12月15日、凛とした冬の空気が漂う取手校地。待ち合わせ場所の美術学部専門教育棟の大階段で、「おはようございます」と小柄で穏やかな雰囲気の加納紫帆さんが、今回のインタビュアーである4名のとびラーを迎えてくれました。
「上野はこわい(笑)」と、絵画科の油絵専攻の学部と美術研究科美術教育研究室の修士と合わせて6年間を取手で過ごす加納さん。卒業制作作品のこと、普段の制作スタイル、美術教育にかける想いなどを伺いました。
| 作品は自分の考えが出てきちゃうもの
インタビューは作品制作の現場であるアトリエにて。まず目に飛び込んできたのは、1月29日から開催される東京藝術大学 卒業・修了作品展に向けて制作中のカラフルな色調の大きな作品です。明るい色使いと大胆な筆致で構成された中に描かれた一人の女性。作品を前にした私たちの想像を掻き立てます。
<作品を前にインタビューは進みます>
―作品タイトルを教えてください。
「作品タイトルは“俟つ”です。“俟つ”というのは誰かを待っているということだけでなく、その行為の中にも希望や良いことなど、様々なものがあります。そういった広い意味での“俟つ”をひとつのテーマにして描けないかと考えました」
「日ごろもまつことが好きで、誰かと待ち合わせをするときには待ち合わせ時間よりも早く到着します。まっている時間、その時々によってドキドキしたりイライラしたり、長く感じたり短く感じたり、まつことによって呼び起こされるとらえどころのない感覚が気になっています」
<一つひとつの質問に丁寧に答えてくれる加納さん>
—エスキス(下絵)は作られますか?
「あまりしません。描き初めの段階では、ある程度の構図や元になる写真からどのように切り取るかは考えますが、最終的な完成予想図は作らずに描きながら次にどのように描いていくかを見つけていくことが多いです。1日中アトリエにいる場合でも実際に描いている時間は1時間もないくらいで、それ以外はスケッチブックにドローイングをしたりしながら考えています」
「作品制作をしていると、普段の生活の営みとして写真を撮ったり、記録や日記をつけたりしている中で自分が考えていたことが作品を通して出てきてしまっていると感じます。自分にとって作品は、思考をするための土俵なのだと思います」
<ドローイングを拝見!手早く描けるところがドローイングの良さだとか>
大胆な筆跡から身体を使って描かれる感じがします。とのとびラーのコメントに、「ぴょんぴょん」「はー、どはー」「うりゃ~」と言いながら描く時の真似をしてくれた加納さん。ゴムまりが跳ねるように体を動かす姿はエネルギーにあふれています。
—作品の中にある絵の具のしたたりのような偶発的な表現は、どこまで意図されているのですか?
「半々くらいです。ある程度狙っているところもあるし、そうなってしまったなというところもあります。完成予想図が見えていると描き出せなくなるので、意図しないアクシデントは大切にしています。アクシデントの結果が良くないものだとしても、そこからどのように乗り越えていけるかを考えるのが自分にとっての作品との関わり方なのかもしれません」
—大きな色面で描かれている感じがします。
「色で捉えて描きます。写真もあるので細かい描写は私がやらなくて良いと思っていて。受験生のころからモノを細かく描くよりは印象で描くというか、色でとらえる癖・見方があります。地元が愛知なのですが、そういう愛知の血」
<卒業制作作品の一部。大きな色面で描かれた中にしたたりが>
| 実家のはなれにあったアトリエは特別な場所
「愛知の血」という聞きなれない言葉が飛び出しました。詳しくお聞きすると、美術の道を志したきっかけや大学院への進学に関係がありました。
—愛知の血とは?
「カラーばんばん!色、平面!名古屋界隈のそういう作風です。教えてくださった先生の影響かな? 」
—では育ちは愛知?
「はい。大学進学で上京するまで愛知でした。高1から美大受験校へ通いだし、高3で「油画」を選択。趣味でミニチュアのドールハウスを作ったりしていたので、高2までは工芸もいいかな。と思っていました。(もともと)手を動かして作るのが好きです。多分話下手だったからだと思いますが」
—周囲の環境は?
