2016.01.30
寒い北風の中、「卒展まわって缶バッジ」は、はじまりました。
缶バッジプロジェクト史上初の3つのシールを集めるシールラリー、そのシール収集後に卒展のポスターを使った「特製卒展缶バッジ」を持ち帰っていただくという試みに、全身全霊をかけ挑んだメンバーでした。
東京都美術館の第1公募棟で、声を掛けられるのを待ちながら、いよいよ来るぞーと、待ち構えること10分。
誰からの声掛けもなく、しょぼんとして作品を眺めていた時に参加者から「シールいただけますか?」「ありがとうございます」やっと1枚目のシールを渡し、私の最初のシフトは終わりました。
次のシフトは、東京藝術大学の絵画棟でした。今回のシールラリーは東京都美術館の第1公募棟・第2公募棟と東京藝術大学の絵画棟の3箇所をまわってシールを集めます。
暖かい美術館内を移動できる第1会場・第2会場とは違い少し離れた東京藝術大学まで、果たして来てくれるのか?など多少の不安はありましたが、のんびりと作品をみたり普段入れない大石膏室を覗いたりしていました。
その時に驚愕の報告が…
まだ始まって1時間しか経っていないのにマップ配布終了の知らせが届きました。
どよめくメンバー達ですが、やったねという笑顔も見られました。
その後、絵画棟1Fをウロウロしながら参加者とあれがよかったとかあれが好きだったとか、
楽しくお話をすることができ有意義な時間を過ごせました。
受付に戻り、ガチャポンの前に陣取ると先程お会いした方たちが、戻ってきてくれました。
皆さんが口々に「藝大の方も見れてよかった」といい、ガチャポンも楽しんでいただけました。
最後の参加者は、他館のスタンプラリーで手に入れた缶バッジを見せてくださり、「缶バッジラリーはとても楽しい」とお話してくださいました。
すべてがはじめて尽くしの開催でしたが、沢山の参加者の笑顔と沢山の楽しい会話から次回への確かな手ごたえを感じました。
山田美佐緒:いまだに「すべて潔し」の域には達せず、日々勉強の50代
2016.01.29
2016年1月29日に第64回東京藝術大学卒業・修了作品展で、「なりきりアーティスト」を開催しました。
「なりきりアーティスト」とは、藝大生が制作した作品を、ワークショップ参加者が作ったと仮定し、コンセプトや作品タイトルを語ってもらうワークショップです。今回がはじめての実施となりましたが、最年少は幼稚園の年長さん(!)から大人、日本語学習中の外国籍の方まで、8名のさまざまな“なりきりアーティスト”の皆さんに参加していただきました!
この日、外は冷たい風が吹いていましたが、都美術館内は藝大生や来館者の皆さんの熱気が充満していました。作品から発せられるエネルギーが溢れ出ています!
さて、開催告知を見て応募してくださった参加者の皆さん。とびラーとの自己紹介が済んだら、それぞれの作品のもとへ出発です。そうです、作品のもとへ行くまでは、自分の担当作品がわかりません。さらに、担当作品は公正にクジ引きで決められるので、私たちとびラーも、誰がどの作品を担当するのかはわからないのです。
ひとつの作品に対して、一人か二人のなりきりアーティストさんと、案内とびラー、そして作品を作った張本人である藝大生がいます。藝大生と案内とびラーが鑑賞のサポートに入り、寄り添っていきます。この時間は、作品のコンセプトやタイトルを考える時間です。
1.どうしてこの作品をつくったのですか?
2.みんなに見てもらいたいポイントはなんですか?
3.作品のタイトルは?
この3つの質問に沿いながら鑑賞し、深く作品に入っていきます。
ひとりでじっくりと深い鑑賞に入っていく方や、
とびラーとのお話の中で見出していく方。それぞれの方法でじっくりと、深く鑑賞します。
お子さんたちもじっと作品を見つめていきます。
藝大生の皆さんもその様子をじっと見つめています。
20分の鑑賞時間があっという間に終わり、いよいよ作品発表の時間です。
なりきりアーティストの皆さんは、もう一度全員集合し、みんなで最初の作品、油画科の展示室に移動します。
最初の作品は、壁一面に作者のモチーフが広がっているような作品。
少し緊張されながらも、“自分の”作品コンセプトを、なりきりアーティストさんがお話しします。
様々なモチーフから、ご自分の記憶や母の思い出の断片を辿っていくなりきりアーティストさん。とびラーや藝大生の大人さんもその発表を聞き入ります。
小学生のなりきりアーティストさんも、自分が発見したモチーフを中心に発表しました!
続いては、日本画科の部屋へ移動し、お二人の発表です。
”ご自分の”作品の出来栄えに大満足されたようで、自信に満ち溢れた発表です。
発表を聞いている皆さんに、作品に近づいてもらったり、離れて観たり。作品の見方にもこだわりがあります。
作品に漂う悲しみや、登場人物への想いを語るなりきりアーティストさん。優しく紡いでいくストーリーに、みんな真剣に聞き入る。
“自分のコンセプトに似てる”と語る藝大生の竹内さん。
続いては、先端芸術表現科へ。
発表の冒頭、藝大生を”お兄ちゃん”と呼び、新たな展開を呼び起こしたなりきりアーティストさん。
急遽“なりきりお兄ちゃん”になった藝大生の田中さん。
ユニークな発表で、和やかな空気が流れました。
そして最後は、彫刻科の展示室へ移動。
最年少のなりきりアーティストさん。“ヒーローが変身する瞬間みたい”と語りました。おお、カッコイイ!
“歯で成形されたような手“を独特な表現で語るなりきりアーティストさん。
“肉体は滅んでも、歯は残る”、”手で触り、歯で味わう”など印象深い言葉がたくさん飛び出しました。
メモをとりながら聞き入る藝大生の中本さん。
*
8名のなりきりアーティストさんの発表は、これにて終了。皆さん、素晴らしい発表でした!藝大生もとびラーも、参加者の皆さんのなりきりっぷりに圧倒されました。自慢げに作品を発表される様子は、”ほんものアーティスト”のようで、展示室を通りがかった方が藝大生と見間違えるほどです。
作品とじっくり対峙した皆さんの言葉や解釈は、偽りもなく本物ですから、間違いでも見当違いでもありません。
皆さん、素晴らしいアーティストでした。そして、発表をしっかりと受け止めてくれた藝大生の皆さん、ありがとうございました。
また、いつか、「なりきりアーティスト」でお会いしましょう!
執筆:アート・コミュニケータ(とびラー) 太田 代輔
アートを介したコミュニケーションに惹かれ、実践の場を求めてとびラーになる。
多彩な人々やアートとの出会いが楽しい3年目。とびラー卒業後もアート・コミュニケーションします!
