2025.01.19
12月3日のよく晴れた午後、緑あふれる上野キャンパスを訪れた。彫刻棟はとても天井が高い建物で、階段を登っていくと微かに木の香りが漂ってくる。アトリエのある3階へ到着すると、ニット帽にフーディー姿の野川さんが迎えてくれた。
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1.卒業制作のこと
–卒業制作はどんな作品ですか。
卒業制作は、私自身をモデルにした肖像彫刻に祖父の写真をドットに加工して投影し、それを手描きで彫刻に写すことで私の中に祖父の面影が浮かんでくる作品です。
私は、日常生活で感じる何気ない幸せといった等身大で普遍的なものを作品にしたい、という想いがあります。だから、スマートフォンで撮影した何気ない日常の写真をもとに彫刻を作っています。自分の中に家族の面影をみることも、普段の幸せの延長線上にある等身大で普遍的な行為だと思うので、これを卒業制作のテーマに選びました。
祖父は私が2歳頃に亡くなったため、祖父のことはあまり覚えていません。でも私は祖父の血を引いているので、自分の中に祖父の「形」があるはずです。そこで、23歳の自分をかたどった等身像に、23歳の祖父の写真を重ねて、自分の中にある祖父の面影を表現することにしました。
この作品で私が生み出した表現は、「一つの作品の中で、二次元のもの(ドットに加工した写真)と三次元のもの(等身像)が互いに干渉しながら同居している」ことです。立体の中に平面が同時に成立するという普段はあり得ない状態を、この作品では実現しています。
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これが祖父の写真です。昨年、同じ場所で同じポーズで自分の写真を撮って、その写真をもとに私の等身像を作りました。今日とほぼ同じ服装の、日常の自分をかたどった像です。等身像を選んだのは、彫刻としてオーソドックスな形で卒業制作を迎えたかったからです。作品サイズは肖像部分の高さが約167cm、総量55kgで、このサイズの彫刻としては非常に軽いです。
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-素材や技法は。
技法は塑造と呼ばれるもので、素材はジェスモナイト(水性樹脂)です。
最初にエスキース(下絵)を描きます。エスキースはいろんな角度から描く人もいますが、私は正面のエスキースだけ描いて360°の形は粘土をつけて動かしながら考えます。
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これは粘土で縮小模型を作って立体の詳細を検討したものです。作品の構想が固まったら原型となる粘土像を作ります。
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次に、粘土像の上に石膏をかけて固め、内側の粘土をかき出して石膏型を作ります。石膏の型取りでは、切金という薄い真鍮を入れて、石膏型を分割できるようにします。そうすることで、パーツごとに石膏の蓋を開けて中の粘土をかき出す作業ができます。
それから、分割した石膏型の内側にジェスモナイトを刷毛で塗って組み上げます。その際は、離型剤(石膏型を取り除きやすくする液剤)をかけてからジェスモナイトを塗り、ガラスクロス(細いガラス繊維)を貼り付けて全体の強度を高めたり、分割パーツ同士がくっつきやすくします。石膏型を組み上げたら1日ぐらい放置して、ジェスモナイトが固まったところで、石膏型を割って取り除きます。
以上のように、粘土像から石膏型を作ってジェスモナイトを流し込む工程を経て、石膏がジェスモナイトに置き換わった像が出来上がります。最後に、型の接合部分にできる凹凸を削って滑らかにして仕上げます。
型に流し込む素材として、今回はジェスモナイトを使いました。
この後は、ドットに加工した祖父の写真を、プロジェクターで等身像に投影し、像に映ったドットを鉛筆で下描きしたのち、アクリル絵の具で像に手描きしていきます。
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-立体と平面を重ね合わせるアイディアはどこから思いついたのですか。
スマートフォンの写真フォルダを見ていた時に、自分の写真と祖父の写真が連続して切り替わるのを見て、重ねたら面白そうだなと思いつきました。それで、エスキースを描いてみたらかっこよかったので、これでいけるかなと考えました。
-卒業制作はどれくらい時間がかかっているのですか。
3年生の1月から、この形にしようというイメージを持って制作を始めました。
最初は、写真をコピー用紙に印刷して立体に貼り付け、上からロウを塗るアイディアを思いついて、4年生の4月に一つ目を試作しました。しかし、立体に平面を直接貼り付けると平面像が歪んでしまいます。平面像が歪まない方法を試行錯誤する中で、現在のアイディアを思いつきました。ドットは一つ一つが独立しているため平面像が歪みません。そこで6月に二つ目を試作して、これで大丈夫だという手応えを得たので、夏休み明けから最終形の制作を始めました。10月に粘土で原型を作り、11月に型を取って、いま修正しているところです。
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–制作の過程で苦労したところは。
石膏の型取りです。以前、同じくらいの大きさの像を制作中に石膏型を割ってしまい、作品を作れなくなったことがあるので、「絶対に割らないように」と意識して作りました。また、この像は後ろに寄りかかって立つポーズなので、倒れないように台座の大きさを調整したり、像の内側に木材を入れて補強したりしています。
-鑑賞者に伝えたい作品の見どころは。
「一つの作品の中で、二次元のものと三次元のものが互いに干渉しながら同居している」という普段あり得ないことが起こっているのが、この作品の見どころです。
私の希望としては、卒業・修了作品展ではできるだけ広い空間に展示して、鑑賞者には少し離れたところから作品をみてもらいたいです。遠目に見た時に、肖像彫刻の中に別の人物の面影が浮かんでくる面白さに着目してみていただきたいです。
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2.彫刻づくりのこと
―野川さんが考える彫刻の魅力とは。
私が感じている彫刻の面白さは、立体なので、作品と鑑賞者が同じ空間に立ち上がって存在すること、360°色んな角度から表現できることです。
―作品のインスピレーションの源は。
私は、スマートフォンで撮影した写真をもとに、何気ない日常の中にある普遍的なものを切り取って作品を作っています。私にとって等身大で、かつ普遍的であることが大事で、わざとらしいと感じるものは身が入りません。「たまたまいい写真が撮れたからこれを作りたい」と自分が思うものを作ります。
―彫刻は展示環境まで考えて作品を作るのですか。
彫刻は空間の中に存在するものなので、展示環境まで考えて作品を作ります。例えば、街中の彫刻は風景の一部であり、その街に住む人の記憶の中にもあるものですよね。街中に置く彫刻を作るなら、街の中で作品をどんなあり方にするかを考えます。
―彫刻科の学生生活は。
1〜2年目は塑造、石彫、木彫、金属の実技実習を行って彫刻で扱う素材を一通り学びます。2年目になると、インスタレーション、レディメイド、アクション(パフォーマンスアート等)といった作品の表現方法を学びます。例えば、レディメイドはモノの機能を排して純粋にモノを形として扱う表現で、便器をそのまま展示したことで当時話題となったマルセル・デュシャンの《泉》(1917年)が代表例です。
3年目からは自分が興味を持ったものを深く学びます。彫刻科は学部では3つの講座があり、2年生の終わり頃に3年目以降に所属する講座を決めます。3〜4年目は、作品のコンセプト、モチーフ、素材、表現方法などを自由に選んで制作できるので、指導教官にアドバイスをもらいながら自分の作品を作ります。
―作品制作以外の活動は。
私の地元では、鹿児島県高等学校文化連盟が美術系大学を目指す高校生向けに実技講習会をやっていて、夏休みにそこで石膏デッサンや塑像の講師をしています。母校に卒業生として話しに行くこともあります。
―野川さんの1日はどんな感じですか。
大学が開く朝8時半頃にアトリエに来て、大学が閉まる19時まで、一日中アトリエで卒業制作に取り組んでいます。彫刻科は卒業制作の提出締切が迫っているので、いまラストスパートです。息抜きは、コーヒー片手にアトリエで他の人の制作過程を見ておしゃべりすることですね。私のアトリエに行ってみますか?
野川さんのアトリエに移動して、作品づくりの現場を見せてもらう。天窓から陽射しが降り注ぐアトリエは、明るく清々しい空間だ。制作中の作品がいくつか置かれ、作業台には工具や白い石膏のかけらが重なっている。
―天井が高いですね!
