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2026.01.26

2025年12月。東京藝術大学 上野校地にある中央棟の一室で、先端芸術表現科4年の髙田清花さんにお話を聞きました。

髙田さんは、学部3年生だった2022年に、「藝大校歌再生活動」という活動を始めたそうです。その活動についての話を入口に、髙田さんのこれまでのこと、これからのことを伺いました。

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先端芸術表現科4年髙田清花さん

 

 

「藝大校歌再生活動」のはじまりから卒展の展示内容について

 

- 「藝大校歌再生活動」とは、どんな活動ですか?

 

実は、現在の東京藝術大学(以下、藝大)には「校歌」がないんです。

「藝大校歌再生活動」(以下、「再生活動」)とは、藝大の前身である、東京美術学校、東京音楽学校の時代にあった「校歌」や「学生歌」、口伝の歌を蘇らせる取り組みです。

卒業・修了作品展(以下、卒展)には、この「再生活動」から派生した映像作品などを展示します。

 

 

- 卒展にはどのように展示するか、教えていただけますか?

 

卒展での発表形態は、3種類を予定しています。

「再生活動」の年表の展示、映像の上映、小編成オーケストラによるパフォーマンスの上演、の3つです。

映像では、歌の再生の活動で出会った、藝大油画卒業生である現在84歳の先輩の語りを映します。

オーケストラによるパフォーマンスは、箏と尺八などの邦楽器をはじめ、美術学部の学生も歌う13人編成で演奏します。校歌、口伝の歌、再生活動のテーマソングである「めぐる」という曲をパフォーマンスする予定です。

 

 

- 「再生活動」が始まったきっかけを教えてください。

 

学部2年生の終わりに、授業で「藝大の歴史を調べて作品を制作する」という課題があったのがきっかけです。藝大には現在、校歌がないことに気づき、今は歌われていない「校歌」を課題のテーマにしました。山田耕筰(作曲家・指揮者/東京音楽学校卒業)が東京美術学校の校歌を作曲したという情報を得て、図書館で山田耕筰作品全集を紐解いたところ、東京美術学校の校歌と学生歌を見つけました。その歌の中に、「上野の森」という歌詞があり、その歌が、当時確かにこの場所で歌われていたのだと知りました。

 

私の入学時はコロナ禍で入学式も学園祭もなく、クラスメイトが誰なのかも知りませんでした。2年目まではほとんどの授業がオンラインで行われていたので、他の学生と直接会う機会がなく、藝大の学生だという実感がありませんでした。この歌の歌詞によって、自分が藝大に所属していることがやっと実感できた気がしました。

 

この校歌を蘇らせたらどうだろうと思い、制作期間が3日しかないなかで、和太鼓などの邦楽器をいれたオーケストラをパソコンの音楽ソフトを使って自分で制作しました。歌は5名の声楽科の学生とオンライン上でやりとりをし、歌ってもらいました。その音源を課題として提出しました。

 


藝大校歌再生活動のパンフレットと映像のパッケージ。デザイン科の学生に協力を得て制作した。

 

- 課題の提出からどのように「再生活動」に繋がったのですか。

 

課題を提出した数ヶ月後に音楽学部の学生と話す機会があり、藝大の前身には校歌があった話をしたところ、「演奏したい」と言われました。課題の時は、パソコンの音楽ソフトで制作しましたが、同じ藝大に音楽学部があるのだから、その学生たちに呼びかけて演奏してもらえばいいんだと、その時初めて気がつきました。コロナ禍で会えていないこともあり、大学にどんな学生がいるのかをまだ意識できていない頃だったと思います。

その場で、同学年のほとんどの学生が登録するSNSに演奏者を募るコメントを送ってみました。5人くらい集まれば良い方かなと思っていたら、なんとその日のうちに80人から参加を希望する連絡がありました。その後も、さまざまな学科や専攻からの希望者は増え続けて、最終的に130人ほどになりました。ほとんどが同学年の学生でした。

 

2024年3月には、藝大にある音楽ホールの奏楽堂が主催する、奏楽堂企画学内公募演奏会に「再生活動」を選んでいただき、校歌を演奏することができました。演奏会当日は、同級生の卒業式の2日後というタイミングでした。私たちの学校生活は常にコロナ禍の制約と共にあったため、この時初めて、オンラインではなく実際に会うことができた同級生もいました。

 

