昭和生まれの私たちとびラーが訪れたのは、昭和感が漂うショッピングセンターを改修し2007年にオープンをした「井野アーティストヴィレッジ」。東京藝術大学と茨城県取手市が連携して、若いアーティストのための共同アトリエとして貸し出している。
その一室が絵画科 油画専攻・学部4年の奥村研太郎さんの創作場(アトリエ)です。
床一面に平置きされた大きな卒業制作の作品の前でお話を聞きました。
印象的な黒くすすけた柱が3本不規則に並んでいて、周りを囲む額縁のような板の上全体には隆起した山や蛇行した線がついた白い砂が枯山水のように広がっています。
「これが卒業制作の作品ですか?」
「そうです、これに映像を重ねます」
と挨拶も早々に、部屋の電気を消してプロジェクターからの映像を重ねて見せてくれました。
次々と変わる地図のような映像が映し出され、「おおおおっ」と声が出てしまった。
(私たちの)この反応は正解ですか?と、問いかけると、部屋は暗くて表情は見えませんが、「えぇ、はい…」と照れたように答えてくれました。そして静かな口調で丁寧に作品について語ってくれました。
―作品の材料を教えてください。
砂・木材・映像です。
砂は「寒水石」といって日本庭園や枯山水で使われる砂の一種です。この柱は藝大の上野キャンパスの近くの木造アパートを解体しているところからもらってきました。柱は不規則に削って表面を焼いて、設置しています。映像は都市や銀河の名前や場所などを板の上に投影しています。柱の木材としての物質性や、解体前の記憶をいくつかの地図の映像と組み合わせて、展示したいと考えています。作品の舞台部分は、大きな4つのパネルが組み合わさってできています。卒業・修了制作展では、これを解体して持って行き設置します。
―その都度、イメージが変幻していく感じですか?
はい、この砂は撒いてあるだけで固定していません。規則を作るのではなく、自らの身体の変化や環境の変化が間接的にこの砂の部分に現れます。絵を描く行為と似た感覚で、箒を使って形をつけています。
―柱をそのままでなく、黒く焼いたのはなぜですか?
“表面的な死”という意味を込めています。燃やされる前も、建物の一部だった柱が解体されて、機能面での生を失ったものと言うことができます。柱の表面のみを燃やした段階では、木材の芯の部分はまだ生きている。この柱が生きているのか死んでいるのか、どちらとも言い難いような、揺れ動く状態に持っていくために燃やしています。
柱の上部だけを彫ってあるのは、角材から人のカタチを彫り出すようないわゆる彫刻作品とは違って、一部だけ自分の生々しい手つきが入っているようにしたくて行いました。実際に彫ってみて初めて柱が自分のものになるみたいな気がします。
―柱は最初から構想にあったのですか?
そうですね、過去に作った作品でも欠けて折れたりした上で燃やされた木の柱を白いバックグラウンドに貼り付けて、映像と組み合わせています。そのような過去作品の流れで、卒業制作でも炭になった柱という物質を使っています。
《森森流熵(しんしんるしょう)》というタイトルの作品になります。この作品は遠くから見ると平面として映像が見えてきて、近くから見ると木材の質量感があり、2つの視点での見え方を狙いとしています。タイトルの最後の一文字の「熵」は中国語でエントロピーという意味です。エントロピーは熱力学で使われている概念で、簡単に言うと物のランダム性の度合いを指しています。たとえば、同じ容器の中で温度の高い水と低い水が仕切りによって隔てられているとします。その仕切りを取ると自然と中くらいの温度に落ち着きますよね。この状況を説明する際に、分子の運動の激しさが高いことを「エントロピーが高い」とし、逆をエントロピーが低いとするような表現方法です。時間的にマクロの視点で見ると分子の乱雑度がどんどん増大して発散していくと言われています。
人にしても木にしても、生まれてからしばらくしたら死んでいきます。最終的には燃やされて、煙になって空に登っていく。人が自然に感覚できるスケール感からすると、空に登っていく時点が同一の生命に関して最もエントロピーの高い状態だとも言えます。死してもなお、この体を構成していた分子は他の生命の一部になる。それは、エネルギーによってエントロピーが再び低い状態にもどる現象が起きているということです。タイトルについて説明すると、「森森」で森羅万象のイメージ、そして森羅万象が「流」れるという意味になっています。柱を燃やし、映像によりその欠落を補完するという行為で、生と死に直接アプローチできるのではないかと思います。
―焼いた柱に惹かれるのは?
細長く立っているという形態が大事で、ポツンと屹立しているとじっと見てしまう。人も同じく細長い形をしていて、柱が擬人的に見えるっていうのもあるかもしれないです。一個の生きているもしくは死んでいるものの象徴として、僕には人に見えてしまいます。
―記憶のうつり変わりや時間の流れみたいな感じですか?