大きな作品を作る人もいるので天井が高くなっています。朝はすごく綺麗な自然光が入ってきます。光の当たり方で作品の見え方も変わるので、明るい自然光が入ってくるのは大切です。また、同じアトリエで5人が制作しています。
4.彫刻の道に進んだきっかけ
―どんな子ども時代でしたか。
私は高校卒業まで鹿児島で育ちました。格闘技をやったり、小さい頃から絵を描くことやものを作ることが好きでした。
また、鹿児島は肖像彫刻が本当にたくさんある街で、彫刻が街の風景に溶け込んでいます。そういう環境で育ったので、私にとって彫刻は身近なものでした。
―美術の道に進んだきっかけは。
鹿児島に美術科のある高校があり、受けてみたらと勧められたのがきっかけです。美術の他に考古学が好きだったので、美術科に進めば文化財の修復に携われるのではと考えて高校は美術科に進学しました。
―彫刻を選んだ理由は。
中学3年時に高校見学会に行って彫刻室に入り、ホイストという大きなクレーンがあって粘土が散乱している部屋を見て衝撃を受けたのが、彫刻を選んだきっかけです。彫刻室に入った時に、なぜか自分はここでずっと制作するなという感覚がありました。それから、父が庭師で、庭という空間造形が身近にあったことも、同じく空間造形の要素もある彫刻を選んだ理由です。
もともと私が考古学に惹かれた理由は、昔の人が使っていたものや肖像など当時の生活がそのまま残っていることに時を超えた浪漫を感じたためです。そして、私が今やっている「写真をもとに日常の中にある普遍的なものを切り取って彫刻すること」は、いまの人たちの生活を未来に残していくことであり、考古学とも共通するところがあると思います。
―藝大に進んだ理由は。
母から「やるなら藝大を目指すくらいやりなさい」と言われたのと、通っていた高校が藝大を受験する同級生が多い環境だったからです。
5.将来のこと
―卒業後の進路は。
大学院に進学する予定です。彫刻科では学部3年時から自分が作りたいものを自由に作れるので、大学院もそれほど環境は変わりません。大学院進学後は「日常の普遍性と肖像彫刻」という自分のテーマを追及したいです。
―卒業制作の次に作りたいものは。
人物と風景を組み合わせた作品を作りたいです。それから馬が好きなので馬も作りたいです。卒業制作の技法を発展させて新しい表現を作っていきたいです。
―将来の夢は。
肖像彫刻の新しい形を生み出したいです。そして、誰かの散歩コースになっているなど日常の一部として人々に受容されている街中の彫刻に憧れがあるので、街中に置いてもらえるような肖像彫刻を作りたいです。
また、地元の鹿児島で何かしたいという想いがあります。瀬戸内芸術祭のようなアートフェスティバルを鹿児島で開催するなど、県内で活動するアートグループや若者、そこで暮らしている人々とと外の世界をつなぐことをしたいです。
6.インタビューを終えて
何気ない日常の中にある普遍的なものを洞察し、彫刻として表現している野川さん。一つ一つ飾らない言葉で語ってくれる姿から「等身大で普遍的であることが大事」という野川さんの真摯な思いが伝わってきた。卒展で完成した作品と再会するのがとても楽しみだ。
取材:石井真理子、木原裕子、平野七美(アート・コミュニケータ「とびラー」)
執筆:木原裕子
写真:樋口八葉(とびらプロジェクト アシスタント)
野川さんの表現の探究過程に触れ、グッと作品に惹き込まれ、卒展と彼のこれからがますます楽しみになりました。(石井真理子)
何気ない日常を洞察して形にする野川さんの着想と表現の面白さに心掴まれました。卒展もこれからも楽しみにしています。(木原裕子)
「血筋」をこういう形でも表せるのかと、野川さんの着眼点とアイデアに驚くばかり。作品の完成と彼の将来が楽しみです。(平野七美)
2025.01.19
「普段の生活の中で心に響いたものを形にする。それが私の創作の原点です」と語るのは、工芸科漆芸専攻、新井紗紀子さん。日常生活の中で見つけた美しい瞬間からインスピレーションを得て、繊細な乾漆作品を創作しています。私たちとびラーは彼女に会うために東京藝術大学上野キャンパスにある研究室にうかがいました。
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まずは卒業展に向けた3つの作品を拝見しました。
卒業制作での新しい挑戦
―こちらが作品ですね。モチーフはありますか?
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普段の生活の中で大好きなもの、心に響いたもの、慈しんでいるものをもとに着想しました。
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― 作品を作るうえでどのようなことを大切にされていますか
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・素材を活かすこと、そして佐賀の畑で制作を始めたように、作る場所を大切にしています。東京に出て6年が経ちますが、ずっとホームシックなんです。大好きな佐賀の景色や空気、田んぼを東京に持ってきたらおもしろいだろうと思いました。
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―こちらは3つで1つの作品になるのですか?
それぞれ別々なものを作っています。ただ同じ世界観で同じ技法でという意味では連作といえないこともない。あんまり同じものを反復して作るタイプではないんです。ずっと同じものを作っていると たぶん1つ1つ違うものが好きなのかな。
―机に猫ちゃんがいますが、これは今回の作品の型ですか?
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そうです。これが粘土でつくる最初の原型で、次にこの粘土に石膏をかけて型を取ります。原型の粘土を取り出して石膏の雌型が完成です。外す時に原型は壊れることが多いんですけれど、今回はうまく取り出せたので机において愛でています。
こうしてできた型に、布とパテ状にした漆を何度も重ねて層にして固めていきます。ひとつの工程につき0.1㎜~0.3㎜の漆の層が重なって表面の形ができており、乾漆の層の厚みは2~3㎜くらいなので見た目より軽いです。漆の液体はミルクティーのようなこっくりとした色ですが、乾いていくうちに黒くなったり茶色くなったりします。今は黒いのですが、ここからはいろいろな種類の貝を貼って2~3回間を埋めるように漆を塗ります。
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―制作は今まさに貝を貼っていく最中ですか?どんな感じに貼っているのでしょうか。
螺鈿(らでん)もいろいろな技法があるのですが、今は貝殻を細かく刻んで貼り付けるという作業をしています。「伏彩色(ふせざいしき)※」といいまして、薄く剥がされた貝の層の片面に色漆を薄く塗り、銀粉のすごく細かくしたものをまぶして漆で定着させていきます。このことによって、貝の種類や加工の仕方によって光の反射や色の出方が変わるんですよ。
※貝の裏から色付けをする方法のこと
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―面白いですね!これから貝はどんな風に貼っていくか決まっていますか?
今はまだちょっと迷っています。こんな風になったら面白いなって思ったり、 ここどうしよう、グラデーションにしようかどうしようかなって思いながら制作しています。多分じわじわ行くタイプなんです。ちょっと、もうちょっとって考えながら、でもやっぱりやめようかな、って試行錯誤しながら進めています。
―今螺鈿にする貝を見せていただいているのですが、貝にもいろんな種類がありますね。貝選びなどで特に意識していることはありますか?
素材が見せる「表情」を大切にしています。同じ貝を使っても、光の角度や加工の仕方で全然違った見え方になるんです。
―猫の毛みたいに見えるのは線のように薄貝を細く切っているということですか!細かい!!
ひとつひとつ彫刻刀で刻んでいくんですけれども、この通り細かくなります。
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―(実演してくれて圧倒される一同)……すごいです!
いろいろな技法を試しましたが、この彫刻刀だと曲線が細く切り出せるんです。
―これから卒業・修了制作展まで制作も佳境だと思いますが、ここまで制作してみてどうですか?
こういう大きい作品をつくることがないのと、今までは平面の作品が多かったので、今回は曲面を使ったものに取り組みたいと思っています。曲面だと光の反射がより複雑になるので、どんな見え方になるのか楽しみです。角度や素材を変えるとどうなるんだろう、どう見えるんだろうなど、確認しながら取り組んでいます。
―卒展が学生時代の集大成ということになると思うんですけれども、創作への思いを教えていただきたいです。
集大成というか、たとえば今回の螺鈿の貼り方のような、ちょっと これは面白いぞっていうものを少し過剰にやってみる、っていう新しいことに挑戦しています。今回の作品のように平らなところではなく、曲面になっているところに貼っていったらどのように見えるのかな、っていう試みもあります。あとは、今まで教わったことをどこまで出せるかな、とか。まず乾漆を作り上げるのもひと苦労でしたし、複雑な形のものを抜き取るのも初めての挑戦で結構大変でした。
創作の醍醐味
―創作過程では、どの瞬間が一番楽しいですか?
加飾の作業です。貼り付けた貝を研ぎ出した時の発見が楽しいです。思った通りに表現できたり、想定外の出方をしたりすることですね。自分ではこういう色になるんだろうなって予想しながら、慎重に貝を選んで貼っていくんですけど、どうなっていくのかは実際研ぎ出してみないとわからないところがあります。 そこは半分自分の予測を信じながら、あれこうなったんだとか、次にやるとしたら、ここはもうちょっとなんか違う処理にした方が好きかなとか……常に発見ができるところですね。
―逆に創作の辛い瞬間はありますか?
