2017.12.26
良く晴れた晩秋の昼下がり、総合工房棟に建築科の板坂留五(るい)さんをお訪ねしました。工房棟入り口に時間通りに迎えに来てくださった留五さんは、グレーのセーターにグラデーションのストールがお似合いの、柔らかい印象の方でした。
案内していただいた4階には、院生の研究室が並んでいます。ガラス張りの部屋から中の様子が見え、建築事務所が並んでいるような雰囲気です。今夜は、建築科のお祭り「矩尺祭(くじゃくさい)」があるとか、飲み物や食材を運ぶ学生とも出会いました。
お話を伺うのは、留五さんの作業デスクがある研究室。院生や留学生、8人で使っているとのこと。デスクの上には、パソコンや本が並び、横には何やらアミのようなものが…。これは何でしょう?
【修了制作の舞台は淡路島】
「まず、今やっているプロジェクトの概要をお話します。実家が兵庫県の神戸市で、母が子ども服のお店をやっています。店の移転を考えていて、店舗と住宅を淡路島に建てる予定がありました。その時期が、私の修了制作と重なり、私が設計をやることになり、制作が始まりました。つまり、本当に建つ建物の設計をやっています。」
建設予定地は淡路島の北部。近くに「道の駅」やバスターミナルがあり、神戸市の中心部からバスで1時間で来ることができる。デスクのパソコンで、場所を示してくれた。海に面している正方形の土地。漁港があり、海苔の養殖が盛んで、工場もある。山型のガラスの温室が並んでいて、カーネーション、菊などを育てている。近くには神社もいくつかあり森もある。神戸に近いので新しい造成住宅も建っている。田舎っぽさもあるけれど、都会にも近い場所。
「農業や水産業、観光など、いろんな産業が混ざる土地に、何を建てるか、どうやってやろうかなと考えていた時に、学部の卒業制作が着想のきっかけになりました。」
【カケラを集めて並べかえる】
―学部の卒業制作は、どんな作品だったのでしょう。
「卒制のタイトルは、『pick up “kakera” , put on the house, pass to Kamatarian.』です。東京、蒲田で、町工場で使われていたひさしや階段などをピックアップして、それをどこにでもあるアパートに取り付けてみる、という試みでした。」
留五さんによると、「カケラ」とは、
(1)街の風景に“らしさ”を与えている、建物よりも小さく家具よりも大きな構築物。
(2)「カケラ」とは、ある目的・意味から生まれた形態が本来の意味とは異なる意味が読み取れるもの、または異なる意味に変化したもの。
(3)産業の変化で起こる建物の増改築の際に生まれる。
「カケラをアパートや建売住宅に取り付けることによって、建物に影響を与えて、建物の使われ方や人々の住み方を変えられないか、と思いました。」
町工場で使われていたカケラを住宅に取り付けることで、人の意識と建築の再構成を試みたとのこと。
「私の一押し」と紹介してくれたのは、アパートに付いている90㎝幅の狭いベランダに、工場で使っていたガレージの引き戸を付けて、ひさしを付けてみる。すると細長い部屋ができ、本棚や机も置ける小さな書斎として使えるようになる。また、工場の階段をベランダにかけ、カウンターを付けると、外からサラリーマンが立ち寄れそうな「バー・ルコニー」ができるという、そんなワクワクするような試みだった。
「この手法を淡路島でもやれないか。今一見どこにでもある街のような淡路を一回、フラットなまなざしで見直してみようと。自分の手法を言葉にしてみると、『キャスティングとコーディネート』ではないかと考えています。キャスティングは「配役」で、この街にあるカケラが役者になる。コーディネートは「演出」で、何と何をどこに一緒にするか、いかに結びつけるかということ。修了制作では、淡路のカケラを集めています。」
【淡路島のカケラ】
―淡路島のカケラにはどんなものがあるのですか?
「たとえば、このピンクのシートは、温室に使われているもので、この色が虫を寄せ付けないそうです。それからこれは、農業で使うプラスチックのパイプですが、海苔工場では、牡蠣の貝殻に海苔の種を植えてそれを束ねるというように違う使い方をされているのです。どちらも近くのホームセンターで売っているもの。また、この海苔漁のアミは、何回か使うと傷んでくるけれど、それを再利用して農園のイノシシ除けにも使われていて、農業と漁業が使う道具によってつながっている、みんなどこかでつながっていると、観察してみて気づいたのです。
水産工場の外壁材に使われているのは、劣化しにくいサイディング材。工場では価格の安いものですが、同じ素材の高いものは注文住宅でも使われています。水産業と住宅も素材によってつながっている。このサイディング材もどこかに使いたいと思っています。」
留五さんが見つけた淡路島のカケラは、周りの風景と共に写真に撮ってカードにして「カケラ帳」にまとめてある。時には実物の一部が貼ってあった。「カケラ帳」そのものが作品のようだ。
「写真に撮って集めてきて、分類して並べ替えるのが好きです。新しい組み合わせが見つかります。設計のヒントになる。いつもやっているやり方で今回も進めています。」
【実家プロジェクトは「半麦ハット」】
―このご実家プロジェクトの作品名は?
「私が好きな名前があります。「ハット」っていう言葉で、小屋(hut)、帽子(hat)という意味。そのもの自体で「ハット」と呼ばれるけれど、その下に何かがないとぴったりこないもの。以前、写真集のタイトルにもした名前なんです。『とりあえず入って(被って)ごらん。』と声をかけてくれる存在。『よかったらおいでよ。来なくてもいいけど…。』みたいな開けた場所。
もともと作品名を〇〇ハットにしたいと思っていたところに、淡路島のホームセンターで見つけた「半麦帽子」がすごくいいなあと。それで、「半麦ハット」にしたいな、と。(笑) 半麦帽子は、麦わらのところと布のところが半分ずつになっている。「何か」と「何か」をくっつける。でも、お互いの役割は果たしている、という風にしたいと思っています。」
―どんな建物になるのですか?
「建築の最初に考えたのは、構造体をどうするか、という問題です。
これが模型ですが、ガラスの温室と海苔工場の構造体を組み合わせた形になりました。温室の方がお店で、海苔工場が住居部分になります。住居は木造で、快適に過ごせる室内に。どれとどれが組み合うかなと考えていた時に、ツーバイフォーのデッキを組み合わせることにしました。デッキからは見晴らし良く海が見えるように。また、母のお店はセレクトショップなので、デザイナーの方が滞在できるようなゲストルームにもなるように。」
「見た目で、温室の部分が強すぎないように、最初は中に組み入れていた、住居となる海苔工場の構造をずらしてみました。温室が農業のもの、海苔工場は漁業のもの。違う所属のものたちが組み合わさって違う場所になることを目指しました。カケラのサイディング材やネットは、素材としてポイントで使えたら。お店のディスプレイにも使えそう。」
壁には、ここに至るまでの多くのスケッチや設計図が貼ってあった。
お母さまからは、お店の広さ、内部の使いやすさ、壁の色などの注文はあるそうだが、基本的には留五さんに任せてくださっているとのこと。
【これまでとこれから】
―そもそもなぜ藝大の建築科に?
「兵庫の高校では、理系専攻でしたが、ものづくりやイラストを描くことが好きでした。大学は工学部に行こうかと考えていましたが、たまたま高1の時、旅行で東京に来て偶然「藝祭」を見ました。その時「お神輿」に出会い、これを作りたい!と思って藝大のことを調べたら、建築科があると知って。もちろん、学部の1年生でお神輿を作りました。
1年生からの課題では、いつも街に出てリサーチのために写真を撮って、分類して壁いっぱいに並べていました。リサーチからどうするか、リサーチをどうデザインにつなげるか、難しいけれども模索しています。」
―来年からはどういう進路に?
「来年の4月からは東京の建築事務所と協働して、実家建築の実施に向け、取り組みます。淡路島の会社も考えましたが、やはり東京に居たいと思っています。」
現実に建つ建物の設計、しかもそれがご実家という幸せな巡りあわせ。ご自身が培ってきた手法「キャスティングとコーディネート」で設計されたご実家プロジェクト「半麦ハット」は、再来年から施工が始まるそうです。淡路島の風景の中で、淡路島のカケラを纏った「半麦ハット」が生まれることを楽しみに待っています。完成したらぜひ訪ねてみたいと思います。
留五さんの修了制作は、東京藝術大学美術館陳列館2階に展示されます。卒業・修了制作展に展示する際は、模型をもっと作りこみ、周りの様子がわかる写真、カケラ帳も展示して、設計のプロセスがわかるようにしたいとのことです。ぜひご覧ください。
最後に、お母様のお店の名前を伺いました。
「SI TU VEUX」…フランス語で「よかったらどうぞ」という意味とのこと。留五さんの好きな名前「ハット」の開かれたコンセプトと繋がっています。お店のホームページを見ると、素敵な子ども服や雑貨のセレクトショップでした。
留五さんは、幼い頃から美しいものが身近にある環境で育ち、触れてきたからこそ、感性が磨かれて、人々が何気なく見過ごしている「カケラ」を見出すことができ、それらをまた別のものと組み合わせるという柔軟な発想ができるのではないか、と感じました。
淡路島の「半麦ハット」を想像しながら、ワクワクした気持ちで総合工房棟を後にしました。板坂留五さん、ありがとうございました。
取材:アート・コミュニケータ「とびラー」
執筆:関 恵子
インタビュー:髙山伸夫、東濃 誠、関 恵子
撮影:峰岸優香 (とびらプロジェクト アシスタント)
第66回東京藝術大学 卒業・修了作品展
2018年1月28日(日)- 2月3日(土) ※会期中無休
9:30 – 17:30(入場は 17:00 まで)/ 最終日 9:30 – 12:30(入場は 12:00 まで)
会場:東京都美術館/東京藝術大学美術館/大学構内各所
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「第7期とびラー募集」
2017.12.12
藝大取手キャンパスの303号室。多目的ルームの大きな扉が開くと、そこには栗木さんのアトリエが広がっている。左手の壁面一杯に十数枚のキャンバスがかけられており、床一面には、卒業制作のためのさまざまな材料や道具、画集などが所狭しと置かれている。部屋の奥に置かれていたのはベッド。忙しいときは泊り込みになる日もあるという。一日の大半の時間をそこで過ごしているであろう、生活の一部である場所で栗木さんのお話を伺った。
ふわふわしたヘアスタイルをゆらしながら、独特の語り口で部屋にあるものについて説明してくれる栗木さん。急須を大事そうに抱えながら、われわれとびラーに緑茶を注いでくれた。それにしても、この季節には寒そうな格好をしている。
そんな栗木さんに、まずは今回取り組んでいる卒業制作の作品について聞いてみた。
【制作中の作品は…】
「今取り組んでいるのは、キャンバス地の布を染め、その布を使ったコラージュの作品です。まずは大きな布を染めるところから始めていきました。何回かやってみると、どのような模様になるのか、どんな操作をすればそうなるのか、ある程度わかるようになってきて。いくつか布を染めてみて、染めた色合い感じで『これは!』というものを画面の下地にするんです。それで、その上にまた別の布を、いろんな形に切り取りながら、コラージュとして重ねていっています。」
そういって見せてくれたのは、絵画のようなキャンバスの上で展開されている、複雑な色と形が展開されているコラージュ。染め絞りの模様のグラデーションとにじみによる何ともいえない形と色合いで、ひとつひとつが、そして、全体が、見る者に意味を問いかけているかのような、不思議な雰囲気を醸し出している。これは何だろうか?
また、これまでどこにも見たことがないような、独特な質感がある。
「こんな風に縫ったりしてるようなのもあって。さらに、その上から絵具を塗ったり、つやだしの加工をしたりしているのもあります。」
このような不思議な世界は、どのように生まれてきたのだろうか?
「もともと絵を描くのが好きだったので油画科にいるのですが、大学院に入ってから、コラージュに関心をもちました。いろいろ試しながら、このような制作方法になったのは昨年(2016年)の2月頃です。これは、私が好きな形になるように切ってて。また、切りながら、どのような形にしようかと考えています。切り落としたのももったいないから、拾って使うこともよくあって。マティスのコラージュとか、いいなと思ってよく見ています。」
そもそも油画を専攻しているのに、なぜコラージュなのだろう?
