2014.12.25
「これは一体…何?」
中垣さんのアトリエに一歩足を踏み入れてまず、「えっ!?」という驚きに襲われました。これはご本人曰く、「待ってました」のリアクションだそうです(笑)
壁一面のドローイングと部屋の中央にそびえる天井すれすれのダンボール製の建築物。『油画の卒業制作=油絵』を想像していた人間には、目の前の事実(作品)を理解するのに少し時間を要しました。
後でお伺いしたところによると、油画の卒業制作は油彩というカテゴリーに縛られることなく非常にバラエティに富んでいるそうです。
アトリエの中央にそびえるダンボール製の建築物。これがまさに中垣さんの卒業制作『 生体建築(せいたいけんちく)』
「建物のように見えますが、生きているんです。生命のエネルギーが建物に宿り、自らが成長するんです。そこのところを表現したいと思いました。制作は今年の6月頃から始め、9月の芸祭で展示しました。最初は卒業制作として出品するつもりではなかったですね。2ヶ月ぐらいで作り終わるかな、と思っていたので。でも始めたらどんどんイメージが湧いてきて。まだいける、まだいける、といった感じでここまできました。今もまだここまでできたら終わりという完成のイメージはないです。ただ頭の中に湧いてくるものを描いて、形にしているだけです。」
まさに、作品は未だ成長中。
そして作品を取り囲むように壁一面に貼られたドローイングについては、
「脚立がないと貼れないので」と話すように、床に置かれたままになったドローイングの束が。それらを合わせると既に125枚が描き上がっている。アトリエの壁全面に貼ると150枚貼れる計算とのこと。そしてその125枚は同じものが二つとないというこだわりぶり!
このドローイングとダンボール製の建築物の関係について尋ねると・・・・
「必ずしもドローイングがこのダンボール製の建物の何処かの部分とピッタリと一致するということではないのです。描いていくうちに描ききれない部分をダンボールで作り、作ってはまた自分の中から湧いてくるイメージを描いてという繰り返しです。」
材料にダンボールを選んだ訳は・・・・
「ドローイングの軽さを表現できるかなと思ってダンボールを選びました。ダンボールで正解だったと思います」子供の頃から馴染みがあるというダンボール、ボンドそしてガムテープ。私たちもよく知っている身近にある材料、資材で制作されていました。
そのダンボールにも中垣さんのこだわりが・・・・
「人が使っていたもの、今回はダンボールですが、そういったものには使っていた人の記憶が宿ると思うんです。それを使って制作するとその人の頭の中や心の中を覗いてるような不思議な気分になります。それも楽しいですね」(えっ!? これからはダンボールを捨てる時には注意したいものですね。中垣さんに頭の中を覗かれてしまうかも!?(笑) )
「音楽学部に使用済みのダンボールを捨てるプレハブ小屋があって、それを知った時はものすごく嬉しくなりました(笑) 実は、芸大の廃材置き場にあるダンボールは珍しい形が多くて、テンションが上がります!」
素材としてのダンボールに非常に強い愛着が感じられた瞬間でした。
子供の頃について・・・・
この作品を制作するにあたって影響を受けた人やモノはありますか?という問いには、「特にはないです。ガウディは好きですけど。この作品を作るために何処かに出かけて行ったとかそうゆうこともないですね」
「もしかして育った環境が影響しているかもしれません。」と話してくれた中垣さんのご実家は、造園業を営んでおり、お母様が設計士というご家族。「子供の頃の遊びにあった秘密基地が作れるような資材が家に沢山ありました。木と木に渡す板があったり、変な形の道具が置いてありました」「それから、妹尾河童さんの『河童が覗いた~』というシリーズの本があって、その本には世界中のトイレのスケッチが載っていました。子供の頃夢中になって何度も何度も読みました。沢山トイレのスケッチがあるけど一つとして同じものがないのです! もしかしてその妹尾河童さんの本の影響はあるかもしれないです。それから、子供の頃ロボットなんかで遊ぶ時も、僕は “場所” を重視していたように思います。布団やクッションで山なんかを作って”場所” を作ることに」その全てが今の中垣さんに繋がっているようですね。
宮崎の大学で造園業を学んでいた3年生の終わり頃、絵が上手になりたいというただ純粋な気持ちで美術系の予備校に通い始めたそうです。
予備校時代に通学の車内で描いたポストカード大のドローイングを見せてくださいました。その数はおよそ100枚! ボールペン1本で描かれたそれらの絵は、ファンタジーの世界に「現実」を象徴のようなサラリーマンがたった一人存在するシリーズでした。
芸大に入ってから感じたことは・・・・・
子供の頃から絵が好きで、絵が上手になりたくて入学した芸大。そこで念願の絵に没頭できる環境を手に入れた中垣さんは芸大での4年間をこのようにお話してくださいました。
「面白い人たちが多いなと思います。同じ志で入ってきているので結束感のようなものもありますし、同志のような感じですね。これまで絵が好きだ、制作が好きだという人が周りにいなかったので、今のこの環境がとても嬉しいです」
卒業後については?