2016.01.29
2016年1月29日 とびフェス初日の朝一番に、第64回東京藝術大学卒業・修了作品展にてベビーカーツアーが開催されました。
天気予報は雨のち雪の大荒れ。そんな中を6組の参加者の皆さんが集まってくれました。
ベビーカーや抱っこ。赤ちゃんとママの来館スタイルはいろいろです。集まった方ととびラーは、お天気が悪いのにありがとう、お子さん何ヶ月ですか?ここまで来るの、大変だったでしょう!といった会話で皆さんが集まるのを待ちます。おむつ替えや授乳室の場所もご案内します。
集合場所には、ベビーカーツアーバッグを提げたとびラーが皆さんをお迎えしています。もちろんメンバーの手作りです。硬い素材でお子さんが怪我をしないようアイデアを出し合い、試行錯誤して出来上がりました。
親子二組に、とびラー二人が寄り添います。
まずはご挨拶。
お子さんの年齢の近いお二人は、すぐに打ち解けていました。
授乳やおむつ替えが済んだら、それぞれのチームに分かれて展示室へ。
エレベーターを待つ間も話が弾みます。
いよいよ展示室内へ。
ベビーカーも荷物もとびラーがサポートします。ママは赤ちゃんとじっくり作品を鑑賞。
もちろん、赤ちゃんの発言にもみんなで耳を傾けます。ふむふむ、なるほど!
おねむになった赤ちゃんを抱っこして、建築模型を鑑賞。このグループは、偶然おふたりが建築模型の作成経験者。「これつくるのに○○日くらいかかるね!」 とびラーはおふたりの話に興味津々です。もちろん抱っこの間は、とびラーがベビーカーをお預かりします。赤ちゃんはちっともぐずることなく、ママの抱っこで安心しています。
立体作品も、みんなで囲んでそれぞれの角度から鑑賞。ひとりで見るのとは違う発見がたくさんあります。
どうなってるんだろうね?これ、なんだろうね?なんて近づいてみます。
少し前まで自分たちもこうだったね。
立体作品が多くベビーカーでの移動が大変な展示室内も、とびラーがいるので大丈夫。
ベビーカーツアーでは、特にプログラムはありません。とびラーと赤ちゃんを連れた皆さんが一緒に展示室をまわりながら、作品を介しておしゃべりします。
赤ちゃんがいることでちょっと遠のいた美術館、とびラーがサポートすることで美術館をより近くに感じていただこう。そして、ちょっとでも美術館でリフレッシュしていただこう、という目的で始まりました。今回も、赤ちゃんと美術館に来るのが初めてというママがいらっしゃいました。最初は緊張していたお顔も、終わるころには満面の笑顔。そんなデビューの日にご一緒できて私たちも幸せです。ママの笑顔のおかげで、赤ちゃんたちもみんな笑顔で過ごしていました。
このベビーカーツアーをきっかけとして、お子さんとのお出かけ先に美術館も仲間入りできることを願っています。
執筆:とびラー二期生 工藤阿貴(男児二人と暮らす母ちゃん)
2016.01.25
美術学部校内を奥まで進むと木材のよい香りがしてくる。
今回インタビューを受けてくれた森木ノ実さんとは、彫刻棟で待ち合わせた。
石彫を専攻する森さんは、寒空の下まさに制作をしているところだった。
沢山の石と機械が並ぶ屋外の屋根のついたスペースが彼女のアトリエだ。
「ここにある大半の石は、卒業時に先輩が残していったものです。私の作品の石も先輩から譲り受けました。素材が高価なこともあって、引き継いだ石を大切に使っています。」
「貰った時は既に円錐型に掘りかけてあった石でした。さらに、部分的に彫り込まれていました。」
ー 彫りかけのものということは、形の制約があったのでは?
「もちろん、ある程度決まった中ではありましたが、私の作りたい形になるよう考えました。粘土は心棒に形をつけていく作業ですが、石は性質によって割れ方も異なり、もとの形や固さを理解しながら彫るので確かに不自由な面が多い素材ではあります。」
ー いつ頃から作り始めたのでしょうか?
「ちょうど1年くらいです。決めてしまえばどんどん掘れるのですが、私は結構悩む方で…結構ゆっくりと彫っているんですよね。石って掘り続けると無くなってしまう。ここを彫ったらどうなるかなとか、ドキドキしながら作っています。でも躊躇していると進みません。」
「粘土をつけていく作業をモデリングといって、木や石などの材料から削り出すことをカービングと呼びますが、カービングを仕事にする人は勇気が無いと駄目だなと思います。」
ー モチーフを教えてください。
「女性を彫っています。私はよく200人程しか入れない小さなライブに出かけるのですが、この作品は、そこにいる女性ファンと男性出演者の関係から着想を得ました。ファンと出演者の関係が不思議だなって。差し入れをしたり、全国どこにでも付いていく。言い方は悪いですが貢ぐような感じ…。でもその関係は一生続くわけでもなく、それぞれ運命の伴侶が見つかればあっさりファンをやめることもあります。ファンでいることが将来その女性たちの為になることもない。何も生産性のない行為をしていると思うんです。私もファンの一人の立場から、この感覚に無理にでも意味をつけてみようかなって。」
「この女性はファン側を表現したものです。信者のような。でも宗教的なことではなく、人間が生きて行く中で、心から信頼して付いて行くところに、最終的には行き着くのではないかと思いながら制作しています。」
「彫り始める前にはマケットという小さな模型を作るのですが、この時点で基本の人体の形を放棄してしまおうと思いました。出演者に対するファンの熱い視線を考えると、少しとろけている方が面白いなって。タイトルは《Fanatic》、和訳すると『狂信者』です。」
ー ファンの存在を表現しようと思った動機は?
「ライブや好きなアーティストを見ていると、冷静になる瞬間があります。こんなライブ、私の人生に何の影響があるんだろう?と。でも、私だって表現者なんだから何か作りたいと思ったんですね。そんなフラストレーションや焦りから、制作のモチベーションが生まれています。」
「平らな面が床で、突起が人体。ライブ会場で一人冷静になり、自分は何もできていないと感じる瞬間を形にしてみたいです。」
ー 自分自身を掘り出しているのでしょうか?
「そうですね。今はまだ学生という立場なので、それだったら、怒られようが自分のことだけ考えて作りたいなって。甘えかもしれませんが、石という素材を扱うことは、自分自身と向き合うことだと思うので。先生の意見も取り入れつつ、自分のやりたいことをやり続けています。私は頑固で、言われたことを反映しないこともありますが(笑)まずは素材にじっくり向き合うことを大事にしたいです。」
ー 石彫を選んだのは何故ですか?
「まず屋外で作業するところに惹かれました。屋外は季節によって風の向きも違い、風向きを読んで磨いている石と粉塵の出る石の場所を交換したりと、自然と共存している感じがいいなと思ったんです。外だとみんな話かけてくれて、私も気軽に他の人の作業を見に行けます。朝日が作品に差すとこともあり、作品の奇麗な姿を見ると気合が入ります。」
「それと、私は受験のときから押すと変形してしまう粘土が苦手で…。石はちょっとやそっとじゃ壊れない。素材の硬さが自分に丁度よかったこともあります。あとは、石彫をやっている方々の溌剌とした雰囲気も私には結構合っていました。」
「石の魅力って重量感とか存在感だと思うので、更に大きい作品も作りたいのですが、そうなると重い。素材としては扱いづらかったりデメリットも多いのですが、多少ぶつけても割れないし、石のならではの格好良さがあると思っています。」
ー 藝大に入ったきっかけは?
