東京都美術館× 東京藝術大学 「とびらプロジェクト」

活動紹介

アクセス実践講座⑧|「1年間をふりかえる座談会」

2020.02.02

アクセス実践講座・第8回
「1年間をふりかえる座談会」
日時|2020年2月2日(日)13:30~16:00
場所|東京都美術館アートスタディルーム


2020年2月2日(日)は、東京藝術大学第68回卒業・修了作品展の最終日でした。都美公募棟展示室とギャラリーには、力のある若い作家たちの作品を目撃しようとたくさんの来場者が詰めかけています。今日は、7月から12月まで半年間にわたって行ってきたアクセス実践講座の最終回です。

 

午前中にとびラボミーティングを行っていたとびラーや、ミュージアム・トリップで養護施設のこどもたちと活動していたとびラー、そこに午後の講座から参加するとびラーが合流し、会場はさながらオールスタープレイヤーの準備室の雰囲気です。
ざっと1年間でどんなことが起こったか、振り返ることから始めていきました。

 

 

どんな講座が行われたかスライドで確認します。

 

1〜3回と7回目の講座では、現在の社会が直面する課題に対し、それぞれの方法、切り口で活動を推進している団体の方に講義を行っていただきました。人々がWell-being(健康で幸せなあり方)ではない状態を作りだしている「社会が抱える課題」とは何か。そのことへの理解の解像度を上げるとともに、それぞれの団体が行う活動の実際について知ることで、活動を社会の中に実装させていくイメージを具体的にしていきます。

 

後半4〜6回の講座では、プログラムメイキングについて体験型の講義が行われました。社会が抱える課題に阻まれて文化に接続できない状態、美術館に来ることが出来ない状況にある人々に美術館へのアクセスの回路となる「プログラム」はどのように作るのでしょうか。どんな人たちが、どんな状況の中で美術館に来館するのか、その人たちが美術館でどのように文化に接続し、孤立しない状態になってもらうのか、プログラムを創ることは、「ここからは見えないもの」への想像力を駆使し、「人々が文化に接続する体験」という実を作り出すことです。アクセス講座の後半では、そのためのプログラムメイキングの基本となる考え方をとびラーと共有しました。

 

講座は講義と実践のサンドイッチ構造になっています。

 

実践の場で、とびラーはプレイヤーとして来館者とアートの出会いに伴走することができます。
実践の場でどんなことがどんな気づきがあったのか、3人のとびラーの「語り」を聞きながら紐解いていきました。実践の場として設定されている「障害のある方のための特別鑑賞会」とMuseum Start あいうえの のダイバーシティ・プログラムに参加しているとびラーの中から、3人に公開インタビュー形式で話を聞きました。

 

【障害のある方のための特別鑑賞会】
東京都美術館特別展ごとに一回開催される鑑賞会。特別展休室日を利用して行われる。障害のある方とその介助者が招待される。毎回1000名程度の来館者をアートコミュニケータが迎える。

 

【ダイバーシティ・プログラム(Museum Start あいうえの)】
家庭等の状況によりミュージアムを利用しにくいこどもたちと、その保護者をミュージアムに招待するMuseum Start あいうえのプログラム。とびラーがこどもたちの活動に伴走する。

 

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7期とびラー:西原香さん

 

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6期とびラー:大谷聡子さん

 

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8期とびラー:森奈生美さん

 

3人のとびラーからは、普段美術館へのアクセスが難しい方々が美術館でどの様に過ごしたのか、とびラーとどんなコミュニケーションがあったのか、1つ1つの思い出として語られました。

 

講座や実践の場を経て生まれた一人一人の出来事や変化はごく個人的なものかもしれません。けれど8期目を迎えたとびらプロジェクトに参加したとびラー全員の変化や活動が集積すると、1つの文化が生まれてくるように思いました。そして美術館・文化施設を舞台にすべての人の権利として文化的体験を位置付けようと試行錯誤をしているとびらプロジェクトの活動は、実は同時代的に全世界で起こっている流れの中にあります。

 

2019年9月のICOM世界大会(世界中の博物館関係者が集まって行われた1週間の会議)で、新しい「博物館の定義」について議論がなされました。(採択は延期されています)

 

この新しい「博物館の定義」の案を参加したとびラー全員で読み、議論する時間を持ちました。
以下に新定義案の原文と稲庭彩和子さん(東京都美術館学芸員)の日本語訳を掲載します。

 

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原文
Museums are democratising, inclusive and polyphonic spaces for critical dialogue about the pasts and the futures. Acknowledging and addressing the conflicts and challenges of the present, they hold artefacts and specimens in trust for society, safeguard diverse memories for future generations and guarantee equal rights and equal access to heritage for all people.

 

Museums are not for profit. They are participatory and transparent, and work in active partnership with and for diverse communities to collect, preserve, research, interpret, exhibit, and enhance understandings of the world, aiming to contribute to human dignity and social justice, global equality and planetary wellbeing.

 

稲庭彩和子訳(意訳)
博物館は、社会的な排除をせず多様な人々を迎え入れ、さまざまな声に耳を傾ける、民主化をうながす空間である。そこは過去・現在・未来について、物事の前提や内容、判断が本当に正しいか、なぜそうなのかを多角的に検討し思考する対話のための場所である。博物館は、現在の利害関係の対立や課題を認め、それらに対処しつつ、社会から信託された遺物や標本を保管し、未来の世代のために多様な記憶を守る。また、そうしたものに対する平等な権利とアクセスをすべての人々に保証する。

 

博物館は、営利を目的としない。博物館は、参加性・透明性が高く開かれたもので、多様なコミュニティと積極的に連携・協力し、収集し、保管し、研究し、解説し、展示し、世界についての理解を高める。そうした活動は、人々の尊厳や社会的正義、全世界の平等と、地球全体の幸せな状態(ウェルビーイング)に貢献することを目指している。

 

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とびらプロジェクトが目指して、アート・コミュニケータが活動を行ってきたことが、まさに新しい定義の案として盛り込まれている内容に会場のとびラーたちの議論にも熱が入りました。

 

ここまでの講座の中でお話を伺ってきた活動団体のお話で私たちが見てきたものは、この社会で活動と法の整備が相互に関係し課題が取り払われていく様子でした。社会が抱える課題に対してまず市民の活動が起こります。その活動が法整備を促し、法の整備が行われることがさらに活動を後押しするという形で大きな流れとなり社会は変わっていきます。

 

一人一人のとびラーが講座や活動を通して芽吹かせた芽が、草原となり、森となってこの世界の景色を変えていく。そんな未来が見えるような講座最終回でした。

 


 

「講座という体をとった社会を変えるミーティング」。これは、講座の初回で伊藤達矢さんが言った言葉です。
今年度のミーティングは、これをもって一旦解散です。

 

(東京藝術大学美術学部 特任助手 越川さくら)

