2018.07.01
テーマ:「ミュージアムにおける社会包摂的活動」
講師:稲庭彩和子(東京都美術館)
テーマ:「日本の子どもの孤立・貧困の現状と背景」
講師:小澤いぶき(NPO法人PIECES)
2018年度のアクセス実践講座が始まりました。
東京都美術館は、すべての人に開かれた美術館となることを、そのミッションに掲げています。
「すべての人」とは、だれのことでしょうか。
年齢も、使う言葉も、移動の仕方も、知覚の仕方も、表現の仕方も、人生における状況もすべてが異なる、一人一人の多様な人のことを指しているのだと思います。
とびらプロジェクトに関わる以前、筆者は“目が見えない方”が、美術館に訪れることを知りませんでした。理由は「見えない方は、見るための場所(美術館)では楽しめないだろう」という思い込みでした。この考えには、いくつもの過ちがあります。ひとつは視覚障害者を”目が見えない方”とひとくくりにしている点。視覚に障害がある=見えない、ではありません。どのように見えないのか、どのように見えるのかはお一人お一人もちろん異なります。決して「視覚障害者」という人がいるのではないのです。もう一つは、「見る」ことを視覚の機能としてだけ捉えていること。実際に眼球を通して脳に像を結ぶことだけを「見ている」というのではありません。「見る」という行為には、実は目だけではない様々な入り口があるようなのです。さらには、美術館を「見るだけの場所」と定義していることも、思考の間口を狭くしていました。
東京都美術館には、実際に多くの視覚障害者が来館されています。各特別展ごとに開催される「障害のある方のための特別鑑賞会」では、特に多くの視覚に障害がある方が来館され、ご一緒にいらした方や、とびラーと一緒に展覧会をご覧になっています。今では、たとえ視覚に障害があっても、美術館にその方がいらっしゃることになんの不思議もないというのが実感です。「知らないこと」からくる偏見は、このように一人一人の人と人が出会うことで解消していくのではないかと思います。
このように、実際に1人の人に会って、体験を共にしたり、お話をしてみないと、自分が今立っている場所からは想像できないことはたくさんあります。
アクセス実践講座では、「美術館へのアクセシビリティ(アクセスのしやすさ・体験の受け取りやすさ)の向上」という窓から、社会の中で今見えている課題、まだ顕在化していない課題へと目を向け、想像し、その先にいる人と繋がり、美術館という場所で共に作品の前に立つ日を展望していきます。
2018年度アクセス実践講座目標
具体的な社会課題に関わる状況・活動を知ることにより、美術館に行くことが難しい人が、来館し、利用するために、どのような支援が必要なのか、企画する力を身につける。
*
第1回目は、東京都美術館の稲庭彩和子学芸員(アート・コミュニケーション担当係長)と、NPO法人PIECESの小澤いぶきさんからお話を伺いました。
《前半》
前半の稲庭さんからは、東京都美術館の掲げるミッション、障害者差別解消法と合理的配慮についてのお話から、なぜ私たちはミュージアムへのアクセシビリティ(近づきやすさ、親しみやすさ)について考えるのかという問いに始まり、美術館で得られる体験が人々のケアと密接な関係があること、また実際に様々な美術館が行ってきた数々の「Engagement/関わり合い」から生まれる「Caring/深く対象に心を向け続けること」の実践について紹介がありました。どのようなお話があったか、少しずつご紹介します。
・障害者差別解消法合理的配慮:障害のある人とない人の平等な機会を提供するために、障害の状態や性別、年齢などを考慮した変更や調整、サービスを提供すること。
→美術館がアクセシビリティの課題を考えること(社会的要請の側面から)
・キュレーションとケアのつながりについて
学芸員の仕事である「キュレーション/curation」の語源は、実は「ケア/care」と繋がっている。
「大事にする」「大切に育む」「深く心を向け続けること」という点で似通っている。
・ケアとは何か
広井良典著「ケアを問い直す<深層の時間>と高齢化社会」の一節を紹介
“「人間とはケアする動物である」と言えるほどに、ケアは深く人間が人間であることに関わっている”
“ケアは普通『自分以外の何ものか』に向けられたものであるのに、その過程を通じて、むしろ自分自身が力を与えられたり、ある充足感、統合感が与えられたりするものである”
“『信じるに値するケア』を見出し、それを育てていくことは、その人の生にとってももっとも深い価値を生み出す拠りどころになっていく”
ケアという体験では、自分とは違う存在に深く心を向け、大切に育む中で、自分自身が深い価値や、生きるための拠りどころとなるような充足感を得るというお話を聞き、筆者の心にはこれまで祖父や祖母を自宅で看取ってきた母の顔が浮かびました。心からケアをしたくなる相手とめぐり合い、ケアという行為を通してその相手と繋がることは、人生の一つの大きな喜びと言えるのかもしれません。