「高校生の時、翻訳の仕事している母親に何故翻訳の仕事を選んだのか尋ねたことがあります。『私は24時間翻訳のことで悩むのが苦じゃない。』と。絵を描くことが好きだった私は、美大を目指すことにしました。丁度同じ頃、教育実習生としてきていた藝大の日本画専攻の方に出会いました。その方は人を惹き付けるのがうまくて…私と、同じく美大を目指していた友人はまさに「狂信的」にその人に付いて行くことにしました。その人に、藝大目指したら?と勧められたのがきっかけです。」
ー 卒業後は?
「このまま大学院に進もうかなと思っています。これからも石彫を続ける予定です。モチーフは人体を掘りたい。人間が一番感情移入するのは『人』かなって。」
石彫というとついその作業を思い、パワフルなイメージを持つが、「ライブに行く女性たち」に感情移入してしまうという森さんお話からは繊細な一面を感じることができた。
これからも石彫で人体をつくり続けたいとお話してくれた森さん。今後の展開も楽しみだ。
(2015.11.28)
執筆:大谷 郁(東京藝術大学 美術学部 特任助手)
2016.01.21
晴天に恵まれた秋のある日、見晴らしの良い絵画棟のアトリエで、油画科4年生の長谷川雅子さんにお話をうかがいました。
4年生4人で使用しているというアトリエは、高層階にある広々とした簡素な一室。卒業制作に取り組む中、数点の作品を披露してくださいました。
綺麗に額装された作品群は、少し昔の同人誌の表紙のような独特の雰囲気を醸しています。ほとんどの作品が絵と文字で構成されているのも特徴です。
一見、日本画を思わせる精巧だけれど温かみのあるタッチは、スパッタリングという技法が用いられていました。ブラシで網を擦るようにして絵具をのせていくその技法は、エアブラシよりも粗く、表面がざらっとしたマットな質感になるので“アナログ感”が出せるのだそうです。トレーシングペーパーに下絵をして、ボール紙に描きます。
「いつもこんな風に床で描きます。省スペースで(笑)」と、愛用の百均のクッションとペットボトルを取り出して、畳1畳ほどのスペースで制作風景を再現してくださいました。
−−−− いつ頃から今の技法に?
学部3年頃から、やっと自分の持っているものをうまい具合に出せるようになって、このスタイルに落ち着きました。段ボールで描いているのは、いつかボロボロになって消えていく感じがいいなという、風化するイメージで。
−−−− この手法に落ち着くまでは、どの様な作品を?
モザイク画やフレスコ画など壁画の技法も好きでいろいろ試しました。どんどん描写したい方なので、乾きにくい油画はあまり向いていないと思いました。テンペラの技法も好きなのですが時間がかかるので、この“和シリーズ”を使った日本画風のアクリル画に落ち着きました。
用紙もいろいろ試しましたが、薄い紙だと下地を塗っている時にだんだん反ってしまって描きづらいので、水を含んでも反りにくいボール紙を使うようになりました。発色が悪くなる点も好きだし、耐久年数50年というボール紙の朽ちていく様というか、一生懸命描いているうちにボロボロになって行くことも楽しみなんです。そういう消えていくものに価値がついていくというのも面白いと思っています。
−−−− イメージは何から先に浮かぶのですか?
文字ですね。文字から発想していくことが多いです。
もともと文字が好きで、昔のポスターや映画のクレジットロールとか、味のある文字と映像の組み合わせに興味があります。デザイン的な視点というよりも普通の美術作品を見るような感覚で好きなんです。
絵のモチーフは基本的に好きなもので構成しています。一見無関係と思えるものを組み合わせて、妙に深読みして関係性を見出そうとしたり、暗喩や皮肉のこもった意味として見える面白さを狙っています。
諸行無常、無常観のようなものに惹かれていて、侘しさの中にもクスッと笑えるものを目指しているという長谷川さんの作品群は、確かに明暗や悲喜のバランスが絶妙です。
例えば、気球とヒヤシンスをモチーフにした作品は、世界で最初に気球を飛ばしたモンゴルフィエ兄弟のイメージとガラスの花器を組み合わせ、熱に非常に弱いヒヤシンスを下から炊いて“結局飛べない”というユーモアを込めたそうです。
青空や雲と男女の姿を合わせた作品では「雷ができるまで」という一文が添えられ、愛し合う男女が修羅場を繰り返す不穏な空気を、爽やかな入道雲の下で嵐が起こっている様子で表現されていました。いずれもブラックユーモアのセンスがうかがえる作品群です。
−−−− 普段から文字やコピー文などが気になりますか?
気になりますね〜。授業中や日常の中でも面白い言葉は溢れているので、聞いた瞬間に携帯とかにメモしています。
古い図鑑や教科書も好きで、絶妙なダサさと妙な色使いに「なんでここにこの写真を組み合わせたんだろう?」と考えたり。特に90年代頃の、現代とはちょっと違う感覚にインスピレーションを受けることが多いです。母や祖母が結構古いものを残してくれていたので、小さい頃からそういうものばかり見ていたら自然と好きになりました。
教科書は時代の移り変わりも見れて面白いんですよ。
−−−− 一作を仕上げるのにどのくらい時間がかかりますか?
作業だけなら1〜2週間程度ですが、構想を含めると1月位でしょうか。
同時進行でいろいろ考えていて、アイデアが浮かんだらすぐにメモしたり下書きするのですが、いざ取り組むとなると完成が見えるまでは手を出せなくて、描き出すまですごく時間がかかります。
−−−− 額装はご自身でなさるんですか?
選んで買うだけです。
3年の始め頃に何を描いていいかわからなくて悩んだ時があって、「自分が部屋に飾りたい絵を描こう」と思って、まず額を買ってみたんです。それまでは学校の課題や批評会に間に合わせるために考えがまとまらないまま描いていたのですが、自分が飾りたい絵を描こうと思って描いたら、それが割といい感じで、吹っ切れたんです。
−−−− 額が先とは面白いですね。どういう額でしたか?
シンプルな黒い額です。最初に描いたのはシンプルな山と青い空。図鑑のイメージで、「気象」と「気性」をかけたんです。気が抜けた時に描いたのが結構よかったようです。
−−−− 絵をやろうとしたきっかけは?
物心ついた時からずっと描いていました。それをたまたま辞めずに続けていたら多少上達したという感じです。
漫画家になりたかった時期もありましたが、描いているうちに漫画じゃないなって思ってきて、一枚絵で勝負する方が自分には合っているようです。
−−−− 影響を受けた作家はいますか?
