東京都美術館× 東京藝術大学 「とびらプロジェクト」

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建築ツアー実践講座2回目「東京都美術館の歴史」

2回目の建築ツアー実践講座が行われました。今回は主に、東京都美術館(以下:都美)の建物の特徴や歴史について学びました。講師は学芸員の河野さんです。とびラー候補生(以下:とびコー)が現場に立ってツアーガイドを行うときに知っておきたい基礎知識を中心に、ちょっとした裏話しまで幅広く講義して頂きました。スライドの写真は都美の父ともいわれる九州の炭鉱王佐藤慶太郎氏。当時の100万円(現在の33億円程度)を東京府に寄付し、1926年(大正15年)に東京府美術館(現 東京都美術館)が開館する礎を築いた方です。

 

佐藤慶太郎氏の寄付により建てられた旧東京都美術館も時代の流れの中で、建て替えを余儀なくされます。昭和50年に旧東京都美術館から現在の前川國男設計の東京都美術館に移行を完了させたそうですが、なんと、旧館を運営しながら、隣に新館を建設するというかなりアクロバティックな乗り換えだったようです。また、前川氏は同じ上野公園内にある東京文化会館の設計も行っており、さらにその向かい側にある国立西洋美術館は彼の師であるル・コルビュジェの作品です。一方、上野公園には、不忍池や武蔵野の原生林の面影が漂う自然の風景も残されています。こうした多様な魅力を上手に融合させ、建物を取り巻く公園全体の環境を大切にしながら、前川氏の手によって都美の建設は進められました。
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さらに館内に目を向ければ、都美の建物の中には、普段は気付かない色々な工夫が隠されています。例えば、館内の階段に付いている手すりは、全ての角を落として丸く処理されています。これは、都美が建てられた1970年代当初は、まだ美術館の来館者の多くが着物だったため、袂を手すりに引っ掛けない様にデザインされたそうで、リニューアル後の今でもその面影をの見ることができます。その他にも、一度奇麗に固めたコンクリートの表面を砕き細かな凹凸を付ける「ハツリ加工」が生み出す柔らかい光と影の印象や、都美の外観を覆い尽くす一見レンガに見える「打ち込みタイル工法」の仕組みなど、なるほど〜と思わずうなずくことがたくさん有りました。

 

時代を感じるエピソードとして印象的だったのは、都美の正面入口のコンクリートに今でも残る斜めの大きな傷のお話し。都美を建設中の70年代前半、日本はオイルショックに見舞われました。その影響で何と都美の正面入口をつくっている最中にコンクリートミキサー車が到着できなくなるというハプニングが起こったそうです。継ぎ足すコンクリートが届かないまま、途中まで入れたコンクリートが凝固しはじめ、結果的に断絶の跡が大きく残ってしまったとのこと。当時の現場担当者はこの不始末を詫びるために前川氏に土下座したとも伝えられていますが、「それも時代の傷だよ。山の稜線みたいでいいのでは。」と、前川氏はさらっと返したと言われています。なかなか深い話です。
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まだまだ都美にまつわるお話は絶えません。現在とびコーさんたちは、来るべき建築ツアーのために各々が勉強中です。次回、建築ツアー実践講座は1ヶ月先になります。それまでとびコーさんに出された宿題は各自でツアーコースをつくって来ること。どんなツアーコースが出てくるかとても楽しみです。(伊藤)

2012.06.19

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