ここから稲庭さんは、他者の世界のと自己の世界をともにケアすることを、美術鑑賞の体験になぞらえていきます。
ー “これまでの美術館の「教育普及活動」では、作品とその情報を分かりやすく来館者に伝えることに重点が置かれていました。そこからもう少し踏み込んで、鑑賞者=自己と、作品=他者との間に関わり合い(Engagement)や対話が生まれる場づくりをする、そこまでを含めると「アート・コミュニケーション」という言葉がフィットしてきます。そこでの鑑賞体験から得られる自己と他者(作品や、共に鑑賞する人たち)の間の「相互主観性」(自己と他者がそれぞれ異なる存在でありながら、自らの一部として他者を感じる感覚)が生まれてくることが、作品を鑑賞する上での「ケア」の感覚ではないでしょうか。”
作品が発するメッセージに共感したり、作品を通して作家の姿を身近に感じるとき、また、共に作品を鑑賞する人との間での「その感覚は私にもある。とてもよくわかる」という思いを手渡しあったりする事。そういった体験を一度でも経験すると、そこから大きな充足感を得、美術鑑賞のファンになってしまう。この感覚は、筆者にとってもとても身近なものです。
このような、作品と自分との共感の波を生む場所として、「ミュージアムの非日常性」はとても有効であるということも稲庭さんは言います。
ー “第三の場所、聖域、神話的時間など、様々に表現される社会的な尺度や差異が溶け合っているような場所(=美術館)は、作品という言葉を発しない「モノ」との「相互主観性」を生み出しやすくする場と言えるのでしょう。ここを訪れる人々が、神話的時間の中で作品を介した他者とのつながりを感じることで、充足を得ていくという効果が美術館という場所の持つ特徴なのだと言うことができます。”
ミュージアムを、一部の限られた人たちだけでなく、すべての人にとって繋がりやすい場所にしていくことの意義がより具体的に見えてきました。
すべての人に向けたアクセシビリティ向上のための取り組みは、とびらプロジェクトでも2012年の始まりから様々な実践が行われてきました。その一部を、海外のミュージアムにおける事例とともに紹介します。
<海外のミュージアムにおける事例>
・House of Memories(回想法)@National Museums Liverpool(イギリス)
・MET Escapes@The Metropolitan Museum of Art 分館(ニューヨーク)
・meet me@MOMA (ニューヨーク)
これらは、認知症の方々を対象にしたプログラムです。プログラムの一番の効果は、作品、そしてファシリテータという中立的な人を媒介に、同じ病を持つ患者やその介護者といった問題を共有できる人々との関わりができたことではないでしょうか。作品を介することで、探究心(生きる力)が生まれ、QOL(クオリティ・オブ・ライフ)の向上に繋がるという事例が多く報告されています。
<とびらプロジェクトの事例>
・障害のある方のための特別鑑賞会:休室日の展示室に、障害のある方々を招待するプログラム。館内各所でとびラーが来館者を出迎え、鑑賞に寄り沿う。
・アクセシビリティ調査:リニューアルオープン後の東京都美術館のアクセシビリティの課題を実際に車椅子で移動するなどして調査したプロジェクト。
・iPad@特別鑑賞会:障害のある方のための特別鑑賞会において、作品画像を入れたタブレット端末をとびラーが持ち、見えづらいところなどを拡大して来館者に見てもらうプロジェクト。
・トーク・トーク:目が見える人と見えない人がともに作品を鑑賞するプログラム。
・knock × knock「美術館に行こう!」:児童養護施設などの子どもたちとミュージアムに出かけるプログラム。アート・コミュニケータが一対一で伴走する。
<Museum Start あいうえの の事例>
・のびのびゆったりワークショップ:障害のある子どもたちを東京都美術館に迎え、とびラーと一対一でワークショップを体験する連続6回のプログラム。
・ミュージアム・トリップ:ミュージアム・トリップは、とびらプロジェクトを卒業したアート・コミュニケータの活動へと継続しています。
ここまでで気がつくように、
ケアという体験は、どちらか一方が「する」人で、どちらか一方が「される」人にはなり得ません。これはとびらプロジェクト全体の活動においても同じ構造となっています。
とびラーはプログラムを「する」人で、来館者はプログラムを体験「してもらう」人だという従来のいわゆる「サービス」のような構造をイメージしていると、とびらプロジェクトで起こっていることは説明がつきません。
プログラムを通して人と人が、美術館という非日常の場所で「出会い」「関わる」こと、その過程の全てが「する/される」を超えて、双方の充足と価値を生み出していくという感覚は、とびらプロジェクトに関わる人々、また、社会の様々な場所で、ケアに携わる方々にはイメージしやすい感覚なのではないかと思います。
