東京都美術館× 東京藝術大学 「とびらプロジェクト」

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2024.01.19

まだ暖かな陽気の11月末、東京藝術大学(以下「藝大」)上野キャンパスの総合工房棟、地下1階。
研究室で「こんにちは」と笑顔で私たちを迎えてくれた胡詩琳さん。スリッパに履き替え足を踏み入れると、そこには障子戸の備わった和風の一室が。胡さんはここで修了制作に励んでいました。大学ということを忘れてしまうような空間で、胡さんにお話をうかがいました。

 

和風の研究室。以前は畳敷きだったとか。

 

 

―ご出身と、来日・入学までの経緯を教えてください―

 

中国湖南省から来ました。中国江西省の景德鎮陶瓷大学で4年間、陶芸の研究をしていました。景徳鎮市は古くから陶磁器の生産地として有名で、たくさんの陶磁器工房があり、焼くときに失敗したりして割れた陶磁器が多くありました。
卒業後、そうしたものを金継ぎする機会があり、その時初めて漆に触れました。それから漆や修復に興味を持つようになり、漆についてもっと勉強したいという気持ちと、修復についても学びたくて日本に来ました。

 

―中国の大学を卒業後、すぐに来日されたのですか―

 

大学を卒業後、中国の博物館に3年間勤務した後、4年前に日本に来ました。来日1年目は日本語学校で学び、2年目は漆の専門会社で働きながら、漆に関する技法を勉強しました。中国の大学で漆専門の勉強をしたわけではなかったので、修復を学ぶ前に、漆に関することを知らないといけないと思い、1年間学びました。そして、来日3年目に藝大の修士課程を受験・入学しました。

 

―修了制作について教えてください―

 

藝大美術館所蔵作品《輪花葡萄栗鼡螺鈿卓》(りんかぶどうりすらでんたく)の天板部分の復元模造です。これは李朝時代晩期の制作と思われる卓で「ソバン(小盤)」と言い、李朝時代の特徴的な家具です。日本語では「お膳」ですね。食べ物や食器を載せて台所から食事をする所まで運ぶものです。当時のソバンは漆塗りだけのものが多く、このように螺鈿文様が施された作例は少ないです。

 

修了制作作品《輪花葡萄栗鼡螺鈿卓》復元模造

 

―なぜ、この作品を選ばれたのですか―

 

私は螺鈿の作品が大好きなのです。藝大入試の作品も螺鈿の作品を制作しました。だから、今回も是非、螺鈿に関する作品を修復したり復元したいという希望を担当教授の北野珠子先生と直接、修復を指導いただいている松本達弥先生に伝え、先生と何点かの作品を見学・検討して、この作品に決め、修復から始めました。

 

―修復と復元模造の両方をされたのですね。では、まず修復について教えてください―

 

1年目に原作(収蔵作品)の修復をしました。あわせて制作背景、材料や道具について調べたり科学調査をしたりして、資料を読んだうえで素材や制作方法について推測するところから始めました。
最初に螺鈿の剥落箇所の補修をおこなったのですが、観察したところ、貝の表面から木地に墨で下書き(以下「置目」)したと思われる黒い線が透けて見えたので、おそらく貝は直接、木地に貼られたと考えました。こうした作品は、劣化すると表面素材の剥離・剥落が激しいのです。こういった作品をどのように修復するのかに興味がありましたので、実際に修復作業をしてみて、とても勉強になりました。

 

(左)《輪花葡萄栗鼡螺鈿卓》修復前、(右)《輪花葡萄栗鼡螺鈿卓》修復後
さまざまな調査後、螺鈿の剥落箇所の補修をおこなった。

 

 

 

―その後、復元模造の制作に着手したのですね―

 

はい。2年目に復元作業を始めました。

 

―《輪花葡萄栗鼡螺鈿卓》の復元模造について教えてください―

 

この工程見本を見ながら工程順にみていきましょう。

 

たくさんの工程が工程見本に整理されている。作品同様、とても美しい仕上がり。

 

まず、木地ですが、栗を選びました。原作の表面には漆が塗られていて木地を見ることはできませんが、裏面には木目が確認できます。目視では欅のように見えますが、欅は原作よりも重いことと、資料から、栗は李朝時代によく使われていた木材のひとつであり、原作に近いことから選びました。栗はとても軽いです。

 

<膠固め><貝貼付>
次に、原作はどうやって木地に貝を接着したのかを考えました。日本なら、ほぼ、漆を使います。でも、原作の螺鈿部分から、置目の黒い線が透けて見えるため、螺鈿を貼る際に使用された接着剤は漆ではないと判断しました。そこで、透明な接着剤だったら膠ではないかと考え、木地に薄く塗って、貝を貼付しました。

