東京都美術館× 東京藝術大学 「とびらプロジェクト」

活動紹介

藝大生インタビュー|デザイン 大学院2年・松田紗代子「日本独自の文化“折形”の研究から、みんなの心が“ポッ”と豊かになるようなデザインを発信していきたい」

2016.01.06

視覚伝達研究室に所属し、目に見えるものと見えないものをいかに視覚的に伝えるかを研究されているデザイン専攻・修士2年生の松田紗代子さん。学生時代から今回の修了制作、今まで取り組んできたものから今後の夢を訊いてきた。
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ビジュアルが解体されて再構成される形に興味を持つ松田紗代子さん。東京国立博物館を盛り上げるツールとして国宝の折り紙を制作した。
 
 

“モノを作る意味”ってどういうことなんだろう

半立体・パッケージデザインに元々興味があった松田さんは、しっかりと目的を持って制作している。しかし、学部生時代はデザインって何だろう?モノを作る意味って何だろう?と悩み模索する時期もあった。
「そもそも私にとってモノを作るという事はどういうことなんだろう?と考えながら学んでいくうちに、日本の折形に魅了されました。包んだり、それを人に送ったりする事にだんだんと興味を持ち始めたんです。中に包んでいるものを紙一枚で包む形によって抽象的に人に伝える事が出来る。日本独自の文化でかっこいいなと感じました。」

 

修了制作「一日一包プロジェクト」
見えない部分もデザインする

紙一枚から様々な形を折って作っていく研究。手の中で毎日触って新しい形を作ってゆくこのプロジェクトは折り紙とほとんど変わらないようであるが、毎日地道に続けるうち、一年かけておよそ四百の異なるパターンの折り方が出来上がった。
「卒業制作は、一日一包プロジェクトというものを制作しています。平面的な包む形から立体的で自然のような、有機的な曲線を出せないか?と模索していくうちに七十二候の暦の分け方を現代の暦に置き換えるという考えに辿り着いたんです。現代の暦に置き換え、手に取った人が実際に季節や自然を感じられるように紙一枚でのデザインを提案できないだろうかと考えました。一日一包プロジェクトでは、季節という概念を包むために紙の質感・大きさ・色彩を調整しながら七十二の包み方を模索しながら進めています。」

 

—どうして一枚の紙にこだわるのですか?

「まさか一枚の紙で出来ていないだろうと思うモノが一枚の紙だったときの“シンプル”さ“簡素さ”が日本らしいと感じるからです。完成した形から広げると一枚の紙になる、二次元と三次元を行ったり来たりしているのが面白くて。だから一枚の紙にこだわり、完成した時には見えない部分もデザインするようにこだわっています。」

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一日一包プロジェクトの一部。シンプルさの中に日本独自の折形を引き立たせる工夫が分かる。
 
 

“古いものに宿るロマン”に対する情景と“探究心”は父親譲り

出身は関西・兵庫県である松田さん。京都市立芸術大学で学部生として過ごしていた京都という町は、古くからある文化を守っていく一方で、どんどん新しいものと融合して変化していく町。古くからある伝統を、いかに形を変えながら残していくかを考えるきっかけになったのは、大学院一年生の時に参加した折形デザイン研究所・山口信博さんの講演だったという。折形の文化・歴史を知り、紙袋を作るワークショップで四角い一枚の紙を渡され、各々が自由に折る。“縦と横と斜めのグリットだけで無限に形に出来るんです”と言われた時、すごく日本的だなとインスパイアを受けたという。しかし、その根底にある、今の自分を作っているのは研究者である父であると語る。
「父は研究者で宇宙地球科学の分野を大学で教えていました。大気・海洋の起源・隕石などを研究し、世界中の化石や隕石、鉱物などを収集している父を幼少の頃はずっと側で見ていました。私のお父さんはインディ・ジョーンズなんじゃないかって(笑)。そんな父をずっと見てきたせいか、“古いものに宿っているロマン”に対する情景はありますね。自分が作品を作る上でもそのモノにまつわる歴史や文化などのバックグラウンドを含めた上でアプローチの仕方を決めて、アウトプットしていきたいと考えるのも研究者気質の父の影響だと思います。ただ作ってキレイっていうよりは、その裏側まで見つめて、そこにきちんと知識を持つ事もデザインをしていく上で専門性というか、プロとして必要なことなのかな、と思います。」

 

古いものがどんどん新しいものと融合していく
その過程を後世のために遺していく

一日一包プロジェクトの他に、様々なものに積極的に活動してきている。形をただ作るデザインより、過程から遺していく事を考える。古くからある伝統・文化をいかに現代風に融合させ、形を変えて後世に遺していくか。デザインにおいてコンセプトや構造的な面から、社会で上手く働くデザインを考える一方で、アウトプットとしてのデザインの両立を考えながら制作していた。
「電子回路を銀のインクで刷れる技術を開発した会社の方と子供向けのワークショップをした時は、和柄自体が回路になるように設計し直して、光りながら回る風車をデザインしました。ずらりと並んだ光の風車が夜店の懐かしいような雰囲気を作り出して、子供も大人も楽しんで頂けたと思います。また、指先の凹みや圧を繊細に感知できるセンサーを開発した方の、それを使って新しいものを開発するというコンペでは、伝統工芸をそのセンサーによって後世に遺していく事は出来ないだろうか、という仕組みの提案をしました。その職人さんがいなくなったら失われてしまうであろう指先の動きを、センサーを使ってデータ化したものをパッケージングして集めていくんです。伝統技術がデータとして遺っていれば、未来に再現できる可能性もあります。そういったアーカイブ活動にも活かせると感じました。」

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紗代子さんの父は2013年に藝大に入学(現在休学中)、親子で藝大現役生だという。お互いに影響されながら研究を進めてゆく姿がとても羨ましい。
 