「これまで油絵具で絵を描いてきて、どうも自分の感覚と違う、思ったとおりにいかないという違和感が残りました。筆と絵具の調整が難しくて。」
「以前は絵から立体にしてみたくなって、タンバリンや靴にビーズを縫い付けてみたり、紙でのコラージュもやってみたりしたんです。紙は、布より切りやすいのですが、布のぐちゃぐちゃってするかんじの皴(しわ)とか、何ともいえない質感、手触りが好きなんです。それで、いろいろやってきた結果、今は布を染めてコラージュ、というスタイルに落ち着きました。」
「布は染めるのに手間がかかるので、あまり作品数ができないのですが、『染める』という感覚が私には合っていると思います。」
これとか一ヶ月くらいかかっちゃって、といいながら大きい作品を指差す栗木さん。薄く溶いた絵の具で色を重ねるように、にじみの加減や色の淡さに気を使って布を染めるそうだ。
「布に染めが残っているような感覚、厚塗りではなく、薄塗りがちょっとずつ重なっているような感じが好きで。和、アジア、東洋っぽい感じがするし、女性的という感じ。染めという技法、染め具合や調整など、私にとっては感覚が合っているというか、やりやすいのです。油絵具ではなかなかうまくいかなくって。染め、コラージュは、絵を描くことと変わらない感覚です」
【制作のイメージにつながるもの】
「染めた布のキャンバスの上に、切り取った布の小片をのせていくのですが、私の心の中にあるファンタジーな物語や世界観など、いろんな想像をしながら制作しています。好きな作家や作品をイメージするのもあるし、無意識のうちに入り込んでいるのもある。
たとえばこれは、アンデルセンの『雪の女王』。かなり具体的に一つの物語をイメージしているのもあります」
作品を見ていると、色数は限られているが、ひとつひとつが選び抜かれた色であるような気がしてくる。特に紫の色合いにこだわりを感じる。
「色については、紫が大好きです。神秘的、魅惑的、憧れというイメージもありますが、私には『まもられている』という感じがして、心が落ち着きます。最近は水色、緑、グレーも多く使うようになりました」
ところで、この不思議な画面のリズムはどこから生まれてくるのだろう?
「作品をつくるときは、音楽を聴きながらリラックスした状態でつくるのが多いです。音楽はあまりジャンルを問わず、90年代テクノポップもあれば、クラシックもあります。今壁にかかった作品だと、ドビュッシーを聴きながらつくったのもあります」
そう言いながら、多様なジャンルの音楽を流してくれる。音楽を聴きながら作品をみると、また違った感じに見えてくるから不思議だ。
「自然にあるものが大好きで、植物のモチーフをイメージしながらつくることが多いです。
それから、雲と雲の間に消えゆくような空、夕暮れ時の空のように、曖昧な感じで色が染まっているような感じとか…。
島や海岸の岩場で、光がプリズムみたいになっている光景も好きです」
「好きな作家は、オラファー・エリアソンとか。やっぱり光はとても大切で。
だから、私の作品も自然光で見てほしいという気持ちがあります。とくに夕暮れの、薄暗い時間とか。」
時刻はちょうど黄昏どき。電気を消して、夕暮れの薄暗い光の中で作品を見てみることにした。蛍光灯の白い明かりで見るときよりも、作品と作品の間が消え、まるで壁が一つのキャンパスとなったようだ。作品ひとつひとつが宙に浮きあがり、それぞれの物語を語りだすかのような感じになる。作品の存在感がひと際増すとともに、一体感のようなものが生まれたように感じる。
【藝大には入るまでは?】
「子どもの頃から、自然の中で駆け回るのが好きでした。また、絵を描くことも好きで、学校の授業では図工や美術の時間が少ないことが物足りなくて。いつも早く大きくなって、『思いきり絵を描きたい!』と思っていました。
高校までは水戸で過ごし、大学の学部時代は東北芸術工科大学で油絵を描いていました。だけど、油絵ではどうしても濃い、厚い感じになり、『にじみ』みたいな、淡い感じをなかなか出せなくて…。もっと自分の感覚にあう方法を探していたら、徐々に今のスタイルになっていったというか。」
「コラージュという手法では、染めによる美しいにじみを隠してしまうのではないか、と思うかもしれません。だけど、見えている部分の美しさだけで完成させるよりも、コラージュによって隠れてしまう部分、見えない未知の部分が残った方がいい。答えがすべてわかるのは面白くなくて、完璧であることよりも、違和感や不足感がある方がいいと思っています。これで終わりではない、みたいな。」
見えない部分、見せない部分には、いったい何が隠されているのだろう?
【卒展で作品を見る人に向けて】
「小さい作品では完成したものもありますが、まだ未完成のものも多くあります。卒展の展示については、これからどうしようか考えていて。複数の作品で連作にするという手もありますし。でも、連作でなくても、一つ一つの作品で学んだことがつながり蓄積されているので、一点の作品だけでも伝わることはあるのではないか、とも思います」
アトリエの壁一面に並ぶキャンバスを見ていると、初めてこの部屋に入ったときとは全く印象を抱いていることに気づく。作者の思いをきき、一枚一枚の異なる物語に加え、部屋全体が、ひとつのコラージュの作品のように思えてきた。そして、文章の行間を読み解くように、そのコラージュの中に隠された部分へと様々な想像がめぐる。
「卒展では見る人のことを考えた展示にしたいと思っていて、どう見せるかが大切だと思っています。展示場所は、絵画棟の8階にしました。8階は天井が低くて、屋根裏部屋みたいで、光がきれいに入ります。
染めの色合いは、光の加減次第で大きく変わります。もちろん色のバランスや配置も考えて展示しますが、さっき見せたように、夕方の光のなかで見てほしいですね」
蛍光灯の電気が消えた、薄闇のなかで作品と向き合っていると、ひとつひとつの形が動いているような気がしてくる。やはり不思議な感覚だ。
【これからのこと】
「自分にはまだまだ足りないことが多いんです。他の作家の作品を見る経験だけではなく、たとえばイタリアとか、海外の都市を旅するなどの体験を積むことも必要だと思います。
それから自分の作品数もまだ少ないので、これからもっとつくっていきたいと思っています。その際、見る人がどう思うかということはとても大切だと思いますし、そういう意味では、今日とびラーの方に会えたのはよい機会でした。見てくれる人がいるというのは、本当にうれしいことで、これからも見ている人の存在を意識しながら制作していきたいと思っています」
◉インタビューを終えて
制作途中にある作品を前に、栗木さんからいろんなお話をお伺いすることができたのは、極めて幸せな時間でした。私たちは普段、とびらプロジェクトの活動のなかで、来館者や鑑賞者との対話・交流を主に行っていますが、今回は制作者との対話・交流のなかで、その思いや方法、作品をつくりあげる過程を垣間見ることができました。
自然が大好きだという栗木さんは、自分の中にある感覚に、常に素直であろうとしています。「何か違うな」という「違和感」をそのままにせずに、試行錯誤を重ねた結果として「染め」と「コラージュ」に辿り着き、そしてどのように見てもらいたいかという「光」の効果を重ねて、一つのファンタジーである物語の世界を作ろうとしているのかなと理解しました。
今回のインタビューを振り返ってみて、栗木さんの不思議な語り口−自らの頭と身体のなかからこれまでの取組を通じて感じたことを掬い取って放たれた言葉−は、連なりあい、重なりあい、また、予想外の展開に驚いたりしながら、これもまたひとつのコラージュのようだったと思えてきました。
卒展では、栗木さんの提示した物語に、見る人はどのように感じ、触発され、それぞれのファンタジーの世界を描くのでしょうか。僕自身も一鑑賞者として、作品を見るのを心待ちにしています。
取材:藤田まり、山本俊一(アート・コミュニケータ「とびラー」)
執筆:山本俊一
撮影:峰岸優香(とびらプロジェクト アシスタント)
第66回東京藝術大学 卒業・修了作品展
2018年1月28日(日)- 2月3日(土) ※会期中無休
9:30 – 17:30(入場は 17:00 まで)/ 最終日 9:30 – 12:30(入場は 12:00 まで)
会場:東京都美術館/東京藝術大学美術館/大学構内各所
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「第7期とびラー募集」
2017.12.06
— 11月下旬の、もう12月のように寒い月曜日、絵画棟で修了作品を制作しているミストリ・シュウェタ・アジットさんの所へ向かいます。ミストリさんを含めて日本画専攻の3人の方が制作をされている部屋を開けると、ジーンズにセーター姿のミストリさんが、壁に立てかけた修了制作の大きなパネルの前で、にこやかに迎えてくれました。
【藝大で学ぶようになるまでの経緯】
— ミストリさんは、インドの出身と伺いましたが・・・。
私は、インドの西側ムンバイの近くの出身で、インドの大学ではグラフィック・デザインとイラストレーションを学びました。卒業後は、1年間勤めた後、フリーランスのデザイナーとして3年ほど仕事をしていました。でも、PCを使って仕事をするよりも、直接手で描きたいという思いが強くなって、仕事を辞めて日本で学ぶことにしたんです。
— 日本語が流暢ですね、どこで勉強されたんですか。
日本語は、インドで3年間勉強しました。日本語の音が好きで、日本のアニメ・ソングもよく聞いていました。例えば、アニメの「犬夜叉」なんかです。
— なぜ日本に来て藝大で学ぼうと思ったのですか。
2013年に旅行で日本に来て、美術館で琳派の作品に出会いました。そこで、箔の貼り方とか、まっすぐな線の上に生き物の曲線を乗せるバランスとかに、すっかり魅せられました。また、日本画を学んでいる外国人のブログで、光により色が変わる、石や砂から作った画材のことを読んで興味を持ちました。私はインドでは、色鉛筆、フェルト・ペン、水彩絵の具で、明るい色を使って描いていたんです。住んでいたところは周りが明るかったので、作品も明るい色になったんだと思います。でも実は、私はどちらかといえば、黒、グレー、青、茶などの地味な色が好きなんです。服とか部屋を飾る時にも地味な色を選ぶことが多くなります。それで日本の画材の様々な暗色の色味に惹かれました。また、日本の画材を使えば、触りたくなるような作品ができるのではないかとも思いました。私が良いと思う作品は、触りたくなるような作品なんです。それで日本で日本画を学ぼうと思いました。
— 確かに、ポートフォリオにある以前の作品は色彩が鮮やかですが、最近の作品は暗い色が印象的ですね。
— 日本に来られたのはいつですか。
2015年4月です。はじめは藝大の研究生として日本に来て一年勉強し、その後修士の試験を受けて修士課程に進みました。
【修了制作作品について】
— 制作途中の修了制作の作品は、下半分に白い三角形がたくさん描かれて網の目状になり、上半分は暗い岩絵具と墨で黒々としています、また真ん中には木の根のようなものが現れかけています。
— 修了制作の作品に関して説明していただけますか。
2015年に研究生だった頃は、明るい色も使っていたんですが、自分の気に入ったものにならなくて。結局、「自由に描いてよい」と言われ、自分の好きな黒やグレーの作品になっていったんです。私は塗り重ねるのが好きで、この作品も下は白い岩絵具で描いているのですが、その上に色々塗り重ねています、今からは木を描こうとしています。作品として、直接イメージを見せるようなのは好きじゃなくて、重ねるのが好きなんです。全部が見えるのではなく、観る人が、自由に考えられるような絵が良いと思っています。
— 日本画というと、構想をしっかり作ってから制作するようなイメージがありますが、ミストリさんはどうすすめていますか。
私は、下図を描いてから進めるのが好きじゃないんです。先生には下図を描くことを勧められたこともあるんですが・・・。最初に、雨、雲といった言葉があり、そこからいろいろなイメージが出てきて、それを重ねて描いていきます。描き重ねているうちに下に描いたイメージがわからなくなることもあります。以前の作品では、最後にテーマが変わる、なんていうこともありました。
— 雨や雲など、発想源は自然なんですね。