最初の粘土原型の時に形が決まらないと辛いです。あとは細かい突起を研ぐ時になかなか砥石がうまく当たらないっていう技法的な面もつらいですね。
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学生生活について
―ちょっと話を変えて大学生活のお話を聞きたいのですが、大学4年間、振り返ってみて どうですか?
大学生になった時は、まさか自分が漆をするとは思わなかったので、振り返るととても不思議な感じですね。
入学していろんなコースを体験して選んでいくんですけど、そこで漆を選んだのは、パッションというか……。漆という素材の変化や性質が、(いままでの)自分の感覚では理解できなかったところや、どうなっているのかわからないからやってみたい、っていうのが1番で、多分化学反応的な感じで漆と出会ったんだと思います。
―どうして東京藝術大学に行こうと思ったんですか。
美術系のコースが入っている学校に通っていました。友達が美術系だったことと、中学生ぐらいから課外授業でよく美術室にいたので、その流れで進路選択の時になんとなく美術の方にいきました。
進路選択の中では、色々ありました。美術を目指している方はたぶん直面するんですけど、学費が高いということもありますし、身内に美術系の人がいないと、美術系大学の進路への理解を得るのが難しいんです。
―入学時にこれをやりたい!とかあったんですか?
元々藝大に行きたいと思ったのは、彫金とかやれたらいいな、と思って入学したんです。入学してから、漆はかぶれるから結構大変だぞ、と言われていたのに、漆を選ぶという(笑)
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―(笑)どんなところが大変だと?
一つの作品に長く時間がかかるので、こらえ性が無いといけないですね。まずは素地を作るのですが、これは乾漆という麻布を漆で型に貼り重ねて素地を作っていく技法になります。これはとても時間がかかることで、さらにそのあとに「加飾」といって、表面にどんな装飾をするかということが入ってきます。
ーなるほど。長い道のりですね。みせていただいた螺鈿は細かい作業ですもんね。では漆を実際にやってみてどうでした?
ちょっとずつ進んでいくっていうのが、自分に合っていたと思います。あとは、技法として本当にまだまだわからないところがいっぱいあって、これからやりようがいくらでもあるっていうのが、とても自由に感じられて私にとってはよかったです。
次はこういうことを実験してみようと思ったり、つくる人と選ぶ技法でそれぞれ違うものになるという可能性も感じられて、そういうところがいいなって思いました。
創作と未来への思い
―今後作りたいものはもう考えていらっしゃいますか。
乾漆の技法では自由な形のものが作れるので、両手におさまるお弁当箱くらいの箱をいろいろ作ってみたいなっていうのがあります。前回曲面の箱を教えてもらいながら作ったことがあって、面白かったので。
―箱がお好きなんですか?
うーん、なんていうか何かを閉じ込めている感じが。小世界みたいな感じがあって好きです。
閉じている感じがいいなって思います。
ー大学4年間の中で、よかったと思うことは何ですか?
制作です。大体半年に1個とか、そういうスパンで作品が出来上がるんですが、そのときどきの達成感なのかな。制作時間が長いせいか出来上がった時が一番嬉しい時なんですね。
―今日お話をしていて、先ほど選ぶ技法によって違うものになる可能性がある、というとこをおっしゃっていましたが、ちなみに「可能性」とはなんだと思いますか?
束縛されないことと、毎回発見があるのが楽しいなって思います。昔はなかった色漆の色数が発明されて絵を描いていくように使えるので、可能性を感じられます。いったい、これどうやってやったの?と思わせるようなものがほかにも新しく出てきやすい、そこが「可能性」だと思います。
日常から創作のインスピレーション
―新しく何かを見つけるのが楽しいっていうことを今日ずっとお話して頂いているなって思っています。
発見が楽しいですね。
ひとつのものを作るのに長く時間がかかるからこそ、好きなものでないとできないし、続けられないなって思います。
ー身近な存在から着想を得ているということでしたが、それを作品にする際、どのように形にしていくのですか?
自分の心に引っかかったものを少しづつ形にしていく感じです。言葉で表現するのは難しいのですが、心が動いた瞬間を追いかけているような感覚です。
これから藝大を目指す方へのメッセージ
―最後になりますが、これから、漆芸を学びたい人や藝大を目指していこうかなっていう方に、何かメッセージがあったらお願いします。
やっぱり時間は無駄にしないでほしいと思います。大学生活は結構あっという間です。やるべきことはちゃんと 自分の中で決めないといけないと思います。藝大にいるとなかなか体験できないことをたくさん体験できるので、それはすごく大事にした方が いいって思っています。楽しいこともあり、苦しいこともあるんですけど、全部贅沢な時間です。
―本当に充実した学生生活を送られたんだなってことが伝わってきました。好きを突き詰めているっていうところが すごくいいなと思います。まさにそこが 創作の糧になっているなあと思いました。これから先々のご活躍を楽しみにしています。今日はお時間をいただきありがとうございました。
(取材)西田明子、糸井涼哉、久保田裕美(アートコミュニケータ「とびラー」)
(撮影)樋口八葉(美術学部芸術学科2年)
(執筆)糸井涼哉、久保田裕美
(以下感想欄)
「漆芸は自由で実験的で発見に満ちている!」とフットワークの軽い笑顔の新井さんに感動しました。卒展で出来上がった「愛するものたち」を拝見するのが楽しみです。これからのご活躍をお祈りしています。(久保田裕美)
飼われている猫という存在を非常に精緻に表現しているところに愛着を感じ得ました。また同年代として自身の気持ちやインスピレーションに向き合って作品制作をしているところに尊敬しました。猫、可愛い。(糸井涼哉)
漆芸や作品に対する情熱、今それに取り組める楽しさが感じられ、展示が楽しみです。ご自身の気持ちに素直に向き合って作られている様子も素敵でした。(西田明子)
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2025.01.19
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・晩秋の木々に包まれた東京藝術大学取手校舎。研究室にたどり着くと、灯りがぽっとともったような炭屋さんの笑顔が迎えてくれました。部屋の中央には、どこか懐かしさを感じさせるカラフルなタイルと、地面を切り取ったような重量感のある作品が並んでいます。
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― 修了制作の作品について教えてください
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・私の修了制作の作品は「包まれる」というテーマで、あたたかいものに包まれたいという思いを込めています。温泉が大好きで、ひとり用の壺湯の「浴槽」を作っています。
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・まだ暑い9月上旬に、ふるさとの佐賀県の親戚の畑に穴を掘り浴槽の形にして、そこにコンクリートを流し固めて作りました。掘り上げた浴槽の周りに付いてきた畑の土をそのまま残すために、樹脂でコーティングしています。
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・佐賀で作った浴槽は、底部と側面の5つのパーツに分けて藝大まで運びました。それを元の形につなげて内側にタイルを貼っていきます。浴槽の底には空から見渡した佐賀の田んぼを、側面には山並みや田んぼの風景を、絵を描くようにタイルで表現していきます。
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・畦に囲まれた田んぼの区画をモチーフにした四角いタイルや、山の形をしたタイルを作りました。陶芸用の絵の具を刷毛で描くように色をつけ、透明釉(光沢のある透明無色の釉薬)をかけて焼きました。下描きをして貼るわけではないので、タイルの数が足りるかどうかも、やってみないと分からないんです。
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― 作品を作るうえでどのようなことを大切にされていますか
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・素材を活かすこと、そして佐賀の畑で制作を始めたように、作る場所を大切にしています。東京に出て6年が経ちますが、ずっとホームシックなんです。大好きな佐賀の景色や空気、田んぼを東京に持ってきたらおもしろいだろうと思いました。
・私には、「いいな」と思うものそのものになってみたいという気持ちがあります。この浴槽に入ったら、稲穂に囲まれ、田んぼに包まれる気持ちになり、大好きな稲や田んぼそのものになる体験ができたらと思います。卒展では屋外に展示する予定です。お湯は入れませんが、見に来てくださる人にも中に入ってもらえるものにしたいと考えています。
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― なぜ修了制作でお風呂をモチーフにされたのでしょうか
・よく家族で山登りをして、その後に温泉に行った思い出があり、幼いころから温泉が大好きでした。コロナ禍で外に出られなくなり、実家のお風呂に絵を描いたのをきっかけにお風呂をモチーフにするようになりました。お風呂はあったかく包んでくれて、何もしなくてもいい場所です。
・修了制作作品の壺湯の周りには、3m×3mの白い布に絵を描いた、目隠しののれんをかけます。以前作ったのれんには、滝に打たれた体験を思い出して、包まれるように滝を描きました。今回は何を描くかはまだ悩み中です。
・お風呂グッズも作りました。お湯に浮かべるおもちゃのアヒルは、はにわのイメージで野焼きをしました。