アクセス実践講座⑦|「ろう文化と手話」

2019.12.01

アクセス実践講座・第7回
「ろう文化と手話」
日時|2019年12月1日(日)13:30~16:30

場所|東京都美術館アートスタディルーム

講師|斉藤道雄(明晴学園前理事長、ジャーナリスト)


 

本年度アクセス実践講座、最後の外部講師となる斉藤道雄さんをお迎えし、第7回を行いました。テーマは「ろう文化と手話」。まだあまり知られていない「ろう」の世界について、ジャーナリズムの視点からご講義をいただきました。講義は、斉藤さんが制作したいくつかのドキュメンタリー映像を観ながら進行されました。

 


 

とびらプロジェクトでは、2018年度から聴覚に障害のあるとびラーが活躍しています。本年度のアクセス実践講座の内容は「UDトーク」という音声を自動で認識し文字化するアプリケーションを使い、モニターを通して逐次テキストでとびラーに伝えられます。今回の講座の記録は、このUDトークが文字化したテキストを元に、一部を引用する形でお伝えします。テキスト量が多くなりますが、示唆に富んだお話の内容をできるだけ記録できればと思います。(お話の一部分だけを引用しています)

 


 

斉藤道雄さんについて

(UDトークのログより一部引用)

 

越川(とびらプロジェクトコーディネータ アクセス実践講座担当):今日の講師の先生をご紹介したいと思います。斉藤道雄さんです。私が、『手話を生きる』という斉藤道雄さんの本を読んですごく感銘を受けて、お話をぜひ聞きたいと思ってお呼びしたんですけれども、昨年度から、聴覚障害のあるとびラーをお迎えして、聞こえないってどういうことなんだろう。言葉が違うってどういうことなんだろう。手話ってなんだろう。そのことをずっと考えていた1年半でした。今日はろう文化と手話という題でですね、斉藤道雄さんにお話いただきます。斉藤道雄さんはジャーナリストでいらして、テレビの業界でろうの世界について取材をされる中で、ろうの学校をつくるというところまで来て、明晴学園という日本で初めての、手話で子供たちを教育する学校です。あいうえのにも明晴学園の方々が来てくれてたり(2014年度活動ブログ2017年度活動ブログ)しました。

 

斉藤:皆さん、こんにちは斉藤です。よろしくお願いします。僕はろう学校の校長をしてたんですけれども、校長といっても小さな学校なんですよ。幼稚園から中学まで全部合わせて子供が60人ぐらいという学校ですから、学校というよりは塾みたいなもんなんですけど、そこの校長をやってました。その後、学校の運営の手伝いをしたりして9年ほど関わったんですけれども、今はもうやめてます。聾学校に関わったのはなぜかというと、もう20年以上前ですかね。前から手話という言語に興味があって取材してきた、だからろうの人たちの中に入り込ませてもらって、いろいろと取材してきたという経緯があります。

 

ろうの家族

(UDトークのログより一部引用)

 

斉藤:ろうといっても実はそのたくさんいろんな方がいるので、十把一絡げには言えないんですけれども、小さいときからろうとして育った、つまりろう文化に馴染んで育ってきた人たちの中にはですね、(自分の)子供もろうであってほしいと希望する人が結構な数いるんですね。僕は最初にそのことを知ったときにとても驚きました。本当にそんなことがあるんだろうかといって取材したのが最初のビデオです。家族全員がろうの家族。つまり、親も子供もろうというそういう家族の映像です。

 

(映像1:1997年2月7日、TBS報道特集『手話の世界』 

 

斉藤:僕自身は、こういう世界に出会うまで、おそらく皆さんと同じようにですね、聞こえないっていうことは不幸なことそれは避けるべきだというか、聞こえた方がいいと考えてました。

 

聾学校の誕生

(UDトークのログより一部引用)

斉藤:1755年、世界で初めての聾学校ができました。このときの聾学校は手話で子供たちを教える、あるいは子供たちも手話で暮らすという学ぶというそういう聾学校であったわけですね。フランス手話はその後いろんな経緯があって、アメリカに持ち込まれてアメリカ手話が発展していきました。だからフランス手話とアメリカ手話っていうのはかなり共通性が高いので、アメリカのろう者とフランスのろう者は手話で話をして、音声語でイタリア人とフランス人が話をして同じくらいは通じるということが言われてます。ところがその後成立したイギリス式は、アメリカ手話というのは全く違った形で出てきた言葉なので、イギリスのろう者とアメリカのろう者が手話でで話そうとしても、うまく通じないという。つまり手話っていうのはそれぞれの社会でそれぞれの地域で独自に発展してきたということですね。

 

聾学校というところで、手話がだいたい固まって成立するんですよね。ろう者がたった1人で生きてると手話は生まれないんですよ。正確にはホームサインというものがあってその家族だけ、あるいは身の回りにいる地域の限られた人だけがちょっとだけわかる手話というのができるんですけれども、ホームサインというのは言語とは違って一般的な言語とそれ以外のものの中間みたいな。そういう言語になってます。れっきとした言語になるのは聾学校なんですよね。世界で最初の聾学校、それがパリでして、パリから手話、ろう文化というものが広まっていきました。いつでも、小さなコミュニティのろうの人たちが手話を使い始めてた。それが子供たちがろう学校に行くことによって、手話として完成していったということであると思います。

 

日本はですね、1878年に京都に聾学校ができました。京都盲啞院、見えない人と聞こえない人両方のためのが学校があったんですけれども、そこができたことによって、日本の手話ができ上がったというふうに言われてます。なんで聾学校で手話ができるかというと、ろうの子どもたちが集まるんですね。子供たちが集まって子どもたち同士で話をしてると、そこで言語として次第に固まってくる。とても面白いですけれども、最初の子どもたちが使う手話は、言語にはまではいかないんですね。その後に入ってきた子どもたち。最初の先輩の生徒たちが使ってる手話を見て、小さな子どもたちが入ってきて、その手話をまねて使い出すと、そうするとそれが本当の言語になります。言語学的な意味で日本語とか英語とかフランス語と同じ意味となるわけですね。そういう意味で聾学校というのは非常にろうの人たちにとっては生活の場以上に、自分自身の人格そのものができる場、言語ができる場という意味でとても大切なところだったわけです。

 

ろう文化宣言

(UDトークのログより一部引用)

 

斉藤:1995年にろう文化宣言っていうのが日本で出されてます。実はこのろう文化宣言というのは、アメリカのろう者が起こした運動を引き継ぐ形で日本で発展させた形になるんですけれども。木村晴美さんっていう方が中心になって出したんですけれども。ろう文化宣言がこう言ってます。「ろう者とは、日本手話という日本語とは異なる言語を話す言語的少数者である」と。

 