この感覚のことを、稲庭さんはWin-winからGift-gift(お互いに贈り合う、ギフトし合うこと)へ、と表現します。どちらも勝つのではなく、どちらからも与え合うことによって自己と他者双方が肯定される場所、美術館がそんな場所として機能していくことも、そう遠い未来ではないのかもしれません。
とびらプロジェクトでは、今後取り組まなくてはならない社会的な課題に対する取り組みを、多様性の尊重とそのネットワーク化の2つであると考えます。1つは人々の価値観や文化背景の違いなどを尊重することであり、2つ目は個々人の生き方を孤立させず、社会の中で関係づけていくことと捉えています。
*
《後半》
続いて、講座の後半でお話をいただいたのは、
NPO法人PIECESの小澤いぶきさんです。
NPO法人PIECESは、孤立や貧困の状態に置かれた子どもたちに「コミュニティ・ユースワーカー」と呼ばれる保護者でも、先生でもない第三の大人の存在との関係を作り、子どもを孤立させないための道筋を社会の中に作っている団体です。
児童精神科医として働いていた小澤さんは、病院を受診する子どもたちがいくつもの複雑に絡み合った問題を背負っていることに気がつき、このような状態になるもっと以前にできることがあるのではないかと、NPO法人PIECESを立ち上げたのだそうです。
子どもの貧困という社会課題は、近年メディアでも多く取り沙汰されています。
日本における「貧困」という状態は、「相対的貧困」とされ、いわゆる「貧困のイメージ」だけでは括れないものであると小澤さんは言います。それは、頼る人がいない・頼れる人がいないと言った精神的・物理的孤立と結びついていることが多く、自分の周りを取り囲む「溜め」が極端に少ない状態と定義されます。
日本国内の7人に1人の子供が相対的貧困状態であること、虐待相談件数が増加の一途をたどっていることなどは、ニュースでも目にすることができます。ですが、「なぜ、そのような状態に陥ってしまうのか」については、私たちの想像力が追いつかない部分もあるのではないでしょうか。
今回の小澤さんのお話から、子どもが孤立していく過程と「自分の力ではどうしようもない」やるせなさが、ありありと心に迫ってきました。
子どもが亡くなるような悲しい事件が起こった時、私たちの心にはつい「どうして誰かに相談しなかったのか」という気持ちがよぎってしまうのではないでしょうか。しかしこの「誰かに相談する」という行為は、実はとても主体的な行為であり、これ自体が難しいことなのだということが、小澤さんのお話を聞いているとよく分かります。
誰かに相談するという行動に出るためには、まず、「自分が困っている」ということを自覚する必要があります。あまりにも当たり前に困難が身近にある環境で育つと自分が「困っている」ことに気づくこと自体が難しく、また、誰かに相談するためには、自分の抱えている困難の内容が言語化できなくてはならないというハードルもあります。次に、相談しようと思った時にでも、相談する「誰か」の顔が思い浮かび、その人の所に出向くことということは、より主体性を求められる行動となります。自分を大切にされた経験が少ないと、自分への信頼感、人への信頼感が乏しく、そのように主体的な行為を行うこと自体が困難を伴うのです。
それを<孤立のループ>であると小澤さんは言います。
孤立に陥る原因は、子供の成長の様々な段階で異なる形で現れます。
・乳幼児の孤立の原因
こども(未就学児~6歳):親(養育者)を通して社会とつながっている時期。虐待、精神疾患、若年妊娠(中卒で就労できない、支援を受けられない)など、養育者が孤独に陥っていると社会と断絶されてしまう。
・青年期の孤立の原因
家庭以外学校現場が社会の入り口になる。社会の居場所を自分たちで作っていく時期。自分で新しい場所、選択肢を探す手立てがない。
子どもはその養育者の社会との関係性を自分の意思によらず受け継いでしまいます。
そのため、社会的に孤立した養育者の元では、簡単に子どもも孤立のループの中に巻き込まれていってしまうのです。こういった現状をつぶさに見ていくと、現状の公的支援が届かないのは何故なのか、その理由も自ずと見えてきます。ここからは、現状の社会課題に対しPIECESがどの様に考え、行動してきたのか、小澤さんの具体的なお話を紹介します。
<現状の公的支援の課題>
1)申請主義なので、そもそも支援が届かない
・申請主義:困っていることを自覚していて、行政までアクセスできる人にとっては有効
・困難な中にいるとき、混乱しているときは「どうしていいかわからない」「なんかしんどいんだけど、、」相談しづらい→よろず相談が受けられる・受容できる媒介者が必要
2) 専門機関の逼迫により、十分なケアがされていない
・専門機関も逼迫している現状
・保護している存在(養育家庭、児童相談所、児童養護施設)も100%以上の稼働率
・十分なケアがされないまま地域に戻されてしまう
3) 行政によるケアが縦割り
・こどもたちの課題は複雑に絡み合っている
そこで、PIECESでは、子どもたちにとって信頼できる他者が社会にたくさんいれば、子どもの孤立が減るのではないかと考ました。
