東京都美術館× 東京藝術大学 「とびらプロジェクト」

活動紹介

「藝大で自然科学って、どういうことですか?」藝大生インタビュー2022|文化財保存学専攻 修士2年・寺島 海さん

2023.01.25

 

まず、どんな研究をしているのか教えてください。

「スマルト」という青色ガラス顔料を専門に研究しています。これはコバルトを含むカリウムガラスの粉末で、合成顔料として15〜19世紀にアジア・ヨーロッパで使われていました。ウルトラマリンやアズライトなどの天然顔料に比べ安価で手に入りやすいことから、16世紀頃からはヨーロッパで主に油彩画顔料として使われるようになり、日本にも輸入されます。油彩画で使うと乾性油と化学反応を起こし、短期間で茶色く変色してしまうことが知られています。また、ガラス顔料なので透過性が高く下地が透けてしまうので、仕上げに使うには適さないという特徴もあります。これらの理由に加えて、18世紀にプルシアンブルーが発明されるなどより良質な顔料が登場したことで次第に使われなくなりました。

 

一方、ガラスを細かく砕いて作るので、光に反射してキラキラと輝く特徴も持っています。日本画においては水面の描写に使われている事例も見つかっていますが、これも輝きや立体感を表現するための技法として使われていたと言い切れるほどに事例の研究が進んでいるわけではありません。日本におけるスマルトの使用や流通に関する先行研究はほとんどないため、この顔料がどのように使われたのか、今後さらに調査を積み重ねていきたいと考えています。

 

たくさんのスマルト(全部違う種類!)

 

作品の色材を調査することで、なにが分かるのでしょうか?

ある作品に使用されている色材を特定することで、その作品の劣化状況やそれに応じた修復方針、今後の適切な保存方法を考えることができます。また、スマルトのように経年で褪色や変色が生ずる色材が使用されている場合は「制作当初はいま見えている色ではなかった」という可能性を示すことができます。さらに、作品中の色材が限られた時期に使用されたことが分かっている場合は、作品の制作年代を絞り込むこともできます。

 

色材分析のために作品の一部を採取して分析すればより精度の高い情報が得られますが、私が行っている調査は「非破壊・非接触」の調査法です。具体的には光を使った分析手法で、現在国立西洋美術館で展示されている《悲しみの聖母》の色材分析を行った際には、蛍光X線分析と顕微ラマン分光分析という2種類の分光分析法を中心に実施しました。また、修士研究では主に蛍光X線分析と反射分光分析を使用しました。

 

この「非破壊・非接触」の分析方法は試料採取をしないので、精度の高い分析結果を得ることは難しいのですが、大切な作品を非破壊で分析できることに意味があると考えています。現在の技術で分からないことは無理に知ろうとせず、将来の技術に委ねるというのが、私たちの基本的なスタンスでもあります。

 

謎の計測機器(実は携帯型の蛍光X線分析装置)

 

作品の制作者や美学・美術史の研究者などが集まる藝大という環境は、寺島さんの研究にどのような影響を与えていますか?

顔料の分析を進めていくにあたっては、日本画や美術史など各分野の専門家にご相談できることがとても重要です。実験に必要な模擬試料作りでも、保存修復日本画研究室の同級生に手伝ってもらいました。今の研究室にも制作出身や考古学出身などいろいろな専門分野の経験者がいて、分からないことをすぐに聞ける環境が整っているのがありがたいですね。作品制作の経験者には実験用の治具(補助工具)作りのアドバイスをもらったりします。

 

実験に使う模擬試料

 

修論ではスマルトの組成分析をメインに行なっています。ガラスは人工物なので、時代と場所で原料や製造方法が異なるのですが、組成分析をすることで原料の製造地や輸入経路の推測ができる可能性があると考えています。そうすると、例えば江戸時代の輸入記録や顔料の製造レシピなど、文献調査を進める必要性も感じていて・・・今回は顔料の分析調査を中心に行っていますが、さらに研究を深めるためには自然科学だけではなく、人文科学の側面からのアプローチも必要になってきます。そう考えるとやはり、藝大という環境だからこそできた色々な人との出会いや関係性が、私にとってとても重要な財産になったと感じています。

 

実験室の一隅でお話を伺う

 

美術的な関心と自然科学的な関心は、寺島さんの中でどのように結びついたのでしょう?

もともと、子供の頃から近くに美術館や博物館がある環境で育っていて、遊び場のような感覚でいたんです。その頃から、なにかを明らかにしたり発見したりすることが好きで、はじめは動物の研究をしたいと思っていました。骨からその生態を明らかにするような。大学では一般大学の理学部で化学を専攻して、自然科学のベースとなる化学の知識や経験を身につけました。今の研究室に入ったのは、大学3年生の時に文化財科学に関わったのが直接的なきっかけです。ずっと好きだった自然科学と芸術のどちらも扱えるなんて、「私のためにある学問じゃないか!」と思いました。大好きな美術館や博物館にある大切な作品や資料を、これからも多くの人が見られるように守っていきたい、というのが一番の思いです。そこに自分がこれまで学んできた化学的な研究調査を通じて貢献したい、と。

 

ただ、残念ながらあまりこの研究分野が知られていないということもあり・・・今回インタビューをお受けしたのも、「もっと文化財科学や保存科学という分野の存在を知ってほしい」という思いがあったからです。例えばヨーロッパでは文化財の科学分析が広く知られていて、調査することの敷居も低いと思います。美術館でも展示をしながら調査や分析が行われていて、その過程自体を展示として見せているような状況があります。日本でもフェルメールの塗りつぶされたキューピッドの修復はニュースになっていましたし、少しずつ状況は変わっているのかなと思います。

 

 

最後に、この研究を通じてやりがいを感じるところと、今後の展望や活動予定について教えてください。

同じ分野の研究者だけでなく、一般の方からもこの研究に興味を持ってもらえることが一番うれしいです!自分の研究が社会に貢献していることを感じられる機会はなかなか多くないので、私が参加させて頂いた作品調査の分析結果が、展示パネルとして美術館で作品と共に展示されているのを見た時には、「私も貢献できるんだな」と思えて本当にうれしかったです。

 

いまは科学分析に理解のある所有者の作品を分析対象としていますが、今後は私たちも科学分析の意味やリスクをしっかり説明して、より幅広く、多くの作品について分析調査の協力を得ていく必要があるなと感じています。顔料の研究もまだまだやりたいことがあるので、来年度は博士過程に進学してさらに研究を続けたいと考えています。また、どうしたら一般の方たちに私たちの研究をおもしろいと思ってもらえるか、常に考えています。制作が華やかで発信力の高い藝大だからこそ、私たちの研究も美術の一分野としてもっと知っていただけるといいなと思っています。

 

由緒ありそうな実験室の看板

 

 

■インタビューを終えて

 

ほとんど先行研究のない「国内におけるスマルトの使用例」の調査に取り組み、将来的にはスマルトを系統化して分類するという壮大な目標を視野に入れている寺島さん。「研究時間が足りなすぎるんです!」と言いながら、目を輝かせてご自身の研究内容を話してくれる姿が印象的だった。

 


取材:石川泰宏、篠田綾子、曽我千文(アートコミュニケータ「とびラー」)
執筆:石川泰宏

 

動物にも興味があるという寺島さんと恐竜の話で盛り上がりました。確かに、「色材から作品のあり方を知る」のと「骨から動物の生態を知る」のはほとんど同じことですね!(石川泰宏)

 

西美で展示されている『悲しみの聖母』の色材調査(寺島さんも参加)を熱心に見る人たちを見て、修復という分野は人々の関心が無いのではなく、知る機会が少ないだけなのだなと思いました(篠田綾子)

 

 

植物ホルモンをガスクロで分析していた学生時代を思い出す研究室。寺島さんが見つける科学の力で、芸術がより多くの人と繋がっていくことを心から願うひと時でした。(曽我千文)

 

「作品をつくり、場もつくる――それぞれを行き来しながら融合していけたら」藝大生インタビュー2022|美術教育専攻 修士2年・保坂朱音さん

2023.01.24

「作品をつくり、場もつくる――それぞれを行き来しながら融合していけたら」 美術教育専攻 修士2年・保坂朱音さん

 

温かい日差しが降り注ぐ冬の昼下がり。東京藝大上野校地にて大学院美術研究科 美術教育専攻修士2年、保坂朱音(ほさか あかね)さんへのインタビューを行いました。

 

┃一人一台のろくろ、手作りの道具

総合工房棟陶芸研究室を訪れると、ストーブを囲み学生たちが何やら真剣に話し込んでいます。その輪の中に保坂さんはいらっしゃいました。

 

――こんにちは!今日はよろしくお願いします。

「こちらこそよろしくお願いします。」

 

柔らかい物腰の保坂さんが笑顔で迎えて下さいました。保坂さんは現在、2つの場所で制作を行っています。ここでは主にろくろを挽いたり、形を整える造形作業を行ったりするそうです。まずはろくろについて説明をしていただきました。

<実際にろくろを回す保坂さん。さながら足踏みミシンのようでした>

 

「ろくろは一人一台いただけています。造形作業はここで行うのですが、彩色などの作業は別の場所で行っています。ここだと土が舞ったり、他の学生の場所を取ることになってしまうので。」

 

――2つの作業場を行ったり来たりして制作しているんですね。

「最近は家でも作業しているので、道具も持ち歩いています。道具によって作れるものが変わるので、みんないろんな種類の道具を持っていたり、自分で作ったりしています。」

 

たくさんの道具を広げて見せてくれました。初めて見る数々の道具に、とびラーは興味津々です。

<一番手前の道具は、保坂さんの手作り。竹を削って作られたそうです。>

 

 

┃陶芸×音

一通り道具の説明を受けた後、制作中の作品を見せていただきました。

研究室に繋がった屋外には、窯で焼く前の作品がズラリと並んでいます。

「最近は陶器で楽器を作っているんですよ。」

<壺型の陶器を軽く叩くと「ぶおんぶおん」という音が聞こえてきます>

 

――音が出るような焼き物を作っているというのは意図があるんですか? 

「2022年4月に羽田空港で『美×音×うたをみる』展という藝大生による展示がありました。音楽学部の学生・卒業生の有志と一緒に展示と演奏会をするという企画で、音楽と作品をどう組み合わせるか悩んでいました。もともと私はワークショップもやっていたのですが、“人との繋がり”が作品を作る大きなモチベーションになっていて。そこから、陶器で楽器を作れるんじゃないか、作った楽器を実際に触ってもらえるんじゃないかと考えたんです。」

 

――作品に触れることでコミュニケーションが生まれると考えたんですね。

「陶芸って人に使ってもらうという部分がすごく大切なんですけど、ただ使うのではなくて、楽しく使ってもらいたい。人とコミュニケーションが取れるようなものを作りたい、というところから、触れてもらえる楽器の制作がしっくりきたんです。」

 

 

┃同じ窯の友との「窯会議」「窯ごはん」

次に窯を見せていただきました。大きな窯が何台も並んでいます。

 

――先ほどの作品はどの窯で焼く予定なんですか?

「1号の窯で焼こうと思ってます。焼く時は私だけじゃなくて、他の人の作品も入れて一緒に焼きます。温度によって仕上がりが変わるので、温度調節や窯の予定もみんなで決めます。」

――チームでの作業という感じがしますね。

「翌月の窯予定を決める会議のことを私たちは“窯会議“って呼んでいるんですよ」

――窯会議!!!

「上級生が窯を立てて予定を組むのですが、みなさんが来る前もちょうど“窯会議”を行っていました。」

――作品を作る人って、ひとりで全部を作り上げているイメージがあったのですが、制作の過程でもコミュニケーションをとって作り上げていくのですね。

「工芸分野っていうのは、ひとりでは作れないことがたくさんあって。例えば大きなものを作る時は作業を手伝ってもらったり、窯もひとりじゃ埋めきれないので一緒に焚かせてもらったり。“協力”というのはずっと意識しているかもしれないですね。」

 

――電気窯の他にどんな種類の窯がありますか?

「ガス窯や灯油窯、取手キャンパスには薪を使う窯もあります。実際の炎で焚くものは、コントロールをするのがすごく大変で。先生の意見を仰ぎつつ、みんなで格闘しながら焚いています」

――どの窯を使うかは、どうやって選定するんですか?