そうですね、確かにその部分も大事です。しかし、一番大切にしたいのはある対立なんです。どんどん移り変わっていく儚い要素と、それに対する素材の重さや、質量。どうしてもその儚い部分として、炭の柱を使う必要がありました。
展示では、映像を床に投影するのと同時に、壁にも投影して全体感が見えるようにしたいと思っています。
―今回の作品のタイトルはなんというタイトルですか?
長いタイトルを付けてしまいました・・・笑
《写像形式的沖火―Ⅲ.消去の論理像 Animortem of Pictorial Form―III.Logical Picture of Delection》といいます。
一つのシリーズとして自分の最近の制作を捉えたいなと思っていて、「写像形式的冲火」というシリーズの「Ⅲ」番目に位置付けました。先ほどお話しした《森森流熵》よりさらに前に、同じく炭の柱を使った作品があります。それをこのシリーズの最初とし、《森森流熵》がⅡで、今回の作品をⅢとしました。
―この作品のデッサンとかはしましたか?
構想の段階ですね。最初は小さいスケッチブックにドローイングして、こういう景色を見たいというイメージを描くということをしました。一番始めのドローイングの段階では、「白い海みたいな砂が柱に打ち寄せていたらいいな」みたいなぼんやりしたイメージを持っていました。そこから時間をかけて、パソコンで3Dを使って試してみたりして、シミュレーションしていました。
―生と死を取り入れようと思ったのは?
この主題を扱おうと思ったのは大学に入ってからです。もともと、粘菌みたいな生物の複雑性やビジュアルが好きでした。粘菌というのは、少量をシャーレに放置しておくと自然と東京の路線図みたいな複雑な形に派生していくような不思議な生物です。絵を描くときもそのように複雑な視覚効果を求めて作品を作ることが多かったのですが、他のメディアの魅力にもだんだんと触れるようになりました。
メディウムから出発した実験を色々している中で、複雑性を持つということ、また、情報という概念自体が、生命に特有のものであることに自覚的になったんですね。そこで、DNAというモチーフを使って制作をしてみた作品があります。DNAは、A、T、C、G四種類のシンプルな塩基で構成されながらも、その組み合わせによって物凄い種類のアミノ酸やそれをさらに組み合わせてタンパク質が生成されています。精巧なシステム自体の素晴らしさもありますが、やはりこの複雑性は生命であるからこそ可能なのだという気づきがありました。このような過程を経て、「生命とは、非生命とは何だろう」という改まった問いの立て方をしてみるようになりました。
―生や死を身近に御経験されたのですか?
祖母が亡くなったことは大きなきっかけの一つでした。長男として、お葬式で初めてお骨を拾うという最後のところまで参加しました。その時、人が死んでしまった後の儚さを感じました。拾えるぐらいのお骨は遺るけれど、他の物質はほとんど全て無くなってしまったように思えた。しかし理性的に考えると、無くなるというより、見えないぐらい細かくなって移動して、他の物質とつながっていくと言った方が正しいですよね。物理的に人間を捉えるなんて言うと冷たく聞こえますが、お骨と空に登っていき拡散する物質に関しては、そのような視点が救いになることもあると思います。
―油絵専攻ですが、この形に進化した経緯はなんですか?
色々なメディウム(媒体)を試したいという思いが強くありました。油絵具も、様々な表現方法があって楽しいのですが、重量、質量をそのまま扱う立体や、時間軸が付加される映像など他のメディアを作品に使いたいと思いました。
―現在は制作のために取手に引っ越したそうですね
井野アーティストヴィレッジの近所に住んで制作をつづけています。上野キャンパスのアトリエは、時間の制限もあってそれに左右されてしまうので、時間を気にせず制作したいと思って借りました。今年の初めに4ヶ月ほどシンガポールのラサール芸術大学へ交換留学で行きましたが、本格的な一人暮らしは今回が初めてです。
―シンガポールでの留学生活は作品作りに影響はありましたか?
今回、地図を立体物の上にマッピングしようと思ったのはシンガポールでの気づきが大きい影響を持っています。シンガポールではCOVID対策の一つで国民の位置情報を把握するアプリを国民全員がスマホにダウンロードしていて、感染者が出た場合の追跡を可能にするために、建物やお店の入退場時刻などを毎回記録するというのがスタンダードになっていました。そのアプリで常に動きが俯瞰的に把握されているのだなというなんとなくの実感をもとに、現地では地図を重ねてドローイングしていました。「地図」、というのがキーワードになりそうだ、というくらいの感覚です。そこから、「マッピング」=地図を描くという行為が、「投射する」「写像する」という動詞に翻訳されることもあるということを知り、今回の作品で地図を扱う根拠になりました。ある情景を文章に起こすのも、写像の一種と言えます。通常の地図は、私たちが歩きまわっているこの立体的で五感的な環境を、必要な道路・建物などの要素だけを抽象して二次元に写し出した像です。つまり、現実世界から像に置き換わる時に、ある解釈が必ず入っているわけです。この、地図に代表されるような写像行為における解釈のレイヤーを見つめていきたいという思いがあります。
今流している映像では、地図は4種類あって、コロンビアのどこかの都市だったり、いくつかの銀河の名前を宇宙マイクロ波背景放射という画像に重ねて「宇宙の地図」と自分で呼んでいるものがあります。さらに、消防用のマンハッタン市街地の地図と、金星の地表の航空写真にグリッドや架空の地名を加えて自分の頭の地図と呼んでいるものがあります。このようにスケール感が違うのは、地図行為、写像行為の恣意性を意識したためです。都市の地図がゆらゆら写っているところから、パッと銀河規模の地図に移り変わるようになっているのですが、一瞬でこのようにスケールを飛び越えられるのは、いくらでも細かく、あるいは大きく世界を写像することができるということに起因していますよね。この不確かさ、世界を「解釈する」というレイヤーが、そのままで見えるわけではないけれど確実にあるということをこの作品の根幹としています。
―日々入ってくる情報によって作品は変化していきますか?