自然にあるものはインドでは空くらいしか見ていなかったんです。日本に来てからは、自然にあるものを見るようになりました。雲や流れる水が好きです。日本では木も好きになりました、それも葉よりも根や幹の部分、支えている部分が広がっているのが好きです。
— 下図を描かないというミストリさんの、イメージ源となるスケッチブックを見せていただくと、そこには、英語で書かれた文字、自然のイメージの断片などが、描かれていました。画面の上方が暗い色の空、下方にはカラフルな木の根のようなものが描かれているスケッチもあります。
私は生き物をきれいに描けません。形を好きなように描きたいから、葉ではなく枝を描きます。スケッチブックの中にはどう塗り重ねるかのイメージも書いてあります。最後のイメージは一応こんなふうに描いてはいますが、この通りにならないことはわかっています。
— ここまでどう制作を進められたのですか。
この作品は、和紙に描いています。岩絵具や墨に水を多く使って描き進めるのが好きなので、この作品でも水を多く使っています。最初にパネル全体に、白い岩絵具で三角形の連続するモチーフを描いています。上半分には、深く暗い色の粗い岩絵具や墨を重ねて塗っています。墨は、水を混ぜると、グレーのグラデーションができるんで好きなんです。下半分は、小さな三角形の上にマスキングテープで大きな三角形が現れるようにしています。
— 三角形のモチーフを使うのはなぜですか。
三角形は形の中でいうと子供みたいな印象があります。丸は完結している形。正方形には動かせないイメージがあります。でも三角形は遊べる形です、そこから面白さや、動きが生まれてきます。だから三角形が好きなんです。
— 上の暗いところには大きな筆跡がありますね。
私は、綺麗に筆跡を隠すよりも、手や腕、体を大きく動かして制作するのが好きなんです。フェルト・ペンの時には我慢していたんですけれど、日本画を始めたら身体の動作が自由になりました。
— ミストリさんは作品を触っても良いという。そこで恐る恐る画面を触らせてもらった、こんな経験は滅多にない。すると鉱物質のザラザラした感じが指の腹に伝わる。良い感じだ。
【家族】
木の層の上には、人の胸・肺のイメージも描いてみようと思っているんです。
— 人の胸? なぜ人の胸なんですか。
お母さんの胸のイメージなんです。お母さんは、私が日本に来るときに、ぜひ行って来るようにと、励ましてくれました。絵の中で子供の頃の思い出がよみがえります。純粋な白から根が出てくる。それがお母さんのイメージにもなっています。この絵のタイトルも「Portrait of My Mom」にするかもしれません。描いていくうちに、胸のイメージは他のイメージで覆い隠されるかもしれませんが、それはそれで良いと思っています。最後まで見せたいという気持ちも特にありません。観る人にそこまで見せたくない。最後に、どう見えるかは観る人に任せます。
— お母さんには、この絵の話はしているんですか。
お母さんとはまだ話をしていないんです。でもインドにいる弟には写真を送って見てもらっています。うちの家族は芸術一家で、姉は子供の絵本づくり、弟はデザインと写真に関わっています。それから、昔はお母さんは子供のおもちゃ作り、お父さんは家具作りに携わっていました。お父さんは作品を見せると、キュレーターのように批評をしてくれます。
— お母さんは娘が日本に行くことに賛成してくれたが、お父さんは異国に一人で娘が行くことを心配して、日本行きには反対したという。そこに家族の絆を感じる。
【画材】
— 絵の近くのテーブルに画材が置かれていたので、見せていただく。小さな袋に入った岩絵具が数十個もあるのが目をひく、なかでも黒やグレーを中心とした地味な色が多い。
絵具を買いに行くと、絵具屋にも「地味な色ばかり選ぶんですね」と言われるんですよ。
— 袋を開けてさじにとり、絵の具の説明をしてくれた。
ちょっとだけキラキラしているのが好き。
これはちょっと粗いでしょ、これは少し色がついている。
— 暗く地味な色味の岩絵具だけど、ミストリさんの話を伺っていると、暖かい、穏やかな、しかも強いものを感じる。
【完成に向けて】
— この修了制作作品はいつから描き始めたんですか。
まだ11月に描き始めたばかりです。描きたい気分を持ち続けるのが難しいので、何カ月も長い時間をかけて描かないんです。今までの制作でも、途中で嫌になってやめてしまうことも多かったんです。
— 毎日、描く時間は長いんですか。
長時間は描きません。気分が乗らない時には良い仕事ができないんです。そういう時には絵を描かない。描きたいと思う時に描く。
— ミストリさんは自然体なんですね。
気分転換には、ポップやロックを聴きます。聴きながらながら描くこともあります。大好きな音楽を聴いていると気持ちが集中します。
— 12月の提出までに、これからどう描き進めるんですか。
木を描いて、左下の白い三角形が並んでいる部分、右下のグレーの部分に手を入れて、左側に銅箔をつけるつもりです。人の胸も描きます。また上の墨と岩絵具で黒々としているところは洗い流して下に描かれているものを現していくつもりです。
— 作品はどうなった時に完成するのですか。
私は完成しない作品が多いんです。自分にとって作品は完成しないものなんです。気持ちによっても変わるし、自分でもどこで完成かわからないんです。今までに完成したという作品はないんです。描き進めたら失敗したということもあるし、難しいんです。他の人が作品をどう思うか知りたくて、制作途中の作品の写真を弟に送ると、もう完成でしょと言われることもありますが、そうはなりません。どこで終わるかは難しいんです。
【日本での発見】
— 日本に来て発見したことはありますか。
東京は建物の光が好きです。インドでは建物の壁面に他の建物の影しか見えず「うるさい」感じがするんです。日本では建物にガラスが使われていて、それに自然が反射して、きれいなんです。私は、今、「ゆりかもめ」が走るのが見えるところに住んでいるんですが、電車がすれ違う時に窓がキラキラ光るのが良いんです。それを見るために通る時間までずっと待っていることもあります。東京では、まっすぐな線と自然とのバランスがあります。インドでは住んでいる所の周りを見ることはなかったのですが、日本に来て周りの景色を見るようになりました。
— 「そんな東京をモチーフにした絵もあるんですか?」と伺うと、ミストリさんは東京の光をテーマにした3枚の作品を見せてくれた。インドにはなかったという三角形の屋根、銅箔のアクセント、リズミカルな筆致などが、見ていて楽しい。
【今後の活動】
— 修了制作の後はどうされる予定ですか。
博士課程に進もうと思っていますが、その後は、「さわれる作品」を作りたいと思っているんです。動いて、観る人が自由に遊べるような作品。
— 実際にもう作っていると、いくつかの作品を見せていただいた。10cm四方の岩絵具が流れるように塗られた木片を、いくつか連ねて、芯を通して回るようにした作品。枠の中で、木片が回るようにした、楽しい仕掛けのある作品。
子供のために、美術は楽しい、素晴らしいものだと教えたいんです。私の故郷では、医学や数学ができない人が美術に進むと思われています。そうではなく、美術が好きな子供が増えてほしい。私も美術をちゃんと教えてはもらえなかったのですが、美術が好きだったからここまで来ることができました。子供達に、美術の楽しさを知って欲しいと思っているんです。
— ミストリさんの話を伺って、これまでのミストリさんのインドでの経験、家族との関係、その後日本に来てから経験が、現在の修了制作につながっていることがわかったような気がしました。大きく腕を動かし、岩絵の具によるレイヤーを重ねたり、洗ったりした結果、この修了制作作品がどんな形になって完成するのか、どのように触ってみたい作品になっているのか、完成作を観るのが楽しみです。ミストリさんの大きな夢が叶うと良いなと思いながら、ミストリさんの部屋を後にしました。
執筆:鈴木重保(アート・コミュニケータ「とびラー」)
ITコンサルタントとしてデジタルな世界に関わるのが本業ですが、アートが作られる場、アートが鑑賞者に受け入れられる場に興味を持ち、今年から「とびラー」になりました。
撮影:峰岸優香(とびらプロジェクト アシスタント)
第66回東京藝術大学 卒業・修了作品展
2018年1月28日(日)- 2月3日(土) ※会期中無休
9:30 – 17:30(入場は 17:00 まで)/ 最終日 9:30 – 12:30(入場は 12:00 まで)
会場:東京都美術館/東京藝術大学美術館/大学構内各所
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「第7期とびラー募集」
2017.11.26
■触覚が最も敏感で原初的、本質的な感覚である
すっきりとした清潔さを纏った彼女の、しなやかな右手の中指の爪のまわりに岩絵具が染みこんでいる。
中村美香子さんは学部時代(
たとえば、第50回神奈川県美術展奨励賞を受賞した作品「つらなり」(2014年)は、座った男のむき出しの背中が大きく描かれた作品だ。左にかしいだ首に向かって背骨が曲がって通り、肩甲骨あたりの筋肉が大きく盛り上がっている。皮膚には動脈や静脈を思わせるラインが有機的に這っている。いや、よく見ると骨さえも透けて浮かび上がっているようだ。
「つらなり」を起点にして生まれてきたように見える学部の卒業制作「背/胎」(2016年)も圧巻。ふくよかさと生命の源を表現するような女性の前からの姿が1枚。そして、大きな背中にうな垂れ隠れてしまったのか、頭部の見えない男性の後ろ姿の1枚。いずれも骨格が見えるように描かれている。中村さん自らの解説にこうある。
「女性の身体に対して自らがもつ実感と、他者(男性)の身体の、触覚的な印象を視覚化することを目指した」
【「背/胎」300cm×90cm 2枚(2016年 )】
中村さんにとって、特に重要なのは「触覚に訴えるような実感の抽出」であるという。触覚が最も敏感で原初的、本質的な感覚であるという思いがあるというのだ。
「たとえば、人と手をつなぐという行為は相当親密でないとできないですよね。そこにすごく根源的なものがあるような気がするんです。うまく言えないのですが、『触る』ということは一番直接的な表現だし、コミュニケーションですよね。そこに強い関心があります」
日本画を描くということは、岩絵具(天然鉱物などを砕いてつくる顔料)に直接触れる行為を伴う。
「日本画の制作をはじめると、否が応でも岩絵具の粒子の粗さに気づかされます。岩絵具は自分の手で溶いていくので、そのざらざらした感触と常に向き合っている感覚があります」
顔料と牛皮からなる膠をその指で混ぜ合わせ、一体化させることから絵画の制作が始まる。彼女の中指の皮膚に染みついた岩絵具は、その証しなのだ。日本画を描く人たちは、指先で岩絵具の感触を得て質感を感じとっているともいえる。
「指先自体がセンサーになっていて、その状態を自分が感じて。そこから日常生活に視点を移したときに、『触る』って生々しい感覚だなって思い返したりします」
視覚や聴覚、嗅覚も同じように根源的なものなのだろうが、そこには空間が存在していて直接的ではない。味覚は舌に触れることで成立するが、その前にどうしても触覚がある。中村さんにとって直接的でプライマリーな感覚は、触覚なのだ。
彼女は岩絵具を使う日本画に「視覚的に触覚を感じることができる」可能性を見出し、支持体となる素材の質感・特性にも注目しながら、鑑賞者に触覚的に訴えかける絵画表現を模索してきたという。
■日本画という存在そのものを学ぶために
が、しかし中村さんは現在、大学院で文化財保存学専攻・保存修復日本画研究室に所属している。
「それは日本画の技法と材料の研究がしたかったからです。もう少し抽象的な言い方をすれば、日本画という存在そのものを知りたいという思いからこの専攻を選びました。『なんで日本画っていうのだろう』『油絵や水彩画というものがあるなかで、なんでこれだけは“日本”という名がつくのだろう』という疑問がまずあって、よく考えたら材料についても技法についても、また古い作品についても、自分はよく知らないということに気づいたんです」
修士2年間を通して、絵具の剥落や色の経年変化、傷までもありのままに描く「現状模写」というやり方で取り組んできた。