「窯によって出てくる表情が変わるんですね。電気窯で表情が出る作品もあれば、灯油で火を使わないと出ない作品もあって。特に電気窯と薪窯では全く違います。自分が狙いたい表情に合わせて窯を選定します。」

――陶芸は凄く奥が深いですね。

「私は学部までしか陶芸に触れていないので、深く追求まではまだできていないなと思うことがあります。院では美術教育に進んでいるので、それまで得た知識や経験を、“人との繋がり”のなかでどう展開していくのかを考えていこうと思っています。」

<数年前に設置された新しい窯は、自動で温度調整ができます。一方、一部の窯はダイヤルで温度設定する必要があり、コロナ前は作業場に泊まって1時間に1回窯チェックをしていたそうです。>

 

制作にあたっても、他の生徒たちとの連携や協力が必要となる陶芸科。コロナ前は、窯の日にみんなでご飯を作って食べていたそうです。

「窯ご飯っていうんですよ。コロナ前は1〜2週間に一回、みんなで作って食べていました。」

 

――自分で作った器で食べるんですか?

「歴代の先生、先輩たちが作ってくれた器があるんです。今はコロナで集まることは少なくなっているのですが、この棚から自由に使っています。」

 

<中には助手さんの似顔絵の描かれた可愛らしい湯呑もありました>

 

――受け継がれていく感じで、歴史を感じますね。

 

「それでは美術教育実習室に移動しましょう」

保坂さんの声掛けで、紅葉が残る小径をおしゃべりしながら中央棟へ移動します。

 

 

┃触れてもらうことで、「人と繋がる作品」をつくりたい

 

「こちらにどうぞ!今ここで作業してます。」

 

入ってすぐの机に、彩色されたいろいろな形の楽器が並んでいました。

その愛らしい形と色に興奮を抑えきれないとびラーたち。

 

――可愛い!これは卒制に展示する作品ですか?

「これも何個かは飾ります。これからもっと作ろうと思っているので、数が増えると思います。

修了作品は大学美術館のエントランスに展示して、実際にお客さんに触ってもらおうと思っています。

もしよかったら鳴らしてみますか?」

<思い思いの作品を手に取り、音を楽しむとびラーたち>

 

――叩き方によっても音が違いますね。これはポヨンポヨンって、まるで赤ちゃんのお腹を叩いてるみたいです!

「厚みや形によって音が変わることが作っているうちに分かってきました。アフリカのウドゥという楽器を参考にしています。それはもっとふっくらとした丸い形だったんですけど、形を変えてもいいかなと思い、工夫しました。」

――触り心地もそれぞれ違いますね。こちらはなんですか?可愛い音がしますね。 

「これはマラカスです。この前のワークショップにいくつか作品を持っていったんですけど、子どもたちは『どんぐり!』と嬉しそうに反応してくれました。」

<中には土を細かく丸めた陶器が入っています。>

 

――作品を作る上で保坂さんが大切にしていることはなんですか?

「今までは作品を作る時、“自分の中の何か”を絞り出すような過程が苦しく感じられることがありました。一方ワークショップでは、美術の楽しさを伝えると同時に、人と繋がることで得られるものも多くありました。

それらを大切にして作品を作りたい、というのが今回の制作で大事にしていることです。また、今後作品制作を続ける中で、自分の作品を人に使ってもらい、可能性を探ってみたいと考えたんです。だからこそ『触れる作品』であることが自分の中で大きなテーマなんです。」

 

 

┃土の偶然性を楽しみたい

――楽器もいろいろな音がしたり、形も様々です。それはコミュニケーションがどんどん膨らんでいくように工夫しているんですか? 

「それもありますが、形を決めて作るっていうよりも、作っていてこんな音が出てきたとか焼いて初めてわかることとか、それを作品にいい具合に落とし込めないか探りながら作っています。今回は『土の息吹』というテーマにしました。ろくろを挽いていると、思った形にならない時があるんですね。でも、ちょっとした歪みが可愛く思えちゃって。今までは、しっかりとしたイメージで作ろうと思ってきましたが、制作中の『分からないけどなんかいい!』みたいな気分を大切にしています。」

――制作中も土と対話をしてる、そんなイメージなんでしょうか?

「そうですね。今まで土と向き合いきれていない部分もあったので、修了するタイミングで一度、土を触りながら『陶芸好きだな』と思えるような作品を作りたいと思っています。いろんな形や、土が出す音に向き合って作っています。」

 

 

┃卒制の展示について

――会場での展示イメージを教えてください。

「思わず『触りたい』『これ触ったらこっちも触ってみたくなる』というような、来場者が“遊べるスペース”を作りたいと思っています。楽しんでもらうことが一番大事だと思うので。」

――お客さん同士も、作品を手に取ってセッションっぽくなるかもしれないですね。そこで見知らぬ同士が繋がったり。人と人を繋いでくれる作品って素敵ですね。

「そんな場ができたら嬉しいですね。」

 

 

┃学校の先生に憧れて……子どもから学ぶことが多くある

――美術教育に興味を持ったきっかけを伺いたいです。

「美術教育に行くことは学部に入学する前から決めていました。学校の先生に憧れを持っていたのですが、そんな中、美術を専門的に学んだら教えられることが広がるのではと思ったんですね。でも美術というものが自分の中で分からなかった。だから藝大を受験しました。予備校時代にお世話になった美術教育出身の先生の影響も大きかったと思います。」

――そもそもの方向性が「作ることを極める」というより、「コミュニケーション」に向いていたということでしょうか?

「そうですね。一年生の時からワークショップもやっていました。そのときに制作した陶器の楽器も持っていったんですけど、子どもたちが物凄い勢いで叩いていて『こんなに叩いても割れないんだ』と発見がありました。あと『ここツヤツヤだけど、ここザラザラだね」など思ったことを全部口に出してくれるので、そこでまた会話が広がって、次こういう素材で作ったら違う反応が見られるかもしれないなど、気づくことが多いです。」

――コミュニケーションの中からインスパイアされている感じですね

「そんなやりとりが好きなので、ワークショップは今後も続けていきたいと思っています。」

    

 

子どものワークショップの話をうけ、保育士とびらーが日頃考えている疑問をぶつけてみました。

――普段保育の中に「制作」を取り入れているのですが、大人の一方的な押し付けになっていないか、疑問に思いながら試行錯誤しています。保育の中に美術を取り入れる中で、どんなことを大切にしたらよいと思われますか?

「作ることも、もちろん楽しいんですけど、ワークショップはきれいに仕上げることが目的ではないんです。私の想像しないところで、子どもたちが何か学びを見つけてくれることが大切なことだなと思っています。

実は私の母が保育園の先生で、保育園で制作のお手伝いをすることもあります。この前は、“廃材で楽器を作るワークショップ”をしました。一日だけの日程で陶芸は難しかったので、ダンボールなど保育園でいらなくなったものを集めて楽器を作りました。楽器を作って満足してしまうのはもったいない気がしたので、『音を聴いて音を形にする』というワークも行いました。」

―― 具体的にどんなワークをしたんですか?

「例えば大きい丸と小さい丸を用意し、丸を見せながら『今から先生が音を出します。最初の音はどちらの大きさでしょう』と問いかけます。すると、音の大きさを形で表現できる。次に『バリバリ』『シャカシャカ』といった擬音を表現した絵を見せる。そして『バリバリの音はどれでしょう』と問いかけます。どの音がどの形にリンクするのかを子どもたちが考え、表現できるようになればいいなと思います。」

――形と音とをリンクさせるということですね

「そうです。でも別に正解はないんです。例えば『ふわふわ』の音に対して『バリバリ』という形を選んでもいいんです。次に、廃材でつくった楽器の音を絵にするワークを行いました。そうしたら、みんな違う絵を描けたんです。似たような作品ができるかなと思ったんですけど、全然お友達と被る子がいなくて驚きました。」

<ワークショップの様子を写真で見せていただきました>

 

――保坂さん自身も新たな発想を得ているんですね。

「子どもたちの発想はすごいです。最後は廃材で作ったステージで、クリスマスソングをかけながら、それぞれが作った楽器を演奏しました。クリスマスソングなんか聞こえないくらい盛り上がり、子どもたちは素直で自由だなと思いました。そういう経験が、私の作品作りにもつながっているんだと思います。」

――予想できない感じがワクワクするということですね。

「参加するひとりひとりが違うし、その子のその日のコンディションによっても、ワークへの関わり方が違ってくる。その日できなくても、時間をおいたらできることもあります。いろんな子がいますが、自分のペースでつくれることがすごいなって思います。そんなきっかけ作りができればいいなと思います。」

 

 

┃作品をつくり、場もつくる人になりたい

――将来のご予定を聞いてもいいですか?

「はっきりとは決まってないんですけど、今後も美術教育に携わることができそうです。創作を続けるのはもちろんのこと、 “つくる”ということをゆっくり一緒に考える立場、またはそういう場を作る人になりたいです」

――作品もつくるし、場もつくるということですね

「そうですね。“場をつくるために、ものをつくる”という感じかもしれないです。

学部で学んだ陶芸と、今学んでいる美術教育では、同じ美術といっても違うことを学ぶ分野なんですね。

だから美術教育と陶芸を行き来していると学ぶことが多くあります。」

――それぞれどんな学びを得ていますか?

「美術教育ではいろんな感覚を味わうことができています。例えば、陶芸以外にも、油画を書いている学生や、写真に刺繍している学生が同じ美術教育の中にいます。一方陶芸では、制作を通して『この感覚大事だったな』という素材の向き合い方に気づくことがあります。」

――それぞれのいいところを持ちながら行ったり来たりしてるわけですね。

「どっちつかずになりたくはないですけど、いい塩梅に融合して納得できる作品を作りたいと常に思っています。」

――「陶芸」「美術教育」と分けて考えるというより、その奥にある美術の根っこのような「根底」を大事にしたいということなんですね。

 

美術教育では、ワークショップなど参加者とのコミュニケーションを取りながら場を作り、

陶芸では、同じ釜を使う仲間や、素材である土との対話を通して作品と向き合っている。

保坂さんの陶芸と美術教育に向き合う姿勢に共通点を感じます。

 

――では、最後に卒業制作を見た方に伝えたいことやメッセージをお願いします。

「触ってみないとわからないことがいっぱいあるので、ぜひ触ってください(笑)コロナの関係で自由に触っていただくのは難しいと思うのですが、私がいるときはいつでも声をかけてください。近づいてきてくだされば、私から声をかけます。」

 

――目で見て耳で聞いて手で触って、楽しい時間を過ごすことができました。この感覚をぜひみなさんにも味わっていただきたいです。今日は貴重な時間をいただきありがとうございました。

 


 

 

場をつくり、その場のコミュニケーションからインスパイアされて作品をつくり、それがまた場をつくる。その循環がきっと素晴らしい場・作品を作っていくんだろうなとこれからの活動に期待がいっぱいです!(梅浩歌)

 

 

 

「藝大生インタビュー」を3年連続で体験できたのは、ラッキーでした。毎回学生さん達の創作に向き合う姿勢や、情熱に刺激をもらってます。(遊佐操)

 

 

 

 

普段保育士をしています。子どもたちのリアクションを楽しむ保坂さんの姿勢が、とても参考になりました。子どもたちが学びを見つけられるようなワークショップを、私も保育の中で実践していきたいです。(小木曽陽子)

 

「『私になりたい』~人とのつながりを表現し続けてきた想い」藝大生インタビュー2022|デザイン科4年 新海友樹子さん

2023.01.24

 上野公園も冬の装いを纏い始める11月下旬、デザイン科4年生の新海友樹子さんにお会いしました。インタビューが行われた藝大総合工房棟にある広い部屋の中は段ボールで仕切られた空間となっており、新海さんの制作スペースは、色づく樹々が見渡せる明るい窓際にありました。(後でお聞きしましたが、インタビューのために作品のスケッチを壁に貼ってくださったそう!)

 

1.過去の作品から新海さんを知る

ー今までの作品を見ると、人との関係性や繋がりが可視化されているように感じられ、そこがとても魅力的です。その原点はどこにあるのでしょうか?