コミュニティユースワーカーとは、特定の信頼できる大人(親ではない他者)であり、その理解ある大人との関係を通して、子どもたちは徐々に社会や人への信頼感を培っていくという取り組みです。
<PIECESの具体的活動>
子どもにとって信頼出来る他者を増やし、社会の受容性を高めることで、子どもが孤立しない仕組みをつくるために、PIESESが手がける事業は次の3つです。①人材育成②子ども支援③社会提案
①人材育成:非専門家「コミュニティユースワーカー(CYW)」を育てる
6ヶ月の育成プログラムで、子ども達1人1人に合わせた関わりを作ることができる支援者の育成を行う。
・4期生がスタート!育成人数35名(1期8名+2期8名+3期19名)⇒研修生47名
②子ども支援:CYW卒業生の活動など
・クリエイティブガレージ:中高生のものづくり体験拠点
20名くらいの小中高生が参加できる。自分がはまっていたゲームの製作者に出会ったことがきっかけで「ゲームを作りたい」と思うようになった。クリエイターが自主的に声を掛け合い、集まってきた。
・もえかん家:シングルマザーとなっている若年妊娠した人たちを対象に、ある家に招きお話をしたり交流したりする場所。
・不登校サポート
・クッキングイベント
・CYWにきたある女の子の例:
お母さんがうつ病である。こだわりが強く友達とうまくいかない、学校に行けない、医療機関の支援を受けていた。
→専門家の紹介でCYWにつながる。
→空想の世界、ストーリーを考えるのが得意。ゲーム制作イベントに参加し、グループでの活動に参加できるようになった。
→自分の役割を見出したり、そんな自分を認めてもらいたいと思い学校に行き出した。
→現在:CYWの活動に通うのではなく、別の活動に参加するようになったり、学校に通い出し、特待生で大学進学をした。
CYWという、親ではない特定の信頼できる大人との関わりが、社会との接点を広げ、自分の可能性へと繋がる大きな力になった例です。
③社会提案
自分のための場所が「家」以外にもあってもいいのでは。
その子のための場所が社会の中に複数あることが大事。
↓
どんな環境に生まれ育っても、孤立することなく豊かに生きていける社会
*
CYWが持っていたい姿勢や包摂に向かう価値観は、とびラーが身につけたい振る舞いとも共通する点が多くありました。
その子の「今」を大切にすること。
関わる自分自身が安心している状態で、余裕あること。
二項対立ではとらえない。この子自身が何を学びたいのか、本当に何が必要なのか、他者を想像するために「あらゆる物事の前提を疑うこと」
<社会の受容度を促進・拡張していくために>
・いかに人の想像性を広げられるか:目に見えないこと(invisible)なこと・もの・人への想像性。想像力を狭めてしまう原因はこりかたまった信念・価値観があること。それを解きほぐす。
・価値軸の多様性を尊重する。
・自分の日々の振る舞いが社会の受容度・変化につながる
・出会いに行く=孤立している状態(目に見えない状態)に橋をかけていく必要性
<海外での取り組み>
移民、難民の方々は言語的、文化的な選択肢が少なく孤立・貧困などの困難な状況に陥りやすい方々ということもできます。PIECESでは世界における子どもの孤立・貧困にも目を向け、テロ組織による子どもたちのリクルーティングの阻止にもできることがあるのではないかと、当該国との交流を始めたところだそうです。
*
稲庭さんと小澤さんのお話を聞き、私たちがミュージアムへのアクセシビリティを向上するために行動する意義と、そこに向かう態度をイメージできた、アクセス実践講座1回目となりました。
様々な見えにくさの先を想像し、美術館へのアクセスに困難を抱えた方々の状況を知り、そこにリーチしていくことは、アクセスをしてもらう美術館という構図ではなく、美術館の方から困難を抱えた方々へアクセスする回路を作る不断の努力をしていくということなのかもしれません。
(東京藝術大学美術学部 特任助手 越川さくら)
2018.06.30
2018年度の建築実践講座がスタートしました。
第1回は、講座の目標や年間の流れを共有し、建築実践講座の主幹となる東京都美術館(以下:都美)の歴史や建築について学んでいきます。
本題に入る前に、まずは「けんちく体操」で体を動かしウォーミング・アップ。
けんちく体操とは、体をつかってその建築の形や特徴を表してみるというもの。
スクリーン映し出された建物の写真をよくみて、その形を真似ていきます。
人数を増やしながら、スカイツリー、前川國男自邸、築地本願寺、東京都美術館、の4つの建物に挑戦しました。
同じ写真でも、建物のどの部分に注目しているかが人によって違うこと、
また、自分の体をつかって表現してみることで、建物の特徴がよく見えてきたりするものです。
わいわいと楽しみながらも、年間の講座をともにするメンバーと自己紹介や会話を交わす機会ともなったようです。
体操で体も場もほぐれたところで、講座の目標と基本概要を共有します。