関心があることは勉強していくようにしています。今、ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインというオーストリアの哲学者が大事だなと思っています。《消去の論理像》のマッピングという行為に彼の「像理論」が深く関係しています。
ウィトゲンシュタインは、数学や論理学をバックグラウンドにした哲学者です。『論理哲学論考』という有名で賛否両論な著作があるのですが、その中で彼は、語りえることだけを語ろう、語り得ないことは確実にあってそれは語ろうとしない方が良い、という主張をしています。その際に中心となっているのが、「像」の理論です。数学の集合論の一番基礎で紹介されるような概念ですが、集合論が数学の根っこであるということもあるくらい大事な概念です。ウィトゲンシュタインよりも前の哲学者も似たような概念を使って世界を説明していましたが、その記述の正確性と、言語によって語り得ないことの線引きをしたという点において重要な哲学者だと言えます。像理論を、リンゴを例にして説明してみます。目の前にリンゴがある。そこで僕が、「リンゴがある」という文字を書いてみたり、発声してみたり、その光景を絵を描くというのがリンゴを写像するという行為です。現実世界という状況がまずあって、そこからリンゴという事物を切り出して何かしらの表現をすることで、表現された結果の方が像と呼ばれます。そして、この行為が写像と呼ばれます。ウィトゲンシュタイン自身はこの像を命題と言って文章のみで考えていましたが、とりあえず今は絵で考えてもいいと思います。さらに、現実のリンゴからリンゴの像が作り出される時、どうやって変換されているのか?少しゴツゴツした球体のような形態を持って、赤い色彩、斜め上の光源から生まれる陰影が、そのように捉えられる時、どうやって絵として変換されるのか?この形式のことを写像形式といい、写像形式は言語自体では(絵を描くという言語の中では)語ることができない、形式自体を描くことはできないということです。この像理論が大きな重要性を持っています。
(奥村さんのKindleから)
―写像はこの作品の裏テーマですか?
はい。むしろ、作品の根幹になっています。「写像」という言葉は、数学や哲学の文脈で出てくることが多いため小難しく聞こえますが、元の英語だと「Mapping」なんですね。つまり、地図のことなんです。さらに、「像」というのも、元は「Picture」なんです。リンゴをみて、リンゴのPictureを作る。それがMappingです。だから、地図を作り、地図を投影することも、マッピングしたものを改変しさらにこの現実世界に再びマッピングするという行為なんです。
ただ、ウィトゲンシュタインは「語り得ないものについては沈黙するしかない」と言いながらも、『倫理学講話』という講演の中では語り得ないものについて必死に語ってみようとする、語り得ないということは知りつつもなんとかつかまえてみようとするような、ひたむきな姿勢を支持しています。《消去の論理像》においても、写像形式が、示されるだけではなく、語られ、立ち上がってきてくれたら、という思いを持っています。
―制作をしていないときは何をしていますか?
本を読むことが多いです。理系ではありませんが、科学的な世界の捉え方と、その限界に興味があります。
―将来は?
外国に拠点を置いてみたいと思っています。計画では、再来年ロンドン芸術大学のセントラルセントマーチンズに行こうと準備をしています。英国英語が好きなのと由緒ある大学で学びたいと思いました。1年半ほどフリーターをし、準備を整えてマスターを取りたいと思っています。今のような形でやっていけるのかわかりませんが、何かしらお金を得て制作を続けられるようにしたいです。
―インタビューを終えて
奥村さんとインタビューしながら穏やかで落ち着いたその口調から語られる熱い思いはまさに彼そのものがエントロピーのようだと思いました。目の前の作品とそのプロセスの複雑さは、説明されても容易にはわからないかもしれない。けれど、わかったふりはしなくていい。それだけはわかった気がします。
(インタビュー・文・とびラー)
取材:藤田理子、中島弘子、水上みさ
執筆:藤田理子
ものすごいスピードでいろいろなことを吸収して消化していく奥村さん。静かに語る口調の中に秘めたる情熱を感じ、アトリエの冷えも相まって青い炎のように感じました。私の生きている時間とは違う速度で暮らしているのではないかと思っていたら、得意料理は豚バラキムチと聞いてほっこりしました。(藤田)
2022.01.25