12月3日のよく晴れた午後、緑あふれる上野キャンパスを訪れた。彫刻棟はとても天井が高い建物で、階段を登っていくと微かに木の香りが漂ってくる。アトリエのある3階へ到着すると、ニット帽にフーディー姿の野川さんが迎えてくれた。
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1.卒業制作のこと
–卒業制作はどんな作品ですか。
卒業制作は、私自身をモデルにした肖像彫刻に祖父の写真をドットに加工して投影し、それを手描きで彫刻に写すことで私の中に祖父の面影が浮かんでくる作品です。
私は、日常生活で感じる何気ない幸せといった等身大で普遍的なものを作品にしたい、という想いがあります。だから、スマートフォンで撮影した何気ない日常の写真をもとに彫刻を作っています。自分の中に家族の面影をみることも、普段の幸せの延長線上にある等身大で普遍的な行為だと思うので、これを卒業制作のテーマに選びました。
祖父は私が2歳頃に亡くなったため、祖父のことはあまり覚えていません。でも私は祖父の血を引いているので、自分の中に祖父の「形」があるはずです。そこで、23歳の自分をかたどった等身像に、23歳の祖父の写真を重ねて、自分の中にある祖父の面影を表現することにしました。
この作品で私が生み出した表現は、「一つの作品の中で、二次元のもの(ドットに加工した写真)と三次元のもの(等身像)が互いに干渉しながら同居している」ことです。立体の中に平面が同時に成立するという普段はあり得ない状態を、この作品では実現しています。
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これが祖父の写真です。昨年、同じ場所で同じポーズで自分の写真を撮って、その写真をもとに私の等身像を作りました。今日とほぼ同じ服装の、日常の自分をかたどった像です。等身像を選んだのは、彫刻としてオーソドックスな形で卒業制作を迎えたかったからです。作品サイズは肖像部分の高さが約167cm、総量55kgで、このサイズの彫刻としては非常に軽いです。
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-素材や技法は。
技法は塑造と呼ばれるもので、素材はジェスモナイト(水性樹脂)です。
最初にエスキース(下絵)を描きます。エスキースはいろんな角度から描く人もいますが、私は正面のエスキースだけ描いて360°の形は粘土をつけて動かしながら考えます。
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これは粘土で縮小模型を作って立体の詳細を検討したものです。作品の構想が固まったら原型となる粘土像を作ります。
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次に、粘土像の上に石膏をかけて固め、内側の粘土をかき出して石膏型を作ります。石膏の型取りでは、切金という薄い真鍮を入れて、石膏型を分割できるようにします。そうすることで、パーツごとに石膏の蓋を開けて中の粘土をかき出す作業ができます。
それから、分割した石膏型の内側にジェスモナイトを刷毛で塗って組み上げます。その際は、離型剤(石膏型を取り除きやすくする液剤)をかけてからジェスモナイトを塗り、ガラスクロス(細いガラス繊維)を貼り付けて全体の強度を高めたり、分割パーツ同士がくっつきやすくします。石膏型を組み上げたら1日ぐらい放置して、ジェスモナイトが固まったところで、石膏型を割って取り除きます。
以上のように、粘土像から石膏型を作ってジェスモナイトを流し込む工程を経て、石膏がジェスモナイトに置き換わった像が出来上がります。最後に、型の接合部分にできる凹凸を削って滑らかにして仕上げます。
型に流し込む素材として、今回はジェスモナイトを使いました。
この後は、ドットに加工した祖父の写真を、プロジェクターで等身像に投影し、像に映ったドットを鉛筆で下描きしたのち、アクリル絵の具で像に手描きしていきます。
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-立体と平面を重ね合わせるアイディアはどこから思いついたのですか。