ここで木村さんたちが言ったことは、聞こえるか聞こえないかではなくて、どういう言葉を使うか、自分たちは手話という言語を使う、そういう人間なんだというそういうことを宣言したわけです。障害論で言うと、医学モデルから社会モデルへっていうそういう展開になるんですね。医学モデルっていうのはその人の体を医学的に見て、そして聞こえるかどうか、聴力はどのぐらいか。聴覚障害者と呼ぶかどうするかっていうそういうわけですね。でもろうの人たちにするとそうじゃないんだと本当の違いは言語なんだと。自分たちは手話って言語を使う少数派なんだということを、1995年に宣言したわけです。

 

聴者とろう者を分かつのは、聴力ではなく言語というところです。それを踏まえた上で次のビデオをご覧いただきたいんですが、このビデオは2004年に放送してました。ビデオを撮ったときはですね、まだ明晴学園っていう僕が勤めたろう学校はまだできていませんでした。その前段階の龍の子学園っていう名前のフリースクールなんですね。ここにろうの子どもたちが集まってきて、手話覚える。そして手話で学ぶっていうことをやってました。そこに赤ちゃんがやってきて、手話を獲得していくというそういう過程を記録したものです。

 

(映像2:2004年1月25日、TBS報道特集『赤ちゃん手で話す』 

 

斉藤:日本では100年近く前からろう学校は口話教育といって、音声を聞くこと喋ること、これを子供たちに訓練するということをずっとやってきました。

 

努力してそれが報いられればいいんですけれども、大部分の子供にとってはうまくいかない。そしていつの間にか子どもたちは手話を覚えてしまう。もちろん手話を教えてるところなんていうのはどこにありませんから、ろう者が寄り集まると手話を使う。その手話っていうのは、日本手話というのがあるのでそれを子供たちは覚えてくるわけですね。

 

基本的には聞こえない子に聞こえさせるっていうそういうアプローチはやっぱり限界があるということで、少しずつ全体が手話に変わってきたっていうことがありました。

 

(中略)

 

斉藤:手話っていう言語はやっぱり日本語と全く同じように厚い壁に囲まれてるっていうことなんですね。

 

壁なんていうとね、なんかネガティブな印象がすごくあるんですけれども。逆にその手話の内部から見ると日本語が簡単に入ってこられない、あるいは他の言語と混じり合って別のものにならない。これはとても大切なことなんですよね。そうすることによって手話はずっと手話として生き続けて子どもたちの手の中で伝えられていくというそういうことが繰り返されて手話として生き残っていくわけですよね。それは日本語が生き残ってきたのと全く同じメカニズムだと思います。

 

こういうお話をするのはろう文化というものがあってですね、それを僕らは理解したいと思う。その中に入っていきたいと思います。かなりの程度はできます知識を知っていれば、こういう見方をすればいいんだなっていうことはわかると思うんですよね。だけれども、本当の中の中まで入るというのはとても難しい。

 

手話の表現

(UDトークのログより一部引用)

斉藤:次のビデオでご覧いただきますけれども、これはろう文化の内部に僕がいろいろとその当時歩き回って中に入れてもらって、そして記録したものの一部です。ろうという人が、手話という言語はどういうふうに使うかとか、彼らの中で何が起きてるかっていうことはね話し始めると際限がない部分があるんですけれども、1人ろうの世界の中で、取材した人がいました取材対象が米内山明弘さんっていうろう社会では非常に有名な方です。日本ろう者劇団という劇団を作ったりしてそしてずいぶんいろんな活動をされてきた方ですね。

 

米内山さんっていう人は両親もろう者だったのでいわゆるデフ・ファミリーろう家族に育った人ですね。そしてろう者の間ではとても尊敬されてるのはですね、彼の手話というのが日本の手話のお手本みたいな感じの、非常に豊かな手話であるということがあります。手話通訳さん連れてって米内山さんの手話通訳のさせるとだいたい音を上げるんです。情報量が多すぎて、ほぼ日本語に音声語に変換できないと言ってですねみんな。米内山さんが使ってる手話っていうのは全部その子の細かいところまで日本語にしようと思うと結構大変な作業になるという。複雑な陰影に富んだ手話を使う方です。同時にですね、身の周りに漂ってるろう文化というものも少しご覧いただけるかなと思います。

 

(映像3:2000年5月18日、TBS・NEWS23『ろう者米内山明宏』 

 

斉藤:音声言語と視覚言語というのはかなり違うところがあって、目で見たものを再現するという力においてはですね、音声語は圧倒的にかないません。僕よく彼らの手話を記録したり横で見てたりするんですけれども、手話通訳さんがだいたいこう嘆くのがですね、私は日本語にそれを直すんだけれども彼の言ってることを表現していることの10分の1も表現できてないな。っていうそういうことをよくですね。逆に手話の弱いところもありますけれども、目で見た光景を再現するというこの力においては音声言語は圧倒的にかないません。

 

明晴学園

(UDトークのログより一部引用)

斉藤:次にご覧いただくのは僕がいた明晴学園というろう学校なんですが、日本で初めて全ての授業を手話で行うというそういう学校にその授業の模様を一部ご覧いただこうと思います。

 

(映像4:2014年5月21日・明晴学園小34クラス社会「八潮」 

 

斉藤:今のが小学部の3年生の。授業の中身だけ見ればね日本中のどこの小学校でもやってる授業と全く同じだと思います。ただ言語が違いますよね。そして先生は子供たちの言ってることは完全にわかってます。子供たちも先生の言ってることがそれなりにちゃんとわかってますね。こういう授業は日本のろう学校で過去80年、あったことがありませんでした。つまり先生が口で喋ってるのを子供たちは聞くわけだから聞こえないんですよね。先生が何言ってるかわかんない。先生は子供たちが話す口話。つまり喋る言葉を聞き取るわけですけど、子供たちの声はやっぱり不十分ですから、何を喋ってるのかよくわからない。仮に子供たちが手話を作っても使っても先生達は子供達の手話を読み取ることができません。だからこういう授業は、日本の学校のろう学校の教育ではありませんでした。

 

(中略)

 

CODA

(UDトークのログより一部引用)

 

斉藤:CODAというのは Children of DEAF adultsなんですけれども、ろうの両親から生まれた聞こえる子供です。数は非常に少ないんですけれども、つまりこの人たちは耳は聞こえるけれども、生まれてまず両親の手話を見て育つんだから第一言語が手話になるわけです。そして同時に幼稚園に行くころから近所の子供たちと一緒に遊ぶようになると、なんかわかんない言葉喋ってるか口がパクパクしていって何言ってんだかわからないっていう状況から初めてでも日本語を習得していくわけですね。そして、手話と日本語の両方の言語のネイティブ、バイリンガルになってきます。

 

僕が一番ろう文化手話のことを教わったのはこの人たちからなんですね。有名なCODAの人たちが何人かいるんですけれども、そういう事情は日本でも外国でも全く同じでですね。CODAという人たちというのはある意味では極めて便利な存在だし、貴重な存在として話をしてくれます。ただCODAといってもいろんな人たちがいるので、全員がネイティブというわけではないんですね。CODAの中には音声言語の習得が遅れたので日本語がちょっとたどたどしいなんていう人もいます。耳は聞こえるんだけれども、もうだから手話はまったく流暢さのものネイティブのろうと何ら変わりはないんだけれど、音声が少しというような人もいれば、もちろん逆の人もいます。