「父は美大卒です。物心ついたころには描いてなかったのですが。でも、実家のはなれに父のアトリエがあり、画材に色々触れることができる環境でした。子どもの頃、アトリエは特別な場所と思っていて。たまに入ると油のにおいにドキドキしたりしていましたね。それが油画を選んだ理由かもしれません」
—制作に関してお父様のアドバイスはありますか?
「同じ分野をやっていると気まずいので、(自宅にいるときは)意識的に話さないようにしていました。今もあまり話さないし、向こうも言ってこない。でも、この分野に進んだことを喜んでいると思います。普段の仲は良いですよ」
—大学院へ進学されたのは、制作を続けたかったからですか?
「教育に元々興味があり、美術教育について学ぶために大学院では美術研究科美術教育研究室を専攻しました。もともと学校が大好きで、中学生のころから、将来は小学校か中学校の先生になりたいと思っていました。先生になりたかった理由は、最初は“普段は怖くて入れない職員室に先生になれば堂々と入れる”というささいなものでした」
—この先生が素敵だったという思い出はありますか?
「嫌な先生がいませんでした。かっこいいと思ったのは、美大受験予備校で教えてくださった先生です。作家として活動されている方で、生き方や言っていることが納得できるというか、やっているからこその言葉に説得力があって。もともと教育系大学への進学も考えていたのですが、予備校でこの先生に出会って、(教員になるために)ちゃんとしたいと思い藝大や美大で学びたいと思うようになりました。この先生に出会って今の私がいます」
「私にとっては、『尊敬する人 織田信長』のように遠くの人です。あの怖さは学校教育向きではないかもしれませんが、説得力や尊敬に値する何かはすごく大事だと思います。信じられる先生でなければ、指導しても伝わらないしやってもくれない。私の場合は、制作を続けることが(私自身の)強さになるのかなと思います」
ご自身では話下手とおっしゃる加納さんですが、初めてのインタビューとは思えないほど言葉があふれてきます。
| 美術を通して多様な価値観を尊重する姿勢を身に付けてほしい
現在都内の小学校で教育活動アシスタントをされ、来年度は都内で美術の教員(希望は小学校)になることが決定している加納さん。将来の夢や美術を通して伝えたいことを熱く語ります。
—教育活動アシスタントをされていて感じることはありますか?
「子どもたちは他の子どもの作品を見ながら、『◯◯ちゃんのかわいいね』など思ったことを素直に発言しています。まだ強い個が出来ていない中で、自分の個を見つけながら周りの個も柔軟に受け入れる。答えのない美術の世界だからこそ、美術を通じて他者との違いを知り、それを受け入れる姿勢を身に付けてもらうことが出来るのではと思います」
—今の教育について思うことはありますか?
「教育全体としては、答えのないものに対応力をつけることに力を入れるようになっていると思います。それでもまだ、答えがないことに子どもが戸惑う場面があります」
「教育活動アシスタントをしている学校で小学校一年生の男の子が、絵を描きましょうと言っても、描きたくないと言って描かない。その子がなぜ描きたくないと思っているかというと、絵をリアルに描くことが正しいと思っていて描けないんですね。自分が隣に座ってまねっこしてねと言うと、少しずつ描き始めることができるようになりました。図工の教科は、答えのないものへの対応力を身に付けることに適していると思っています」
—教員になられても制作は続けられますか?
「はい。続けていきたいと思います。機会があれば展示もしたいです。学校の展示などで、子ども達と一緒に自分の作品も出してみたいですね。子どもにとっての身近なアーティストになりたいです。刺激的だし、教員でありアーティストというのは面白いと思うので」
<加納さんの過去の作品の一部。子ども達が観たらどんな感想を話すのでしょう?>
—大学院の修了には、作品制作と修士論文が必要ですが論文の方は?