「大学院への進学を希望しています。その先はまだ分かりません。その時の直感で決めたいと思います。でも手(描く事)はとめたくないです。これまでと同様自分の子供の頃の記憶、原風景を追求して行くことになると思います。」
これから先もずっと[作り手]として存在し続ける事への力強い言葉を聞くことができました。
こんな風に次から次へと描きたいもののイメージが湧いて出てくるその頭の中を、是非覗かせてほしいと思いました。
「僕の絵や作品を見て何か感じてくれたら、それでいいと思っています。僕も子供の頃そういう経験があって今があるので」その言葉通り、中垣さんの作品にはまず「あっ!」と驚かされて、でも決して威圧的ではないその力強さに慣れてくると、どこか懐かしいと感じるものがありました。もしかして私たちの中にある子供の頃の記憶が呼び起こされたのかも?
卒展では、中垣さんの更に「成長した」作品にお会いできるのが今からとても楽しみです。
(2014.12.5)
執筆:河村由理、鈴木俊一郎(アート・コミュニケータ「とびラー」)
2014.12.18
11月13日、小春日和の気持ちのよい午後、藝大絵画棟日本画のアトリエを訪問しました。提出日まで一ヶ月を切り、卒業制作も終盤に入ったお忙しい中、時間を作ってくださったのは、日本画専攻4年生の中根航輔さん、林宏樹さん、塚崎安奈さんのお三方です。
藝大日本画の卒業制作作品は、150号という大きなサイズ(日本サイズの風景画の場合は縦227.30 ㎝×横162.10 ㎝)に決まっているそうで、作品が床に置かれたアトリエでは、多くの学生さんが乗り台に乗った姿勢で制作に取り組んでいました。
3つのアトリエを巡り、それぞれの作品の前でお話を伺いました。
— 卒業制作はどんな作品ですか?
「誕生から死までの時間を含んだものと、生命エネルギーみたいなものの表現を試みています。1年生の時から、このようなテーマをもっていましたが、それは東北の震災と身近な人の死(祖母の死)が考えるきっかけになりました。」
「9月中旬頃に漠然とこのような絵を描きたいと思うようになり、10月に入って取材(動物の骨について科学博物館などを訪問)、11月から描き始めました。色はモノトーンに仕上げますが、下地(白)を部分的に削るなどして、重ね塗りをしている下地の下方の色(赤、黒、グレーなど)が、意図的にまたは偶然に見えるようにするつもりです。」
「日本画の絵具に興味があり日本画を選びました。4年間の集大成としての表現に加え、日本画の画材を自分なりに扱った答えとしての表現が作品になればと思っています。」
— 卒業後の進路は?
「大学院への進学を希望しています。その間にロンドンへ語学留学し、その後機会があれば、向こうでも美術の勉強をしたい。立体なども含め様々な分野のことを学び、自分の表現の幅を広げたい。」
— 藝大に入ってよかったことはどんなことですか?
「作家として活動したいという意識を持っている人が多く、そのような仲間たちの中に身を置くことで、自分も意識を高めていけたことです。」
下地にモチーフを転写した段階の作品を前に、いろいろお話を伺いました。丁寧に説明してくださったので、完成像を少し想像してみましたが……。中根さんの完成作品はどのような姿で現れるのでしょうか。楽しみです。
— 卒業制作はどんな作品ですか?
「テーマは裂け目です。日頃から傍観される世界と分断される自己との関係性を意識します。身体の延長上としての世界は、対象化されることで連続性を失い離散的に分節されていく。世界との不連続性や断裂を広大な裂け目の風景に投影しています。モチーフには実際に訪問したアイスランドの風景を用いました。果てしなく続く荒涼とした世界において、自分の存在が薄れていくような世界との繫がりを感じる神秘的な場所でした。絵画空間のなかで再体験するように対象と世界を媒介する意識で描いています。」
「作品は制作途中ですが、距離感というテーマから色彩効果だけでなく物質的な重層構造も意識しています。」
「自分とモチーフの関係性は、自己と対象との距離が知る行為によって離れていくことをベースにして考えると、素描行為もその要素を孕んでいることに気付きます。しかし経験的に素描は連続性を保ったまま写し取っている感覚もある。今後の方向性として、素描を突き詰めることで連続性を獲得するのか、あるいはむしろ連続性を思想的なメタフィジカルな概念に求めるのかは分からない。見た方が絵と連続性を感じてくれるような作品になればいいと思います。」
— 卒業後の進路は?