目に見えるものと見えないものをいかに視覚的に伝えるかは永遠のテーマ
沢山の人に、心が“ポッ”とする瞬間を感じてもらえる
そんなデザインを発信していきたい

視覚伝達研究室に所属している紗代子さんは、視覚障害者の方や外国人の方など日本独自の文化を取り入れたデザインを手に取る際に、何かしらの障害がある方々も含めてデザインを発信していきたいと考えている。そういったデザインを志したきっかけは、本の装丁やポスター、パッケージなど至る所にあるデザインの中で、ちょっとでも良いデザインに巡り会うと心が“ポッ”と豊かになる瞬間を自分でも少しでも多くの人に発信していきたいという強い願いからである。
「外国人向けの日本酒のギフトパッケージをデザインした時は、日本酒の濁りや色をみて楽しむ利きちょこに注目しました。多くの外国人は大吟醸と書かれていても分からないし、利きちょこも持っていません。そこで伝統的な蛇の目文様を酒質に合わせて展開し、瓶の奥に藍色と白のコントラストでデザインしました。そうする事で利きちょこがなくても楽しめますし、視覚的にも味がイメージできます。また、視覚障害の方向けに服の色や模様を凹凸のあるタグで分かるようなデザインもしました。装飾的であって機能的なデザインから、コンテンツの魅力や自分のアイデンティティーを視覚的に感じてもらえたらな、と思っています。」

 

—これからもデザインしていく際にこだわっていきたいものは?

「目に見えるものと見えないものをいかに視覚的に伝えるかは永遠のテーマですね。今の時代、パソコンで何でも出来ます。でも、インターネット上ではぺたっとした情報で機械的で冷たく、リアルに感じる事が出来ないと思います。一方で、印刷物になるとざらざらしていたりつるつるしていたり、ここにあるものでしか通じ得ない伝達があると思っています。包装紙などは持って帰って家で使う時間までかもしれないけれど、私は三次元としての魅力を区別化して、こだわっていきたいです。毎日デザインの事を考えて、良いデザインに触れて目を鍛える。毎日手を動かして、手を鍛える。そういう風に努力しているからいざっていう時にプロとして良いモノが出せるものなのかな。これからも考え続けているからこそ表現できるデザインを大事にしていきたいです。」

 


 

執筆:赤城命帥(アート・コミュニケータ「とびラー」)

藝大生インタビュー|日本画 4年生・岩谷晃太「絵を壊して描く、日本画技法の面白さ」

2015.12.19

今回、インタビューに応じてくださったのは、日本画専攻四年の岩谷晃太さんです。絵画棟四階のアトリエの一角で、毎日だいたい朝9時から夜8時まで制作をしているとのことです。

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—作品について教えてください。
タイトルは、候補として“夜想”を考えています。近頃は夜の絵ばかり描いていて、この作品も夜景なんですけど、しらみかけているような朝方の雰囲気です。オリーブの樹が真ん中にあって、その周りに広がるように夜のイメージがあります。オリーブの樹は木場公園にあるのを見て題材にしました。帰化植物として生えていて、外国から来た種類なのに日本の風土に溶け込んで風景の一部になっているのが、きれいだなと思ったんです。オリーブの葉は白みがかっているので、夜の風景によく合うと思っています。

 

—今はどのような作業をしているところですか。
ちょうど制作の転換期といえる時期で、樹の部分にマスキング(絵の具がつかないようにテープやビニールなどで覆っておくこと)をして、絵の具を重ねながら背景の色を決めているところです。今の時点で七層の絵の具が重なっています。ベースには赤い絵の具を使っていて、その上に何層もの絵の具を重ねてから、今度はそれにヤスリをかけます。日本画は絵の具が乾くと固くなってヤスリをかけられるようになるんです。こうすることで、下の絵の具の色が出てきます。この、表面を削って下地の色を出していくというのが油絵と大きく違う日本画の特性なんです。
この作品では、特に背景の部分の色合いにこだわっています。樹とか、夜といったモチーフというよりは、学部でやってきた日本画の技法がいかに活かせる作品になるかを大事にしています。

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—描くにあたって工夫していることは何ですか。
他の人とはちょっと変わったことをやろうと思っています。目標としては、パッと見たときにどのように描かれたのか分からないような画を目指しているんです。
樹の部分に施したマスキングはその一つで、まだあまりやっている人のいない手法を使っています。住宅用のマスカー(壁を塗ったりする際にペンキがつかないように覆うための、テープのついたビニール)やプラモデル用のマスキング液を買ってきて試しています。マスキングをしていない部分はヤスリをかける技法を用いて荒い表現に、マスキングした部分はエッジのきいたシャープな表現になるので、面白くなるんですよ。

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また、ヤスリをかける際にも工夫をしていて、普通のヤスリの他にもサンダー(電動のやすり機)やルーター(電動のドリル)を使ったりしています。こういったことは授業で習うわけではないのですが、他の人の画を見たり、実験繰り返すことで取り入れていっています。
日本画ではいろいろとルールが決まっています。卒業制作ではサイズも指定されているし、使用する画材も決まっています。ルールが決まっている中でやるのは好きです。ルールがあるからボクシングがケンカにならないように、ルールがあることで画が日本画になる、というのがちょうどいい束縛のように感じています。それでも、日本画の中でもまだとられていない手法はたくさんあるので、ルールの中で新しく試していきたいと思っています。

 

—藝大の日本画科に入ろうと思ったきっかけを教えてください。
うちは両親ともに画家なんです。初めは自分も画家になろうとは思っていなかったのですが、高校生の時、進路を決めるにあたって、中途半端な気持ちで進学してそのまま就職して、という人生が嫌で、なにか極められるような進学がしたいと思ったんです。その時に、家から通える藝大はちょうど良かったんですよ。日本画にしたのは、両親が油絵を描いているので反抗の気持ちです(笑)そうでなくても、雰囲気の良さや、卒展での作品をみて、日本画科に行きたいと強く思いました。

 

