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「私を私自身の内側に囲っているあれをぶち壊したい」藝大生インタビュー2020|彫刻科4年・三谷和花さん

12月16日、外壁工事のネットに覆われた彫刻棟に彫刻科の三谷和花さんを訪ねました。インタビュアーは、美大彫刻科出身の鹿子木、彫刻を観るのが趣味の水上、最近彫刻に関心を持ちはじめた有留の3人です。そこにファッションセンスの良いキュートな女性が現れました。案内されたアトリエの扉を開けると……

”彫刻“がない!?

 

 

―― 一体これは、なんなのでしょう? 何を制作されているのですか?

 

人形のストップモーション・アニメを作っています。

もともと私が彫刻科を目指したのは、彫刻の存在感に惹かれていたことや、彫刻の魂とはなにかということに興味があったからでした。しかし、彫刻はそれだけなのだろうかと感じ、「the 彫刻」らしさから興味が移り変わってきたんですね。

今年の卒業制作の提出は、コロナ禍の影響で2作品以上から1作品以上になりました。最初は石彫作品と映像作品の2つを制作しようと考えていたのですが、どちらも時間がかかります。

遺された時間でどちらか一方を制作することを考え、石や粘土を触る手の感覚と表現したい気持ちがせめぎ合った結果、今の気持ちを選び映像作品を制作しています。

 

―― 映像はどなたかに習うのですか?

 

ストップモーション制作者の制作動画を調べたり、ストップモーションの映像を研究している方にご連絡をお取りして教えていただいています。「彫刻科なのに映像?」と思われそうですが私は自分が彫刻をやっていない、とは思っていません。彫刻と映像はグラデーションで繋がっていると考えています。

 

―― なぜ「人形」というモチーフを選んだのですか?

 

人形に興味をもったことの中に、自分にとって人形が、無償の受容性をもっているようにこちらが勝手に感じ得る存在だと感じたところが一つあります。

また、自ら動かない人形が映像では一瞬にして生きているように見え、モノと生き物の中間地点ともいうべき不思議さが人形にはあります。

そして、人形は大理石の彫刻とは地点にいることも、面白いと思いました。

 

―― 卒業制作について詳しく教えてください!

 

これは「メルちゃん」という一般に販売されている玩具で、全部で55体あります。

ひとつの塊みたいなものが宙に浮いていて、その塊の裂け目からメルちゃんが沢山こぼれ落ちてきます。そして地面にベチャッと落ち、起き上がって歩き出し、散り散りになる……というのが、映像の流れです。

 

―― なぜ、メルちゃんにしたのですか?

 

「生殖」を作品の裏テーマにしていて、小さな子どもの姿を模したものを選びました。他にも候補がいましたが、目が開いたり閉じたりするためちょっと「生き物」寄りになってしまうことから最終的に、みんなが手に入れられ、かわいらしいメルちゃんに落ち着きました。

 

―― 制作中の映像を見せていただくことはできますか?

 

まだ短いですが、ぜひ見てください! これから作る映像では音もつきますよ。

 

 

 

 

 

 

作品のワンシーン:こぼれ落ちるメルちゃん

 

 

―― わぁ、すごい。面白いですね! 

メルちゃんがどんどん落ちていく……。

そしてあるき出した!

 

コマ撮りは1秒12フレームです。現在は2分くらい作ったので、 12枚×120秒で1440枚、10体いるとすると14400枚。シーンごとに速度を変えるので、例えば1.4倍にすると2万枚くらいになりますね。

完成まで3分ほどの長さなので、最終的に何枚になるんでしょう……(笑)

 

―― メルちゃんに洋服を着せようと思わなかったのですか?