「現段階では未定ですが、進学先として大学院では保存修復の道を考えています。」
「日本画に入学して伝統的なことよりも、表現効果を模索することが多かったため、4年間経とうとしたときに日本画の伝統的な技法や材料論を多くは知らないことに不安が生じました。もう少し日本画を研究したいし、より専門性を高める方向で考えています。」
— 藝大に入ってよかったことはどんなことですか?
「やはり人と人とのつながりが大きい、互いの価値観や意見を受けとめる関係があります。また、芸大に在籍していることで繋がる新しいコミュニティがあります。旅先で、自身が芸術を専攻していることがきっかけとなって語らいの輪が広がる経験もしました。そのことで興味があらゆる分野に派生し、見えてくる世界が変化しながら広がり続けています。」
塚崎安奈さん
— 卒業制作はどんな作品ですか?
「今まで日本画の手法で描きたいものがなかったけれど、祖母の家の犬が死んだときに真面目に日本画を描きたいと思いました。画材も今は日本画のものしか使っていません。」
「画面全体に花を敷き詰め、淡い色を塗った上から白を塗って見えないくらいにするつもりです。火葬(花葬?)をテーマにしています。愛犬が旅立ってから少し時間が経った今はただ綺麗に描いてあげたいと。そう思ってこの作品に向き合っています。」
デザインやイラストが好きで、「日本画は苦手だという意識をずっと持っていた」という塚崎さんですが、卒展の直前の作品から作風が大きく変わったそうです。
— 卒業後の進路は?
「テレビ局に入局し、映像デザインの仕事に携わっていきます。就職後も個人的に絵は描き続ける予定です。」
「飽きっぽいから」とご自身を表現していましたが、あくまでも自分らしい表現を求める強い意志が伝わってきました。
— 藝大に入ってよかったことはどんなことですか?
「考える時間がたくさん与えられたことがよかったです。絵が好きなので、絵に時間をかけられたこともよかった。藝大の学生はいろいろなことを深く考えていると思います。他科の友人との交流も刺激的で、人とつき合うことが楽しかったです。」
あえて下絵を描かず一瞬一瞬を刻み込むように画布に向き合う塚崎さん。作品完成の瞬間は、どのような形で訪れるのでしょうか。
日本画専攻は1学年25名という少数精鋭。最後に3人に尋ねました。
— 学友はライバルですか?
「お互いの言ったことを聞いて解釈し合える。」
「お互いの価値観を知り、自身の幅が広がる。」
「人と比べてではなく、自分はどうかを大切にしている。」
「皆意識が高い。」
お互いがお互いを認め合いながら自らの芸術性を追究していく、高い意識に裏付けられた学びと創作の場における関係性を垣間見た思いがしました。
完成した作品と「卒業・修了作品展」で対面できる日を心待ちにしています。
長時間にわたり、興味深いお話を聞かせていただき、ありがとうございました。
(2014.11.13)
執筆|窪田光江・鈴木俊一郎・永井てるみ(アート・コミュニケータ「とびラー」)
2014.11.30
「物を見るときの光が重要なので、窓はすべて北向き。直射日光が差さないようになっているんです」
アトリエに着くなりすこし高めの元気な声で説明してくれた。インタビューに訪れた天井が高いアトリエは、4人で使っているそうだ。
卒展に向け製作中の作品が台の上にある。いやでも目立つ。実物の人体よりかなり大きめの全裸の男性が、しゃがみ込むように体を丸めている像なのだ。
「作り始めたのは、心棒に粘土をつけ始めたのが6月末くらい」
というその像は、立ち上がったら、身長が3メートルくらいにはなりそうな大きさである。像の前方が高く斜めになった台座に乗っているため、背中が強調されている。
「後ろが正面なんです」というのもうなずける。だが、普通の後ろ姿ではない。特徴的なのが、その姿が歪んでいること。
背中側の正面あたりから見ると普通の像に見えるのだが、少し横に移動してみると何やら違和感を感じる。そのまま、像の周りを移動していくと、その像は体の前後方向に薄く作られているのだとわかる。簡単に言うと、前後から押しつぶしたような縮尺の人体像なのだ。
実は、背面の、ある一点から見たときだけ、ほぼ正しい縮尺の人物になるように作られているのだという。