「模写に当たっては、原本に関する文献を読み、原本や画像資料を丹念に観察します。模写のために原本を間近で観察できる機会が設けられるので、マスクをして原本に向かいます。このとき、色合わせカードを作り、それを元に彩色を進めていきます。そうしたプロセスの中で美術史の知識を深め、経年劣化による損傷がどのように現れるのかといったことを理解していきます」
中村さんは現在、修了制作として2点目の模写に向き合っている。『羅漢図』二幅のうち「第十三因掲陀尊者(だいじゅうさんいんがだそんじゃ)」という仏画である。南宋時代の中国で描かれ、日本に伝来した。室町時代に制作された、この作品の模写があることから、中国の信仰や絵画が日本に影響を与えたことを示す一例とされているそうだ。本来なら十六幅あったとされているが、藝大美術館に残されているのは二幅のみ。その一つがこの「第十三因掲陀尊者」である。
「絹に描かれた仏画を模写することで、絹に描くという日本画のスタンダードな技法の一つをきちんと知りたいと思ったところが、まずあります。その上で作品を決めるにあたって画集を調べていくうちに、この仏画に一目惚れしてしまいました(笑)。
古さをあまり感じなくて、描かれているものに難しさを感じなかったんです。人が座っていて、何やら手前で鹿が花を捧げていて、なんだか物語があるような。そして後ろには女性がいて、きれいな蓮の花が咲いているというわかりやすさもあって、この作品を選びました。
それから、岩絵具だけでなく、背景や鹿の部分はどうやら薄くほぼ墨だけを用いて描かれていることを知って、対極的な技法が調和していることにものすごく魅力を感じました。作者が何を思ってそう描いたのか、自分で描くことで追体験したいと思いました」
絹に描かれた原本を写し取っていくには『上げ写し』という原本の実物大コピーの上に薄い和紙を重ね、その紙を巻き上げたり下ろしたりしながら、目に留まる残像を利用して原画を正確に描き写してゆく方法が取られる。それを元に絹に墨で線を写していく『絹上げ』、そして『彩色』に移っていきます」
すでに10日間ほどの「臨写」(ガラスケースに入った本物の隣で制作する)という工程が終わり、最後の仕上げに入っているそうだ。この作品はもともと掛け軸になっているものなので、原本と同様に掛け軸に仕立てていくことになる。
こうしてお話を伺ってくると、模写というものが、単に目の前の絵画をコピーするような行為ではないことが分かる。背景を探り、作者の精神性に迫ろうとし、物理的な特性を見極め、後世にその作品の丸ごとを引き継いでいくような総合的な取り組みなのだ、きっと。
■自分のすべてを注ぎ込みたくなる保存修理という仕事
ところで、日本画の作家として、もう一度自分の作品づくりに立ち戻ることはないのだろうか。
「今は模写と修理に、自分のすべての時間をかけないと学びきれないという思いが強いです。それだけ打ち込まないと自分のものにできないくらい大変なものだという実感があるので、集中して取り組みたいと思っています」
決して絵を描くことを嫌いになったわけではないという。しかし、自分が生涯に亘ってする仕事として改めて考えたときに、古い作品に寄り添って美術のすばらしさを次の世代に届ける手助けをしたいと考えるようになったのだそうだ。
「修理技術そのもののすごさに感銘を受けたことも大きいです。しわしわの作品も水を与えるときれいに伸びて、さらにそれを糊と紙という素朴で単純な材料で裏打ちするとしわしわだったことが信じられないくらいきれいになります。単純な工程のなせる技のすごさに感銘を受けました。自分もこれがきちんとできたらどんなにいいだろうと思ったんですよね。
作品制作をしていた時も、誰かに自分の感覚を共感してもらいたいという思いがそもそもありました。自分が見て感動したある絵を、他の誰かが見て、感動してくれたら嬉しい。それだけではなく、誰かが素晴らしいと思った絵を、後世にまで残していく。そんな手助けができる仕事に大きな魅力とやりがいを感じているので、今は修理の道を進んでいきたいと思っています」
・・・
中村さんがまだ中学生だったとき。美術の授業で「この(教科書の)中で一番好きな絵を発表してください」という課題があったという。そのとき彼女は、田中一村の日本画「アダンの木」を選んだ。
画壇と決別し奄美大島に独り移り住み、69歳で没するまで絵を描くこと以外は頓着せず、ひたすら描いていたという一村。彼の画風というよりは、一つのことへの探究心のあり方が、「保存修復という世界のスタートラインに立ったばかり」だと話す中村さんの姿勢にどこか通ずるものがあるような気がした。
取材:アート・コミュニケータ「とびラー」
執筆:髙山伸夫
インタビュー:園田俊二、上田 さち子、ふかやのりこ、髙山伸夫
撮影:峰岸優香(とびらプロジェクト アシスタント)
第66回東京藝術大学 卒業・修了作品展
2018年1月28日(日)- 2月3日(土) ※会期中無休
9:30 – 17:30(入場は 17:00 まで)/ 最終日 9:30 – 12:30(入場は 12:00 まで)
会場:東京都美術館/東京藝術大学美術館/大学構内各所
★あなたもアートを介したソーシャルデザインプロジェクトに参加しませんか?
「第7期とびラー募集」
2017.02.01
1月、取材のその日は快晴。
総合工房棟のエレベータから降りる。廊下越しに、ふいに…そこはガラス貼りの明るい空間だった。
(…うーん…オープンな空気だなぁ。)
ここは卒業制作の中間発表会や、講評会に使われる場所で、今回のインタビューのためにこの場所に発表時の再現をして下さったのだとか。
(あ、街のミニチュアだ…)
空から見た風景の中に、明るいグレイ色のうねうねとしたものが横たわっている…。
「これは日本橋で、首都高速の…」
と明るい声で説明をはじめてくれたのは、今回の取材に応じて下さった建築科の樽澤眞里子さん。
どことなく、ふんわりとしていて、素敵な笑顔の明るいかただ。
そうか、これは空想ではなく、現実の場所なんだ…。
よく考えてみると、建築とはひとつの巨大な作品とも言える。
ときと場合によっては、ひとつの街や都市といったスケールが作品になるという、とてつもなく大きなもの…。それは動き、人が中に入って生活を営むこともあり、ドラマあるいは出来事と言っても良いのかも知れない。しかもほとんどの場合、現実に形にする時には自分で作るわけにいかず、その指示を設計図や、時にはスケッチというコミュニケーションツールを駆使して、様々な役どころの人たちに伝えなくてはならない。法律や生産技術、流通、いろいろ考慮することが山ほどある。そして出来上がったのちに、時という時代の中でやがて変化してゆく。
「建築では、実際には作れないものを模型や計画図で説明してゆきます。講評会では自分のイメージしているものや考えていることを、どう表現するかが問われています。教授や専任教員や助手の方たちが出席している中で質疑に受け応えてゆくので、緊張します。」
「言葉は限定的なので難しい。…実は、私はプレゼンテーションはあまり得意ではないんです。(笑)」とおっしゃる樽澤さん。だが、なかなかどうして、よどみなく経験に基づく様々な例を挙げながら、とても明るくオープンに楽しく話してくださった。
『他の人と交わりながら、形づくられる』
「他人からどのような意見が出てきても、このアイデアのほうがいいんじゃないかと言われても、ひるまない。しかしその言葉を尊重し頭から否定することなく、冷静にとらえ、それから自分の主張を述べるようにする」とのこと。
「なかなか、そうはいかない事もありますけどね…」とおっしゃっていた。
ただ、経験豊富な方から、こうしたほうがいいんじゃないか、と助言をいただいた時は、まずやってみることにしているそうだ。いろいろやってみて初めて気づくこともある。それと同時に、自分の考えや解釈を加えてゆく…とのこと。
美術の世界とは、物を作る職人のようなもので、そんなに人と関わらなくてもいいのかと思っていた。けれど、実際に大学で制作をはじめてみて、全然そうではなかった、と樽澤さんは笑いながら言う。人に自分の作品について話しをすると、アドバイスをいただいたり、そうしているうちに次のアイデアが出てきたりする。人との関わりがとても大事だと、4年間の中で感じたそうだ。そしてご本人を見ていると、そのような予期せぬ出会いの出来事自体を楽しんでいらっしゃるように感じた。
このような「対話」の積み重ねの経験の中で、磨かれてゆくものもあるのかもしれない。
『内側から外を見ること』
建築特有のインサイドな視点。自分がもしそこに居たとしたら、周りがいったいどのように見えるのか、という見方。逞しく想像力をはたらかせる。
模型の中で自分を小さくしてゆき、そっとそこに置いてみる…。
そこにいると光はどこから射してくるのか。音はどんなふうに聞こえてくるのか。風は、どのように…。
『傾斜・屋根・人の視点・内と外との曖昧』
インタビューに伺う前に、樽澤さんの建築計画を見せていただいていた。そのときに気づいたのだが、「傾斜と人との関係」「屋根とその下の空間と人との関係」「互い違いの傾斜を持つスラブと人間の視点」「室内に入ってくる光、内と外が曖昧な場所もある」・・・など、樽澤さん独自の考え方が、描かれたスケッチにははっきりと表れている。
今回の卒業制作の計画を考える基盤に、この考え方が活きている。卓抜したアングルを探す目。
「首都高速道路」はただの「壁」といったモノではなく、人と人とをつなぐ関係性の「綱」のようになっている。
『神輿のようなものが見える…』
例えば、日本橋地区で古くからおこなわれている祭りの賑わいや、人々に担がれる神輿など、日本橋の上と下で人々の視線が行き交う造りになっている。橋の上から下へと臨む劇場空間、道の先がだんだん高くなってゆくスロープ歩道、カフェのようなロビー空間…。有機的に空間がつながってゆく。
もともとこの首都高速道路のカタチには特別な事情があるとのこと。日本橋の川は徳川幕府によって恣意的に「への字」に曲げて作られたもので、首都高速はその日本橋川に沿って建てられたという、歴史的な意味合いをカタチにしたともいえるそうだ。
躯体コンクリートの床の上には、カーペットが敷かれて、ソファといったもので構成された空間に…と樽澤さんは大胆な発想で計画している。人と人を繋ぐ、居場所のような、人間スケールの空間を創り出す方法を考えているのかも知れない。
『原風景』
建築への入り口はさまざまで、芸術大学や美術系大学の建築専攻と、工学系大学と建築分野では、どこが違うのだろうか。そんな漠然とした問いを、樽澤さんに問いかけてみた。
子供のころは幼稚園も小学校も家からは遠く離れていて、近所の子と遊ぶというよりは、自分の家とその周りはすべて庭であり、そこでいろいろな想像をしながら、遊ぶのが常だったという。小さい時から、自分の家を自分で設計して作るのが夢で、その過程に今はあるとのこと。これは樽澤さんの原風景であり原初体験とも言えるのでは…。
そして、美術系の建築と工学系のそれとの違いは、たぶん最終形はあまり変わらないかも知れないが、最初にイメージするものが違うのではないか、とおっしゃっていた。
「考えるときにまず『風景』というものをかんがえます。人はそこにいてどういう状況になるのか…。スケッチブックに図やダイヤグラムのようなもの、人のいる風景を描き、そこからサイズやスケールを考えたりし、スケッチや模型を何度も繰り返しながら進めてゆきます。」という。
これは、完成形としての精緻な模型ではなく、考えたり、確認したりするための実験ということだろう。理想あるいは考えていることと現実との落差もここでわかるのだろう。ああ膨大な作業だ…。
「水彩でスケッチを描くこともありますが、リアルにならないので、理想形でしかないような状態になりやすいんです。」
別の機会に樽澤さんの水彩画を拝見したことがあるが、何をやりたいのかが建築のスケッチとしてシンプルにはっきりとわかる。目指している方向や「風景」がすっきりわかる。図面や模型は情報量が多すぎて、時には言いたいことが伝わりにくく隠れてしまうことが多いと思う。
…いろいろなお話を伺っているうちに、樽澤さんの考えている建築への考え方や風景周辺に対する理想のことなどが、何となく少しわかってきたような気がする。
そして、樽澤さんは、ご自分の卒業制作についてこのような言葉を書いている。
