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「作品にとって一番良い方法をどの時代も探していく」藝大生インタビュー2020|文化財保存学専攻 保存修復日本画研究室 修士2年・谷口陽奈子さん

空が清く澄み渡った秋の季節、歴史を感じさせる朱色が印象的なレンガ造建築「赤レンガ2号館」に文化財保存学専攻 保存修復日本画研究室 修士2年 谷口陽奈子さんを訪ねました。

笑顔で玄関まで出迎えてくれた谷口さんに連れられて階段を上ると、木造の梁が目を引き、様々な道具が整然と並ぶ装潢室がありました。

 

 

■作者の描いた順番や筆使いも想像して描く

はじめに実際に作品を見せていただきながら、作品のこと、制作について伺いました。

 

 

 

-卒業・修了作品について教えてください。

 

「現在、修了研究として、大学院に入ってから二作品目の現状模写に取り組んでいます。現状模写というのは、顔料の剥落しているところや汚れなどを含めて現在の状態を忠実に写す模写のことで、今回は東京藝術大学大学美術館所蔵の『孔雀明王像』という作品を現状模写しました。」

 

-この作品を選んだ理由は?

 

「修士課程が二年間ある中で、一年目も現状模写をしているのですが、江戸時代の『風俗図屏風』という作品で、6曲あるうちの一面だけでしたけど、それは人物が小さく、着物などの模様もすごく細かい作品でした。幅広く材料を扱いたいと考え、日本画特有の金属材料も使用された作品を選んだのでそれはそれで勉強になりましたが、二作品目としては全然違うものがやりたかったので、これくらい本尊が大きくて、大らかな感じの作品を選びました。あとは絹本。前回のものは屏風で紙の作品だったので、今回は絹を選びました。」

 

-実際絹を取り扱ってどうでしたか?

 

「紙だとあまり下地がどうなっているのか気にならなかったので描きやすかったのですが、絹は、とくにこういう鎌倉時代の作品は絹目が粗くて、粗いと描き味が紙とはだいぶ違って、描けているような、描けていないようなというのがあります。あと裏から作業できるというのが紙とはだいぶ違うので、とても勉強になりました。実際に掛け軸になった本物の裏面は見られないのですが、(作業中は)想像したり、修理中の写真があれば参考にしたりします。」

 

-絹本は技術的に裏面から描くことがあるのでしょうか?

 

「裏から描くと表だけから描くより定着がよくなります。絵の具が落ちにくくなったりするので。ムラなく塗るのにも裏から作業して表から少し描くほうがきれいにできたりします。今回の作品でも、本尊の白く塗ってあるところは裏からも一回白い色をかけています。」

 

 

 

続いて、現状模写の工程について話をおうかがいしました。原寸大のカラー写真の上に薄美濃紙をおいて、墨線を写し取っていく『上げ写し』、その後色を塗り始めていく中で、実物を見ながら色カードをつかって細かな色の違いを観察し、調整していく『熟覧』、実物の隣で作業を行う『臨写』を中心に、実際に行なってきたことをふりかえっていただきました。

 

-『上げ写し』だけでも大変そうですね。

 

「そうですね。かなり時間がかかります。原本と同じカラー写真を用意して、その上で薄美濃紙を丸めながら、描いてあるものをよく見ておいて残像を利用して描いていきます。この時点で剥落や傷も写し取り、作者が描いた順番や筆遣いも想像しながら行なっています。先生からは設計図みたいなものと教わりました。この時点で本質的なところとそうでないところも判断しながら行なっています。」

 

 

-色カードを使って実物と色を合わせるのは何種類くらいでしょうか?

 

「本当はいろいろ合わせたいのですが、時間に限りがあり、コロナ禍で30分くらいしか出来なくて、取れたのは4つくらいだったと思います。後は取れたもので工夫しました。例えば青っぽい色、群青だと一番残っているところを取っておいて、そこと比較して暗いはずだなとか。」

 

-色とか材料は時代背景から調べたりするのでしょうか?

