2017.11.26
■触覚が最も敏感で原初的、本質的な感覚である
すっきりとした清潔さを纏った彼女の、しなやかな右手の中指の爪のまわりに岩絵具が染みこんでいる。
中村美香子さんは学部時代(
たとえば、第50回神奈川県美術展奨励賞を受賞した作品「つらなり」(2014年)は、座った男のむき出しの背中が大きく描かれた作品だ。左にかしいだ首に向かって背骨が曲がって通り、肩甲骨あたりの筋肉が大きく盛り上がっている。皮膚には動脈や静脈を思わせるラインが有機的に這っている。いや、よく見ると骨さえも透けて浮かび上がっているようだ。
「つらなり」を起点にして生まれてきたように見える学部の卒業制作「背/胎」(2016年)も圧巻。ふくよかさと生命の源を表現するような女性の前からの姿が1枚。そして、大きな背中にうな垂れ隠れてしまったのか、頭部の見えない男性の後ろ姿の1枚。いずれも骨格が見えるように描かれている。中村さん自らの解説にこうある。
「女性の身体に対して自らがもつ実感と、他者(男性)の身体の、触覚的な印象を視覚化することを目指した」
【「背/胎」300cm×90cm 2枚(2016年 )】
中村さんにとって、特に重要なのは「触覚に訴えるような実感の抽出」であるという。触覚が最も敏感で原初的、本質的な感覚であるという思いがあるというのだ。
「たとえば、人と手をつなぐという行為は相当親密でないとできないですよね。そこにすごく根源的なものがあるような気がするんです。うまく言えないのですが、『触る』ということは一番直接的な表現だし、コミュニケーションですよね。そこに強い関心があります」
日本画を描くということは、岩絵具(天然鉱物などを砕いてつくる顔料)に直接触れる行為を伴う。
「日本画の制作をはじめると、否が応でも岩絵具の粒子の粗さに気づかされます。岩絵具は自分の手で溶いていくので、そのざらざらした感触と常に向き合っている感覚があります」
顔料と牛皮からなる膠をその指で混ぜ合わせ、一体化させることから絵画の制作が始まる。彼女の中指の皮膚に染みついた岩絵具は、その証しなのだ。日本画を描く人たちは、指先で岩絵具の感触を得て質感を感じとっているともいえる。
「指先自体がセンサーになっていて、その状態を自分が感じて。そこから日常生活に視点を移したときに、『触る』って生々しい感覚だなって思い返したりします」
視覚や聴覚、嗅覚も同じように根源的なものなのだろうが、そこには空間が存在していて直接的ではない。味覚は舌に触れることで成立するが、その前にどうしても触覚がある。中村さんにとって直接的でプライマリーな感覚は、触覚なのだ。
彼女は岩絵具を使う日本画に「視覚的に触覚を感じることができる」可能性を見出し、支持体となる素材の質感・特性にも注目しながら、鑑賞者に触覚的に訴えかける絵画表現を模索してきたという。
■日本画という存在そのものを学ぶために
が、しかし中村さんは現在、大学院で文化財保存学専攻・保存修復日本画研究室に所属している。
「それは日本画の技法と材料の研究がしたかったからです。もう少し抽象的な言い方をすれば、日本画という存在そのものを知りたいという思いからこの専攻を選びました。『なんで日本画っていうのだろう』『油絵や水彩画というものがあるなかで、なんでこれだけは“日本”という名がつくのだろう』という疑問がまずあって、よく考えたら材料についても技法についても、また古い作品についても、自分はよく知らないということに気づいたんです」
修士2年間を通して、絵具の剥落や色の経年変化、傷までもありのままに描く「現状模写」というやり方で取り組んできた。
「模写に当たっては、原本に関する文献を読み、原本や画像資料を丹念に観察します。模写のために原本を間近で観察できる機会が設けられるので、マスクをして原本に向かいます。このとき、色合わせカードを作り、それを元に彩色を進めていきます。そうしたプロセスの中で美術史の知識を深め、経年劣化による損傷がどのように現れるのかといったことを理解していきます」
中村さんは現在、修了制作として2点目の模写に向き合っている。『羅漢図』二幅のうち「第十三因掲陀尊者(だいじゅうさんいんがだそんじゃ)」という仏画である。南宋時代の中国で描かれ、日本に伝来した。室町時代に制作された、この作品の模写があることから、中国の信仰や絵画が日本に影響を与えたことを示す一例とされているそうだ。本来なら十六幅あったとされているが、藝大美術館に残されているのは二幅のみ。その一つがこの「第十三因掲陀尊者」である。