 入学して直ぐに100枚ドローイングという課題がありました。自由なテーマで100枚の絵を描くという課題だったのですが、私は自力で老人ホームにアポを取りお年寄りの絵を100枚描きました。その時、世の中にはいろいろな場所で、自分より長く生きてきた人がこんなにもいる、という事実に衝撃を受けました。同じ人間だけど、お年寄りは自分よりも死に近い人たちだと感じ、同時に自分自身の命のはかなさも実感しました。この体験が、自分と人との関わりについて、強く意識するようになった原点だと思います。

作品「死ぬのに 生きてた おじいちゃん」

ーこの作品で「死」についてどのようなことを感じたのでしょう?

 自分の祖父が亡くなったとき、人の死に初めて触れ、火葬場で見た真っ白なおじいちゃんの骨の美しさに驚きました。どんな人生を歩んだ人にも、最後は死という美しい終末がパッと訪れる事を、ポジティブに捉える事ができました。苦しみや悲しみにも終わりがあり、死によって綺麗さっぱりなくなってしまうのであれば、多少山あり谷ありの人生でも、楽しめる気がします。恥ずかしいことがあってもあと60年くらい経てば消えるので、最後は大丈夫だという感覚です。

 

ーこの「死ぬのに 生きてた おじいちゃん」というタイトルに込めた思いは何でしょうか? 

 ちょっと冷たく聞こえるかもしれませんが、自分が素直に感じたことをそのままタイトルにしました。人は死ぬと決まっていて、いつかは終わりが来ると分かっている。それなのになぜ生きているのだろう、なぜ頑張るのだろう、でも自分も同じだよな、と思うとなんだか面白く感じ、そういう不思議さを伝えたいと思いました。

作品「わざとハンカチを落としたら私の声が聞こえた」

ーハンカチを落とすことで、人はどう反応するのかを表現した作品にも魅かれます。この作品を作ろうと思ったきっかけは何だったのでしょう?

 路上に落ちているもの、例えば片方だけのイヤリング、片方だけの靴下など、どういう人がどういう事情で落としたのか・・そして、それは自然に存在するものではなく、人がいるからこそ、存在できたもの。そこに興味が湧きました。普段ならわざわざ確かめないような事を突き詰めると、より人を理解することに繋がるかなと思いました。

 

ー制作する中で、どんなことを感じたのでしょうか?

 100回やってみて、ほっこりしてみたり、しょんぼりとしてみたり、いろいろな気持ちになりました。拾う、拾わないの割合は6:4でしたが、ハンカチを拾う人は善い人、拾わない人は悪い人と考えるのは違うなと思いました。拾わない理由にもいろいろあり、拾わなかった人なりの「拾えなくてすみません」という感情や、微妙な仕草の中にある人の温かさを感じることができました。

 

ーどういうふうに人を見ているのでしょう?

 どちらかと言えば、人は「善いもの」だと信じています。疑ってかかると不安が生まれて、その不安が相手にも伝わってしまう気がするので…できる限り先に「いい人に出会ったぞ」と信じて決めてしまうと、とても楽しい気分になります。悪い人に騙されてしまったら…その時はその時です。目の前の人をどう捉えるかは大抵自分次第だと思うので、「私はそう信じる」ことができればそれでいいと思っています。

 

ーいろいろな体験を通じて、多くの人と関わることで、最後にはそれが一つの作品になっているのですね。ご自身で制作することを大切にしているのですか?

自分がやったという痕跡が消えてしまうと、何をしてきたのか分からなってしまうので、自分の手で作るということを大切にしています。自分で考えて手を動かしていると、自然にいろんな感情になって伝えたいことが生まれてくる気がします。作品の中に素朴な自分の気持ちがちゃんと詰まっているかをいつも気にかけています。

 

2.卒業制作の話

ー卒業作品はやはり人との関係をモチーフにしたものなのでしょうか?

 卒業制作を始めるにあたり、これまで一貫してやってきた事は何だろうと考えました。色々な作品を作り、なるべく色んな技法に手を出してきましたが、最終的にはそれを通して自分自身を作ってきたということに気が付きました。様々な人と関わりながら作品制作と向き合ったことで、ようやく自分らしさが見えてきたので、勇気を持って作品タイトルを「私になりたい」にしました。卒業制作展では、空間の中に30体の私を模した人形を配置し、それを作る過程をまとめた映像を流す予定です。3分ほどの映像がループしているので、ぜひ立ち止まって見て頂きたいです。

〈インタビュー当日が提出〆切だった、作品の縮尺模型(試作品)〉

 

 

ー「私になりたい」という思いはどういうふうに表現されているのでしょうか?

 なかなか一言で表すのは難しいですが、このタイトルには「そのままでいいよ」というメッセージが込められています。私が自分を受け入れた過程を映像にして見せることで、どこかの誰かにもこの考え方が届けば良いなと思っています。あとは、作者がやりたいことを自由にやっているという喜びが人形のテキスタイルや形から直感的に伝われば嬉しいです。

〈制作した人形を説明する新海さん・・・模型の中に配置されていた人形は実際には こんな大きさですよ!〉

 

〈作品のイメージを見せてくださいました〉

 

〈人形の中に入れる紙には新海さんの想いが綴られています〉

 

 

 今日が作品模型の〆切です。本当は一部屋全部を使って展示をしたい作品なのですが、もう少し小さな空間での展示になりそうです。

 

3.新海さんが藝大を目指すまで

ーもともと芸術に興味があって、この道を選んだのでしょうか?

 最初は大学進学に全く興味が無く、とにかくバレエに夢中でした。ただただバレリーナになりたかったです。でも、現実的にバレエで食べていくのは難しいと思い始め、「大学はとりあえず行ってみたら?」という親のアドバイスもあり、高校2年生の頃、大学への進学を考え始めました。4年間も学ぶなら興味のあった芸術がいいな、ということで藝大を目指すようになりました。それまで本格的に絵を描いたことがなかったのですが、お試しに美術予備校の体験授業で絵を描いてみたら、意外と楽しかったんです。木炭デッサンで食パンで線を消したり、粘土をこねて物を作るのが楽しくて、どんどんのめり込んでいきました。藝大を受験すると親に報告した時は、「何を言っているの?」という反応でしたが、あの時、私のはじめの一歩を止めなかったことに感謝しています。

 

ーかなり大きな方向転換ですね!

 そもそも藝大の存在を知らなかったのですが、ネットで藝大神輿を見て感動し、この大学面白そうだなと思いました。入るのがとても難しいと言われても、そもそも知らなかったので、運よくチャレンジできたんだと思います。

 

ーバレエに一所懸命に取り組んできた経験が、この先、また繋がっていくのではないでしょうか?

今、バレエを踊っても技術的には絶対上手に動けませんが、人前で自分を表現することは4年間みっちりやってきたので、なんだか昔より魅力的に踊れる気がしています。ダンサーは自己表現をしながらも舞台上で作品の一部になっていると思うのですが、私も作品の全体を見つつ「自分はこれをやりたい、これで幸せになるぞ」という積極的な気持ちを持っていたいと思います。

 

4.藝大に入ってからの思い出と今後の目標

ー藝大に入って、どんな刺激を受けましたか?

 大学では、教授は技術的な事をあまり教えてくれません。「あなたはどう考えたの?」と問われることが多く、私個人の視点が求められていると感じます。私にはそのスタイルがとても合っていたので、そういう環境で他の学生が作った作品を見る事ができたり、先生にコメントをいただける事はとても嬉しかったです。

 

ーフリーのデザインの仕事をされていましたが、きっかけは?

開業したきっかけは、ハンバーガー屋さんの仕事です。この仕事自体も、音楽学部の友達の友達の友達…みたいな、人とのつながりの中で生まれたものです。最初は友達の手助けのつもりでアイデアを出していたのですが、知らぬ間にそれが採用試験を兼ねていて実際の仕事に繋がりました。

 

ー作品作りと同じ感じですね。石川さゆりさんのプロジェクトへの参加も人とのつながりからでしょうか?

 それは大学のプロジェクトに応募したものです。このプロジェクトには、私以外にも6人の学生が参加しており、全員それぞれが作品をデザインするということだったので、作品として世に出るかわからない状況でした。そういう中で、どういう気持ちでデザインすればいいのか悩みました。描いても無駄になるかもしれないし、何を求められているのかよく分からない。いろいろと考えてしまいましたが、最後は自分の好きなことを描くしかないと思いました。迷ったときは、自分の好きなことをすることで前に進んでいます。

 

ー次に挑戦したい表現手段はありますか?

 今、音楽学部の先生の繋がりで、舞台美術を制作しています。舞台芸術にとても興味があるので、いつか自分で脚本を書いて、舞台をデザインして、演出してみたいと思っています。

 

ー今後も人間関係をモチーフにした作品は作っていきたいと思いますか?

 是非作っていきたいです。ただ、決め過ぎてしまうと上手くいかないので、そのときそのときに自分の心に響くものを表現していきたいです。その表現手段は、もしかすると絵を描くことではないかもしれません。今やっていることがずっと続くか分からないので、興味があることにはなんでも挑戦して、自分が納得するまで続けたいです。

インタビューを終えて

新海さんは、自分の中にしっかりと芯があり、自分が信じたことに一所懸命取り組むという姿勢にインタビュアー3人ともすっかり魅了されました。これからも大きな転機があるかもしれませんが、新海さんならば、ぶれずに乗り越えていくと思います。そんな新海さんの集大成である作品を、是非卒展でご覧になって下さい。

新海さんの作品は、Instagramでも見れますので、ご興味のある方は是非ご覧下さい!https://www.instagram.com/yukiko_shinkai/

 


自己紹介

インタビュアー 滝沢智恵子

私自身、ずっと「ご縁」を大切にしてきて、「人の優しさ」に支えられてきました。初めてお会いする新海さんが同じようなことをお話しされて、とても嬉しくなってしまいました。明るく優しくそして強さも備えた新海さんのこれからがとても楽しみです。

 

 

インタビュアー 井戸敦子

新海さんの作品に惹きつけられたご縁でインタビューとなり、柔らかで忘れられない時間を過ごさせて頂きました。新海さんのお話と作品を通して、わたし自身もこれまでの出会いや経験がネックレスのように繋がって思いもかけない「自分」になっていることへの、感謝や発見がありました。ありがとうございました。

 

執筆 菊地一成

とびラーの活動では日々新しい気付きをもらいますが、今回のインタビューでは人生を楽しく生きる方法を今更ながら教えてもらった気がします。新海さんより遥かに短いものの、残りの人生、この心持で臨みたいと思います。

「『今ある世界から作り始める』という設計者・研究者としての眼差し」藝大生インタビュー2022|建築専攻 修士2年・鶴田 航さん

2023.01.23

漁網や漆など普段は建築に使われない素材を手に、材料と建築を結びつける研究の話から始めてくれた鶴田さん。彼がインタビューを通じて何度か繰り返す「今ある世界を受け入れ、そこから作り始める」という言葉。その言葉がどのような事を意味し、彼がどのようにしてその考え方に至ったのか、さらに修了制作にまでどう繋がっていくのかお話を聞きました。

 

建築に興味を持ったきっかけは?

きっかけは進路を模索している高校生の時に、街の書店でたまたま手に取った一冊の本です。その本は構造設計家のセシル・バルモンドの「informal」という本で、エンジニアリングの内容でありながらグラフィカルでとてもおしゃれでした。内容は詳しくわからなくてもとにかく楽しくてどんどん読み進めてしまいました。本に出てきている建築や建築家を調べることから始め、本の日本語版監修者である藝大の金田充弘さんのことも知りました。直接研究室にメールを送ったところ、高校生ながらいきなり講評会に参加できることになりました。その講評会で教授と学生が垣根なくフラットに議論している様子を見て「これは藝大しかない!」と思いました。最初に出会ったのが「ものがどう成り立つのか」ということを考える構造設計家であったことは、建築を学ぶ上で大きく影響しました。

 

一冊の本との偶然の出会いから建築の世界へ「自分でもでき過ぎていると思う」と笑う

 

留学していたとのことですが、どのようなことが印象に残っていますか?