「正面像だけが見えることがテーマなんです。現在は正面像は画像検索などですぐに見ることができる世の中じゃないですか。側面はあやふやというか。見る人に、ゆがんだ側面から正面を捜してもらう、空間を捜してもらう。あらかじめ正面がはっきりしている平面作品でなく、あえて彫刻作品で正面を捜してもらう。見る人にそんな行為をしてもらいたい。立体物としては弱い、よくわからない物、あやふやな立体物をテーマに作っています。正面しかないわけではない彫刻で、あえて正面を作り、捜してもらうんです。しかも、バッチリなものを作ると、そこで見る人の思考が止まってしまうから、あえて正確でない、人間としてのブレが出てくるように。完璧な正面を持っているわけでも、360度説得力があるわけでもないという……」
なかなか難しいけど、なんとなくわかる気もする。正面に背面を選んだのは
「ステレオタイプの正面ではなく、正面に対する原理主義へのアンチテーゼ」でもあるのだという。
どうも額賀さんは反骨精神が旺盛のようである。
タイトルは現在のところ《unclear》。「不明瞭な」という意味だが、文字通り、まだタイトルがこれに決定しているわけでもないらしい。
作品は大きいが、製作に当たって頼んだモデルさんは、「小柄な人」という注文で来てくれた人なのだそうだ。
「私が小柄なので、モデルさんも小柄でないと、体が見にくいんです」という。
額賀さんの作品は最終的にはテラコッタ(素焼き)の作品になる。今はその原型を作っていることになる。この原型から型を作り、型に粘土を詰めて像にして、最後にその像を焼いて完成する。
アトリエにはすでに完成している他の作品もあった。前述の作品とは逆に、実物よりかなり小さめだと思われる、西洋人らしき男女の肩から上の像。特に、頭の禿げた男性の像は、どことなくユーモラスでもあり、魅力的だ。リアルに思える像だが、これはモデルを使わずに、写真から立体像に起こしたのだそうだ。
こちらもタイトルは《unclear》。
「こちらから見ると、やっぱり歪んで見えるんです」
たしかに見る位置によって、こちらの作品も歪んでいる。サイズが小さくて、全体を見渡せるだけに、近くで見ても歪みが大きく感じられる。
「表情は、あまり語りかけてこないように考えています。オマケと言ったらなんですが、見て見苦しくない程度で、ニュートラルな表情にしています」
このような作風になってきたきっかけは、イタリアの彫刻家ドナテロの作品を見たことだそうだ。
「以前は普通の人体を作っていたんですが、イタリアに旅行に行ったとき、ドナテロのレリーフを見て、正面以外から見たらちゃんと像を結ばなくて、正面の説得力というか、魅力が面白いなと思って、私も私なりにレリーフと彫刻を結ぶ仕事ができたら面白いなと思いました」
歪んだ像を作る以前の作品もあった。こちらは、ふっくらとしている全裸の若い女性の座像で、おだやかな表情と、やさしいピンク色の肌が印象的だ。
「このころ、女の子として生きていくには世間からの要求が多いなと思って。やせていなきゃいけないとか、毛はしっかりそらなきゃいけないとか。そういうのが嫌だなと思って。太っていても美しい人というのをテーマに製作しました。ま、わかるかと思いますけど、作るときの原動力がムカついたことや、嫌だなと思ったこと、マイナスなことなんです(笑)。自分自身が、安直に物を見たり、表現したりすることはまずいな、もう一度よく考えよう、ということでもあるんですけど」
そう言っているが、あまり怒りとかを感じさせないほど、やさしい感じの作品だ。それを言うと
「怒っている人が怒っていてもあまり、聞いてもらえないので。動機は怒りですけど、それがテーマではないので。一応、神様をテーマに作ってみたのでこれでいいかなと」
この作品ももちろんテラコッタだ。
「テラコッタって、弱くて重い不便な素材なので、彫刻の学生もあまり使わないんですよ。でも、焼き上がった色がきれいなので、それを見せてもいいかなと思って選びました」
この作品も重さが70 キロくらいあるという。「古事記」に出てくる、口から食べ物を吐き出す神様、保食神(うけもちのかみ)にかけて《うけ》というタイトルだそうだ。とても魅力的な作品だが、今後この作品がどうなるのか尋ねたところ
「展覧会に出す機会があればいいんですけど、今のところないので、実家の“タンスのこやし”というか“駐車場のこやし”というか(笑)。そうですね、彫刻は引き取り手がつかないと……小さいものだと欲しいと言ってくれる人もいるんですが」
という答えが返って来た。
額賀さんによれば、テラコッタの魅力は、水や視線がしみ込んでいくマットな質感だという。また、中が空洞なところが人間に共通する感じがするという。