スマートフォンの写真フォルダを見ていた時に、自分の写真と祖父の写真が連続して切り替わるのを見て、重ねたら面白そうだなと思いつきました。それで、エスキースを描いてみたらかっこよかったので、これでいけるかなと考えました。
-卒業制作はどれくらい時間がかかっているのですか。
3年生の1月から、この形にしようというイメージを持って制作を始めました。
最初は、写真をコピー用紙に印刷して立体に貼り付け、上からロウを塗るアイディアを思いついて、4年生の4月に一つ目を試作しました。しかし、立体に平面を直接貼り付けると平面像が歪んでしまいます。平面像が歪まない方法を試行錯誤する中で、現在のアイディアを思いつきました。ドットは一つ一つが独立しているため平面像が歪みません。そこで6月に二つ目を試作して、これで大丈夫だという手応えを得たので、夏休み明けから最終形の制作を始めました。10月に粘土で原型を作り、11月に型を取って、いま修正しているところです。
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–制作の過程で苦労したところは。
石膏の型取りです。以前、同じくらいの大きさの像を制作中に石膏型を割ってしまい、作品を作れなくなったことがあるので、「絶対に割らないように」と意識して作りました。また、この像は後ろに寄りかかって立つポーズなので、倒れないように台座の大きさを調整したり、像の内側に木材を入れて補強したりしています。
-鑑賞者に伝えたい作品の見どころは。
「一つの作品の中で、二次元のものと三次元のものが互いに干渉しながら同居している」という普段あり得ないことが起こっているのが、この作品の見どころです。
私の希望としては、卒業・修了作品展ではできるだけ広い空間に展示して、鑑賞者には少し離れたところから作品をみてもらいたいです。遠目に見た時に、肖像彫刻の中に別の人物の面影が浮かんでくる面白さに着目してみていただきたいです。
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2.彫刻づくりのこと
―野川さんが考える彫刻の魅力とは。
私が感じている彫刻の面白さは、立体なので、作品と鑑賞者が同じ空間に立ち上がって存在すること、360°色んな角度から表現できることです。
―作品のインスピレーションの源は。
私は、スマートフォンで撮影した写真をもとに、何気ない日常の中にある普遍的なものを切り取って作品を作っています。私にとって等身大で、かつ普遍的であることが大事で、わざとらしいと感じるものは身が入りません。「たまたまいい写真が撮れたからこれを作りたい」と自分が思うものを作ります。
―彫刻は展示環境まで考えて作品を作るのですか。
彫刻は空間の中に存在するものなので、展示環境まで考えて作品を作ります。例えば、街中の彫刻は風景の一部であり、その街に住む人の記憶の中にもあるものですよね。街中に置く彫刻を作るなら、街の中で作品をどんなあり方にするかを考えます。
―彫刻科の学生生活は。
1〜2年目は塑造、石彫、木彫、金属の実技実習を行って彫刻で扱う素材を一通り学びます。2年目になると、インスタレーション、レディメイド、アクション(パフォーマンスアート等)といった作品の表現方法を学びます。例えば、レディメイドはモノの機能を排して純粋にモノを形として扱う表現で、便器をそのまま展示したことで当時話題となったマルセル・デュシャンの《泉》(1917年)が代表例です。
3年目からは自分が興味を持ったものを深く学びます。彫刻科は学部では3つの講座があり、2年生の終わり頃に3年目以降に所属する講座を決めます。3〜4年目は、作品のコンセプト、モチーフ、素材、表現方法などを自由に選んで制作できるので、指導教官にアドバイスをもらいながら自分の作品を作ります。
―作品制作以外の活動は。
私の地元では、鹿児島県高等学校文化連盟が美術系大学を目指す高校生向けに実技講習会をやっていて、夏休みにそこで石膏デッサンや塑像の講師をしています。母校に卒業生として話しに行くこともあります。
―野川さんの1日はどんな感じですか。
大学が開く朝8時半頃にアトリエに来て、大学が閉まる19時まで、一日中アトリエで卒業制作に取り組んでいます。彫刻科は卒業制作の提出締切が迫っているので、いまラストスパートです。息抜きは、コーヒー片手にアトリエで他の人の制作過程を見ておしゃべりすることですね。私のアトリエに行ってみますか?