トータル2年間スイスに滞在しました。留学先では、国も年齢層もバックグラウンドもバラバラな人たちと一緒に研究することで大いに刺激を受けました。建築だけでなく、グラフィックデザインや材料エンジニア、AI研究者もいて、その人たちが一つになることで今までにないもの、どの視点から見ても質の高いものが生まれることを体験できました。特に刺激を受けたのは、彼らが「一見取るに足らないように見えるものの中に、建築としてのポテンシャルを見出す力」に長けていることで、どんな物でも常に可能性を捨てずに一度テーブルの上に置いてみる姿勢を学びました。それは研究をするにあたりとても大切な能力だと思っています。今まで建築に使われなかった材料を建築に用いようとすれば、誰もやったことがないので失敗するのが当然です。ただ、その失敗の中にヒントが必ずあるので、「失敗という価値ある情報」が増えたと捉えて、へこむことなく淡々と前へ進む姿勢が身についたかなと思います。

 

 

留学2年目は「助手」の立場だったとのことですが、その経験で得たことはありますか?

自分が一番若かったこともあり、教えるというよりも協働して一緒に進めるコラボレーターとして関わる方が良い結果になることに途中で気づきました。今思えば、それは金田さんが自分にフラットに接してくれていたことと同じなのですが、自分自身の体感として得られたことは大きかったです。また、教えることで俯瞰した視点を得られ、数多くのアイディアの中から「今は取るに足らないものでも宝物になるかもしれないもの」を判断できるようになりました。そのことによって、製作者として集中する視点と評価者として引いて見る視点の両方を得て、自分の中で役割を変えながら製作を進められるようになりました。

 

留学中の作品を動画を使いながら説明

 

研究対象を決めるときの基準はありますか?

まず大事なのは本当に自分が没頭できるかどうかです。一方で、個人的な興味を掘り進めた先に、他の人も共感できる普遍的な領域に広げていける可能性があるかどうかを同時に考えています。建築の普遍的な価値という意味では、環境に良いだけでなく、建築的にどう面白いものになっているかという点を大切にしています。そうすることで初めて建築として普遍性を持つものができると考えています。

素材については、今まで見過ごされていた素材を「見方を変えることで新しい使い方ができること」に関心があります。そのときにコンピューターによる解析を行って、より深く今までとは違う視点で見ることができたり、ロボットを用いることで人の手ではできないレベルで再現することができると感じています。今までは職人が体で覚えてやっていたこともデジタルの力を使うことで違う領域まで到達できるのではないかと思っています。

 

初期に検討していた砂の構造体の痕跡

 

修了制作について教えていただけますか?

《人間の土地》という作品で、サン=テグジュペリの本からタイトルをとっています。その本の中に砂漠の話があり、「砂漠の砂」をテーマとしています。砂漠の砂は大量にあるにもかかわらず、角が削られて丸く摩擦力が弱いため工業的に使えないのですが、それを建築に使えないかと考えました。当初は、砂自体を構造材として使うことを想定していましたが、何度実験をしても建築構造材としての強度を得ることができませんでした。そこで視点を変換して、砂をコンクリートの型枠として使うこととし、さらに鉄筋の代わりに麻繊維(ヘンプ)を使ったコンクリート「ヘンプクリート」を利用することで、型枠もコンクリートも100%現地調達でき、分解・再利用もできることを考えました。この砂の研究をベースとして、形と工法、建築設計にどう落とし込めるかを考えていきました。

 

砂漠の砂の主成分が二酸化珪素(石英SiO2)であることに注目し、二酸化炭素と反応して炭化ケイ素というガラス質になり硬化する性質を利用

 

 

砂による形とは?

砂によって作られる形を建築に活かせないかと思い、「風」と「重力」の2つの力でできる砂独自の形を建築に応用しようと考えました。まず「風」でできる形は、砂と風によってできる、いわゆる砂紋や砂丘の形を応用しました。砂と風の方向をプログラムすることで、風によってできる砂の形をシミュレーションできます。そこへ何か物を立てることで、欲しい砂丘の形ができることがわかりました。簡単な壁を立てて置くだけで、あとは風によって形ができ、それを固めていけば自然と協働して独自の形を作れるのではないかと考えました。

 

風によって砂の独自の形ができることをシミュレーション

 

次に「重力」によってできる形は、砂を穴から落とすと自然に止まる時の安息角という角度を利用して、柱と屋根の接合部の形を決めました。砂の入ったプレートの柱位置に穴を開けておくと安息角で自然に砂が落ちるのが止まります。その砂の形状を型枠とし、コンクリート(※)で固めて屋根面と柱を作ると柱上部に分厚い形状ができます。造形的に自然に作られた形が、同時に構造的にも柱周りの強度を高める形になるのが面白いと思っています。
(※厳密には砂利の入らないモルタル。以下同じ。)

 

左上が砂による型枠。右がその型枠からコンクリートで作った屋根形状。手前は安息角の説明

 

施工方法としては、砂の上にコンクリートをそのまま流すと落ちていってしまうため、砂にコンクリートを吹き付ける工法を考案しました。吹き付けるためのノズルを3Dプリンターで作成したり、吹き付けたコンクリートの厚さを計測する3Dスキャナとそれを投影するプロジェクターの仕組みも自ら手作りをし、必要なコンクリート厚を確認しながら、繰り返し吹き付ける施工装置を作りました。

 

3Dスキャナ(写真中央上)とプロジェクター(左)を組み合わせた施工装置

 

最後に、今まで検討した造形と工法をまとめて、どのような建築ができるかを考えました。風によってできる砂丘を活かした構造体を3箇所組み合わせて、屋根状の砂丘が山脈のように連なった形をデザインしました。できた模型だけ見ると荒々しくて、テクノロジーを使っているようには見えませんが、実際は裏ではテクノロジーが支えています。また出来上がった形が完成ではなく、形状を反復して拡張させていくことや、できた建築が次の形状を作るきっかけとなり自然と次々と繋がっていく可能性も想定していて、移り変わりの激しい砂漠ならではの形ができるのではないかと思っています。

 

型枠であった砂を掻き出した後の模型。洞穴のような内部空間ができる

 

どのような用途の建築ですか?

用途としては、砂漠の強い日差しを防ぐ半屋外の休憩所です。地下水を利用した灌漑施設であるカナートを稜線に沿って配置することで屋根の下に湖ができ、そこでラクダのキャラバンとかが水を飲んだり泳いだりできる砂漠のオアシスのような空間になります。

 

建築の模型と図面。オアシスの周りに人や動物が集まり、畑で麻を栽培すれば、材料の現地調達も可能に

 

そしてここまでだと「本当につくれるのか?」となるので、実際のスケールでも作ってみました。

 

実寸模型の表面にはまだ砂が残っており、古代遺跡の一部のようにも見える

 

実寸模型は型枠を外す時までちゃんと立つのかドキドキでした。表面を触ると型枠だった砂がまだ残っていますが、その砂を洗い流してコンクリートだけにしても良いですし、CO2を吹きかけて砂を固定するという選択肢もあると思っています。今回の研究は、材料の研究から始めて、形の決め方のスタディと施工方法、そして提案の形にまとめ、実際に製作まで一連のパッケージとしてできたと思っています。

 

柱の脇に残された初期のスタディ。「次につながる可能性を見出すプロセスを大切にしたい」という鶴田さんの姿勢が表れている

 

現代的な建築とは趣がかなり違う建築ですね

それは意識的にしています。一般的な建築は作りたいものが先にあってそれを実現しやすい形や素材を選んでいきますが、そうではなく、既にあるものを用いることから建築ができないかということを根本的な問いとして考えていて、それが今回は砂だったということです。そして、コンピューターを用いることで再現性のある形で、ある種普遍的な材料として提案することができ、出来上がったものは「既に存在しているこの世界から建築を始める」ことになる。自分の周りにあるものを受け入れ、読み取り、理解することから建築の一歩を始める、これほど魅力的なことはないと思っています。

 

 

これからについて教えてください

スイスで博士課程として研究を続ける予定ですが、今回の修了制作で実際の建築の作り方を知らないことを痛感したので、建築の現場を知る必要性も感じました。正直なところ、研究と建築の実務をやりたい気持ちが半々で、研究を進めつつ建築の実践もしたいと思っています。
今後も「今ある世界から作り始める」というテーマは大事にしたいと思っていて、そこにある世界を認め受け入れることで、自分の固定概念や先入観から解放される瞬間を感じられるよう活動を続けて行きたいと思っています。

 

金田研究室の修士1年生が主体となって行う、藝大工芸科の鍛金技術を参照した金属仕上げの研究。コンピューターによって伝統的技術の可能性が広がることが面白いと語る

 

 

■インタビューを終えて

 

砂が風に流されて美しい形を作るという、コントロールされていないところに材料としての砂の面白さを感じたという、鶴田さんの視点の斬新さ。そして、扱いにくいという理由で建築的にあまり利用されてこなかった「砂」で建築ができるのであれば挑戦する価値があると語る鶴田さんに、未知のものへ挑戦する強さを感じました。高校生のとき偶然出会った構造設計家の本から出発した彼が、これからどのような作品でまだ見ぬ新たな景色を見せてくれるのか楽しみでなりません。

 


取材:飯田倫子、尾駒京子、中村宗宏(アートコミュニケータ「とびラー」)
執筆:飯田倫子
執筆協力:尾駒京子、中村宗宏

 

 

一つ一つの経験が全て作品に繋がっていく、鶴田さんのお話はまるで小説のようで、インタビューを通じて作品だけでなくそのプロセスをとても魅力的に感じました。(飯田倫子)

 

 

AIやロボット技術を通して、この世界の美しさ、自然の面白さを改めて知るような鶴田さんの取り組みからは“あたたかさ”を感じて、描く未来の景色を私も見てみたいと思いました。『卒業』は始まりなんですね。お話から私もたくさんの刺激をいただきました。ありがとうございました。(尾駒京子)

 

 

環境によいだけが目標ではなく、建築としてどうおもしろいものになっているか大切にしているというお話。今後もグローバルな視点から、世界で活躍されるだろうと想像しています。お話を聞いてやはり藝大生インタビューはやめられない。(中村宗宏)

 

「『違う人の視点』を紡ぐ、物語」藝大生インタビュー2022|グローバルアートプラクティス専攻 修士2年・橋場 みらんさん

2023.01.21

「修了制作は、VR作品になります。」
事前に美しい油絵のポートフォリオを見せてもらっていた私たちは、そのメールに驚いた。

 

12月初旬の取手キャンパス——出迎えてくれたのは、今日お話を伺う、東京藝術大学大学院美術研究科 修士課程 グローバルアートプラクティス(以下、 GAP)専攻の橋場みらんさん。素敵な笑顔と、鮮やかな金髪が印象的!
油絵からVRへ…… 一体何が彼女を新たな道に導いたのか、昼下がりの教室でゆったりとお話を伺った。

 

「まずは、ぜひ作品をみてください」
壁には映像が投影され、椅子の上にはVRゴーグルが置かれている。

橋場さんが制作した作品は、 映像とVRを組み合わせたインスタレーション。とある1つの物語を、異なる角度——すなわち平面と立体(VR)という2つの形態の映像で鑑賞する、という作品だ。

 

 

—​ 物語のあらすじ​ —

 

《We are Avatars, We are Avatared》

 

その部屋には、メガネを装着し、一心不乱にキャンバスに向かう2人の女性がいる。メガネを装着した彼女たちは、その中に映し出された自身の『アバター』しか見えていない。

 

 

あるとき、2人はメガネを外す。2人は初めて『アバター』ではなく、本物の『他人』と出会う。そこにいたのは、思い描いていた『アバター』とは様子が異なる、現実のなかの『他人』。

 

 

「何かが違う……」

メガネの中でみていた『アバター』と、目の前にいる『他人』との違いに混乱する2人。やがて、メガネの中の世界=自分のなかの世界には存在しなかった、『境界』に気づき……

 

 

この続きは、ぜひ修了作品展にてご覧いただきたい。

 

展示室に入った鑑賞者は、まずはじめに壁に投影された平面の映像を​鑑賞​する。それはまるで、実況​のような映像​……キャンバスに向かう​2人の女性の様子を、ワイプに現われたそれぞれのアバター達が解説する、というものだ。平面の映像という形態自体は、見慣れたもののはずなのに、そこには強烈な違和感が残った。

続いて鑑賞者は​、同じ世界観・同じ設定で描かれた別視点の立体映像を、VRゴーグルを被って鑑賞する。こちらには実況をするアバター達はいない。まるでその世界に入り込み、2人の様子を覗き見しているかのようだ。