講座の目標|建築空間を通して生まれるコミュニケーションの場づくりについて考え、プランを実践する。
建築実践講座では、建築の知識を深めていくことではなく、建築空間をはじめ、都市、また建物を利用する・関わる人々についてまで考えをめぐらせことを大事にしています。人々のコミュニケーションと空間・場との関わりを、「建築」という切り口から考えます。
2月まで続く8回の講座とあわせて、建築ツアーをはじめとした実践の場もつくっていきながら、年間を通じて学び合っていきます。
続いては、東京都美術館学芸員の河野さんによるレクチャーです。
大正15年に東京府美術館として開館してから現在に到るまでの変遷、建築の歴史をお話いただきました。
赤茶色の外観が印象的な現在の姿は、前川國男の設計によるもの。1975年に建てられ、さらにそこから30数年が経った2010〜2012年には、古びた部分の改修や、設備なども時代に合わせたものに整備され、リニューアルオープンを果たします。
リニューアル前後の写真を比較すると、前川が設計時にこだわった部分や、建築に対する考え方も大事に引き継がれていることがよくわかります。
レクチャーの内容を踏まえ、次はいよいよ実際に館内をめぐってみます。
6つのチームにわかれ、ガイドの先導のもと「建築ツアー」を体験します。
現在とびラーが奇数月の第3土曜日に定期開催している「建築ツアー」。今回の講座では、普段のツアーより少し短い30分版です。レクチャーで紹介のあった場所をはじめ、グループごとに興味のある場所で立ち止まり会話をしながらめぐっているようでした。
ツアーの後は、ツアーの中でガイドが使用していた写真資料やタイルの現物、素材のサンプルの紹介がありました。他にも、前川や近代建築に関する書籍など、様々な資料から都美の建物についてを知ることができます。
講座の最後は、今日の講座を3人組でふりかえります。今日の内容で気づいたことを三人のメンバーで話し合います。
第1回目では、東京都美術館の建物の歴史や前川國男についてを知り、さらにツアーで自分の目で見て体感・発見することで、活動の拠点・場への視点を深めていきました。
日常で私たちが当たり前に接する建築。見慣れた建築も、その成り立ちや背景を知ることで新たな側面が見えてきたり、またそれが人々の行動にも影響していることを感じることができます。今後、建築ツアーなどのプログラムづくりを通して、東京都美術館をきっかけに、建築空間への積極的な視点を共有していくことができればと思います。
(東京藝術大学美術学部 特任助手 大谷郁)
2018.06.27
とびラーの自主的な活動には、とびラー同士が直接コミュニケーションをとるミーティングの場のあり方がとても重要です。ひとりひとりが主体的に関わるミーティングの場をつくるために、具体的な手法を学ぶのが今回の講座のねらいです。レクチャーとワークショップを通して、「ミーティング」の理想的なスタイルを学びます。
講師は「ミーティング・ファシリテーター」の青木将幸さん。青木さんが進行を手がける会議は、家族会議から国際会議まで、多岐にわたるのだそう。
日常や社会生活のなかでたびたび起こる「話し合い」。とびラーの活動のなかでは、「とびラボ」の企画をかたちづくるプロセスや、様々なプログラムのふりかえりなど、多様な場面でFace to Faceの議論が活動の核となっています。
今回の講座会場は、なんと藝大の体育館!?机や椅子がないため、自然と人との距離が近くなり、意見を出し合ううえでの対等さ=「フラット」な関係を感じられる効果があったようです。思い思いの姿勢をとって、のびのびと話し合いにのぞむなかで、自然と身体の向きが相手に変わったり、前のめりになったりする様子がみられました。
講座の最初は青木さんの自己紹介からはじまり、まずは「歩き回ってとにかくいろんな人に挨拶をする!」というアクティブな場ほぐしからはじまりました。「目があった人にはとにかく声をかけてみて!」と青木さん。朝一番のかたかった雰囲気から一変、徐々に賑やかな声が場にあふれていきます。
次に、3人組をつくって「良い会議」と「悪い会議」のイメージについて意見を出し合います。
まずは個人でノートに書き出す時間があり、次に3人の意見を交換。そして、3人全員が合意できる意見をいくつかピックアップしてみます。
ここで青木さんが強調していたのは「『同意』と『合意』は違います!」ということ。一つの意見に対して「それいいね!」「賛成!」と相手が受け入れるのが「同意」、それぞれ意見を出し合ったあとでお互いに納得する状態にたどりつくことが「合意」です。
会議をすすめていくうえで、この「合意」がひとつのキーになります。発言したことのうち、何に合意したのか?話し合いを進める軸として、参加している人たちの意思を明確にすることは非常に重要です。
ここで、各グループから出てきた「良い会議」のイメージを青木さんが模造紙に書き出しました。
ポイントは多々ありますが、大切なのは、その場に集まったメンバーで合意された要素に従ってすすめること。会議を始める前にこれらの点を読み上げることも、参加の意識付けとして有効な手段なのだそうです。