 

(中略)

 

ろうと聴をこえた「人間の文化」

(UDトークのログより一部引用)

 

斉藤:ブリストル大学のパディ・ラッドが書いたことの中で面白かったったのが、パディ・ラッドはイギリスのろう者のエスノグラフィ(行動観察調査)って言うかその聞き取り調査をずっとしてきたんですね。普通のそこら辺の町にいるろう者がどういう経験をしてきたか、どんな人生を送ってきたのかっていうそれをビデオにとってそして記録してくるっていう、そういう作業をずっと続けてきた人でした。

 

その中で僕は非常に印象に残ったのはジェームスという1人のろう者の言ってることだったんですね。ジェームスはもちろんイギリスで普通のろう教育を受けたので。英語音声語はほとんど使いません。なおかつですね、使えないだけではなくて読書も十分にできない、そういう状態でろう学校卒業してます。ジェームスはそれにもかかわらず、一生懸命自分で勉強してパブに行って筆談でパブに来たいろんな人たちとですね、話をしながら少しずつ英語を勉強していった。ろう学校のときにはわかんなかったけどそうやって話を筆談で話をしてると少しずつわかるようになってきた。

 

これもすごいなと思うんですけどね。そうやっていろいろ聴の人たちとね話をしてると聴文化というのをもちろんわかってくるんだけれども、タブロイド紙は読めるようになったので、世の中のことはいろいろわかるようになったんだけれど。よくよく話してみると、聴の人とたちの向こうにもう一つ別な世界があるんだな。ということなんですね。それまで聴者の世界でと思い込んでいた物の下にもう一つの別な世界がある。彼はそういう言い方をしてないけれども、ろうも聴も超えた「人間の文化」っていうそういう意味だろうなっていうふうに僕は思ってるんですね。ろう文化・聴文化というふうに区別されるところはもちろんある。それはすごく違うところもあるけれど、ろうも聴も共通して持ってる人間の文化みたいなものがあるんだなっていうところに、彼はたどり着いてると思うんですね。そこは僕はなかなかね、味わい深いなと思って。

 

 

斉藤:固い壁に阻まれて遮られているろうと聴の両方なんですけれども、しかし壁があるっていうだけで諦めるわけではなくていろいろな回路をたどるあるいは助けてもらう。というふうなことをしながら、いわゆる異文化理解っていうふうなことはですね、僕は不可能ではないだろうなと思います。ただわかったつもりになってもわかってないっていうことはしょっちゅうあってですね。そういうときにろうの人たちがどういうふうにすれば僕らを受け入れてくれるのかなと。向こうにもちょっと開いてほしいんだけれども、こちらもう自分を開いていくというそういうことかなっていうふうに思ってます。本当に自分が開けていったかどうかはわかりませんけれども、開こうという気持ちだけは僕はあったつもりなので、それで多少受け入れてもらえたかなと。そして、彼らの中の世界を記録することができたのかなっていうふうには思ってます。

 

(UDトークのログより一部引用おわり)

 


マイノリティ(少数派)にずっと興味があったという斉藤さん。マイノリティの世界にマジョリティ(多数派)の立場として入っていくのではなく、逆に自分が一人で入っていって「心細い思いをする」ことが大事だったのではないか、とご自分のジャーナリストとしての活動を振り返る姿が印象的でした。

 

斉藤さんは言います。

 

「そういうふうにして立場が逆になるとね、初めてわかってくることはいっぱいあるので。多文化理解とかなんとかいろんなこと言いますけれども、基本は入っていくっていうことではないかな。しかも自分たちが多数派の立場として入ってくるっていうことをやってどうしても限界があるので。少数派になっちゃうというそれが意外と面白い結末になるんじゃないかなというふうに思います」

 

とびラーはこれまで、少数派であるがゆえに社会的な不利益にさらされる方のお話を講座の中で耳にしてきました。その方々に「何がしてあげられるか」という視点からではなく、どのように「入っていけるのか」そんなことを考えさせられるお話でした。

 

 


講座の後半では、今年度からとびらプロジェクトに加わった伊東俊介さんのインタビューを行いました。きき手は、プロジェクトマネージャの伊藤達矢さんです。

 

伊東さんは、大学院で博物館のアクセシビリティについて研究されています。

 

アメリカのスミソニアン博物館で、手話を使うろう者、手話を使わない聴こえない人、聴こえる人が一緒に参加しているプログラムを目にし、そのプログラムが学芸員ではなく一般の学生(ギャローデッド大学)による企画であることを知った伊東さん。自分もそんな活動がしてみたいと、とびらプロジェクトに参加したと言います。

 

口話の中で育ってきた伊東さんは、大学に入ってから手話を覚え、すこしずつろうの世界も知るようになりました。ろうの文化、難聴者・中途失聴者の文化、聴者の文化、自分がどこに属すかというのは曖昧な部分があると言います。むしろそういったカテゴリーにこだわらずに生きていっても良いのではないか、と考えているそうです。

 

たくさんの異なる文化が一つのところにおさめられている博物館こそ、多文化理解について考える格好の場所と考え、とびらプロジェクトに在籍している間にも活動を作っていければとお話をしてくださいました。

 

 

(東京藝術大学美術学部 特任助手 越川さくら)

アクセス実践講座⑥|「企画を立てる…ワークショップを計画する」

2019.11.03

アクセス実践講座・第6回
「企画を立てる…ワークショップを計画する」
日時|2019年11月3日(日)13:30~16:30

場所|東京都美術館アートスタディルーム

講師|伊藤達矢(東京藝術大学)


アクセス実践講座④⑤|「ワークショップメイキング入門」

2019.10.06

アクセス実践講座・第4/5回
「ワークショップメイキング入門」
日時|2019年10月6日(日)10:00~16:00
場所|東京藝術大学第3講義室
講師|舘野泰一(立教大学経営学部)


毎年恒例となり、たくさんのとびラーが受講する舘野泰一さんの講義が今年もアクセス実践講座に登場です。「ワークショップ」とは、どのような学びの形態か、どのようにプログラムメイキングをするのか。その基本を一日の講義で学びます。

 

 

ワークショップメイキングのポイントは「『遊び』と『学び』、両方の要素が上手にブレンドされていること」と舘野さんは言います。

 

講義全体にも、『遊び』と『学び』がブレンドされて、とびラーも生き生きとワークに取り組み、レクチャー部分では「なるほど!」と理解を深めていく様子が印象的でした。

 

 

