東京大学の福武ホールにて開催された「Educe cafe」に学芸員の稲庭彩和子さん(アートコミュニケーション担当係長)がゲストに招かれ、「アートが引き出すコミュニティ」というテーマでトークイベントが開かれました。もちろん伊藤も近藤さん(とびらプロジェクトコーディネータ)大谷さん(とびらプロジェクトアシスタント)とびラー候補生(以下:とびコー)のみなさんと一緒に参加して参りました。
(ミーハーな伊藤としては、東大の敷地の美しさと広さに感動しきりでした。)
^
今回のテーマである「アートが引き出すコミュニティ」をもう少し咀嚼すると、アートがコミュニティ形成に果たせる役割とは何か、また美術館はそれに対してどのようなアプローチが可能かという問いが浮かび上がります。そして、この問いは、まさにリニューアル後の東京都美術館(以下:都美)に課せられたテーマでもあります。
^
稲庭さんからは、まずご自身がお住まいの台東区松葉町を題材としたコミュニティを形成する要素(空間、時間の層、求心的事象や物の存在、実践の場、集団的学び、ハレの場など)の分析があり、これを踏まえた上で、地域の中にある寺社仏閣と美術館の双方の役割や機能性を比較することから、コミュニティを形成する社会装置としての美術館の可能性についてお話がありました。
^
稲庭さんからのお話をもとに僕の感想も含めて書きますと、寺や神社は日常の生活空間の中にあり、人々の生活に深く根ざしていながらも、どこか非日常を感じさせる空間だといえます。僕などは取り立てて信仰心などはないのですが、それでも門や鳥居を潜ると、少し居ずまいを正すような気持ちになります。また、寺や神社は普段はひっそりしていても、一旦お祭りとなると、地域の人々が大勢集まり、我が事として盛り上がります。地域の人々は祭られている仏様や神様を、人の手には届かない特別な存在としながらも、自分たちの生活の中に取り込み、ごく親しげな存在として息づかせています。
このような非日常的空間と日常空間の絶妙な距離感は、地域のコミュニティに活力を与える上で、とても重要な要素であると感じました。
^
都美の目指す地域に根ざした美術館の理想像の中にも、そのような人々との関わり合いの姿があります。例えば、普段の美術館はひっそりしていて(都美はめったにひっそりしていませんが、、、)、奥には美術作品の展示室があり、少しハードルが高い様にも思われます。建物の中に入れば、ちょっと静かにしていなくてはならないような緊張感もあります。しかし、一旦何か地域の方々と一致団結できる時があれば、美術館の持っている力を様々な人々と分かち合うことができ、そして、地域の人々にとっても、ここは自分たちの美術館なのだと思ってもらえるような、そんな距離感の美術館に都美がなれればと思います。
^
美術館の多くは作品のコレクションや研究、展覧会の開催などが主だった機能であり、役割を明確化させることで「求心力」のある社会装置として機能してきました。しかし、幸か不幸か、都美には作品のコレクションがありません(厳密にいえば少しあります)。都美で展示される作品は企画によりその都度入れ替わって行きます。「マウリッツハイス美術館展」や「メトロポリタン美術館展」の様な大型企画展から、アマチュア作家の公募団体展まで幅広く行われます。作品を鑑賞しに来る人、公募展に出品する人、または隣の敷地の東京藝大の教員・学生や、上野公園の散歩ついでに都美のレストランでランチをする人など、コレクションはなくても、アートが媒体となって様々な人々とコネクトするチャンスが都美にはたくさんあります。このチャンスを活かし、都美はアートコミュニケ—タ(とびラー)の力を借りながら、より多くの人々とつながり、美術館の持つエネルギーを地域・社会に広く還元できるような「遠心力」を高めて行きたいと思います。その為には、まずとびコーさんたちに、都美が自分たちの美術館なんだと感じてもらえる様に、とびらプロジェクトを成長させてゆかなければと、稲庭さんのトークの後に改めて思いました。
稲庭さんのトークが終わるとしばし歓談。お酒や食べ物などをご用意頂いており、周囲の方々とご挨拶やお話をさせて頂きました。今回会場に集まった方々は、東大の学生さんだけではなく、アーティストや一般企業・NPOで働く方々など幅広く、大変有意義なひと時を過ごすことが出来ました。
後半は稲庭さんへの質問を含め、カンバセーションの時間となりました。リニューアル後の都美の方向性やとびらプロジェクトの今後の進展などを皮切りに、アートとコミュニティの関係について、様々な立場の方々の視点で、熱い議論が交わされました。特に話の焦点となったのは、とびらプロジェクトの到達目標をどこにイメージしているかという質問に対しての答えであった「あさって性」についてでした。僕も少しだけ客席から発言させて頂いたのですが、「あさって性」とは『100人で語る美術館の未来』(慶応義塾大学出版会株式会社 2011年)に記載されている鷲田清一氏の言葉の引用で、意味としては「なんとなくぼんやりした未来イメージ」を指します。対象的に「明日」のイメージは、「すでに目的が決まっているはっきりとした未来」です。「明日」の想定される成果を達成する為に、タスクをあげてスケジュールに落とし込み、実行する。成果目標から逆算的に行程を導きだすことで作り上げて行く未来のイメージです。恐らくほとんどの人々がそうした「明日」のイメージの中で生活を送っていると思います。(伊藤もそうです) しかし、ここでいう「あさって」とは、「明日」の時間的な地続きにある未来ではなく、明日を超えた向こう側にある未来のイメージを指しています。都美の目指す「あさって」のイメージは既に「遠心力(型)」についての下りでご説明した通りですが、それに向かうが為に逆算的に行程を導き出すのではなく、都美に集う多様な顔ぶれと、そこでしか生まれない出来事を積み上げ行くことこそが、とびらプロジェクトの「あさって」へ向かうスタンスであると考えています。途中、会場に来てくれたとびコーさんたちを紹介する場面もあり、アートコミュニケータとしてこれから活躍してゆく立場から、お一人ずつ今考えていることなどをお話して頂きました。とびコーさんという当事者がいることで、話はより深まりをみせることができたと思います。
^
考えてみれば、とびコーさんは10代から70代までおり、学生、会社員、主婦、退職後の方、研究者、介護士、教員、新聞記者、アーティスト、地方議員、なぞなぞ作家、などなど、相当バラエティーにとんだ90人もの個性派揃いです。こうした立場や世代や価値観の違った人たちを、フラットな立場でつないでゆけるプラットフォームなど、アート以外のあるでしょうか。(書いてて、よく集まったなぁ~と我ながら感心)様々な人たちが集い、それぞれの個性を尊重し合い、時に目的を共有し、時に議論しながら、新しい価値観をもったコミュニティーを生み出して行ける場が、とびらプロジェクトなのだと考えます。(伊藤)
2012.06.06