漫画家のつげ義春氏、どんなアーティストよりも好きです。無意味の哲学みたいなもの、諦めのような観念とか侘しさとか、私自身も貧乏な暮らしをしていたことがあったので心底共感できる部分が多いです。他には赤瀬川原平氏とか。マイナスな面に寄り添うけれど、どこかユーモアがあって一緒に笑えるような表現に惹かれます。
−−−− 油画を選択されたのはなぜ?
高校が美術系で、2年時に日本画か油画かを選択する際、せっかちで描写が得意だったので、比較的形式的な日本画よりも自由度の高い油画を選びました。芸大を受ける時も油画が一番自由で何をしてもいいと聞いていたので。
−−−− 油画科に入ってみた印象はどうでしたか?
良かったですねー! すっごい楽しいです。みんな個性が豊かで、豊か過ぎてちょっとついていけなかったりよくわからない時もありますけど。面白い人がいっぱいいます。
−−−− そこに立てかけてあるものは何ですか?
シタールと云うインドの琵琶みたいな楽器です。見た目も“インド感バリバリの”音もかっこいいんで、習おうと思って借りてきたのですが、時間がなくて全然弾けないままここにあります。
−−−− 絵を描いていない時はどんな風に過ごしていますか?
映画を見たり音楽を聴いたり、あとは博物館がすごく好きです。中でもちょっとマニアックな、床屋の歴史を展示してある理容博物館とか、NHKの放送センターとか。
(理容博物館は)浪人時代に床屋で働いていたこともあって興味を持ちました。
−−−− なぜ床屋で?
自分の興味のないところになるべく行きたくて、アルバイトは自分がやったことのないものを選ぶようにしています。床屋はたまたま募集が出ていたことと、サインボールに惹かれて。1年程勤めました。
今は携帯のコンパニオンをしています。ちょっと宇宙っぽいコスチュームに惹かれて(笑)。
次に選ぶとしたら、遺跡の発掘とか、撮影とかも興味深いです。
−−−− 将来はどんな方向に進みたいですか?
NHK番組が好きなので、番組制作に興味があります。作家として絵を描き続けるなら、絵とは関係ないことから取り入れたいという思いもあります。今の時代、全く新しいことを見出すのって難しくて、既存のアイデアからいかに遠いところ同士を組み合わせるかだと思うんです。
分かり合える喜び見たいなものもあって、(私の作品を)好きな人に見てもらっていいねって言って欲しいです。そういう絵をどんどん追求していきたいです。
−−−− 卒業制作はどのようなイメージですか?
一部屋スペースをいただいたので、その壁を埋めるように15点程仕上げる予定です。
自画像は(藝大に)半永久的に残ると言われているので、そのプレッシャーもあります。素材をダンボールでいいかどうか、あまり脆い素材に描くのは違うのかなとも思って悩んでいます。
明るく利発的な印象の長谷川さん。会話が展開するほどに意外な一面も垣間見えて、とても興味深いインタビューでした。一見爽やかな色調の絵に比喩を込めたシュールな作品群は、そんな長谷川さんの特長をよく表しているようにも感じました。
今週末(1月16、17日)には、卒展前の学部合同展覧会も開かれるとか。長谷川さんのシリーズ作品を一同に鑑賞できるのが楽しみです。
執筆:小松一世(アート・コミュニケータ「とびラー」)
2016.01.21
横川さんとは美術学部の敷地にある彫刻棟で待ち合わせをしましたが、アトリエには寄らず別の棟のアーカイブ室という小さな部屋でのインタビューとなりました。この部屋には大きな機械(インタビューの中で、これが1500万円もする3D スキャナーだということが発覚します)とパソコン、たくさんの書類が雑然と置いてありました。アーカイブ室はイメージしていた “彫刻の制作現場”よりも“デザイン事務所”のような雰囲気です。果してその訳は…
■修了制作について
—修了制作について教えてください
「自分で撮影した”映像”作品とその主人公の”フィギュア(立体)”を作って展示します。」
横川さんの修了制作は、粘土での制作ではなく、”映像とCG による立体の融合作品”でした。(そういうことなので、横川さんの制作現場は3D スキャナーがあるアーカイブ室だったのです。)
「これまで撮影した3本の映像の集大成となる作品(テーマ:過去の日本人)と登場人物(ヤマトタケル、侍、日本兵)のフィギュアを製作中です。」
■フィギュアについて
「昔からフィギュアが好きで、映画が上映されるとそのキャラクターのフィギュアも販売されることがよくあって、自分でもそおゆうこと(映画とフィギュアの両方を手掛ける)をしたいなぁと思っていました。」
フィギュアの製作過程は、モデルとなる人物の顔の骨格を30分ほどかけてスキャンしていきます。(これを前述のスキャナーで行います)この後、パソコンに取り込んだ画像に”フリーフォーム”と呼ばれるパソコンに接続されたペン1本で目や髪の毛などの細部を彫ったり足したりして、細部を作り込んでいきます。出力は業者にお願いするということですが、頭部の出力だけでも3万円ほどかかるそうです。横川さんが製作予定のフィギュアは3体ですので、3万円×3体…
フィギュアの衣装は全てオーダーメイドです。細部にまでこだわっています(笑)
(出力したフィギュアの頭部)
■映像について
横川さんが監督、編集(ちょっと出演)する映像は、”香港式”という撮影方法です。この”香港式”という言葉は映像の世界で正式に使われている言葉で、台本も絵コンテもなく、監督の頭の中だけにストーリーがあります。それを監督が現場で出演者に伝えながら作品を作り上げていくという方式です。(”香港式”と聞いて私の頭に浮かんだのは”サモ・ハン・キンポー”でした(笑))
—横川さんの映像のジャンルは?
「ブラックユーモアコメディです(笑)」(やっぱり”サモ・ハン・キンポー”!?)
“香港式”の横川さんが初めて手がけた映像作品は、「友達と2人で作った”マイケル=ジャクソンのスリラー”です。登場人物は1人だけです(笑)」(”サモ・ハン・キンポー”じゃないんだ(笑))
横川さんは、美術高校時代の仲間と”3Yfilm”という名でこれまでも映像を作ってきました。今は修了作品とは別に週に1本、5〜10分程度のショートフィルムを毎週(!)YouTube にアップしています。修了作品の映像もこの仲間と制作します。
「ここ(学校)で制作活動をしていない時は、映画を観に行ってるか、家でDVDを観ています。」「それしかしてないですね(笑)」
夜9:00頃までアーカイブ室で作業していても、その後終電までと言って映画を観に行くことも度々あるほど、”映画漬け”の毎日のようです。
■これまでとこれから
横川さんのお祖父様、お祖母様は共に画家で、ご両親も共に美術系の学校をご卒業されています。
「小さい頃から身の回りに画材道具があった。」という恵まれた環境で育ち、中学生の頃にはすでに芸大受験と映像の世界を意識していたそうです。美術高校で良き仲間を得て、その後3年と長きにわたる受験勉強の末、東京芸術大学美術学部彫刻科に入学されたわけですが、心の中にはいつも映像への”想い”があったようです。
—映像科への進学は考えましたか?
