東京都美術館× 東京藝術大学 「とびらプロジェクト」

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Archive for 1月 23rd, 2022

2022.01.23

快晴の青空が広がる2021年12月23日、東京藝術大学取手校地を訪問。食堂に設置されたギャラリーに工芸科 陶芸専攻 修士2年 萩原睦さんのガラス作品は置かれていた。その大きさ、美しさ、清逸さに、私たちとびラー3名はインタビューアーとしての役割も暫し忘れてただ見とれていた。

冬の空にうかぶ月と金星を漆と真鍮で描いている

 

底辺部は深い青紫から群青色へと変化し、少し視線を上にあげるとピンクとオレンジの混ざりあったあたたかい色に引き寄せられる。空一面の表情のようでもあり、水が揺らめいているような風景にも見える。作品中央部には金色に輝く三日月と金星が浮かび、上層部は薄水色や乳白色のグラデーションの空がどこまでも広がっていくようだ。

さらに「うつわ」の外側と内側では、光の入り具合で表情が異なる。どこを切り取ってもその風景に吸い込まれていくかのような感覚。このなかに身体ごと入ったら、どんな景色が広がるのだろうか。

詩 《16:23》

 

《16:23》ー 萩原睦

 

はじまりとおわりのはざまで
わたしたちは時を歩む

 

透き通った優しい風が
水平線から海を渡って
髪の隙間を通りすぎ
世界の影を取り払いながら
そこら中を透明に満たしていく

 

記憶の底の重たい影も
こぼれ落ちた溜息と共に
空に向かって溶けていった

 

三日月の背中に意識を巡らせ
小石の歴史に思いを馳せる
ポケットの中の小枝さえ
光に透かすと透明だった

 

気づけば金星が瞬いている
空はオーロラの欠片を身に纏い
これから続く夜へのはじまりへと
足音を立てずに向かうのだ

 

世界に影が満ちるとき
ひとすじ流れた星の光を
そっと両手ですくいとり
再び地球に舞い戻ろう 

 

はじまりとおわりのはざまで
わたしたちは時を歩む
確かにこの光を手渡すために

 

萩原さんと作品《16:23》

 

ー 思わず覗き込みたくなる作品です。空みたいな色にみえました。

《16:23》というタイトルなのですが、大好きな季節である「冬」の空に感動した時の景色です。地平線まで見える建物の屋上でこの写真を撮りました。撮った時の気持ちや感じたことをメモしておいて、それを詩にしています。ガラスと写真と言葉という3つをあわせて表現しました。「うつわ」の形をしていて、中に入ったらその時の空の下にいるイメージです。

 

ー 3つで1つの作品なのですか?

はい。ずっとガラスの表現を追求していたところに、写真や言葉を足すというアドバイスを先生からいただいて…大学院になってから始めました。写真は自分の見たものをそのまま写せるものですが、言葉はそれを読んだときに視覚以外の感覚を想像してもらえるものだと思います。これらをガラスという素材に立体的に表したときにどうなるのか。3つのバランスがうまく揃ってこの情景が浮かぶといいなと思っています。

写真は日々、記録として撮っていました。言葉については…大学院に入ってから、考えをエッセイや文章にする授業がありました。そこで、言葉や写真も記録でなく表現として扱ったらどうかというアドバイスをいただき、実際にやってみるととても大きな反応がありました。見た人に、より深く世界観を感じてもらえたのです。それがとても面白くて、手の中に納まるような小さな「うつわ」の作品にも全部言葉と写真をつけています。

 

ー 作品を最初につくり始めるのはどこからですか?

日々過ごす中で感動した景色や光を写真で記録しています。フィルムカメラを使っているので、時間が経って現像から戻ってきた写真を見て、どの瞬間を作品にするのか決めています。言葉は景色をみた瞬間に浮かんできてメモする場合もありますし、写真を見て改めて書くこともあります。言葉より先にガラス制作に入ることもあります。

 

ー 写真とガラス作品を見比べると、忠実に写真の景色を写し取っているようで、そうでないところもあるようにみえます。

ガラスの色は絵の具のように多様な色ができ、ガラスの粉の割合を調整しながら混ぜて作ります。すべての色を実際に作って試したのですが焼成温度や時間によって色が変わってしまい、思っていたのと違う部分があります。また表現として再現したい色を出しているところもあります。この作品の下の部分の青い色は写真よりも青を強くして地球の影の色を表しています。ガラス作品でより記憶に近づけたいと思って制作しています。

 

ー 作品づくりにどのくらいの時間がかかるのですか?

