2025.01.16
武蔵野の面影を残す雑木林が点在する、のどかな丘陵地帯。東京藝術大学(以下、藝大)取手校はその中に広大なキャンパスを構えています。
ほどなくして、校舎から続く丘の小道を勢いよく駆け下りてくる一人の方が…。それが今回インタビューするYe Feng(イェ・フェン)さんでした。
「お待たせしました、早速スタジオをご案内しますね!」
お互いに軽い自己紹介をすませ、私たちはグローバルアートプラクティス(以下、GAP)内のFengさんのスタジオに向かいました。
(以下のインタビューは全て英語で行われ、取材したとびラー3人が翻訳・編集しました。)
香港に生まれロンドンで育ったFengさんは、国際的・言語的に様々なバックボーンを持っています。
「それが私の創作のルーツ、アートの源になっているんです」瞳をキラキラと輝かせながら語るFengさんは、パワフルそのものです。聞けばこのインタビューの翌日に Evaluation Show※を控え、制作も大詰め。
「今日のタイミングで、皆さんに制作のプロセスをお見せすることができるのは、本当に嬉しいです。 まずはこの作品を見てください」
※Evaluation Show=卒業のための最終審査。
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「インタビューのために、制作途中の作品を用意しておきました」 最初に案内されたのは、工場のような本格的な作業場。目の前には建築用の鉄筋を使った立体作品がありました。制作過程を聞けば、「太さの違うむき出しの鉄の棒を様々な長さにカットし、溶接や表面の加工を繰り返し、環(circle)の形に組み合わせています」とのこと。工具を併用しながらも、鉄筋を自らの手で細かく曲げていることに驚かされました。
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ーこの場所で制作されているんですね
はい。組み合わせた鉄筋が、まるで浮かんでいるようにしなやかに輪を描いているでしょう、地面に置くと自立するけど、重い素材のはずなのに、指で押すだけでゆらゆら動く。硬さや柔らかさ、そして強弱。様々な対比を大事にして制作しています。
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ーこの作品のコンセプトはなんですか?
自分のルーツから、「言語」が中心となっています。
小さい頃から、国際的な環境が当たり前で、言語を通して様々な文化や歴史を知ることも多く、甲骨文字を含め様々な言語のルーツを研究し、人類学や文学を深堀りしてきました。当たり前のように使っている言語ですが、そこには誤解やすれ違いも伴います。大人になるにつれて、小さい頃には感じなかった、コミュニケーションの難しさを知るようになりました。
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言語はたくさんの意味を抱えて存在しています。選びながら、構築しながら、私たちはそれぞれ自分自身の言葉を紡いでいます。
バラバラだった直線の金属が曲がり、つながり、環を描いていくことが「言語の伝達」への表現とつながっています。
ーつながって、揺らいだり自立したり、ですね
私の作品にみられる流れるような金属の線は、抽象的な表現ではあるものの、言葉や文字のように、何かのシンボルとして存在しているとも捉えています。
本来、機械を使って磨き上げたり、綺麗な環に繋げたりもできます。でも私はそうはしません。私たち人間も「完璧ではない」からです。
形状や動きがユニークな立体作品ですが、近くで見るとさらに細かいこだわりが見つかります。時間を経てさびていく金属の材質を活かし、表面のテクスチャを様々な表情に仕立て、溶接のつなぎ目もゴツゴツとした個性のある関節のようです。個性がありユニークであるのが人間。そのありのままの姿が、作品を通して表現されています。Fengさんの「金属で描いている」という言葉がよく伝わります。
「次に、Evaluation Showの部屋をご案内しますね。さっきの環(circle)がここでは様々に形を変えて空間を構成していますよ」
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Evaluation Showの会場は、天井の高い四角い部屋。
その中に、金属の立体作品、油絵の平面作品、ライトで作り出された光と影、そして手作りのスピーカーから流れる音。たくさんの要素が集まった部屋全体が一つの作品であり、作品どうしが共鳴する空間が創られていました。
ーこの空間はどのように創られたのですか?
最初から様々な表現を組み合わせようと決めていたわけではなく、自分の感性に従って創作を進めて、最終的にこのような空間ができあがりました。直感を信じて進めるのが私の創作スタイルなんです。
ー先ほどの作業場で見せてもらった金属の環の作品が、ここではさらに形を変えていますね
そうです。地面に置かれたものもあれば、小さく繋げて空気をまとうように空間に浮かせたものもあります。金属の環の一つ一つが、様々な文字をバラバラにして再構築するようなイメージなんです。作品自体のユニークさだけでなく、壁に映る光と影のバランスも見てくださいね!
流れている音は、金属素材を扱う時の音を録音して作りました。壁の高い所にスピーカーを設置したので隣の壁から響きわたるような幻想的な聞こえ方になっているでしょう。
ー金属、絵画、音楽、光と影。立体作品と平面作品など、組み合わせが考えられた空間ですね
絵画は、サイズが違うものを壁に並べて空間を創る飾り方を考えました。基本的には油絵具をキャンバスの上でそのまま混ぜて自由に描いています。実際の展示では触れないことも多いけど、触ったりもできるインタラクティブな展示が理想的ですね。この組み合わせた空間ごと身近に感じてもらえたら嬉しいです。金属の環は中をくぐれるくらいの大きさでしょう?私は自分の体と同じくらいの大きさの作品をつくることが好きです。
「次に油絵を描いているアトリエの方へ移動しましょう」
私たちはEvaluation Showの会場を後にし、日差しが降り注ぐアトリエに向かいました。照明を落とした部屋から、天井が高く明るいアトリエに来て、どこか異世界から現実世界に戻ってきたような感覚でした。
ーこのアトリエも素敵ですね。たくさんの油絵がありますが、これらも卒展作品ですか
ちょっと散らかっているんですけど(笑)。今、ここにある油絵も、気に入ったものはさっきのインスタレーションに加えるかもしれません。
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ーここであらためてFengさんご自身のルーツや、アートへの想いを伺えますか?
私は香港に生まれ、ロンドンで育ちました。小さい頃は空想や考え事をすることが好きで、もちろん絵も描いていました。ロンドンにはミュージアムがたくさんあり、展覧会にもよく行っていましたが、本を読むことも好きで将来は医療や経済を学ぶのだろう…と思っていました。
でも高校生の時に気づいたんです。医療や経済は一つのことを掘り下げるイメージだけど、アートという分野は、そこを通じてもっと広い世界や深い歴史に触れることができるのでは?と。
ー高校卒業後、ロンドンで美術大学に通われたんですよね?
