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「気になるのは『リレーションシップ』」 藝大生インタビュー2019|グローバルアートプラクティス 修士2年・敷根功士朗さん

11月8日、グローバルアートプラクティス専攻に所属する、修士2年生の敷根功士朗さんにお会いするため、取手校地に伺いました。
待ち合わせ場所に指定された校舎内の一角にあるギャラリーに行くと、笑顔のステキなスラッとした青年が待っていました。

 

 

にこやかに迎えてくれた敷根さん。

ギャラリーには、最新の作品が展示されていました。経歴をうかがうと、学部は彫刻科で学び、大学院から現在の専攻に来たそうです。
どのような過程を経て、現在のこのインスタレーション作品が生まれてきたのでしょう。
展示中の作品についてお話を伺いながら、敷根さんの考えの源を探っていきたいと思います。

 

挨拶を終えると、早速、展示中の作品についての説明が始まりました。

 

 

展示されていたのは、複数のモニターや不思議なモチーフで構成されたインスタレーション作品。一見なんの関連性も無さそうな画面やモチーフのようです。
敷根さんは、映像や写真を使いながら、現代社会における映像の意味や本質を探ろうとしているそう。
展示されているものについて、ひとつひとつ解説してもらいます。

 

 

空間の真ん中に配置された青いテーブル。その上にはパソコンと、レコードプレイヤー上で回転する見覚えのあるエンブレムが。
パソコン画面には、街の風景が、まるで街中を歩いているかのように複数のウィンドウで映し出されていきます。

 

「これは、Googleマップのストリートビューイング機能を使って、ロンドン、ベルリン、ミラノの都市をバーチャルで『仮想観光』する映像です。実際に私が行った場所でもあります。」

 

「Google Earthでこれらの都市を見ると、ベンツの本社ビルの上にあるはずのエンブレムがすっぽり消えているんです。データ上の問題や、コマーシャル的な問題かとも思ったのですが、実際にはわかりません。かつてヨーロッパで流行った、SNSで人気を得ることを目的にベンツのエンブレムを盗んでアップするという事件に結びつきました。Googleという代表的なサービスで、同じようにエンブレムが『もぎ取られて』いる状況に、惹かれました。」

 

「また、このエンブレムには個人的な思いも関係しています。私の勝手な印象として、ベンツはセンスのない権力を手にした大人が乗るものというイメージがありまして。僕の住んでいる家の大家さんが銀のベンツに乗っていて。もちろん僕がそこから盗むことはできませんが(笑)。盗ってきたという想定で、ここで回っています。」

 

 

画面には、手書きのキャラクター「ベンツくん」が現れました。
ベンツくんが空を飛んで変身、旅に出るという設定のようです。

 

「テーブルの奥に置いた骸骨は、ナショナルギャラリーに展示してあるハンス・ホルバイン(子)の作品『大使たち」の骸骨をイメージしています。角度を変えると骸骨が見えるという、アナマル・フォーシス(別の視点から捉えると正常な形が見える)に惹かれて、このインスタレーション作品の全体の象徴として取り上げています。」

 

 

「この作品は、『うちはね、窓から海が見えるんだ』という作品です。実際には海に面することのない自宅の窓の目の前にある壁(大家さんの家の壁)に、海の写真を貼り、鑑賞することで、幻想と実体験を表します。また、写真、窓、レンズ、モニターなど複数のレイヤーを重ねることで『見る』ことを強調させています。」

 

大家さんは写真を壁に掛けたことには気がつかないらしい。
敷根さんにとって、大家さんはやはり気になる存在であるようです。

 


窓の外の壁に掛けた、熱海から初島に行く途中の写真

 

 

「次の作品は『夏・鹿児島』という映像からみる風景です。三部構成で、鹿児島にいる家族をテーマにしています。第一部は『床から椅子』で、父方の祖父母の足腰が弱ってきたので、椅子とテーブルの生活にしてあげようと、畳の部屋に買ってきた家具を置いて、食事をする風景を撮っています。第二部は母方の祖母の話『庭』です。祖母が毎日欠かさず手入れする『庭』の今ある姿を映しました。第三部は『コウモリ・墓参り』で、天井裏にいたコウモリ、そして先祖の墓参りを撮りました。」

 

「このような作品を撮ったのには、理由があります。以前、中国の敦煌に行ったときに、一帯一路政策で、街は綺麗になっており、日本にあるようなスポーツ店やタピオカ屋さんまでありました。グローバリズムが進む中で小さな生活がなくなってしまうことに感慨を覚えました。元に戻すことはできないけれど、映像として残すことはできると思いました。」

 

「そして、これらの映像を見た人に何かを感じてもらえたらと思いました。例えば、『そういえばおじいちゃんどうしているかな』とか。」

 

ご家族も撮っていることを意識せず、普段着で、食事風景もカメラアングルも自然にしたそうです。
事実、映像の中の敷根さんからも、今ここで話しているご本人とは違う、てらいもない、沈黙も自然な、あえて話さなくていい温かさを感じました。

 

 

「これは『俺の腹筋』という作品です。実際には私の腹筋ではないのですが(笑)。私たちはどれだけ刺激的な映像や写真でも、iPhoneのなかでは右親指のわずかな屈折運動によって退屈な情報と等しい速度で流されていくことにすっかり慣れてしまっています。『俺の腹筋』では、ただただ光に照らされる腹筋が画面いっぱいに映されます。この特に何の利益もない空っぽな映像に使用するモニターは重量が45キロほどあります、今となってはギャグのように重たいもので、このモニターの重さをもって重量の補填を試みる作品です。」