この作品は、9月中頃から作り始めて12月中頃まで、3か月くらいかかりました。
60kgの大きな作品なので、石膏の型にガラスを詰めて窯に入れてから2週間の焼成、出してから磨くのに1週間かかりました。窯は鋳金用の大きなものを借りてつくりました。

 

ー 今回の作品はとても大きなものですが「うつわ」の形をしていますね。「うつわ」という形にしたのはなぜですか?

いつか1回は大きなものを作ってみたいという思いはありました。同時に「使うものをつくりたい」という思いもずっとあります。特に大学院に入ってからは実用性と自分のコンセプトを両立させたいと思ってきました。「うつわ」は手に取ってすぐに触れられる、身近なものです。使うものとして手に取るときに同時に想いを感じてもらえて、生きる希望になるような…例えば「うつわ」をみて景色を思い出して勇気づけられるとか、日常にそんな想いのこもった美術作品を置いてほしいと思って「うつわ」をつくってきました。

 

「うつわ」の形には“使うための形”という側面のほかに “空間を切り取るもの”あるいは“外と中の境界線をつくるもの”という側面があります。修了制作の作品では“使うもの”というよりも、“空間を切り取って内包する”という「うつわ」の性質に重点を置いて空の時間を切り取りました。空は人間が及ばない大きなものなので、空から受けた大きな感動を表せる、できる限り大きなサイズでつくりたいと思いました。切り取って内包した空間を感じてもらうために、ぜひ覗き込んで外と中のそれぞれの色のグラデーションを見てもらいたいです。今回はそのコンセプトに「うつわ」の形がぴったり合ったと思います。

学部生時代に一番最初に作った「空を味わう。」テーマにした作品

 

ー 萩原さんの記憶のなかの風景、心象風景で思い起こされるのは何ですか?

自然の景色とか、海・山・川など自然の景色にとても惹かれます。日常生活の中でもコップを通る光や、自然光、とくに光に目が行きます。小さい時から家族と一緒に長野や北海道で夏休みや冬休みを過ごしていたので、そこで見た山の景色や自然がいつのまにか自分の中に染みこんでいたのかもしれません。自然に触れると懐かしさや安らぎを覚えます。

夏、早起きして散歩に行ったときに見た緑の美しさや、冬、雪が輝く風景など、都会では見られない景色に触れたこと、それらが蓄積され感動の種となって自分の中に残っています。時間を経た今、その種にひっかかるものがあり、改めて感動しています。長野や北海道の美しい風景、木漏れ日などのきらめく光が自分のなかにあるのだと思います。

ー 美大に進むのにご家族の影響はありましたか?

中学までは音楽に興味があり、小学2年生から中学2年生までは合唱をやっていました。合唱に通わせてくれた家族にとても感謝しています。中学2年で合唱を辞めてこれから何をしようかと考えていた時、女子美術大学(以下、女子美)の夏休み体験クラスに参加しました。とても楽しく、そこから一気に美術への道に入っていきました。デッサンを学び始めたのも遅かったのですが、そこから女子美の付属高校に進学しました。

長野や北海道での体験もそうですが、家族から様々なことを教えてもらいました。植物の名前、星の名前・・質問したら全て答えてくれるような家族でした。知識だけでなく、実際の体験も大切にしてくれて、学校の行事以外でも家族でキャンプに行き、実際に火を起こすところから飯盒炊飯を体験したり、夜空の星を眺めながら、あれは白鳥座のベガ、あれはアルタイルと教えてもらったりしました。そういった環境で育ててくれたことを感謝しています。

 

ー 最初は陶芸からスタートされたのですか?

高校卒業後は女子美の工芸科に入学し、1年目に陶芸・ガラス・染色・刺繍・織りの全てをひと通り履修しました。2年生になり、陶芸とガラスのコースかテキスタイル(染色・刺繍・織り)のどちらかを選択するにあたって、染めとガラス両方がとても好きで迷いましたが、その時に強く惹かれた陶芸とガラスを選びました。

吹きガラスを実践してみせてくれる萩原さん

 

ー 女子美から藝大に進学した理由は?

藝大の大学院へ進学するとキャンパスが取手になるため、一人暮らしも含めて環境を変えてみたかったというのが大きな理由です。最初はホームシックにかかり辛い期間も長かったのですが、今は制作を含めて自分だけのことに使える時間が増え、集中できています。考えの幅も広がったと感じています。

制作過程を説明する萩原さんに聞き入る

 

ー ガラスの魅力は?