 

「生まれ落ちる」をキーワードにしているので、本来のむき出しの姿で作りたかったんです。新生児が服を来ていたらおかしいですよね。

実はこの作品の前に制作した作品では、最初に裸のメルちゃんを街に置いて撮影したものがあります。今の作品とは違うコンセプトではありましたが、ある先生に「これでは被虐待児にも見える」と言われたことがあります。

ご指摘いただいたことを踏まえつつ、でもこの作品では素体で撮影することを選びました。しかし、制作と共に季節が進んでいくと「冬で裸、寒いかな…」と気にしたりして(笑)、メルちゃんはモノなのにどんどん自分の愛情が移り、大切に思っています。

 

 

―― 「生まれ落ちる」というのは、女性独特の身体感覚ですね。

 

たとえば月経のたびに自分の出血に驚きます。私の身体に生殖機能が課せられていることが怖いのだと思います。

自分が認知していない機能が備わっていることが、自然だけれど、自然として受け入れるのは難しい。そもそも自分の身体はどこからどこまでなのだろう。自分の身体を定義することは難しいです。

細胞も自分でコントロールできない膨大な数があり、想像すると気持ち悪いです。

細胞が分裂していくその気持ち悪さの上で、普通に成り立っている生活が、ちょっと距離を置くと不思議に見えるんですよね。

 

―― メルちゃんが生まれ出てくる、ふわふわしたものは、何かを模した形ですか?

 

これは「何も見たくない」という逃避の姿勢をイメージして作った人の殻です。

2年生で制作した石の作品も、大きな石の内側がドロドロに溶けて、割ってみたら中身が無いというもので、「いつのまにかこぼれ落ちている内部」が作品のテーマでした。

今回の作品とも通じるところがあると思います。

 

2年生で制作した石の作品

 

―― 作品のタイトルは?

 

《私を私自身の内側に囲っているあれをぶち壊したい》です。

ケイト・ザンブレノ(Kate Zambreno)の『グリーンガール(Green Girl)』という小説からヒントを得ています。

女性の主人公が自分を俯瞰している視点で描かれた作品で、まるで自分が別のキャラクターを演じていて、誰かのセリフを自分の口が勝手にしゃべっているだけのような、現実世界の中で演者として振舞っているところに共感しました。

 

―― もう少し具体的に言うと……?

 

たとえば子どものころは小学生の自分を演じて、20代、30代になったら、世間一般のそれらしいイメージに合わせた自分を演じている。

常に自分に求められている姿に反発しながら、同時に受け入れて演じているということです。

 

―― なるほど。これって、誰にでもあるように思います。

 

自分を型にはめたジェンダー観で見ないでほしい。その反面、女性として見られたいとか、消費されることを願う瞬間もあり、私も矛盾の中で生きていく演者です。

俯瞰して見ていくと本当の自分が何なのか、それがいつこぼれ落ちたのかもわからない、どこに行くのかもわからない といった感覚です。

 

藝大に入ることがひとつのゴールだと思っていたら、いざ入ってみたら何も変わらない自分がいて、藝大生を演じたらいいのかなと思ったり。

なんて自分は何もない人間なんだろう。ある意味、空っぽな自分でした。それが今のテーマに繋がっているのかもしれません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―― 三谷さんの少女時代を教えてください。どんなお子さんでしたか?

 

子供の頃は、絵を描くのが好きな、ちょっとひねくれた子供でした(笑)

みんなの話についていけなくても「面白くないヤツ」と思われるのがいやで、そもそも興味ないフリを演じていたり。自分も周りも俯瞰して見てしまうような子供でした。

藝大に入りたいと思ったのは小学生の頃からです。大船にある美術学院に小学校の頃から通っていて、半端なエリート意識がありました。

 

―― イタリアに留学されていたそうですね。

 

現地の修復士を紹介したNHKのドキュメンタリーを見たことがきっかけで、ローマ時代の彫刻を修復する仕事に就きたいと思いました。それで高校生のときに交換留学でイタリアで一年間学びました。

でも、今思えば、美術をやるのにまわりから認められる理由が欲しくて留学したのかもしれません。理由が必要でない、純粋に美術を楽しんでいる子たちが羨ましかったですね。

 

―― イタリア語で表現する、考えるという経験はいかがでしたか?

 

イタリア留学をきっかけに、何かを表現するときに日本語よりこの言語のこの単語の方がスムーズに当てはまるという感覚を得ました。モチーフを選ぶのは、言語の中からちょうど良い言葉を選ぶという感覚と似ています。

今、人形を研究しているのですが、別の言葉がスポッと当てはまるようなモチーフが見つかれば、それを研究したいです。

 

 

―― 作品や作家で好きな人はいますか。

 

菅実花さんの作品です。特に《ラブドールは胎児の夢を見るか?》は人形の扱い方が絶妙で、人形と人間って何が違うんだろうと考えてしまいます。

 

―― やっぱり「人形愛」があるんですね!