そうですね、高校時代、進路を決める時に当時の学校の先生に相談したら背中を押してくれて、大学への推薦状をいただけたんです。美大への入学が私の人生にとって大きな転機となり、さまざまな事を学びました。「アートジャーニー」とも呼べる流れが始まったんです。
ーGAPでの生活、創作活動はいかがですか
ロンドンのアートスクールを卒業した後、いったんは就職しましたが、日本の藝大のGAPコースの事を知り、入学することができました。素晴らしい先生や仲間たちに囲まれ、本当に充実した2年間を過ごしました。アートジャーニーがここに繋がっている感じですね。
自分にはマルチカルチャーで複数言語のバックグラウンドがありますが、成長するにつれ、それは私のユニークな個性であることを自覚するようになりました。カルチャーや言語についてさらなる思索を深めて、GAPでの作品制作にもその意味合いを込めるようになりました。
アーティストは自身の言葉・信条を表現し、どんな場所にいても、アートの事を考えることができます。私にとっては自然なプロセスで、あらゆることが繋がっています。それが私の人生そのものなんです。
私が今回選んだ金属・絵画・音響など、素材とも言えるものは昔から取り組んでいました。GAPに来てから他のさまざまな素材でも試してみましたが、金属や絵画は、以前より私にフィットしているように感じています。これらは私にとって大事な、変えることのできない血液型のような感覚なのです。
ーアートジャーニーは続く、ですね。卒業後のこれからについてお聞きできますか
そうですね、GAP卒業後も私のアートジャーニーは続いて、実験的な創作を繰り返したり今後の表現の種となるものを探していくでしょう。
日本には引き続き滞在しますよ。ずっと学校中心の生活をしていたので、キャンパスの外の世界も経験したいです。
私を表現するアートの創作も続けていきたいです。将来、どのような表現を展開していくのか未知な部分も多いですが、自分自身の変化や未来の姿に期待しています!
ー藝大の卒展は、どのような展示をお考えですか
そうですね、Evaluation Showと違う会場なので調整はしますが、自分の表現を届けられるように最終的な準備をすすめています。自身のコンセプトとアイデンティティがあってはじめて、自分の作品になると思っています。
だけど見てもらう人たちにとっては、まずは興味を持ってくれれば良いと思っています。複雑なことも哲学的な意味も必要ではないし、何も気にせず自由に楽しんで!と言いたいです。
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ーインタビューを終えて
Fengさんの印象的な言葉があります。 「ひとは皆、ある意味『一つの言葉』=自分だけの言葉を話しているんだと思います。それが英語、中国語、フランス語、どの言葉を話していても、それは自分から発信された、自分らしい表現をもった、『自分だけの言葉』なのだと思います」
一つ一つ独立したように見えるモノやコトも、どこかで循環したり、次の何かに繋がったり。 Fengさんがテーマとしている環(circle)と表現したものが、日本でも古くから言われている「縁(ゆかり)」にも似た感じを受けました。
今日のインタビューでできた接点はどんな環になり、次はどこに繋がるのか。同時に、何気なく紡ぐ言葉の大切さや自分らしさを、改めて感じさせられたインタビューでもありました。
帰りのバス停に向かう時、私たちが見えなくなるくらいまで、身体をいっぱい使って手を振りジャンプしながら「またね!」と見送ってくれました。
熱意あるアーティストであると同時に、とてもキュートでフレンドリーな一面も持ち合わせたFengさん。 この環(circle)を大切にして、藝大の卒展でまた会えるのを楽しみにしています。
取材/翻訳/執筆 前田 浩一 劉 鳴子 星 久美子(アートコミュニケータ「とびラー」)
写真/校正 樋口 八葉(美術学部芸術学科2年)
私は、自分の作品に込めた想いをキラキラした瞳で熱く語り続けるFengさんに魅了されていました。 彼女は、その時々の直感を信じそれを作品に込めて表現できる人、加えてその作品についての思いをしっかりした言葉にできる素敵なひとでした。(前田 浩一)
自分自身や作品と向き合い続け、アートへの情熱を伝えてくれたFengさんは本当にカッコよかったです。 その上で、オーディエンスには自由に楽しく見てもらいたい、と笑顔で言い切る姿がとても印象的でした。今後の作品も楽しみです!(劉 鳴子)
彼女の信じられないくらいのパッションから、あの作品が生み出されたと思うと、こちらまで元気になってきます。 アートだけではなく、人としての魅力や情熱をたくさん受け取っ た一日でした。彼女のアートジャーニーがこれからどのような道をたどるのか、楽しみです。(星 久美子)
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2025.01.14
執筆者:とびラー12期 坂井雄貴
活動期間:2024年2月〜2025年2月
1年間にわたるとびラボでは、10期から13期の延べ70名が参加してくれました。
LGBTQ(性的マイノリティ)は人口の約3〜10%程度と言われており、とても身近な存在です。一方で、社会に性やジェンダーに基づく差別や偏見が根強く残る様子を日々感じながら、こうした差別や偏見の根底には人の価値観があること、そして多様な人たちが社会で混ざり合い、認め合うためには価値観を揺さぶるような「心が動く」経験が必要だと考えました。
とびらプロジェクトでは、美術館は作品を介して人間や社会に関して共に考え、共有し共感する社会装置であると学びます。を通して、性・ジェンダーの視点からも人が多様性に触れ、見たこともない表現に出会い考えを深められる場を作りたいと思い、このとびラボを立ち上げました。
とびらプロジェクトの活動でも、性やジェンダーについて考える機会は多くありました。例えば対話型鑑賞(以下VTS* )のときに、「男性が」「女性が」と人物のジェンダーを指定することがよくあります。当たり前のように共有されているジェンダーの認識は、本当にその場の人たちの間で共有できているのでしょうか?
また、子どもを迎えての鑑賞プログラムでは、子どものジェンダーを尊重して「くん」「ちゃん」と決めつけるのではなく「さん」付けで呼ぶことになっています。私たちは鑑賞の場を作るときに、参加者のジェンダーを尊重するという視点を持てているのでしょうか?