 

「日本画の場合は古いものになればなるほど、使っている色は限られてきます。明治より前か、明治より後かでだいぶ違います。鎌倉時代になると色をみれば、おそらくこれだろうとわかります。水色ならこれ、青ならこれなど。明治より後になると西洋からもいろいろ新しい顔料が入ってきて、調査をしないとわからないです。」

「たとえばこの本尊のあたりには截金(きりかね)といって、細く切った金箔を線上に乗せているのですが、こういうのはこの作品の描かれている時代までしかやらないはずだとか。」

 

 

-昔使っていた色にも何かを混ぜて古くみせたりするのでしょうか?

 

「日本画の絵の具だと、まず岩絵の具というものがあって、染料があって、合成された材料もあるのですが、岩絵の具だと群青と緑青は加熱するとどんどん黒っぽくなる。それを混ぜたりもします。透明水彩絵の具を使った方がはるかに楽でも、できるだけ昔からあるものを工夫して使っています。また、どういうふうに変化するのかということも勉強になります。見た目を似せるということもしないといけないし、元の状態を想像することもしないといけない。先生にも結構相談しました。」

 

-『臨写』について教えてください。

 

「臨写は重要な期間で、藝大美術館所蔵の作品の場合約10日間行うことができます。大学美術館でやらせてもらいました。そこで完成するのがベストですが、細かい模様は描ききれなかったので、截金もその後にやりました。本物があると進みが全然違います。こうかなと思って描くのではなく、正解がすぐ目の前にある。」

 

-昔の人の技術というか、今回の模写で見えてきたものはありますか?

 

「例えば金泥で細かい模様が服に入っていて、本当に細かく描いているなぁと思いました。どこから見ても完璧だと思いました。」

 

 

-今回の現状模写で難しかったところは?

 

「背景が大変でした。経年劣化した状態を再現するのが。描いた感じが出てしまうとやっぱり違うので、薄く顔料が残っている感じを表現するのが難しかったです。おそらく一色で塗られていたと思うのですが、本物は筆で描いた感じがしないけど、でも模写だから描かないといけない。」

「絹って順番に絹糸、空白、絹糸、空白となるので、(構造が)空白のところには色がのらない。裏彩色がされていれば平滑に近くなっているのですが、背景は裏から塗っていないだろうから、そういうところは埋めてしまうのも違うし、埋めないと裏打ち紙(作品の裏に貼り付け補強するための紙)が透けてちらちら見えてしまって違うし、そういうところも難しかったです。」

 

 

■日本画から文化保存修復へ

谷口さんは、学部時代、東京藝術大学で日本画を専攻し、現在は大学院で文化財保存学を学んでいます。そこにいたった経緯や大学院での学びについて伺いました。

 

 

-学部時代に日本画を専攻していて、現在は文化財保存学を学ぶことに至った経緯は?

 

「学部と大学院の違いでいうと、学部の時は、作家になるための勉強だったと思うのですが、大学院は作家になる人がいてもいいし、修復の世界を目指す人がいてもいいし、間口は広い感じがします。私は、修復がやりたくて藝大に入ったので、学部時代に日本画を学んだのもここにくるための準備だったと思います。」

 

-修復がやりたいと思ったのはいつ頃ですか?

 

「もともと伝統工芸は好きで、高校生の頃にこういった世界があることを知って、その頃から漠然といつかやりたいと思っていました。」

 

-大学院で現在はどのようなことを学んでいるのでしょうか?

 

「今はこういう模写を自分の研究としてやりながら、週一回授業で修理や表具を学んでいます。(いずれは)材料をきちんと扱えるようになるのが目標です。模写は絹があって、表からも裏からも描いてあって、顔料がどうしてこう落ちているのだろうと考えることや、あとじっくり観察できたのも将来にとってよかったと思います。忙しかったですけど、楽しかったです。」

「修士課程の一年生の時には、保存科学のこととか、日本画以外の分野についても保存のことを一通り学ばせてもらいました。建造物、彫刻のこととか、油画のこととか、工芸にも行きました。」

 

 

■研究室に受け継がれる伝統

室内にある見慣れない数々の特殊な道具についても話を伺いました。

 

 

-コロナ禍で制作に影響はありましたか?