『…都市の間を縫うように創られた空中の道路
既存のインフラの躯体の中に人間スケールの空間を見つけ出し
減築または増幅させた中でプログラムを挿入する。
首都高速の自在な曲線に着目
首都高速が『壁』のように地域を分断するものから『居場所』のように
人と人とを繋ぐものへと変化させるため、空間を創造したい。
かつての記憶をつぶすことなく再構築しつつもその気配を大切に
そして新しい機能を潜入させていく。
普段見慣れた風景に中に潜む要素を取り上げ、その中の一つである高速道路を
舞台に日常の豊かな風景を周囲から引き込み
新しい価値として再発見させる。…』(一部抜粋)
『これからのこと』
卒業した後、この春から藝大の大学院で東洋建築の分野に身を置くことになっていて、そこで日本庭園の研究をする予定だそうだ。なるほどそう言えば、樽澤さんの以前の計画案で、東京愛宕山の地区設計の計画があり、その中で、廻遊式庭園の見え隠れする景観の計画のことに触れていて、その場合の植栽と建物が見事に「不等辺三角形」の配置となっていて庭園風景を造ることに言及されていた。まさにこのことと繋がっているように感じた。
樽澤さんの大学院での研究、そしてそこでの経験からの気付きについて、ぜひまたお話を伺いたいと思う。
樽澤さんのような建築の方の活躍の場がますます拡がり、新たなものを造るだけではなく、いまある資源や価値を掘り起こし、再発見する。そしてこの地球という星を考え計画することで、世界にさまざまな夢を繰り広げてゆくのだろう。そのような夢を見ているのは私だけではないと思う。近い将来そんな日がやってくることを期待している。
インタビュー・執筆:園田俊二(アート・コミュニケータ「とびラー」)
撮影:峰岸優香(とびらプロジェクト アシスタント)
園田 俊二(そのだ しゅんじ)
空間計画・建築や場作りに関して、調査から企画・製作・フィードバック・教育など一貫してモノを作るために必要なことをやっていました。これをベースに現在は新たなワークの実験を開始するために… 創造性のトビラを開く…を合言葉に準備中。
2017.01.27
11月中旬 秋晴れで空がどこまでも高くつきぬける中、
僕は東京藝術大学 上野キャンパスにいました。
うっそうと生い茂った木々。
時々聞こえる何かを叩くような音。
そこは大学というより、初めて訪れる町のような感覚でした。
インタビューを依頼したのは、鈴木弦人さん。
東京藝術大学 大学院 彫刻科に在籍され
現在は卒業制作に打ち込んでいるとのことで
お話を伺いに来ました。
待ち合わせの場所に到着し、
鈴木さんらしき人を探します。
すると、10メートル先にある大きな工場のようなところから
背の高く、それでいてがっしりとした男性が出てきました。
もしかして!と思い 「鈴木さんですか?」と尋ねると
「はい。」との返事が。
黒いパーカーに、ところどころシミがついた黒いズボン。大きく丈夫そうで存在感のあるブーツ。首にかけた黒いタオル。目を凝らしてパーカーを見ると、左胸部分にミッキーマウスのデザイン。
それは、自分が想像していた、いわゆる「街中のアパレルで揃えたかのような学生の服装」というよりも
まるで職人が 自身の作業に打ち込む際に 無駄なく、作業に没頭できるように動くことのできるような佇まいでした。
鈴木さんが出てきた工場の入り口には広いスペースがあり、
そこに堂々と立っていた 見たこともない植物のような、金属製の2~3メートルあるオブジェこそが
鈴木さんが、大学院生活の最後の制作物として取り組んでいる作品でした。
とにかく、大きい。
まるでCG映画のワンシーンを一時停止したかのような光景。
全体は銀色で、枝のように伸びている部分に顔を近づけると、鏡のように反射して映るボディ。
「素材はアルミ金属を使って、制作物をつくっています。完成までもう少し大きくなるかな。一度に大きくはつくれないので、それぞれの部分を繋ぎ合わせて一つの大きな形にしていっていますね。
この独特な造形は“間欠泉”がイメージの元になっているとのこと。
土の下から湧き出てくる、熱くて激しいエネルギーが
上にむかって立ちのぼる様子を想像しながら制作しているそうです。
東京藝術大学 彫刻科に入学して、最初の2年間は木彫・石彫り・金属など様々な方面から彫刻を体験された鈴木さん。その中でも一番“金属が楽しい”と感じたそう。
「木材や石を使う彫刻制作は、一番最初に決めた通りに制作を進める必要があるんです。けれど金属は、進めていく途中で『あ、やっぱりここはこうしてみたいな』と思った部分に手を加えることができて、そこが面白いなって。」
素材に手を加える点では同じでも、木材や石を彫ることはいわばマイナスの作業。しかし金属は溶接を通してかたちを変えることもできるプラスの作業でもあるんですね。
「大きな材料がなくても、今ある小さな素材を繋ぎ合わせることができるんです。この作品も、近くに落ちているアルミの破片をくっつけて作っている点が何か所もあるんですよ。」
作品の傍に、鈴木さんの名前である“弦人”と大きく書かれた道具を発見。これは、なんですか?
「これですか、これはバッファーという道具ですね。」
23年間の人生で初めて出会う未知の道具。いったいどのような使い方をするのでしょう。
「素材のツヤを出す時に使います。布のようなものが付いた先端部分が回転して、触れた部分を高速で磨き上げる感じですね。ちょっと実際にやってみましょうか」
電源を入れると、さっきまで静かだったバッファーの先端部分が威勢よく動き出しました!
キューーンという音をあげて大回転!なかなかの迫力です。アルミの部分に当てると…??
お分かりいただけるでしょうか。写真中央のバッファーを当てた箇所が
まるで納車したての車の如くピカピカに輝いております。
ちなみに、そっとあてただけでかなりの効果でした。思わず自分も大興奮。
「最終的には、作品のすべての部分にバッファーを当てて、光沢を出せればなって考えてます。なので卒展に展示する頃には、今より見たときの印象もだいぶ変わるんじゃないですかね。」
バッファーの他にも、アルミ部分を叩いて表面の質感を変える(手作りの)金槌や、溶接作業の際に出る火花から守ってくれる革の手袋など
まさに「仕事道具」とも呼ぶにふさわしい 使い古されているのに何故か品性すらも感じさせる道具が多くありました。
「たまに、作品の傍で見に来てくれた方と話す機会があるんですけれど
作品について、自分の口から伝えたいことはあまり多くなくて。
でも、この金属を叩くのに使った金槌、こんなに重たいんですよって
道具の話は伝えたくなっちゃいますね。」
それにしても大きな造形物を製作されている鈴木さん。
“いったいいくら費用がかかるんだろう?”
素朴に思ったこの疑問にも、鈴木さんは優しく答えてくれました。
自身で材料を全て調達するので、素材の値段によって比例していくそう。
「ただ、作るだけじゃなくて、必要以上にお金をかけなくても制作はすることができるんだなって。他の仲間が作った作品よりも 費用を抑えて作ることができたら、個人的にはちょっと達成感を感じますね」
東京藝術大学に進学されたきっかけをお聞きすると
中学生の頃には既に”日本画”に興味を持っていたとのこと。
「当時好きだった漫画家さんが、美大の日本画科出身だったんです。それで興味を持って高校でも絵を描いたりしたんですけれど 絵を描いた後に絵の具が乾くのが待てなくって。『性格的にも向いてないのかも』とか思いつつ、デッサン等に取り組んでいました。」
浪人生活を経て、見事東京藝術大学に進学された後は、木彫や金属など様々な表現に触れ、
休みのときは取手キャンパスの草原を仲間とただひたすら走り回るなど
まさに柑橘色の学生生活を過ごした鈴木さんの原点は
尊敬するアーティストの方によるものでした。
1時間ほどお話を伺ってる最中も、常にどこかから色々な音や人の声が聞こえてきた東京藝術大学。夕焼け時間も相まって、思わず自分の大学祭前日の光景とシンクロしたかのような感覚になりました。
最後に、この作品は卒展で展示された後どうされるのかをお聞きしました。
「実は、今まで制作してきた作品はほぼ手元には残ってないんです。」
えっ!?なんとも意外な答え。制作し終わった作品はどうしてるんですか?
「もう大体壊しちゃってますね。飽き性なんですかね。目の前の作品を制作している最中でも、頭の中では次はもっと違うのつくろうかな~とか考えちゃってたりもして。ずっと形に残し続けることにこだわりはあまりないんです。」
成程。形に残すことよりも、作品と向き合っている瞬間が作り手として大切な時間なのかと、納得しました。
「でも、これはとっとこうかなと思います。これからはなるべく残していけたらな~って。最後だし、一応なんですけれど。」
自身が打ち込んできたことを、集大成として形にする体験を
人は生きているうちに何度行うことができるのでしょうか。
“卒業”という言葉を聞くと、少し感傷的に感じたりすることもありますが
鈴木さんの、少しクールに聞こえる言葉や、道具を手に取る姿を見ると
いつも通り、ただ、真っ直ぐ作品と向き合い
制作の日々を過ごされているように感じました。
秋晴れの透き通った空気の中
鈴木さんが丹精をこめてつくった彫刻は、
まるで天に向かって立ちのぼるかのように
その動きを携えて、今か今かと完成を待っています。
この滑らかなかたちが、余すことなく光りかがやくとき。
初春のころ、僕はまた新しい気持ちで
この作品と向き合うことになるのでしょうか。
執筆:三木星悟(アート・コミュニケータ「とびラー」)
2017.01.18
上野から常磐線に揺られること45分。茨城県取手市にある芸大取手キャンパスへ、卒業制作に励む芸大生、黒松理穂さんに会いに行ってきました。
広い部屋に雑然と置かれた資材、工具等などの中に、澄んだ水色のスタイロフォームで制作された作品がすっくと“凛々しく”立っていました。そこにはスポットライトのように窓から光が差し込み、作品の凛々しさを一層際立たせていました。
週に5日、ここで作業をしているという黒松さんに、卒展の作品と制作に至る経緯など、子供の頃の記憶にまで遡ってお話をお伺いしました。
■卒展出品作品について
初めて目にした“水色”のスタイロフォーム(発泡スチロール)。これを使って黒松さんが制作していたのは、懐かしの(笑)「学習机」でした!
この「学習机」を作るに至った経緯
—————「拾ったもの(断片)から元の形を想像して復元する」という、これまでの制作の「最終形」が今回の作品です。子供(小学校高学年)の頃、生活環境が大きく変わる出来事がありました。家具の大半を最初の家に残して、引っ越しを繰り返すことになりました。今の実家には子供の頃に使っていたものはほとんどありません。
そんな中、子供の頃に使っていた学習机のキャスターが、当時近くに住んでいた方の家に残っていることが分かり、引き取ってきたんです。そのキャスターから記憶をたどり、当時使っていた学習机をほぼ原寸大で復元していきます。—————
黒松さんのテーマは、過去の記憶をたどり、自分を見つめ直す、「私の記憶の再生」でした。
—————この作品は、「もう元に戻れない、取り戻せない過去」、「子供の頃の幸せな記憶」を表現しています。家には、当時のホームビデオも残っていました。その中から、特別な行事やイベントを撮影したものではなく、家族の「日常」を撮影したものを選んで、音声だけを作品の中にスピーカーを取り付けて流すことを考えています。映像まで出してしまうと「自分語り」のようになってしまうので。————
黒松さんが今回の作品で表現するのは、“華やかで明るい”とは対極にある、日常を切り取った、どこか“懐かしさ”を感じる“過去の記憶”です。
机の本棚には、スタイロフォームで一つ一つ作った「本」がありました。これらも黒松さんの「記憶」から再現されたものです。その書名のいくつかも黒松さんは覚えているそうで、「自由自在」や「特進クラスの算数」という参考書(笑)、お母様から譲り受けて大好きだった「シートン動物記」が再現される予定です。
この作品のキーワードは、「日常の記憶」。
—————当時当たり前だと思っていた日常が、突然奪われたことでその幸せに気づきました。なくなってから気づくこと。この作品ではそのことを表現したいと思います。—————
水色のスタイロフォームを材料に選んだ理由は?