—藝大に入ってからをふりかえって、自分にどんな変化があったと思いますか。
3年の時に、肝が据わったと思います。
最初の年は、絵の具を重ねてヤスリがけすることが怖かったんです。描いたものを壊してしまう技法に抵抗があって。その技法を使うことで色が自分の思っている以上によくなったり、逆にならなかったり、そういう冒険ができるようになったんですよね。以前は作品が単純になりがちで描いていて面白くなかったのですが、怖さが抜けてからは壊すことの大事さと面白さに気付けました。やってみないとどうなるかわからない、賭けみたいなものなんです。それにはまってしまって、もうやめられないですね。
技法の面白さに気付いてから、将来に対しての不安を感じていたのがなくなりました。進路について悩んでいたのですが、やっぱり何よりも一番面白いのは画を描くことだから、そうやって生きていこうと居直りました。むしろ、そうやって悩んでいるだけ無駄に感じて、進学することを決意しました。
画を壊して描くことも賭けですが、自分の人生まるごと賭けのように思っています。それが面白く感じられるようになったのが、自分の中の変化ですね。何が出るか分からないから、楽しいんですよ。

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藝大に入って、描くことに関しても人生に関しても肝が据わったという岩谷さん。“賭け”だというその作品が、どのように完成するのか、2016年1月末に開催される卒業・修了作品展が楽しみです。

(2015.11.17)


image執筆:プジョー恵美里(アート・コミュニケータ「とびラー」)

看護学生として、アートとコミュニケーションについて考えています。

藝大生インタビュー|日本画 4年生・竹内ひかり「水とひかりと生と死と」

2015.12.19

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卒展に向けて制作しているこの絵は、多摩川の下流の方を描いています。羽田に近い方で、川崎方面が見えている場所です。
実際に風景を見たのは夕方くらいです。風景の映り込みがすごく綺麗で、面白いなと見ていました。水に映り込んでいる所を描きたかったのです。夕方になるとライトが点くので、それについては、これから取材をしてみたいです。あかりが水に反射して、どこだか分からないようにもなります。タイトルは「境界」しました。

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橋が境界で、水を描いた下側が死後の世界で、上側が現実。橋があるのも、三途の川ではないですが、そんなイメージをつけました。色はもう少し考えると思います。水の中には魚を描いています。

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描くのは全て骨だけ。画面下側の水の部分は現実味の無い世界という設定なので、魚だけにするか、ほかの生き物の骨もあるのかな、とも思いますが。今後博物館に取材に行くつもりです。

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これが自作の魚の標本です。透明骨格標本といいます。飼っていた魚や、釣った魚の標本もつくりました。魚の透明標本は液体の中で生き生きと動いているので、幽霊的な感じも出ると思っています。普通の骨格標本は固いままじゃないですか。制作中の魚の標本が、まだ家に一杯あって、それも完成したら、持ってきて描き足してみようと思っています。

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自分の考えなのですが、天国というのは皆、空の上にあるというイメージを持ちますよね。でも生き物の進化の過程では皆、水から出てきたものだし、生まれてくる時も羊水の中にいたりしますし、水の方が天国に近いのかなと。もしかしたら死の世界も含んでいるのかもしれないと思ったり。このあたりをどう見せるかは、模索しながら描いていくつもりです。

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画面の真ん中に立っている人物は兄です。どこに立っているのか、分かりにくいとも言われたのですが、あまり絵の中で説明をし過ぎないようにして、どちらの世界にいるのか分からないようにしておきたいのです。風景の水への映り込みから、「ああ水なんだ」とようやく分かるくらいにしたいです。
空の表情は、スケッチしながらまだ形を考えているところなのですが、空は水に映るようにして、より分からなようにしたいです。あまり説明しすぎると、面白くない気がしています。

 

―あまり下絵を描く方では無いのですか?
そんなことはありません。私は薄塗りをして、骨描きをして、その上からしっかりと描いて、更にそれを隠すというやり方をします。兄を描く時にも、まず兄をしっかり描いて、その上でシルエットにします。

 

―日本画に進もうとしたきっかけは何ですか?
小さい時から犬猫と育ったみたいで、よく動物を描いていました。生き物が好きだったこと、魚も好きで水族館にもよく行っていました。実家が山梨なのですが、近所にあった川にも行きました。生き物の絵を描きたかったんです。動物のモチーフのアクセサリーも大好きです。

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―岩絵の具を知ったきっかけは?
高校の時、上野まで来て藝大の卒展などを見ました。岩絵の具が自然の絵の具と言うことで、すごく綺麗だなと思ったことです。日本画がかっこいいなと思いました。私の色へのこだわりは、くすんだ自然の色味です。自分にも取り込んでいて、髪の毛もこんなになっています。(笑)
仕事をしている兄は、多摩川の近くに住んでいます。兄とは1つ違いなので、小さい時から双子のように育っていまして、今でもそういう感じです。スナフキンみたいで、一人で釣りに行ったり、ギターを弾いたりしています。「天気が良いから釣りにいかない」とかいって連絡が来て、私が「行く」と答えたりしています。自分の持っていない新しい魚が釣れたら、兄に「この魚は標本にするから食べたら駄目」と言います。私はというと、ともかく新しいモチーフを増やしたいわけです。
絵は描きながら、どんどん変わります。下絵・下図では一応決めるのですが、どうしても、あっ今この色が欲しいと、どんどん違う色になっていきます。下図から大下図になっていくと、また少しイメージが変わって行くこともある。色も決めているけれどアドリブ的な所も多いです。魚の色も、今のままでかどうかは分かりません。かなりの明るい色で描き起こすものもあります。

 