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・銭湯でよく見かける「ケロリン」と書いてある黄色い風呂桶をモデルにして、小松石を彫って桶を作りました。この桶は、重さが5キロもあります。グラインダーを使って彫る桶は、石から思った形がどんどん現れてくる楽しい作業でした。ですが、磨くのは大変で、爪が削れてなくなりました。
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・高校までやっていた書道の経験を生かして、拾ってきた板材に「壺湯 すみ屋」と筆で書き、壺湯の看板にします。興味があることには何にでも手を出すんです。
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― ふるさとの佐賀ではどんな子ども時代を過ごしていましたか
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・小さい頃から、ずっと何かを作り続けている子どもでした。自然の中で育ち、泥団子を作ったり山に登ったり。今の制作活動も、すべて子どもの頃の体験の延長線上にあると思います。素材や作品に向かい合い、体を動かして何かを作りたいという気持ちは変わりません。
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・高校は美術コースのある学校で、先生に勧められて油絵を始めて、気づいたらここにいるという感じです。多摩美術大学への進学が決まった時には東京に行くことが不安でしたが、担任の先生が多摩美出身だったので、多摩美に行けば美術の先生として、佐賀に戻ってこられるかなと考えていました。先生にも「佐賀で先生をやりたいのなら1回外に出た方がいいぞ」と言われて、確かに外の景色を見ておいた方がいいかなと大学に行く決心をしました。
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― 学部卒業後に東京藝術大学の美術教育研究室に進んだ理由を教えてください
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・私が藝大の美術教育研究室を選んだ理由は、実技制作と理論研究の両方をできるからでした。私は多摩美の油画専攻出身ですが、こうしてお風呂を作ったり、絵を描いていたりしていても、ずっと作品制作だけをしていてはだめだなって思っていたんです。作品と社会とのつながりを形にするためには、言語化することの大切さ、必要性を感じていました。でも言葉にするのは苦手だったので、きちんとものが言えるようになりたいと思っていました。
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― 藝大の学びで印象に残っていることはなんですか
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・先生の紹介で、2024年に開催していた、静岡県島田市の「UNMANNED 無人駅の芸術祭/大井川」という芸術祭にインターンとして行かせていただき、実際に運営側を経験することができたことです。それ以外にも、あちこちの芸術祭に足を運べたことがとても貴重な経験になりました。
・藝大の研究室はいろいろなワークショップの委託を受けているので、アシスタントとして様々な場所に行かせていただいたことも勉強になりました。学部2年生の時からコロナ禍が始まって、あまり外に出て活動することができなかったので、大学院に入ってから、実際に子どもたちと関われたことは楽しい学びでした。自分も制作者として、作ること自体をとても楽しいと思っているので、アートを通して子どもたちに、作る楽しさを伝えられたのではないかと思います。
・将来は自分も人の役に立つことをやりたいと思うところがあって、それには、私の作品だけでは限界があると感じていました。作品と人とのつなぎ手となることで人を笑顔にしたいという気持ちを実現するために、もっと社会的な広がりのある、町や地域単位でプロジェクトをやりたいと研究室での体験を通じて考えるようになりました。
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― 将来の夢を聞かせてください
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・地域芸術祭に興味があり、自分でも芸術祭を作ってみたいという夢を持っています。学部4年生の時に、新潟県の「大地の芸術祭」を見に行き、過疎化が進む地域にもかかわらず、たくさんの人が来ている様子に、アートってこんな力を持っているのかととても驚きました。その体験は、こういうことを九州に帰ってやりたいと思うきっかけになりました。
・もちろん作品を作る側も好きですが、芸術祭を実行する運営側になるためには、人に論理的にものを伝える力が必要だと思いました。自分が考えたことを形にするだけでなく、多くの人と合意したり、協力したり、みんなで力を出していくためには、言葉の力が必要で、それを学ぼうと自覚したということなんです。芸術祭を実行するという夢がはっきりしてきたので、来年から、熊本県の湯前町の「地域おこし協力隊」として働くことを決めました。
― 湯前町とはどういうご縁があったのでしょうか
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・球磨郡湯前町の少し離れたところに祖父母が住んでいて、小さい頃からよく遊びに行っていました。日本三大急流のひとつ、球磨川の流れに沿って走るくま川鉄道が大好きなんです。くま川鉄道は、2020年の水害で線路や橋が流されて、今も復旧の途中です。湯前町はくま川鉄道の終点の地域ですから、沿線に沿ってアートで何かできるんじゃないかと考えています。あの場所で受け取った大事なものを残して、伝えていきたくて、湯前町役場の方々にアートで地域おこしをしたいと話をしたら賛同を得られました。この活動でなら藝大大学院での2年間の学びが生かせそうだなと思いました。今も教育にも興味があるので、地域おこしの仕事が学校教育に活かせるかどうかわかりませんが、将来的にまた教育方面でも何かできたらと考えています。
・私は地域おこしにアートを持ち込みたいと勝手に考えていますが、町の人が本当はどう思っているのかわかりません。ですから最初は、ワークショップなどの交流を通じて地域の人たちが求めていることを理解した上で活動したいと考えています。また、レジデンスで国内外のアーティストを呼び、空き家の活用もやりたいと思います。
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― これからの作品制作についてはどのようにお考えですか
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・大学院を修了してからも、作品制作は続けていこうと思っています。湯前町とも住む家を決めるにあたり、地域おこしをしながら作品の制作をやりたいと相談しています。今はとにかく石を彫りたい。石を彫るきっかけとなった温泉で見た20トンもある岩のお風呂のように、自分の手で石に触れ、包まれながら、大きな作品を彫れたらと思います。
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― 地元の子どもたちに伝えたいことはどんなことですか
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・やはり佐賀と都市部は全然違います。美術館の数も、文化に関する情報量もとにかく違う。私は、油絵の先生に油絵制作を教わったことが、自分の興味関心を見つけることにつながっていったと思います。そこから東京の美術大学に進んでみたら、さらに立体作品や、インスタレーション作品など多様なアートの楽しさに気づいていきました。そんなふうに子どもたちの視野を広げてあげられる人になりたいと思います。外に出た人間が地域に戻ってくるということも、子どもたちが選択肢を広げて、自由になることに影響するんじゃないでしょうか。湯前町の地域おこしでもワークショップを開いて、子どもにいろんな創作体験をさせてあげたいなと思っています。
・作品を作るって本人をそのまま表すと思います。アートは自分を表す手段としてとても有効なので、頭でいろいろ考えなくていい、心を開放する体験ができる学びなんじゃないかなと思います。
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― 卒展を見に来てくれる人へのメッセージをお願いします
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・みなさんは、私の作品を見て何を思うのでしょうか。私はお風呂を作りたい、田んぼに包まれたいと思ってこの作品を作っているのですが、見てくださる方には、同じように思ってもらいたいということはないんです。温かいものに包まれたいというテーマで、温かい気持ちになる作品にしたいという思いはありますが、見たまま、感じるままに受け止めてもらえればいいと思います。
・本当は、社会的なコンセプトもあるのですが、それを外に出して伝えるべきかは、慎重に考えたいと思っています。作品の素材も、思うところがあって、あえてコンクリートで作っています。
・言葉はとても強く、作品の横に置くと見た印象に大きく影響すると思います。私の作品は、見て体験できたぐらいがちょうどいいと思っています。「佐賀の田んぼ持ってきました」という感じが伝わればいいんです。
・私の作品を見て、特に地方から出てきた人からは「なんかすごく落ち着く」、「懐かしい」と言われることが多いので、やっぱり田んぼの景色を知っている人には言葉がなくても伝わるものがあるのだと思っています。
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・終始ほほえみながら楽しそうにお話してくださった炭屋さん。ふるさとの佐賀への愛情、作品に込められた想い、活動への情熱が、言葉や瞳の輝きから伝わってきました。柔らかな癒しの力をまとう芯の強さを感じます。
・卒展で、完成した作品「壺湯 すみ屋」に入るのが楽しみです。作品に包まれ、ほっこりと優しい気持ちに満たされて、ついつい長湯をしてしまうかもしれません。
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(参考)