ガラスの魅力は、その透明性 ― 光が透過する素材だからです。光に魅せられています。写真もポジとネガで光を写し取るメディアです。パート・ド・ヴェール(ガラスの粉末を型の中で熔融して成型するガラス工芸の技法 )の作品も一見不透明に見えますが、光が透過するのでいろんな角度から見ると色合いが変わります。

 

ー ご自身とってガラスとは?

今はガラスのことしか考えていないです。生活のすべてといっていいかも。ガラスの制作が出来ていることがとても幸せです。学部時代、教育実習に行っている間は、制作から離れる時間があって、その時は「ガラスに触りたい、ガラスを作りたい」と、ガラスのことばかり考えていました。ガラスがなくなったらぽっかり穴があいた感じでしょうね。生活どころか自分の一部になっています。今とても幸せな環境にいます。

はにかんだ表情のなかにも強さが

 

ー これから、どんな作品をつくっていきますか?

今後も「うつわ」という形は継続して作っていきたいと思います。テーマは引き続き、記憶や自然、日々感じている光がモチーフになってくるのかなと。そこに、写真や言葉・詩以外の、音楽や映像など違う素材や媒体も組み合わせてみたいです。陶芸も好きなので是非挑戦してみたいと思いますが、釉薬はとても深い世界でのめり込んでしまいそう。まずはガラスを納得いくまで突き詰めたいです。

女子美時代も、そして藝大生の今も、周りから受けた影響は大きいです。周りの人のおかげで今の自分があります。先生や先輩のガラス作家さんから教わった技術がすべて。お返しできる作品をつくっていきたいです。

 

 インタビューを終えて

ギャラリーでの作品紹介から、工房に移って窯や機材、吹きガラスや削りの作業の説明、さらに食堂に戻っての長時間にわたるインタビューに、一つ一つ言葉を選びながら、答えてくれた萩原さん。私たちに正確に伝わっているか確認する度に、言葉をとても大切にされている姿勢を感じた。夏は炉の熱で40度以上になる工房。今回の作品制作では、冬の寒風ふきすさぶ中で1週間以上水をつかって磨いたとのこと。どの過程も時間と手間がかかる作業で、過酷な環境のなかから作品が生まれてくることを知った。萩原さんのはにかんだ表情の中に、謙虚でありながら自分の好きなものを追求していく真摯さと強さを感じた。光の透け具合で表情が変わる 《16:23》 は、『卒業・修了作品展』期間中(2022年1月28日 – 2022年2月2日)、東京藝術大学 大学美術館の地下2階に展示される予定であり、是非その目でみてほしい。

 

 

関連リンク:
■インスタグラム
https://www.instagram.com/mutsumi_hagiwara

■ホームページ
https://mutsumihagiwara.wixsite.com/-site

 

作品を前に集合写真

(インタビュー・文・とびラー)


取材: 卯野右子、河野さやか、豊吉真吾
執筆: 卯野右子、河野さやか 編集:豊吉真吾

 

 

とびラー8期、3年目の最後のインタビューで、こんな素敵な作品と作家さんに出遭えるとは!「うつわ」も「ガラス」も、そして「写真」も「詩」も大好きなので、忘れられないインタビューとなりました。同期3人で取手校地を訪れ、藝大食堂でチキンカツを食べたのもよい思い出になりました。(卯野)

 

 

 

昔からガラス工芸が大好きなので、そばで作品をみて、作家の想いとそれを形にするプロセスについて詳しく伺うことができ、とても幸せなインタビュータイムでした。生き生きとお話をしてくださって、これからどんな活動をされるのだろうかとワクワクしました。今後も注目しています。(河野)

 

 

 

2022.01.23

都心よりいく分か気温が低く、澄んでキリリとした空気の東京藝術大学取手キャンパス。ドキドキしながら向かうとびラー3人を、中川麻央さんがパフォーマンスに使う機材を念入りに準備しながら待っていてくれました。美術学部専門教育棟内、2体の彫像の置かれた吹き抜けの大空間には3台のモニターが置かれています。インタビューの前に、修了制作のパフォーマンス作品の一部を見せてもらいました。

まず二体の彫像の間に身体を置く中川さん。身体の一部が映されたモニターの裏側で、しなやかな動きで身体を動かします。やがて、モニターを持ちながら彫像前を離れ、中央棟内のエレベーターや、階段付近へと身体を進めていきます。学生や先生方が行き交う専門教育棟内が、中川さんのパフォーマンススペースへと変わっていきました。