「色々学びたいと思ったので学部は彫刻科に入学しました。その後大学院進学の時に、先生から映像科を専攻する話がありました。でも映像科の映像は”アート寄り”なんです。僕がやりたいのは、”エンターテイメント”、”娯楽作品”なんです。映像科への進学はちょっと違うかな、と。」
「彫刻科で学んだ、“彫刻的な見方”を表現できる映像が作れたらと思っています。」
「これまでも展示の時は”映像と立体”の両方を作ってきました。」
■卒業後について
「(美術高校の)仲間と映像の会社を立ち上げたいと思っています。」
「僕は基本妥協しちゃうんです(笑)大きな目標を立てて妥協する。だから最低ラインにはいけるんですよ。迷いはなかったですね。なるようになると。いい意味で勘違いしながら生きてきました。」
肩の力が抜けていて、いつも自然体な横川さんが自分を評した言葉です。
■人に恵まれて
横川さんの口から出た”妥協”という言葉、インタビューの場にアーカイブ室助手の井田さんがいらっしゃいました。井田さんは横川さんのことを次のようにお話ししてくださいました。(井田さんは横川さんとは予備校時代からのお知り合いで、彫刻科の先輩です。更に、横川さんに3D を教えた方でもあります。横川さん曰く、”井田さんは3D のホープ”です。)
「彫刻は、例えば粘土で作って、それが最終形態にはならないんです。型とってそれ(粘土)はなくなる前提で作っているんです。残らないんです。でも彼はそのまま(粘土を作品として)使っちゃうんです。そのまま(粘土を)使うって僕らからすると本来ありえないことなんですよ。だけど、昔の日本で、例えば新薬師寺の十二神将がそうなんですけど、”木心塑像(もくしんそぞう)”という、焼かないし、素材も置き換えない、塑像の粘土の部分だけを使って作品にするという、”焼かない塑像”というのがあるんです。彫刻家ではタブーなんですが、でも彼はそれが平気でできてしまう精神力とユーモアがあります。」
「本人は妥協って言ってますけど、僕は彼の場合それが良い方(向)に働いていると思います。」
横川さん、妥協ではなくタブーをも楽々と乗り越える自由な発想なんですね!
横川さんの周りには横川さんを理解して、支えてくれる方が沢山いるなと思いました。彫刻科への進学を温かく見守ってくださった芸大の先生。アーカイブ室の井田さん。彫刻科の同級生。そして美術高校の仲間。芸大受験中はお祖母様の言葉に支えられたというお話も伺いました。横川さんにお話を伺って、”映像への想い”と支えてくださる”周りの方への感謝の気持ち”を感じました。横川さんのその人柄を慕って、これからも多くの人が”映像と立体”の制作をサポートしてくださると思います。私も短い時間お話ししただけですが、横川さんのファンになりました!これからのご活躍を信じて疑いません。修了制作の完成を楽しみにしています。
執筆:河村由理(アート・コミュニケータ「とびラー」)
2016.01.17
「外国語を話す方々にも、都美を楽しみ、親しんでいただきたい!」という思いを持った とびラーが 集まって議論を続けています。
「この辺で、生の声を聞いてみたいよね?」ということで、トライアル鑑賞会を実施するに至りました。 コミュニケーション方法は、“易しい日本語”で。 「英語圏の人は英語で応対できた方がベストだけど、私達とびラー側のハードルが上がっちゃう…」、 「英語だけでなく、中国語やフランス語も必要なのかも?」、
・・・、 という議論の末、今回はこの方法に行き着きました。先ずは対象者を日本在住の人に絞ってみようということでもあります。
鑑賞に選んだ舞台は、書の「感じる漢字―⻄川寧・⻘山杉雨・手島右卿を中心に」に決定。常設展を持たない都美において、数少ない所蔵品を味わえる展覧会です。 「漢字って結構海外で流行っているから、興味持ってもらえるのでは?」という意見の一方、 「日本人でも楽しみ方を知っている人は少ないので、鑑賞は難しいかも・・・。」と様々な期待と不安が 入り交じる中での実施でした。
準備には、鑑賞会の運営・スケジュール決めから、下見、担当学芸員さんへの相談、鑑賞作品の情報収集などなど。そして、参加していただくお客さんは、とびラーネットワークを活用してお友達に声をかけていただいて集めることに。
いよいよ当日。打ち合わせと会場設営を終えたところで、続々と会場のアートスタディールーム(以下 ASR と表記)に、とびラーの友達・会社の同僚・親戚の方々がいらっしゃいました。出身の国・地域も 様々で、アメリカ1名、タイ1名、台湾2名と日本人の旦那さん1名の計5名です。
お客さんをお迎え中(左)と、トライアル開始(右)@ASR
自己紹介でお互いの緊張をほぐしつつ、今回の鑑賞会の趣旨を伝えていきます。日本在住でアジア系の 人が多かったせいか、日頃から漢字に慣れ、習字のご経験もあったりと、書をご存知の方ばかりでしたの
で説明もすんなり理解して頂けたようです。
いざ展示会場のギャラリーBへ。下見のときとは違い、一般来場客の方々が予想外に多くて戶惑いながらの運営でしたが、肝心の鑑賞とそのリサーチをすることができました。
「感じる漢字―⻄川寧・⻘山杉雨・手島右卿を中心に」を鑑賞中@ギャラリーB
「うーん、この作品はどうしても文字として読んでしまうので鑑賞という考えに切り替えられないなぁ。」
という作品がある一方、
「グラフィックデザインをみるように楽しめるよ!人によっていろいろな見方ができるね。」
「余白が素晴らしい。面白い。」
「文字の配置をあえて崩しているのが面白い!趣味でやっているハンコ作製はきれいに見えるよう配置
を崩すことがあるけど、それに似ていますね。」
などなど。コミュニケーションには”易しい日本語”に加え、通訳とびラーを介した中国語となりました。 我々が期待していた以上に、書の楽しみ方を「感じ」ていただいたようです。もしかしたら日本人以上な のでは?と思うコメントも多くいただきました。
ASR に戻り、お習字ワークショップも合わせて実施しました。展覧会の体験を文字で表現してみよう
というものです。
お習字ワークショップの様子@ASR
さすがに最初の一筆を躊躇なさっていたものの、とびラーの書き始めを皮切りに、次々とかいていただ けました。気に入った字を書く人、作品に感化されて描く人。その人それぞれの思いを形にしていただき
ました。
最後にトライアルの感想と共に、外国語を話す方々の目線で「日頃上野について/都美について」など
について感じてらっしゃることを伺いました。
トライアル後の聞き込み調査中@ASR
◆感想として、
「(書には)絵に負けない作品があることを知りました。」 「一般的な書だけでなく、いろいろな作品があって楽しめた。(対話による)鑑賞方法も珍しく、話すの も聞くのも書くのも良かった!」
「異なる文化の方と感想を共有できるのは楽しかった。」 「鑑賞後にすぐに誰かに感想を話したくなるタイプなので、今回のように誰かと一緒に鑑賞しながら感想 を言い合えるのはいい体験だった。」
◆日本語でのコミュニケーションについて、 「アートなど文化的なことを(母国語でない)日本語で表現するのは難しい。」 「深く知りたいときは、やはり母国語の方が良いですね。」
◆都美へのアクセスについて、
「(都美を含めて)ミュージアムには何度か見に来ていますよ。」 「上野公園の展覧会表示が分かりにくいかな。旅行客は、まず上野に来てからどこに行くか考える人もい るので、HP もですけど案内表示も分かりやすくすると良いと思います。」 「ツアーをできる人を呼んで、ツアーを企画するのも良いかもしれませんね。」
などなど、私達には普段気が付かなかった大変有意義なコメントをいただけました!
