執筆者:小野関亮吉
東京都美術館の正面入り口エスプラナードにある、大きな銀色の球体。シンボルのような存在のこの彫刻は、井上武吉の《my sky hole 85-2 光と影》(マイスカイホール)という作品です。とびラーの多くは、この作品への愛着を込めて「マイスカ」と呼んでいます。
大きな球体は全体が鏡面になっていて、上から下へ、斜めに貫通する穴が開いています。マイスカの前に立つと、自分や建物を映してみたり、穴をのぞき込もうとしてみたりと、何かしらのアクションを起こしてしまう、魅力あふれる作品です。
この作品は、ステンレス製の球体と鉄製の台座で構成されています。2つのパーツの関係をよく見てみると、台座の形が球体の影のように見えると気付かれる方が多いのではないでしょうか。素材の質感から見ても、全方位に光を反射するピカピカの球体と錆びた赤茶色の台座のコントラストが、まさに「光と影」を感じさせます。
球体部分があまりにも目を引くため、影部分はなかなか注目を浴びることがないかもしれません。私たち「太陽とマイスカととびラーで作るラボ」は、この影の部分に関心を寄せるとびラーが集まったとびラボです。
東京都美術館の作品紹介の動画<https://www.youtube.com/watch?v=1n0-t8jhEKk>でも語られているように、球体を貫く穴の角度は、作品の基本設計が行われた1984年12月8日正午の太陽光の角度となっていて、またこの日時に球体が作る影の形に沿って鉄の板でできた台座が付けられているとのことです。
台座が球体の影を表していることに、間違いは無いようです。
12月8日は作者である井上武吉の誕生日でもあることから、とびラーの間では、「作者の誕生日の正午に、球体の影が台座の形と一致するらしい・・・」と、まことしやかに囁かれていました。
しかし、実際に12月8日に影の形を観察してみても、影は台座の範囲を大きくはみ出し、一致することはありません。作品が制作された場所(一説によれば鎌倉の工房)と、現在の設置場所が異なるから重ならないのではないか?あるいは、制作されて以来の歳月の間に太陽高度が下がったのではないか?などと、さまざまな憶測が巡りました。
だとしたら、今の場所では、球体の影と台座の形はいつ一致するのだろうか?球体の影と台座がピッタリ重なる角度の太陽が出るその日を、私たちは検証し切れずにいましたが、ある日突然、1人の来館者の方からいただいた情報により実態が明らかになったのです。
その方(ここではTさんとさせていただきます)は、以前「とびラーによる建築ツアー」<https://www.tobikan.jp/learn/architecturaltour.html>に参加されました。その際に、当時のとびラーとの雑談の中で「作者の誕生日の正午に、球体の影が台座の形と一致するらしい」という噂を聞いたことを覚えており、実際に12月8日に来館して観察されたのだそうです。
そして影と台座が重なっていないことを確認しました。ではいつなら重なるのだろう?と興味を持ち、調査を始めることにしたそうです。Tさんは、マイスカの座標、球体の高さ、台座の長さなどのデータを揃えました。そして、台座と球体と太陽が一直線に並ぶ時の太陽方位、台座の先端を球体の影の頂点が通過する時の太陽高度、その両方が重なる日時を計算で割り出しました。
するとその日時は、「立冬」と「立春」であることを突き止めたのです。
僕たちがTさんの存在を知ったのは、「エスプラナードで会いましょう」<https://tobira-project.info/blog/20231216_esplanade_de_aimashow.html>というとびラボの準備をしている時でした。
2023年に実施した「エスプラナードで会いましょう」の様子。
たまたまお声がけしたとびラーがTさんのお話をうかがっていると、興味を持ったとびラーが集まりました。中にはメモを取るとびラーもいました。するとTさんは、後日この研究と観察の資料をとびらプロジェクト宛に送ってくださったのです。
そこには、作品の座標、採寸データ、太陽方位と太陽高度の数値が実に詳細に書かれていました。さらにそれだけでなく、球体の影が台座の形と一致した状態を含む、前後数日間の観察記録が、写真と共に記されていたのです。この資料さえあれば、今後は誰でも球体の影が台座の形と一致する日時を分単位で知ることができます。みんなで資料を回し見ながら、個人でここまで深く研究されている方がいるのかと驚きました。