 

床に置かれたモニターに映し出された大きな身体。最初は気づきませんでしたが、それが腹筋だとわかった途端、呼吸の波とともに動く様子が気になり始めました。

 

敷根さんが作品で扱う対象は、どれも「人」が関係する身近な風景や存在のようです。しかし、見方を変えると、消えてしまったり、その存在の危うさが浮かび上がる…

 

いくつかの映像を見ていく中で、映像の無機質さの向こうに、「人との関係性」を眼差す、敷根さんの優しさが感じられました。

 

 

 

藝大に入るまで

 

「そういえば小学生の時に、クラスメイトが将来どんな人になっているかを予想してアンケートをとったことがありました。その結果、僕の将来は1位漫画家、2位写真家、3位画家でした。僕は科学者になりたいと思っていたんですけどね。人を助けるロボットみたいなものを作るとか、人の役に立ちたいと思っていました。」

 

クラスメイトはその頃から、敷根さんのクリエーターの素質を見抜いていたのでしょうか。

 

「中学三年時、漠然と普通科の学校には行きたくないと考えていました。そこで、当時、個別に美術を指導してくださっていた教頭先生や両親の勧めで美術高校の存在を知り、運良く進学できたことが美大進学のきっかけです。高校での三年を経て彫刻に興味を抱き、藝大の彫刻科に進学しました。」

 

 

彫刻科時代の作品をタブレットで見せていただきました。

 

「木や石で時間をかけて作る作品ではないものを多く作っていました。時代に合ってないのではという想いがありましたね。六波羅蜜寺の空也上人をロウで作ってみたり、生花の朽ちるまでを扱ったものや、飴を使った作品など、彫刻に対するアンチテーゼのようなものとしてつくっていました。」

 

 

新たな環境で見えてきた「人と人の関係」

 

彫刻科を卒業後、当時新設されたばかりのグローバルアートプラクティス専攻に進学した敷根さん。
留学生が多く所属し、海外の大学との連携授業や国際的なアーティストや研究者、専門家の指導によるカリキュラムが組まれた環境で、どのように学んできたのでしょうか。

 

「修士1年生の時、パリ国立高等美術学校(エコール・デ・ボザール)との連携プログラムに参加し、パフォーマンスを学びました。二人一組のペアで体を動かす。どこか体の一部を接触させながら、寝転がったり絡み合ったり。日本の感覚にはない距離感の違いや、日本人が抱える固有のコンプレックスを、文字通り肌で感じました。」

 

「『リレーションシップ』という言葉がいつも気になります。人と人の関係です。それは惑星の関係に似ているとも思います。近すぎるとダメな人もいるし、近づきたい人もいる。人の関係って面白いですね。」

 

過去の作品の中には、惑星をモチーフにした映像作品もあったそう。

 

さらに敷根さんは、2019年10月に学生対象アートコンペ「CAF賞」で藪前知子賞を受賞されました。その時の作品についてもお話いただきました。

 

「パリの大学で行ったパフォーマンスを記録した映像インスタレーション作品です。大学内にはレプリカの彫刻が沢山置いてあります。でもそれらには身体の一部が無かったのです。なぜかと調べると、部位によっては欠けやすかったり、時代を経ているなどの理由があるそうです。一説では紛争で勝ったときに、戦利品として、相手の所有する彫刻の一部を持って帰るという事があると聞きました。面白いですよね。そこで、僕は大学の記録映像を撮った時に彫像に欠けている男性のシンボルを粘土で付けるというのをやってみました。しかし、それはレプリカではなく本物の彫像でした。当然付けたシンボルは撤去され、僕は怒られましたという悲しい物語です(笑)。」

 

 

インプットの時間が今の自信につながった

 

「これまで、行きづまって考えられなくなり、もうダメだと、思い切って休学したことがありました。その間、映画や本、音楽、YouTubeに浸って・・・そんな時間が今の自分にとっていい時間だったと言えます。不安はありましたが、同時に漠然とした希望、なんかやっていけるという自信はありました。贅沢なニートだと友人には言われましたが(笑)。この時間があったことで、大学に復帰後、多くの作品を制作することができました。」

 

これからのこと

 

「両親がいて、兄弟がいて、父は毎日働き、母が温かい料理を作ってくれる。生まれた時から当たり前のように過ごしていたので、自分も当たり前のようにこんな家庭を築くぞなんて甘い考えを持っていたこともありました(笑)。今はその困難さに恐れおののいてますが・・・。今後何ができるだろうか、ずっと考えています。どのような形であれ、制作活動を続けていきたいという気持ちがあります。」

 

 

2時間近くにわたり、笑顔を絶やさず話してくれた敷根さん。
制作について悩みつつも、留まることなく前に進んでいる、そんな印象でした。
インタビュー中度々出てきた、『リレーションシップ』という言葉。常に情報を取り入れながら、絶えず日本、世界、宇宙、未来、そして他者にも想像を広げ、「人と人の関係」を丁寧に扱っていく。言葉の端々からは、そんな敷根さんの純粋な優しさが感じられました。

 

これまでも意欲的に作品を制作している敷根さんに、修了作品展ではどんな風になるのでしょうか?と最後に問うと、迷っている、新しい作品を作ってみたい気もすると仰っていました。
今回の修了展ではどのような展開を見せてくれるのか、ますます楽しみです。

 


執筆|齊藤二三江(アート・コミュニケータ「とびラー」)

 

とびラー3年目。いろいろな人やお子さんと、出会い活動することができました。今後もこの出会いを大切にしたいです。

2019.12.11

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