性・ジェンダーは人の生き方の根幹にあるものだからこそ、美術館で行われるアートコミュニケーションの場にも様々な形で現れています。
(* VTS:Visual Thinking Strategiesの略。複数人の対話を通して作品をより深く鑑賞する方法。)
まず、参加するとびラボのメンバーにとって、安心・安全な場になるように、グラウンド・ルールを定めました。大切なのは「とびラボ」だから、失敗してもOK!みんなで考えていきながらルールを変えていくこともOK!としたこと。
4回重ねたキックオフおよびブレインストーミングの会では、それぞれが様々な当事者性や問題意識、バックグラウンドや関心のグラデーションがある中で、思いを表現し、仲間の語りをじっくり「きく」時間を持ちました。
・LGBTQという言葉がない時代を長く過ごしてきたため、自分の意識を変えていきたい。
・身近な人にLGBTQの当事者がいる。
・職場でのジェンダーバイアス、男女役割へのモヤモヤを感じる。
・最近話題に上がることが多いLGBTQについて学びたい。
・自分の中に無自覚の差別や偏見があるかもと思い、価値観をアップデートしたい。
・アート業界におけるジェンダーの不均衡への違和感を感じていた(歴史的に著名な作家に男性が多い、絵画のモチーフに裸婦が多いなど)。
関心を持って集まったとびラーが、それぞれ人の意見に呼応して言葉にしたり、自問自答したり。そんな場面がとびラボの中で起こっていました。
その後、実際に3つの活動を通して、性・ジェンダーとアートコミュニケーションについて深めていきました。
2024年3月〜5月に東京藝術大学大学美術館で開催されていた「大吉原展」をグループで鑑賞し、対話を行いました。
江戸時代の一大遊郭「吉原」の文化を扱うこの企画展では、広報について「女性が性的に搾取されていた歴史への配慮が不足しているのではないか」との議論があり、開催前にタイトルや広報について一部変更がなされるということがありました。
対話では、次のような意見がありました。
・吉原が持つ二面性(人権侵害・性売買という負の側面と、文化の拠点としてのポジティブな側面)について、アート作品の扱い方や展示はどうあるべきなのか。
・鑑賞者は当時を考える上で誰の立場として鑑賞するのか(遊女の視点、客や訪問者など)。
・吉原の作品に多くある浮世絵の美人画は画一的な描かれ方だと感じた。
・江戸時代に、人権=一人一人の人間にフォーカスを当てる考え方がなかったことを、作品を通して感じた。
性・ジェンダーというテーマを意識してグループで鑑賞することで、作品そのものはもちろん、美術館という場の展示や広報のあり方にも意識を向けることができた時間でした。
LGBTQの「Q」=「queer(クィア)」は、もともと「奇妙な」「変な」といった意味があり、もともとは同性愛者の蔑称として差別用語として使用されていましたが、LGBTQの当事者運動の中で、性的マイノリティのアイデンティティを広く指す言葉として使用されるようになりました。
今回は、クィア(社会における多数派の性規範に一致しないこと)をテーマで扱った作品、あるいは広く性・ジェンダーをテーマとして鑑賞できる作品を”クィア・アート”として捉え、VTSを通して考えを深める時間を持ちました。
その後、性・ジェンダーラボでのVTSだから意識したこと(できたこと・できなかったこと)ってなんだろう?という点を議論しました。
・言葉に気を遣った(人物について、男性なのか、女性なのか、それはどこからどう感じたのかを意識するようになった)。
・男性、女性と言ってはいけないわけではないはずなのに、どう言葉にしたらいいかわからない感覚があった。
・ファシリテーションでは、描かれている人物の年齢や性別を決めつけてしまわないように意識した。決めつけると鑑賞者の見方を狭めてしまうが、カテゴライズすることのわかりやすさとのバランスも大切だと思った。
・男性、女性と決めつけないために「男性のようにみえる人」「白い服を着ている人」といった表現をしていた。
・とびラボの場を安心できる場所にしたいという思いがあるから、慎重になるのかもしれない。
VTSを通して、自分の考えを表現する「言葉」(自分はなにを伝えたい?その言葉は相手にどう伝わる?)に意識を強く向ける、そんな経験を多くのとびラーがしていました。
また、この人は男性?女性?どちらでもない?どこからそう思うのか?そもそも男性か女性かをどうして知りたいのか?性別を知ることで、ジェンダーに紐づいて共有していると思っている価値観や経験ってなんだろう?そうしたことに思いを馳せることができた時間でした。
村上由鶴著「アートとフェミニズムは誰のもの?」を読み、深めるオンライン読書会を開催しました。
現代アートではフェミニズムをテーマにした作品が多くありますが、「フェミニズム」と聞くと怖い、とっつきにくい、男性を敵視している、といったイメージが語られてしまうことがあります。とびラーとして、まずアートとフェミニズムについての理解を深めたいと思い企画した読書会でした。
それぞれのアートとフェミニズムに関する美術館での鑑賞体験について共有し、モチーフとしての女性、男性の違いなどについて議論をする中で、様々な意見が出ました。
・フェミニズムについて伝える方法としてなぜアートが選ばれるのか?言葉で理解するのではなくアートをみることは、体験として五感に訴えるものが強くなると感じた。
・鑑賞という体験では、一緒に何かを感じている人の存在にも意味がある。作品そのものだけではなく、その場所や環境に身を置き、参加することで得られる感覚がある。
・依然男性の力が強いことが多い社会で、フェミニズムは女性が人間としてどう存在するのかを考えることだと感じた。
・社会に根付いている「みる男性、みられる女性」という構造的なものを改めて感じた。
・性に関する視点について、自覚せずに生きている部分があった。自分が考えていたこと、感じていたことを思い出してみようと思った。
解散回(とびラボの最終回)では、合計8回のとびラボを重ねる中で、「性・ジェンダーなど時に対立を生みやすくセンシティブなテーマを扱うとき、安全な場とはどんな場だろうか? 場づくりに必要なことはなんだろうか?」というテーマで話し合い、さまざまな意見を交わしました。
・安全な場とは、何かがわかる場ではなく、わからなくてもよいと言える・感じられる場であること。
・ことばの主観と客観の違いに敏感であることが大切。日常では混ざっていて、主観をあたかも客観=共通の認識のように扱ってしまうことが多い。本当に共通の認識かを疑い続けて、場に問いかけていきたい。
・新しい価値観や見方との出会いや対話の場をデザインするアートコミュニケーションは、社会的マイノリティの公共性につながる社会的資源を育む活動につながっていくと感じた。
とびラーは、とびらプロジェクトの任期中、そして任期を満了した後にもアートコミュニケーションを通して、人と人、人とアートのつながりを作るハブになっていきます。このとびラボを通して、年齢やバックグラウンド、性のあり方も様々なとびラーと対話を重ねました。
とびらプロジェクトというコミュニティが、社会では時にセンシティブに扱われながらも人の生き方の中核をなす「性・ジェンダー」というテーマについてフレンドリーであること。そしてアートを通して、センシティブなテーマでも安心して話し合える場づくりができること。そんな未来の社会資源に繋がっていくような、種まきになったと感じられたとびラボでした。
執筆者:とびラー12期 坂井雄貴
とびラボの軌跡を振り返りながら、改めてアートや対話の場が持つ力を感じました。様々なバックグラウンドを持つとびラーは、社会の写し鏡でもあります。アートコミュニケーションの楽しさや可能性を多くの方に知っていただき、共に生きる多様な人たちにとってより優しい社会の実現につながっていくことを願っています。
2025.01.07
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第8回鑑賞実践講座|「ファシリテーション研究」「1年間のふりかえり」
日時|2025年1月7日(火)10:00〜15:00
会場|東京都美術館 アートスタディルーム、スタジオ
講師|三ツ木紀英(NPO法人 芸術資源開発機構(ARDA)、熊谷香寿美(東京都美術館アート・コミュニケーション係長 とびらプロジェクトマネジャー)、越川さくら(東京藝術大学 芸術未来研究場 ケア&コミュニケーション領域 特任助手 とびらプロジェクトコーディネータ)
内容|ファシリテーションの言葉の編集作業について/1年間のふりかえり