―育った環境や、家族からの影響だと思うところは?
昔から飼っていた動物の絵をよく描いていました。これが絵を描く一番のきっかけだったかもしれません。直接触って想像で骨格を描いたこともありました。
幼い頃海外にいたのですが、当時父が医学研究者をやっておりまして、何度か研究室をみせてもらったことがありました。おそらくそこからの影響で解剖学等に興味がわいたのだとおもいます。父が私の質問や疑問になんでも本気で返してくれるので、それがすごく面白くて。小さい子が訊ねる様な質問に対しても、「これはチンダル現象といってね…」と原理まで説明してくれました。
父が何でも答えてくれるので、大人ってみんなそういうものだと思ってました。そしたら、母はそんなことなくて(笑)
私は5人兄弟なのですが、現在実家には6匹の犬猫もいて、難しい知識だけでは到底クリアできないようなことを母はやってのけます。本当肝っ玉です。きっとそれがいいバランスなんでしょうね(笑)

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(2015.10.20)


執筆:尾崎光一(アート・コミュニケータ「とびラー」)

 

戦争画STUDIESズームイン

2015.12.13

「戦争画」をご存じですか?
「戦争画」とは、戦争を主題とした絵画のことですから、ドラクロワの『民衆を導く自由の女神』も、ピカソの『ゲルニカ』も、丸木夫妻の『原爆の図』もみな戦争画と呼ぶことができます。でも、今回の展覧会「戦争画STUDIES」が主に意識しているのは、日本において、日中戦争から太平洋戦争にかけての時期に、軍の要請によって描かれた「作戦記録画」と呼ばれるものです。
70年前、これらの絵画は占領軍の指示によって一時東京都美術館(旧館)に集められ、やがて「戦利品」としてアメリカに運び去られました。これらの戦争画が、「返還」ではなく「無期限貸与」という形で日本に戻ってきたのは1970年のことで、現在は153点が東京国立近代美術館に収蔵されています(所蔵作品展で数点ずつ順次公開)。
今回の「戦争画STUDIES」展は、作家たちがこれらの戦争画についてさまざまなリサーチを重ね、その成果をコンテンポラリーアート作品として展示したものです。そして、なにかしらタブー感の漂う「戦争画」をテーマに据えて、東京都美術館という場であらためて問いかける作家たちのまなざしに、われわれとびラーが何らかの形で関わることができないかと考えたのが、この「ズームイン」企画です。

 

「作品との対話」と「作家との対話」を
今回の企画では、作品を前に参加者のみなさんと対話するプログラムと、直接作家から作品についての話をうかがうプログラムをミックスして、参加者と作家や作品との距離を縮めること(ズームイン)をめざしました。「見る・聞く・話す」を織り込んだ45分ほどのプログラムを二回実施し、それぞれ3~4名の作家の作品を、集まった参加者のみなさんと一緒に見て歩きました。以下では、写真を交えてその様子をご紹介します。

 

一回目(12月13日13時半より)
IMG_2205まず、153点の『プチ戦争画』(村田真さん)の前で参加者のみなさんとご挨拶して、プログラムの概要を説明しました。続いて、豊嶋康子さんの『前例』の前に移動し、作品を見て感じたことをみなさんとお話します。この作品では、地図上に、その土地を訪れた美術家の名前が、和紙に筆書きされて貼付されています。
地図の上部が手前にせり出して傾いていることで、吊り下がった各地の短冊の量感や密度差が視覚的にわかるようになっている、とくに満州のあたりが密集している。そんなことが、みなさんの話の中から浮かび上がってきました。垂れ下がった短冊がこぼれ落ちる涙に見える、という感想もありました。いったい何の『前例』なのかと考えたとき、作品のもつ同時代性を感じるのではないでしょうか。IMG_2227
次は笹川治子さんのコーナーです。藤田嗣治の戦争画で広く知られるアッツ島を扱ったものを中心に、五点の出展作品のそれぞれについて、その意図するところを話してもらいました。アートやメディアにまつわる虚実を取り上げた作品群ですが、表面的に見ただけではなかなか思い至らない作家の制作意図を聴くことができたばかりでなく、直接ご本人に質問して、作品を制作したことで得た実感をうかがう機会にもなりました。
最後に向かったのは、辻耕さんによる『絵画考-1945年の清水登之から』というコーナーです。従軍画家としても知られた清水登之(1887-1945)は、1945年6月に息子・育夫の戦死の報を受けます。画家はそれ以降12月に亡くなるまで、ひたすら息子の肖像画を描き続けました。今回は、登之の絶筆ともいえる『育夫像』が四点展示されているのですが(内三点は初公開)、その作品を辻さんは毎日会場で模写しています。IMG_2243ここでもまずは会場に並ぶ『育夫像』を見ていきます。海軍の階級章の違い(戦死による昇進)に気づかれた方や、四枚の絵の表情の違いを言葉にしてくださった方がいました。そして辻さんご本人より、育夫像との出会いから、この模写という行為に込められた想いまでをうかがい、プログラムを締めくくりました。

 

二回目(12月13日16時半より)
入口正面にある、『アッツ島玉砕』(藤田嗣治)と同寸に投影された光(笹川さんの作品)の前で参加者のみなさんと挨拶をしたあと、壁にずらりと並んだ『プチ戦争画』を見て、作家の村田さんにお話をうかがいました。IMG_2257153点のうち数点ずつしか展示されていない現状を、ほとんどの絵が裏返された姿によって表現しているそうです。参加者からは、裏側に絵が描かれているとは思わなかったという感想や、絵を並べた順序、従軍画家への関心などが話に出ていました(ちなみに順序はランダムだそうです)。
隣のバーバラさんのコーナーには二つの作品があります。ここでも作品を囲んで話したあとで、作家本人に話をうかがいました。まずは一見作品に見えないような作品『当事者について 03』のタネあかしをしてもらいました。「思い込みは見る人の側にある」と感じる作品でした。また、上半身裸の男性モデルによるボディペインティング『たてるぞう』は、太平洋戦争当時と東日本大震災後に、「絵画(アート)になにが出来るのか」という同じ言葉が流布したことをモチーフにした作品とのことでした(松本竣介の『立てる像』を踏まえています)。参加してくれた小学生のお嬢さんは、会場でじっと立ち続けているモデルさんが風邪を引かないか心配だったようです。IMG_2280
続いて、一回目にお話を伺った笹川さんの作品を一点見たあと、今回も最後は辻さんのコーナーです。それぞれが作品を見たうえで感想を共有し、さらに辻さんご自身からお話をうかがいました。なかでも、育夫の写真を元に肖像画を描くことが、登之の心を落ち着かせ、救いになっていたのではないかと考えて、「絵や表現が人の救いになることがある」とおっしゃった辻さんの言葉が印象的でした。

