上野公園の木々が色づく11月中旬、東京藝術大学(以下、藝大)構内の赤レンガ2号館へ文化財保存学専攻 保存修復日本画研究室 修士2年の堀内七海さんを訪ねました。笑顔で玄関まで出迎えてくれた堀内さんと共に階段を上り、靴を脱いで、堀内さんが制作に使う作業場に入りました。そこで私たちを待っていたのは、金色の阿弥陀さまの絵と、白黒の同じ阿弥陀さまの絵でした。
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◆堀内さんの修了制作について聞きました。
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– 修了制作について教えてください。
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「阿弥陀三尊来迎図(あみださんぞんらいごうず)」という、藝大所蔵の鎌倉時代の仏画の模写に取り組んでいます。一心に念仏を唱える人々の前に、金色の阿弥陀さまが現れる様子を描いたものです。
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「阿弥陀三尊来迎図」(鎌倉時代/藝大美術館蔵)を模写した制作中の修了制作(左)と、修了制作のために原寸大写真から図像を写し取った白黒の線描(右)。どちらも堀内さんの手によるもの
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– どうしてこの作品を題材に選んだのでしょうか。
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学部生として学んだ愛知県立芸術大学で、仏画や仏像の着衣の装飾文様などを描くのに使われる「截金(きりかね)」という技法を知り、学外の教室にも通って学ぶうちに失われつつある職人的な技に魅了されました。
文化財保存学を学ぶため進学した藝大大学院では、截金の第一人者である並木秀俊先生の特別講義がありました。藝大の文化財保存学専攻では1年生の5月頃に修了制作の題材を決めるのですが、この作品は截金が多く使われていて、截金を極めるにはとても良い作品だと思いました。
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– 卒業・修了作品展(以下、卒展)で見てもらいたいポイントはどこですか。
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着衣の文様を描く截金は一番頑張ったところなので、ぜひ皆さんに見てもらいたいです。阿弥陀さまの着衣の文様は、截金の長さや太さを調整しながら、隙間を埋めるように貼っていきます。私が一番好きなところは花模様のところです。見ていても楽しいですし、貼っていく作業も楽しいです。裾の部分の卍紋や渦を巻いたような雷紋はとても細かく、見るのは楽しいのですが作業はちょっと大変です。全てを描き終わるのは12月末になりそうです。これからは手を付けていない部分の文様の作業と、掛軸に仕立てる作業を進めなければならず、卒展まで残り2か月でぐっと進めていきたいです。
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花模様や雷紋など、着衣の細かい文様まで写し取った白黒の作品の細部
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もう一つ見てもらいたいのは、絵の右下の部分、お寺のお堂のような場所にいる人々です。この部分は彩色が剥落して下書きの墨線が見え、ずいぶんと太い線で描いていることが分かります。
ここに描かれている人たちが、この掛軸を描いてくれと依頼したのではないかと言われています。お寺での仏事で飾り、念仏を唱えながら自分が極楽へ往生することをイメージしていたのではないかと。彼らの表情は柔らかくて安らかで、ちょっと可愛らしい描かれ方をしているなあと思うところでもあります。
また、この作品は金泥(きんでい)を塗った上に截金で文様を入れているのですごく金色に輝いています。描いている時、「こんなに光り輝いている仏さまが自分が死ぬ時に迎えに来てくれたらちょっとすごいな」「人生に満足出来るんじゃないかな」と思うことがあります(笑)。
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絵の右下にはお寺のお堂で一心に念仏を唱える人々が描かれている
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– 堀内さんはどのような思いを込めて作品を制作していますか。
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絵が描かれたその当時に思いを馳せるというか、鎌倉時代を生きた人々がどれだけ仏さまに救いを求めていたのかや、作者がどれだけ熱意を持ってこの仏画に向き合っていたのかということを想像せずにはいられません。
また、私自身保存修復の研究室に所属しているため、自分が描いたこの模写の作品が長く残るにはどうしたら良いのだろうということも考えながら制作していました。実物の作品の截金は剥落が少なく、とても美しい状態です。どういう工夫があって今まで美しさを保てたのか、その状態でこの絵を残すにはどういう技法を用いれば良いのかということを常に考えながら制作に取り組んでいます。
保存修復の作業は単なる作業ではなく、作品と向き合う時間そのものが大切だと感じています。
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◆白黒の作品と金色の作品それぞれについて聞きました。
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– まず、この白黒の作品はどういったものでしょうか。
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実物の作品を原寸大に写し取ったもので、「上げ写し(あげうつし)」と呼ばれる工程です。
原寸大に印刷した実物の写真の上に薄い紙を重ね、紙をめくって目に焼き付けた残像を戻した紙にすばやく描く、ということを繰り返して忠実に再現していきます。
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実物の作品を目の前にして模写する「臨写(りんしゃ)」という貴重な機会が2回あります。模写では最初仏さまの肌を一本の線で描いていたのですが、臨写でじっくり見てみると何本かの薄い線を重ね、最後に強い線で締めるように描かれていると分かりました。そうした描き方が仏さまの柔らかくも、ハリのある皮膚の質感や立体感に繋がっています。
臨写の時に「色合わせカード」も作ります。どの部分にどんな色が使われていたかを記録したもので、その後の制作ではカードを頼りに作品に色を入れていきます。
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上げ写しの工程は、修士1年生の時にほぼ1年かけて終え、修士2年生から、彩色に移りました。これから細かい着衣の装飾文様を截金で描いていくことになります。
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– 金色の作品に使われている截金について詳しく教えてください。