—————まだ粘土とスタイロフォームとどちらにしようか悩んではいるのですが、スタイロフォームは、記憶を忠実に再現しやすかったことと、「軽い」素材を使うことで、「現実味がない、儚い、脆い」と言ったことを表現できるのではないかと思いました。
色は思い出せるところだけ彩色する予定です。思い出せないところはそのまま、スタイロフォームの水色を残します。—————
黒松さんは、私たちよりもずっとずっと豊かな感受性をもっていて、幼少期に起こった出来事が彼女に与えた衝撃は周りが思っている以上に深く、そしてその記憶はとても「鮮明」なものでした。
7月中旬に行われたWIP(ワークインプログレス)での担当教授からの言葉についてもお話ししてくださいました。
—————「拾ったゴミ(断片)から想像して原形を復元する」という作品について、「生産と消費について表現したいのか?」と言われました。それは私が言いたい事とは違うなと思いました。私が表現したいのはそうではない、と。だから、これまでやってきたことをもう少し発展させたいなと思いました。—————
この時から、黒松さんの制作は、「断片から想像して原形を復元する」という、ある意味周囲に受け入れられやすい作品から、「記憶を頼りに原形を復元する」という方向にシフトチェンジされていきます。
—————これまで、自分のことを作品にすることが苦手で、拾ったもので見た人が、「分かりやすい・共感しやすい」作品ばかりを作ってきました。卒展にこの作品(学習机)を出品することで、これまで周囲の人に話してこなかった自分自身の生い立ちや過去をさらけ出すことにもなります。(決断するまでに)迷いはありましたし、葛藤もありました。でも、勝負するなら今かなと思いました。子供の頃のこの経験が、今、作品を制作するモチベーションになっていると思うので。—————
黒松さんの中でこうした「葛藤」があり、その中でこの卒展の場を勝負の場と「決意」し挑んだ作品です。制作過程では、過去に記憶を遡り、自分自身を見つめ直す機会が何度となく訪れていることと思います。 最初に感じた作品の“凛々しさ”は、この黒松さんの「決意」の表れだったのだと納得しました。
—————自分の過去を作品にすることにまだ迷いはあります。でも、一人でもこの作品に共感してくれる人がいたら嬉しいです。————
黒松さんがこの作品を完成させた時は、幼少時から続く記憶の一つの完成形(ゴール)となると共に、新たな、そして大きな一歩となることと思います。
今日も、広い部屋でスタイロフォームをカットし、ヤスリで一つ一つ丁寧に削りながら、自分と向き合っている姿が思い浮かびます。
執筆:河村由理(アート・コミュニケータ「とびラー」
2017.01.18
星野さんのアトリエは東京藝術大学絵画棟の7階。窓から眼下に広がる上野の杜は、その日はまだ11月だというのに朝から降り続く白い雪と樹々の紅葉とのコントラストが一枚の絵のようでした。
アトリエは白い空間で同じ油画専攻の楊博さんとシェア。そこには次の構想を練るためのポップで色とりどりな“モノ”たちが置かれていて、中には消臭ゼリーやウィッグなど、一見絵画とはかけ離れているように思えるモノも。触ったり、置いてみたりしながら、モノの様子を探っているのだそう。
インタビューは星野さんの小気味良い語り口で進んで行きました。
◆星野さんの作品は、平面的な絵画とは異なる三次元での立体表現。こうした作品へ至った経緯をお聞きしました。
4 年生のとき、小林正人先生の授業『現代美術コース』で、たったの5 時間で作品をつくるという課題がありました。使う材料は、他の受講者たちが星野さんのために 100 円ショップで買い集めた 200 点のモノ。この経験が作品づくりの大きな変化になったといいます。
「とにかく設計図も計画も立てられない中で作らなくてはならなくて。作品の概念がよく解らなくて、感性も何かわからないし。でも、とにかく『終わる』ってとこを見せる。このことが作品作りの転機になりました。」
「もともとは平面作品を描いていましたが、モノを自分で重ねて、そのモノが連続して重なるものをモチーフとしていて。わかりづらいと思うんですけど、自分でその物どうしの関係を操作していくことに興味があって。」
「1 年生の時の『東京マケット』という課題は【東京を歩いて感じたことを作品にしなさい】というものでした。自分が考えたのは『赤いビルと黄色いビルがあったらその間はオレンジの空間になるのではないか』とか、例えば『ビルがたくさんある中でひとつがあたたかくなったら周りも変わっていくんじゃないか』とか、そんな当たり前のことなんですけど。そんな単純な発想を模型にした時に、なんだかすごく自分の中で楽しい実感がありました。そこで起こっている現象が楽しくて、それも大きい部屋でやってみたいと思うようになって。」
「大きな部屋では、1 日の太陽光の移り変わりを利用して、自分が意図したものと、その時に現れる新しい形や色とで、新しい関係をつくることを実験的にやってみた。自分のイメージしたものが 3 次元に置き換わった時に『その空間に足を踏み入れる感覚』が絵画よりもとても強く感じられたので、そこからいろいろやってみたいなと思うようになりました。」
「その後に絵画棟 1 階のギャラリーを利用して、自分で何となく描いていたドローイングを三次元にしてみました。正面から見るとただのペインティング作品ですが、横からも上からも見ることができる。つまり最初の視点は絵(平面)なんですけど、その中に自分が入っていけるような空間を作ることをテーマに、しばらく制作しました。」
「去年、3 年生の時の作品をアーツ千代田 3331 のギャラリーに展示しました。入り口から最初に入っていくときは、正面からだと二次元的に見えるようになっているんだけど、そこから中に入っていくことができるというもの。とにかく絵の中に入ってみたいという単純な動機でやってみました。
ここまでの作品は自分のテーマがあって、ドローイングのラインはモノで置き換えると何になるんだろう?と。最初は置くモノを自分で作っていました。なのでちょっと『固い』といわれて。」
「それが原因で、4年生の『現代美術コース』での課題では全部 100円ショップの小さな物を使って、設計図のない状態でいきなり作ることを要求されました。置かれている物どうしの関係性とか、そこでしか生まれないおもしろさに、感覚として気づくことができた。」
「たとえば、ちょっとこれは洗濯ハンガーみたいなものなんですけど、」
―ハンガー?
「そうなんですけど、それがそう見えなくなる瞬間が面白い。『どうしたら作品になるんだろう?』『作品って何だろう?』『人が見て、かっこいいってなったらいいなぁ』とか考えながら、そういうところを探していろいろ遊ぶ…その時遊ぶ余裕は、まったくなかったんですけど。」
「最初は平面で描いたものを 3次元にしていたけれど、それは何も描かない状態から作っていった、初めての体験でした。」
「でも、まだうまく消化できないままで。そんななか、2016 年の夏に石橋財団国際交流油画奨学生として 2 か月間アメリカのいろんな州に行かせていただきました。そのことを報告展示する課題が先週あって、作品を作りました。こんな感じです。」
「正面には向こうで撮ってきた山や川などの映像を映してます。」
―自然の映像ですね?
「そうですね、それを映して。両側の壁にはミラーフィルムを張ってあるので、正面の映像がミラーフィルムに反射して、色や形が強く変わる演出をしました。」
―正面の映像だけでなく、ライトなどいろんな光るものが置いてあります。
「他にも、ラスベガスで拾ってきたエッチなカードとか、黒人向けの化粧道具で、ビビッドでどぎつい紫色とか…そんなテンションがすごく好き。それを並べて置いてみたり、組み合わせてみたりして『かっこいい』『おもしろい』と感じたところを探しだし、空間を仕上げていきました。」
―おもしろい。
「ふふふ(笑)。『何か強い色があったら、その隣に負けないくらい強い色を立ててみよう!』みたいな空気がアメリカにはあって。そんな、自分にとって面白いなって思うことを伝えたくて、映像をフォーカスして撮ってみたり。また監視カメラも作品空間のなかに 1箇所あって、自分が動くと同時に、床にもその映像が投影される仕組みになっています。」
―そこに入ると部屋全体が動いているような感覚でしょうし、両サイドのミラーフィルムに映り込んでいるものは、ゆがんでしまって原型をとどめていない様子ですね。
「そうなんです、なのでちょっと自分の感覚が破壊されていくような感じになって。何が本当で何が嘘かちょっとわかんないような。
元の形が何だったのかわからなくなる状態っていうのが、自分の一番の表現。最初に部屋に入ったときに、両壁に映像が投影されているなってことよりも、「あれ?なんか動いてる!」っていう不思議さとか、奇妙さとか、モノがモノでなくなる瞬間が一番気持ちいいかなって。
今はそこを目指して、そのプロセスをより深く体験できるものを探して、いろいろモノを探って考えている状態なんです。」
―『現代美術コース』の課題では、それまで 2 次元のドローイングから 3 次元に起こしていたものから、ダイレクトに 3 次元で表していく方法へと、いわば制作過程が真逆になりましたね。
「その方が理由がいらないし、自分の欲求に対してどこまでも感覚的になれるというか。最初にドローイングを描いて、それを立体に起こすってなると当たり前のことなんですけど、最初の計画に自分が縛られてしまい、そこで新しい出会いがない。なんか出来上がった後に自分で予定どおりに作ったけど、それで?っていう状態がすごくあって。」
「それに光などは絵の中では作れなくって。動きとか、光が当たってできる影なんかは、絵で描くと逆にうそくさくなってしまう。けど、自分が三次元で入っていって体感できると初めて美しく思える。そこに意識が向いたのは小林正人教授の課題があったから。そこからは考えない方法を考えている感じ。」
◆卒展に向けて
「今は次の展示に向けてモノを違う状態にできて、人に見せる・見てもらいたいっていうのを考えて探っている状態。かっこいい状態を考えながら、触って、様子見て、っていう感じです。」
―作品を現場で作り上げる星野さんにとっては、時間も重要なポイントになります。
「東京都美術館での展示時間が五時間と限られているので、その時しかできないものにどれだけ取り組めるかっていうのが課題。何を削って何を残すかについて、その場所での制約を含めて、どれだけ自分のパフォーマンスができるか。材料を集めつつ、かっこいいものの組み合わせを探しています。特に東京都美術館の中では暗室が作れない。明るい中で映像をどう映すか、どう伝えるか。そこは初めに計画しないといけないので、今はやることを整理しています。」
◆星野さんご自身のこと
―小中高生はどんな学生でしたか?
「小さいころは絵を描けばほめられるのが嬉しくて描いていました。私って才能があるんだと。でも絵画コンクールには一度も引っかかったことはなかったけど(笑)。
中学時代、地元は結構ヤンキーばかりで(笑)そういう雰囲気の学生時代。卒業の時に何か自分だけのものがほしいと思って。
高校の合格発表の日にもらった予備校のパンフレットを見て『藝大ってかっこいいじゃん』と。ほんとにそれだけ。『私は周りとは違う何かがあるはず!』と。きっかけは人に認められたい、一番になりたい、自分だけの何かが欲しい、って思ったこと。」
―気持ちいいくらいきっぱり。
「やー、ウソついても仕方がないなっていう。教授には最初、アート論を勉強しなさいと言われましたが、でも本を読んでも要約はわかるんだけど、その先に進めない本がたくさんある。どうも作品作りにおいてコンセプチュアルな表現がしっくりこない。教授に相談すると、もういいからそのまま行けと。自分が作品を作るための社会的な意味やコンセプトを考えすぎずに今の勢いで突っ走れと。」
「世の中に対して、より自分の刺激を求めている。」
―熱いですね。
「ネガティブかもしれないけど、自分のコンプレックスがあるから作品で認められたい、見て欲しい。美術より他に好きなことがたくさんあるし、そっちも全然楽しい。でも講評近くなったらやらなくちゃ!となって、やればすぐ作品作りがスタートできる。」
―そのスイッチがあります?