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第8回の講座では、ファシリテーションにおける「言葉の編集作業」について理解を深めました。また、1年間のまなびをふりかえり、今感じている疑問や気づきを全体で共有する時間を持ちました。
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午前中は、子どもたちとの鑑賞プログラムの様子を収録した映像を視聴しました。特に「ファシリテータが、鑑賞者の対話の流れをどのように編んでいくのか」に注目し、繰り返し見取りながら分析しました。
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午後は、1年間の講座と並行してとびラーが参加してきた鑑賞プログラムをふりかえり、実践を重ねてきたからこそ生まれた疑問や新たな気づきを全体でシェアしました。
この全体シェアは、事前にとびラーから集めた質問をもとに、講師の三ツ木さんと熊谷さんが答えるQ&A方式で進められました。
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今年度は、全盲のとびラーが仲間に加わったことで、「見えない人と鑑賞体験をどのように共有するのか」を考えながら講座を進めてきました。毎回の講座では、スタッフが制作した「触図」(触ることで、モチーフの輪郭や全体の構図がわかるもの)を使って、情報を補足しながら鑑賞を補助しました。「触図」を制作する際には、どこまで・どのように触れる部分を作るとわかりやすいのか、フィードバックをもらいながら検討しました。
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後日、全盲のとびラーがファシリテータとなり、作品画像を鑑賞する会をとびラーとスタッフで実施しました。
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鑑賞会とは別の事前準備の日には、複数のとびラーが集まり、作品選びと、作品研究を行いました。選んだ作品を細部まで観察し、想定される意見を出し合いながら、全盲のとびラーの「脳内マップ」に作品の視覚的な情報をマッピングする作業を行いました。また、ファシリテーション時の立ち位置などについても検討しました。
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鑑賞会当日には、モニターに投影した作品画像を使って鑑賞会を行いました。ここで初めてファシリテーションを担当した全盲のとびラーは、講座でのまなびを最大限に活かし、鑑賞者の新たな視点や対話を引き出していました。
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また、ここで鑑賞者の役割をしていたとびラーが、次の鑑賞会を自主的に企画するなど、次の動きにもつながっています。
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2024年度の鑑賞実践講座がすべて終了しました。今年度もとびラーは、小さなお子さんから高齢者まで、また、様々な文化的背景を持った方々と作品との出会いの場を作ってきました。
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3年目の11期とびラーは、とびらプロジェクトを任期満了し、それぞれの道へ。
1・2年目の12・13期とびラーは、2025年度のまなびと実践の場へと進みます。
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7月からの半年間をともにした三ツ木さんから、激励とともに挨拶がありました。
「VTSのファシリテーションには、これでOKという完成はありません。常に模索しながら、一緒にアート・コミュニケーションの活動を作っていきましょう。またお会いしましょう!」
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みなさんのこれからの活躍を期待しています!
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(とびらプロジェクト コーディネータ 越川さくら)
2024.12.20
一緒に畳にこしかけて
~上野アーティストプロジェクト2024「ノスタルジア―記憶のなかの景色」~
執筆:11期とびラー 曽我千文
おしゃべりしながらノスタルジア展
2024年11月16日から2025年1月8日まで東京都美術館で行われた、「上野アーティストプロジェクト2024 ノスタルジア―記憶のなかの景色」(以下「ノスタルジア展」)で、私たちとびラー(東京都美術館アート・コミュニケータ)は、「おしゃべり鑑賞会」を行いました。普段は静かに鑑賞している展覧会で、初めて出会った人や世代の違う人とお話をしながら鑑賞する楽しさ、ひとりでみるのでは得られない視点の広がりを体験していただこうと思ったからです。
あわせて、「ノルタルジア―記憶の中の景色」をテーマにしたこの展覧会の作品を通じて、ご自身の中にしまわれていた想い、過ぎ去った時代を懐かしむノスタルジアと向き合い、出会った人との対話により生まれる、新たな感情を味わうことで、豊かなひとときを過ごしていただけたらと考えました。
■あらかじめじっくりみる作品を選ぶ
ノスタルジア展で展示されている8人の作家による作品の中から、グループに分かれてじっくりみる作品を、あらかじめとびラーたちで考えて選びました。まず、4グループで各2点、計8点の作品を、8人の作家の作品からひとつずつ選んで鑑賞することとしました。
次に私たちは、8名の作家の作品を、鑑賞者にどこか懐かしい風景だなと思わせる作品を「ノスタルジー系」、実在するとは思えない不思議な世界を描いた「ファンタジー系」と名付けて2つに分けました。ひとつめの作品では、参加者のみなさんがお話ししやすいように、どちらかというと、個人の思い出と接点を見つけやすい「ノスタルジー系」を、2つ目の作品では「ファンタジー系」の不思議な世界から、自由に話題を膨らませていただけるようにと考えました。その上で、展示室内でグループの鑑賞ルートが交錯しないか、他の来館者のご迷惑にならない位置にあるか、鑑賞を言葉にして伝えやすい要素の多寡や、二作品の関係性など、準備のための打ち合わせやリハーサルをやりながら、様々な視点で検討して決めていきました。
ノスタルジア展が始まる2か月ほど前に、東京都美術館の担当学芸員の方が開いてくださった事前勉強会で、作家の紹介やどのような作品が出展されるのかの情報をうかがいました。その世界に惹かれたことが、おしゃべり鑑賞会をやりたいと思うきっかけになりましたが、ラボで準備を進めていても、会期前には具体的にどのような作品があるのか分かりません。そのため、待ちわびた会期初日には、どんな作品と出会えるのだろう、どの作品を「おしゃべり鑑賞会」で見たら話が弾むだろうと、わくわくしながら会場に入りました。「どの絵を選ぼうか?」と前のめりになっていたとびラーたちに、とびらプロジェクトスタッフからいただいた「まずは、作品との最初の出会いを大切にしてくださいね。展覧会を楽しんで!」とのアドバイスにはっとさせられました。対話型鑑賞のやりやすさ、グループが絵の前に立つための展示場所の広さや位置などを考慮して、作品を「選ぶ」気持ちで展覧会に臨もうとしていたことに気が付き、作品に対して申し訳ない気持ちになりました。まずはひとつひとつの作品に向き合い、作家の心に思いを馳せ、素直に鑑賞して展覧会を楽しむことの大切さを再認識しました。それは、おしゃべり鑑賞会に来て下さる参加者みなさんに、ご一緒に体験していただきたいことでもあったのです。
■会場をみんなでお散歩
「おしゃべり鑑賞会」を行ったのは、12月20日の金曜日。東京都美術館の2024年の最後の開館日でした。集まってくださった参加者は事前にお申込みいただいた14名のみなさん。ギャラリー入口であらかじめ入場券をお求めいただいた方から受け付けし、3人から4人の4つのグループに分かれていただきました。
ノスタルジア展は8人の作家による作品を、地下2階と地下3階のギャラリーで展示していました。はじめに、散歩をするように会場をひととおり歩いて見てまわりました。短い時間ですが、展覧会全体の雰囲気をつかんでいただくことと、「おしゃべり鑑賞会」が終わった後にも、ひとりでじっくり見るために気になる作品を見つけていただくことが目的です。