最後に全員で Say cheese!
集合写真@ASR
トライアルにご参加いただいた皆さま、ありがとうございました!学びあり、笑いありのとても充実した時間を過ごさせていただきました。
良かったこと、もっと考えなければならないことが、徐々にはっきりしてきたように思います。今回の トライアルでの経験を活かして、次の活動へつなげていこうと思います。ご期待ください。
終了後の振り返り@ASR
執筆:小高隼介(アート・コミュニケータ「とびラー」)
2016.01.13
午前中の激しい風雨が嘘のように、午後は一転して晴天に。20度を越える季節はずれの生暖かさの中、風雨が残した落ち葉のカーペットを踏みつつ藝大 総合工房棟へ。
今回取材に応じてくれた藝大生は、建築科の阿部春香さん。
制作室はパーテーションで学年毎に区切られ、模型や材料などが所狭しと並んでいる。取材時は卒展シーズンのため、4年生のスペースが大きい特別レイアウトとのこと。
―藝大で建築科を選んだ理由は?
絵画とかファインアートではなくて、一番身の回りに溢れている建築に興味がありました。街を歩いていて、目に映るもの全てが誰かがデザインしたものであって、すごく疑問に思ったり、なんでこんなデザインなんだろうって思ったり、そういうものを自分で作れたら面白いだろうなと思って、建築科を選びました。
―自分なりに勉強されたことはどんなことですか?入る前でも、入った後でも。
特に入ってからの方が大きいですが、名古屋市の自動車のために設計されたような画一された都市で育ってきたので、東京の谷根千の路地空間とか、いろんなスケールの都市の集合体みたいなところを日々歩いたり、見ているだけで勉強になっているところがあります。
―東京の都市空間に、勉強になるところがたくさんあると?
そうですね。あと、旅行して一番印象的だったのが、2年生の夏休みに一人で行ったインドです。人が街の外にはみ出て生活していて、今まで当たり前だと思っていたことが場所とか季節とかいろいろな条件で全く違うものになってしまうのが面白いなと。
―街に興味を持つきっかけって、他には何かありますか?
幼少期から気がつくと家の間取り図のようなものを描いていたりして、暮らしの空間を思い描いたり創造したりすることが好きなんだと思います。
―卒業制作までの4年間にどういうことを勉強してきましたか?
1年生で椅子を作って、2年生で住宅を設計し、3年生では大宮東口の市役所か公園を設計するグループワークを東洋大学とやったりしました。学年を経るごとにどんどん大きなスケールなものを設定して解いて答えていき、少しずつ建築設計を踏んできた、という感じです。
―(目の前の作品を指して)4年生になって都市設計的なことを?
これは、2020年の東京オリンピックの選手村を設計敷地にしていて、現行プランに対するカウンタープロポーザルとして、オリンピックの後の街を思い描いて作っています。一番大事なのは、どういう風に使われ、どういう街になっていくのかということですね。
―卒展についてもう少し詳しく伺わせてください。
選手村で絶対必要なものがセキュリティーラインと言いまして、選手以外は一切立ち入れない境界が必要です。(作品を指さしながら)ここからここのジグザグのエリアなんですが、どういう風に作ろうかと考えたときに、日本の城下町のお濠をイメージしたんですね。
―これ(島の縁に建つ帯状のもの)は何でしょうか?
城壁のイメージで、島全体を万里の長城みたいにぐるっと取り囲む宿泊棟です。今回の設計は「つわものどもが夢のあと」っていうテーマで、(松尾芭蕉の)「夏草や 兵どもが 夢の跡」から採っています。ヒーロー達が住んだ場所という功績を建築で残したいと思っています。城跡って、下の土台だけが残ってたりするじゃないですか。そういう、痕跡みたいなものを表現したいです。島の中心に400 mトラックがあって、くり抜くように建物が囲んでいる形が、オリンピック後に「なんでこうなっているんだろう?」ってなったときに「実はね・・・」っていうストーリーとして、こういう操作を行っています。
―三角形の塔は?
選手のダイニングとか娯楽や祈りの施設が集約されています。三角形にしたのは、(壁に貼ってある資料を指して)この茶色い直線が主要な門とかバスのターミナルを繋ぐ直線動線で、お濠とで囲まれた場所の形から至ったという感じですね。
―現行プランに対する設計の特徴はどこになるのでしょうか?
現行プランは機能別に施設が整理されているのですが、私はそれに対して、選手達の滞在場所となる城壁の付近に、練習場所をポコポコと配置して、さらに室内競技の練習空間をこの城壁の一部に組み込んでいます。
―つまり、住居と運動スペースが混在した中でバランスさせることで、選手村だったというメッセージが伝わりやすくなり、それがカウンタープロポーザルとしてのアピールポイントになるのでしょうか?
そうですね。選手同士の関わりや暮らしのあり方に重点を置いています。
―城壁に練習空間が組み込まれているとは?
えーとですね、ちょっとやっちゃうと・・・(笑)。(作品の一部を取り外し、おもむろにカッターで切り取り始める)例えば、・・・グググ、・・・カカカ(切る音)、即席なんですけど、(断片を指しながら)例えばこれがレスリングの練習空間だとして、ここら辺にはめ込むことも・・・(断片を作品に接着しながら説明中)。このように天井の高く広い室内練習場も住居スペースに組み込まれてて、オリンピック後はイベントスペースとしての転用を考えています。
説明のために、住居スペースから練習空間を分離し、移設していただいたところ。
―再開発された隣の月島地区との調和は何かお考えですか?
自分はそういう高層なビルディングに疑問を抱いていて、その対抗案でもあります。私の案にも高層な部分はありますが、低層部のデザインを緩やかな有機的な場所と水路といった、親水性を持った豊かな生活空間として考えています。
―ありがとうございます。最後に、将来はどういうお仕事をしたいですか?