「作り手のエゴかもしれませんが……」
原型は、型を取ったあと壊してしまうので、その時点では、この世から像の姿は消えてしまうことになる。型から抜いた像ができるとまるで再会したようで、それも面白いという。それが焼かれ、窯から出てくるので出会いを繰り返すようなのだそうである。
これからもこの空間が歪んだような像のスタイルの製作を続けていくのかと尋ねると
「そのつもりなんですが、これ《うけ》を作っていた頃も、このスタイルでずっと続けて行こうと思っていたんですよね(笑)。だからわからないんですけど」
歪んだ形を作るのは、今の時代の反映だと考えたら深読みし過ぎだろうかという質問には
「多少あるかもしれないですね。ただ素直に物を作っていくのが難しい時代で、言い方は悪いですけど、キャッチーにしないと人は見てくれないということがある。もちろん、意識しなくても、今の時代に物を作っているということは、そういう部分もあるかもしれません」
そんな話をしていたところに、偶然、額賀さんの先生である北郷悟教授がアトリエにいらしたので、額賀さんに関して伺ってみた。
「期待の星です。近頃の作品もいいと思いますよ。彫刻って、物と空間の仕事なので、昔は物だけを徹底的に作っていた時代があったんですよ。だけど、今の彫刻のあり方っていうのは、空間を作るために物を表現したり、内面を表現するために空間を使ったりといったことがあるので、空間を刻むっていうか、時間と空間を刻むっていうのが彫刻って考えに、たぶん変わってきていると思います。その方が、インスタレーションなんかも考えやすいですし、特にフィールドワーク的な仕事も、どこかに物があって人がここにいてっていう、関係性がすごくわかりやすいと思うんですね。時間と空間という意味ではね。そういった意味では彼女の仕事は微妙な心理空間を使って、向こう側の世界も感じ取れるようなことに挑戦していますから。しかも、テラコッタという呼吸感のある素材を使ってくれているのも嬉しいですね。テラコッタというのは水をかけるとしみ込むんですよ。本焼きの物は、釉薬をかけるからちょっと息が詰まるような感じになる。物に変わっちゃうんです。テラコッタは、物にならない領域を大事にするというのがあります。テラコッタは壊れやすいのですが、壊れやすいという痛々しさとかが、人の心と重なってくるところがあるので、壊れやすいってこともいいことなんですね、表現として。生活の中でも、壊れやすいもの、燃えやすいものは意外と残ったり、大事にされたりしますから。なんでもかんでも丈夫な物だけが残るというわけではないですね。でも、まぁ、彼女なりの考え方があるだろうから(笑)、そこを聞いてあげてください」
なんとも師弟愛を感じさせる、優しく温かい言葉だ。しかも、額賀さんを理解する上でもとても参考になるコメントだ。
しかも、真面目なコメントだけでなく「これを『進撃の巨人』みたいな大きさで作ってみてはどうかな」とか、「『見返りなんとか』みたいなタイトルにしたくなる」とか、「卒展ではどこに作品が置かれるかは大きいよね。『捜したけどなかった』とか言われるのは嫌だしね」などと言い残してアトリエを去っていった。なかなか頼りになりそうで楽しい先生だ。
最後に、額賀さんに藝大を目指し、彫刻を選んだ理由を聞いてみた。
「もともと、お絵描きとかが好きな子供だったんですけど、高校生になって美大に行こうと思うようになって。もともとはデザインをやりたかったんですけど、高校1年のときに藝大の卒展を観に行ってびっくりしたんです。それまで彫刻って私にとってはどうでもいいカテゴリーで(笑)、興味がなかったんですけど、物を無理やりにでも実在させられるってところに衝撃を覚えて。ブロンズ像とか、仏像とかってすごい偉い人が作るものだと思っていたんですけど、自分とあまり歳も変わらないような学生が、自分の思い描いた形をこの世に厚みとして生み出しているというところに、感銘を受け、何を思ったか彫刻家を目指すようになりました。自分の思ったものを実在させることが魅力だと思います。絵画のように世界を作ることはできないけど、自分の作ったものを世界に放り投げることはできると思っていて、自分の手で全部決定することができるので、彫刻の中でも塑像を選んでやっています」
次々と新しいことを発見して、それに向かっていくところや、怒りをエネルギーにしつつも、そのままを表現にするのではないところに前向きな印象を持った。