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新潟県十日町市・津南町「大地の芸術祭」
https://www.echigo-tsumari.jp/news/20230721/
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静岡県島田市・川根本町「UNMANNED 無人駅の芸術祭/大井川」
https://shizuoka-hamamatsu-izu.com/shizuoka/shimada-city/unmanned-mujineki/
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総務省「地域おこし協力隊」
https://www.soumu.go.jp/main_sosiki/jichi_gyousei/c-gyousei/02gyosei08_03000066.html
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取材:井戸敦子・小木曽陽子・曽我千文・谷口圭
執筆:曽我千文
撮影・編集:越川さくら(とびらプロジェクトコーディネータ)
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インタビューは炭屋さんがこれまでの出会いの中で感じたこと・大切にしていることにじんわりと包まれるような美しくて素敵な冬のひとときでした。(11期とびラー:井戸敦子)
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故郷への想いがぎゅっと詰まった炭屋さんの作品に触れると、不思議と懐かしさがこみあげてきます。いつか佐賀県や熊本県湯前町に足を運び、温泉と大自然を味わってみたいです。(11期とびラー:小木曽陽子)
炭屋さんとお話していると、時にやわらかく、時に力強い、田んぼを吹く風を感じる気がしました。佐賀のバルーンフェスティバルで風にのる熱気球から、田んぼや山なみを眺めてみたいです。(11期とびラー:曽我千文)
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初めて目にするのにどこか懐かしい気持ちになる作品と、炭屋さんご本人の柔らかな佇まいから、こんこんと湧き出る不思議な力を受け取りました。(12期とびラー:谷口圭)
2025.01.19
12月4日、私たちとびラーは東京藝術大学(以下、藝大)取手校地を訪れました。迎えてくれたのは、デザイン科修士2年の柴田美里さん。柴田さんがアトリエのあちこちから椅子をかき集めてくださり、インタビューは車座で始まりました。
― 作品を見る前にまず、卒業制作のテーマを教えてください。
「粘菌木″ャ」レ 曼荼羅(まんだら)」というタイトルで、ギャルのフィギュアを2体作っています。「年金」ではなく生き物の「粘菌」のギャル。「木″ャ」レ」は「ギャル」のギャル文字表記です。
卒業後の自分の人生について思うところがあって。今までは、藝大に入って作品を作るという目標に向かって進んできたけど、今後の生きていく意味をまだ見出せていなかったので、人生の道しるべを作りたいと思って卒業制作を始めました。
私のためだけの仏像というか、偶像崇拝っぽい展示の仕方をしたいと思っています。粘菌とかギャルになりたい願望が以前からあって、そのなりたい姿を私なりに作ってみた、というコンセプトです。昔の人がありたい姿を偶像に投影してお祈りしていたように、私のなりたい姿、目指したいものを形にしています。
「ギャル」、「粘菌」、「偶像崇拝」。インタビューの冒頭から強烈なワードがたくさん飛び出しました。気になることばかりです。
粘菌とギャル、なんで?と思いますよね(笑)。粘菌が元々好きで、学生生活を通してずっと粘菌関連の作品を作ってきました。すごく変な生き物で、菌なのに動くんですね。森の中を自由に駆け巡っている姿がすごく不思議でかっこいいなと思っていて、そんな粘菌になりたいんです。
ギャルも、その存在が好きです。好きな服をまとって、人目を気にせず街中を厚底ブーツで闊歩していたり、その姿がかっこよくて、ああなりたいと思う存在なんです。ギャルの力強くて自由な立ち居振る舞いと粘菌が、私の中ですごくリンクしていて、ある意味似ているのかなと思っています。その2つを組み合わせて作品を作ってみました。粘菌も、進路に虫がいてもアスファルトの上でもガンガン突き進む強さがあります。
― 藝大に入る前はどういったことをされてたんですか?
中学校のときに美大に行きたいなと思って、それ以降真面目に勉強していました。藝大は国立なので試験科目が多いし、そのデザイン科に行くなら実技以外の勉強もある程度必要、と聞いていたので、中学ではセンター試験レベルの勉強をがっつり頑張って、高校からは美術予備校でがっつり実技の勉強をしました。
― 最初に粘菌とギャルに出会ったのはいつ頃ですか?
粘菌は中学校ですね。仲が良かった図書室の司書さんに、新しく配架した粘菌の図鑑を「絶対好きだと思うんだよね」と見せてもらったのが最初です。「なんこれ?うわ!カッコよ!」みたいな出会いでした。どの本かもう忘れちゃったんですけど、何回も読んで粘菌がすごく好きになりました。
ギャルは大学に入ってから、ギャルっていいなと思い始めました。私自身はそれまでそんなにギャルではなかったです。今もギャルではないんですけど(笑)。
「私はギャルじゃない」と謙遜(?)する柴田さん
― 学部時代の卒業制作の写真を拝見したのですが、そちらでも粘菌をテーマにしていたのですよね。
あれは粘菌になるための装置というか、棺です。私が死んだらロープの塊に入って土葬されて、微生物に分解される。そこを粘菌が通ったら、粘菌に吸収してもらえるというコンセプト。粘菌には触れたものを体内に吸収して記憶する性質があるので、そうすれば粘菌の一部として生まれ変われるなという妄想を、そのまま棺の形にして作ってみました。
学部の卒業制作の延長というか、粘菌になりたい同じ思いを持ったまま、修士課程の修了目前まで来ています。
― フィギュアは木彫りで作っているそうですが、どういった形で出会ったり、始めたいと思ったんですか?
元々趣味でフィギュアが好きで、粘土で作ることは良くあったのですが、粘土って足し算の作業で、形がなかなか決まらないのが嫌だったんですよ。毎回おおざっぱに形を作って、粘土が固まってからやすり、形を整えていたんですけど、ふと「初めから彫ったらよくない?」と気づいて、2023年の11月頃から木彫りを始めてみました。完全に独学で、木彫の技術はまだまだです。
素材としての作りやすさだけでなく、「ギャルの格好したやつが木でギャル彫ってたらおもろくね」と思ったのもあります。3Dプリンターで作る樹脂のフィギュアは既にポップアートとして人気だけど、「え、木彫りなんだ」みたいな意外さ、新しさがあるかなと。
― 柴田さんのイメージする具体的なギャル像はありますか?
子どもの頃から好きでした。2000年代のギャル文化は意識しています。時代によってギャルのイメージは変わりますが、そんなに特定の時代のギャルは意識していません。いろいろなギャルがいていい。格好は今っぽいギャルでも、スマホではなくガラケーにキーホルダーをじゃらじゃらつけていたり、混ぜこぜなギャルです。
ギャルの誰かではなく、私がなりたいギャル像を作品にしています。私は最近髪型を姫カットにしているので、彫っている作品をみんな姫カットにしたり、私がよくする格好や着てみたい服装を作品に着せたり、作品と自分を寄せていく意識です。
― 柴田さんはギャルだけでなく粘菌にもなりたいとのことでしたが、なりたいものを作品に投影してる感覚があるのでしょうか。
そうですね、自分の理想としてぼんやりと思い浮かべたものを無心に彫っていって、彫り続けるうちに理想の姿がわかってくる感覚があります。仏像を作っていた人たちも「彫る」行為自体が一種の信仰で、私と近い感じ方をしていたんじゃないかな。
デザインは社会とのかかわりが大きいので、他者のためのものを作ることが多いと思います。私もデザイン科に入りましたが、なかなか社会に興味が向きませんでした。外に向けて作ることが減っていって、内向きで自己表現的な作品が多くなっていますね。
― 作品のタイトルにある「曼荼羅」というのはどういうことですか?
「曼荼羅」の語源に「本質を有するもの」というような意味があるのと、複数のギャルが登場するのが、仏がたくさん描かれている曼荼羅の図にも通じるのではないかと思っています。それから有名な粘菌の研究者で南方熊楠(みなかたくまぐす 1867-1941)という人がいて、粘菌を研究しつつ、宇宙や民俗についても考えていた方です。南方熊楠は宇宙のいろいろな物事の関係性を表した「南方マンダラ」という図を作っていたので、そこから〇〇曼荼羅ということで「粘菌ギャル曼荼羅」というタイトルになりました。
椅子から立ち上がり、いよいよ実物を見ることになりました。
粘菌の中でも特に好きだった2種をギャルにしました。題材にした粘菌の色や見た目の要素をファッションとして取り入れていて、ポージングのうねりも粘菌を意識しています。
こっち(写真左)が、<ルリホコリ>という好雪粘菌、雪が好きな粘菌の子です。多くの粘菌類には子実体(しじつたい)という、キノコみたいな状態になるときがあるのですが、ルリホコリの子実体は虹色っぽくてギラっとしているんです。粘菌好き界では人気の粘菌で、私もこの子が一番好きです。ところどころに銀箔を貼って、硫黄で焼いて虹色にしています。
こっち(写真右)は<ウツボホコリ>という粘菌の子です。子実体がピンクなので、ピンクっぽい木材を組み合わせて寄せ木して、髪型と服装で子実体のモフモフ感を作りました。
「焼き鳥とか刺せそうなまつげですよね」と柴田さん。
― 二体でキャラクターが違う感じがしますね。
性格のコントラストを意識して作っています。この子(右・<ウツボホコリ>)はぶりぶりしているイケイケな感じで、こっちの子(左・<ルリホコリ>)は静かめなダウナー系のギャルです。どちらかと言うとルリホコリの方が私に近いかな。
近頃、ご自身もレッグウォーマーをよく着用するとのこと。
― 首から下もかわいいですね。
体形は私のなりたいむちむちのギャルです。「太ももは太ければ太いほどいい!」、「ギャルはガリガリよりもムチムチ!」という主義で彫っています。そのこだわりは私の願望で、粘菌はあまり関係ないです。
ここでとびラーが気になるものを発見。
― このスケッチは何ですか?