海外のアトリエ建築事務所に行きたいと思っています。今まで課題で作ったものとか、やりたいこととかを考えていると、海外でやってみたい意欲があって。その準備期間とかまだ勉強不足な部分もあり、大学院に入ってもう一回勉強したいという段階です。
―海外ではこういう都市設計をやってみたいですか?
そうですね。人々が集まって住むものにすごく興味があるので、大きな集合住宅とか、そういうスケールのものを作りたいっていう意欲があります。
―ありがとうございました。
どうもありがとうございました。
執筆:小高隼介(アート・コミュニケータ「とびラー」)
2016.01.06
12月初頭、冬のひんやりした空気が漂うなか、デザイン科の佐川翠里さんに会いにいってきました。
総合工房棟3階。エレベーターを降りて、建物の奥へ。何やら混沌とした廊下を通り抜け、黒い紙が貼られた扉を開けると作業室が広がっています。
部屋にはいってすぐ、左手が佐川さんのスペースでした。
天上から吊り下がるようにして、制作途中の作品が飾られています。
「四角い空間を覆う『やわらかい形の家具』というのをテーマに、編むかたちのライトをつくっています」と紹介してくれました。
椅子などの家具を中心に制作している佐川さん。いま取り組んでいるのは、かたちや空間を自在に変えられる照明器具です。壁や天上からかけたり、覆うようにしたりして使うことができます。
ひとつひとつのパーツを合わせて編んでいくと、全体像がみえてきます。中のLEDをつけて、灯りをともした様子。
素材はプラスチック。発注して真空成形したものです。その数全部で400個!
ひとつのパーツにつき3枚から5枚のかたちが重なっています。
配線はひとつひとつ自分でハンダ付けしているのだとか。
―ユニットというか、ひとつのかたちをいくつか組み合わせていくような作品ですね。
「それをテーマにしています。ばらばらのものなんですけど、つなげていくと、編んでいるようになったり、一本の糸に見えたりっていうのが、面白いな、と思っています。」
ーひとつひとつのフォルムもすごくきれいですし、それをつなげた時の見え方の違いも意識されているように感じます。
―これまでも家具をつくってきたんでしょうか。
「2年の終わり頃から、プロダクトか、インテリアの方向に進もうと思っていました。去年は紙を使って、立体的な障子をつくろうかな、っていうのをやってみて。ずっとユニットでものをつくってきました。」
今回の作品に至る模型です。
―ユニットにこだわりはじめたのはいつ頃からですか?
「予備校の頃からそうで…私のつくりやすい、好きなかたちなのかもしれません。最近気付いたんですけど(笑)。組み合わせて大きいものが作れる、っていうのが面白いなと」
「これが前回の作品で。プレ卒と言って、卒業制作の中間発表のようなものなんですけど」
はにかみながら見せてくれたのが夏頃につくった椅子の模型。ほぼ原寸の大きさ。
フェルトに樹脂を使ってかたちをつくっています。
「これも組み合わせていくと面白いかたちになるよ、っていう作品です。
組み合わせてみた結果、思ったより膨大なサイズになってしまったのが難点で…。もし使うとしたら、公共施設とか、図書館のこども用スペースにおけたらいいな、と思っています。」
―かたちのアイデアは、いつもどこから得ているのでしょう。
「ずっとパターンで続いていくかんじの、古典的な模様ってあるじゃないですか。それを立体的におこしたらどうなるんだろうって考えてみたんです。それと、今回はニットの『編む形』というものを一緒に考えていて」
「今回モチーフになっている、ニットの編み目がこんなかんじです」
よく見ると模様の形状や一つ一つの編み目が見えてきます。
S字のようなカーブが作品のかたちに導入されているようです。
授業中に前の席の人が着ているセーターから着想を得たのだとか。
「じっと見ていたら、面白いことができそうだなと思って」
―これは売るとしたら、パーツ売り?
「10個入りとかじゃないですか(笑)場所にあわせてかたちや大きさを変えられるっていうのが売りなので。編み方のバリエーションも色々試しています。」
―どんな空間や状況で使うことを想定していますか?
「このライトは、たとえば事務的な四角い部屋って堅苦しいじゃないですか。そういうところの隅っこにちょっとかけてあげて、空間がやわらいだらいいな、とか。それから、ホテルの内装とか。」
―落ち着ける場所?
「そうですね、ちょっとやさしいかんじになるな、って。」
「規則性をできるだけ壊して、ランダムなかんじに展示しようとしています」
―いつもどういうところから制作を始めますか?
「うーん、かたちが先にあって、あとから使用状況を加えていきますね。見た模様から、ここが立体化したら面白くなるんじゃないかって考えて、作り始めています。」
ブーメランのような、不思議な形。
「インテリアとしての、装飾的な意味合いが強い作品です。都美館で展示する際は、向こう側が透けて見えるので、パーテーションのような使い方も提案しようと思っています。」
―照明器具でありながら、空間も仕切れるんですね。
「暗いところの方が灯りはきれいに見えるんですけど、細部が隠れちゃうので。明るい空間が好きなので、模型や写真と合わせて展示したいなと考えています。」
―色や素材はどう選んでいきましたか?
「この色、在庫が余っていて安かったんですよ。同じ値段で、表面もふわふわにできるよって(業者さんに)教えてもらって。本当はフェルトを使いたかったんですけど。あまり派手な色が好きではないので、普段の制作物も白ベースや、中間色、渋めの色が多いです。今回に関してはかたい素材があわないこともあって、妥協しつつもこれにしました。触り心地がいい素材のものなので、見る人が触れられるようにしようと思っています。」
夏休み前からずっと取り組んでいるという制作。
この作品も含め、佐川さんが制作しているのは「ニット」をモチーフにした家具の連作。
今回見せてもらったライトとチェア、カーペットの3種類のシリーズ作品に仕上げていくそうです。
1月には実物の作品と模型、使用状況がわかるようなスケッチを展示するのだとか。
模型段階の椅子。実物はかなり大きく、人が寝そべることができるサイズなのだそう。
「制作以外だと…、あんまり趣味がないんですけど、普段は部屋の中で本を読んでいます」
もともとは書籍のデザインに興味があったという佐川さん。
平面を立体にする面白さに惹かれてプロダクトデザインに進んだと話してくれました。
「卒業後は大学院にすすんで、その後はプロダクト関係に就職したいと思っています」
他にもこれまでの活動として、下駄や階段に置く椅子(!)を見せてもらいました。
「下駄をつくったあたりからプロダクト面白いな、と思って」
―これまでの制作も曲線が多用されていますね。
「今回の作品では、直線の空間に曲線のものを這わせていくことで、かたい空間を崩していきたい、というねらいがあります。」
―曲線はどうやって決めているのでしょう。
「今まで見てきたものの中で、きれいな曲線を思い出しています。
今回の作品には、直接つながってはいませんが、虫部に入っているので、昆虫の羽の曲線なんかはよく見ているかもしれません。虫だととんぼが好きです。形としてきれいだなと思っています。機能的にも優れているし」
「制作費用のためにも、去年からライティングの会社でアルバイトをしています」
現場を身近にみていた経験から、照明の制作にしたという経緯もあるかも、と語ってくれました。
―同期の学生と作品について言いあうことはありますか?