Tさんが導き出した、台座と影が一致するタイミングが二十四節気の「立冬」と「立春」であるという事実から想像するに、作者の(あるいは作品の設置に関わった何者かの)何らかの意図を感じます。そしてそれを、観察によって解き明かしたTさんの情熱には敬服するばかりです。
Tさんの研究結果を提供していただいた以上は、とびラーとして、人と作品、人と人、人と場所をつなぐ活動に発展させたいと思いました。とびラボでは、一年に二度しか起こらないこの現象に合わせて何ができるのか、Tさんの資料の数々を目の前に広げやりたいことのアイデアを出し合いました。
自然が相手のため、天候次第では影が出ないこともあり得ます。それゆえに、一般の方を公募で事前に募集したりイベントとして広く告知したりするスタイルは不向きです。それよりも、ふらっと美術館に来てみたらなにやら人が集まっていて、聞けば今日は野外彫刻作品の台座と影の形が一致する日なのだと。思わずそこに居合わせた人たちと「へー」と盛り上がったよ。そんな風に、たまたま出会った人と人が作品を介してつながれる、このラボではそういう一時を作りたいという意見がでました。具体的にどのように実現できるのか、思案し続けています。
マイスカの影に注目したことで、私たちは、エスプラナードで見られる他の野外彫刻作品や建物、自然が生み出す様々な形の影の美しさにも気づきました。
4棟が立ち並ぶ公募棟の四角い壁面には、巨大な三角形の影ができます。反対側に位置する企画棟からは、その前を人々の影が行き交い、なんともドラマチックな光景を見ることができます。無意識に明るいところに目が行ってしまうのが人間の性かもしれませんが、影に注目することでトリックアートや切り絵を見ているような感覚になります。世界の裏側に入ったようなこの不思議な感覚を、みなさんにもぜひ味わってみてほしいです。
台座と影の形が重なるその日時が近くなると、このとびラボに参加したとびラーを中心に誘い合って、マイスカの前に集まっています。そして来館者の方も何人か興味を持ってくれて、一緒に鑑賞することもできました。今のところこのとびラボでできたことは、作品にできた影を他の人と一緒に鑑賞した、作品だけでなく影の形や現象が面白いことを誰かと共有しただけです。でも少なくともとびラーの中では、徐々にこれらのことに興味を持つ人が増えてきているように感じています。
この野外彫刻と影の観察の面白さが他の来館者の方にも知れ渡り、特に「立冬」と「立春」にたくさんの人が集まり、マイスカの影と台座が重なる瞬間に歓声が起こるような景色が見られたらいいなと思います。その時は、その場にコミュニケーションの輪が広がるような何かができるといいですね。例えばハイタッチでもいいし、例えばご来光を迎えた時のようにみんなで合掌したりするのも面白そうです。
そして、マイスカの影には実はもう一つ面白い仕組みがあることも、Tさんが教えてくれました。
「立冬」と「立春」を挟むある時期(おおよそ11月上旬から2月上旬まで)には、マイスカを貫通する穴を通り抜けた光が台座の上で様々な形に変容します。台座の中央に光が集まった時は、驚くほど強い光の塊を見ることができます。
光を受けた立体、その影、さらに影の中の光。マイスカは動きませんが、太陽の光を身に受けることで、季節や光などの常に動いているものの方を見せてくれる、マイスカはそんな作品でもあるのだと知ることができました。この1作品だけでも年間通して観察する面白さがあることを、Tさんの活動から教わりました。
これを読んでいただいた方が東京都美術館に来られた時、マイスカの周りをぐるりと回って影に思いを馳せていると、どこからか現れたとびラーと出会うかもしれません。その時は、太陽とマイスカととびラーとみなさんで、その一時を楽しみましょう。
執筆者:11期とびラー 小野関亮吉
普段はゲームソフトの開発現場でプロジェクトマネージャーをしています。公私共に人と関わる機会が少なくなっていることを感じ、コミュニケーションが生まれる仕組みやコミュニティ作りに関心を持つようになりました。美術館は作品を鑑賞するだけでなく、誰かかと出会える場所であることを伝えていきたいです。
2024.03.30