<炭+糊地付>
貼付した貝と木地との間のわずかな段差を埋めるためと、より螺鈿の輝きを引き立たせるための、黒色の下地の素材を考えました。原作の剥離していた漆塗膜と木地の間をルーペで拡大して見ると、黒い粒状のものが確認できます。制作年代および文献資料と合わせて考え、先生と検討した結果、炭粉ではないかということになりました。

 

「これで覗いて見てください。黒い粒が炭粉です」と言って、ルーペを貸してくださった胡さん。

 

とびラー 「粒?粒?どれですか?」
胡さん  「このへん、見えますかね?近づいて大丈夫。
      螺鈿が剥落して露出している木地の上です。」
とびラー 「エッ?木地の上?どれですか?」

 

なかなか見つけられないでいるとびラーに、胡さんは粘り強く教えてくださいました。胡さんは、きっと、こんな風にして先生や周りの方、研究対象と丁寧に向き合っていらしたのだろうと感じる一幕でした。
目を凝らして、ようやく、ポツッ、ポツッと微かな黒い粒を見ることができました。こんな小さな粒を手がかりにして素材を探るとは、一同驚きでした。

 

次に、炭粉に何を混ぜて塗付したのかを考えました。そこで、原作から剥落した塗膜片、漆と下地が付いた塗膜片の2つを使って実験をしました。この2片を湯の中に浸したところ、下地の部分が溶けてしまったことから、炭粉に混ぜたものは水溶性ではないかと推測しました。そして、韓国でよく使われた下地の材料の4種類「漆、膠、糊、柿渋」と炭粉をそれぞれ混ぜて、操作のしやすさや乾いた時の状態を観察した結果、一番作業性が良いと感じた糊を選びました。炭粉は、番数の異なる4種類のメッシュでふるい、その中から原作の細かさに一番近いものを採用して糊と混ぜ、下地として塗付しました。

 

―実験の繰り返しなのですね。工程としては、全部で何工程あるのですか―

 

最終的に展示用として整理したのは、13工程です。先生と検討を重ね、実験を繰り返したので、実際にはもっとたくさんのデータと工程がありました。
この後、<拭き取り>、<空研ぎ>、薄い生漆での<下地固め>、<透漆塗り>、<剥ぎ起こし>、<空研ぎ>、<毛彫り>、再び生漆での<固め>、<透漆塗り>、<剥ぎ起こし>をして完成です。

 

私たちが聞いて気の遠くなるような工程の数々について、笑顔でお話ししてくださった胡さん。その楽しそうな笑顔は、「苦労」を全く感じさせないものでした。

<剥ぎ起こし>とは貝の上に塗った漆を竹べらなどの刃の無い道具で削り取る作業。透漆を塗り、乾燥後の2日以内におこなわないと、漆塗膜が硬くなってしまい、作業しづらくなる。

 

―こうした工程見本作成は、胡さんのアイディアですか―

 

はい。これは必須のものではなく、私自身が面白いなと思って作りました。

 

―わかりやすいですし、とてもきれいです。貝の切り方についてもまとめられていますね―

 

原作から剥落した貝の厚さと同じ位の0.2mm厚の中厚貝で原作の虹色の光沢に一番近いものとして、韓国のアワビを採用し取り寄せました。カッターで切るには厚すぎて、糸鋸で切るには薄すぎる、微妙な厚さです。そこで今回は、中厚貝2枚を糊で貼り重ね、糸鋸で形を切った後、水の中に浸して1枚ずつに分けました。李朝時代晩期の作品は量産された可能性が高いので、1枚ずつ切るのではなく、効率的な作り方をしたと考えたからです。また、重ねることで強度が増して切断に耐えることができます。当時は、もっと何枚か重ねて切っていたのかもしれません。これが正しいとは言えないけれど、当時はどうしただろうと思いを巡らせ、当時の考え方、作り方に近づくような方法で再現しました。

 

 

―とてもたくさんの工程があることがわかりました。苦労された点は何でしょうか―

 

工程の大変さ以外で一番困ったことは、原作に使われた黒く見える漆の種類が黒呂色漆なのか、(茶色っぽい)透漆なのか、その種類がわからなかったことです。科学調査(蛍光X線分析および低加速電圧高分解能走査電子顕微鏡FE-SEM分析)をしましたが、結果が出ませんでした。縁の朱色のところは、科学調査によって水銀朱であることがすぐわかったのですが、黒の部分は漆自身の黒さなのか、あるいは炭粉下地部分から透けて見える黒さなのかは判断しづらく、使用された漆が黒呂色漆であるか透漆であるか、現段階でははっきりとしません。でも、工程から考えると、貝の上に漆を塗った後、貝の表面の漆を削って<剥ぎ起こし>をする必要があります。もし、黒呂色漆だった場合、塗ると真っ黒になって貝の位置がわからなくなってしまいますが、透漆だった場合は茶色いので、貝の位置がはっきりわかります。こうした工程から、透漆の可能性が高いと考えています。