これから仏像(ギャル像)の後光と台座を作る予定で、下書きだけしてあります。
今年度の1学期にこのアトリエで粘菌を観察しながら飼っていたんです。その粘菌に竹の炭を食べさせながら布の上を歩かせて、すると布に粘菌の「足跡」がだんだん残っていくんです。その粘菌の歩いた足跡の模様を後光のデザインにしました。
柴田さんが飼っていた粘菌の「足跡」
― この布には像と同じ2種類の粘菌がいるんですか?
いや、これはイタモジホコリという粘菌です。もうこの布にはいないんですけど、学校の理科の実験などでよく使います。粘菌としては1番オーソドックスで飼いやすい種類です。
柴田さんの机のすぐ隣にあった、生活感あふれる箪笥。以前このアトリエを使っていた学生が持ち込んだものとのこと。この箪笥で粘菌を飼っていた。
― 箪笥で飼っていたんですね。
そうです。日光が当たって子実体にならないように、暗くて温度が一定になる引き出しに入れて、梅雨の時期に合わせて飼っていました。粘菌は温度と湿度が高くないと活発に動かなくて、乾燥している冬は苦手なんです。寒いのは嫌、でもお腹は出していきたい、足も出さないといけない、という意味でギャルと共通点がありますね。
― ご自身では内面もギャルだと思われますか?
ギャルになろうとしてます(笑)。性根は全然ギャルではないので、ギャルになりたいっていう気持ちで頑張ってギャルに擬態してます。もちろん環境的な要因もあると思いますが、ギャルって生まれ持った性質だと思うんです。ギャルはなるべくしてギャルになる気がします。結局ギャルにとって1番大事な要素ってその内面だと思っているので、私はたぶんギャルにはなれない(笑)。私は中身は結局ギャルではなくて、なれたらいいなとは思っています。
― 粘菌やギャルのあり方を聞いてきましたが、社会に出たらどう生きていきたいですか?
そうですね。藝大は自由だし、教授たちも見逃してくれていることが多いと思う。社会人になったら、いろいろなルールの中でしっかりと頑張って生きていかなきゃいけない。私は早めに死んで早めに粘菌に生まれ変わりたいけど、でもギャルみたいに社会を生きられたらそれもそれでいいかなと思っています。
「今後の人生頑張んなきゃ」、「死なないように頑張ろう」、そういう感じですね。この先格好は変わるかもしれないけど、「いつも心にギャルを!」と思ってやっていきます(笑)。
終始笑顔で、粘菌への深い愛情とギャルへの真っすぐな憧れを率直にお話ししてくれました。柴田さんの今後のご活躍を応援しています。
取材:松井健悟、平林壮太、足立恵美子、小林有希子(アートコミュニケータ「とびラー」)
執筆:平林壮太
撮影・編集:竹石楓(美術学部日本画専攻3年)
今でもこんなにも粘菌のことが好き、ということを図書室の先生が知ったら嬉しいだろうなと思います。(平林壮太)
作成途中の背後に立てられるパーツや配置の構想図から作品の今後の展開を垣間見て、完成した姿を見るのが楽しみになりました。
(松井健悟)
「ギャルと粘菌になりたい」という真っ直ぐな想いがとても魅力的でした。これからのご活躍も楽しみです。(足立恵美子)
仏師のように黙々とギャルを木彫りする柴田さんの姿を想像してみると、後光がさしている光景が目に浮かびました。(小林有希子)
2025.01.19
2024年12月4日、快晴の窓からは利根川がきらきらと輝いて見える東京藝術大学(以下、藝大)取手キャンパス原田研究室で、美術学部先端芸術表現科4年生の杉田 碧(すぎた あおい)さんに、卒業制作や学生生活、これからのことを伺いました。
〇 卒業制作展に向けて制作中の作品の内容について
― はじめに作品を観させていただいてよいでしょうか。
今制作している作品は、会場に設置する映像インスタレーションです。ここには作品を設置していないので、今手元にある映像や記録の写真をご覧ください。会場では、スクリーンを部屋の真ん中に張り、後ろの壁にも映像を映します。手前のブラウン管テレビにも同時に映像が流れます。CGや画像で作った、鑑賞者に語りかけるキャラクターをスクリーンに映し、浮かび上がって見えるようにしつつ、ブラウン管テレビ、スクリーン、壁の三層の映像が同期して鑑賞できるようになっています。映像では自分で作曲した音楽も流れます。
社会に存在する偏見や問題をリサーチし、現実にあるものを非現実的なものに変換して、リアリティを抑えつつ、観ている人にじわじわ影響を与えるという作品をつくっています。
会場で流れるピアノの曲も自身で作曲している
― この作品をつくろうと思ったきっかけはなんですか。
以前、卵子を提供すればお金を稼ぐことができるという発言をしている人を見ました。その発言から、お金に引っ張られて、軽はずみに命が誕生してしまう状態に危機感を覚えました。しかし、この話は自分とはそんなに遠い話ではないと思っています。自分ももし同じ立場だったら、同じこと(卵子提供)をしてしまうかもしれない。そのような懸念を作品で表現できたらと思い制作したのが、〈Gift〉(2023)という2チャンネル・ビデオインスタレーションです。
そこから卒業制作に向けて、遺伝子操作やデザイナーズベイビーについても調べ始めました。そして、誕生する前から、親から子への理想像や価値観の押し付けができてしまうことにも疑問を抱きました。これらが技術の進歩によって不可能ではなくなっていることに対する注意喚起ができたらいいなと思っています。
作品は3部構成で、第1章では生殖医療の進歩によって引き起こされる問題、第2章では世界で起こっている戦争や身近なところに存在する大変なことに気づかないふりをしている人々について、第3章では優生思想やルッキズムといった、他人に自分の理想を押し付けてしまうことをテーマにしています。
人形劇などから着想を得て、できるだけ生身感がなくなることを意識しながら制作をしています。実際に存在する人はコントロールできず、いやでもその人固有の要素が出てきてしまう。今自分がコンセプトをもって作品として出す上で別の要素が入ってほしくない。できるだけ自分の思ったかたちにできるという点で現実にいない人のほうがやりやすいと思っています。
― いつからこのようなスタイルで制作されているんですか。
去年くらいから始めました。それより前は映像の制作はやったことがなくて、平面の細密画を描いたり、立体の作品をつくったり、映像とは違うことをいろいろ試していました。1、2年生ぐらいまでは、こういうものを作ろうと思って作品をつくるというよりは、描くことによって楽になる、救われるという、自分主体の制作でした。でも、あるときから、そのような制作のスタイルは自分をさらけ出す行為で、自分がすり減っている気がして、自分主体でつくることがしんどく感じるようになってしまいました。3年生の時に、他人に向けてアプローチする方法が自分には合っているかもしれないと気づき、テーマは変えずに少し視点を変えて、今の感じになりました。
― 生殖医療や優生思想、ルッキズムに関心をもったきっかけはなんですか。
1年半くらい前からニュース、SF的な小説を好んで読むようになりました。なかでも村田沙耶香さんの小説が好きで、その世界観に触れ、関連するテーマを調べるようになりました。日頃生活する中で、SNSや人との会話で引っかかる発言やちょっとした疑問が積み重なり、なんでルッキズムに支配されなければならないのかとショックを受けることもありました。そうしたことがきっかけだと思います。
― 生殖医療や戦争、優生思想に対する課題をどう感じていますか。
やっぱり、危ういなとは思います。この状況は変えようと思ってもなかなか変わらないし、進み過ぎてしまっている。情報も錯乱していて、消費社会になってきている。子どもも命も自分の都合のよいように扱われてしまう。このことに対して、何にも感じない人はいないと思っています。育ってきた中で培われてしまうものがあり、そもそも社会全体から変わっていかないとどうしようもない。難しいとは思いつつ、なにか少しでも変えられたら。自分への自戒にもなるので、向き合っていきたいという気持ちでいますね。
〇 今の制作スタイルについて
― インスタレーションという方法を選んだのはなぜですか。
大学に入って一時期からずっとインスタレーションをやっていて、空間づくりが好きです。平面の作品も素晴らしいと思うけど、私は(鑑賞者が作品の中に)入ってほしい。世界観として引き込まれる構図にしたい。暗いところで外の情報を遮断するような感じで、いつも空間づくりをしています。
― どのような手順で作品を制作されていますか。