 

人形観は人それぞれですが、私にとって人形は鏡に映ったもう一人の自分であり、私が望むように動いて、私に意見を言ったり慰めてくれたり、自分自身の味方をしてくれる「イマジナリー・フレンド」のような存在です。

圧倒的に自分を肯定してくれる守護天使みたいな…。すごく勝手だけど、大事な友だちです。

 

―― 身体性と向き合うということが当面のテーマでしょうか。

 

美術って自分一人の体から生まれるので、自分の体を直視することは避けられないです。私の日常と結びついた身体性が、今後のテーマです。

 

 

―― 卒業後の進路についてはいかがですか?

 

大学院は映像研究科を受ける予定です。技術を学びたいのと、今は、彫刻いなくてもいいかなと。

彫刻でよく用いられる「強さ」、「存在感」、「物体の持つ力」といったワードにとらわれず、もっとのびのび表現してみたいです。

「彫刻じゃない」と言われるような作品でも、私が言いたいことが自然と作品に現れてくるものを作れれば、それは彫刻とみなされるようになるかもしれません。

 

―― さらに、その先は?

 

漠然とですが、教える立場になってみたいとも思っています。

先端芸術表現科の荒木夏実先生にも影響を受けています。作品の見方と受け止め方がするどくて、かつビジュアルだけでないところにも突っ込んでくれます。さきほどの「(メルちゃんを裸で外に置く作品の表現方法が)被虐待児に見える」と指摘してくださったのも荒木先生です。自分が気づかないうちに誰かを傷つける可能性があることを学びました。

 

―― 素敵な先生ですね

 

また、あるとき教員さんに「なんで教授はおじさんばかりなの? ちょっと息苦しい」と言ったら、「じゃあ、あなたが成果をあげて頑張るしかないよ」と言ってもらいました。

私の作品のように、女性としての自分の身体と向き合うというものは、男性にはなかなか理解しがたいところがあると思います。それは「この性別だから悪い」ということではなく、色々な受け皿があったほうが、教わる側も選択の自由がもっと持てるのではないでしょうか。

私が頑張って「教える」という立場になれば、私のようにちょっと息苦しい人の気持ちや考えを少しでもすくい取れるかもしれません。

 

 

―― 表現者だけを目指すのではない?

 

そうです。誰かをキュレーションしてみたり、一緒に考えていったりしたい。

自分の作品に対しても誰かの作品に対しても、よりテーマに落とし込める言葉を探して、美術の言語化をできる人になりたいです。

誰かに作品について言葉にしてもらえた時に「しっくりきた!」というところがあれば気持ちいいですよね。

いつも作品を作る人に囲まれているので、作家ではない見方をする人たちとも、これから交流したいです。

 

―― それならとびラーがうってつけです! 私たちはいつでも居ります。

 

 

次世代を担っていく、女性として革新的な視線を持つ三谷さんのお話、いかがでしたか?

一人の作家として、未来に向けて「他の作家に対しても、自分では見つけられない言葉を私が見つけられる人になれたらと思っています」という熱い彼女を、私たち3人は今後も応援していきます。

 

(インタビュー・文・とびラー)


取材:有留もと子、水上みさ、鹿子木孝子(アート・コミュニケータ「とびラー」)

執筆:鹿子木孝子 編集:水上みさ、有留もと子

 

とびラー1年目の初インタビューです。彫刻科の女性からみた 現状や彫刻家として教授から求められる課題など多くの女性が彫刻科に入り抱える問題意識を沢山共有できましたが、実は載せきれませんでした。世界の現代アートの傾向やドイツで5年に1度開催されるドクメンタでの彫刻は今の社会問題が多くの作品に反映されています。三谷さんの抱えるフェミニズム意識や作品表現には新しい彫刻家のあり方を垣間見ることができ、これからの活躍を期待しています。私は普段はデザインの仕事をしていますが、女性としてこちらが勇気をもらった貴重な時間でした。

鹿子木

 

 

2021.01.28

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