だんだんと現実と非現実、自分と他者の視点、その境界が曖昧になっていく、不思議な感覚が残る……

 

 

◼️違う視点を持つ人間同士の関係性を描く

 

 

興味深く、ドキドキしました。この作品をみていると、​私とあなたの間にある​『境界』​というものを​考えさせられます。作品を作ろうと思ったきっかけについて、教えていただけますか。

ありがとうございます。​確かに​​​、​『境界』​というキーワードは​意識していました。私は学部時代、多摩美術大学の油絵専攻に所属していました。当時​も『境界』を意識していて、特に『違う視点を持つ人間同士の関係性​』ということを制作​のテーマにしていました。

私が油絵で描く人物や風景は、架空のものです。『存在しない世界』を、自分で構築していました。けれど、GAPでの2年間で、実はその『存在しない世界』も現実の自分の身体に関係して生まれたもの——『無意識』に関係して生まれたものなのではないか、と感じるようになったんです。

 

 

今回、作品の形態は油絵ではありませんが、制作テーマは一貫している、ということでしょうか。

そうですね。この作品でも『違う視点を持つ人間同士の関係性』というテーマを意識しましたが、特に今回は『同じ』と『違う』という二つの矛盾した要素を両立させる作品を作りました。そのきっかけは、自分が双子だということ。作品に登場している2人の人物のうち、1人は私で、もう1人は私の双子の妹です。双子は、外見などの要素から『同じ』人物であるかのように一括りにされてしまうことがありますが、全く『違う』人物です。

実はここ2年間、作品に出演した妹と二人暮らしをしているんです。ずっと長く過ごしてきたけれど、二人暮らしをすることによって、改めて自分たちが『違う』人物なんだということを意識しました。

 

 

具体的にどんな出来事から『違う』と感じられたのでしょうか。

例えば、ケンカをするということ。ケンカって、相手とのズレがあるからしてしまうんですよね。二人暮らしをはじめて、結構考え方のズレがあるんだなあと感じました。『違う』けれど、『同じ』ところがたくさんある双子同士ということもあって、相手に対して理想を抱いて期待してしまっていたんだと思います。他人を理想化することによって、無意識に相手を「アバター化」していたんです。

 

 

「アバター化する」というのは、自分の都合のいいように、無意識で他人を理想化し、別の人物のように仕立て上げてしまうということでしょうか。妹さんに対して、ズレを感じるということは、理想を抱いて「アバター化」していたのでしょうね。

そうですね。元来、私は「自分と妹は別々の存在だ」と思っていました。けれど、二人暮らしを始めてからは、逆に「互いに切り離せないものだ」と意識するようになったんです。そこで、「自分にとって双子の妹は、自身のアバターのような存在なのではないか」と考えるようになりました。こうして振り返ると、2年間の二人暮らしがなければ、この作品は生まれていなかっただろうと思います。

 

 

なるほど。アバターは、自分の分身であり、理想の投影とも言えるということなのでしょうか。

はい、そうです。タイトルの「Avatared」という言葉は、「アバター化する」という造語です。

作品自体は、双子であるという自身の生まれ持った特性を活かして撮影しましたが、こういうことって誰にでも当てはまるんじゃないかな、と思うんです。双子だけでなく、日常の現実世界でも「他者に対してアバターを作り出す」ということってあるよなあと。また、インターネット時代の現代においては、誰でも理想の自分を仮想世界にアバターを作ることができますよね。そういうことも、アバターを意識するきっかけになりました。

 

 

作品としても、前半は見慣れた平面の映像なのに、アバターに実況されているということで、不思議な印象を受けました。

前半とは対照的に、後半はVR。仮想世界として、立体的に見せています。作品の形態を工夫することで、鑑賞者の中の『境界』を曖昧にしたいと考え、映像とVRを組み合わせた作品にしました。

 

「VRゴーグルをつけた人間ってすごく異星人みたいなんです。同じ人間のはずなのに、違う人間・違う人種みたい。アバター的ですよね。」と語っていた。なるほど、確かにVR星人は、なんだか不気味だ

 

『境界』というキーワードは、ずっと意識しているんですか。

はい、そうですね。私は帰国子女です。幼い頃から海外で暮らしていました。その頃のことを思い返すと、無意識的に違う文化で生まれ育った人たちに対して『境界』を作っていたんです。

例えば、アメリカに住んでいた時のことなのですが、私は英語がうまく話せているのかがわからず、不安でした。そうしてどんどん引っ込み思案になり、あまりしゃべらなくなってしまったんです。心の中では相手に近づこう!と思っていたはずなのだけれど、実際には自分自身が壁=『境界』をつくっていたんですよね。こういう経験も、作品の中に落としこまれています。

 

 

橋場さんは『境界』というキーワードに対して、どのような印象を持っているのでしょうか。

私が感じているのは、あくまで『境界』は事実としてそこにある、ということ。それを作品の中で提示したいんです。『境界』は、良い面も悪い面もあります。それが両立して存在しているものです。けれど、『境界』のもつ分断性が目立ってしまうんですよね。本当は『境界』は、分断するだけのものではない、ということを示すことができれば……と考えています。

 

 

そうだったんですね。では、橋場さんが作品を作る上で、内からこみ上げてくる「何かを表現したい」という思いは、どこからきているのでしょうか。

私の原点は、絵です。幼稚園から小学校の途中までアメリカに住んでいたのですが、その時にたくさんの習い事をしていました。なかでも、1番好きだと感じたことが、「絵をかくこと」だったのです。当時、あまりおしゃべりではなかった私ですが、絵はよくかいていました。

 

 

橋場さんにとっては「絵をかくこと」が、おしゃべりをすることのような存在になっていたんですね。

私にとっては「絵をかくこと」も、言語の一つだったのかもしれません。日本語と英語、そして絵も……自分を表現するツールだったのかな。

 

 

その話を聞いて、橋場さんのポートフォリオを思い出しました。油画の作品とともに紡がれる言葉が、とても丁寧ですよね。心のうちにあるものを表現するために、絵と言葉どちらも使っているんだなぁと感じました。

 

 

◼️自らの作品から新たなインプットを得て、また新たな『物語』のページをめくる

 

 

油絵の作品から、VRへ。そこにはどんな心境の変化があったんですか。

映像作品を作ること自体、初めてです。これまで描いてきた油絵作品では、自分の意識をインプットして、絵画としてアウトプットしていました。

映像作品の面白いところは、そこに『次元』が生まれるところです。この経験も、今後作っていく油絵作品のためのインプットになると感じました。近い将来、今回のインプットが新たな作品としてアウトプットされるといいなと思っています。

 

 

鑑賞前は、油絵とVRは形態が全く違うので、それぞれ分断されたものなのかなと思っていました。けれど橋場さんの中では、作品の形態による違いはなく、つながったものなんですね。橋場さんの中には、「こういう表現・形態でなければならない」という固定概念がないんだなあと感じました。

自分の作品を、自分の経験にしたかったんです。自分自身の経験が、別の形態の作品のインプットになるということを目指していました。油絵は二次元ですけど、バーチャルリアリティという違う次元を扱った経験から、新しい異次元が生まれるかもしれない。自分が描く油絵の中の架空の世界に、うまく影響しないかなと狙っていました。だからこそ、特に作品の形態には拘っていません。「絶対に、これだ!」というものはないんです。

 

 

自分の作品からのインプット、という考え方が興味深いです。自分が生み出した作品なのに、そこからもインプットがあるんですね。橋場さんは自身の経験を作品に活かすことが多いようですが、経験から制作までの間に時間は空いているんですか。

そうですね……経験したことから、作品に落とすまではちょっと時間が空いています。私は作品の内容を考えてから、作品の形態を考えるんです。それが油絵とは限らない。1番大事なことは、最適化。どういうメディアなら、自分の伝えたいことが最も正確に伝わるかを考えながら、作品にあった形態を考えています。この選択には、正解がありません。正解があったら、きっと辞めちゃいますね。正解がない世界だからこそ、続けたいと思う。油絵を描いて、インスタレーションを作って、また油絵を描いて……そういう制作する流れ=サイクルは、自分の中で正解を決めていないから、続くんです。

 

「次は絵画を描きたいな。でも、まずはこれをやり切らないと!VRは作り直す予定なんです。でも、髪型変えちゃった。」と笑う橋場さん。こうしてみると髪色が違うだけなのに、映像の中の黒髪の女性とは、別人に見えるから不思議だ。

 

 

◼️新しい形態の作品を作り続けたい

 

 

最後に、「これから先、こんな風に過ごしていきたい」という将来像があれば教えてください。

今は油絵を描いたり、VRと映像でインスタレーションを作ったりしているんですけど……私の制作の基本として、「新しいカタチを作りたい」という思いがあります。だからこの先も、新しい形態の作品を作っていきたいです。

 

 

これから先、橋場さんが紡いでいく『物語』の続きが楽しみです!今日はありがとうございました。

 

 

■インタビューを終えて

 

VRを使ったインスタレーションということで、メカっぽい無機質な質感の作品を想像していた私たち……けれど、実際の作品はとても温度感のあるものだった。そこには、鑑賞後も思わず「どう感じた?」と誰かと話したくなる、余韻があった。その奥行きは、橋場さんの人がらや経験から生み出されるものなのだろう。(取材を終えた3人は、すっかり彼女の虜になっていた!)

橋場さんの作品は、東京藝術大学卒業修了作品展にて鑑賞できる。この先、橋場さんがどんな形のどんな『物語』を紡いでいくのか……今後の更なる活躍が楽しみだ。

 


取材:大沼隆明、設楽ゆき奈、大石麗奈(アートコミュニケータ「とびラー」)
執筆:大石麗奈

 

インタビュー前、自己と他者の境界について云々考えていたところで、橋場みらんさんの作品を拝見することとなり、セレンディピティを感じずにはいられませんでした。(大沼隆明)

 

 

作品そのものとその制作過程に、みらんさんの素敵な世界が広がっていました!最後にみらんさんから、話せて楽しかったと笑顔をいただきました。とびラーと藝大生の対話、素敵な時間でした!(設楽ゆき奈)

 

 

「とびらプロジェクトは、gift×giftな場!」と感じている、3年目とびラー。三年間での出会いや変化が、自分の視野も広げてくれました。藝大生インタビューもそんな素敵な場。これからの未来の可能性に、ワクワクしています。(大石麗奈)

 

「自然が塗り重ねた『時間』を、描く。」藝大生インタビュー2022|絵画科油絵専攻・学部4年 土屋玲さん

2023.01.20

 自宅に戻ったらそろそろ厚手の上着を準備しなくてはと思うような、冷えて落ち着いた晩秋の空気の中、油画専攻・学部4年生の土屋玲(つちやあきら)さんへのインタビューのため、私たちは東京藝術大学内の土屋さんのアトリエに向かいました。
絵画棟のエレベーターを降りて、アトリエが並ぶ廊下に出ると、空気に絵の具の匂いが混ざります。

 

私たちを迎えてくれたのは、麻布を張った四角いキャンバスという一般的な油画のイメージを大きく覆した、巨大な立体作品でした。


柴田—すごく立体的な作品ですね。今回の卒業制作の作品のアイデアをお聞かせいただけますか。

 はい。牡蠣の貝殻をモチーフに、油絵具と、油絵具以外の素材も色々取り入れて、それぞれの性質を生かしながら作っています。

牡蠣の貝殻の表面は、海にいる時にこの牡蠣が遭遇した出来事が堆積されて層になっています。この堆積の結果現れた貝殻の表情を、油絵具をはじめとする様々な素材が出す表情と重ね合わせながら、作品を制作しています。


柴田—土屋さんは、他にも層を持った立体的な作品を制作されていますが、そうした作品もこの牡蠣のように自然由来のものがモデルになっていたり、時間の積み重ねを表現されていたりするのでしょうか。

そうですね。元々は、広い風景を結構描いていたんです。

自然の営みの中の時間の積み重ねのようなものを描いていきたいという思いはずっと前から持っていて、それはたとえば森のように人の手の入っていない風景にせよ、都市のように人が作った風景にせよ、自然という大きな営みの中で生まれた風景であることは同じだと思っています。

その時間の積み重ねの結果生まれた何キロも先まで見渡せるような風景を、貝殻という手のひらに収まるようなサイズでも、同じような感覚や風景が見出せるんじゃないかなと思いながら描いています。