広い背中を持った男性像は、世界に投げ出されるまで、もうしばらく時間が必要なようである。それまで、巨大な後ろ向きの男性を相手にした額賀さんの前向きな格闘も続く。
* * *
製作中の粘土を保管するためには水分が必要だが、水をしみ込ませた布を巻いて3 カ月ほど放っておいたところ、粘土にカビとキノコが生えて森のようになっていたことがあるそうだ(そんな所にも上野の森があったとは……)。こういったこともあるので、製作中は常に像のめんどうを見ながら過ごさなければならず、その分、像に対する愛着も湧くらしい。まだ、完成までには7割くらいの段階だというが、手塩をかけて育てた《unclear》が、額賀さんとの何度かの再会を経て、最終的にどんな姿を表すのか。卒展を見る楽しみが、またひとつ増えた。
執筆:小野寺伸二/アート・コミュニケータ(愛称・とびラー)
2014.10.22
2012年のとびらプロジェクト始動以来、藝大の様々な科を訪れてきたが、デザイン科は今
回が初めてとなる。
取材を受けてくれたのは、4年生の木下真彩さん。
木下さんに案内され制作室に足を踏み入れる。夏休み中ということもあって他に人の姿は
なく、ところどころに置かれた制作机、大きな絵画、衣服をまとったトルソー、オブジェ
のような物が部屋のいたる所に置かれている。
“デザイン”という言葉はとても幅広く感じられる。デザイン科に身を置く彼女達にして
も、それは同じようだ。高校3年生まではバスケ一筋だったという木下さん。
「漠然と美大に行きたいとは考えていたんです。ポスターやグラフィックが好きだったの
で、グラフィックならデザイン科かな?と。1・2年生の頃は共通の基礎課題を全員がやり
ます。これからどこに行こう?って私もみんなも迷っていましたね」
デザイン科は全体的に課題の数も少なく、内容も解釈の幅を持たせた大きなテーマが多い
という。もしかすると、制作物そのものというより“発想”そして“アウトプットに至る
道筋”に重きが置かれているのかもしれない。
デザインとアートの違いを尋ねると、
「デザインはコミュニケーション、アートは自己表現とよく言われますね。ただ、説明す
るならそう言えば簡単だけれど、実際すごく難しいなって思うようになってきました」
言葉を探しながらそう答えてくれた。
そんな木下さんが取り組んでいる卒業制作のテーマは“タイポグラフィー”だという。
「街中の看板の文字を採集して、その書体の持つ表情やキャラクター性を読み取ろうと思
っているんです」
都内を中心に、自分の足で街を歩き回り、お店などの看板の文字を写真に撮り、スケッチ
に起こしたものを集めていく。単語でも文章でもなく、ひとつひとつの文字そのものを。
「卒展に向けて、まだまだ量を増やしていきます。最終的な形はまだ決まっていないけど、
色の出し方や並べ方を工夫して、標本として。入口は研究ですが、アウトプットは制作に
なりますね」
タイポグラフィーに興味を持ったきっかけを尋ねると、PC の画面を開いてポスターのデー
タを見せてくれた。一見、普通のカタカナが並んでいるようだが、よく見ると、その文字
ひとつひとつが建物の形をしている。
「去年、古美術研究の授業で“伝統とデザイン”っていう課題が出て、その時に日本建築
を題材にとったんです。それで日本伝統の文化とか色々と調べていくうちに文字にも興味
が出てきて、洛中洛外図をモチーフに、文字を乗せてポスターを作りました。洛中洛外図
って、パースのない、無限に広がっていく俯瞰図ですよね。それが文字の特徴と似ている
なと思ってリンクさせてみました」
研究対象へのアプローチの仕方もユニークだ。
「文字を掘り下げていくうちに“水”っていうテーマが出てきて。大河の一滴、一滴の水
から広がって川の流れになっていく。文字も、ひとつひとつが集まって語になって文章に
なって意味を持っていく。それを実感するために、去年の秋、京都へ行って鴨川の上流か
ら下流まで30km を1 日かけて歩きました」
朝から日暮れまで数多くの写真に収められたのは、ほとんど真横から切り取られた、少し
ずつ表情を変えていく川と景色の姿。
「やっぱり時間の流れとか空気感とか、実際に行ってみなくちゃ分からないなって思いま
した。街並みとか、歩いて何かをするということが好きになったのは、それがきっかけだ
ったかもしれません」
木下さんの取り組みには、現代社会における様々な現象を調査し、その在りようをつ