ワークショップの「構造」について理解するために、とびラーは事前課題に取り組んでからこの講義に参加しています。事前課題は、舘野さんが設計したワークショップの詳細を書籍で読み、その「構造」がどうなっているかを他の人に説明できるように準備すること。いくつかのワークショップについて、とびラーがそれぞれ分担して、他のとびラーに要点を説明します。その要点が統合されていくことで、全体の学びが深まっていく効果もあります。

 

 

学習者は「白紙ではない」と、舘野さんは言います。

 

白紙に大量印刷をするように知識を一様に伝えていた時代の教育から、学習者が主体的に考えることで学習していく教育の時代に、現代の学びはシフトしています。学習者が、もともと持っている考えと、新しく学ぼうとする知識を関連づけて考えることで、知識を自分なりに作る形で学習が行われていきます。

 

 

事前課題で見えてきたワークショップの基本構造や、ワークショップを設計するときのポイントについて、これまでのワークとレクチャーを通してなんとなく見えてきたことを、チームで整理していきます。

 

とびラーの気づきを元に、舘野さんからのレクチャーがあり、前半は終了です。

 

前半のポイントは、

・ワークショップの基本構造

・「遊び」と「学び」のサンドイッチ。学びで遊びをサンドする構造を作る。

・ゴールに直接行かないずらし(遊び)を作る。

 

お昼休憩をはさんで、後半は実際にワークショップを体験しレクチャーを聞いて、ワークショップデザインのコツの理解をさらに深めていきました。また記録や、ワークショップの伝え方など、より実践的な内容についても学んでいきました。

 

 

講座はいくつかのワークを実際に体験しながら楽しく進行していきました。

 

実際にワークショップを設計するときに意外と難しいのが、「遊び」をどのようにデザインするかという部分です。それについて、舘野さんはこんな風に説明します。

 

「例えばこのゴミを、そこにあるゴミ箱に捨てるとします。最短ルートでこの目的を達成するためにはまっすぐ歩いていてって捨てるわけですよね。これを遊びにしようと思ったら、この最短ルートを禁止してみます。例えばゴミ箱に行く前の手前に線を引いて『この線から入れてください』と言ったら遊びになるんですよね。

 

一番早いルートで目的を達成できてしまうことを禁止して、新しいルールを足す。そうすると遊びが見えてきます」

 


 

とびラーがプログラムメイキングをするために必要となる実践的な知識を吸収できた一日でした。実際の「とびラボ」での活動を通して、今日の学びがきっと活きてくることと思います。

 

(東京藝術大学美術学部 特任助手 越川さくら)

アクセス実践講座③「認知症に対応した鑑賞プログラム」

2019.09.29

アクセス実践講座・第3回
「認知症に対応した鑑賞プログラム」
日時|2019年9月29日(日)13:30~16:30
場所|東京藝術大学第3講義室
講師|林容子(一般社団法人アーツアライブ)


全8回で構成されるアクセス実践講座の第3回目を行いました。第3回目は、一般社団法人アーツアライブの林容子さんを迎え、認知症に対応した鑑賞プログラムに携わる経緯と、現在のご研究、また、超高齢化社会が抱える課題に対しアートができることについてお話を伺いました。

日本の現在の状況について林さんはこのように説明します。

 

「日本は世界一の超高齢化社会です。65歳以上の人口が今年度の6月で全体の28%、すなわち4人に1人以上が65歳以上。これが2060年までには33.9%、3人に1人が65歳以上という、超超高齢化社会を迎えるっていう現実があります。今のままでは立ち行かないということがよくわかると思います。

 

現在認知症を患う高齢者数が500万人。さらに大きい問題は、都心部においては特に独居高齢者が多い。独居高齢者が700万人います。財政負担も非常に大きい。GDPの30%が社会保障でそのうちのなんと78%が高齢者向けになっています」

 

このような社会的課題に対し、これまでの林さんの活動の経緯とこれからをお聞きしました。

 

アートマネジメントの道へ
大学で美術史を専攻していた林さん。卒業後は、美術の仕事に想いを残しながらも貿易を扱う仕事につかれたそうです。「ペッパーミル」や、ホテルのポーターが使う機能性が高くエレガントな「ワゴン」など、当時はまだ日本に存在しなかった海外の文化を輸入し一般に広めていく仕事に心血を注がれた時期がありました。ビジネスの現場で様々なご経験を積まれた林さんは、アメリカの大学院で「アートマネジメント」という分野に出会います。アートマネジメントについて学ぶため、ニューヨークに渡った林さん。講義は、林さんがどのように「アートと福祉」の出会いに立ち会ったかというお話に続いていきます。

 

アートと福祉との出会い
海外で様々なアートプロジェクトに立会い、特に欧米の企業や社会全体が「アート」に大きな価値を見出す文化に驚いた林さん。1999年にイギリスで行われた国際シンポジウムに出席し、病院や施設を視察したことが、アートと福祉に関わるきっかけだったそうです。
「入院している方、高齢の方、リハビリ中の方、外出することができない方々にとって、アートがものすごく必要なものなのだということに気づかされました」
当時の日本では病院や施設は、アートとまったく無関係な世界だったと、林さんは言います。そんな中、林さんはどのようにアートと福祉を繋げていったのでしょうか。

 

福祉の現場にアートを持ち込む
「一番大変なのは、活動の許可を取るということなんですね。アートが健康に寄与するという意識が浸透していないので、アーティストが来てとんでもないことをされては困るという不安が施設側にあるのです」と、林さんは回想します。
そこで、ある高齢者施設を訪れた際、林さんはまず「何か困っていることはないですか」と聞いてみたのだそう。
すると、
「利用者が部屋にこもったきり出てこない」
「同じような作りの部屋ばかりで、自分の部屋がわからなくなってしまう」
という“困りごと”が見えてきました。
そこで林さんは、教え子である武蔵野美術大学の学生とともに各部屋の障子に絵を描くプロジェクトを始めます。その部屋の利用者の楽しかった思い出を聞き、その様子を学生が絵にしていく中で、「着物はこんな柄だった」、「今の私もここに入れて」と様々なコミュニケーションの中で、利用者と学生が一緒に作品を制作していったのだそうです。

 

この活動を始め、認知症の方のための施設などでも活動の場を続けていた林さん。2009年には、一般社団法人アーツアライブを設立します。
アーツアライブでは「アートリップ」というプログラムを行なっています。アートリップは、認知症の方と美術作品を鑑賞するプログラムです。アーツアライブでは、アートコンダクターと呼ばれるファシリテータを育成し、プログラムを実施しています。

 

認知症の方との美術鑑賞について、林さんは次のように語ります。

 

「日本の高齢者のレジャー白書では、一番やりたいことは旅行なんですね。それから、ハイキング。その次にくるのがこの美術鑑賞なんです」

 

実際にプログラムを行うと、これまで笑わなかった方がニコニコとお話をしながら楽しそうに鑑賞する様子が見られることもよくあるそうです。

 