作家ごとにまとめられた展示では、それぞれの作風が鮮やかに主張されていて、歩きながら世界旅行をしているようです。参加者には、ご自身で感じる思いを大切にしていただくために、ファシリテータから説明や印象などは伝えずに、みんなで会場の雰囲気を味わうことを意識しました。
■グループで鑑賞する
グループ鑑賞は、ひとつの作品の前で足を止め、ファシリテータが「みなさんで、この作品をじっくり楽しみたいと思います。」と声をおかけして始めました。まず作品を、各自が自由に、近づいたり離れたりしながらじっくりと見ます。横長の大きな作品では、歩いて見る位置を変えるなどして、丁寧に味わっていただきました。そのあと全員が集まって、感じたことや、気づいたことを一人ずつ話して共有していくのですが、ここでは一緒に鑑賞している方の発言をよく聞いていただくことが大切です。一人の参加者がお話しするたびに、自分では気づかなかった発見を知り、「ほぉーっ」とため息がでたり、感じたことに同感して瞳を輝かせたり、自分の感想とはまた違う視点に「なるほど」と大きくうなずく姿が見られ、他の人の感想への共感によって、グループの中で、ひとつの作品に対する新たな視点や共通の見解が、どんどん広がっていきました。
■リラックス・スペースでおしゃべりタイム
2作品のグループ鑑賞を終えた時には、全員が旧知の仲のように打ち解けて、会話も弾む様子に、鑑賞を共に分かち合う場の力を感じました。
本展会場では、吹き抜けの天井を持つ広いフロアの真ん中に、八畳間ほどの畳敷きの休憩スペースが用意されていました。畳は触れるとほんのり温かく、腰かけてもよし、靴を脱いで上がってもよしのリラックス・スペースです。展覧会が始まる前のとびラー向け事前勉強会で、担当学芸員の方から「くつろぎながら鑑賞できるように、会場に大きな畳敷きのリラックス・スペースを作ります。」とうかがっていた私たちは、絶対この場所を楽しんでいただかなくてはと張り切り、鑑賞の体験をここで語りあおうと、「おしゃべりタイム」を用意していました。広さの関係から、2つのグループにリラックス・スペースを使っていただき、もう2つのグループにはそれぞれ見た絵のそばのベンチに座っていただきましたが、どのグループものんびりと、ノスタルジア展ならではの時間を過ごしていただけたようです。
あるグループでは、鑑賞後のおしゃべりタイムで、ファシリテータから2つの問いかけをしました。1つ目の「どんな時間でしたか?」の問いには、
「1人で見ると1つの考えしか持てないけど他の方の言葉を聞けて発見があった」
「2作品が対象的でメリハリがあって楽しかった」
「絵をみる醍醐味を味わった感じ」
「見た時に生まれるモヤモヤする気持ちを、一緒に見た人と共有できて安心できた」
という感想がありました。
2つ目の「ノスタルジアを感じましたか?」の問いに対しては、
「川の絵を見て、実家の近くに川が流れていて水の音に癒されていたと改めて感じた」
「描かれた場所を知っており、見慣れていた風景だとわかった」
「2作品目は原体験からアジアやルーツを表しているみたい」
という言葉があり、それぞれの思い出を想起したり、作家のノスタルジアに思いを寄せたりしたというお話をうかがうことができました。
もうひとつのグループは、それぞれ友人同士の世代の違う2組でしたが、4人の息がとっても合い、「世代の違う方から違った視点での鑑賞ができてとても楽しかった」という声をいただきました。鑑賞会が終わり解散してからも、しばらく4人で仲よく絵を見ている姿が印象的でした。高校生からは、「今まで、展覧会で感想を話す人の声をうるさいと思っていたけれど、これからは何と話しているのか聞いてみようと感じられるようになりました。」という心の変化もうかがうことができました。
■いただいた感想から
終了後のアンケートからは、14名の方全員から、参加して「とても満足」とのお答えをいただきました。たくさんの方が印象に残ったことに、「初めて会った人との鑑賞」をあげており、その理由として、
「自分が見ていなかったこと、気づかなかったこと等おしゃべりしながら見つけられて嬉しい」
「いろいろな見方や感覚・視点があることを実感して面白かった。絵画を通じたコミュニケーションで、初対面の相手でもその人の深い部分を知れたようで新鮮な感覚だった」
「1人でみるより何倍も楽しかった。皆さんの視点で想像力がふくらんでいくいのが、これまでにない経験でした。」
というような感想が寄せられています。
「美術館って、黙って作品を見なくちゃいけないところだと思っていました。」
この言葉が教えてくれるように、おしゃべりをしながら絵を鑑賞する初めての体験を、みなさん新たな美術館の楽しみ方として手ごたえを感じていただけたようです。
みんなで鑑賞することで、今までになく作品をじっくり観察し、発見や思いを言葉にして伝えることで、自分の感情や、新たな価値観に気づくことができたのではないでしょうか。そして、一緒に見る方の視点を理解することで、さらに鑑賞が深まっていきました。私たちとびラーも、何度同じ絵を見ても、一緒に見る人によって新たな気づきや感動が生まれる「おしゃべり鑑賞」の楽しさに憑りつかれています。また、ぜひとびラーと一緒に展覧会を楽しんでいただければ嬉しく思います。
執筆:11期とびラー 曽我千文
以前は美術館も映画も独りでみていました。とびラーになり、仲間や初めて会う方と、発見や心の動きを分かち合って作品をみると、その時々で輝きや形が変わる虹のような魅力があることを知りました。
2024.12.09
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第7回鑑賞実践講座|「作品選びについて」
日時|2024年12月9日(月)10:00〜15:00
会場|東京都美術館 アートスタディルーム、スタジオ
講師|三ツ木紀英(NPO法人 芸術資源開発機構(ARDA)
内容|事前準備。作品を選ぶ。作品のシークエンスを作る。テーマ:〜鑑賞者の鑑賞プロセスをイメージする〜
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第7回の講座では、Visual Thinking Strategies(VTS)で鑑賞する作品の選び方について考えました。鑑賞者の年齢や、作品鑑賞の経験、人生経験の違いを踏まえて作品を選び、鑑賞体験をデザインすることはファシリテーションの第一歩です。
まず、講師の三ツ木さんが「美的発達段階」という概念について説明しました。これは、人が作品を理解していく際に、ある程度体系化された鑑賞体験の段階のパターンがあるという考え方です。この考え方を手がかりに、どのように作品を選ぶかについてのレクチャーがありました。
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レクチャーのあとは、あらかじめ選ばれた2つの作品を題材にしてグループワークを行いました。このワークでは、作品選びの5つの観点に沿って、それぞれの作品の特徴を話し合いました。
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続いて、開催中の「上野アーティストプロジェクト2024 ノスタルジア─記憶のなかの景色」展にて、鑑賞者の属性(年齢や参加プログラム)を想定し、そこに向けた2作品の鑑賞順序を考えました。
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このように、VTSのファシリテータは、作品を選ぶ過程で鑑賞者の立場を想像し、対話の展開をイメージしながら、鑑賞の場を作る準備を進めます。その過程を通じて、ファシリテータ自身の「作品をみる力」も養われ、鑑賞者の気づきを受け止める土台ができていきます。
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講座も残り1回となりました。
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VTSの奥深さに気づく一方で、その難しさを感じるタイミングでもあるかもしれません。しかし、実践で出会う鑑賞者との経験と、講座での学びを互いに影響させながら、さらにステップアップしていけることを願っています。
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(とびらプロジェクト コーディネータ 越川さくら)
2024.11.25
夜の照明に浮かぶ東京都美術館を散策する金曜の夜間開館時限定の40分ツアーです。
夜ならではの建物のみどころをとびラー(アート・コミュニケータ)がご案内します。
美術館全体が、まるで宝石箱のような輝きを放つ夜。昼とは違うその表情を一緒に楽しみませんか?