「既に提出済みです。絵と比べると言葉にすると誰にでも伝わってしまうので怖いなと思って辛かったです。(テーマは?)美術科教育において育まれる力とは何か。です。あんまりしゃべりたくない(笑)」
—作品制作と論文作成で似ているところや違うところはありましたか?
「一つひとつ組み立てて最後にひとつのまとまりを作るというところは、作品制作と論文で似ていると思いました。進み方は全然違いますね。絵はその場その場で積み上げていって出来上がるのですが、文章はちゃんとゴールを見据えて色々組み替えたりする必要があって。普段使わない場所の脳を使う感じです」
| 卒業制作以外のこと、今思うこと
作品制作中、途中経過の写真を撮ったりメモを残している加納さんは、記録していくことが好きとのこと。「手帳を自分で作っていて…」と言いながら鞄から1冊のノートを出してきてくれました。差しさわりのない範囲で中をのぞかせていただくと、小さな文字でぎっちり書かれています。
<構想3年のオリジナル手帳!日々の記録がぎっしりと詰まっています>
—手帳もひとつの作品ですね。どんなことを書いていらっしゃるのですか?
「1日1日の日記というか。その日にあった出来事や制作した作品のことなどを書くようにしていて、チケットやスタンプ、シールも貼ったりしています。貼るとテンションあがります!」
—日記を書こうと思ったきっかけは?
「自分の好きな音楽アーティストが日記から歌詞を作っていると知ったことです。考えたことを言葉にするトレーニングにもなるのと、作品制作にも生かせると中2から日記を書き始めました」
見せていただいたノート以外にパソコンでも日記を書いていらっしゃると伺い、とびラー全員びっくりです!
| 新型コロナ感染拡大についても伺いました。
—コロナ禍で制作への影響や考え方の変化はありましたか?
「制作自体に大きな影響はありませんでした。日常生活では、特にSNSなどを通じて一人ひとりの考え方の違いが浮き彫りぼりになった一年でした。本来はみんな違っていいはずなのに、他人の意見につっかかる、他者への不寛容さがあらわになりました。ここ数十年は個々の強さが大事にされる時代だったと思います」
「今の時代のようによく分からないものに対峙するために、自分の基盤をしっかり築いていることはもちろん大事ですが、その上で、自分以外の他者とどうかかわっていくのか、他者を排除するのではなく、どのように交わっていけばよいのかをみんなが考えられるようになっていくと良いなと思っています」
| 作品を通して伝えたいこと
加納さんにとって作品制作とは、「描く」だけではなく日々の生活で感じたことや残したいと思ったシーンなどのインプットも含めてとのこと。卒業制作の作品から伝えたいことを伺いました。
「作品にメッセージ性はありません。見る人によって勝手にくみ取られてもいいと思っています。積極的に何かが思い出されたり、発動されるような、見た人のスイッチに触れたら嬉しいですね」
インタビュー時間の1時間半があっという間でした。インタビュー終了後、校内にある<藝大食堂>でランチをご一緒するなど、延長戦にもお付き合いいただきありがとうございました。
加納さんの卒業制作は、鑑賞者それぞれの経験や思いが想起される素敵な作品です。卒業・修了作品展の会場でぜひご覧ください。
<卒制のモチーフの場所で作中の女性を真似ての記念撮影。
左からとびラー竹中・細谷・加納さん・中田・岡庭>
インタビュー&執筆:8期とびラー竹中大史・細谷リノ・中田翔太・岡庭正行
普段は建築の環境設備設計をしています。アートや建築を介して多様なモノの見方を知り、広める活動に興味があり、とびらプロジェクトの様々な場で刺激をもらっています。(竹中)
藝大生インタビューをはじめとする色々な出会いを大切に、ワクワクドキドキのアート体験を拡散していく活動を続けていければと思います。(細谷)
普段は日本橋茅場町にて「JCAGallery」を運営し、多くのアーティストと接しています。アートを介して創出される「人と人」との繋がりを大切にしています。(中田)
初の藝大生インタビュー。様々な視点から物事を見るきっかけを与えてくれるアートの役割は、これからの時代に益々大事になってくるように思います。 (岡庭)
2021.01.28