 

プログラムを終えて

IMG_2287二回とも、最初からの参加者だけでなく、その都度会場で自由に加わっていただいたみなさんも一緒にプログラムを進めることができました。今回はあわせて四名の作家にお話をうかがいましたが、作家ひとりひとり戦争画へのアプローチの仕方はまったく異なり、それぞれのまなざしの独自性と多様性についても、実感してもらえたのではないかと思います。はたして参加していただいたみなさんには、少しでも作品や作家に接近できたと感じてもらえたでしょうか。

 

そしてふりかえると…
2012年、東京都美術館がリニューアルオープンした年の夏に、「東京都美術館ものがたり」という展覧会が開かれました。このときに藤田嗣治の『十二月八日の真珠湾』が展示されています。この作戦記録画は、1942年に東京府美術館で開催された「第1回大東亜戦争美術展覧会」の出品作ですから、いわば70年ぶりの里帰りでした。『東京都美術館ものがたり』という本を開くと、戦時中この美術館はさまざまな戦争絵画展の舞台であったことがわかります。藤田の『アッツ島玉砕』も、1943年の「国民総力決戦美術展」を皮切りに各地を巡回した作品でした。かなりの数の戦争画がこの美術館に足跡を残し、ここで多くの人の目に触れているのです。そう考えると、この展覧会が東京都美術館の歴史と深いところでつながりを持っていることが感じられはしないでしょうか。

 


P1070325文:羽片俊夫(アートコミュニケータ)
この展覧会で一番気になった言葉は「前例」でした。松本竣介に興味を覚え『みづゑ』のバックナンバーを探してみたり、近代デジタルライブラリーで東京都美術館を会場とした戦争絵画展の目録を調べてみたり、戦争画につながりのある展覧会を訪ねてみたりと、少し視野が広がりました。

ヨリミチビジュツカン 「マルモッタン・モネ美術館所蔵 モネ展」編

2015.11.27

上野公園の大銀杏が、美術館へ向かう道を黄色く染めています。
街路樹の葉は赤く色づき、夕暮れの空に半円の月が顔を出している。
街の色が鮮やかな晩秋の金曜日、今日は、ビジュツカンへヨリミチする日です。

会社や学校、おでかけ帰りの金曜日の夜。
普段の生活圏から離れ、ふらっと美術館に寄り道して、作品を見た印象や感想を、みんなで共有する。
「ヨリミチビジュツカン」は、作品を通して人と出会い、人を通して作品と出会うことを大切にしています。
2年半ほど前からはじまったこのプログラム。今回は、「モネ展」が舞台です。
じっくり、ゆったりとアートに触れて、人とも出会っていただきたいので、プログラムは全体で2時間ほどかかります。長時間となるため、事前申し込み制です。

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とびらプロジェクトのホームページから申し込んでいただいた参加者の皆さんは、受付場所に集合して、とびラーやほかの参加者の皆さんとアイスブレイク。
お互いの緊張を解し、作品を見るテンションを作っていきます。

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手に持っているカードは、「シャベリカ」。トークテーマが書かれていて、簡単な自己紹介と共に、それについて少しお話します。「運転してみたい乗り物」や「理想の朝ごはん」などがテーマです。
アイスブレイクが終わったら、とびラー1名、参加者2名のグループを作ります。じゃんけん、グーパーで決めていきます。

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準備が整ったら、いよいよ会場へ出発!  いってらっしゃーい。

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会場内では、3人グループで作品を鑑賞しながら、気づいたことなどをお話していきます。
作品から受ける印象は、人それぞれ。とびラーは、参加者の方がおっしゃった印象や感想をすくい、深堀して広げていきます。

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モネの学生時代から晩年まで、幅広く作品が展示されている中で、「晩年に向けて作風や題材に変化がある」という声や、「睡蓮」に描かれている水の透明感に注目する方も。

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「多数の人と見ると、自分では気づかない発見がある」、「話しながら見ると、自分にはない表現を聞けてより深く見ることができる」と参加者の皆さんがおっしゃる通り、一人で鑑賞するときとは違い、複数の視点が交わることによって、新たな発見があるのも面白いところです。

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とびラーは学芸員ではないので、美術の専門的知識はありませんが、人の声に耳を傾けて、寄り添うことにかけては抜群! アート・コミュニケータの本領を発揮して、皆さんの声をひろっていきます。

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はじめは少し緊張していた皆さんも、お話していくうちにリラックスして笑顔が増えていきます。

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プログラム後半は、館内のアート・スタディルームに移動してカフェタイムです。
展示室内での鑑賞を、他のグループも混ざって振り返ります。

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「対話をすることで、記憶に残るからいいですね」、「いろんな年代の方とお話できて楽しかった」、という感想や、モネの人物像に関するお話など、お茶とお菓子を食べながら和やかに。
お友達と一緒に見た映画の後のカフェブレイク、のような感じで、感想の共有をします。

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まだまだ話足りない名残惜しさも残しつつ、ヨリミチビジュツカンは閉館時間となりました。
とびラーが門までお見送り。ライトアップされた美術館がロマンチックです。

今回も、様々な作品と人に出会うことができました。作品や人を通して出会う不思議なご縁。
一人では素通りしてしまう作品でも、他の人がいると、それまで気づかなかった魅力に出会えます。
「一期一絵」を大切にしながら、これからも素敵なヨリミチを作っていきたいです。

 

ご参加いただいた皆様、ありがとうございました!
次回は2016年、ボッティチェリ展でヨリミチします。 是非、美術館に寄り道しに来てくださいね。

 


執筆:アート・コミュニケータ(とびラー) 太田 代輔
アートを介したコミュニケーションに惹かれ、実践の場を求めてとびラーになる。
多彩な人々やアートとの出会いが楽しい3年目。まだまだアート・コミュニケーションします!

