナさんは色々な経験をしていく中で、どのような作品を生み出していくのでしょうか。

ロザンナさんの「今、生きている人生」の提示であると同時に、私たちへの新たな問いかけでもあるはず作品を、今後も楽しみにしています。

 

(※)思想家ジュリア・クリステヴァが著書『恐怖の権力』(1980)の中で唱えた概念。

 

 

 


執筆:阿部 忍(アート・コミュニケーター「とびラー」)

とびらプロジェクトに参加して2年目のとびラー。とびらプロジェクトを通して、なかなか美術館に行けないような人たちでも、もっと気軽に行けて、楽しめるような場としての美術館の出来事をみんなと一緒に作りたいと思ってい ます。

 

 


第66回東京藝術大学 卒業・修了作品展
2018年1月28日(日)- 2月3日(土) ※会期中無休
9:30 – 17:30(入場は 17:00 まで)/ 最終日 9:30 – 12:30(入場は 12:00 まで)
会場:東京都美術館/東京藝術大学美術館/大学構内各所


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2018.01.27

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