「絹に描かれた仏画を模写することで、絹に描くという日本画のスタンダードな技法の一つをきちんと知りたいと思ったところが、まずあります。その上で作品を決めるにあたって画集を調べていくうちに、この仏画に一目惚れしてしまいました(笑)。
古さをあまり感じなくて、描かれているものに難しさを感じなかったんです。人が座っていて、何やら手前で鹿が花を捧げていて、なんだか物語があるような。そして後ろには女性がいて、きれいな蓮の花が咲いているというわかりやすさもあって、この作品を選びました。
それから、岩絵具だけでなく、背景や鹿の部分はどうやら薄くほぼ墨だけを用いて描かれていることを知って、対極的な技法が調和していることにものすごく魅力を感じました。作者が何を思ってそう描いたのか、自分で描くことで追体験したいと思いました」
絹に描かれた原本を写し取っていくには『上げ写し』という原本の実物大コピーの上に薄い和紙を重ね、その紙を巻き上げたり下ろしたりしながら、目に留まる残像を利用して原画を正確に描き写してゆく方法が取られる。それを元に絹に墨で線を写していく『絹上げ』、そして『彩色』に移っていきます」
すでに10日間ほどの「臨写」(ガラスケースに入った本物の隣で制作する)という工程が終わり、最後の仕上げに入っているそうだ。この作品はもともと掛け軸になっているものなので、原本と同様に掛け軸に仕立てていくことになる。
こうしてお話を伺ってくると、模写というものが、単に目の前の絵画をコピーするような行為ではないことが分かる。背景を探り、作者の精神性に迫ろうとし、物理的な特性を見極め、後世にその作品の丸ごとを引き継いでいくような総合的な取り組みなのだ、きっと。
■自分のすべてを注ぎ込みたくなる保存修理という仕事
ところで、日本画の作家として、もう一度自分の作品づくりに立ち戻ることはないのだろうか。
「今は模写と修理に、自分のすべての時間をかけないと学びきれないという思いが強いです。それだけ打ち込まないと自分のものにできないくらい大変なものだという実感があるので、集中して取り組みたいと思っています」
決して絵を描くことを嫌いになったわけではないという。しかし、自分が生涯に亘ってする仕事として改めて考えたときに、古い作品に寄り添って美術のすばらしさを次の世代に届ける手助けをしたいと考えるようになったのだそうだ。
「修理技術そのもののすごさに感銘を受けたことも大きいです。しわしわの作品も水を与えるときれいに伸びて、さらにそれを糊と紙という素朴で単純な材料で裏打ちするとしわしわだったことが信じられないくらいきれいになります。単純な工程のなせる技のすごさに感銘を受けました。自分もこれがきちんとできたらどんなにいいだろうと思ったんですよね。
作品制作をしていた時も、誰かに自分の感覚を共感してもらいたいという思いがそもそもありました。自分が見て感動したある絵を、他の誰かが見て、感動してくれたら嬉しい。それだけではなく、誰かが素晴らしいと思った絵を、後世にまで残していく。そんな手助けができる仕事に大きな魅力とやりがいを感じているので、今は修理の道を進んでいきたいと思っています」
・・・
中村さんがまだ中学生だったとき。美術の授業で「この(教科書の)中で一番好きな絵を発表してください」という課題があったという。そのとき彼女は、田中一村の日本画「アダンの木」を選んだ。
画壇と決別し奄美大島に独り移り住み、69歳で没するまで絵を描くこと以外は頓着せず、ひたすら描いていたという一村。彼の画風というよりは、一つのことへの探究心のあり方が、「保存修復という世界のスタートラインに立ったばかり」だと話す中村さんの姿勢にどこか通ずるものがあるような気がした。
取材:アート・コミュニケータ「とびラー」
執筆:髙山伸夫
インタビュー:園田俊二、上田 さち子、ふかやのりこ、髙山伸夫
撮影:峰岸優香(とびらプロジェクト アシスタント)
第66回東京藝術大学 卒業・修了作品展
2018年1月28日(日)- 2月3日(土) ※会期中無休
9:30 – 17:30(入場は 17:00 まで)/ 最終日 9:30 – 12:30(入場は 12:00 まで)
会場:東京都美術館/東京藝術大学美術館/大学構内各所
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