【あいうえの連携】あいうえの冒険隊[3回連続プログラム]

2015.10.11

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プログラムの様子はこちら→
(「Museum Start あいうえの」ブログに移動します。)

「キュッパのびじゅつかん」展 ベビーカーツアー 

2015.09.26

「キュッパのびじゅつかん」展 ベビーカーツアー 2015年9月29日

気持ちの良い秋晴れの日に、都美術館で初めてのベビーカーツアーが「キュッパのびじゅつかん」展で開催されました。
参加者は幼児のお子さんと保護者の方5組。1組に1人とびらーが伴走し保護者の方がゆっくり展示を鑑賞するお手伝いをします。

ツアー当日の朝、開催に向けて綿密な打ち合わせを行うアートコミュニケーター(とびラー)たち。タイムスケジュールや注意事項等を確認します。
このプログラムを担当するとびラー達の中には赤ちゃんと一緒に来館者をお迎えするメンバーもいます。

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ベビーカーで来館する参加者の方々が迷わずに集合場所にたどりつけるよう、門の前でとびらーが館内案内をします。
続々と参加者のみなさんが到着します。小さいお子さんと一緒の外出は目的地に到着するだけでも大変な中、みなさん無事到着して一安心です。
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集合場所からキュッパのびじゅつかん展へ。移動しながら館内の授乳室、おむつ替えのできるトイレの場所をお伝えします。
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展示室前で保護者の方への今日の活動案内とリーフレットの配布、その間に、お子さんたちに声をかけながら展示室へ向かいます。

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1組にとびらーが1名伴走して、ゆっくり鑑賞できるよう、混雑を避けた動線を案内したり、ベビーカーを預かる等のサポートを行いつつ、保護者の方とは作品を見て思ったこと、感じたことを対話しながら鑑賞します。導入の映像コーナーでは、少しぐずったお子さんをとびラーがあやし、保護者の方には最後までゆっくり映像を鑑賞して頂きました。

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bigdatanaを見てみなさん「わーすごい!」「楽しそう!」とテンションアップ。大人の気持ちが伝わったようで、お子さんもご機嫌な様子です。
標本箱を作るコーナーでも、保護者の方がじっくりワークショップに参加できるよう、とびラーがサポートします。

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なかには、ひとりで標本箱作りを始めるお子さんも。その間保護者の方もじっくりワークショップに参加できるよう、とびラーが見守ります。

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お子さんができあがった作品を見せてくれました!
保護者の方もお子さんの集めたものを見て「意外なものを集めていて新鮮!こどもの新たな一面を見ることができました」との感想を伝えてくださいました。

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標本箱に名札を書いて、標本箱のテーマについてとびラーと対話し思いを深めます。みなさんそれぞれ素敵な標本箱が出来上がりました。

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標本箱を棚に展示し、最後にベビーカーツアーのアンケートにご記入いただいてツアー終了です。
参加者のみなさまはこのツアーを楽しんで頂き、又お子さんたちもご機嫌斜めになったと思ったらちょっとしたきっかけですぐに笑顔に戻ったり、とかわいらしい姿で過ごしていた様子でした。お子さんと一緒の外出先にこのツアーを選んでくださった参加者のみなさまに心よりお礼申し上げます。

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ベビーカーツアーは赤ちゃんと一緒の暮らしの中で敬遠されがちな「美術館に訪れゆっくり美術鑑賞を楽しむこと」をアートコミュニケーターの活動を通じてもっと参加しやすいものにしたいというとびラー達の思いが形になったプログラムです。赤ちゃんと一緒に美術鑑賞を通じて気持ちのリフレッシュをしたいとき、育児に少々疲れを感じた時などに、何のためらいもなく美術館に安心して訪れることができるよう、ベビーカーツアーが親子のファーストミュージアムデビューのきっかけになることを願っています。

レポート・亀山麻里(とびラー)

【あいうえの連携】キュッパ部:カ・国立科学博物館編

2015.09.05

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プログラムの様子はこちら→
(「Museum Start あいうえの」ブログに移動します。)

「藝祭さんぽ2015」開催しました!

2015.09.05

東京藝術大学の学園祭「藝祭2015」が9月4日から3日間、
上野キャンパスにて行われました。
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皆様は芸術系大学の学園祭に訪れたことがありますでしょうか?
学園祭といえば、学生たちが模擬店を出したり、バンドのライブを行ったり、
パレードやミスコンなどにぎやかな企画が目白押し。
藝祭も例に漏れず、このようなイベントももちろん行われますが、それに加えて
美術学部の学生たちの作品展示や音楽学部の学生たちのコンサートも行われています。
藝大生たちの作品・演奏を間近で体験できる機会となっているのです。

この藝祭で、とびらプロジェクトとして始めてのイベント
「藝祭さんぽ」を9月5日に開催しました。
我々アート・コミュニケータ「とびラー」が来場者の方々と一緒に
キャンパスを歩いて美術学部の学生たちの作品を見て周り、
参加者同士で感想を共有したり、作者とお話をして色々聞いてみたり。
藝祭さんぽは、参加者と作品・作者をつなげたいというとびラーの気持ちから生まれた企画です。

2015年9月5日。藝祭さんぽ当日。
大賑わいの藝祭の中、12名の方にご参加いただきました。
参加者とナビゲーターとなるとびラーが3つのグループに分かれて
それぞれ別の学生たちの作品をめぐりました。

今回は初めてナビゲーターを行ったとびラー川口さんのグループをメインにご紹介しましょう。
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にぎやかな模擬店を横目に、まずは日本画の展示スペースへ。