「再生活動」は、途中から活動自体が生き物のようになり、よい意味で活動に振り回され、自分自身が一番驚いています。休学中の2022年にプロジェクトを始めてから4年が経ちますが、最初からこんなに長いプロジェクトにしようと思っていたわけではありませんでした。歌を再生することに惹かれ、集ってくれた他の学生も同じように校歌を再生したいと感じていたようでした。

 

 


- 卒展で上映する映像に出てくる、口伝の歌「チャカホイ」を歌っていた先輩とどのように出会ったのか教えてもらえますか。

 

東京美術学校から藝大美術学部に口伝で継承された「チャカホイ」という歌があると知り、インターネットで検索したところ、とあるおじいさんが「チャカホイ」を歌っている動画にヒットしました。その投稿者に連絡を取り、おじいさんの連絡先を教えてもらいました。その方は藝大油画を卒業された先輩で、祭りが大好きな方でした。現在でも夏はエアコンを使わずに立ちっぱなしで制作をしたり、展示会を訪問すると3時間もお話を聞かせてもらえたりと、訪問する度に元気をもらえる方でした。この方のお話を映像として残したいと思い、密着してインタビューすることにしました。

 


髙田さんが制作したインタビュー映像。写っているのは、現役学生の時に「チャカホイ」を歌っていた油画科の先輩

 

 

この先輩の生の語りに後輩として触れられたことが、活動の中のひとつの財産だと感じています。話を聞く中で、藝大の思い出や、今も昔も変わらない精神があることが印象的でした。先輩と出会うきっかけが「チャカホイ」でなければ、堅苦しいインタビューになってしまっていたのではないかと思っています。共通の歌があるからこそ、愛着をもって受け入れてもらえ、自然な映像が撮れたと感じています。

 

 

「藝大校歌再生活動」の詳細は、WEBサイトでご覧いただけます:

https://geidaikouka-saisei.studio.site/

 

 

 

藝大に入学した経緯や学生生活について

 

- 藝大の先端芸術表現科(以下、先端)に入ろうと思ったきっかけはなんですか?

 

もともと生物学を学びたいと思っていました。美術の授業もない高校に通っていて、藝大も知りませんでした。ただ、好きな歌手のファン仲間のSNSで、普段考えていることや、趣味で作ったちょっとした曲、適当に描いた絵をアップしていたら、ファン仲間のひとりからいきなり「藝大の先端(先端芸術表現科)か音環(音楽環境創造科)が、あなたに合うかも」というダイレクトメールがきたんです。それがすべての始まりでした。最初は「いや、私は細胞の勉強がやりたいんだ」って思いました。でも、踊ったり演奏したり、アイデアを考えて表現することは確かに好きでした。

 

藝大について調べてみたら、先端と音環だけは技術面の受験対策をしていなくてもチャンスがあると知りました。高2の冬に急に進路変更したので、高校の先生たちも心配していました。高校3年生の夏に藝大のオープンキャンパスに行ったら、音環は裏方のプロフェッショナルというイメージを受けました。それは素晴らしい世界だけれど、自分自身としては、どうせ表現するなら自分で発案もしたいし、自分で作りたい。そのことを音環の先生に話したら、「じゃあ先端もいいんじゃない。先端でも音楽の授業があるしね」と言われたんです。

 

私が藝大を目指すことは、太宰治も知らずに文学部に入るくらいの無謀さでした。進路をどうするか、そこからずっと考えていました。センター試験の直前に藝大に落ちたら浪人でいいと覚悟を決め、先端を受験することに決めました。

受験にはポートフォリオの提出が必要でした。住んでいたところは、画材屋もない地域で、100円ショップやホームセンターで見繕ったものを使って作品を作ったり、藝大に入学したらやりたいことを書いた企画書を作ったりして、奇跡的に受かったという感じです。

 


インタビューの様子

 

―  偶然をうまく捕まえて、波に乗ってきた感じがしますね。

 

親の職業の関係で海外の知り合いが頻繁に家に訪れる環境で育ちました。親はキノコに関する国際事業のコーディネートをしているんですけど、その一環でインドネシアでキノコ栽培の技術支援もしています。その関係で、私も最近はインドネシアと日本をかなりの頻度で行き来しています。その「浮遊感」がすごく性に合っているし、しっくりくる感覚があります。なんで浮遊する感じに惹かれるんだろう、と進路を決めた時ちょうど考えていたところだったんです。地面に足をべったりつけてどっしりやっているより、ある意味で力を抜いた生き方をしていく方が、私には自然なんだと思います。生物学を学びたいと思っていたところに、いきなりファン仲間から藝大を勧められて、「そうかな~」とふわっとしながら漂っているうちに、「それもいいな」と思ってくる自分がいました。