岡田—作品のテーマを牡蠣にしたきっかけは何でしょうか。

去年の11月ごろ、広い風景を描くために田舎に行こうと思いついて、山形にスケッチに行ったんです。

その時に、風景だけでなく、道端に落ちていた葉っぱ一枚がすごく綺麗だなと思って、葉っぱのスケッチもしました。小さいものを描くことを意識し始めたのはこの頃からです。

それから私は料理をするのがすごく好きなんですが、料理や食事の時間でも、食べ物が持つ多彩な質感や表情からは常にヒントを得たいと思っていて、そのなかで、ふと、牡蠣っていいんじゃないかと思ったのがきっかけの一つですね。

そこから、牡蠣といえば広島かなと思って広島に行きました。

海の近くに行ったら牡蠣の出荷の工場がバーンと並んでいて、そこにある牡蠣をお願いしていただいてきました。

海から揚げたばかりの牡蠣は、他の小さい牡蠣がついていたりや大きなフジツボがくっついていたりといろんな面白い発見があって、牡蠣をテーマにしようと決めました。


柴田—ちなみに食べ物としての牡蠣は好きですか。

好きです。昨日も食べました。

 

柴田—今ちょうど時期ですからね。

土屋さんの作品では、「時間」がキーワードになっているように感じました。時間の経過や物事の堆積といったことに興味が湧いたきっかけがあるのでしょうか。

いくつかターニングポイントがあったのかなと思っています。
高校生の1年生の時の宿題で、とうもろこしのデッサンが出たんです。

とうもろこしの粒を一粒一粒描きながら追っていくことで、いつの間にかとうもろこしの形態が現れていく面白さを実感しました。

当然、1日では描ききれないので、何日かかけて左端から右端に向かって描いていくんですけども、日が経つにつれて、とうもろこしがだんだん枯れて萎んでいくんです。描き上がってみると、数日間の時間の経過を、左から右にいくにつれて水分が抜けていくとうもろこしで発見することができて、それが自分がとうもろこしと過ごした時間を体現してくれている感じがして、すごく面白い体験として心の中に残っていました。
これがターニングポイントとなった原体験の一つです。


あとは、良い人であろうと悪い人であろうと、その人のヒューマンドラマがあるわけじゃないですか。それは幼少期の記憶とか、いろんな事情があってそこにたどり着いているわけで、当たり前だけど1人の人生って色々あるなって思います。

いろんな人と関わっていく中で、そういうことをすごく強く日常的に感じていて、じっくり見ることで個人が抱えている色々なことを発見できるという面白さが、ものを観察する時にも同じようにあるんだなと思っています。

この2点は、時間経過とか、人生の積み重ねといったものに興味を持ったきっかけと言えるかもしれないですね。


岡田—作品を見ると、非常に厚みがあって様々な素材が何層にも重なっていることがわかります。どんな素材が取り込まれているのでしょうか。

ベースはレジンという樹脂を使って制作しています。下のツルツルした層や、上にかかっている艶っぽいものもレジンです。
あと発泡ウレタンや綿なども使っています。なかなか画材としては使われない素材ですが、牡蠣から見た新しい表情のようなものが作っていけたらいいなと思って使っています。


岡田—綿のような自然的なものも、レジンのような化学的なものも、両方使われているのですね。

そうですね。化学物質というと人工的なものという印象を持ちがちですが、例えばレジンも、垂れて偶然できた表情はすごく自然的な形を見せてくれることもあります。
化学物質も結局は自然界の現象であることには変わりないと思うので、幅広く「自然的なもの」として扱えたらいいなと思って化学的なものも扱っています。

 

岡田—作品から、牡蠣を非常によく観察されていることが伝わってきます。どのようなスタイルで制作されているのでしょうか。

実際に牡蠣を手元に置きながら描いています。
それと同時に、牡蠣を木炭でデッサンしてみたり、クレヨン、鉛筆、ペンなど、いろんな画材でスケッチしてみたり、牡蠣が出荷されている様子を写真に撮ってみたり、いろんな角度から牡蠣を見ることもしています。時間をかけて観察することで、描きながら牡蠣への理解も深めているという感じですね。


私たちの質問に対する土屋さんの回答は素早く明確で、土屋さんが普段どれだけ真剣に作品に向き合い、これまで時間をかけて観察してきたかということを裏付けていました。

インタビューの内容は作品から学校生活に移ります。

 


赤井—大学生活の中で変化したことはありますか。

まず一つには、それまで結構好きで使っていた、四角いキャンバスというフォーマットを大きく崩したということです。
これによって、自分の中で「四角」がどういう存在だったかということを考え直すきっかけになりました。

もう一つには、小さいものを拡大解釈していって広い世界にしていくという描き方を取り入れたことです。
小さいものをモチーフにして広い世界を見るということと、小さいものをずっと観察してくことで、そのものに対する理解を深めたり、描きたい幅みたいなものが大きくなったり小さくなったりする可変の状態で描き進めるということは、自分の中では挑戦でした。
この2点が大きく変わったところかなと思います。

赤井—その変化は、周りから影響を受けて変化したことなのでしょうか。それとも、自分自身の成長の中で変化していったことなのでしょうか。

どちらもあるかなと思っています。

教授からは、ある時期、私が、キャンバスの四角さが自分には少し窮屈かもしれないと悩んでいた時に、「服に描いてみたらどうか」という提案をいただいたことがありました。
服って、胴体の部分は四角として捉えられますが、袖の部分まで含めれば四角から外れた形にも捉えられるので、そういう、四角とも取れるしそうじゃないとも取れるような形から始めてみるのはどうかと提案していただいて、こうしたきっかけは友人や教授からいただくことが多くて、刺激を受けました。

大学ではみんないろんな素材を扱って、いろんな作品フォーマットで制作しているので、友人から今作っている作品の話を聞くと、もっと自分の感覚に合う素材が無いかなって追求してみようという気持ちになりました。

それから、家ではできない広い制作スペースで描けるので、描きたい幅が可変な状態から描き始めることができるということも、変化の過程として一つあるのかなと思っています。


柴田—元々は風景を描かれることが多かったとのことですが、それは、土屋さんのご出身である岐阜県の風景や環境とは関係があるのでしょうか。

それは非常に関係があるかなと思っています。
私が生まれ育ってきた地域は、商店街や高いビルがある一方で、自分の家の裏は山だったりして、自然の風景と人の作り上げた風景が混在していたので、これが人と自然というものを考えるきっかけになったかなと思います。
例えば古い家がちょっとずつ壊れていく姿とか、初めは活気があった商店街もちょっとずつ元気がなくなっていって姿形を変えていくことも、「時間」という自然の成り行きの中で起こっていることなので、そういう自然と人工の関係性は面白いなと思っています。こうした感覚は基本的には変わってないなと思いますね。


柴田—気分転換にされていることは何かありますか。

料理は気分転換としてよくしてますね。

プロではないので気軽に作れるし、私にとっては美味しいということがゴールなので、それってすごくわかりやすいし、制作とは程よく距離を置きながらも、制作にもつながっていくような部分があるなと思っています。
気分転換としての料理はちょっと時間をかけて、出来るだけ化学的なものを使わずに作ってみるっていうことをしています。

あとはファッションも、好きというか私の中の趣味みたいなものとしてあります。
いろんな素材やカラフルな色がぶつかってるものが好きなので、ファッション雑誌を読んでいます。今時あんまり雑誌を買う人っていないのかもしれないですけど、いくつか雑誌を買ってきて、暇なときに読んでいます。

 

柴田—卒業後、どんな活躍をしていきたいという展望はありますか。

進学を考えてはいるんですが、さらにその先を考えると、そうですね・・・・・・。
今までは作品を作るということに精一杯で、それがどういう展示空間に置かれるべきなのかというところまではなかなか考えるきっかけがなかったんです。
ただ、今回の卒業制作を通して、どういうふうに展示しようかという考えが結構浮き上がってきました。展示空間のことも考えたら、作品自体の形もこれから変わっていくかもしれないし、自分自身の作品を探る機会として、自分の作品を積極的に発信しながら作品を作っていきたいです。

それから、自分が社会の一員として生きていて、何か、今の社会について思うことや疑問に対する答えを、作品という形で社会に提示して、社会に関わっていけたらそれが私にとっては一番いいのかなと思っています。


赤井—土屋さんにとって、作品を展示されるということは、どのような経験で、どのような感覚になるのでしょうか。

まず、作品にとっては、形が変わるきっかけだと思います。
描き上げてそれで完成というわけじゃなくて、展示するとなった時に、このままじゃ立たないとか、このままじゃ重すぎるというような物理的な問題が出てくるので、じゃあ作品こうしないと、というように、作品自体が変わるきっかけになります。

作品の形を変えるというのはマイナスなことのように感じますけど、それが結果的にマイナスかどうかはわからないし、それもまた一つ経験になると思うので、まあそういうものだなって思うんですよ。
制作していると、どうしても作品自体のことだけを考えようとしてしまうけど、壁にかけるとなったら壁のこととか、そういう、作品の輪郭のことも考えなくてはいけないなと思います。

 

例えば山があったとして、その山の輪郭を、山際として見るのか、スカイラインとして見るのかということは、同じことを言っているようだけど、それはやっぱりどちら側からも考える必要があって、そうした作品の内と外とのことを考えるきっかけになるかなと思っています。

あとは、作家にとっては「挫折」するタイミングだと思うんですよ、その作品を掲げるということは。
常に自分への評価が気になるわけで、見た人にどう言われたかとか、足を止めてくれたかどうかとか、些細なこと一つ一つが成績表として通知されてる感覚になるので。それがまあ辛いといえば辛いんですけど、でもそういう挫折が自分を変えるきっかけのプレスにはなると思います。発表の場っていうのはそういうものなのかなって、私は捉えています。

人との対話、料理、ファッションなど、日常生活の中でも常に作品のヒントを探し求める一方で、一つの物を観察し続ける根気強さも持ち合わせている土屋さん。

土屋さんの作品が持つ層の一つ一つには、土屋さんの日々が重なっています。


取材:柴田翔平、赤井里佳子、岡田正宇

執筆:柴田翔平

 

「美術って、興味はあるけど、どう見たらいいかわからない」と思っている方の手を、私が最初に引く人になれないかなと思ってアート・コミュニケータ活動をしています。
このインタビューから帰宅後、厚手のコートを出しました。冬しか知らないこのコートをもし夏に着てみたら、その時間の層はどんな見た目で重なるだろうか、と思いました。
(柴田翔平)

「輪切りの体とヘチマの骨と」藝大生インタビュー2022|彫刻科 学部4年 守尾美優さん

2023.01.19

 上野キャンパス・彫刻棟。建物の前には、大きな丸太がゴロゴロと転がり、軒下には東京藝術大学と印字されたフォークリフト。入口をくぐると3mはあろうかという高い天井。

 空間に圧倒され、思わず「おお!」と感嘆の声が漏れる。インタビュー班は迷宮を彷徨う探検隊のごとく、きょろきょろと辺りを見渡しながら校舎を奥へと進み、おそるおそるアトリエの扉をノックした。

 私たちを出迎えてくれたのは、彫刻科 学部4年生の守尾美優さん。名前にたがわぬ優し気な佇まいに、私たちの心がほぐれる。

 

守尾さんの横には、小柄な女性の背丈ほどの人体像が。近づいてみると、表面が凸凹と波打っている。一般的な“彫像”とは少し違うようだ。見入っていると「卒業制作展では、この人体像と、もう一つ別の作品を並べて展示するつもりで…」と守尾さんが説明をしてくれる。私たちは前のめりに耳を傾けた。

 

― どのように制作しているのですか?

この人体像は、厚さ1㎝の板を積み上げて作っています。手順としては、まず、自分の体を友人に3Dスキャンしてもらって、次に、それを輪切りにしたデータを出力してもらいました。データは1㎝ごとに1枚。私の身長が150cmなので150枚の輪切りデータが出来ました。さらに輪切りの型紙をつくり、それをカネライトフォーム(※)という素材に地道に1枚ずつトレースし、電熱線カッターでカットします。最後に下から順に積み上げて、今のこの状態です。

(※)住宅の断熱材として使われる軽量な建築資材。

<輪切りにした腹部の型紙。足裏から頭頂部まで150段分の型紙がある。>

<とても楽しそうに説明してくれる守尾さん。一同興味津々!>

 

― つまりこれは、3Dスキャンした守尾さんの体を再現した像ということですね?