【当日受付・先着18名/日本語対応手話あり・定員2名】
日時|2024年11月29日(金) 19:05 – 19:45
会場|東京都美術館
対象|東京都美術館に興味のある方、建築ツアーに興味のある方
定員|18名(当日受付・先着順)※日本語対応手話あり・定員2名
参加費|無料
参加方法|
先着順。当日17:00より東京都美術館LB階ミュージアムショップ前にて整理券配布します(混雑時は場所変更の可能性あり)。
※LB階自動扉の入り口付近にて整理券の配付場所をご案内いたします。
※整理券は先着順です。先着人数に達し次第、受付終了となります。
ツアー集合時間・場所|
18:50 東京都美術館 LB階中庭(自動販売機側・入口横)
※整理券をご持参ください。
その他注意事項|
※サポートが必要な方は受付時にお申し出ください。
※メールなどによるお申し込みは受け付けておりません。
※広報や記録用に撮影を行います。予めご了承ください。
2024.11.23
執筆:11期とびラー 曽我千文
2024年9月19日から12月1日まで、東京都美術館で「田中一村展 奄美の光 魂の絵画」が開催されました。
田中一村(たなか いっそん)は、昭和を代表する日本画家で、幼少期から絵の才能を発揮し神童と呼ばれていました。東京美術学校(現在の東京藝術大学)を中退した後も、生涯にわたって多くの名作を生み出しました。田中一村の画家人生のうち、前半生の千葉時代には、関東地方の郊外や農村で見られる身近な風景や自然を、後半生は鹿児島県の奄美大島に移住し、そこで見た奄美特有の自然を描きました。本展覧会で紹介された生涯を通じた作品の多くに、生き生きとした植物や昆虫、魚、そして鳥たちが描かれています。
野鳥が好きで、奄美大島にも野鳥の観察に訪れている私は、会場に幾度となく足を運びながら、バードウォッチングの気分で、作品の世界に野鳥の姿を探していました。出展作品数が300点以上ととても多い中でも、延53点とおよそ6分の1の作品に野鳥が描かれているのを見つけることができました。体がはちきれんばかりに声高らかに歌うアカヒゲ。ひっそりと森の奥で薄目を開けるトラフズク。岩の上で凛と佇む炎の鳥アカショウビン。かつて出会った野鳥たちの姿を想い、いつの間にか奄美の湿度の高い空気に包まれて、時がゆっくりと流れていく気がしました。
絵の中の鳥たちについて、名前や、どこに棲んで何を食べているか、どのように子育てをしているのかなど、その姿や暮らしぶりが分かると、一村の作品世界が現実味を帯び、生命の躍動が伝わることで鑑賞がぐっと深まるのではないか。そう考えて、東京都美術館のアート・コミュニケータ「とびラー」たちと、野鳥を通して一村世界を楽しもうと「一村展でバードウォッチング」というラボを、会期中に2回行いました。
こちらの展覧会に伺いました。
田中一村展 奄美の光 魂の絵画 (会期:2024年9月19日(木)~12月1日(日))
延53点の作品に見つけた24種の野鳥を「身近な鳥」「山の鳥」「旅先の鳥」「奄美の鳥」に分けて、図録を使ってみんなで一緒に作品を見ながら、それぞれの野鳥の特徴、文化とのかかわり、行動などのエピソード、ほかの鳥との見分けのポイントや鳴き声などを紹介していきました。自然と話題は、モチーフである鳥たちに対する一村の造詣の深さ、観察の鋭さを深掘りする場になっていったことは言うまでもありません。
本当なら実際に展覧会場で作品の森を歩き、双眼鏡で野鳥を探しながら話をしたらおもしろいだろうと考えたのですが、一村展の人気はすさまじく、連日混雑している会場内では、さすがにそれは叶わず、館内のアートスタディルームで、スライドを使ったインドア・バードウォッチングとなりました。そこで出たいくつかの話題をご紹介します。
※(P、№)は「田中一村展 奄美の光」図録掲載ページと作品番号です。
■風景の中に鳥の姿を探す
『秋晴』(P101、№132)という大きな作品は、農家の母屋と納屋、ケヤキの巨木の枝に真っ白なダイコンが干してある秋の夕暮れの風景です。黄金色の空には小さく、飛んでいる3羽の鳥が描かれています。これを私はヒヨドリではないかと考えました。そう思った理由は、まずヒヨドリは人里の環境でよく見られる鳥であること。描かれた翼の幅や、長めの尾のスタイルがヒヨドリに近いこと。何より3羽のうちの一番下を飛ぶ鳥が、翼を畳んだ細長い「かつおぶし」のような形で描かれていることです。ヒヨドリやセキレイ、キツツキの仲間は「波状飛行」といって、羽ばたきと翼を閉じることを繰り返して、波形を描いて飛びます。この3羽目の鳥は、まさにヒヨドリの飛んでいる姿を表していると思いました。この謎解きを、とびラーたちも大変おもしろがって聞いてくれました。
■ぬえの鳴く夜を聞く
本展の中でも代表的な作品『白い花』(P98、№131)で、満開のヤマボウシの下に止まるトラツグミ。黄色と黒のトラのような斑模様からその名があります。一見派手に見える姿ですが、ひとたび地面に降りると、落ち葉に姿が溶け込んで、どこにいるのかわからなくなります。夜に鳴く、鳥とは思えないその声から、その昔『平家物語』にも、顔は猿、体は狸、脚は虎、尾は蛇の「鵺(ぬえ)」という妖怪として登場します。トラツグミの声の録音を聞き、「ヒョーッ」という、消え入るような声にみんなで耳をすませながら、闇に包まれた森で鳴く姿を思い浮かべました。
■種と亜種
島のように地理的に隔てられた環境で、独自の進化を遂げた野鳥の中には、同じ種の中でも、少しずつ異なる特徴を持つ「亜種」というグループに分けられたものや、かつては同じと考えられていた種が異なる種、別種であることが明らかになったものがいます。
奄美で見られるオオアカゲラ(P221、№296)は、オーストンオオアカゲラというオオアカゲラの亜種で、本州などに棲むオオアカゲラに比べて全体に黒っぽく、翼の白い班も目立ちません。
また、一村が描いた、声高らかにさえずる奄美のアカヒゲには、同じ南の島である沖縄本島に、ホントウアカヒゲという、そっくりの別種がいます。奄美のアカヒゲには、脇腹に漆黒の班があるので、違いが分かります。(P194、№246ほか)
そのような島の鳥独自の特徴、色の違いも、一村はひとつひとつ正確に描いています。
ちなみに、本展で見られるトラツグミの作品(P132、№167ほか)は、一村が1958年に奄美に渡る前に描かれているので、本州のトラツグミだと思われますが、もしも一村が奄美でトラツグミを描いていたとすれば、それはミナミトラツグミという、トラツグミとそっくりの別種の鳥だったはずです。
■情熱の赤い鳥
田中一村の絵といえば、鮮やかな朱色の鳥、アカショウビンを思い浮かべる方も多いでしょう(P198、№249ほか)。録音で「キョロロロー」という物悲しい声を聴いてみると、真っ赤な羽色、がっちりとした嘴の情熱的な姿態から感じていた印象がちょっと変わります。その声が、「雨ふれふれふれー」と歌っているように聞こえることから、「ある日、火事で焼けて赤くなったアカショウビンは、体を冷やすために悲しげな声で鳴いては雨降れと天に乞うている」という言い伝えがあること、鮮やかな体も、陽の当たらない森の中では、深い緑色の木々に姿が溶け込んでしまうことにも、みな納得してくれたようです。
いかにも南国の雰囲気漂うアカショウビンですが、実は夏に日本に渡ってくる鳥として、北海道から沖縄まで広く生息しています。奄美や沖縄にいるのは、これもまたリュウキュウアカショウビンという亜種で、本州などにいるアカショウビンよりも、背中に紫色の光沢が目立ちます。
■驚くべき観察眼
一村による野鳥の描写を追いながら感嘆するのは、その観察の鋭さです。スケッチブックの素描には、ひとつの鳥の多様な姿勢をさまざまな角度で、羽根の一枚、一枚まで描き分けています。(P88、№112ほか)たくさんの鳥を飼っていたとも聞きます。