―「変容する身体」

作品のコンセプトは「変容する身体性」です。私の表現のバックグラウンドにはダンスがあるで、常に身体(からだ)に耳を傾けるという行為が主軸になっています。その行為は、作品を作ることだけでなく、生活の中でも影響があります。環境が変わると無意識でも自分の身体に反応が出てきて、そこが身体の面白い部分だな、と思っています。みなさんも同じように身体を持っていますが、個人個人で全然違う。環境が変われば、質や存在感も変わります。身体の状態や様子は、毎日違います。2年前の自分の身体と、今の自分の身体とでも違う。自分の身体に耳を傾けていくと自然と変わってきているのが分かって“身体”への興味は尽きません。

―物質としての身体

身体は、すごく流動的でありながら確立した物質である、という面でも面白いな、と思っています。映像の中に、身体のある部位をすごくズームインしたり、逆にフォーカスがぼけているシーンを入れています。それをすることによって、身体の一部だという認識が曖昧になり、すごく物質的に、オブジェクトになってくることを表現しています。また、映像の中にある物質的に見える身体と、実際に私が動いている身体の対比をパフォーマンス全体で表現しています。

オブジェクト(モノ)と身体の存在感

今回のパフォーマンスでは、人形浄瑠璃の主遣いの方の身体の使い方をヒントに、アプローチしています。伝統芸能の人形浄瑠璃の人形遣いで、「主遣い」という、姿が見えたまま人形を遣う方の身体の存在にずっと興味があります。実際には見えているのに、鑑賞していると人形に意識が集中して、主遣いの姿が見えなくなっているように感じる。人形(モノ)の存在感と主遣いの存在感の関係性が変わってくる。そういう身体の存在のさせ方が気になっています。モノと人が存在する場合、どうしても「人がモノを使う」という主従関係になりがちです。それに対して、モノの存在感と身体の存在感の主従関係を曖昧にする、もしくは同等になるような身体のアプローチのさせ方、それによって見え方が変わる、ということにすごく興味があります。

―コロナの影響は?

私の中での作品作りは、パフォーマンスする空間に観る方が一緒にいて、その時間を一緒に体験してもらうというのが基盤にありました。パンデミックという状況に陥って、自分の創作や、パフォーマンスの仕方など、大切だと思っていたことを一から見直して、向き合う機会になりました。人と距離をとって、人の波動を感じられない時間を過ごしたことは、やはり身体の中に記憶として残っていると思います。身体が覚えている。自転車は象徴的で、どうやって乗るか身体が覚えていて、全然乗ってなかった期間があっても乗ってみたらやっぱり乗れる。身体自体が記憶をとどめているコンテナみたいな印象ですね。コロナ渦の経験は、この先何かを表現するのに、無かったことにはできないだろうな、と思います。コミュニケーションがリモートでスクリーン越しになる中で、相手の身体と相手の発している言葉がなんだか噛み合わずバラバラだった印象や、スクリーンに映っている自分の身体と今ここに存在している身体が繋がっていないという違和感など、身体に対する認識の試みをパフォーマンスの中でアプローチしています。

パブリックな場でのパフォーマンス

以前はシアターでパフォーマンスすることが多かったのですが、今は、パブリックスペースに自分の身体をおいて何かを表現する、ということにすごく魅力を感じています。シアターでは観客との間にどうしても壊せない隔たりがあって、物理的な距離と心理的な距離がどうしても埋められなかったんです。それで人々が行き交うようなパブリックスペースで試しています。私がパフォーマンスをしたことによってパブリックスペースの日常的な時間や空間が壊れる、という関係性や、見ていただく方にどうやって/どこから見ていただくかという選択肢があるということも私の中では大きいです。

パフォーマンスとは

私はパフォーマンスの身体の動きだけがコレオグラフィー(振り付け)だとは思っていません。身体に関わっている空間全体、モノとの関係性、その空間に身体を置くことで何が起こるのかということ、全て含めてコレオグラフィーだと思っています。パフォーマンスは、時間の流れをベースにした芸術、表現方法だと思いますが、音、時間、光、身体、匂い、空気感など、いろんな要素が詰まって出来上がっている総合芸術だと感じます。その魅力として、その時に起こったことを、その実感する瞬間に体験する、ということがあると思います。

 