「もっと早くやればいいのですが。時間がないとちょっとでもよい方の選択を、パッとするしかない。そんな風に作った方が評価がいいんです。永遠に時間があると思い込んでいる自分は優柔不断。切羽詰まったら、より感覚的になれるし失敗しても堂々とやるしかない。一瞬一瞬の方が楽しい。やるしかない。」
―いさぎよさもありますね。
「迷ってるとかっこ悪いから、間違っていても 100 パーセント正しいって顔をしようと。勢いやパワーもあるし楽しい。教授には、その楽しいことから言いたいことのコンセプトを言葉にできるように、もっと自分らしさの整理をするように言われています。」
「とにかく手を動かして、自分がよいと思ったものを出会わせて。そこから出てくるものしか信じられないかな。」
雪の寒い日だったことを忘れるくらいの熱く面白い本音トークで進んだインタビューでした。見る人を楽しませたいという作品たちが示すように、人を惹きつける魅力もある星野さん。一つ一つの課題やイベントを経験するごとに、どんどん新たな感性が生まれていくような星野さんの視点。卒展ではどんな作品が作り出されるのでしょうか。
またアートプロジェクトにも興味があり、企画しながらいろんな人の体験も広げていきたいという野心も語ってくれました。彼女の今後の活動も、どう展開していくの目が離せません。
東京都美術館での卒展、その直前に行われる藝大での展示にも是非足を運んで体感してみてくださいね。
執筆:大川よしえ(アート・コミュニケータ「とびラー」)
2017.01.14
11月末の晴れた日の午後、絵画棟の1Fで楊さんと待ち合わせ。エレベーターの扉が開いて出てきたのは長身でスラッとした優しそうな青年でした。黒の革ジャンに黒のパンツ、長髪を後ろで束ねたスタイルはミュージシャンのようでもあります。「お待たせしました」と静かに言葉をかけてくれて7Fのアトリエへ案内してくれました。アトリエへ入って行って、最初に目に付いたのは壁に掛かった大きな布です。どうやら、これが卒展に出す作品になるようです。物静かでソフトな感じの中にもどこか強い芯を秘めているようなこの青年が作る作品とは、一体どんなものなのでしょうか。
まずはポートフォリオを見せてもらい、今までに制作した作品の説明をしてくれました。
◆これは、旧豊島区の区役所が解体する前に「さよならパーティ」を行うことになって、19人の同世代の人々と一緒に展示をしようということになり、壁に文字を彫った作品を作ったんです。
◇アートギャラリーではなく、市役所で?
◆はい、そういう機会でした。これは「You are Wonderful」 という文字の「You are」をもう一回繰り返して上に掘ったんです。元ネタはデビッド・ボウイの歌詞なんです。1月に亡くなられたので、2月の展示で作成しました。現場の手伝いのようなアルバイトをしていた時にこのビルが解体されることを聞いて、業者の方々が建物に入る時にこれを見られたらいいなと思って掘って残しました。いい機会でした。
◆これは、3年生の時に学年全体の総まとめの展示を3331でやったんですが、その時の作品の写真です。こういう作品をアトリエで作ってるんですが、これに相当する今年の作品がこちらに貼ってあります。これはボール紙を潰して実験的に作り、今年の芸祭に出しました。手を動かすのが好きで、こう言う素材を見つけては何かやってみようという試みを続けています。こういう作品についての説明を何かと求められるんですけど…、まあ、苦手だなあ、と。それはこれからの課題かなと思ってはいるんです。
◆次にこの作品。僕、中国人なんです。芸大には留学生としているんですが、日本には小学生の頃からずっと住んでいます。中国語の名前をヤン・ボー(YANG BOO/楊博)といいます。これマイクロバスのガラスだと思うんですが、友達が拾ってきたものです。そいつがなんか作ろうとしたらしいんですけど思いつかなかったので「あげる」と。それをもらって、じゃあ僕のものになったから僕の名前を書くわって言って、ヤンボーって描いて、ガラスは透けているし表と裏があるから裏にも描いて。あれは手で描いたんです。その、自分の名前を自分の手で描きました。
◇なぜ手で描いたのですか?
◆この作品は、先程の文字を壁に彫った作品の後に作ったものなんですね。壁にも筆で描くことができたのですが、でも彫ったことで強烈な印象の作品になりました。見てくれた方々からも「彫ったことと文字の意味が別々にあって、彫ったことの方がむしろ先に見えてきて、それが作品になっている」という感想をいただきました。引用している言葉の文字(しかもデビット・ボウイの歌詞という強いもの)を彫ったことによって自分の作品になったということです。それと同じように、ガラスに手で描くことで意味が出てくる。文字にはその意味があって歴史があると思うんですけれど、モチーフを選んでそれを打ち出していくっていうよりは、それを打ち消していくみたいな感じです。
◆これはピエールパオロパゾリーニ・・・というイタリアの映画監督の名前なんです。イニシャルがPPPで、アンケートみたいだなって思って「お好きなPはどれですか」というようなイメージです。意味とか背景が記号みたいなものとして言葉があったとしたら、その成り立ちを無視してその言葉だけで存在した時の「どこにもいかない感じ」「それでしかない感じ」というのが、結構いいなと思ってます。
「それでしかない感じ」は、存在しているだけになるんですけども、でも存在しているだけっていうことを許されないわけにはいかない。ある言葉や、人でもいいんですけど、その意味とか背景等には良いものもあれば悪いものもあるじゃないですか。例えば、悪い方の背景を持っちゃったものが、じゃあ、存在しちゃいけないのかって話をした時に、その存在をすごく許容したい。どんな存在も応援していきたいんです。
作品作ってメッセージは何かと聞かれた時に一つ人に言えることがあるとしたら「いろいろあるけど、頑張って生きていこう」ってことかな。
だけど、なんでもいいという訳にはいかないと思っています。自分の制作の部分でどういった質を出せるかですね。
例えば「知らないものは存在しないのか」みたいな話をした時に、でも絶対に存在している。知らないだけで、知らなくても存在している。という存在。でも、それを、逆側からいうと否定してほしくないという、それは自分の感情に近いのかもしれない。正を掲げるというより、負を掲げる。例えば、自己紹介するときに「わたしの名前は何」というのでなくて、わたしの名前は「こうでもない、こうでもない、こうでもない」というのを60億回以上続けるというようなものです。
美大生が絵を描き始めるきっかけみたいなのって、気づいたらなんかやってたという人と、憧れでやった人がいると思うんですけど、僕は圧倒的に憧れでやってて、憧れでしかやってないかもしれません。その対象は自分の好きなもの、それこそデビッド・ボウイだったり。例えば、自分が誰かに憧れているという構図を俯瞰した時に、自分の名前を描いて自分を登場させることで、なんかこう自分をちょっとバカにする。「あ、あいつ、デビッド・ボウイ死んだからってボウイの歌詞使って作品作ってんぞ」ていうのを、自分で俯瞰してその構図をバカにするんです。憧れという感情は、愛の一種だと思ってます。自分が誰かに憧れている時に、自分とは違うから「この人に絶対なれない」っていう絶望の気持ちが同時にあると思うんです。その二つを合わせたものが作品に出せたらいいなと思います。その両方がないと、さっき言ったように存在ってものにならないと思っています。
そして、作品は出来上がったら自分から離れていくと思っています。単純に作品の方が長生きの可能性が高いじゃないですか。「作品は自分の子供だ」みたいなことをいう人がいるんですけど、僕もそう思っています。成人するまでが制作期間で、完成したらそいつはそいつでやっていくしかないんです。独り立ちですね。だから僕はそいつにやっていけるだけの教育って言っちゃ変ですけども、その、愛を注ごうと思っています。そいつは、僕が死んでしまったら説明ができなくなるので、その作品の一つ一つの存在をできるだけ強固な、質の高いものにしたいなと思っています。憧れとかそういった感情は、自分が美術をやるきっかけに密に接しているので、これからの作品の全体のテーマとしてずっとあるものだと思っています。
◇卒展ではどんな作品を作るのですか?
◆デビッド・ボウイの話の続きなんですけど、友達からの電話で「なんかボウイ、死んだ」って聞いて「まじか」ってびっくりしたんです。その後彼の音楽をしばらく聞き直している時に、さっきの作品が出てきたんです。すごく簡単に言えば「俺の作品をボウイには二度と見せられないんだ」って思いました、一度も見せたことはないですけどね。それで、亡くなった人のために作品作るよりも、生きてる人に向けて作品を作りたいなと思ったんです。それで今回の作品は、イギーポップという人がモチーフになっているんです。イギーポップに手紙を書こうと思ったんです。
◇手紙で何を伝えるのでしょう?
◆伝える内容は考えている最中です。イギーポップに何かを届けるためのものを作ろうと、計画をし始めたのがこれですね。木枠が入ったら、見え方が違うと思います。枠をつけて、ここをワイヤーで引っ張ります。
◇空間が広いから。ここで描くんですね?
◆はい、ここで描きます。
おっきい作品を作る…(少し考えて)なんだろう。一つめちゃくちゃ好きな作品があって、ジョシュ・スミスという画家のティラノサウルスの絵なんです。ティラノサウルスって全長が13〜15mくらいあるんです。それを、多分等身大で描きたかったんだろうな。等身大が描きたかったというだけで、10m四方のキャンバスを作ってそれに描いたんですよ、それがなんかすごくいいなと思ってます。
客観的に自分がどういう戦略をしているかは、まだはっきりしてるわけではないのですが、「一見、すごいバカ」を大事にしたいんです。「バカな自分を、死ぬほど隠そうとするんだけども、逆にバカ」っていうような作品が、すごくいいなーと思ってるんです。(笑)
楊さんは自分の心に添うような言葉を一つ一つ丁寧に選びながら、作品に込める思いを伝えようと一生懸命に話しをしてくれます。モチーフを通して作品に込める想いにはあらゆるものの「存在」を大切にしたいという楊さんの優しい気持ちを感じました。インタビューは楽しい雰囲気のなか、楊さんの話に引き込まれながら進み、次に美術の世界に入ったきっかけを聞いてみました。
◇美術の世界に入ったきっかけはなんですか?
◆きっかけは「憧れ」が始まりですね。
具体的に誰か、という訳ではなくて「絵描きかっこいい!」と、そんなもんだったと思います。
◇お話を聞いてると、「絵描き」や「ミュージシャン」の存在からも強い影響を受けていらっしゃるように思えるのですが、そういったアーティスト以外で楊さんが刺激をもらったり、憧れを持つ存在っていますか?
◆アーティストに限定しているつもりはないのですが、映画見るの好きだから映画監督をよく知っているぐらいですね。あと、友達がすごいです。何か成し遂げたというのではないのですが、フツーに遊んでいて、「あ、こいつ今いいこと言ったな」とか「あ、こいつ誰よりもバカだな」とか良し悪しはさておき、何か強いところを見せられると「おお〜!」っと思います。それこそ搬入の仕事をしている時に、職人さんが一瞬にしてステージを立てたり壁紙をビーっと貼ったりするのを見て凄いなと思いました。極論ですけど、みんな凄いですよ。生きているだけで凄いなと思ったりします。
◇油画科に入ったきっかけは何ですか?
◆ちっちゃい時に絵画教室に通わされていて、こう、ちょっとだけ得意だったとういうことです。
高校が宮城のちょっとした進学校で、みんなと同じことしたくないなっていうそのくらいの感情だったと思います。なんか「自分は違うぞ」みたいな中二病じゃないんですけど、システム化された受験勉強がちょっと嫌だなとは思ったことがありました。イベント等で絵を描いたら、「オー!」とか賞賛されて、ま、ちょっと得意になってたこともあって、ですね。
◇その段階で普通の大学へ行くより美大・芸大へ行きたいと思われたんですか?
◆普通の大学へ行って何するの?っていうのが思いつかなかった。いや、今でこそわかるんですけど、その当時は「美術」の方がわかりやすかったんです。
◇受験なさったんですよね?
現役の時はデザイン科を受けました。絵が得意で将来はそれでやっていけそうと思ったので、デザイン科で受けたんですけど、試験で大失敗しました。その後それまでの姿勢をすごく反省したんです。「あいつらと違うことをやる」って言いながら、みんなが進学のための勉強をしている時に美術室の裏に転がっていていいのかって。以前「俺は美術やってるから他の人達にとやかく言われることはない」と自分の中でいろいろな言い訳を作っていたんですね。結果としてなんだかんだ堕落していて、それで大失敗した。とにかく言い訳のきっかけを消そうと思ったんです。デザインって課題が固くて守んなきゃいけないルールが多くて、うまくいかなかった時にこれはこんなルールがつまんないからだとか、そういうことをたぶん思ってたんですよね。それで、油絵科だったら良くも悪くも全部自分次第だから。人のせいにできないような状況におきたかったという感じはあります。受かったタイミングが、その直前で「ちょっとわかったところ」でした。そうすると絵も明るく変わってきて良くなったと言われ、その勢いで、すっと入れました。
◇浪人の期間は絵を練習したというよりも、自分の考え方を整理して、心が整ったら結果もついて来たということですか?
◆そうですね。
◇油画は1〜3年の授業で描いてきていますよね?
◆油画っていうのは絵の具の種類のことじゃないですか、これは何かというと僕は絵画と言うんですけど、表現したいこと自体はそんなに変わってはないと思っています。
◇油画と言っても材料に固定するのではなくて、絵画という考え方ですか?