認知症で認知の機能が低下しても、「感情」が最後に残ることに着目し、「感情」の部分に直接作用するアートの効果をを認知症予防に取り入れることを提唱されています。

 

 

国際シンポジウムの成果
2018年10月、国立新美術館にて「アート・記憶・高齢化:アートを通した“認知症フレンドリー社会”の構築」というシンポジウムを開催されます。このシンポジウムでは、欧米で美術館や劇場といった芸術団体が認知症当事者と家族の為のプログラムを企画実施し、介護の現場でも芸術が認知症当事者の症状の緩和や、QOL(生活の質)を向上させることに注目し、米国、英国、オーストラリアという同分野の先進国より第一線の研究者、実践者を迎えて国内外の先端事例を紹介し、芸術、アートの力は“認知症フレンドリー社会”の構築にどう寄与することができるのか、その実現に向けての課題について考察が行われました。国内外から、医療関係者、美術館館関係者など約230名が参加したそうです。

 

認知症に処方されるアート
海外では、認知症に効果があるとして、美術鑑賞が処方されるというニュースが報道され記憶に新しいところです。人々のwell-being(心身ともに病気ではない、虚弱ではないというだけでなく、肉体的・精神的・社会的にすべてが快適で幸せな状態)にとって、アートに触れる機会を持つのは、ヒューマンライツ(人権)として尊重されるべきという考え方が広まりつつあります。

 

林さんは力強く語ります。
「私の夢としては、日本は今はアートがリハビリ療法の対象にしかなりませんが、将来は音楽やアートとか、そういった活動が介護保険や医療保険の一部でまかなわれていくべきだと思っています。ずっとアートリップのプログラムを始めた2012年の頃からそう思って活動しています。最終的にアートというものが医療に組み入れられていくということに繋がっていくために、もっともっと、説得力を持ってそれを証明していく必要があります」

 

アートを介して社会課題に立ち向かう1人のアクティビストとしての林さんの信念と力強さに胸を打たれた林容子さんの講義でした。

 

(東京藝術大学美術学部 特任助手 越川さくら)

アクセス実践講座②「海外にルーツを持つ子供の現状と課題 言葉、文化、制度、心の壁に囲まれたこどもたち」

2019.07.29

アクセス実践講座・第2回
「海外にルーツを持つ子供の現状と課題 言葉、文化、制度、心の壁に囲まれたこどもたち」
日時|2019年7月27日(土)9:30~12:00
場所|東京藝術大学 第3講義室

講師|田中宝紀(YSCグローバルスクール)


全8回で構成されるアクセス実践講座の第2回目を行いました。場所は、東京芸術大学の第3講義室です。第2回目は、YSCグローバルスクールの田中宝紀さんを迎え、海外にルーツを持つ子どもたちの現状と社会的課題についてお話を伺いました。

入管法改正、技能実習生、外国人観光客など、オリンピックイヤーに向けて、外国人についての報道が増加しています。東京都内でも外国人に出会う機会が増えたのを実感として感じるようになりました。

世界規模で国際化の進む中、日本では未だに移民として外国人を受け入れる制度が整わず、日本に住む外国人は「在留外国人」として不安定な状況を強いられている方が多くいます。中でも海外ルーツで多様な背景をもつ子どもたちの中には、言語的な支援がなく十分な教育を受けられないという状況が生まれていることも少なくありません。

YSCグローバルスクールは、NPO法人青少年自立支援センターが運営する、海外にルーツを持つ子どもと若者のための専門的教育支援事業です。2010年度より東京都福生市を拠点として、数十カ国にルーツを持つ子ども・若者たちを年間100名以上受け入れ、日本語教育、学習支援、不就学・不登校、高校進学希望のこどもたちの支援を行っています。

言葉、文化、制度、心の壁

田中さんは現在の状況についてこう説明します。

入管法の改正により、5年間で35万人の外国人受け入れという報道を聞き、外国人がどんとやってくるイメージを持つ人多いと思います。しかし外国人は2018年にはすでに日本に273万人いて、外国人増加は今に始まったことではありません。

また、外国人と日本人という区別を前提としていると、見えてこない問題があります。日本国籍でも日本語を母語としない子どもや、日本語しか話せなくても日本国籍を持っていない子どももいます。国際化が進む中で「日本人」自体も必然的に多様化しているのです」

田中さんは現場での支援に加えて、インターネット上で海外ルーツの子どもたちの現状や課題を広く伝える記事を執筆するなど課題の社会化にも取り組んでいます。現状と課題をシンプルに書いた記事に対しての反響が大きく、それだけ情報がなかったことを物語っていると感じられたそうです。

知らないということから生まれる誤解や差別。法整備や制度がない整っていないことにより、支援やセーフティネットが行き届かないという、制度や心の壁に幾重にも阻まれているのが、海外ルーツの子どもたちの現状と言えそうです。

遅れる日本語支援

子どもたちへの言語の支援についての現状を田中さんはこう説明します。

「勉強がわからないのではなく、言葉がわからない。言葉の壁のせいで本当はわかることもわからなくなる。けれど、日本語教育の支援が受けられないために、勉強ができず、授業が苦痛になり、友達とのコミュニケーションも取れずに学校での居場所を失って行く。学校に行けなくなることは、子どもたちにとって社会との接点を失うことに繋がります。

日本人の高校進学率は現在ほぼ100%ですが、海外ルーツの子は70%台。高校中退率も高く、日本人の7倍と言われています。

また、低年齢で来日した子どもは、母語の力が伸びないことも問題です。母語の柱が揺らぐと抽象的思考が難しくなり、理科の力や光、xをyに代入するような概念的なことを捉えることが難しくなります。思春期のときに心の悩みを自分の言葉で思考することができず、自分と対話が難しくアイデンティティのゆらぎに繋がることもあります」

言語の獲得は、このように子どもたちの居場所やアイデンティティの形成にも関わる喫緊の課題ですが、その支援は遅れています。

「日本語がわからないこども4万千人のうち1万人以上が学校で無支援となっています。理由は指導者がいないから。こどもを学校に受け入れておきながら支援しないのは人道的問題です。東京周辺は比較的NPOの支援を受けている可能性もありますが、外国人散在地域での支援の空白が課題になっています」

 

YSCグローバルスクールの日本語支援

「YSCに来る子どもたちは、日本語がわからず勉強についていけない、高校進学したい、いじめなどで学校に行けなくなった、など幅広いニーズがあります。社会に中に居場所がないこどもたちも少なくないです。授業は基本的に日本語。日本語を学んだあとそれぞれに応じた学習支援を受けられます。

数学の授業では計算力をつける前に、日本語で数学を学ぶことに慣れていきます。英語はできるのに、日本語で英語の勉強しなければならず理解できないという本末転倒の状態も生まれているのが現状です。YSCでは、学校や日本社会に適応するためのサポートをします。フリースクールと日本語学校を掛け合わせた感じです。