たくさんの作品が並ぶ中、ある一つの作品の前に立ち、
その印象について参加者の方へ一人ひとり伺います。
同じ作品であっても、見ている人やその時の心情によってその印象が変わるものです。
その時感じた思いをグループ鑑賞という形でみんなで共有します。

そんな参加者の会話を後ろでこっそり聞いている学生がいます。
作者である日本画科修士1年生の渡邉ゆうさんです。参加者の生の感想をひそかに聞いてもらっていました。

ここからは作者本人から作品のコンセプトを説明してもらったり、こちらから質問を投げかけたりと
直接作者とお話できる時間となります。
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参加者は自分たちが感じた作品の印象と、実際に作者が話す作品の内容とを比べながら
作品に対する思いを聞いています。また、様々な質問を投げかけます。
作者本人と語れる機会なので質問は途切れません。
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ここで渡邉さんからサプライズ。
作品のテクスチャを味わって欲しいと、なんと素手で作品を触らしていただきました。
「お手を触れないでください」が当然のアートの世界。
本当に触って大丈夫なの?と、後ろから見ていた自分もドキドキでした。
参加者の方には貴重な体験になったと思います。

続いて工芸科の展示スペースへ。

次の作品は今にも動き出しそうなカメレオンの彫刻。リアリティにあふれています。
こちらの作品についても参加者とグループで鑑賞を行います。
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こちらのカメレオンは工芸科3年生の橋本未帆さんの作品です。
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橋本さんからは、彫刻の技法について詳しくお話をうかがうことが出来ました。
普段美術館や街中でよく目にする彫刻ですが、
なかなか詳細な作成手順はあまりわからないところ。。
作品が出来上がるまでの過程をわかりやすく説明いただきました。
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こちらの作品も橋本さんのもの。この写真だと少しわかりづらいですが、
虫食いの葉っぱをかたどったオブジェです。
色違いの葉っぱたちが並び、これだけでもおしゃれな雰囲気ですが、実はこの作品はペン立てなのです。
実際に橋本さんが虫食い穴にペンを差し込み実践してくれました。
実は機能的なものだったとは、お話を伺うまでわかりませんでした。

まだまださんぽは続きます。
この時点ではどの科の展示スペースをめぐるか決まっていません。
さんぽはその時の気分次第、さてどこに行きましょう。

そこで注目したのは参加者の中のお一人。
川口グループには美大志望の高校生の方がいらっしゃいました。
せっかくなので希望する学科の学生とお話してもらいたい。
志望学科はデザイン科とのことだったので
それならばと、デザイン科の展示エリアへ向かうことに。

その場で行き先が決まるのも「さんぽ」ならではのゆるさ。

デザインの展示エリアへ入り作品を見回っていると、そこに一人の学生の方がいらっしゃいました。
作品の話をしてくれませんか、と企画の趣旨を説明すると快く引き受けてくださいました。

デザイン科3年生の矢崎花さんです。
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「和ろうそくの炎」というテーマの作品、ウェットな奥深い作品のイメージを丁寧に整理して伝えてくださいました。
美しい気づきについて説明をしていくうちに、参加者の関心がどんどん深まっていったように感じます。
特に高校生の方は志望する学科の先輩の話を聞ける機会だったようで、とても熱心に聴いていました。
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いきなりのお願いで若干ドキドキだったと思いますが、矢崎さんも参加者の方との対話を楽しんでいらっしゃいました。

楽しい時間はあっという間。
3名の作者とその作品に触れ、さんぽの時間も終わりとなります。

参加者の皆さんは、作者と直接お話できてよかった、学生の一生懸命な姿と向き合えた、と満足げでした。
途中少し迷子になるなどハプニングもありましたが楽しんでいただけたようです。

また、作者の皆さんも一般の方と近い距離感で自分の作品についてお話できる機会は新鮮であり、
なかなか出来ない貴重な体験が出来たという感想を頂きました。

初ナビゲーターを勤めた川口さんは
「お客さんのノリがよくて楽しかった。
ひとつの質問にみなさんいろいろな思いを言葉にしてくださいました。
今回のように作家も巻き込んでの鑑賞会は、
作家も鑑賞者も作品と記憶を深く結びつけていただけたのではないかと思います。
人はいろいろなことを考えながらアート鑑賞をしているのだということを知り
<対話を通して鑑賞する><他者の声に耳を傾ける時間>を
アートの愉しみかたの一つとして広まっていくことができたらいいなと思います。」
と充実した時間を作者・参加者の皆さんと過ごせたようです。

ここで他のグループが訪れた学生さんたちも簡単にですがご紹介しましょう。
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デザイン科修士1年生の仁藤 潤さん。
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油絵科2年生の副島 しのぶさん。
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工芸科3年生の村崎 謙介さん。
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日本画科4年生の磯崎 菜那さん。

ご協力いただいた学生の皆さん、本当にありがとうございました。

それぞれのグループで、それぞれのさんぽがありました。
作者と作品とふれあい、参加者同士で思いを共有し、とびラーたちとも語らう。
同じ企画でも参加したグループ・その時の参加者によってまったく違う形のコミュニケーションの場が生まれます。

人と作品、参加者と作者をつなげる、とびラーのさんぽ企画。
実際に作者とお話をしてみると作品の思いを直接受け取ることが出来ます。
また、作品に対する一生懸命な姿勢をみているとこれからの活動を応援したくなりますよ。

次回のさんぽは藝大の卒展での実施を予定しております。
今度は皆さんもとびラーと一緒にさんぽをしてみませんか?