野川さんのアトリエに移動して、作品づくりの現場を見せてもらう。天窓から陽射しが降り注ぐアトリエは、明るく清々しい空間だ。制作中の作品がいくつか置かれ、作業台には工具や白い石膏のかけらが重なっている。
―天井が高いですね!
大きな作品を作る人もいるので天井が高くなっています。朝はすごく綺麗な自然光が入ってきます。光の当たり方で作品の見え方も変わるので、明るい自然光が入ってくるのは大切です。また、同じアトリエで5人が制作しています。
4.彫刻の道に進んだきっかけ
―どんな子ども時代でしたか。
私は高校卒業まで鹿児島で育ちました。格闘技をやったり、小さい頃から絵を描くことやものを作ることが好きでした。
また、鹿児島は肖像彫刻が本当にたくさんある街で、彫刻が街の風景に溶け込んでいます。そういう環境で育ったので、私にとって彫刻は身近なものでした。
―美術の道に進んだきっかけは。
鹿児島に美術科のある高校があり、受けてみたらと勧められたのがきっかけです。美術の他に考古学が好きだったので、美術科に進めば文化財の修復に携われるのではと考えて高校は美術科に進学しました。
―彫刻を選んだ理由は。
中学3年時に高校見学会に行って彫刻室に入り、ホイストという大きなクレーンがあって粘土が散乱している部屋を見て衝撃を受けたのが、彫刻を選んだきっかけです。彫刻室に入った時に、なぜか自分はここでずっと制作するなという感覚がありました。それから、父が庭師で、庭という空間造形が身近にあったことも、同じく空間造形の要素もある彫刻を選んだ理由です。
もともと私が考古学に惹かれた理由は、昔の人が使っていたものや肖像など当時の生活がそのまま残っていることに時を超えた浪漫を感じたためです。そして、私が今やっている「写真をもとに日常の中にある普遍的なものを切り取って彫刻すること」は、いまの人たちの生活を未来に残していくことであり、考古学とも共通するところがあると思います。
―藝大に進んだ理由は。
母から「やるなら藝大を目指すくらいやりなさい」と言われたのと、通っていた高校が藝大を受験する同級生が多い環境だったからです。
5.将来のこと
―卒業後の進路は。
大学院に進学する予定です。彫刻科では学部3年時から自分が作りたいものを自由に作れるので、大学院もそれほど環境は変わりません。大学院進学後は「日常の普遍性と肖像彫刻」という自分のテーマを追及したいです。
―卒業制作の次に作りたいものは。
人物と風景を組み合わせた作品を作りたいです。それから馬が好きなので馬も作りたいです。卒業制作の技法を発展させて新しい表現を作っていきたいです。
―将来の夢は。
肖像彫刻の新しい形を生み出したいです。そして、誰かの散歩コースになっているなど日常の一部として人々に受容されている街中の彫刻に憧れがあるので、街中に置いてもらえるような肖像彫刻を作りたいです。
また、地元の鹿児島で何かしたいという想いがあります。瀬戸内芸術祭のようなアートフェスティバルを鹿児島で開催するなど、県内で活動するアートグループや若者、そこで暮らしている人々とと外の世界をつなぐことをしたいです。
6.インタビューを終えて
何気ない日常の中にある普遍的なものを洞察し、彫刻として表現している野川さん。一つ一つ飾らない言葉で語ってくれる姿から「等身大で普遍的であることが大事」という野川さんの真摯な思いが伝わってきた。卒展で完成した作品と再会するのがとても楽しみだ。
取材:石井真理子、木原裕子、平野七美(アート・コミュニケータ「とびラー」)
執筆:木原裕子
写真:樋口八葉(とびらプロジェクト アシスタント)
野川さんの表現の探究過程に触れ、グッと作品に惹き込まれ、卒展と彼のこれからがますます楽しみになりました。(石井真理子)
何気ない日常を洞察して形にする野川さんの着想と表現の面白さに心掴まれました。卒展もこれからも楽しみにしています。(木原裕子)
「血筋」をこういう形でも表せるのかと、野川さんの着眼点とアイデアに驚くばかり。作品の完成と彼の将来が楽しみです。(平野七美)
2025.01.19