生徒には6歳から30代くらいまでの人がいて、10代半ばが最も多く年間100~120名くらい集まります。日本語レベルはそれぞれ。神奈川や埼玉、千葉からの受け入れ実績もあり、それだけ日本語を学ぶ場が限られているということの表れだと思います。フィリピン、中国、ネパール、ペルーがルーツの子が多く、これまで750名37カ国以上のこどもたちを支えてきました。

普段の授業はデジタル化を進めています。2016年11月からは中3の進学支援をオンラインで実施し、全国各地の子どもたちに支援を届ける取り組みを始めています」

 

やさしい日本語

外国人や海外ルーツの子どもたちとのコミュニケーションのために、今注目されているのが「やさしい日本語」です。今回のレクチャーでは、やさしい日本語について理解するためのグループワークを行いました。

田中さんから、練習問題として会話の内容の一文が出題され、日本語があまりわからない方に対して伝わる「やさしい日本語」に書き換えます。

難しい単語や言い回し、婉曲した表現を避け、相手が行動をしやすくなる伝え方を心がけることが大切です。書く体裁も、単語と単語の間を空けたり、イラストや表を使うなど、少し気をつけることで、伝わりやすい日本語にすることができます。

 

***

質疑応答では、とびラーからたくさんの質問・感想が寄せられました。

現状を全く知らなかったという驚きの声や、貧困問題としての側面に関しての質問、移民政策についての質問などです。

最後にとびラーから寄せられた質問は、「YSCグローバルスクールで実際に子どもたちの指導にあたる専門家の育成をどのように行なっているか」というものでした。それに対する田中さんの答えからとびラーの活動にも通じるものを感じました。

田中さんは言います。

「目の前のこどもを救うことも大事ですが、みんなでひとつの大きなミッションを共有することが大事だと思っています。木を見て森を見ずだと行き詰まってきます。『社会を変えられるかもしれない』というやりがいをみんなと話し合うことを大切にしています」

(東京芸術大学 美術学部 特任助手 越川さくら)

アクセス実践講座①「ミュージアムにおけるダイバーシティと合理的配慮」「経済格差とこどもたちの文化的状況」

2019.07.07

アクセス実践講座・第1回

日時|2019年7月7日(日)13:30~16:30
場所|東京藝術大学第3講義室

テーマ1:「ミュージアムにおけるダイバーシティと合理的配慮」
講師:稲庭彩和子(東京都美術館 学芸員 アート・コミュニケーション係長)

テーマ2:「経済格差と子どもたちの文化的状況」
講師:松見幸太郎(NPO法人キッズドア 事務局長)


全8回で構成されるアクセス実践講座の第1回目を行いました。場所は、東京藝術大学の第3講義室です。第1回目は、美術館がすべての人に開かれた場となるための講座のコンセプトへの理解と、実際にアクセシビリティの障壁となっている社会的課題について、とびラーみなさんが思考を始める機会となりました。


レクチャー1
稲庭彩和子(東京都美術館 学芸員 アート・コミュニケーション係長)
「ミュージアムにおけるダイバーシティと合理的配慮」

 

東京都美術館 稲庭さんのレクチャーでは、なぜとびラーが美術館のアクセシビリティについて学び、行動していくことが必要なのか、この講座のコンセプトとも言える内容が語られました。

人々が文化に接続することの価値と権利、文化施設が担う社会包摂的機能への関心の高まり、すべての人に開かれた美術館に必要となる合理的配慮の考え方についてお話を伺い、とびラーがアクセス実践講座を通して考え、実際の活動を作って行く基礎を築く時間となりました。


レクチャー2
松見幸太郎(NPO法人キッズドア 事務局長)
「経済格差と子どもたちの文化的状況」


続くレクチャーでは、NPO法人キッズドアの松見さんからお話を伺いました。講座の目標である「具体的な社会課題に関わる状況、活動を知ることにより、美術館に行くことが難しい人が来館し、利用するために必要な支援を考える」ため、大切な一歩となりました。

キッズドアは、子どもの貧困という社会的課題に対して学習支援という形でアプローチを行なっている団体です。ミュージアムスタートあいうえの「ミュージアム・トリップ」プログラムでこれまでに何度か連携し、子どもたちととびラーが一緒に上野の文化施設での活動を行なっています。(2016年度2017年度2018年度

2015年の厚生労働省の統計で、日本の7人に1人の子どもが貧困状態にあるという数値が示されました。キッズドアは、「すべての子どもが夢と希望を持てる社会」の実現に向けて、学習支援を基幹事業とし、学び直し事業や全国での地方創生事業などを展開しています。2018年度には、のべ1800人の子どもたちに1900人の登録ボランティアが多様なロールモデルとして関わり、学習支援を行なったとのこと。親の経済状況により、子どもが貧困に陥り、学習ができない状況がまた新たな貧困を生む「貧困の連鎖」の輪を断ち切るための取り組みがなされています。


経済的に不利な状況にある子どもたちは、文化的資源の不足や、体験の不足も顕著なため、文化施設で出会う多様な大人「とびラー」との活動「ミュージアム・トリップ」は貴重な機会であるとの嬉しい言葉もいただきました。


ソーシャルセクターの活動団体として、国や行政に頼るのではなく、自分たち一人一人の責任として社会的課題の解決に取り組むこと。そのために、事業や活動の価値の可視化と持続可能な運営をして行くことの重要性も語っていただきました。今新たに、行政や企業とコンソーシアム(共同事業体)を作り、生活困窮者世帯に食品パッケージをアウトリーチ型で届けるというモデル事業を展開しているとのこと。「全国的にどこの自治体でも真似してもらって大丈夫です、というところまで作り上げるのが私達の目標」と語る松見さんの姿に、課題解決に向かう上でより大きなビジョンの元で活動を展開していく力強さを感じたお話でした。

最後に、とびらプロジェクトのマネージャである東京藝大の伊藤達矢さんから、とびラーに向けてのメッセージが伝えられました。
「実践講座は、講座と銘打っていますが、実はこれ、ミーティングだと思うんです。皆さんと我々とそしてゲストに来てくださる方々の。社会にとっては非常に小さなミーティングかもしれないけど、これだけの人数でやることを考えると非常に大きい。自分たちの活動を作っていくための大事なミーティングの場であるというのが本質的なところだと思います。なので、講座を受けるというようなスタンスというよりは、一つ一つの我々の活動を作っていく大事なミーティングで場であるというような認識でこれから1年間実践講座に取り組んでいけたらいいと思います」

これからの1年間、みなさんと共に考え、活動を作っていきたいと思います。

(東京芸術大学 美術学部 特任助手 越川さくら)

アクセス実践講座⑦|「認知症に対応した鑑賞プログラム」

2018.12.02

講師:林容子さん(一般社団法人アーツアライブ)

「アート、美術館、認知症・そして私」

アクセス実践講座第7回は、一般社団法人アーツアライブの林容子さんをお迎えし、認知症の方に対応した対話型鑑賞プログラム「アートリップ」についてお話を伺いました。

 