プロフ執筆:小田澤直人(アート・コミュニケータ「とびラー」)

とびラー3期生、アート・コミュニケータ活動2年目。
会社に勤めているだけでは知り合えない様々な分野の人々と美術館で活動できて刺激的な日々です。
世の中にもっとアートと出会える場所が増えていくにはどうすればいいか活動を通じて模索中。

藝祭神輿レポート2015

2015.09.04

東京藝術大学の学園祭「藝祭」の初日に行われる「神輿パレード」。この神輿の制作過程を私達とびラーが約1ヶ月に渡って取材してきました。(取材レポートはコチラからご覧いただけます)

9月4日(金)午前10時。藝祭は神輿パレードで始まります。サンバのリズムに合わせて東京藝術大学音楽学部の正門を次々と出発する神輿。
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その迫力に集まった人達の間からは大きなどよめきが起きます。そして皆その素晴らしさを写真に収めようとカメラや携帯を構えますが、その大きさはカメラのファインダーにはなかなか収まりきれません。パレードの神輿は全部で8つ。毎年、美術学部と音楽学部の1年生がチームを組み協力して制作に取り組みます。私達はこの「渾身の力作」が生まれる過程を「蔵出し」と呼ばれる制作の初日からパレード当日まで取材しました。

■7月29日「蔵出し」
毎年恒例の神輿制作ですが、昨年のもので残っているのは「担ぎ棒」とチームによっては「纏(まとい)」と呼ばれる学科名が記された旗印のみ。まさに毎年ゼロからのスタートです。この蔵出しが本格的な制作の初日になりますが、各チームはこの日までに「今年のテーマ」と「マケット」と呼ばれる模型(車のクレイモデルの様なもの)を用意しています。そのテーマに合わせて各チームこれから制作を進めていきます。
この日から学生達の暑い夏が本格的に始まります!
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■8月上旬
各チームは神輿制作の統括責任者「神輿隊長」の指揮の下、構内に設置したテントで作業を進めていきます。どのチームでも隊長の役割は大きく、精神的にも体力的にも大変なポジションです。「お祭りやイベントが好きだから!」、「家が(学校に)近かったから。」と、隊長になった理由は様々ですが、どの隊長も笑顔が素敵な点は共通していました。数日前には四角い発砲スチロールの塊が積み上げられていた制作現場も、徐々にチームのテーマに沿った神輿の形が現れつつありました。

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■8月中旬
約1週間の夏期休業(学生登校禁止期間)のインターバルを経て神輿の制作にもエンジンがかかります。
「デザイン×作曲」チームは、猪の上に神輿が乗っているデザイン。タイトルは「猪突猛進」。ノリの良い曲をBGMにテンポ良く作業を進めていました。
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「工芸×楽理」チームのテーマは「日本」。ここからイメージを膨らませ、「神輿とオオサンショウウオ」がモチーフです。オオサンショウウオの質感と神輿の質感の対比にまでこだわった、細かい作業が続きます。

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「芸術学×弦楽器」チームは、「地獄」をテーマに狸が閻魔に化けるというストーリーに基づき、大きな狸を制作中。狸の毛並みを表現するために発砲スチロールをナイフで削っていく「彫り込み」という作業を根気よく続けていました。
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「彫刻×管楽器×ピアノ」チームの神輿は巨大な熊に跨がるこれまた巨大な金太郎です。さすが彫刻科、と思わせる巧みな削りの技術で躍動感あふれる神輿を目指します。既におおよその形は整っていましたが、大学の正門を通れる大きさまでこれから削りこ込んでいきます。
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■8月下旬
「油画×指揮×打楽器×オルガン×チェンバロ」チームは、総勢80人の大所帯。今年は「笑い」をテーマに掲げ作る神輿は「9つの笑顔の集合体」。果たしてどんな「笑顔」に会えるのか!
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「日本画×邦楽」チームの神輿は、勇ましい「闘牛」のイメージで。立体物を扱う機会がほとんどない事から立体の制作はやや苦手との事でしたが、なんのなんの。様々な角度からの設計図を何枚も用意して、仕上がりのイメージをしっかり掴んでから作業に入りました。
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「建築×声楽」チームの神輿は、神殿に大ダコが巻き付いているもの。この大ダコには(なんと!)300個の吸盤を取り付ける予定。吸盤ひとつひとつにやすりをかけ、本体に取り付ける。こんな所にも学生達のこだわりが感じられました。
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「先端芸術表現×音楽環境創造」チームの神輿は、「先端と音環の共同研究室で孵化しようとしている、ある”卵”」。果たしてどんな卵が生まれてくるのか。。。
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■8月30日
連日の雨と季節外れの寒さが制作の現場にも大きく影響を与えていました。制作場所のテントを大きく前に張り出して雨をよけながらの作業です。この日、多くのチームが下地塗り、または色塗りの段階に入っていましたが、中には下地を塗ってもなかなか乾かない為に色塗りに進めないチームも。制作メンバーの中には疲労と寒さで体調を崩す人も出ており、本番が迫る中、学生達の緊張と焦りがこちらにも伝わってきたこの日の取材でした。
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■9月2日(本番2日前)
この日の取材は日が暮れてからになりました。チームによっては片付けまで終わって学生の姿がない所も。一方、いくつかのチームは最後の作業中。どんなに疲れていても作品にの出来上がりにとことんこだわる学生達の真摯な姿にこちらも心を打たれました。本番まで後わずか!
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■9月4日(神輿パレード当日)
晴れました!どんどん気温が上がって真夏を思わせる暑さです。やっぱり神輿は青空が似合います!

午前10時に出発したパレードは上野周辺を約2時間練り歩き、最後は公園内の噴水前に集合です。
それぞれのチームが最後のアピールを行いました。どのチームの神輿も素晴らしい。2日前には疲労の色が出ていた学生達の顔にも充実感が溢れていました。
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パレードという「晴れの舞台」に立った神輿はどれも迫力に満ちた素晴らしいものでした。それと同時に、今回の取材を通して、制作に携わる学生達の明るく、それでいて真剣なまなざしを近くで見る事が出来た事は、私達のこの夏の素晴らしい思い出となりました。


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執筆:河村由理(アート・コミュニケータ「とびラー」)

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