そうです。これまで、自分の体を作品のモチーフにするときに、鏡や写真で見て作品をつくってきて、どうしても背中とか、肉眼で確かめられない部分があることにもどかしさを感じていました。より正確なものを見てみたいと思い、自分の体を3Dスキャンをして再現してみようと思いました。

 

―自分の体をモチーフにすることへの思いは…?

私は、中学生のときに脊柱側弯症(せきちゅうそくわんしょう)と診断されました。生まれつきではなくて、成長期と共に背骨が曲がりはじめ、成長期が終わると曲がるのも止まったという感じです。日常生活にはほとんど支障はありませんでしたが、中学・高校の思春期は、体の歪みで制服が綺麗に着られないとか、やはりコンプレックスがありました。でも、解剖学的な本を読んだり、背骨の構造を知ったり、高校3年生からは彫刻の勉強もはじめて、だんだんと自分の体を受け入れられるようになってきて。そうしたら、側弯症の体って綺麗だなと魅力を感じるようになって、それを表現しようと思うようになったんです。

 

大学2年生のときに“SOKUWAN is beautiful”というタイトルの作品をつくりました。最初は、側弯症の方に向けて、ウエストとかが左右対称じゃなくても、一般的な美の規範から外れていると感じても、落ち込むことはないんじゃないかと伝えたくて。側弯症の体を綺麗と感じる人が私一人でも居るということを知っていただけたら少しはいいかなと思ってはじめました。でも“SOKUWAN is beautiful”を作ってから、側弯症は美しいというアプローチはやめようかと思いはじめて。体ってただ“在る”ものだし、美しいとか綺麗と言うことでかえって、社会からの美の規範に囚われてしまっているように感じて。今はけっこう迷っていて、側弯症をテーマにしつつも、明確にこういうことを表現したいというのではなくて、だいぶ曖昧になってきています。

 

― 今回、像として自身の体を再現してみて、どう思いましたか?

意外と、なんとも思っていないですね(笑)。あとは、まだ若干疑っています。本当に自分がこの形なのかどうか。なんか少し違う気がするなと思っていて。背中の肩甲骨の辺りが今まで造形するのに苦労していたところなので、それを見られてすっきりした感じはします。ただ、私としては立体の状態よりも、輪切りの状態の方が感動が大きかったですね。例えば、おなかの部分の型紙を見てみると、へその位置が全然中心にないんですよ。イメージはしていましたが、こうやって輪切りで見ると非対称であることがわかりやすくて。自分の体の謎を知ること出来て、すごく嬉しかったですね。私はずっと、自分の体の謎を探っている。なんで背骨が曲がったのかということが分からないので、その部分を探っている。自分の欲求としてはそれだけです。

<背中側からみた全身>

<左側の少し凹んだところが、へその位置>

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―もうひとつ並べて展示する作品があるということですが。

もうひとつは、側弯症をテーマにした発展形で、背骨をイメージした作品です。大学3年生の頃にヘチマを縫い合わせて背骨のようにした作品を制作したのですが、今回は、そのヘチマに、泥漿(でいしょう)という土が泥のような液体状になったものをかけて、電気窯で焼きました。ヘチマは燃えて無くなってしまうので、中がストローのように空洞となった、陶磁器だけがのこります。

<これがヘチマから作られているのか…!>

ずっと整骨院や整体に通っていて、先生から自分の体の状態を聞いたり、どうなっているのかを考えたり、体の構造をイメージしたりしてきました。側弯症の背骨は、曲がるときに、ただS字に曲がるのではなくて、ねじれながら曲がっていきます。これは、ヘチマの造形的な骨っぽさと、私の背骨のねじれだったり、そういうのを融合させてみたという感じです。最終的には、これと人体像の二つで、一つの作品として展示する予定です。

<守尾さんが軽く爪で叩くと、キンキンと軽やかで透き通った音がした。>

ここまで守尾さんの話を聞いてきて、卒業制作展では、側弯症というテーマのもと、人体像と背骨の陶磁器の背骨が一つの作品として展示されることがわかった。それでは一体、どのような経緯を辿って、この作品を制作するに至ったのだろうか。少し昔までさかのぼって聞いてみることにした。

 

― 守尾さんが彫刻科に進学しようと思った理由はなんですか? 

高校時代はブラスバンド部に所属していました。もともとブラスバンドがやりたくてその高校を選んだのですが、入ってみると、かなり厳しくて実力が追い付かなくなってしまった。高校2年生の秋頃に辞めることにしたのですが、前向きな理由がないと辞められない。。そこで“前向きな理由”として、東京藝術大学への進学を決めました。

 

― 急展開ですね!もともとアートには関心があったのですか?

中学生までは、美術がすごく好きで頑張っていましたが、高校では音楽一筋でした。藝大に行くなら予備校に行った方が良いということで、美術予備校で体験入学をして、粘土をやってみたら褒められて、これがいいかもしれないと。最初は泥団子で遊んでいるみたいな感じで、幼少に戻ったような感覚でやっていました。試験で粘土を使う学科は彫刻と工芸があるのですが、もともと人体が好きだったので、彫刻かなと。

 

― 自分の体を彫刻で表現しようと思ったきっかけはなんですか?

予備校で勉強していく中で、色々な石膏像をデッサンしたり、粘土で像をつくったりして、その中にミケランジェロの「瀕死の奴隷」という石膏像がありました。その像の腰のあたりの感じが自分と似ているなと思ったあたりから、自分の体には動きがあると気づいたんです。歪んでいるなとずっと思っていたのですが、彫刻みたいに動きがある。結構、かっこいい体かもしれないとだんだん思い始めたんです。それから彫刻と自分の体が結びついた感じがあります。歪みとかねじれとか動きとかが、彫刻の要素に変わったような感じ。そういう目で自分の体を見ることができるようになり、高校まではコンプレックスだったけど、だいぶ救われたのだと思います。

 

― 守尾さんのこれまでの作品をInstagramで拝見しましたが、洋服のように着る作品もありますね。

大学2年生頃からファッションに興味を持ちはじめて、自分が着るという意味ではなくて、ファッションを造形物として見るようになったという感じです。洋服の質感や、フォルム、そういう造形物的な目線でファッションに興味を持ち始めました。それで、大学3年の昨年休学をして、半年間ファッションの学校に通ったんです。洋服はその時の作品です。

 

― ファッションの学校で学んだことは、作品に影響していますか?

大学に4年生で戻ってきたその時点では、服と彫刻をつなげるような表現をしたいと思っていました。側弯症の治療に使うコルセットに興味がわいて、愛知県の製作所まで見学に行ったりして、その方向で作品を作ろうと考えたりもしていたのですが、まだうまくいっていません。そのうち出来たらという感じです。

 

― とても迷いながら制作されていることが伝わってきました。

そうですね。迷ってばかりですね。“SOKUWAN is beautiful”を制作したころまでは、わりと、完成形をきちんとイメージして、そこに向かって作っていましたが、それ以降は、先ほども言ったようにテーマが曖昧になっていて、完成に向かってという感じではなくなってきました。素材と向き合いながら、考えるよりも先に手を動かして作ることが多くなっていて、以前とは制作の姿勢が少し変わったんです。今回の卒業制作も、まず人体像を作って、そこから考え始めました。特にヘチマの作品は、実験の成果という感じで試行錯誤して作っています。また、自分の体を知りたいということが根幹にあるので自分の体の輪切りのデータをみて、すごくテンションがあがったりという感じを楽しみながらやっています。

 

― 卒業後は?

できれば、大学院に進みたいと思っています。

 

終始、飾らず率直な言葉で話してくれた守尾さん。もっともっと話を聞きたい…私たちは名残惜しくインタビューを終えた。迷いながら、楽しみながら、制作を続ける守尾さんの、”いま”が形となる卒業制作。卒業制作展当日にはどのような姿で見られるのだろうか。とても楽しみだ。

 

■守尾美優さんinstagram
https://www.instagram.com/miyu_morio/

取材:足立恵美子、山﨑万里子、小林有希子

執筆協力:山﨑万里子、足立恵美子

執筆:小林有希子

撮影:工藤阿貴(とびらプロジェクト コーディネータ)


とびらプロジェクトとの出会いは昨年の藝大生インタビュー。この記事がまた別の誰かの目に留まり、何か感じてもらえれば、こんなに嬉しいことはありません。何と言っても守尾さんと作品の魅力が、届きますように。(足立恵美子)

 


美優さんにとって作品を作ることは自分と向き合うこと。これまでは側湾症ありきだったが、そこから少し離れつつあり、別の視点が加わりそうな予感がしました。
自分と向き合うこととは何なのだろう?と考えさせられました。(山﨑万里子)

 


1年目の11期とびラーです。彫刻の制作現場におじゃましたこと、身体の輪切りの型紙を見せてもらったこと、とにかく異次元の体験でワクワクしっぱなしでした。今は実際の展示を妄想してワクワクしています。(
小林有希子)

2022アクセス実践講座⑦|1年間のふりかえり

2023.01.08

「1年間のふりかえり」

日時|2023年1月8日(日) 13:30〜16:00
会場|東京藝術大学 第3・4講義室
講師|小牟田悠介(東京藝術大学)
熊谷香寿美(東京都美術館)

最終回は、一年間をふりかえりました。それぞれのプログラム等に実際に参加したとびラーの生の声を聞き、

参加した人もしていない人も一緒に感想などをシェアすることで学びを深めました。

また、改めてICOMの定義に立ち戻り、とびらプロジェクトにおけるアクセス実践講座の意味・意義を考えました。

 

(とびらプロジェクト コーディネータ 工藤阿貴)

 

 

【開催報告】こどもとおとなのはじめのいっぽ!美術館へようこそ♪

2022.12.25

 お子さんとのお出かけ先の一つとして美術館はいかがですか?このプログラムの募集はそんな誘い文句からはじまります。

【こどもとおとなのはじめのいっぽ!美術館へようこそ♫】は、家族で一緒に安心して美術館を楽しむためのプログラムです。

とびラー(アート・コミュニケータ)と作品の楽しみ方などを体験して、じっくり鑑賞します。お子さんと美術館に行くのは、初めてという方にピッタリな内容になりました。

 

上野アーティストプロジェクト2022「美をつむぐ源氏物語―めぐり逢ひける えには深しな―」と、コレクション展「源氏物語と江戸文化」は、源氏物語から着想したさまざまなアーティストの作品が集まった展覧会です。いろいろなアーティストの織りなす世界を味わい、美術館での楽しみ方を知り、とびラーと一緒に鑑賞体験をしました。

実施日がクリスマスということで、メンバーが折り紙でクリスマスツリーを作って温かな気持ちでお出迎えしました。

「はじめまして」の二組の家族が出会い、自己紹介とおしゃべりの準備体操。アートカードを使って、共通点探しゲームをしました。色や形、雰囲気が様々な作品の中から探して、どこが共通なのかおしゃべりします。

子どもたちの発言に思わず、「あー!」「へぇー!」と声が出てしまうほど。大人よりも柔軟な発想で展開されるゲームは、とても盛り上がりました。


次に、展覧会の作品のカードから自分の好きな作品を探します。

なぜ選んだのか、どんなところが好きなのかを紹介し合いました。

カードの作品を観察し、実物の作品がどんな風なのかと想像が膨らみます。展示室へ行くのがわくわくと楽しみになりました。

 

準備体操もバッチリ。いざ展示室へ

自分が選んだ作品やお友だちが選んだ作品。これ、お母さんが良いって言ってたよね。」展示室で作品を見つけると、足早に作品へ足を運びます。

カードでみるよりもとても大きな作品やとても緻密に書かれた作品。本だと思った作品はガラスで出来ていました。先にカードでお気に入りの作品を選んでいたので、実物の作品をじっくり観察することができました。

そしてみんなで見ると自分では気づかなかった発見もあり、家族の会話も弾みました。

たくさんの作品を通して、家族の会話が増えていきます。

子どもと同じ目線で作品を観ると、大人には見えなかったものに気づかされ、自分の興味が湧かなかった作品でさえ、相手が選んだ作品だと自然と興味が湧いてきます。一人で見るよりも視野がどんどんと広がって面白い発見に出会うことができ、楽しい鑑賞体験となりました。

