2024.01.25
柏木さんが6年間を過ごした取手校地は、取手駅からバスで15分ほど乗った先の山の中にある。校地内のバス停で降車すると、駐車場とヤギ小屋が目に入る。香ばしい香りにあたりを見渡すと、野焼きをした焦げ跡の残る広場があり、その背後には木々が広がっている。とても穏やかな時間が流れる場所だ。
インタビューの日は修了制作の審査を翌日に控えた12月21日。
私たちは、審査のために作品が設置された、外光の閉ざされた部屋に通された。
広い室内には、4つの作品が間隔を空けて配置されている。
部屋に入ると、ほのかな光を浴びた細長い机があり、左端には盆栽のような木の枝の作品、右端には天を仰いだ人の胸像が置かれ、胸像は机から這い出てきたようにも見える。
「自然の素材を採集して作品を制作しています。この枝や胸像の粘土は取手校地内で探して採集しました。取手校地は自然が豊かなので、修了展の作品には、他にも切り倒した丸太を譲り受けて、それを校内の製材機で板にしたものを使用したり、石を採集して使用したりしています。」
さすが、取手校地!
山の中にあるだけあって、自然素材には事欠かないようだ。
「作品のそれぞれの立体物は僕が制作しています。例えば、この枝を生けている器やテーブルも僕が制作しています。作品として、立体物を単独で一つの作品とすることもあれば、この作品のように立体物を組み合わせて一つの作品とすることもあります。その時々のテーマに応じて構想を練っています。照明の当て方も、鑑賞者の視点を踏まえて計算しています。修了展の会場の照明条件はこことは異なるので、これから会場を確認しながら照明の当て方を練ります。」
「この胸像の粘土には種子が混ぜ込んであるので、これから時間が経つと表面から芽が出て作品を覆っていき、輪郭が変容していきます。僕の作品は、自分の手を離れてからも、形がどんどん変わっていくのが魅力で、作品の変容の感動は、僕自身にも還元されていて、次の作品へとつながっていきます。」
照明条件や胸像の変化が、作品全体にどんな作用をもたらすのか、修了展で再び作品に出会う頃にはどのように変化しているのだろう。
「僕の作品のコンセプトは、『限られた一瞬における自分と対象物との関係性』です。過去の限られた一瞬において見えた景色、その景色からイメージできた身体感覚を含めた、その記憶の中にある景色を切り取って、それをモチーフとして形にしています。対象としたモチーフを形作って、『自分』と『景色や環境』との新しい関係を結ぶ、そんなことを考えながら制作しています。」
さらにこの作品は、木くずをお香のように焚いて、嗅覚も使った鑑賞を考えているとのことで、体験させてもらった。
「この香の木くずは、この木の台を欅の木から製材する過程で出たものです。素材の可能性を追究しながら、様々な形態での作品制作に挑戦しています。」
「いつか、遠い昔に感じた感覚を、僕の立体物を通して、自分の中に蘇らせてほしい。さらに、匂いや煙を通して、解像度を上げた遠い昔の『あの時』を巡ってほしいと思っています。」
火をつけると、暗闇に細長く白い煙が立ち上り、少し甘く香ばしい香りが漂ってきた。胸像は森の中で深呼吸をしているようにも見えた。
漂うほのかな木の香りと流れる白い煙は、私たちを作品に没入させ、それぞれの遠い昔の『あの時』に誘った。
次に紹介された植物に覆われた作品は、装置のあるショーケースに入っていた。
「この作品は、乾燥しないように、ショーケースの中に入れ、定期的にミストを噴射しています。」
覆っている植物は、修了展までの1ヶ月でどんな変容を遂げるのだろう。
作品はケースの中で浮いているようにも見え、天空の土地のような神々しさを感じた。一方で、光が照らされた青々とした土地が生み出す影からは、この世の禍々しさを感じた。
「この夏、2週間ほど北アルプスの最奥部の山小屋にアーティスト・イン・レジデンスとして滞在して、外の環境の影響で変容していく大きな石の作品を制作しました。その展示を機に、自分とその風景との関係性を考えていて、自分を取り巻く環境や、自分と自然とが溶け合う、そういう瞬間があって、この作品が出来上がりました。」
さらに足を進めると、ガジュマルの木のような作品が現れた。青々とした植物からは様々な生命の誕生を感じた。
「自然素材を使った立体物には、自分の体を通して出たものからしか得られない、自然を超えた自然観を表現していきたいんです。そうでなければ、自分の体を通す意味がないと思っています。
太古の人たちは採集生活を送る中で感じていた自然の厳しさとかそういうものを縄文土器の文様や形に表現していました。この作品では、『手』をモチーフとして意識しながらも、必ずしも手を作るのではなくて、形を崩した自然の生々しさや自然のドロドロした怖さを表現したいと考えました。