今回、お借りしたカケスの翼の羽根を、一村の「かけすの羽」のスケッチ(P89、№116)と、みんなで見比べてみると、羽根の一枚一枚まで正確に描写していることが分かりました。
一村は野鳥の体の細かいパーツまでも克明に描写しています。本展ではアカゲラ(P130、№164)と、オオアカゲラ(P221、№296)の2つのキツツキ類が登場していますが、キツツキの行動には木の幹に垂直に止まるという特徴があります。野鳥の趾(あしゆび)は、前に3本、後ろに1本あるものが多いのですが、キツツキは前2本、後2本の指で、しっかり体を支えて幹に止まります。加えて2本の脚だけでなく、羽軸の硬い尾羽を幹に付けて体を支えています。クライミングの基礎、3点支持の技法ですね。趾の数、幹に当てた尾羽のどちらの特徴も一村は正確に捉えて描いています。
また、アカショウビンやカワセミは、2本の前趾(まえあしゆび)がくっついています。脚をスコップのように使って、土に巣穴を掘るのに都合がいい形になったと言われていますが、アカショウビンを描いたスケッチブックのすみに、鉛筆で小さく描かれた趾も、しっかりその形態を写し取っているのを見つけた時には、本当に驚きました。(P205、№259)図録の写真ではそこまではっきりとは見えないのが残念です。
■羽根を顕微鏡で見てみる
鳥の光沢のある羽根の色は、色素によるとは違い、光の波長によって、見える色が変化する「構造色」と呼ばれるものです。お借りしたアカショウビンやカワセミの翼を実体顕微鏡で拡大して見て、その輝く美しさの秘密を楽しみました。リュウキュウアカショウビンの体は、色素による朱色をしていますが、光の当たり具合で、構造色による赤紫色の光沢が現れます。
また、実物の野鳥の翼を手にしてみると、想像していたものよりかなり小さいことにも、多くのとびラーが驚いていました。
下の写真でお分かりになるでしょうか、アカショウビンの腰には鮮やかな水色の羽根があります。本展で展示には、アカショウビンの腰が見える作品はありませんでしたが、一村作品の中にも、例えば『白花と赤翡翠』(岡田美術館所蔵)のように、しっかりアカショウビンの腰の水色が描かれているものもありますので、機会があればぜひ観察してみてください。
一村の心身には、自然の中で生きる野鳥の輝きが鮮やかに刻まれ、常に創作意欲を掻き立てられていたのではないでしょうか。私たちも野鳥の姿やその生態を知り、感動の追体験をすることで、正確で細やかな描写による一村の作品世界に深く入っていくことができました。最初はラボで、鳥好きのオタク話なんて関心を持ってもらえるだろうかとも思いましたが、とびラーたちの知的好奇心の豊かさで、話題を引き出してもらい、自然の美しさを想う感性溢れる場になったと思います。参加したとびラーからは、
「まさに格闘するようなスケッチ」
「神童と言われた一村は、天才というよりは努力の人」
「鳥によって声が違うのもおもしろい」
「もう一度一村の鳥を鑑賞しに行かなくては」
などの声が聞かれました。次にみんなが、一村の絵の前に立った時には、きっと葉の影から鳥たちの声が聞こえてくることでしょう。
その後も、
「ラボ以降、見た鳥の名前を図鑑で調べるようになりました」
「関心を持つと街中にもこんなに鳥がいたのかと驚いています」
などの嬉しい報告もいただいています。一村の深い観察、魂の絵画は私たちに、美術への感動を与えてくれるだけでなく、自然に関心を寄せる気持ちや行動を誘う力があると確信しました。これからもアート・コミュニケータとして、野鳥というひとつの扉から、人とアートと自然をつなげることができればと思います。
最後になりましたが、ラボを行うにあたり貴重な資料である野鳥の羽根をお貸しいただいた(公財)日本野鳥の会参事の安西英明様、生き生きとした野鳥の写真をご提供くださった奄美観光大使の樋口公平様、奄美大島の鳥飼久裕様に心からお礼申し上げます。みなさま野鳥の暮らす大切な自然の保護に日々ご尽力されている方々です。どうもありがとうございました。
(参考)樋口公平さんのYouTubeで奄美の野鳥の声を聴くことができます
アカヒゲ
https://youtu.be/2_XRdDkRyCU
亜種リュウキュウアカショウビン
https://youtu.be/3tslWjD08x8
奄美の森 野鳥たちのオーケストラ
https://youtu.be/BtrWw5eNB70?feature=shared
(表)とびラーが見つけた「田中一村展」のなかの野鳥たち一覧
執筆:11期とびラー 曽我千文
野山でふらふら鳥を見ていた子どもを、鳥好きのよその大人がかわいがってくれたおかげで、鳥が好きなまま50年が経ちました。誰かと一緒に楽しむことで、アートも自然も守り伝えることができるかもしれない。とびラーとして学んだことのひとつです。
2024.11.11
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日時|2024年11月11日(月)10時〜16時
展覧会|「田中一村展 奄美の光 魂の絵画」展(会期:2024年9月19日(木)~12月1日(日))
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・東京都美術館で開催された「田中一村展 奄美の光 魂の絵画」にて、「障害のある方のための特別鑑賞会」を実施しました。この鑑賞会は、障害のある方がより安心して鑑賞できるよう、特別展の休室日に事前申込制で開催しています。
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・鑑賞会当日には、障害のある方とその介助者約630名が東京都美術館を訪れ、一村の幼年期から晩年までの創作の全貌を辿りながら一つ一つの表現の巧みさに魅入っていました。
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・参加者を迎えるのは、アート・コミュニケータです。とびらプロジェクトで活動中の「とびラー」やとびラーの3年の任期を満了したアート・コミュニケータが数多く参加しました。アート・コミュニケータは、受付で参加者をお迎えしたり、館内のエレベータの乗り降りをサポートしたり、展示室で鑑賞体験をサポートするなど、館内の様々な場所で活動しました。
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・展示室では、一村の膨大な作品群を前に、描写の巧みさや構図の面白さ、また一村の人生に想いを馳せる参加者の姿がありました。アート・コミュニケータたちは時に参加者と言葉を交わしながら、細部まで観察するサポートを行なったり、様々な動植物の描き方に注目してコミュニケーションを行っていました。・
・iPadで作品画像を大きく拡大し、作品の細部をお見せすることもあります。車いすに乗っていて目線が低い方や、目の見えづらい方などにはとくに好評です。このiPadで拡大して鑑賞をサポートするアイデアは、アート・コミュニケータが発案し、検討と準備を重ねて実施しています。今回の特別鑑賞会では、のべ約400名の方がiPadで画像を拡大しながらアート・コミュニケータと一緒に作品を鑑賞しました。
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・今回の特別鑑賞会では、視覚に障害のある方の作品鑑賞を補助するツールである「触図(しょくず)」を新たに導入しました。これは、田中一村の作品を立体的な線や凹凸で表現したもので、手指で触れることで構図やモチーフを描写した線がわかるようになっています。