 

一時間ほど子どもたちも大人たちもじっくり集中して鑑賞しました。

そろそろとびラーともお別れです。その後はカフェで休憩したり、まだまだ見足りないともう一度家族で回ったりと、それぞれが思い思いの時間を過ごしていました。

アンケートによると、「絵の味わい方を知り、自分にない視点を得るなど、子どもと一緒に美術館を楽しみたい。」「子どもに色々なものに触れ、美術館を回るきっかけにしてほしい」と思っていらっしゃる保護者の方の期待があったようです。

 

感想は、とても満足という回答がほとんどでした。

とびラーが一緒に鑑賞したことで心強く、今日は子どもたちと話しながら回れて新しい見方ができたと感じた、導入のカードゲームで興味を持って観ることができたという感想もありました。

 

子どもからの感想には嬉しいコメントが多く、実施して良かったと思いました。

カードゲームで絵を見たけど、本当に見てみるといろいろな発見があった。実物は迫力がぜんぜん違って面白いと思いましたなどのじっくり観察したからこそ感じる体感があったようです。

 

子どもたちの感想から感じるのは、カードで見る作品よりも本物の作品の繊細さや素晴らしさに気づくことができたようでした。カードで観察した視点を実際の作品で見ることで大きな発見があったようです。わくわくしながら鑑賞している子どもたちを見ていると、こちらもご一緒できて嬉しくなりました。

 

作品を介して、子どもの豊かな発想に大人が関心を持ち、同じ視線でおしゃべりをする。お互いを認め合い共感し、豊かな楽しい時間を共有する。そんなアート鑑賞の時間は、とても豊かで穏やかな “こどもとおとなのはじめのいっぽ!”となるのではないでしょうか。

 

とびラボを立ち上げたとき、2022年6月に実施した、「ベビーとゆったり美術館をもう一度開催してみようと思っていました。だけど、指とましたメンバーのほとんどが腰を据えて取り組める余暇がなかったのです。子育てのフェーズはその時その時の環境で変わっていきます。夫や子ども、家族、自分の体調など、その時その時の関わり方の濃淡があるのがママという役割なのかもなぁと思います。

 

そんな時に、とびラー三年目の私は、開扉(任期満了)まで数か月でした。最後の指とまなら自分の原点へ立ち戻り、あの時感じた自分の不安に寄り添えるプログラムを考えたいと思いました。

子どもと作品を介して対話することへの喜びをみなさんにも伝えたい。とびラーになったことで安心して小1の息子を連れて美術館へ来れるようになったこと。息子が作品に対して観察し発見し、それを共有する喜びを感じて育っていることを実感していたからかもしれません。

 

タイトルの“こどもとおとなのはじめのいっぽ!”には、このプログラムによって、美術館に安心して次また行ってみようと思ってもらえるように、初めて美術館を訪れる家族の不安を軽減し、安心や楽しさに変える場を作りたい、そしてはじめのいっぽ!を踏み出すきっかけづくりにしてほしいという思いが込められています。

 

とびラボが動き出し、仲間とミーティングにミーティングを重ね、コミュニケーションも楽しく、いざ実施へ向けてという時に私の家族に不幸がありコロナ禍もあり、私が全く動けなくなってしまいました。そんな中、メンバーの一人ひとりが自分にできることや自分がやりたいと思ったことを実行し、遂行して行ってくれたのです。

甘えかもしれませんが頼れる甘えられる仲間がそこにいてくれる安心感。とびらプロジェクトというコミュニティの凄さかもしれません。どうにも心身ともに動けなくなった私は、メンバーを信用し信頼して、お任せすることができました。

 

そんな仲間に支えられ、このプログラムを実施しました。

 

東京都美術館は私たち親子の大好きな場所の一つです。子どもと安心して楽しんで行ける美術館。みなさんもお出かけ先の一つとして、足を運んでみませんか。そこには温かく豊かな時間があるかもしれません。


 

 

新谷慶子:アート・コミュニケータ(とびラー9期)
“私らしく”全てのことに面白がって取り組むことを楽しみながら活動しています。

【開催報告】いにしえの世界を味わう アートでつながるミュージアム

2022.12.24

2022年12月24日、「ミュージアムは好きだけど、もっと楽しみ方を知りたいなあ」という方におすすめのワークショップを開催しました。

 

クリスマスといえば、贈り物をおくったり、温かな気持ちになるシーズン…
アート・コミュニケータ「とびラー」として、参加した人がアートを介して温かな気持ちを感じられる場を作れないだろうか?
というコンセプトのもと、企画しました。

 

当日は、2つの展覧会*を舞台に…
・グループで作品をみて、気づいたこと・感じたことを語り合う
・とびラーと一緒に「本物との出会い」を楽しむ
ということを行いました。

 

鑑賞した展覧会:

・上野アーティストプロジェクト2022 「美をつむぐ源氏物語―めぐり逢ひける えには深しな―」

・コレクション展「源氏物語と江戸文化」

 


 

■ワークショップが生まれるまで 〜どんな場になってほしいかを、考える〜

 

準備を始めたのは、10月末…

 

「クリスマスってあったかい気持ちになるよね〜。」
「プレゼント交換とか、いいよね。」
「美術館でクリスマスイブを過ごしませんか?っていう企画、どうかな。」
「いい!」
「美術館でもあったかい気持ちになれるって知って欲しいね。」

 

まず、コンセプトの核となる思いをすり合わせた私たち……
「どうしたら参加してくださる方々に美術館で過ごす温かい気持ちと時間を届けられるだろう?」「その想いを実現するためには、どうしたらいいだろう?」と、何度も何度もメンバーで話し合いを重ねました。

 

そこで最終的に決定したのが、「アートを介した対話をしながらの鑑賞」です。
これは、とびらプロジェクトが大切にしている、複数人で対話をすることで様々な視点を共有できる鑑賞法の一つです。​​アートを介した対話によってそれぞれの視点や思いを伝えあい、許容しあう。アートが参加者同士をつなぎ、温かな時間を生み出すことを期待して、これをワークショップのメインコンテンツとします。コロナ禍であり、展示室で実際の作品をみながら話すことはかないませんでしたが、モニターを使って鑑賞することとしました。

 

対話をしながらの鑑賞後は、「本物との出会い」の場を作ります。
実際の作品に出逢い、新たな発見をする時間にしたい!というのも、メンバーの一致した想いでした。ちなみに、当日鑑賞した展覧会2つは、いずれもテーマが「源氏物語」!当日がクリスマスイブということで、少し違和感があるかもしれません。
ですが、「源氏物語」はたくさんの『愛』が語られる作品。クリスマスの温かな雰囲気に合うのではないか?と考え、この展覧会での作品を参加者と鑑賞することに決定しました。

 

■プログラム構成を考える 〜想いを生かす設計とは?〜

 

コンセプトをかなえるために設計したプログラム構成は、このようなものです。

 

まずモニターで展覧会の作品を全員で対話しながら鑑賞します。じっくり見ることができるように、作品を2点選びました。
その後、各自で展覧会へ。本物の作品を鑑賞したのちに、また全員で集まり、感じたことを語り合います。

 

前半は作品をじっくり見るために対話する時間。後半は感じたことを伝えるための対話の時間。
「初めて会う人達が、スムーズに対話ができるような時間にするには、どうしたらいいだろうか?」と、さらに話し合いを続けます。

 

そこで生まれたのが、源氏物語に則った名札を用意するというアイディア!

 

美術館という日常から少し離れた空間で過ごすこの日は、普段の自分と少し離れる仕掛けがあることで、感じたことを口にしやすくなのでは?と考えたからです。そこで参加者もとびラーも「源氏物語」の世界に浸ってもらおうと、当日の呼び名を「源氏物語」の帖名(じょうめい)から取る事にしました。そして各帖名と対応する、源氏香(げんじこう)の図を配した名札を用意しました。

 

 

進行役や会場のセッティングも決まり、進行時間などを確認するためトライアルも行いました。

さあ、これで準備は整いました。
後は当日を参加者の皆さんと一緒に楽しむだけです。

 


 

■ワークショップの様子 〜アートでつながるミュージアム〜

 

ここからは、当日の様子をお伝えします。

 

受付開始。

 

とびラーはバンダナをつけてお出迎え。
続々と参加者の皆さんが集まってきます。
当日は10代から60代の8名の方が参加してくださいました。

 

プログラムが始まります。

 

今日の時間をどんなふうに過ごしていただくか、ご案内しています。

 

まずはみんなで対話をしながらモニターに投影した作品を鑑賞します。
こちらは1作品目。

 

歌川豊国(三代)作・《源氏四季ノ内 冬》という浮世絵の作品を鑑賞しました。隅々までよくみて、気づきや感じたことをシェアします。

 

じっくりと時間をかけて見ることで、作品の登場人物や場所など…様々な意見が出てきました。どんどん皆さんが作品に集中していくのがわかりました。他の人の意見を聞いて、新たな発見に気づくといったシーンもありました。

 

2作品目は、渡邊裕公作・《千年之恋~源氏物語~》。先ほどの作品とは打って変わって、現代の作家さんの作品です。

 

すると、ある方がこんなことを言いました。

「これ、やってみたいです!」

えっ?!

 

どういうことですか?と聞いてみたところ…

「この女性のように、作品を広げた上に横になってみたいです。自分の好きな絵の上に横になる……いいじゃないですか!」

おお〜!そういうことですか。
皆さんも思わず笑顔になります。

他にも作品の登場人物を静止画だと思っていたはず、なのに…。
タイムマシンに乗って時空を超えているのかも!という動きを感じる意見も飛び出します。

そんなふうに色々な発言を受けて、皆さんの姿勢がだんだんと前のめりになっていきます。

 

 

皆さんの意見は、後からふりかえることができるように、ホワイトボードに書き残していました。

 

みんなで鑑賞した後は、他の人の視点も胸に、
さあ!実際の展示室へ本物の作品と出逢いに行きます!!

 

ここからはひっそりと、作品と自分……一対一の時間を味わいました。

 

それぞれ気になる作品を鑑賞しています。

 

とびラーは時に寄り添い、参加者の「本物との出会い」の時間を温かく見守ります。

 

短い時間ではありますが、展示室での鑑賞を終え、もう一度みんなで、実際の作品をみて感じたこと、改めて発見したことなどを話しました。

 

「本物の作品」と出会った参加者の皆さんは、表情がさらにキラキラに!どんどん対話が盛り上がり、お互い興味深そうに他の参加者の話を聞いていました。

 

私たちとびラーも、参加者の皆さんの眼差しを分けてもらい、たくさんの目で鑑賞してきたような気持ちに!みんなでみると、ひとりでみるよりも、さらにたっぷりと作品の魅力を味わえるなあと、改めて感動してしまいました。

 

最後は参加者の皆さんと、とびラー全員で記念撮影!みなさん、いい笑顔ですね。

 

当日の名札は、ささやかなプレゼントとしてお渡ししました。

 

〜参加者アンケートより〜

 

●普段あまり見ることのない日本美術について、皆さんの意見を聞きながら楽しむことができた。
●源氏物語はあまり知らなかったが、調べてみようかと思いました。
●皆さんから多角的な気づきをシェアする時間が面白い。自分からはみない作品もじっくり見れた。
●初めて会った方達だけれども共通なところがあったのがおもしろかったです。
●思ったより個人感があった。
●自由に話しながら絵を見るのって楽しいな!と思いました。
●ニックネーム方式で話しやすくて良かったです。
●やっぱり対話が大事。対話があれば美術館はもっと面白くなることが実感できた。
●さらっと通り過ぎるのではなく、この絵はどういう感じなんだろう?と考える視点をもらった。

 

 

初めて会った方々が、同じ作品をみて対話をするプログラムーー

 

普通に生活していく中で、おそらくこのプログラムに参加しなければ出会うことのなかった人々が、対話を紡いでいける。

それはそこに「作品」があるからこそ。

 

まさに『アートでつながるミュージアム』を、私たちも体感できた幸せな時間となりました。

 

 


 

執筆者:梅川久惠(とびラー 10期)
とびラー2年目にしてやっと活動が本格化した気がします。残り1年となりましたが、もっと楽しみたい!という思いがむくむくと湧いています。

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