まびらかにしていく「考現学」の面がうかがえる。それは、自分の生きる世界や時
代に、深い興味と愛着を持っているからこそできるのだろう。
今後について尋ねると
「大学院への進学を希望しています。もっと勉強して、自分はこれができるっていう芯を
しっかり養ってから社会に出たい。その後どうなるかはまだ分からないけれど、建築が好
きなので、グラフィックを通して建築方面の人と関わったり、本の装丁を作ったりできた
らいいなと思います。時期的には、ちょうど東京オリンピックの頃になるので、それにつ
いても考えますね。2回目の東京オリンピックであることや、その10年・20年先のことも
考えたデザインって何だろうと。実現できるかは分からないけど、考えていることは色々
あって、クラスの子たちともよく話をします」
東京オリンピックの頃には、現在の「いま」が「6年前の記録」になる。木下さんが集めて
いる「いま」の集積は、それ自体がひとつの完成形でありながら、同時に未来への種まき
でもある。6年後、あるいは10年後20年後、どんな花を咲かせてくれるのか楽しみだ。
(2014.9.19)
執筆:角田結香(アート・コミュニケータ とびラー)
2014.08.25
上野公園の木洩れ日が眩しい2014年夏の午後、東京都美術館2階のプロジェクトルームのスクリーンに高橋氏の映像作品が写し出されました。画面から流れこぼれる音が高橋氏の声と重なり、一対となりながら過去、現在の作品を解読。素敵な上演会となりました。映像の余韻に浸りつつ2015年卒業修了作品展に臨む高橋氏の今をお話しいただきました。
“高橋育也と申します。僕は藝大先端芸術表現科に所属し、主に映像作品を制作しています。時系列順に僕の作品をお見せします。”
5分間ほどの映像がスクリーンに映される。学部2年次作成のアニメーション作品。無音の中、音を消したノミで金属を叩くような音が規則正しく小さく鳴る、その中をピアノの音が不規則に聞こえてくる。
“音楽はここでは、意味がありません。意味のない音の並び、音符の中をト音記号が冒険していきます。楽譜の右下のこれは反復記号セーニョ。終わりという意味の記号を、物憂げな様子の女の子に捉え、左上にいるト音記号が右下にいる反復記号に花を届けに行くというロマンチックなストーリーです。手書きの一枚の画像をPCの中で動かして作りました。アニメーションの手法の練習もかねて2週間で制作。他の記号も関係させ、動きと音が連動するミュージカル風なもの等に発展させて将来早い時期にどこかで発表したい作品です。”
続いて学部3年次作成のアニメーション作品がスクリーンに映される。アメリカのテレビアニメ「ザ・シンプソンズ」を彷彿とさせる画像。男性が部屋のなかをうろつき、英語の独り言が響く5分間ほどの作品。
“これは単純に絵を楽しむアニメーションです。アメリカのプロダクションとの共同作品です。脚本とコンセプトはアメリカのプロダクション、僕が作画・ビジュアル担当し1か月以上時間をかけてデータをやり取りしながらの合作です。脚本が固まっていない状態で参考画像から絵を起こし、向こうが編集。相手の要求に対応するこの形が、僕はモチベーションが上がりやすい。他の人と共に作り上げる。このやり方が自分には合っています。“
高橋氏にコミュニケーション能力の高さと日本人の職人気質を感じた。
最近の制作、活動についても語ってくれた。
“一昨日、数人のグラフィックデザイナーに同行し、会津の伝統工芸品、和蝋燭に絵を描く工場等で2時間半の映像を撮ってきました。その時の実写映像を少し見てください。”
和蝋燭の絵師へのインタビューの映像がスクリーンに映される。
“これはまだ編集をしていない素材段階の映像です。実際に工場に足を運び、蝋燭に絵を描く職人さんの姿を撮影しています。このシーンは、職人さんの手のアップや、解けた蝋の中に蝋燭を入れて微妙な加減で仕上げるその瞬間を捉えています。
和蝋燭は芯が太く灯の勢いが大きい。溶けた蝋が外に垂れない、描かれた絵が侵食しない、優れた工芸品です。会津の和蝋燭は花が描かれるのが伝統で、江戸時代は雅な贈り物として裕福な階層の人が愛用し、会津藩の武士の奥方が内職として作っていたそうです。行程(和ろうそくでは塗り、削り、仕上げなど)、風土、歴史、用途などを海外の人にも判りやすく、2分間ずつの画像に纏めます。”
“これが卒業制作のラフです。まだ整理されていない画像ですが。”