様々な観点が出てきたところで、個人的に気に入ったアイデアを4つ選んで、シール投票。一度投票のかたちをとると、ここにいる人たちの価値観が総計としてみえてきます。
ここまでのワークをふりかえりつつ、青木さんから良い会議をするためのポイントのまとめがありました。
=発言の準備ができた状態をつくる。全員の発言の準備を促す。
=社会の「最小単位」からはじめる
=花丸をつける、赤の二重線をひくなどしてポイントを明確にする
=内容を可視化する
=シール投票やグラデーション挙手などで傾向を見る
また、質疑応答の場面では、実際に仕事やプロジェクトをすすめることを想定した問答がありました。
・メールや掲示板など、オンラインでのやりとりなど「顔を合わせない」やりとりもふえているが・・・
=重要なことほど顔を合わせた場所で決める
ここでお昼休みを挟んで、午後はワークショップ形式でいくつかのパターンの「会議実習」を行います。
まずは4人1組をつくるところからスタート。このグループで、3つのワークを行いました。
これら3つのワークに共通しているのは、「相手の意見がどんなものであっても否定せず、アイデアを活かして話をすすめていく」こと。「イエス・アンド〜」の姿勢をもって話をきくことが、アイデアの芽を育てていく環境をつくります。日常生活のなかでトラブルや予想外のことは、そもそも「起きる」もの。起きたときにどう考え行動するか、どうポジティブに織り込んで考えていくか、を楽しんで追体験するワークです。
実際にやってみたとびラーからは「クリエイティブな気持ちになれる」「周りに影響されるおもしろさ」「突拍子もないアイデアを楽しめる」「ダメ出し会ではたどりつけないアイデア」といった声があがりました。
さて、講座の最後のワークは「MM法=みんなで持ち寄るミーティング法」。
「Q 今日、ここにいる皆さんに聞いてみたいこと、話し合ってみたいことは?」を1人1テーマ考え、紙に書き出します。
内容は日常生活のこと、価値観のこと、社会のこと、それぞれの話したいテーマはさまざま。
お互いのテーマを書いた紙が見えるように歩き回りながら、関心事が近かったり、気になる内容をもつ人同士で5人1組をつくります。
できた5人組で座組をつくり、それぞれのテーマを10分ずつ話しあいました。
自分の議題のファシリテーターになるのは自分。
今日の講座で学んだ方法を取り入れながら、小さい単位での話し合いに挑戦してみます。
「たった10分だけど、思っていたよりも深い話し合いになった!」「やっぱりまだ話し足りない」「もっと人の意見をとりいれてみたい」など、それぞれの実感を抱えて本日の講座は終了。
*
「良い会議」のイメージを持ち続け、一緒に進める人と明確に共有していくこと。
他人の意見を否定せず、アイデアを活かした話し合いをふくらませていくこと。
大切な点は単純明快ですが、健全に組織を運営することや、順調に企画をすすめることの難しさは、誰もが何らかのかたちで感じたことがあるでしょう。
「会議が変われば社会は変わる」ならば、どんな社会に変えていく?
全6回にわたる基礎講座はこれにて最終回となりますが、とびらプロジェクトとしては、いよいよここからが活動本番のスタートラインです。今年度も人と人、人と作品を通してどんなクリエイティブなつながりが育めるのか、さまざまなトライ&エラーの場を「話し合い」からはじめていければと思います。
(とびらプロジェクト アシスタント 峰岸優香)
2018.06.17
2018年6月17日 日曜日の午後、事前に申し込みいただいた参加者の方々をお迎えして「マインドマップで味わうアート」を開催しました。
ビジネスや教育の現場で定着しつつある、マインドマップの手法を活用しながら作品の鑑賞を楽しみ、発見して、誰かと語り合おうという、「対話を通した作品鑑賞xビジネスツール」の新しい体験の試みです。
作品と向き合う中で生まれた自分の考えや気づきを、マインドマップを使って整理してみることで、鑑賞で感じたことを少し時間が経っても思い出すことができます。それをさらに言語化して家族や友達に伝えることができれば、鑑賞の体験がより深まるのでは?という期待感をもって準備を重ねていきました。
プログラムは、参加者の皆さんに、都美のアートスタディルームに集まっていただき、マインドマップを描いて自己紹介をすることからスタート!
進行役のとびラーが、自分の自己紹介をしつつ、マインドマップの描き方の基本をお伝えします。
マインドマップを描くのは初めて!という方もいらっしゃいましたが、思い思いのマップには、その方をあらわすキーワードが散りばめられていて、既に、コミュニケーションを後押しているように感じました。
次に「プーシキン美術館展」を鑑賞するための基本情報を、マインドマップを描きながらキーワードやイラストを交えて説明しました。
プーシキン美術館とは?フランス風景画とは?
そして皆さんそれぞれが展覧会で発見したり、感じてみたいこと(マイテーマ)は?