そうですね、油絵、まあ、でも今もう何でもやっちゃうじゃないですか。油画科。入ってからしばらくして思うのは、最終的に作品になった時の良し悪しとかっていうのは何を使って制作したかというのは全然関係ないと思うんです。素材は、慣れて扱えなきゃいけないということが前提なんですけど。
◇今年で大学を卒業されるんですよね。
◆そうですね。一応大学院受けようとしています。将来的には、もっといろいろなところへ行きたいと考えています。一つの場所に固執するような感じではなく、その時に何に出会うかということでしょうか。
来年2年間、この科に入れたらここを拠点として自分でいっぱい動いていきたいです。
◇将来目指すことは?
◆制作が出来る状況をとにかく保ち続けていきたいと思っています。コラボレーションの機会はちょいちょいあるんです。パフォーマンスをやってる人の作品の中で、ライブペインティング役をやるとか、ライブハウスでも展示したことが一回ありました。友達は「一緒にやってみよう系」で、すごく楽しいです。
◇話は変わりますが、楊さんって、バンドや音楽をやったりしますか?
◆やってないです。やってそうってすごく聞かれるんですけど、、いっぱい聞かれるから意識して「やってそう感」出してるんです(笑)。憧れるならやっちゃえよ、っていう話だと思うんですけど。やらない原因としては、やり始めたら今の気持ちが変わることがちょっと怖い気がすることと、単純にきっかけがなかったということもあります。まあ、なんかそのうちやる気はします。やらなきゃという気になる時が、出てくるかもしれないですね。
◇大学4年間、簡単に振り返ってどんな4年間でしたか?
◆そうですね、全部の期間がそうなんですけど、環境が変わって新しい経験ができて良かったと思います。そして藝大だから作品に集中してできたっていう、それだけでもけっこう大事だったなって思ってます。それから、将来のことも考えたし、いろいろなバイトをしたことにより、人にどう接したらいいのかっていう簡単で常識的なことがすごく勉強になりました。
◇どんなバイトをしていたんですか?
◆浪人の時は最初はコンビニから初めて、CDショップ、喫茶店、その後派遣の搬入系のバイトをやりました。今は予備校で講師もやっています。
まあ、普通に生きていくにあたって「自分だけじゃあどうにもならない」っていうことをすごく思いました。これだけはいいなと思うのは、憧れて始めてるから、フツーに好きなんですよ。だから、勉強も勉強という感じはしなくて、好きな人の画集をめっちゃ見るとか、それだけで楽しかったり、楽しいと同時に勉強になったり、それがいいかなーと思ったりしてます。
◇好きなことを続けて、それが仕事にもなるといいですね。
◆なったら、結構いいですね。目指したいですね。
◇宮城県から上野に来てどう感じました?
◆最初、立川だったんですよ。宮城から立川へ行きました。最初は生活のいろいろ、お金の支払いとかそういうところで面倒くさかったです。慣れてくれば、けっこう適応力がある方だと思っているので大丈夫なんですが。地元の食べ物が時々恋しくなります。そのくらいかな。たまに帰省すると嬉しいですね。
これほんと、絶対嘘って言われるんですけど、餃子が一番好きなんです。水餃子。
今年9月に一回中国へ帰ったんですけど、おばあちゃんの作る餃子がすごい美味かったです。
向こうで餃子は、家族が集まった時にみんなで作ります。小麦粉から練って皮から作るのでその日はほんと1日餃子の日っていう感じです。だから、向こうでもちょっと当別な感じはありますね。家族団らんの場っていう感じです。
高校時代から大学時代、自分の気持ちをきちんと掴んで内省しながら誠実に着々と人生を歩んでいるなあと感じます。『「中国人だから餃子好き」っていうとみんなが”嘘”っていうんですよ!』と明るく笑う楊さんの友人もきっと素敵な人たちでしょう。暖かな日差しの中で、楊さんの優しい気質が垣間見えるお話を伺っていると、心もポカポカと暖かくなっていき自然と笑みがこぼれます。
次にアトリエについて伺ってみました。
◇こちらは何人の方で作業してるんですか?
◆ここは、3人で使っています。
いや、ほんとに、「もう、お前ら、とにかくそこから、出てくるな」って言われてます。
◇3人同時で作業をしますか?それとも入れ替わり?
◆計画はしたことないですけど、そこはお互いの感情を見て作業する感じです。でも、作るっていうより物が多いっていうのが特徴ですね。こいつ(隣のスペースの学生)は夏前にこの布くらいでっかい棚を作って、それが真ん中にドンってあって「ど、ど、どうしてくれんの?」みたいな感じでした。今はバラして、なんか別のものを作ってますね。
アトリエはコースに分かれているんですが、うちのコースに、ちょっと物が多い人がいるんですね。向こうのアトリエとか行くと、カヤバ珈琲(藝大近くのカフェ)みたいに洗練された空間があって、座布団で珈琲飲むそんな感じだったりするのに、その隣にこの部屋があって、その、ちょっと申し訳ないです(笑)。
◇週5くらいでここにいらっしゃる?
◆今は週4くらいですね。ま、バイトの都合次第です。
◇文化祭の前日みたいですね。
◆まあ、なんかここの人たちは自分が散らかすって知っているから、人にも言えないのでお互いの空気を見ています。自分が多分、カヤバ珈琲のところとかに行ったら耐えられないかもしれません。ダメなところが似ると仲良くなるって、そう思います。
◇人に対して優しいですね、皆さん。
◆あ、なんか嬉しいですね。
どんな話を聞いても心優しいなと感じる楊さん、アトリエの仲間もなぜか同じようなメンバーが集まったようです。お互いの空気を読みながら、作りたい作品へ情熱を傾けている3人の仲間の様子が目に浮かぶよう。散らかった部屋というのは、彼らの頭の中に詰まっているたくさんのアイデアと同じ状態なのでしょう。部屋に散る様々な物たちは彼らにとって表現するために必要で大切な宝物に違いないのだと思えてきました。
◇最後に卒展に来られる方へ向けてのメッセージをお願いします。
◆卒制は学年全員の展示なので、全員の作品を見て欲しいです。
なんだかんだ気張った作品作っても「卒業」っていう言葉のなんか切なさが絶対あると思うんですよね。よろしくしてやってください。
◇楽しみです。ありがとうございました。
執筆:上田紗智子(アート・コミュニケータ「とびラー」)
2017.01.11
専攻は「美術教育」としながらも、アトリエにはたくさんの油絵が。今回お話を聞かせてくださった橋本大輔さんには、なんだかたくさんの秘密がありそうです。一体、どんな作品を描いているのでしょうか。
東京から電車で1時間弱、JRの駅からバスに揺られて15分。視界のひらけたおだやかな緑地に、東京藝術大学取手キャンパスは位置しています。寒さも厳しくなってきた2016年12月、卒展に向けて橋本さんのお話を聞くためにアトリエを訪れました。
■描いているのは、どんな絵?
-大きな絵! なんだか廃墟みたいですね。どこかに実在のモチーフがあるのでしょうか?
これは岩手県で、私のおじいちゃんの家の近くにある場所なんです。絵のモチーフには「空間」や「奥行き」のあるところに光が当たっている場面を選ぶことが多いのですが、特に廃墟だと屋根が破れて自然の光が差し込んでいるのが好きです。
-右手にパソコンやモニターが見えるのですが、デジタル技術とかも組み合わせているのですか?
そうですね。デジタルな写真技術を油絵に取り入れています。パソコンは画像の解析に使ったり、描くときにモチーフの詳細を見たりするのに使っています。
-写真をもとに絵を描いていらっしゃるんですね。絵の方が、奥行きがあるような気がします。
それは、絵だと「積層」ができるからです。油絵の具には透明度があるので、重ねて塗ることで実際に光があたっているような表現ができます。でもデジタルな写真はそうではなく、すごく平面的な入れ子構図でできていますよね。そこに、あえて人間の認識を通して描きなおすことで、絵画として再び空間性を与えるということを行なっています。
-もとの写真は加工したりするのでしょうか?
いえ、ほとんどしていません。でも、奥行きをつけるために、絵を描くときに自分でコントラストをつけたりしますね。自分では、人間の認識を出力する機械みたいだな、と思っています。
-機械、ですか?
なんだか、絵を描いているのではなくて、パズルの組み立てのように絵の具を支持体に塗りつけているだけなのではないか、とつい思いますね。「いま、自分は絵を描いているのだろうか?」と考えながらいつも作業しています。でも、この思考の動きに興味があって、研究論文も自分の技法について書きました。「美術教育」といっても、私は学校教育ではなくて認知科学や表現技法の研究を専門にしています。
-理論と実践を同時に行なっているんですね。なんとなく「美術教育」のイメージがつかめてきました。
ええ、でも実際描くときは単純に「空間楽しいな」と思いながら描いています(笑)。例えば砂つぶひとつでも、絵画として空間を与えれば、表面をずっとなぞっていくことができます。面がいっぱいあるものをモチーフに選べば、自分が蟻になったつもりで、その表面をずっと辿っていける。そういった意味では、自分の絵には「地図」みたいな意味合いがあるなあ、と思いますね。
-描いているときは小さい生物になった気分で楽しめるんですね。
-こうして絵画の細かいところに着目すると、すごく面白いですね。
でも、作品全体として成り立つように心がけています。近くで見るというよりは、少し遠くから見て欲しいです。
-なるほど。そのほかには、見て欲しいところはありますか?
時間性に着目してほしいです。止まっている写真と、動いている光の間にある「ずれ」を画面に定着させることが重要だと感じていて。写真と絵の、時間性の違いを技法として表していけたら、と思っています。
-実際に展示室で見るのが楽しみです。
■橋本さんと絵のカンケイ
-これまでの作品は、どんな感じだったのでしょうか?
だいたい似たような感じで、廃墟や光をテーマにしています。これが作品リストです。
-似ているのもあるけれど、こうして見ると雰囲気が違うものもありますね。
確かに、最初はネオン街などを描くことが多かったです。でも、人を描くのが嫌になってしまって、モチーフを廃墟にするようになりました。色もいらないやって思って、この頃は絵もモノクロですね。
-でもそこからまた、だんだん色が戻ってきていますね!本作では植物など、有機物もまた登場していますが、なにか変化があったんですか?
うーん、なにかあったのかなあ。自分のなかでは、変化していたら描き続けられてないんじゃないか、という思いがあります。でも、やっぱりこうして並べてみると絵には変化があるので、自分の変化を感じるために絵を描いている、という面もあるのかもしれないです。
-確かに、アウトプットがあって初めてわかることもありますよね。今描いているこの絵はもう完成に近いのでしょうか?
いまはまだ上層描きの段階なので、これからまた少し色味を足していきます。「早くやらなくては」という焦りもあるのですが、でもこの焦りって自分にしか存在しないものですよね。他の人からしたら全然理解できないものだと思うんですけれど、その状態がすごく面白いです。
-焦りも楽しめるなんて、すごい! 絵画の制作って、作業に終わりがないようにも思えるのですが、橋本さんにとっての「完成」はどんなときでしょうか?
私の場合は、元のデジタル写真に近づけることが完成なのだろうか、と思いながらやっています。あの画像にある、色空間の位置を全部把握して、ぴたぴた絵の具を置いていけばそれで終わりってわけでもなくて。だから、どこで止めるかまで含めてデザインですね。それが楽しいです。
-だいたい1日何時間くらい描かれているのですか?
朝8時から、夜の10時、11時とかまでですね。歯磨きと同じで、しないと不安というか。卒業したあとは非常勤講師などをしながら制作を続ける予定なのですが、今のようにたくさん時間がとれるわけでもないし、だから今は絵を描いている時間がすごく嬉しいです。
-ありがとうございました。
語り口は訥々としていながらも、会話の切れ端から絵に対する「楽しい」、「好き」という気持ちが強く伝わってきました。
卒展では大学美術館・地下に展示される予定の橋本さんの作品。彼の思いや絵に込められた「時間性」に思いを馳せながら、ぜひじっくりと鑑賞してください。
執筆:田嶋嶺子(アート・コミュニケータ「とびラー」)