 

「大学の構内でもうちょっとやりたかったです。7月頃には少し入れるようになったのですが、制作できるようになったのは9月からで、その間は、家でやらざるをえなくなってしまった。家では場所の問題もありましたし、場所は何とかなっても照明が暗いことも問題でした。表具ももっとやりたかったですけど、こういった台(装潢台)も家にはないので。」

-確かに特殊なものがたくさんありますね。

 

「(装潢台は)裏打ちといって中腰で作業することが多いのですが、絶妙な高さですね。」

 

-たくさん気になるものがありますが、あの桶みたいなものは何に使うのでしょうか?

 

「この研究室では生麩糊(しょうふのり)という粉から炊いた糊を使うのですが、炊いた糊をこして、その糊を水で薄めたり、練ったりするときに使います。ここで作った糊は修理の時などよく使います。一年生の頃は毎週炊いていました。」

「一年生の仕事でいうと、1月とか2月頃に残っている糊を全て炊いて、大きな甕(かめ)にいれ、ここの建物の地下に保存しておきます。今も古糊(ふるのり)といって2013年頃の糊をつかったりします。」

 

-糊を代々引き継いでいるわけですね。

 

「新しい糊は、接着力が強く固くなり易いのですが、古い糊は接着力が弱く柔らかく仕上がるので、使い分けています。そういうのも面白いです。」

 

-あちらの青いバケツには何が?

 

「青いバケツには、水につけた糊のもとになる粉が入っています。その上に水があるのですが、その水を時々替えないと全体的に腐ってしまうので、それのお世話をしないといけない。ペットボトルには染料が入っています。矢車とか天然の染料を煮出したものですね。今回の現状模写でも裏打ち紙に真っ白なものではなく、矢車で染めたものを使いました。」

-この部屋をざっと見渡しただけでもたくさんの道具や物があるのにとても整理されていて、整然と並んでいますね。

 

「研究室の先生の影響というか、代々みんなが自然とそうしてきているのだと思います。研究室でも一人でできないこともあるので協力をしたり、そういう意味でも研究室の全員で作っている環境です。」

神は細部に宿るという言葉がありますが、文化財保存修復に関わる人として、道具を大切にする、整理整頓といったことが、先生から学生へ受け継がれる。そして先輩学生から後輩学生へも代々伝統のように受け継がれ、文化財保存修復に関わっていく思いも育てられているように感じました。

 

最後に、保存修復への思いを伺いました。

 

「こういうものは永遠ではなく、古びていく。良くなることはなくて衰えていく。修復の世界のそれを理解してやっているところにすごく感動して。自分たちにできることの限界も知りながら、でも作品をなるべく後世に伝えていこうという謙虚な姿勢に魅かれました。私もそういう技術者になれたらいいなぁと思います。」

 

学部から大学院まで日本画に真摯に向き合ってきたからこそ、迷いなく、まっすぐに語られる言葉が印象的でした。

 

来週は絹を木枠から外して、表具の工程に入るので緊張しているという谷口さん。絹は一層目の裏打ちが難しく、浮いてしまったりするそうです。また、仏画の形式だと仕立ての工程が倍くらいになるので、慎重にやらないといけないと話してくれました。
卒業・修了作品展で展示される現状模写『孔雀明王像』。表具を終えた谷口陽奈子さんの作品をぜひご覧いただければと思います。

 

 

■インタビューを終えて

谷口陽奈子さんにどうして東京藝術大学で学ぼうと思ったのか尋ねると、少し考えた谷口さんから返ってきた答えは、「一番になりたかったので」でした。他人と比べてではなく、自分自身が一番納得できるようにありたい、そんなふうに私には聞こえました。彫刻家イサム・ノグチは、完全な芸術家とは「みずからの芸術がさらに含意するものの探究に身を捧げる芸術家だ」としていますが、「これからも全てが勉強です」と話す谷口さんの姿が重なります。
先人たちから受け継がれた文化財を次世代へ、知識や技術とともにその思いも受け継がれていることを感じました。

 

 


取材:木村仁美、和田奈々子、中嶋厚樹(アート・コミュニケータ「とびラー」)

執筆:中嶋厚樹

 

とびラー2年目、普段は美術館学芸員をしています。とびラーとして、たくさんの人に出会い、刺激をもらい、共に過ごす時間が財産になることを実感しています。

2020.12.15

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