その後、展覧会の各章のテーマとキーワードに紐づけて、15枚の作品がどの章に属するのかを推理して選んでいただくというゲームをしました。
ここでも、作品のどこからそう判断されたのかや、自分はどの作品が気になる、など、自然に参加者の皆さんの間で会話が始まっています。
ゲームの後は、今日じっくりと鑑賞したい1作品を選びます。
次に、今回の参加者の皆さんも楽しみにされていた対話を通した鑑賞を体験していただきます。
今日取り上げた作品は、プーシキン美術館展に出品されているクロード・モネの《草上の昼食》(1866年)です。
「仲がよさそうなグループだけど、右端に一人、輪に入れない男の人がいる。」
「飲み物はワインだけだろうか?」
少人数のグループだったので、皆さん、自由に発言をされていました。
今回の参加者の皆さんは対話を通した鑑賞への関心が高い方も多く、
その説明にも興味をもっていただいたようです。
その後、いよいよ、展示室へと移動します。
まずは2つのグループに分かれて、案内役のとびラーと3フロアから成る展示室を一巡。その間にも、先ほどゲームをした作品を見つけると、参加者の皆さんの足が止まり、大変熱心な様子が伝わります。とびラーが見つけた各章の面白い見所などについても会話が弾みます。
それぞれのグループごとに、時間をとって1作品を鑑賞します。
1グループはルイジ・ロワール《パリ環状鉄道の煙(パリ郊外)》(1885年)、もう片方のグループはピエール・ボナール《夏、ダンス》(1912年)。どちらも見ごたえのある大作です。
その後は、マインドマップを作成するための個人での鑑賞の時間です。
それぞれがもっと見たいと思った作品のもとに向かい、発見や気づきをメモしてきます。
その後、アートスタディルームに戻り、本日の鑑賞をもとにマインドマップを作成します。
約30分、カラーペンを使って思い思いにまとめていきます。
最後に、描き上げたマインドマップを見せながら、今日の鑑賞体験を一人ずつ発表していただきました。
「絵の緑が非常に美しくて印象深かった。」
「私は、展覧会を見て“道“をいう言葉が浮かびました。」
「展覧会を通していろんな“旅”があることが分かった。」
その他にも、キュレーションに関心があるというご意見や、とびラーがこの企画実施にたどり着くまでの過程の“旅”に参加できてよかった、という励ましのメッセージまでいただき、大変感動しました。
プログラムはこれで終了。
実施後のとびラーのふりかえりでは、今回の参加者のみなさんの様子を思い返しながら、時間配分や、描いたマインドマップの共有方法についてを話し合い、マインドマップというツールと対話を通した鑑賞の融合について考える時間を持ちました。
参加者の皆さんが回答してくださったアンケートでは、
「マイテーマを持つことは面白い」
「想像を超えて楽しかったです!マインドマップが思考の整理、記憶の定着、意識の向け方に役立ちそう。」
「会場で少し説明が欲しかった。」
「対話型鑑賞を会場でもう1点できるとよかった。」など、
具体的によかったところや改善の余地がある点があきらかになりました。
今後のプログラムづくりにぜひ活かしていきたいと思います!
執筆:中元千亜樹(アート・コミュニケータ「とびラー」)
大人も子供も作品について語り始める時のキラキラした表情をみるのが、とても好きです。
お気に入りの美術館はTate Modern(英国)Kiasma(フィンランド)。
2018.06.02
アートの作品はたくさんありますが、はたして「作品を鑑賞する」とは、どのような活動なのでしょうか?
ただ何かを「見る」だけではなく、自分の目と頭を使って、そこにある表現に迫ること。
美術館での体験や学びとはどのようなものか、今回の講座では「鑑賞」について、理論と実践の両面からそのあり方を考えていきます。
今回の講師を務めるのは東京都美術館学芸員 アート・コミュニケーション係長の稲庭彩和子さん。
講座の前半は3つの映像を見て、気づいたことをひもときながら話し合います。
(3)「Museum Start あいうえの スペシャル・マンデー・コース」
この3つの映像を順番に視聴しながら、それぞれ気づいたことや疑問に感じたことをシェアしあい、稲庭さんがコメントバックする形で午前の講座はすすんでいきました。ここではそれぞれの動画のポイントを簡単に紹介します。
(1)「美術館の展示室で物語をつむぐ」
メトロポリタン美術館の館長である、トーマス・キャンベル氏のプレゼンテーション。作品を知識によって見ていくのではなく、個人の発見や気づきから、共感をもって見ていく、鑑賞者が中心となる美術館での体験について語られています。
映像のスクリプトも読みつつ、気になった部分についてグループで話し合い、いくつかの論点を全体でも共有しました。
たとえば「どの作品も当時は現代美術だった」、「リアリティをもって作品に出会う」、「美術館での体験とはどうあるか」・・・など。
アートや作品が好きで美術館を訪れる人も、普段はなかなか美術館に来る機会がない人もいるなかで、「作品を見て考える体験」について俯瞰した視点から考えていきます。
(2)「Thinking Through Arts」
次に視聴したのは、イザベラ・ガードナー・スチュアート美術館で行なわれている対話による鑑賞を使った手法(Visual Thinking Strategies)の取り組み。こどもたちが作品について、素直な視点で発言していく様子が紹介されています。
人間には、言葉を使って思考を構築していく習慣があります。視覚情報が豊かであればあるほど、言葉で伝えるのが難しかったりするもの。だからこそ豊かな解釈が生まれ、言語表現はより発達したものへと変容していきます。