自然の造形物のようでもあり、人の形のようでもあり、縄文土器の自然の禍々しさのようなものが表面に現れるような、そんなことをイメージしながら手を動かしていくなかで、この形が見えてきました。」
先端芸術表現科といえば、メディアアートやパフォーマンスの印象が私たちにはあり、自然素材や縄文文化というキーワードとの乖離を感じた。
「昔から、キャンプや登山することが好きでした。都会で育った反作用として自然への憧れがあるのかもしれません。アーティスト・イン・レジデンスもそういう特別なところで作ってみたいという想いから挑戦しました。
僕の作品は、そこに形を留めるのではなくて、形を作ってから変容していくので、パフォーマンスに近いと思います。ゆっくりではあるけど動き続ける作品です。」
最後に、飛び込み台のような、シーソーのような作品が現れた。下半身像には今にも飛び出していきそうな躍動感を感じた。一方でそのすぐ隣にある骸骨や石からは、静寂な時を感じた。
「下半身像は、夏の中間報告の時は、植物に覆われた状態でミスト装置のあるショーケースに入れて展示していました。この骸骨は、時間とともに乾燥していって、二回りほど小さくなりました。この表面に飛び出している小さな石は、乾燥した影響で骸骨の表面に現れてきたものです。骸骨の隣にある骨は、もともとは真っすぐでしたが、だんだんと湾曲していきました。」
それぞれの作品の変容を話す柏木さんから、柏木さんが作品の変化を楽しみ、変化に影響を与える時間に関心を寄せていることが伺えた。
「この作品は、これまで制作した立体物を組み合わせながら、『動・静』、『自然・人』、『過去・未来』などあらゆる異なる次元のものを対比させています。僕自身も新たな対比を見つけてハッとすることがあります。」
「今回の修了展に展示する作品のタイトルは、《ある閉ざされた「一瞬」のうちに》です。インスタレーションとして、今この瞬間の作品を見てほしい。鑑賞者が、遠い昔に感じた感覚を、再び体験している感覚、閉ざされた『あの時』が巡ってくる感覚を体験してほしいです。」
私たちは、校内の共同アトリエにも案内してもらった。
利根川が一望できる共同アトリエには、板などの素材や過去の作品が置かれていた。
簡単なキッチンや電子レンジもあり、一日の多くをアトリエで過ごしているようだ。
部屋を見渡すと、人体の形をした作品が、大小様々なひびが入った状態で置かれていた。
「学部時代の土の作品は、このように割れたものもありました。試行錯誤しながら、土壁のように藁を混ぜるなどの工夫をすることでひび割れを防げることがわかりました。どの作品も試行錯誤しながら自分のやり方を見つけています。」
また、高校時代までの柏木さんは、美術部で美術三昧の日々を送るような生徒ではなかったとのこと。
「小中学校はラグビー、高校は陸上の短距離で、大学入学後もジムで汗を流したりしていました。ただ、幼いころから立体作りや絵を描くことは好きで、表現することはずっと行っていました。即興で絵を描いたりするストリートパフォーマンスをしたりもしていて、その延長として東京藝術大学への入学と今があります。」
卒業後は、美術館やギャラリーの展示設営の仕事などをしつつ、今も借りている取手市内のアトリエで制作を続けていくとのこと。今後も柏木さんの作品に出会えるのが楽しみだ。
次の動画で柏木さんと日比野学長との交流映像があります。
【東京藝術大学公式チャンネルより】https://www.youtube.com/watch?v=Ea1S1aKAmBg
~インタビューを終えて~
穏やかさの中にしっかりとした芯を感じる柏木さん。とても真摯に取材に応じてくれた。
柏木さんの作品を取材しながら、過去や未来の『あの時』を行ったり来たりした。修了展では今回は取材できなかった石の作品も展示されるとのこと。鑑賞者の心模様や石の作品も加わることで、どんな『あの時』に出会えるのか、修了展が待ち遠しい。作品は上野校地総合工房棟 2階 多目的ラウンジに展示される。みなさんも『あの時』へタイムスリップしてはいかがだろう。
執筆:小倉聡子
取材:小林有希子、西内るみこ、小倉聡子(アート・コミュニケータ「とびラー」)
撮影:平野みなの(とびらプロジェクト アシスタント)
小倉聡子
取材と言いつつ、作家と仲間との対話型鑑賞のようでもあった。一人ではたどり着けないあの時に、作品と対話が連れて行ってくれた不思議な体験でした
小林有希子
作者にお話を聞きながら、どっぷり作品に没入できる、とても贅沢な一時でした。
西内るみこ
お話と作品に触れて。五感を使ってココロの奥深くから感じることができました。楽しいと思った瞬間を大切にこれからも作品を味わいたいです。