 

「再生活動」も、最初は全部自分で抱えがちでした。でも、自分の作品や活動だからとがっしり抱え込むのではなく、少し手放して、幽体離脱するみたいに「ちょっと離れたところから見てみる」と、意外と人が集まってきて助けてくれたり、大変なことが起きてもなんとか乗り切ったりして、それが全部自分の成長につながっていました。

 

1人でやっても、自分が本当に理解できることってそんなに多くないと思っています。感覚的なことや作品のようなものは、そもそも1人で所有するものではない気がしていて。だから、どんなものからも距離感を持つというか、透明感を持つというか、風通しよく存在していることが大事だなと感じています。

自分の芯は大事にしながらも、水みたいに変幻自在に関わる、という感覚が近いかもしれません。

 

 

- 大学2年生が終わって休学を決めたのはどうしてですか?

 

奇跡的に藝大に入れましたが、入ってからが本当に大変で。先生が出す基礎的な課題に出てくる単語も分からない。必死に授業課題をやっても、「実験止まりだね」と言われ続けて、作品と呼べるものが1個も作れていないまま大学2年が終わってしまって。せっかく藝大に入ったのに、この流されていくような状況から一度離れないと本当にもったいないことになると思い、この先どうするか何も決まっていないまま親に休学したいと伝えました。

休学を決めた直後、親から「仕事の役職に空きが出たからインドネシアに来ないか」と誘われました。休みの日には現地で芸術分野の経験もできるため、休学中の2年ほど、親の仕事を手伝いながら、インドネシアに滞在しました。

 

- インドネシアとはいろいろな縁があるんですね。髙田さんにとってどのような場所ですか?

 

インドネシアはずっとあたたかくて、四季の感覚がぐちゃぐちゃになるのですが、それすら心地よい場所でした。日本の友達から「サヤカって今どこにいるの?」と聞かれるのも、むしろ気が楽でした。ある日、インドネシアの日本食レストランでたまたま隣に座っていた人が藝大の工芸科出身の方でした。その方にインドネシアの「ろうけつ染め」の職人のところに連れて行ってもらい、習うことができたりもしました。

校歌のことも含め、世代を超えた先輩にすごく助けられる体験をしてきました。インドネシアでも、人とつながる楽しさは「再生活動」の時に感じた面白さと同じかもしれません。

 

卒業後、またインドネシアに3年ほど行く予定です。現地滞在員として働きながら、うち2年で現地の大学院に留学しようと思っています。

 


卒業後も髙田さんは映像制作に取組む

 

 

藝大を卒業後にやってみたい、2つのこと

 

- 藝大を卒業されてからどんなことをしていきたいか、教えていただいてもいいですか?

 

やりたいことは、仕事の面と制作の面の2つあります。

仕事の面でいうと、先端の授業では、「社会問題をどう解決していくか」について議論する機会が多いのですが、結局、その社会問題の根っこにある社会的な構造を変えないと、どうしようもないと思っています。

親が自営業をしているということもあり、起業することも自分にとっては身近なものです。起業家なり、政治家なりになって、直接その社会の中の構造に触れて社会問題の解決につながることをしなければいけないという使命感をどこかで感じています。

制作の面では、インドネシアの人達を撮る映像制作に取り組みたいと考えています。「再生活動」はすごく面白かったのですが、未だに自分の中では「作品」と呼べるものを作れていないと感じている部分があります。表現できることはあると思うので、自分自身でもっと作品制作をしていきたいという野望があります。そのために、インドネシアの大学院で、自身の精神性をもっともっと深めながら、いつか自分の「作品」と呼べるものを作ってみたいと思っています。

 

 

- 未だに「作品」を作れていないとおっしゃっていましたが、どういう作品であれば、「作品」を作ったといえるんでしょうか?

 

なんなんでしょうね…。いわゆる「もの」としての作品は、自分には作れないと感じているのかもしれない。

「再生活動」は、確かにみんなに作品といってもらえますが、私は責任者として「場」を作っただけだと思っています。映像は作品というより「場」だと思っています。

歌は映像と形態が似ています。例えば童謡は、誰が作った歌かは知らなくても、歌う人たちは自分たちの歌だと思っています。

これは大事にしたい価値観だと感じています。

 

- 髙田さんにとってインドネシアの大学院で学んで精神性を深めるとは、どんな意味があるのですか?