いつも同じようなテーマから作り始めています。最近は生殖医療に関心があるんですけど、もともとルッキズムを作品で扱ってきました。今回も、ルッキズムに含まれる排他性が、優生思想やデザイナーズベイビーにも通じるというところから始まっています。言葉先行なので、基本はテーマを決めて、言葉やストーリーを考えてから全体を組み立てるという作品のつくり方をしています。
— メッセージを伝える時に、他の方法よりもアートがよいと思う部分はどこですか。
アートの好き嫌いは置いておいて、社会問題だけを直接伝えられると気が引けてしまう気がするけれど、アートはビジュアルや、空間、世界観という、社会問題と別のところで組み立てることで相手にとって入りやすくなると思っています。少なくとも私はそのほうが親しみやすい。一見社会問題とは別物だと思って作品を見始めて、あとからじわじわ気づかされるほうが効果的だと思っていて、そのことを意識してつくっています。何これ面白いみたいな感じで見始めたら、実は重たいテーマだったという感じがいいかなと思って。何かを渡せて持って帰ってもらえたら嬉しいなと思って制作していますね。
― 音楽と映像を合わせたことでよかったと感じたことはありますか。
音楽と映像を合わせたことで、今までやってきた中で一番鑑賞者に伝わっている感じがします。映像はやらないと決めつけていたんですけど、いざやってみたら向いているかもと思いました。3年生の時にレディメイドという既成のものを使って作品をつくるという課題がありました。聖母マリアの肖像画に、チャップリン監督・出演の映画『独裁者』の中のスピーチを語らせ、その音声を無理矢理楽譜に起こし、ピアノで弾くというパフォーマンスをしました。聖母マリアからイメージされる理想の母像とは乖離する言葉を語らせることでイメージの乖離を表し、さらに言葉を音にすることで言葉すら原型をとどめていない状態をつくることで、情報を信じることの危うさを表現したいと思って制作しました。周りからよい評価をもらったので、映像をやってみようかなと思いました。
― 作品を展示する際に、好きな場所や理想的な場所はありますか。
まだ経験が浅いので、外部の展示空間で出来ていません。近いうちに何もない、まっさらな展示空間としてつくられたところでやれたらいいなと思っています。
〇これまでとこれから
― 今の作品のテーマと藝大で作品づくりをしようと思った動機はつながっていますか。
どうなんだろ。もともとそんなに美術を専攻しようと思っていなくて。美術はもちろん好きだったし、高校の授業でも楽しくやっていたんですけど。ずっとピアノや作曲をやっていて、どちらかというと音楽の方が得意でした。ピアノも既成の曲を弾くよりは自分でつくったり、即興で弾いたりするのが好きで、あるものをなぞるよりも自分でつくる方が得意という自覚がありました。曲をつくる感覚と映像をつくる感覚は近いと思っています。高校生の頃は、何かに囚われているような感覚を発散するために、定期的に絵に落とし込んでいて、それをポートフォリオとして出したら運良く藝大に合格しました。
ルッキズムは直接的にはつながっているかわからないですが、日々の悶々とした、漠然としたものと、作品に落とし込む前のもやもやは、間接的にはつながってはいたのかなと思います。
― なぜ先端芸術表現専攻を選んだのですか。
純粋に楽しそうと思ったのが一番です。自分の興味範囲が広くて、ドローイングもしながら画像編集も趣味でやっていました。それらを融合できる学科で、何をやってもいいので面白そうだなと思って選びました。
― 原田研究室を選んだのはなぜですか。
原田愛先生は、舞台美術を専門にしている先生で、大がかりな設営に詳しく、自分が制作したいものと近いので選びました。これまでもいろいろと相談に乗っていただき、学びの多い環境です。ゼミの先輩方にも、劇団を立ち上げている人や、暗室空間での作品をつくっている人がいて、自分の作風が演出的な作品づくりという点で合っているのかなと思って選びました。
― 藝大での学生生活はいかがでしたか。
最初は入学できたのが嘘みたいで不思議な感じでしたが、環境にだんだん慣れていきました。周りの人たちは、話したいことが似ているので、とても居心地がよく、充実していたなと感じています。取り組んでいるテーマが同じ人は少ないですが、自身が探求していることでなくても深掘りしてくれて、対話ができる環境なのでありがたいと思っています。
2年生から取手キャンパスに通うようになりましたが、思っていた以上に自然豊かで驚きました。身近に自然があるのは嬉しいです。
― 大学院に進んで、このままずっとアーティストとして活動をされる予定ですか。
結構悩んでいるんですけど、自分のために作るより他者がいる方が作りやすいです。アーティストとして一人で活動していかなくてもいいのかなっていうのがあります。空間づくりに関心がずっとあるので、空間演出にも興味があります。あとは、自分で文章を書いてストーリーを考え、空間をつくることを卒業制作でやっていますが、それらをメディア別に分けて、自分が書いたストーリーを本にしてみたり、空間だけで作品化することにもチャレンジしたいと思っています。
取材を終えて
卒業作品展では、杉田さんが制作された作品である展示空間がどのようになっているか楽しみです。また、杉田さんは、絵画も、映像も、音楽もできる多才な方なので、今後どのような表現活動をしていくのかとても楽しみです。貴重な時間をいただきありがとうございました。
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取材・執筆:正木伶奈、長沼千春、山中大輔
撮影・編集:竹石楓(美術学部日本画専攻3年)
多様な技術を組み合わせて、社会問題に対しての一貫した興味と危機感を表現してきた杉田さん。制作の紆余曲折や背景を知れたことで、卒展が一層楽しみになりました。これからの活動も応援しています!(正木伶奈)
やわらかい雰囲気の中にもしっかりと自分の軸を持って受け答えしている姿が、とても素敵だな〜と感じました!個人的にも興味のあるテーマなので、卒展の会場で実際に展示された作品を見るのがとても楽しみです。(長沼千春)
杉田さんは、ドローイング、映像、音楽をすべて自分でつくられていて、かつテーマが社会的な内容で、それを空間を作品にした時にどのような場になるのか実際に作品を観てみたいと思いました。これから先もどのようなアーティスト活動をされるのかとても楽しみです。応援してます!(山中大輔)
2025.01.19
上野公園の銀杏が一気に色づいた11月下旬、東京藝術大学(以下、藝大)の上野キャンパスに、同大学大学院美術研究科の間瀬春日(ませ はるひ)さんを訪ねました。間瀬さんは、文化財保存学専攻で保存修復工芸研究室に在籍しています。
文化財修復の研究室は地下にあり、中に入ると木の香りが微かに薫る「和」の空間でした。しかも靴を脱ぐという手順を踏むことで、ちょっと異空間に入るような感覚になりました。
-修了制作はどんな作品に取り組みましたか?
紫陽花で有名な鎌倉の明月院に織田信長の弟、織田有楽斎が100揃い(100個セットのお椀)寄進したものと言われている「明月椀*(めいげつわん)」というお椀の復元模造制作です。今回の制作のプロセスを見せたいので、卒展では出さないものも含めて今日は工程順に素材を並べてみました。
文化財の模造は2種類あります。傷みなども含め現状のありのままを再現する「現状模造」、もう一つは当時の技術を再現しながら、その当時の状態の作品を制作する「復元模造」があります。明月椀については後者で取り組みました。貝片で装飾をする「螺鈿(らでん)」の技法は特殊な技術なので、その再現として、素材の貝を桜の花びらの形に抜くところから取り組みました。
明月椀と制作プロセスが並ぶテーブル
この椀の螺鈿には「割貝技法」が用いられていて、この技法は椀の複雑な形状に合わせて貼り付けるので、1枚1枚にあらかじめ割れ目を入れて面に添わせるようにしています。現代の作品でも割貝は使われていますが、普通は貝を椀の面に押し当て、パキパキと割っていくことが多いです。明月椀のように、ここまで細かい割れ目を入れるようなパターンは珍しい技法なので今回、螺鈿部分を中心に復元しようと思いました。
素材はアワビ貝で、0.15mm程度の比較的厚い貝です。調べるとどうも鏨(たがね)*で打ち抜いたものではないと考え、今回糸鋸で一つ一つ自分の手で形を切り抜きました。
*明月椀(めいげつわん):桜花文散し螺鈿椀。朱塗りに螺鈿(らでん)の桜花文が埋め込まれた桃山・江戸時代の輪島塗の木製椀。
*鏨(たがね):鋼鉄製の加工用工具。
貝から花びらを抜く工程
-なぜ糸鋸機を使わなかったのですか?