3分間ほどカラフルな映像がスクリーンに映される。色鉛筆の跡とマットな色感、木炭のこすった跡が動きとなって鑑賞者の目に飛び込んでくる。
聞こえてくるのはくるくる回る金属音と男の波長の合わない息の音、それがリズムカルに画像を進める。
“一枚一枚描いて大学生活最後に手書きのアニメーションを作ります。ストーリーは男が自転車漕いで飛んで行くというもの。今はまだまだ途中段階です。このあと男が自転車を漕いで空を超えて大気圏を突き抜けて宇宙空間にいきます。宇宙空間でも男は自転車を漕ぐ。彗星群が魚の群れのようにきて男は網を広げて彗星群を捕まえて地球に帰ります。老人が海でカジキマグロと4日間死闘し、港に戻ってくる。そんなヘミングウェイ作「老人と海」のように、シンプルな構造だけど骨太な作品を目指しています。
追い込みの時期が追っていますが、1人で描き1人で音を拾いすべてを1人で行います。
これから1人で作品を作ることはほとんどないと思うので、卒業のタイミングで全て1人で制作することは大事な事だと思っています。
今回はクロッキーのぐじゃぐじゃの線、ぐじゃぐじゃの色、生感、不揃いなテクスチャーを、色抜きもしながら生きた線として出していきたいと思っています。ストーリーに仕掛けも必要だと思っていて、更にブラッシュアップして卒業作品に仕上げていきます。”
藝大先端芸術表現科に進学したきっかけは?
“映像をやりたい、それは先端芸術表現科しかないと思い進学しました。”
授業で色々学ぶうちに映像をやりたいという気持ちはぶれなかった?
“一年生の時、気持ちがぶれて苦しみました。
大学で教えらえるのは現代アートが多かったので今まで自分の持っていた価値観が揺らいだ気持ちになりました。自分の作品を現代アートの見方で見たときに、それでいいのか悩みましたし。それで2年の夏まで一年間作品を作れなくなった時期もあります。その苦しみから抜け出したのが最初に見てもらった音符の作品。復帰第一号の苦しみ抜いた作品でした。“
音譜の発想はどこから?
“締切がどんどん迫ってきて最初に作っていた作品があったのですが、それは気に入らず諦めました。
在る時、楽譜を見る機会があってその時に一番右下の記号が女の子に見えた。そこからストーリーを広げて一番最初のト音記号を男にしちゃえと思ったのです。ここでふわっとストーリーが湧いて時間に追われながもなんとか提出しました。この作品はそれなりに評価されました。これで良かった、僕の方向性が間違っていなかったと納得した作品です。“
これから・・・
“卒業後はミュージックビデオ、短いCM制作をやりたい。
また、映像チームを作ることが理想です。カメラマン、脚本などそれぞれの専門家が集まり、僕が映像アートデレクターで、独立したチームで色々な仕事をしたい。“
独立ですか?早いですね。
“頼れる母体があると色々な意味で安心ですが、最初からチームで独立して苦労したい。僕の理想です。”
好きなアーテイストは?
“絵画はルドン、パステル画の花が好きです。印象派の特にモネも。東誠というフラワーアーティストも好きです。
映像作家のヒーローはスパイク・ジョーンズ。僕が映像を志すきっかけになった人です。スパイク・ジョーンズのミュージックビデオや“I’m Here”という短編映画を見て衝撃を受けたのを覚えています。最近では映画“HER”人工頭脳に恋をしてしまった近未来のラブストリーがありますが、この映画でアカデミー脚本賞を取っています。“
穏やかな人柄の高橋氏のルーツは?
“母親が自宅でピアノ教室をやっていて、家で常にピアノが鳴っている状態で育ちました。とてもポジィティブな家庭なんです。
約1年間、プロジェクトアシスタントとして私達の活動のお手伝い、映像なども担当頂きましたが、とびらプロジェクトをどう感じていますか?
“魅力を感じています。この場所で自分の幅が広がりました。”
こちらこそこの一年間、とびラーを支えて頂きありがとうございました。
(2014年7月20日)
<後記>
高橋氏の回りにはワークショップなどでよく子供たちが集まります。子供たちはそこにヴォールドディズニーと近い温かさを感知するからでしょうか。
高橋氏の卒業作品のアニメーションを、あの子供達にも幸福の気分を味わいたい人全てに見て頂きたい、そんな思いに駆られています。高橋氏のピュアな目がその黒縁のめがねの奥からきらきら覗きます。映像作家・高橋育也氏、卒展作品の主人公のごとく、宇宙にゆっくりと羽ばたく様子が目に浮かびます。
執筆:山木薫(アート・コミュニケータ「とびラー」)