 

インドネシアに行き来する中で、現地で出会った人たちは尊敬できる方ばかりでした。私は、どんな環境で過ごしたら、このような人が育つのかに関心を持ちました。そこで、彼らの哲学や芸能を深く知りたいと思ったんです。

色々調べていく内に現地の大学院で学べることを知りました。入学するために必要ないくつかのハードルも越えられることが分かり、そこから、インドネシアの大学院進学が現実味を帯びてきました。現地の大学が、私のために外国人枠を新設してくれることにもなりました。有名な国立大学ですが、先生方のフットワークが軽く、ここを学び舎にしたらどれだけいいだろうと思ったんです。

 

 

- 精神性を深めて、どんな作品を作りたいと思っていますか?

 

先端の先生方から、「卒業制作の映像の中の先輩がすごく生き生きしている」と言われ、それがとても嬉しく、もしかしたら映像が、自分にとってのキーになるかもしれないと、藝大での学生生活の最後で気づいたんです。

インタビューでは、普通のインタビューにはない表現が、自分にはできる直感があります。映像を作るなら、自分の意思でがっちり作り上げるより「手放す」という感覚で作りたいと思っています。

自分ですべてをコントロールして何かを生み出すことってできないと感じています。制御できないものをそのまま受け入れながら、その上でどうやってもがけるか、というようなことを表現としてやってみたいです。

直近でチャレンジしたいのは、インドネシアで誰かの映像を取ることです。

 

- インドネシアの人達の映像を撮りたいと思ったのは、何故ですか?

 

先ほどお話ししたように、度々インドネシアを訪れる中で、インドネシア人の道徳心や精神性の高さにいつも感激していました。毎日お祈りをし、お花を飾り、お香をたくなど、その行為自体がほんとに美しいですし、みんなで共生している。その風景に他の国にはない魅力を感じています。

私は、現地の方にキノコ栽培の技術支援をしていますが、逆に満たしてもらっているのは、こちらの方だといつも感じています。

この人たちの姿を映像に撮って、日本を含めた他の国の人たちに共有したいと思いました。

 

 

- 髙田さんは、アウトプットである“もの”としての作品よりも、むしろ、制作のプロセスを大事にしているように感じます。

 

本当にそうですね。私が作り出せるのはたぶんプロセスの部分です。「再生活動」でも絵を描くのは、美術学部の学生ですし、編曲や演奏は音楽学部の学生です。ちなみに歌は今回、美術学部の学生も歌いました。

彼らが作るものは確かに作品と呼べます。私はその流れというか土壌のようなものをつくって、その土壌の上で、メンバーが各々作品を作っている気がします。

 

 

- 最後にお聞きしますが、髙田さんにとって、アートとは何ですか?

 

いい芸術体験は、自分自身からも逃れられるような気がします。それが忙しない現代人にとって必要なのだと思います。自分はどう思うか、社会の何を変えたいかは、先端にいると何度も自分の考えを求められる部分です。そこからさえも離れ、自分は何者かという問いからも離れる、透明人間になれるような装置が、いいアートではないかと思います。その無の状態から、何かが芽生えてきて、その人が浮遊するきっかけになる、そんな作品を作りたいと思っています。

 

 

 

「藝大校歌再生活動」やインドネシアで体験から、自分ひとりでは制御できない場で創造性が生まれる可能性を探究したい、という思いが伝わるインタビューでした。髙田さんの今後の活動に引き続き注目していきたいと思います。

 

 


音楽学部キャンパスにある、東京藝術大学同窓会「杜の会」が入っている建物前にて撮影

 


紅葉が残る「杜の会」近くでの記念写真

 

 


 

インタビュアー:

山中大輔:とびラー12期。社会福祉士、介護支援専門員、ボランティアコーディネーション力検定2級合格。都内の社会福祉協議会で、住民の皆さんと地域の福祉課題の解決に取り組む。また、地域活動では、地域の皆さんとアートを介してコミュニティをつくる活動を都内各地で実施中。

 

塙隆善:とびラー13期。長らく勤めたIT企業を卒業後、セカンドキャリアで、研修講師、個別指導塾講師、小学校の特別支援学級の介助員として活動中。地域の活動としては、コミュニティ学習支援コーディネーターとして、人がつながるためにどのようにアートを活用できるかを模索中。

 

平田彩:とびラー14期。フリーランス。浦安藝大への参加をきっかけに、アートの力に魅せられDOORを受講、現在そんぽの家で滞在活動中。聴くこと・ことばにすることを手がかりに、場づくりやつながりづくりができる存在を目指している。

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