 

(参考:漆を塗ってから螺鈿を漆塗膜から出す必要がある。螺鈿を出す方法について、よく使われる技法は「研ぎ出し」あるいは「剥ぎ起こし」の2種類がある。原作の漆塗膜表面には艶があることから、当時使用された方法は「研ぎ出し」でなく、「剥ぎ起こし」の可能性が高いと考えた。螺鈿表面の塗膜のみ剥ぎ起こすため、まず螺鈿の位置をはっきり見えるようにすることは非常に重要であり、透漆は透明な茶色の漆なので、黒呂色漆より工程に適すると考え、今回は透漆を使用した。)

 

―楽しかった点や、良かった点は何でしょうか―

 

文化財の保存と修復に関する考え方が変わりました。当初、復元模造はただ展示するためだけのものだと思っていましたが、実際に修復をしながら復元模造の制作をしてみると、原作に対する理解が深まり、そのうえで、どうやって修復・保存するかを考えるようになりました。

 

使っている道具。竹べらはカスタマイズしたもの。

 

卒展では、復元した作品と、工程を整理したパネルと貝の切り方実験のパネルの計3点を展示する予定です。

復元模造作品とともに展示するパネル。「伝えたい」という胡さんの思いが感じられる。

 

―今後の展望をおきかせください―

 

博士課程への進学を志望しています。博士課程で、もっともっと螺鈿に関する作品に触れて、中国・日本・韓国の3か国の螺鈿作品の関連性について調査をしたいと思っています。
修復については、原作のような作品は塗膜の剥離・剥落が激しいので、それに対して何か良い修復方法を見つけたいです。今回は芯張り*という方法により、膠の含浸*をして、塗膜の剥離をほぼ押さえましたが、塗膜から木地が露出している際の部分については、どうやって剥離を止めるか、それには何の材料が良いかと考えていて、まだわからないです。

*芯張り:剥離した螺鈿部分の圧着作業は芯張りという方法で施す。(膠や希釈した麦漆を含浸し、アクリル板と塩ビ板を螺鈿の上に置き、竹の弾力を利用し圧着する方法である。)
*含浸:中に浸み込ませて隙間・空間を無くすこと。

 

 

―修復の技術は完成されたものではないのですね。まだ課題がありそうですね―

 

そうですね。修復の場合、どのくらいまで手を加え、どこで止めるかが一番難しい問題だと思います。私は、できるだけ手を加えない方が良いと思っているため、今回、螺鈿の剥落箇所は補填せず、剥離や剥落を止めるため、際処理用の錆を作って可能な限り目立たないように補強作業をしました。特に、赤外線撮影により、木地に墨書きされた置目の様子や、置目をするための目印となる‘十字線’が確認できました。こうした線は貴重な資料の一部分ですので、貝を補填したり、漆の含浸をして線が見えなくなるようなことはしませんでした。

 

―将来、修復あるいは復元模造でたずさわってみたい作品はありますか―

 

今は特に決まっていませんが、今後も螺鈿作品の修復・復元について、もっと経験を積みたいです。将来的には文化財の保存・修復に関する仕事をしたいです。大変なこともありますが、自分が好きなことだから、辛いことも我慢できます。そして、作品が完成した時は、とても嬉しいです。

 

―インタビューを終えて―

復元模造は、ただ原作と同じものが作られているのではなく、原作についての調査・研究結果をもとに、制作当時となるべく近い素材・道具・方法で制作されていることを胡詩琳さんのお話から知ることができました。素材一つ一つを確固たる理由のもとに選定し、自身の手で再現する。たゆまぬ探究心と確かな技術で表現された作品には、私たちを当時にタイムスリップさせてしまう、そんな力が宿っていると感じました。

 

 

取材:長瀬あやり、猪狩麻里子、石井真理子(アート・コミュニケータ「とびラー」)
執筆:石井真理子
執筆協力:長瀬あやり、猪狩麻里子

 



無知な質問にも終始しなやかにアルカイック・スマイルで応えてくれた若いその人は真摯で明るく、そしてたくましく、何より愛らしく。心が洗われました、深謝。(長瀬あやり)

 

 


修復ってただ直すだけじゃない。奥深い作業、その難しさを知りました。好きを突き詰めている人の笑顔にこちらまで笑顔になる良い時間でした。(猪狩麻里子)

 

 


胡さんの穏やかな笑顔の中に、文化財を後世に伝えたい、という芯の強さを感じました。螺鈿のようなキラキラした輝きに魅了されました。(石井真理子)

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