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截金は薄い金箔を3枚から4枚焼き合わせて少し厚みを持たせたものを細く切って、仏画などの表面に貼り付けて文様を描く技法です。
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今回の作品は鎌倉時代のものです。長年お寺にあったものなので線香の煤が付くなど経年変化しており、制作時のピカピカのままではありません。現状模写ではそうした変化による質感をそのまま再現するため、使う金箔もあえて線香で燻したり、煤をつけたりして古さを表現しています。
金箔を細く裁断するために「竹刀(ちくとう)」という道具を使います。截金は太い主線と細かい文様の線では、それぞれ太さを変える必要があります。この作品では細いもので0.2~0.3ミリ、太いもので1ミリまで描線の太さに合わせて竹刀で切断します。
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◆実際に截金の作業を見せてくれました。
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堀内さんは金箔の上に竹刀を当て、金箔を幅1ミリにも満たない細い短冊状に切断。一同、思わず感嘆の声を上げる。
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– このとても細い金箔を手で貼り付けるのですか。
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筆先の細い筆を2本使って貼り付けます。一方の筆に水分を含ませ穂先に金箔を取り、もう片方の筆で糊となる「膠(にかわ、動物の皮や骨に含まれるコラーゲンを抽出して作られる天然の接着剤)」と「ふのり(膠が固まりづらくなる海藻から出来た接着剤)」を調合した液体を画布に引き、その上に箔を置いて貼っていきます。途中で金箔が切れてしまう時もありますが、その時はそこから続けて貼っていけば大丈夫です。
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◆これまでの歩みについて聞きました。
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– 文化財保存学を学ぼうと思ったきっかけはなんですか。
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高校卒業後に浪人をしていた時期に、自分の将来についてじっくり考える時間がありました。絵を描くこと、特に植物を描くことが好きで、日本画は植物を描くことが多いので日本画専攻を選びました。日本画の制作を通して美術への理解を深める中で、美術館や博物館で文化財を保存修復する人たちがいることを知り、「私がなりたいのはこれかもしれない」と思いました。
美術館や博物館で目にする昔のものは、誰かの手で大切に守られ受け継がれてきたものです。その人たちのおかげで、現在の私自身はもちろん、後世を生きる人たちも見ることが出来るんだということ、時を超えた人の繋がりみたいなものにじんわりと感動します。作品を後世に長く残していくには、こうした人の感動があってのこと。バトンを繋ぐ一人として文化財保存に取り組んでいきたいと思います。
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◆これからについて聞きました。
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– 今後はどんな道に進むつもりですか。
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卒業後は修復工房に就職が決まりました。仏画などの修復に携わる予定です。掛け軸の修復に関わる全ての工程を一人で出来るようになるには、10年以上かかると言われています。最初は糊や紙のような修復の材料を準備するなどの修行的な作業から始まる長い道のりですが、全てが勉強だと思ってやっていきたいです。
やはり「手を動かして生きていたい」という気持ちが強いです。コツコツと手を動かす作業、ひとつの技術を究める職人的な仕事にこだわりや憧れがあります。私にとって保存修復はまさにそのものだと感じています。
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– 堀内さんはご自身で日本画を描いておられ、学部生時代には院展(日本画を中心とした公募展覧会)での入選歴もあります。今後のご自身の制作活動についてはどう考えていますか。
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日本画を描くことはこれからも続けていきたいです。やっぱり絵を描くことが好きなので、感動した風景や好きな植物などを描き留めていきたい。
日本画制作と保存修復は、私の中ではすごく繋がっています。自然や植物が好きで、それらを描いてきたことは、そういうものを好きと思える感性を養っていたと思います。保存修復でも「この表現ってすごいな」「どうやって描いたんだろう」と考えます。描いていた経験があるからこそ、見えてくる感動があると思います。
また、保存修復で養われた知識や気持ちが、自分の絵にも生きてくると思います。例えば、紙の種類や絵の具の選び方など、今まで知らなかったことを保存修復の研究室では沢山学びました。素材の背景や歴史を知ることで、自分の表現の幅が広がりました。これからも、自分のペースで日本画の制作を続けていけたらと思っています。
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◆終始穏やかな口調で丁寧に作品や保存修復、ご自身について話された堀内さん。インタビューがおおかた終わり、ホッとした表情になったところでインタビューの感想を聞いてみました。
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– インタビューを終えての感想は?
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緊張して言語化することが難しかったです。修了制作の完成までまだまだやることは沢山ありますが、最後まで丁寧に仕上げていきたいです。
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取材/執筆 高原一大 日比野花 古川実利(アートコミュニケータ「とびラー」)
写真 竹石楓(美術学部絵画科日本画専攻4年)
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日比野花:14期とびラーの日比野花です。大学では学芸員課程を履修しています。大学の学びと、とびラーの経験、純粋に芸術が好きな気持ちを基に、芸術に関わっていきたいです。
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高原一大:アート大好き、美術館大好きで、日本全国を巡っています。とびラーとして、今は鑑賞者同士で感想や気づきを共有する「対話型鑑賞」の習得に励んでいます。
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古川実利:中途失聴の難聴者として、とびラーとして活動しながらアートとコミュニケーションについて考え続けています。今回のインタビューでは音声認識アプリを通して堀内さんのお話を伺い、その経験自体が貴重でした。
2026.01.19