「技法の再現」もテーマなので、当時存在した手段を用いました。仮に椀を100個とした場合、計算すると全部で花びらを約29,000枚用意しなければならないので、量産も加味しながらアプローチしました。
螺鈿の桜花文の花びらの部分は、貝片を6枚重ねにして切ることで半量産を意識しました。貝片はデンプン糊で接着させているので、水に浸ければバラバラになります。花びらの真ん中のポツッとした柱頭はとても小さいので、鏨(たがね)で1個1個打ち抜きます。この柱頭を中心に、丸く切った和紙の上で桜花文を作りますが、花びらとの間に隙間をあけることで桜の形がパキッと見えます。そして花びらに、あらかじめ割れ目を入れておきます。
これに注目!花びらの中心にある点「柱頭」
和紙で裏打ちした桜花文
こうして和紙で裏打ちした貝ができるわけですが、大変なのは貼り付ける過程です。紙から貝が剥がれて落ちてしまう・・また貝は自然物なので当然天然の傷や割れはあり、そこから予期せず砕けることもあります。
貝を貼り込む明月椀の器の素地は、文献調査と、オリジナルの椀の透過X線写真を撮ることで、ヒノキと推定できたので今回ヒノキから椀の形を作り、縁の部分に薄い布を着せ、その上で全体に砥の粉と漆を混ぜたものを塗り重ねて下地を作りました。
復元模造のためのヒノキ椀
最初は刷毛目などが残って表面が粗いので砥石を使ってひらすらツルツルになるまで砥いでいきます。そして下地が出来た段階で螺鈿を貼り、そこに上から漆を塗り重ね、乾いたら、炭などを使って螺鈿部分を見せるために砥ぎ出していきます。これを繰り返して作品が出来上がります。形態は素地の段階で完成しているので、あとは目指した仕上げのレベルになるまで繰り返します。同じ工芸でも陶芸などは、一度焼き上げたものがそのまま作品になりますが、漆は同じ工程(塗って砥いで!塗って砥いで!)をひたすら繰り返すので、周りから「(すごすぎて)おかしい!」と驚かれることもあります。(照れ笑)
-とびラー3人「うんうん(ごもっとも!)」(笑)
工程見本の板
<主な制作工程>
木製の蓋つきの椀の縁に麻布を着せ漆で下地を塗る→乾かす→貝を型抜き桜の模様を制作し椀に貼る→桜の模様の上から漆を全体に塗る→乾かす→桜の模様の部分だけ漆を剥ぎ起こす
螺鈿の漆を剥ぎ起こす
-作品制作に掲げているテーマはありますか?
自分にとって明月椀の復元模造は挑戦でした。学部は金沢美術工芸大学で漆を学び卒業後、一度京都で社会人を経験し、そこで漆屋さんとのお付き合いがありました。もともとは乾漆造形をつかったオブジェを制作していたので、藝大に来て初めて螺鈿に触れました。
藝大美術館所蔵の明月椀一揃いが、修復予定の作品として研究室に来ていたのですが、私が鎌倉出身で椀づくりと所縁があり、また漆を学んだ関係で材料や業者といった制作への見通しが立ったので、やってみようかという気持ちで、この椀と向き合うことになりました。
過去にも明月椀の復元に取り組んだ人はいましたが、記録は残っていないので、この修了制作を通じて後続の人たちの参考になればという想いはあります。
-いつも明月椀とどんな気持ちで向き合っていますか?
シンプルに面白い。これだけ合理的で突出したカッコいい技術が備わった作品をスパッと出されてしまうと勝てないな、という気持ちになります。特にわざと凹凸があるところにこれ見よがしに螺鈿の桜模様を貼り、それを400年前に100個揃えるというセンスには驚かされます。そんなカッコいいものに、藝大に入って触れることができたことはとても贅沢なことだと思います。
-苦労して取り組んだ修了作品について、どういうところを見て欲しいですか?
まずは意匠のカッコよさを見て欲しいです。特に螺鈿が複数の凹凸部に貼られているところ。制作は大変だろうなとは思っていましたが、想像以上でした。
中塗りが終わったところ
-間瀬さんにとっての漆の魅力とは?
高校の時、美術予備校の先生が漆をやっていて興味を持ち、藝大の卒展で見た漆の作品がめちゃくちゃカッコよかったので、大学で漆をやりたいと思いました。祖父は、手書きの看板職人と大工だったので、もともと手に職がある仕事に非常に憧れていたこともあり、進路は自然に決まりました。それと、わからないものに興味があります。宇宙も海洋も大好き。漆もわからない。わからないことがあるから面白い。昨日はきちんと乾いたものが、今日は乾かない。そんな漆のご機嫌伺いをしながら暮らしています。だからこそ面白いのであって、死ぬまでずっと漆に触っていたいです。
-ここまで漆にたずさわってきて作品づくりで思うことはありますか?
最初はデザイナーを目指していましたが、デザインのためのアイデアを考えるのがつらい一方、手を動かすのは苦にならないので、工芸志望にしようかなと思いました。漆の素晴らしい作品を見て、結局漆を専攻することになりましたが、並行して作家としても活動していて物づくりであればいくらでもできます。作家として作品のアイデアを考えるのは相変わらず苦労していて、寝ていてハッと思い付き、それを忘れないうちにスケッチして、みたいなこともあります。
自分が創作する作品は、今の時代に通用するカッコいいものをと思いつつ、やっている技術はひたすら磨くことを繰り返す・・めちゃくちゃ伝統的なもの。面白い形の中に隠された技術的なところ、これはどうやって作ったのかということを聞いてもらえると嬉しいです。
-大学を卒業した後、一度社会人を経験されていますが、そこからなぜ修復に進んだのでしょうか?
学部を卒業した時がコロナの大流行と重なり、大学院進学は難しいと感じ、一度社会人になってみようと考え、ギャラリーが付いた京都のホテルで働いていました。目の前で美術品が大量に売買されている一方、博物館では残すべき作品が朽ちていくという現実を目の当たりにしました。でもそれを担う人材がいない、そういう現実の中で働きながら作家を続けていましたが器用にできてしまい、自分のキャリアはこのまま兼業作家でいいのか?という迷いがありました。そんなとき「作品はいつか壊れる」という恩師の言葉から、100年後に自分の作品が残って使ってもらえるようにしたいと思うようになりました。そのためには、作家とは別の角度からも漆を極めておきたいと修復の道に進みました。
-ワークショップで金継ぎなど修理を教える・伝えるということと、作り手という立場は、各々どういう意識でのぞんでいますか?
皆が関心を持つ金継ぎを教えることで、人が漆器などにも興味をもってくれるのであれば、喜んで出向いていきたいです。微力ながら100年後の世にも漆を残せるようにしたいと思っています。どんなにいいものでも見た目がカッコよくないと見てもらえないので作家としては作品としてカッコいい作品を作りたいですし、金継ぎをSNSで発信する際も、オシャレに写そうとかを意識しています。見せ方がまずはカッコよくなくっちゃと(笑)。
-これからどういう人間になりたいですか?
将来は、「漆だったら間瀬」と言われたいです。研究もしたいし、作品も制作したいし、死ぬまで漆に関わっていたいです。それぞれの領域とのいい距離感を保つためにも、制作で悩んだら、研究で修復に学ぶというスタイルが個人的にはいいと思っています。
間瀬さんは、藝大の研究室を受験する前、藝大生インタビューの記事をみつけ、内容を見ながら学生生活を想像していたそうです。今回インタビューに選ばれたことがとても嬉しく、記事が完成するのが楽しみとのこと、ご期待に応えることができたらと思います。
取材:染谷都、志垣里佳、菊地一成(アート・コミュニケータ「とびラー」)
執筆:菊地一成
撮影:竹石楓 (美術学部日本画専攻3年)
「死ぬまで漆にかかわりたい」この言葉が一番印象的でした。一生かけて添い遂げるものがある、それはとても羨ましいことです。今後の間瀬さんの作品を追いかけていきたいです。( 菊地一成)
「将来は『漆だったら間瀬』と言われたい」。極めたいという職人気質に心うたれました。出身地、鎌倉の名椀に出会える強運の持ち主の未来がたのしみです。 (染谷都)
漆と螺鈿を観る目がこれから変わりそうです。先人のこれ見よがしの職人技に向き合う、二刀流ならぬ三刀流の間瀬さんの覚悟に敬服しました。(志垣里佳)