パフォーマンスの途中で中川さんの手のあたりにちょうど光が落ちてきて、とても美しくて、「光」というものを今ここで感じて改めて意識する、というような体験をしました

そうですね。そういう具現性も、パフォーマンスではとても大切になってくると思います。ただ、スクリーン越しには中々お伝えできない部分だな、というのを痛感してもいます。パフォーマンスをしている私自身も、自分の身体と空間の間でその時その時に起きていることをリアルタイムで判断して、反応していく。耳を傾けて、それを汲み取ったり汲み取らなかったり、選択しています。私は、物事を理解して体験する、ということに関して時間を要する人間で、自分が今何を体験して動いているのか、ということにも時間がかかります。ただ、それをちゃんと聞いて、耳を傾けて動いているのとそれを聞かずに動くのでは、出てくる動きや質感が全然変わってきます。私は身体と空間の間で起きていることを、感じながら動きたい。それによって伝わることがあると信じています。

ー日常の動きとパフォーマンス

身体の構造自体にすごく興味があるんです。外側がどう綺麗に動いているか、というよりは、身体の構造が動きにどう影響しているか、ひねりの構造はどうなっているのか、ということに興味があります。身体は皮膚一枚で繋がっているので、ある部分をひねったら違う部分に影響が出ていたりとか、どこかの一部が動くと連動してどこかが動いたりして、本当に面白いです。パフォーマンスの中の動きは、普段何かしていて身体の反応、動きがおかしいな、といったような、日常生活の中で体験した、感覚的なものから派生して出てくる動きなので、日常とパフォーマンス制作をしている時の自分の身体とは繋がっているな、という実感はあります。

ーオランダから藝大へ、そしてその後は…

私は幼少期ものすごい人見知りの子どもだったんです。心配した両親が、人前で何かできるような手段として、クラシックバレエを習わせてくれました。身体を使って表現する楽しさもありますが、いろんな人と関わって何かを作っていくという魅力に取り憑かれてここまできている感じです。

オランダには振り付けの勉強をしに行っていました。アムステルダムに住んでいましたが、本当にコスモポリタンな都市で、あなたはあなた、あなたらしく、というのが自然に身についている。そういう雰囲気が、「許容範囲が広い」という感じの印象を受けました。

ヨーロッパでは、ヴィジュアルアートの方がパフォーマンスやダンスの方へ作品の傾向が移っていったり、ダンスの方がビジュアルアート的な要素でパフォーマンスを作ったり、というのが最近10年くらいすごく活発に入り混じっていて、私もすごく共感しました。アートの境界っていらないんじゃない?というような。GAPがまさに境界がなく、そういう意味でグローバル。いろんな国籍いろんなジャンルの人がいて、そんな中で自分のアーティスティックな部分をより深めたりするような環境がすごく魅力的に感じたのでGAPに進むことにしました。

今まで属していたのがシアター、演劇というジャンルだったので、藝大に来て、GAPでの環境はすごく新鮮で、刺激的でした。オランダの時よりもっと色が濃い感じです。卒業後はまだ具体的な予定は何もないんですが、「身体表現に関わること」で、私が今まで経験してきたことを何かしらの形でシェアするということをできたら、ということは考えています。

ー身体表現を続けているのは?

パフォーマンスはすごく抽象的なものだと思います。その分、いろんな理解の仕方、見方ができるのがすごく魅力的だな、と思っています。パフォーマンスを見て、その方の経験を通して自由に解釈していただく、それが私はすごくうれしい。

作品を見せることで伝わる、理解していただけるという経験をたくさんして、それが心に強く残っています。国籍や文化背景に関係なく、身体表現を通してコミュニケーションできる、人と「何かしら繋がれた」という経験ができる喜びが私を身体表現に向かわせているんだと思います。

ーインタビューを終えて

現地で実際に観るパフォーマンスは本当に素晴らしかった!こちらまで身体の感覚が研ぎ澄まされるような感覚がありました。やはりこの体験は、現地で観ないと体感できないと思います。中川さんのパフォーマンスは、東京藝術大学 上野キャンパス 美術学部中央棟1Fロビーにて、展示期間中毎日14:00〜15:00に実施される予定です。ぜひご覧ください!インタビュー前、パフォーマンス作品はちょっと難しそうだなと思っていましたが、パフォーマンスを観た上でお話を聞いて、私たち誰もが持つ身体をメディアとした表現、という視点を得て、なんだか親近感を感じることができました。

 

■中川麻央さんHP
https://maonakagawa.tumblr.com/

■中川麻央さんインスタグラム
https://www.instagram.com/__mao.nakagawa__/

 


取材:梅浩歌、門田温子、滝沢智恵子
執筆:梅浩歌

 

とびラー2年目、3才になる息子を通して世界と出会い直し中。とびらプロジェクトでの素敵な出会い、体感を伴う学びに感謝しつつ、それを還元していけたらと思っています。まずこの藝大生インタビューでの興奮・感動をお伝えしたい!(梅)

 

 

 

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