「実は、福祉や高齢者問題は、私にとってまったくの専門外でした」

と林さんは言います。

 

林さんは、国内外でアートやアートマネジメントのエキスパートとして活動をしてきました。美術大学での講義や、アートに関する著書(*1)も執筆されています。イギリスで行われた国際的なカンファレンス「Conference for Health and Arts」に参加したことがきっかけで、「アートと福祉には親和性がある」と直感した林さん。持ち前のバイタリティで福祉施設にアートを持ち込む活動を実現させていきました。

学生や、介護現場の方々、また、施設を利用している認知症当事者の方々と協働して、病棟での作品展示や、徘徊する高齢者のためのアート作品の制作などを8年間にわたって行なったそうです。

2009年に一般社団法人アーツアライブを設立し、現在は認知症の方と行う対話型鑑賞プログラム「アートリップ」事業に注力されています。

アーツアライブ、そして林さんが何を目指して事業を展開されているのか、ここでは3つのキーワードに絞ってお話の内容を振り返ってみます。

 

⑴「社会のあり方」を作る

⑵「事業」を作る

⑶「アートの価値」を作る

 

それぞれどのようなお話だったか、少しずつご紹介します。

 

⑴「社会のあり方」を作る

現在、日本の認知症の方は約500万人 軽度認知症(MCI)推定400万人と言われています。2025年には700万人に上ることが予想され、予備軍を入れるとその数は1200万人に達する予想です。人口の多くが認知症となる時代では、認知症になっても共に楽しく生きられる社会を作ることが重要です。

そのためには、認知症を治すことを考えるよりも、社会全体が「認知症フレンドリー」な社会へと変容していことが求められます。「この分野では、日本はトップランナーである」と林さんは言います。

 

アーツアライブは、2018年10月に国際シンポジウム「アート、記憶、高齢化:アートを通して認知症フレンドリー社会の構築」を開催しました。世界的に認知症の治療薬への期待が高まる中、2018年、大手製薬会社が認知症治療薬の開発を中止することを発表しました。認知症は特定の病気ではないため、薬の効果が期待できないというのがその理由でした。

 

「認知症になること=悪いこと」と捉える固定観念を脱却し、「できることに目を向ける」発想への転換のキーワードとして林さんはアートを活用することを提案します。「認知症になっても楽しく生きられる」と思える社会を構築するために、アートにできることがあると林さんは考えています。

 

⑵「アートの価値」を作る

「アートの前ではすべての方が平等です」と林さんは言います。

認知症の方は脳の機能が低下することが知られていますが、感情は衰えないで最後まで残ります。「怒りやすくなった」「子供に戻った」などネガティブに語られることも多いこの特徴を、林さんは「とっても素直に表現されるので、こちらまで素直な気持ちになる」と肯定的に捉えます。認知症になり一層豊かになる感情と、それを大切に扱うアートとは親和性が高いということができます。

 

アートリップでは、対話をしながらアート作品を見ます。それにより、脳の細胞を活性化したり、参加者が個人としての尊厳を感じることができます。また美術館というハレの場で、普段は介護をする側/介護をされる側の人々がともに一つの作品を鑑賞することで、いつもとは違う視点でその人のことを見ることができ、普段の関係性も刷新されていきます。

 

アートを見るということを、時間や空間を超える未知の世界への旅に置き換えることもできます。アートリップでは「船頭は参加者」と考えています。アートコンダクター(アートリップにおける対話型鑑賞ファシリテータ)は、彼らが行く道に一緒について行って、楽しい旅ができるようにアテンドします。アートは一つの正解では語れず、見る人それぞれに委ねられる余白を大切にするため、それぞれの参加者の意見を尊重することができる。それはアートの価値の一つであると、お話を伺っていて感じました。

 

⑶「事業」を作る

アートや福祉に関わることは、収益を生まないボランタリーな活動としても成立するのが現状です。しかし助成金や補助金に頼るだけでは、活動は限定されていきます。もともとビジネスの世界に身を置いていた林さんは「一杯のコーヒーを飲むように、価値に対価を払っていただく収益事業にすること」にこだわっていると言います。

 

そのための方策として、これまで出会ってきた先達の言葉から、多くの示唆を得ていることもお話ししてくださいました。

 

「水は川上から川下へ」

この言葉は、会社員時代に尊敬する上司の方から教わった言葉だそうです。活動を広く行き渡らせたい時、その業界のトップにまずはアプローチをすること。なかなか勇気のいることですが、この言葉を今も大事にされているそうです。その結果、アートリップの活動は現在、美術館16館、高齢者施設や病院など21箇所以上に広まっています。

 

事業として行うためには、エビデンスを取り、示していくことも重要になります。特に福祉の分野では、効果効能が示されることが安心を生むこともあります。アーツアライブは、認知症予防産業として効果検証を行いました。その結果、うつ症状の改善や、脳の一部領域の活性化に効果があることが実証されました。

 

産業として成立することで、活動の自立性と持続可能性を高めていくこと。これが、これからのアートや福祉の活動に求められる姿勢だと感じました。

 


 

林さんのお話は、そのすべてがご自身の体験や活動そのものから発せられるパワーに満ちていました。そして、それとは対照的にアートリップに参加される認知症当事者やそのご家族、介護者のことを話すときには、慈しみに満ちた表情で嬉しそうに話す姿が印象的でした。

 

講義後のとびラーの感想の一部をご紹介します。

ー「社会への適応ではなく社会側からの適応によって、多くの人に幸せをもたらしたい(人間中心主義)という林さんの思いが伝わってくる力強い講義でした」
ー「本当にエンパワメントされた。講義の内容もインパクトがありましたが、教える方のそのひとならではの「立ち方」みたいなものってすごく印象深く残るんだと感じました。」

 

とびラーは、3年間の任期中や、任期を終えて都美を巣立った後も、アート・コミュニケータとして社会に活動を作っていくことが期待されています。今回の林さんの講義では、立ちすくんでしまいそうな社会課題に対し、クリエイティブな視点で発想を転換し、ワクワクと情熱と適切な戦略を持って活動を展開していく、1人のアクティビストとしての林さんの姿に、多くのとびラーが心を打たれたようでした。

この出会いに刺激され、とびラーが自分たち自身の活動を社会の中に作っていく日が待ち遠しいです。


*1:

進化するアートマネージメント(2004年)出版社:レイライン

進化するアートコミュニケーション (2006年)出版社:レイライン

 

(東京藝術大学美術学部 特任助手 越川さくら)

アクセス実践講座⑥|「ワークショップを計画する」

2018.11.11

テーマ:「UDトークを使って上野公園でできるワークショップを計画する」

アクセス実践講座④⑤|「ワークショップ・メイキング」

2018.10.14

テーマ:「ワークショップ・メイキング」
講師:舘野泰一(立教大学経営学部)

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