「制作の仕方とか、アドバイスしあうことはありますね。他人に共感を得ないといけない分野なので、柔軟に聞き入れようとは思っています。
発注先の業者さんにも色々話しを聞いたり、相談したりしますね。工場に実際に行ってみて、素材を見ながら話すこともあります。」
今後もプロダクトやインテリアに携わっていきたいと話してくれた、芯の強い瞳が印象的でいた。
来月の卒業制作展でシリーズ作品が出そろい、佐川さんの曲線に彩られた空間ができあがるのが楽しみです。
(とびらプロジェクト アシスタント 峰岸優香)
2016.01.06
「こちらにどうぞ」
案内されたのは工芸科の彫金工房。広い空間に所狭しと作業台や器具が置かれている。どの机にも多様な工具が並び、学生たちは黙々と個々の作業に取り組んでいる。室内は部屋金属を叩く甲高い音、ヤスリの摩擦音、様々な音で溢れており、そんな騒然とした部屋の一角に、水谷さんの机はあった。
(水谷さんの机。たがね等の道具を作るところから工芸科の基礎は始まる。)
「まだ完成にはほど遠いのですけれど・・・」
といって見せてくれたのが、現在取り組んでいる作品。
—制作中の作品について教えてください。
いま、ジュエリーを制作中です。身につけるものです。素材はシルバーを用いていますが、板の状態からパイプ状にしてつくっていきます。
大きいものは頭に付けるティアラやブローチなどになります。そこにホワイトトパーズをとめて、動きのあるものにしています。身体が動いたり、歩いた時にキラキラ耀いたりするのを意識しています。ジュエリーなので1つ1つの作品の身につけたときの美しさや装着館が大切ですが、今回は修了制作展での展示したときの全体観も重要です。なので、展示したときに360°どこから見ても美しい形とジュエリーの機能性(ブローチ金具など)の両方を試行錯誤しながら日々制作しています。
(今回の作品の為に制作している展示台。実物はなかなかの大きさ。)
—今回の作品のテーマは何でしょうか。
テーマは「芽吹く時」。私は自然のものからイメージを生むことが多いのですが、今回のテーマは、春から考えていました。銀座を歩いていた時に、3月ごろトチの木の芽を見て、その力強さからインスピレーションを受けました。土から出ようとする木や、芽が出る時の繊細さと力強さ、春の訪れの心のときめきを作品にしたいと思いました。私はジュエリーの持つ繊細さと女性の持つ繊細さを重ね合わせ制作しています。この芽吹きシリーズでは、女性のたおやかさ、しなやかさ、儚さを芽吹く様の自然の美しさを大切に表現できたらと思っています。
(植物のように有機的で滑らかな曲線。どう仕上げられていくのだろう。)
シルバーを使うのは金やプラチナは高価なため、価格の問題もありますが、磨いた時の光った感じと色味がとても良く、その表情の未知の可能性と美しさからインスピレーションを受けるのです。つくりたい形や表現にシルバーを当てはめるだけではなく、素材と向き合ってみつけた表情と自分の表情が繋がった瞬間の感覚を大切に見逃さないようにしています。
—彫金を選んだことについて
工芸のうち鍛金、鋳金、彫金、漆、陶芸、染織から選択することになっているのですが、私はそのうち彫金を専攻しました。粘土制作など、自分の特技は何か付け加えるプラスの仕事であるのに対して、彫金は削る、マイナスの仕事で、実はもともと苦手な作業でした。けれど、削ぎ落としていく仕事だからこそ、その感覚を身につけたら良いものができるのではないかと思ったのです。自分の性格や、ジュエリーの制作過程を顧みた時に、合うのではないか、という直感みたいなものはありました。
私は学部の卒業制作もジュエリーで、それが代表作ではあったのですが、何か違うな、と思う部分が自分の中にあり、今回の作品に至りました。かたちとして違うものを出したい、という思いもありましたし。根本ではつながっているけれど、今回は、もっとシンプルに表現できないかと考えています。「削ぎ落としていくこと」は、自分にとってアグレッシブな挑戦です。
ジュエリーはオブジェと違って、装飾品として身に付けられるもの。だから、普通のアートや展覧会には興味がもちにくい人も、自分が“身に付ける”というイメージが持ちやすいと思いますし、見てもらえる機会も増えると思うんです。今後の日本でも、芸術としてのジュエリーが広まっていったらいいなと思います。
(学部時代の卒業制作で、初めて本格的に取り組んだジュエリー。)
—予備校時代はいかかだったのでしょうか。
藝大を受験する時は始めデザイン科を考えていました。しかし工芸科の試験に粘土があり、こちらの方が得意だったのです。紙の上よりも粘土で作る事の方が好きだと思い、工芸科に進むことにしました。
粘土が好きだったので、大学に入ったあとは陶芸や漆に進むことも考えていました。大学入学後に自分の彫刻的な造形力のなさを痛感しなんとなく当時は先が見えなかったのです。その流れを続けて行くよりは、新しい自分を見てみたいと思って彫金にしたのかもしれません。直感ですが、素材自体が美しい金属に身を委ねてみると可能性があるのでは、苦手な部分もうまくコントロールしながら進めていけたらな、と。
(現在制作中の作品のために整えた道具。これも自作というのだから驚かされる。)
—藝大に入る前は?
藝大に進もうと思ったのは、高校1年の時です。当時、校内の海外派遣でドイツのドレスデンに行きました。そこでドレスデンの美しさに感激し、また、人々が自分の国の文化に誇りを持っていることにも感動しました。そして日本の伝統工芸を学べる所を考えはじめ、これが藝大に進むことになった理由です。
—今後どうありたいですか?
保存・修復に憧れた時期もありましたが、次第に表現の方に興味が出てきて、今はデザイナーであり、アーティストでもいられるジュエリーの業界で働くことを考えています。
(卒業制作から悩むことが多かった次期を乗り越えようと、「今ある環境で、今の自分で、どうやっていくか」、常に模索を大切にしているという水谷さん。)
今後も自分の感覚を大事に、倦まず弛まず作り続けていきたいなと思います。ものづくりが好きだなと思ったきっかけも、自分の作品を身に付けてもらえたり、喜んでもらいたい!という気持ちでした。そして感謝の気持ちを大切にしています。作品をつくる上で、必ずルーツや初心を思い出し支えにしています。ここまで応援してくれた家族や支えてくださった方々に常に感謝の気持ちは忘れないでいたいです。ジュエリー制作だけでなく、美術を通して笑顔を与えられるような制作を、生涯ずっと続けていきたいと思っています。
(2015.11.28)
インタビュアー:尾崎光一(アート・コミュニケータ「とびラー」)
撮影・校正:峰岸優香(とびらプロジェクト アシスタント)