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・当日は、アート・コミュニケータが展示室内で触図の案内を行い、作品の特徴や色、構成などを丁寧に説明した上で、参加者と対話をしながら鑑賞しました。参加者も、触図があることで、作品に描かれている内容をより理解することができていました。
・この触図は、特別鑑賞会の日に限らず会期中であればいつでも、希望する方にスタッフから説明をしながら共に作品を鑑賞するために使用していました。
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・「障害のある方のための特別鑑賞会」への申込みは、①Webサイト申込みフォーム、②メール申込み、③はがき郵送、の3つの方法があります。
・このうち、③はがき郵送でお申込みされた方には、当日の案内状を封書でお送りしています。封筒の表面には、展覧会にちなんだ絵柄のスタンプが押されています。このスタンプは全て、とびラーがオリジナルの消しゴムハンコを彫って手作りしたものです。
・様々なとびラーが制作するスタンプの絵柄は、毎回20種類以上に上ります。「自分に届いたものとは違う絵柄も見たい!」という声を受けて、展覧会会場の終盤で紹介するコーナーを設けるようになりました。
・絵柄を制作したとびラーたちと、デザインの工夫やみどころについて展覧会を身終えた参加者とのお話しがはずんでいました。
・「・
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・東京都美術館は、すべての人に開かれた「アートへの入口」となることを目指しています。参加者とアート・コミュニケータがともに作品を味わい、感想を共有し合うひとときは、作品が持つ力と、人とのつながりの大切さを改めて感じさせてくれました。
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・次の鑑賞会でもみなさまにお会いできるのを、アート・コミュニケータ一同楽しみにしています。
2024.11.04
第6回鑑賞実践講座|「ファシリテーションのふりかえり」
日時|2024年11月4日(月・休)13:00〜17:00
会場|東京都美術館 アートスタディルーム、スタジオ
講師|三ツ木紀英(NPO法人 芸術資源開発機構(ARDA)、ARDAコーチ5名
内容|VTSファシリテーションのふりかえりについて
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第6回の講座では、Visual Thinking Strategies(VTS)鑑賞のファシリテーションをどのようにふりかえるかについて、実践を交えながら考えました。
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まず初めに、今年度の講座の実践の場である「スペシャル・マンデー」や「ずっとび鑑賞会」について、とびラーのファシリテーションに対する三ツ木さんのフィードバックを伺いました。
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VTSを実施することがゴールではなく、鑑賞者が会場に到着してから帰るまでの体験全体をどのようにデザインするかが重要であるという視点が語られました。実践を重ねたからこそ気づく新たな視点に、とびラーたちは頷きながら話を聞いていました。
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三ツ木さんからのフィードバックが終わると、今日のテーマである「VTSファシリテーションの実践とふりかえり」に移ります。実際にVTSとふりかえりを行う前に、まず、とびラー同士がクリティカルかつ協働的に議論を進めるために、どのような点に気を付けるべきかを改めて話し合いました。
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その後、チームに分かれてVTS 実践とふりかえりを繰り返していきました。VTS実践では、チーム内でファシリテータ・鑑賞者・観察者・対話記録の役割に分かれ、それぞれの立場から鑑賞の場を体験し、観察しました。
ふりかえりの際には、それぞれの立場から体験・観察したことを出し合い、対話の流れを追って検証していきました。
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鑑賞者の考えが深まったタイミングでは、ファシリテータがどのような働きかけをしていたのか。その逆に、深まらなかったときには何が影響していたのか。それぞれの視点から意見を出し合いながら、ふりかえる方法を体験しました。
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お互いに客観的な視点を持ちながら鑑賞の場を検証し、とびラー同士でファシリテーションのスキルを高め合うことは、実は簡単なことではありません。しかし、経験を積むことで、ふりかえりの方法自体もスキルアップしていけるはずです。
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今日の講座をきっかけに、実践とふりかえりのサイクルがさらに回っていくことを願っています。
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(とびらプロジェクト コーディネータ 越川さくら)
2024.10.26
第6回建築実践講座|「公・共・私・個を意識し,それを越えて新しい関わり方をつくる」
日時|2024年10月26日(土) 14:00〜16:00
会場|東京藝術大学 第1講義室
講師|山田あすか(東京電機大学 教授)
人々が集う空間の<公・共・私・個>の段階的変化や、公共の在り方について、東京電機大学 教授の山田先生にお話を伺いました。
山田先生ならではの視点で語られる国内外の場づくりやまちづくりの事例は、とびラーが任期満了後それぞれのコミュニティに戻って活動する際の大きなヒントになったのではないでしょうか。
「場をデザインする」とは、その場所(コミュニティ)を共有したい人は誰なのかを考えてフィルタを想定することというお話は、参加したとびラーの多くが印象に残ったようです。
とびラーからのふりかえりの一部をご紹介します。
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•活動内容ではなく、その場所ありきでハード面から活動内容を考えることが興味深く、話を聞くことが出来た。来る人に主体性を持たせることで、その場に責任を持つという考え方も納得できた。今までは、みんなに開かれたことが大前提だったが、フィルターを掛けることも場のデザインには必要だと知った。
•特に、「みんな」って誰?と言う問いかけは新鮮でした。「誰にでも」とは、少しづつフィルターを掛けて「その場を求めている人誰にでも」ということなんだ、そして「少しづ広げていく」「次」を作ることで、結果的により開かれた場となっていく、というのは腹に落ちますね。「みんな」一人一人に個性やニーズがあり、「共生型コミュニティー」を作るというのは実際にはいろいろと難しい事がある、という当たり前のことが、あらためてよく分かりました。
•軸となる場所や事柄は始めから完璧でなくとも関わった人達と緩やかなつながりで変化していってもいい、という考えかたがあることに気がつけました。
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(とびらプロジェクト コーディネータ 西見涼香)