また、多様な考え方や価値観を保持しながら「対話」をすすめていくうえで重要なのが「ファシリテーター」という役割。中立的に場を進行する人がいる状態が、異なる考えを持つ人たちが共存することを可能にしていることに注目しました。
(3)「Museum Start あいうえの スペシャル・マンデー・コース」
実際にとびらプロジェクトで取り組んでいる、スクールプログラムの様子です。
展示室のなかで、アート・コミュニケータがこどもたちに伴走する事例が紹介されており、展示室での活動が子どもと大人の「学び合い」の場であることについて見ていきました。
現代のアクティヴ・ラーニングに必要なのは、こどもに教え諭すだけではなく、ともに議論しながら考えていく姿勢。個人の年齢や背景が異なるからこそ、違う意見や価値観があり、多様な解釈が生まれるもの。ミュージアムにあるたくさんの「もの」や「作品」を、それぞれの視点から考え、共有していく取り組みが、いま世界の各地で起こっています。
様々な人のまなざしを知ることは、互いの背景を重んじあい、共存を認めあう、文化的な理解を深めるプラクティスでもあるのです。
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午後は実際に自分の目と頭をつかって作品を見るワークから、「対話による作品鑑賞」を体験していきます。ここから進行は、各グループの進行役「ファシリテータ」が担います。
まずは作品を使ったアートカードで「なっとく!ゲーム」を行いました。
たくさんの作品を見比べながら並べ、絵の中の共通点を探し、伝え合うコミュニケーション・ツールです。
ここからは実際に、展示室にある作品を見に行きます。
訪れたのは公募展示室で開催中の「第84回 旺玄展」。会場には見応えのある作品が所狭しと並びますが、今日は各グループにつき2作品ずつを、集中して鑑賞します。
1作品あたりの鑑賞時間は約20分。
「1枚の絵の前でそんなに立ち止まるの!?」と始めは驚かれる方もいらっしゃいましたが、絵をよく見て、話し始めてみたら「あっという間だった!」「もっと見て話してみたい」との声も。
講座の終盤では展示室から戻り、今日の体験を振り返ってみます。
「自分では気づかなかったことに気づいた」
「作品について話したり、聞いたりするうちに、絵がどんどん変わって見えた」
「話している人の人柄も見えてくるようだった」
一つの作品を見て、それぞれの気づきを共有していくことで、「誰かの気づきを自分がどう思うか?」という相対的な視点をいつのまにか獲得していることに気がつきます。
講座の最後には、参加したとびラーからこんな発言が。
そう、これこそが「複数人で話しながら作品を見る」醍醐味であり、ポイントなのです!(・・・と、進行していた学芸員の河野さん。)
どんなに解釈が違っても、同じ作品をみて、同じことを捉えた延長にそれぞれの思考があります。意見の正誤を問うのではなく、「異なる視点を共有する」体験が、対話による鑑賞で得られるもの。全く同じ観点ではなくても、自然とまなざしが重なり、自分とは違う他者の在り方を確認することができるのです。
見ること、考えること、言葉にすること、他の人とやりとりすること。
作品や人と対話し、交流を深めていくと、新しい視野が開けるような体験に出会うことがあります。そんな機会にふれ、また次の誰かに届けていくためのきっかけに、今日の講座がなっていたらいいなと思います。
(とびらプロジェクト・アシスタント 峰岸優香)
2018.05.28
2018年5月28日、「プーシキン美術館展ー旅するフランス風景画」障害のある方のための特別鑑賞会で、「iPad@プーシキン美術館展」を開催しました。
iPadを使ったプログラムはこれまでの「障害のある方のための特別鑑賞会」でも、「視覚に障害のある方も車椅子の方も、作品を見ることを楽しんでもらいたい」という思いで、とびラボとして企画、実施されてきました。
作品の画像データを取り込んだ東京都美術館のiPadを持ったアート・コミュニケーター(以下とびラー)がそれぞれの階の展示室内に2名程度滞在し、iPadの画面上で画像を拡大したり、手元で見せることで、より鑑賞を楽しんでいただけるようにする鑑賞サポートプログラムです。
「この絵のこの色が良く見たかったの」と具体的に見たいものをとびラーにお伝えしてくださる方や、「杖をついていると絵の近くまで寄りづらいから、こうして見せてもらえるのはありがたい」との言葉や、「これは何が描かれてるの?」とiPadで拡大した画像と本物の絵を見比べながら、それぞれ思っていたものとの違いを楽しんだり、絵について話しているうちに、美術館へ来ることへの思いを話してくださったり。さまざまなコミュニケーションがうまれる場となりました。
今回、このプログラムに参加したとびラーは25名。「喜んでもらえたのが嬉しかった」「お話し出来たのが楽しかった」と、とびラー自身も楽しんでいました。
絵画を鑑賞することは個人的な経験になりがちですが、iPadという道具を介して、作品×人のコミュニケーションがたくさん生まれる機会となったことは、とびラーにとっても発見でした。
障害がある、ないに関わらず、「心のゆたかさの拠り所」を目指す東京都美術館で、このような場があることが改めて素敵に感じました。
次回の障害のある方のための特別鑑賞会では、どんな出会いがあり、どんなコミュニケーションが生まれるのか、ワクワクしています。
執筆:今村 昭浩(アート・コミュニケータ「とびラー」)
アート×福祉×地域を探求すべく、とびラーとなって、早3年目。アートを通じて、人がつながる機会があちこちで生まれることを目指して、奮闘中です!